2025年6月10日火曜日

国宝:吉田修一

吉田修一の「国宝」は,4年前に朝日文庫版を本屋でみかけたときに買おうと思った。ところが,昔と違って,本を買おうと思ってから実際に購入するまで,あるいは実際に本を購入してから読み終わるまで,それぞれ数年かかることがしばしばある。なんてこった。最近の自分には,本を読むという行為はとんでもなく閾が高い。

そうこうしているうちに,吉田修一の「国宝」は「悪人」や「怒り」に続いて李相日(1974)によって映画化されてこのほど公開に至った。6月6日(金)の公開初日の朝一番の部,新ノ口のユナイテッド・シネマ橿原に二人で飛び込んで174分の映画を鑑賞した。花井半次郎(喜久雄)を演じた吉沢亮は素晴らしかったし,その少年期の黒川想矢も。それから,立女形の重鎮,小野川万菊の田中泯の存在感が半端無い。

歌舞伎の演技と語りが映画の技法の中で非常にうまく表現されていた。もちろん出演者の努力の賜物なのだろうけれど。普段みている歌舞伎だと舞台までかなり距離があるのだが,映画ではそこがクローズアップで見せられるので迫力が増幅される。また,自宅でテレビで観賞していたのでは,この映画館での音場は伝わってこないだろう。


さっそく原作をKindleで購入して読んでみた。なるほどね。上巻は枝葉を少し落としただけでそのまま映画にされていたが,下巻は沢山のエピソードの積み重ねの上に最後の場面に導かれるので,これを映画にするのは難しかったのだろう。李相日というか脚本の奥寺佐渡子はそこからうまく映画用の物語を抽出して創りだしていた。

ちょっと残念なのは,映画では,二人道成寺とか曾根崎心中がダブルで使われていたことだ。それはそれで物語に効果を生む必然性があるのだけれど,ちょっと冗長な感じがしてもったいない。特に,喜久雄が抜擢された最初の曾根崎心中はインパクトが大きかったのでなおさらかもしれない。まあ,原作通りにすべての演目を再現するとなるととんでもないことになるので仕方がない。なお,最初の少年による積恋雪関扉のあたりは映画の方がよほどていねいに表現されていた。




図:朝日文庫の書影から引用

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