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2024年4月26日金曜日

ゴジラ-1.0

このブログで,過去にシン・ゴジラの記事を書いたかどうか確認したが見当たらない。それもそのはず,つい昨日みたような記憶が残っていたシン・ゴジラはブログ を始める2年前の2016年の作品だった。

シン・ゴジラ(第29作)と同じく,新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原ゴジラ-1.0(第30作)を観た。平日の朝一番なので,お客さんは5人くらい。テレビで放映されるまで待とうかどうか迷ったけれど,映画館の方が迫力があるかなと誤った判断をしてしまった。

結論から言うと,シン・ゴジラの方がよかったです。いきなり大戸島でゴジラ(小)が登場して,答えあわせが終ってしまう。何が来るのだ,いつ出てくるのだ,というドキドキ感がなくて,結論がせかされる。飲み込みやすいストーリーにしたがって,ゴジラの登場場面がトントンと積み上げられていく。

分かりやすいといえば,わかりやすい。戦後のバラックの描写や,ゴジラのディーテイルのVFXなども美しい。でも何か違うのである。山崎貴監督のこれまでの作品,ALWAYS 三丁目の夕日 シリーズ,永遠の0 ,アルキメデスの大戦のミックスジュースのようだった。どうりで違和感が残るわけだ。永遠のゼロですからね。

この映画で一番よかったのは,泡による浮力の消失という現象があることを教えてくれたっことだ。なるほど,これはおもしろい。しかしながら,この結論もいきなり天下りで与えられるので,発見の面白さや感動はまったく得られない。



写真:ゴジラ-1.0 公式サイトから引用

[1]ゴジラ映画作品の一覧(Wikipedia)

2023年11月28日火曜日

妖星ゴラス

海底軍艦からの続き

11月のWOWOWで東宝の特撮SF映画シリーズをやっていた。地球防衛軍(1957),宇宙大戦争(1959),妖星ゴラス(1962.3),海底軍艦(1963),緯度0大作戦(1969)の五本だ。

このうち,1963年の海底軍艦だけ映画館で見ているのは以前書いた通り。妖星ゴラスは小学校2-3年の時で,近所に映画のポスターも貼ってあった(そんな時代)。ストーリーも薄々わかって,とても見たかったのだけれど,当時は"大人の映画"につれていってほしいと言い出せるとは思っていなかった。まもなく,最初に体験することになる東宝の特撮怪獣映画は,キングコング対ゴジラ(1962.8)で,それ以後,夏休みのゴジラシリーズ等には連れて行ってもらえた。


その妖星ゴラスは,本多猪四郎(いしろう)と円谷英二のコンビ作品のうちの怪獣物でないSF作品の一つであり,今回のWOWOWの特集もそうしたSFものから変身人間シリーズなどを除いた5作が選ばれている。ただし,世界大戦争(1961)は含まれていない。

妖星ゴラスは,地球の0.75倍の大きさだが,重力が6000倍近い"黒色矮星"という設定で,地球に向かってくる。この星の接近による地球の破壊を避けるために南極にロケット噴射装置を設置して,地球をその公転軌道からずらすというものだ。$10^{-6}$Gを100日かけて40万km移動する。加速終了後も等速運動を続けるのはどうするのかと思ったけれど,映画の中では,北極に装置を再設置して逆に動かすような説明をしていた。

このため,南極におけるロケット噴射を表現するガスバーナーの炎のシーンが延々と続くのだった。ただ,説明では重水素と水素による核エネルギー(核融合とか水爆というキーワードは表立って出てこない)的なものが示唆されている。そのわりにはガスバーナーなのであるが。アポロ11号を打ち上げたサタン5号程度の推力ならば,1万セットで$10^{-12}$Gを短時間加えられるかもしれないけれど,ちょっとかなり厳しい。

おもしろかったのは,久保明がゴラスの再調査に向かったときに危機的状況になって記憶喪失になるシーン。ところどころ,2001年宇宙の旅(1968)のボーマン船長を思わせるようなシーンや宇宙ステーションへの回収のカットが出てくるのだ。キューブリックがこの映画を観ていることはないと思うが・・・。ところが検索してみると,同様の意見が散見された。もしかすると影響しているのだろうか。

なお,毛色が異なるので今回は含まれていない第三次世界大戦ものである世界大戦争を検索していたら,第二東映の第三次世界大戦 四十一時間の恐怖(1960)というドキュメンタリータッチのモノクロ映画も見つかった。当時は相当世界危機的な認識が広まっていた状況だったのだろう。



写真:妖星ゴラスの一場面([1]から引用)

[1]映画 妖星ゴラス(サブロジーの日々是ずく出し)

2023年5月5日金曜日

RRR

新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原でインド映画「RRR」を観てきた。

近鉄橿原線の新ノ口駅を降りて東に進み,いつもは国道24号線に沿った表口から入っていた。ところが,連休中の人の流れは川沿いの裏道をアリさんのように列をなしていたため,それにつられてツインゲートの駐車場側の裏口からアプローチすることになった。

インド映画はテレビの断片的な紹介映像しか見たことがなくて,一度観たいと思っていた。たまたまユナイテッド・シネマ橿原で評判のRRRが上映中だったので,さっそくオンラインチケットを購入した。最近は,平日に映画館にいっても客席には2-3人からせいぜい10人というところだったが,祝日効果もあってか,コロナ自粛解除のためか,170人のシアターの1/5〜1/4くらいは埋っていた。

ストーリーは単純明快で,スローモーションを多用したアクションシーンとダンスシーンに加えて,特殊効果もフルに使われ,主人公の個性もはっきりしているので,3時間まったく眠くならずに画面に集中できた。素晴らしい。特に音響効果というか音楽というか主人公の歌声がよかった。

舞台は1920年のイギリスの植民地支配下にあるインドで,英国人に虐げられた2人の主人公が,友情を持ちつつ葛藤を抱えながら物語が展開するというものだ。英国人はサブヒロインの一人を除いて徹底的に悪役として描かれているので,ある種のインドナショナリズムかとも思えた。

実在のインド独立運動の活動家をモチーフとした主人公の二人が同時にインド神話の二人の神として無敵の戦いを(時々死にそうにはなるのだけど)進めるという勧善懲悪ストーリーなので,最後に超極悪に描かれた英国の総督と婦人がTNT火薬の大爆発で吹っ飛ぶ屋敷を背景として惨めに死んでいくところで,観客は溜飲を下げることになる。

これをナショナリズムと解釈してしまって,日本に置き換えると微妙なことになる。鬼畜米英相手に日の丸振り回す素戔嗚尊と日本武尊ですか。このアナロジーがうまくいかないのは日本が欧米によって植民地として侵略され人権を完全に剥奪されてはいなかったからだ。むしろ,日本はインドを支配した英国と同様に,アジア各国を(より巧妙な方法で)侵略した側だった。だから,日本では残念ながらRRRのような映画をつくることができない。


写真:ダンスシーンに用いられたキーウのマリア宮殿(Wikipedia 記事 から引用

2022年11月2日水曜日

戦争と人間(2)

戦争と人間(1)からの続き

三部作の映画で描かれた(言及された)事件はおよそ次のようなものだった。

    三・一運動(1919.3.1) 万歳事件
    https://ja.wikipedia.org/wiki/三・一運動
    三・一五事件(1928.3.15)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/三・一五事件
    済南事件(1928.5.3)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/済南事件
    張作霖爆殺事件(1928.6.4)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/張作霖爆殺事件
    易幟(えきし)(1928.12.19) 張学良
    https://ja.wikipedia.org/wiki/易幟
    間島共産党暴動(1930.5.30)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/間島共産党暴動
    霧社事件(1930.10.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/霧社事件
    中村大尉事件(1931.6.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/中村大尉事件
    万宝山事件(1931.7.2)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/万宝山事件
    満州事変(1931.9.18)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/満洲事変
    第9師団
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第9師団_(日本軍)
    第一次上海事変(1932.1.28)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第一次上海事変
    満州国設立(1932.3.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/満洲国
    五・一五事件(1932.5.15)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/五・一五事件
    国際連盟脱退(1933.3.27)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国際連盟
    相沢事件(1935.8.12)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/相沢事件
    二・二六事件(1936.2.26)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/二・二六事件
    関東軍防疫部設置(1936.4.23)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/731部隊
    盧溝橋事件(1937.7.7)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/支那事変
    第二次上海事変(1937.8.13)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/第二次上海事変
    国共合作(1937.9.22)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国共合作
    南京事件(1937.12.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国共合作
    国家総動員法(1938.4.1)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/国家総動員法
    重慶爆撃(1938.12.26)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/重慶爆撃
    ノモンハン事件(1939.5.11)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件

参謀の辻政信は,ノモンハン事件でも相変わらずろくでもない動きをしていた。この映画では南京事件はあまり強調されていなかった。調べていたら,金沢の第九師団が第二次上海事変に動員されていて,その延長で南京事件に深く関わっていた(岡野君江)ことがわかった。

「戦争と人間」の映画は,東京裁判に至る第四部まで制作する予定だったが,資金が集まらずに第三部で終ってしまったようだ。このため,いろいろと伏線が回収されずじまいの不満が残る。完結編の後半はほとんどノモンハン事件の戦闘シーンであり,戦争の残虐さを表現するということだったかもしれないが,良かったのか悪かったのか・・・。

2022年11月1日火曜日

戦争と人間(1)

先日WOWOWで放映していた,五味川純平原作,山本薩夫監督の「戦争と人間」三部作を録画していたので,さっそく見ている。

第一部「運命の序曲」が1970年,第二部「愛と悲しみの山河」が1971年,第三部「完結編」が1973年の公開で,高校生か大学生のときに映画館で一通り見ている。日清・日露戦争の後,中国大陸に進出した日本が侵略戦争をはじめる満州事変前夜の1928年の張作霖爆殺事件から太平洋戦争に至る前の1939年のノモンハン事件まで10年余りを描いたものだ。

日本を代表する俳優陣が数多出ているため,タイトルバックの俳優名は男女別アイウエオ順で100名近くの名前があった。50年前の映画なので既に物故している方も多い。一番印象的なのは伍代財閥の満州における権益を握っていた伍代喬介役の芦田伸介(1917-1999)だった。それに比べると高橋英樹も高橋悦史も高橋幸治もチンピラのようなものだ。まだ若い岸田今日子(1930-2006)がいい味を出している。

もう少し内省的で暗い感じだと想像していた石原莞爾のイメージにカリスマは感じられず,ちょっと違っているような気がする。

記憶の中では,モノクロームの映像でノモンハンの平原を北大路欣也の伍代俊介がボロボロになりながら歩いているのだった。そこに娼婦に身を落とした女性が待っているというシーンがくる。その女性が浅丘ルリ子だと話の辻褄が合わないので,どういうことなのかと思ったが,夏純子だったので納得がいった。ただ,記憶していたモノクロシーンではなかった。

2022年10月28日金曜日

キュリー夫人

あんまり好きじゃない藤原帰一が,NHK BSのニュース番組キュリー夫人の映画を紹介していた。さっそく,京都アップリンクに見に行く。烏丸御池駅下車2分の新風館地下の便利なところにあるこじんまりとした映画館だ。40席弱のシアターが4つあり,入館チケット販売が全自動化されている。

これは2019年のイギリスの伝記映画,ハンガリーやスペインで撮影・制作されている。登場人物は英国系なので,フランスっぽさがあまり感じられない。アングロサクソンの気の強い女性とヒゲのおじさんたちが登場し,途中にイメージ映像とか時空を超えたカットバックシーンがいくつか挿入されている。誰かの映画批評にもあったけれど脚本がちょっとイマイチだったかもしれない。監督は,マルジャン・サラトビ,イラン出身のフランスの漫画家だ。

科学者の伝記映画といえば,10年ほど前に見た,高峰譲吉の「さくら、さくら 〜サムライ化学者・高峰譲吉の生涯〜」以来になる。これは主演が加藤雅也だったのか。映画だと短時間に最小限必要なエピソードを網羅しようということになって,どうしても物語がぎくしゃくする。やはり,人物の歴史を軸にする場合はNHK大河ドラマくらいの時間が必要なのかもしれない。

映画「キュリー夫人」の場合は,ピエールとマリーの出会いから始まり,ラジウムの発見,降霊会への参加,ノーベル賞,ピエールの死,ポール・ランジュバンとの恋愛騒動,第一次世界大戦,娘のイレーヌなどのエピソードが重ねられ,そこに,加速器によるガン治療,ヒロシマの原爆,第二次世界大戦後の原爆実験,チェルノブイリ原発事故などのシーンが挿入されていた。

放射能の発見は授業で取り上げたところだったので,もう少し新しい情報が得られるかと思ったが,(1) ピエールが開発して研究の切り札になったピエゾ電位計の実体イメージ,(2) ピエールが降霊会にはまっていたこと,(3) マリーとイレーヌが第一次世界大戦中にレントゲン車を作って治療にあたったこと,などか。なお,1903年のノーベル賞授賞式には夫婦揃って参加していないようだ。

20年ほど前に,黒柳徹子主演で「喜劇キュリー夫人」という舞台を梅田でみたが,こちらの方はもっとマイルドな味付けだった。いずれの場合も,3トンのピッチブレンドを大釜で炊いてポロニウムやラジウムを生成する過程が印象深く描かれていた。キュリー夫妻の実験室も,ほとんど化学の実験室として描かれていた。まあ1911年にはノーベル化学賞を受賞したのだからそうなのかもしれない。

なお,ピエールマリー・キュリーとその娘夫婦のノーベル賞受賞理由はそれぞれ次のようになっていた。

The Nobel Prize in Physics 1903 was divided, one half awarded to Antoine Henri Becquerel "in recognition of the extraordinary services he has rendered by his discovery of spontaneous radioactivity", the other half jointly to Pierre Curie and Marie Curie, née Sklodowska "in recognition of the extraordinary services they have rendered by their joint researches on the radiation phenomena discovered by Professor Henri Becquerel"

The Nobel Prize in Chemistry 1911 was awarded to Marie Curie, née Sklodowska "in recognition of her services to the advancement of chemistry by the discovery of the elements radium and polonium, by the isolation of radium and the study of the nature and compounds of this remarkable element"

The Nobel Prize in Chemistry 1935 was awarded jointly to Frédéric Joliot and Irène Joliot-Curie "in recognition of their synthesis of new radioactive elements"



写真:ピエゾ電位計とマリー&イレーヌ・キュリー(Wikipediaから引用)

[1]キュリー夫人(石原純)
[2]ラジウム発見100年(環境研ミニ百科)

2022年7月3日日曜日

⊃ ∪ ∩ ⊂ 

連日の熱暑で,干からびかけた奈良公園の鹿がラクダにみえる今日この頃。

WOWOWでデューン砂の惑星の特集をやっていた。原作はフランク・ハーバート(1920-1986)の1965年の作品だ。フランク・ハーバートといえば21世紀潜水艦だったので,ハヤカワ文庫で最初に出版された1973年ごろはまったく関心がなかった。手元にある古書は1982年発行の12刷だったので,たぶん1980年代の中ごろに購入している。読後感は最高で,マイベスト20には確実に入る一冊だ。

特集では,1984年のデヴィッド・リンチ(1946-)監督の「デューン/砂の惑星」,2013年のドキュメンタリー「ホドロフスキーのDUNE」,2021年のドゥニ・ヴィルヌーヴ(1967-)監督の「DUNE/デューン 砂の惑星」が放映された。デヴィッド・リンチ版は日曜洋画劇場でみており,ななかな良かったという印象的がある。このころにハヤカワ文庫版を買ったのかもしれない。

アカデミー賞6部門を受賞した2021年版(2部作の前半だった)は,たしかに美しいのだけれど,デヴィッド・リンチ版の怪しいおどろおどろしさがなく,完全除菌されたような印象だ。キャストも1984年版のほうがよかった。もちろん,1984年版のSFXなど今からみればとても残念な状態ではあった。

WOWOWの特集の中で一番よかったのは,チリに生まれたロシア系ユダヤ人アレハンドロ・ホドロフスキー(1929-)のDUNEだった。1975年にDUNEの制作に着手し,最高のスタッフと出演者を集めながら,

メカデザインにSF画家のクリス・フォス,クリーチャーとキャラクターのデザインと絵コンテにバンド・デシネのカリスマ作家メビウス,特撮担当にダン・オバノン,悪役ハルコンネン男爵の城のデザインにH・R・ギーガーを起用。キャストもハルコンネン役にオーソン・ウェルズ,皇帝役にはサルバドール・ダリ,他にもミック・ジャガーやデビッド・キャラダインなどがキャスティングされた。また,音楽をピンク・フロイドやマグマが製作するなど,各界から一流のメンバーが集められた(Wikipedia から引用)。

1年余りで挫折してしまう。その理由は,ホドロフスキーのシュールレアリスムの芸術性がハリウッドに恐怖心を抱かせたということらしい。プロモーション用の分厚い絵コンテ・デザイン集が若干部印刷されて関係者に配布されていた。古本で出てないか探してみたところ,クリスティーのオークションで,3億ドルの値段がついたらしい。チーン。

ホドロフスキーのDUNEは未完に終ったが,そのスタッフやイメージは,その後のSF映画に多大な影響を及ぼしている。まさに,ホドロフスキーのDUNEで改変された,主人公が死んでもその意識が普遍的に実在化するというストーリーをなぞったものになっていた。


写真:JodorowskyのDUNE デザイン・絵コンテ集/3億ドル(Gigazineから引用)

2022年6月8日水曜日

科学映像館

1960年代を中心として,日本では数多くの良質の科学映画が制作された。それらをデジタル化して保存・公開することを目的としたのが「NPO法人科学映像館を支える会」であり,科学映像館のサイトや,YouTubeチャンネルで700本以上の科学映画が配信されている。

本部は,埼玉県にあり,埼玉県の歯科医師協会が協力していることもあって,撤去冠の寄付を受け付けている。ジャンルとしては,幅広いものであり,教育,自然,動物,植物,生命科学,消化器・循環器・呼吸器系,骨,皮膚,医学・医療,食品科学,工業・産業,農業・漁業・暮らし,社会,芸術・祭り・神事・体育となっている。

科学映画といえば,国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が運用しているサイエンスポータルの中のサイエンスチャンネルも科学映画や短い動画クリップを扱っている。YouTubeのチャンネルには,1700本くらいのコンテンツがある。

2000年度の卒業論文で,「物理教育動画データベースの構築」というタイトルで物理実験のビデオクリップのウェブサイトを作ってもらった。当時は類似のデジタルコンテンツはごく限られていた。ユーザ側の負荷を考えて,かなり品質を落とした動画をアップロードしていた。その後YouTubeが2005年にスタートし,20年後の今は,質はともかく大量のコンテンツがあふれている。それが子供たちの学びにつながるかどうかはまた別の話となる。

[1]科学映画の一考察(中谷宇吉郎)

[2]科学映像を守る 記録映画の保存と活用(久米川正好)


2022年2月28日月曜日

オデッサ

ウクライナからの続き

黒海沿岸の港湾都市オデッサは ,人口100万人のウクライナの第三の都市。ちなみに首都キエフは人口300万人弱なので,大阪と同じ規模だ。北130kmのところにチェルノブイリ原子力発電所があり,事故を起こしたチェルノブイリ4号炉への観光ツアーもあるらしい。

そのオデッサが出てくるのが,セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898-1948)の映画「戦艦ポチョムキン(1925)」だ。大学に入って,休日には映画を見ることが多かったが,岩波新書の「映画の理論(岩崎昶)」などを読んでいると,モンタージュ理論を確立したエイゼンシュテインは必見ということだ。それで,戦艦ポチョムキンを見に行くことに。

1905年のポチョムキン号における水兵の反乱は歴史的な事件である。オデッサの階段での虐殺シーンは史実ではないらしいが,印象的だったし,全体のモノクロームのロシア革命前夜的なイメージはよかった。後に,1917年のロシア革命がテーマであり,「俺達に明日はない」のウォーレン・ベイティが監督主演した「レッズ」を見たけれど,エイゼンシュタインの迫力には及ばなかった。


写真:オデッサの階段(Wikipediaから引用)

2021年12月9日木曜日

女系家族

 しばらく前に,映画版の女系家族(大映 1963)をみたが,最近テレビ朝日で二夜連続のドラマスペシャルで女系家族(2時間×2)をやっていた。

山崎豊子(1924-2013)の原作で,大阪船場の商店の婿養子の旦那が亡くなった後の遺産相続を巡るややこしい話だ。新しいテレビドラマの方も,宮沢りえと寺島しのぶががんばっていたけれど,何といっても昔の映画は,当時の時代の空気が感じられておもしろい。

番頭役の中村鴈治郎(二代目)のいやらしい目とか,主人公三人姉妹の叔母役の浪花千栄子の雰囲気がたまりませんね。ストーリー展開はほとんど(多分原作通りなのだろう)同じだった。二号さん役は,宮沢りえの方が若尾文子より,途中からの変貌ぶりがきわだっていたかもしれない。

2021年9月6日月曜日

異端の鳥

 異端の鳥(2019)がWOWOWで放映されていた。モノクロームのくっきりとして静謐な映像と象徴的なストーリーが印象的だった。セリフは非常に少なくてほとんどが映像で説明されていくのだけれど,登場した言葉は特定の民族の言語ではなくて,インタースラーヴィクという人工言語だとのこと。

スラヴ諸国における代表者間の意思疎通を円滑にすることや,スラヴ語を知らない人々がスラブ諸国の人々と意思疎通ができるようにすることを目的としており,後者については、教育的な役割も果たしている」ということなので,補助言語として実際に使われているらしい。

最初のうちは,タイトルを「異端の島(しま)」だと認識して見ていたけれど,あらすじを確認している途中でそうでないことに気付いた。鳥飼いによってペンキを塗られた鳥が空に放たれて群れに合流するのだけれど攻撃されてついには死んでしまう。これがこの映画(The Painted Bird)の意味を端的に象徴している。

P. S. この時期の朝の散歩では,白鷺が目立つて集団行動をしているのに気がつく。


写真:異端の鳥の映画ポスター(Wikipediaから引用)


2021年8月5日木曜日

パンケーキを毒見する

8/2(月),新たに埼玉県・千葉県・神奈川県・大阪府への緊急事態宣言が発出されるとともに,東京都と沖縄県への宣言が延長された。8/31(火)までだ。一方,同じ期間に北海道・石川県・京都府・兵庫県・福岡県には蔓延防止等重点措置が実施される。さらには,東京オリンピック閉会式で台風9号が接近する8/8(日)には,同じ期限で,福島・茨城・栃木・群馬・静岡・愛知・滋賀・熊本の8県にも蔓延防止等重点措置が追加されるようだ。

それでもオリンピックは続けるのだった。8/24(火)〜9/5(日)のパラリンピックはどうするのか。

そんなわけで,映画館が閉鎖されないうちにということで,朝から新京極三条のMOVIX京都にパンケーキを毒見する(企画制作:河村光庸,監督:内山雄人)を一人で観に行った。30-40人くらいの観客が入り結構にぎわっていた。席は前後も重ならないようにしてほしい。

主戦場と同じように,インタビューの積み重ねが基本となるドキュメンタリーだ。ただ,当事者に近い関係先からはほとんど出演が断られてしまったようで,短期間での制作はたいへんだったと思う。

途中に挿入されるアニメーションや小芝居(博打)やイメージ映像はあまり成功していない(若林良が,印象操作というまったくトンチンカンな見解を披露していたがそうではないだろう)。全体として掘り下げは物足りなかったが,それでもいくつかの新しい知見はあったので,まだ見ていなければ今のうち(下手するとテレビ放映がないかもなので)。

上西充子の国会中継解説はとてもわかりやすくてよかった。これだけで1本ドキュメンタリー映画を作ってもらいたいくらいであり,メディアリテラシーの演習になる。

石破茂村上誠一郎はあたりさわりなかったが,橋本龍太郎の秘書官だった江田憲司が,菅義偉から国会への出馬をサポート・現金付で依頼されたくだりは興味深かった。

○赤旗の編集局にカメラが入り,編集者との話や,小池晃との掛け合いがあったところは,はじめてみる映像でこれは結構貴重なのではないだろうか。

森功の部分はちょっと消化不良であり,前川喜平の話は安倍絡みで既知のことだった。

今回の映画で最も面白かったのは元朝日新聞の鮫島浩の話だった。彼が新米のときに権力者とは誰かと先輩に聞いて,その答えが,経世会,宏池会,外務省,大蔵省,米国,中国だったというもので,そこには清和会はない。彼らは基本的にずっと主流ではなかったのだ。それが,小泉政権や経世会の解体を経て2度の安倍政権とそれにつながる菅政権として権力を掌握したがために,従来の権力(及びその政策)への仕返しをしているという見立てだ。

たぶん,安倍+菅政権時代の事跡を,マスメディアと政治という背景の元に再編したほうがより面白いものになったと思う。上西充子の部分や辻田真佐憲のコメント,赤旗のくだりや最期の古賀茂明の話はそのまま活かせる。あるいは望月衣塑子の部分をより広く掬い,国谷裕子と菅の話,NHK担当課長更迭の話,などなどネタは尽きることがないだろう。


写真:(C) 2021「パンケーキを毒見する」製作委員会のポスターから引用


2021年6月6日日曜日

ゼロの焦点

録画されていた 松本清張ゼロの焦点犬童一心監督,2009年)をみた。戦後,昭和32年の金沢や能登が舞台になっていて,当時の街の雰囲気がていねいに作られていた。金沢駅の構内アナウンスでは「0番線(七尾線)ホーム」が出ており,昔のホームの雰囲気が彷彿とされた。

雪の降る金沢市内の浅野川沿いの雰囲気,古い町並みと鉄製の広告看板,雪まじりの道のあるきにくさ,市電の4番線で野町や白菊町の工場に向かう様子,金沢弁の使い方など丁寧に描写されている。金沢市長選の婦人候補の陣営で支援者が歌う金沢市民の歌(昭和24年制定)が特に良かった。

ストーリーは,社会派推理作家の松本清張の特徴がはっきりとして,その後のサスペンス劇場の断崖クライマックスの嚆矢となるものだった。広末涼子,中谷美紀,木村多江がくすんだ北陸の冬景色の中に際立った色彩を放っていた。

能登金剛の巌門は小学校4年か5年の修学旅行でも定番のルートになっていたが,旧作のゼロの焦点(野村芳太郎監督,1961年,久我美子−高千穂ひづる−有馬稲子)では,巌門から15km北のヤセの断崖が舞台になっている。今回もそうだったのか。

アマゾンのこのレビューでは,映画の脚本上の違和感がいくつか指摘されており,概ね同感である。なお,金沢市の歌には他に金沢市歌(1923年)と金沢市民憲章の歌(1980年)がある。


写真:ヤセの断崖(能登 島宿せがわ から引用)

2021年5月29日土曜日

アメリカ文化センター(2)

 アメリカ文化センター(1)からの続き

アメリカ文化センターの最初の記憶は小学校低学年のころだ。USIS教育映画を上映するというのが,アメリカ文化を普及させる手段としてなっていた。その16mm映画の一つに高高度極超音速実験機X-15を紹介するものがあり,これを見たのがここだったような気がする。あるいはこれは父が借りてきて自宅で見たのだろうか。

X-15は空中母機から発進してロケット推進により高度100kmの宇宙空間まで達してから,滑空によって地上に帰還するというものであり,その後のマーキュリー計画ジェミニ計画アポロ計画スペースシャトル計画と続く米国の宇宙開発の嚆矢をなすものだった。

16mm映画の映写には資格が必要だが,父がこの資格を持っており,アメリカ文化センターから借りてきた16mmの映画を自宅で映写したこともあった。小学校の友達もよんで映写会をするはずだったのが誰も来なかったことがあったような思い出もあるけれど,あれは何だったのか。

1965年公開のフランス映画「頭上の脅威」を見たのも,アメリカ文化センターだったはずだ。小学校6年か中学1年のころだった。センターの館長さん(アメリカ人)か誰かに挨拶させられたような記憶もあるけれど,その後しばらくしてセンターは閉館となるのだった。


写真:極超音速実験機 X-15(Wikipediaから引用)

[1]占領下米国教育映画についての覚書(中村秀之)

2021年5月16日日曜日

社会教育センター

本多町に社会教育会館ができたのは中学1年のときだった。会館に設置された県立図書館は閉架だったこともあってほとんど利用しなかったが,社会教育センターの方は土曜日に教育映画教室を開いていたので,毎週のように通っていた。

子ども向けの内容も多く,まわりは小学生ばかりだったので,中学生の我々はちょっと浮いていたかもしれない。土曜日の午後になると畦地君,有坂君,出島君,横谷君のいつものメンバーで下菊橋を渡って往復した。

印象に残っているのは,NHKのドキュメンタリーの「カラコルムへの道(1963)」である。東京大学のカラコルム遠征隊(京大だと思っていた)によるバルトロ・カンリ初登頂の記録だ。国語の教科書にあった河口慧海の西蔵探検のイメージと重なって記憶に定着した。
・昭和三十八年(1963) 12月19日:県は下本多町の県営アパートを含む県有地3,300平方メートルに、来春から3年計画で社会教育センターを建設することになり、本年度建設費6,500万円を追加予算に計上、県議会の議決を得た。建物は5,490平方メートルの4階建、兼六園の県中央図書館もセンターに収容する。
・昭和三十九年(1964) 6月9日:本多町に建つ石川県社会教育センターの起工式がおこなわれた。
・昭和四十一年(1966) 5月1日:本多町3丁目に完成した石川県社会教育会館が開館した。同会館には社会教育センター県立図書館がはいった。地下1階、地上4階、延べ6,382平方メートル、総工費3億円(兼六園内の旧県立図書館は6月中に取りこわす)。
・昭和五十七年(1982) 12月4日:県社会教育会館の増改築工事が完了し、落成式が行われた。石川県立図書館開館70周年記念式典を挙行(12月9日)。
県立図書館は,明治12年(1897年)に前田家蔵書3万冊が石川県勧業館内に設置された図書室で公開されたものを起源として,明治45年(1912年)に石川県立図書館が開館した。平成28年(2016年)に新石川県立図書館基本構想が検討され,令和元年(2019)年に,小立野の金沢大学工学部跡地で,新石川県立図書館が着工された。


写真:石川県社会教育会館(パブリネットから引用)


2021年5月13日木曜日

金沢の映画館(4)

 金沢の映画館(3)からの続き

高校時代にみた洋画で思い出せるもののリスト(*は既出,年月は日本公開日順)を以下に。

アメリカン・ニューシネマの時代だったのである。ちょうど高校に入る前から学部生のころだ。アメリカン・ニューシネマ作品の隙間を埋めるように,過去の名画やその他のヒット作に足を運んだ。総合的に評価したマイベストワンは,デヴィッド・リーン監督のアラビアのロレンスで,これは今も変わっていない。

試験が終わってからみんなで見に行ったのが,屋根の上のバイオリン弾き小さな恋のメロディ。屋根の上のバイオリン弾きは,もっとよいかと思ったが,米島君のいうように似た話の繰り返しが感動をそいでしまっていた。

小さな恋のメロディは,ビージーズとCSNYが聴けるだけでよかったのだけれど,意外にもメロディをとりまくロンドンの中流下層の暮らしぶりのリアルな描写が印象的だった。ストーリーは基本的にお子様向けで役者もいまいちだったのだが。

エルビス・オン・ステージ愛の狩人を観たのは大学入試も終わった頃だった。米本君の感想は「エルビス・オン・ステージはものすごく良かった」だった。彼の映画評はだいたい正しい。ポピュラー音楽としてプレスリーの曲はちょっと敬遠していたが,このドキュメンタリーで復活したころは素直にかっこいいと思えた。亡くなるまであと6年だとはわからない。

愛の狩人は,監督が卒業やキャッチ22のマイク・ニコルズ。結構期待して,米島君,荒谷君の3人で駅前のロキシーにいった。しかし,ストーリーがさっぱり理解できないままに終わってしまった。米島君はよくわかったといっていたので,これは自分の力不足だった。

1 *誰がために鐘は鳴る 1952.10
2 旅情 1955.8
3 *エデンの東 1955.10
4 アラビアのロレンス 1963.2
5 野生のエルザ 1966.3
6 俺たちに明日はない 1968.2
7 卒業 1968.6
8 ロミオとジュリエット 1968.11
9 Ifもしも…. 1969.8
10 イージーライダー 1970.1
11 明日に向かって撃て! 1970.2
12 砂漠の冒険 1970.7
13 いちご白書 1970.9
14 *幸せはパリで 1970.10
15 *クリスマスキャロル 1970.11
16 エルビス・オン・ステージ 1971.2
17 罪と罰 1971.3
18 小さな恋のメロディ 1971.6
19 *アンドロメダ… 1971.8
20 屋根の上のバイオリン弾き 1971.12
21 愛の狩人 1972.1
ソ連映画の罪と罰は,北国新聞社の無料映画試写会のハガキが当選したもので,旧北国新聞社屋内ホールの北国講堂でみている。たぶん映画をみてから小説を読んだと思うが,罪と罰は名作でしたね。帰りに同じクラスの横川君が前の席から足早に帰っていくのが見えた。彼も当選していたのか。

金沢の旧作名画3本立ては,石引町のスタア劇場が代表的である。ここで,Ifもしも….と俺たちに明日はないとイージーライダーを250円くらいでみたような気がする。もしそうならばすごくお得な話である。


写真:スタア劇場1982(やけくぞじじいの写真展より引用)

2021年5月11日火曜日

金沢の映画館(3)

 金沢の代表的な映画館といえば,並木町の北国第一劇場と北国会館であり,浅野川大橋のあたりの河畔に並んでいた。ともに洋画の封切館で,メジャーな作品が2本立てで上映される。残念ながら1975年には閉館してしまった。

これらの映画館で見たかもしれない映画といえば,小学校の時の101匹わんちゃん大行進(1962.7),素晴らしきヒコーキ野郎(1965.10)やミクロの決死圏(1966.9)がある。ディズニーのわんわん物語(1955.6)の方は,映画では見ていないが,絵本をもっていた。もしかすると,王様の剣(1964.7)も見ていたかもしれないが微妙なところ。白雪姫からはじまるディズニーのアニメーション長編映画でよかったのはこのころが最後かもしれない(くまのプーさんは別として)。

高校生になると,映画は一人(たまにはクラスの友達と)で行くようになった。エデンの東(1955.10)と誰がために鐘はなる(1952.10)のリバイバルとか,クリスマス・キャロル(1970.11)と幸せはパリで(1970.10)の初演などを北国第一会館か北国劇場でみている。米本良行くんが「エデンの東はよかったけど,誰がために鐘は鳴るはぜんぜんだった」といっていたが,まあそのとおりでイングリッド・バーグマンはいったいなんだったのか。

「クリスマス・キャロル(スクルージ)」は,泉丘高校の英語研究部(E.S.S)の英語劇で,1年生ながらスクルージの役をつとめたことから楽しみにしていたけれども,この作品も残念でしたの部類。しかし,併映でまったく期待していなかった「幸せはパリで(エイプリル・フール)」のほうが面白かったのだった。バート・バカラックディオンヌ・ワーウィックのおかげかもしれない。

1972年には大学進学で金沢を離れてしまったので,それ以来,これらの映画館に行くことがないまま閉館になってしまった。最後にここで観た映画は,アンドロメダ…(1971.8)だ。マイケル・クライトンアンドロメダ病原体(1970)が,早川書房からハヤカワ・ノヴェルズで出版されたときに,真っ先に買ってその現代的で斬新な構成に驚いたものだったことから,映画は必ず見に行こうと思った。ところが,大学入試直前の12月末には上映期間が終わってしまう。日曜日の昼過ぎに片町のうつのみや書店に行くといって,冬の雪空を寺町から浅野川大橋の映画館まで自転車で往復した。帰りにはもうあたりは真っ暗になっていたが,親にはなにもいわれなかった。まあ気づいていたのかもしれないけれど。


写真:ハヤカワノヴェルズのアンドロメダ病原体の書影

[1]石川県の映画館 消えた映画館

2021年5月9日日曜日

金沢の映画館(2)


金沢市内にまだ映画館がたくさん残っていたころの話。寺町の市電の終点の付近,五百羅漢で有名な桂岩寺の隣の宝集寺の隣にシネマパレスという小さな映画館があった。泉野小学校の映画教室で,白蛇伝(1958.10)や西遊記(1960.8)を小学校低学年のクラスでみにいった映画館だ。

映画が娯楽の中心だった時代,夕食後に父がシネマパレスにチャンバラ映画を観に行くことがときどきあった。仕事の電話がかかってくるのを取り次ぐ際は,母の旧姓である「中山」を使うということになっていた。本名だと目立ちすぎるからだろう。観客にあふれ紫煙が充満しているシネマパレスで,美空ひばりだか山城新伍だかの時代劇をみた微かな記憶がある。子どもにはよい環境ではありません。

中学校にはいるころには,シネマパレスは閉館してしまった。ただ,小学校高学年から中学生にかけても学年単位の映画教室は続いていた。サウンド・オブ・ミュージック(1965.6),ディズニーのファンタジア(1955.9),市川崑の東京オリンピック(1965.3),ミケランジェロの生涯を描いた華麗なる激情(1966.2)などを片町の金沢劇場で観ている。

その金沢劇場(きんげき)は,東宝系の封切館であり,ゴジラシリーズや戦記物でお世話になった。その一覧をあげてみる(参考のため,※で東映動画,大映特撮などを併記する)。その金劇も1998年には閉館してしまったようだ。
1 キングコング対ゴジラ 1962.8 (最初に観たゴジラ映画)
2 ※わんぱく王子の大蛇退治 1963.3
3 海底軍艦 1963.12 (これは大和劇場で)
4 ※わんわん忠臣蔵 1963.12
5 モスラ対ゴジラ 1964.4
6 宇宙大怪獣ドゴラ 1964.8
7 三大怪獣地球最大の決戦 1964.12
8 ※ガリバーの宇宙旅行 1965.3
9 ※頭上の脅威 1965.4 (父とアメリカ文化センターで)
10 戦場に流れる歌 1965.8
11 ※大怪獣ガメラ 1965.11
12 怪獣大戦争 1965.12 (子どものころ観た最後のゴジラ映画)
- - - - - - - - - - 
13※大魔神 1966.4
14 日本のいちばん長い日 1967.8(お盆休みに家族全員で)
15 日本海大海戦 1969.8(高校生になってから)
日本のいちばん長い日の終盤に,エキセントリックな横浜警備隊の大尉が終戦を阻止すべく東京に向かおうとするシーンがあるが,当時,千葉の四街道の通信隊にいた父の周りでも同様の状況があったらしい。戦争の話をゆっくり聞かせてもらう機会がなかったのが残念だ。


図 金沢の過去の映画館(金沢くらしの博物館から引用)

[1]石川県の映画館(消えた映画館の記憶)

2021年5月7日金曜日

金沢の映画館(1)

 昔は繁華街に映画館があったものだけれど,今では郊外の大型ショッピングモールのシネマコンプレックスに中心が移ってしまった。映画の最盛期には金沢の街中にも映画館がたくさんあった。そのころの話。

ジュール・ヴェルヌの小説には映画化されたものも多い。「地底旅行」も何度か映画化されているが,ヘンリー・レヴィン監督の1959年アメリカ映画「地底探検(1960.4)」を中学生のころに見ている。当時,夏休みに金沢市の小・中学生向けの映画教室があった。早朝8:00〜10:00の時間帯に市内の映画館で子供向けの映画を特別料金(1人10円)で上映するのだ。夏休みに入る前に映画館と上映番組や上映日の一覧が記された半紙が渡される。その中から自由に選んで子供だけで見に行く仕組みだ(中学生だけだったかもしれない)。

ジュール・ヴェルヌが原作だとは知らずに,「地底探検」が面白そうだということで,畦地・有坂・出島・横谷のいつものメンバーのうちの何人かで香林坊の映画館に行ったのではなかったか。地底世界には海があり恐竜が棲んでいたりして中々良かった。1967年当時の香林坊には,金沢東映劇場・金沢大映劇場・金沢日活劇場・金沢松竹座・金沢パリー菊水・金沢スカラ座など10軒近くの映画館が軒を連ねていた。どの劇場だったのかは定かでない。

香林坊で見た映画といえば,コスタ・ガブラス監督の1969年アルジェリア・フランス映画「」,イヴ・モンタンが主演の政治映画だ。なぜか,同じ泉丘高校に進んでいた小林小児科の小林君と鉢合わせるが,彼もこれを見に来ていたのかどうかはわからなかった。おたがいにちょっと恥ずかしかったのかもしれない。


写真:地底探検(1959)から

[1]石川県の映画館(消えた映画館の記憶)

2021年3月5日金曜日

篠田桃紅

 3月1日に107歳で亡くなった篠田桃紅(1913-2021)が篠田正浩(1931-)の従姉だったとは知らなかった。そして,1969年に公開された篠田正浩の心中天網島には,篠田桃紅の書が使われていたとのこと。

映画「心中天網島」は米島君に勧められ,たぶん大学に入ってから大阪で見たのではないか。冒頭の文楽の黒子が走るシーンから非常に印象的で引き込まれた。その後,文楽鑑賞が趣味になって,文楽の舞台でも何度も見ることになるとは,当時は思いもよらなかった。

[1]映画「心中天網島」と文楽問題(尾形修一)

[2]映画「心中天網島」(Staff Blog)

[3]篠田正浩 河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶(松岡正剛)