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2022年2月27日日曜日

ウクライナ

 ウクライナへロシアの侵略が起こったのは,ウクライナへのNATOの拡大にたいする強い拒否反応を誘導し,ドイツとロシアの間の天然ガスパイプライン,ノルドストリーム2を妨害するための米国の思惑による部分があるという話があった。事の真偽はわからないが,日本のメディアはアメリカからの情報だけでまわっている。いや,だからといって,プーチンの行動はまったく正当化できないが。ウクライナが,グルジアのようになるのか,クリミアのようになるのかはまだわからない。

ロシアとウクライナの前身が1つの国であった,キエフ大公国(882-1240)の時代から考えれば,キエフが京都でモスクワが鎌倉のようなものなのだ。ロシアという名称自体が,キエフ大公国の正式名称であるルーシから来ている。自分たちのルーツが奪われて敵側軍事同盟に参加することへの圧倒的な拒否感ということか。

ウクライナといえば,中学校の社会科の時間に学んだ,肥沃な大地(黒土)と小麦というイメージだった。また,京都市の姉妹都市のキエフといえば,ムソルグスキーの「展覧会の絵(1874)」の「キエフの大門」か。

それ以外で,記憶にあるのは,ビージーズが1969年に発表したアルバムの「オデッサ」だ。1899年に遭難した架空の船の物語というコンセプトアルバムで,当時はビートルズの「ホワイトアルバム(1968)」に相当するというイメージだった。オデッサの収録曲「若葉のころ」と「メロディフェア」が,それぞれ映画「小さな恋のメロディ(1971)」の音楽として少し流行った。なぜ,オデッサという名前だったのか,本当に黒海に面したオデッサのことなのかどうかも確かではなく,当時も謎のままだった。


図:ウクライナの地図(AFP通信記事から引用)

P. S. Wikipedia 大鵬幸喜の項目から引用:「1940年(昭和15年),ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として,日本の領土である樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した,所謂白系ロシア人であった。」

[1]満州事変(1931年)・・・柳条湖事件後,関東軍による占領,傀儡国家樹立

[2]イラク戦争(2003年)・・・虚偽事実による米英豪軍の侵攻と政権の転覆

[3]南オセチア紛争(2008年)・・・グルジア(ジョージア)が2州の支配権を喪失

[4]クリミア危機(2014年)・・・クリミア共和国の一方的独立宣言後,ロシアによる併合


2021年1月23日土曜日

開催都市契約

 7月23日まであと半年になった。大栄翔は12勝,正代が照ノ富士に負けて3敗となった。負け越している遠藤が久々に御嶽海に勝っている。いや,相撲の話ではなくて,正代と同様にふらふらの低空飛行を続けている東京五輪の話だ。

開催都市契約によれば,国際オリンピック委員会(IOC)と東京都(開催都市)と日本オリンピック委員会(NOC)の間で契約が締結されている。で,この契約を厳守するオリンピック大会組織委員会(OCOG)の組成(formation)が義務付けられている。

開催都市、NOC(前述の開催都市および OCOG の財務上の責務に関しては除く)、および OCOG は、いかなる性質であっても、また、直接または間接を問わず、本契約の規定違反に起因する、すべての損害、費用および責任について連帯責任を負う。IOC は開催都市、NOC、および/または OCOG に対して、IOC の単独の裁量にて、IOC が適当とみなす場合、訴訟を起こすことができる。

いきなりこれなのであった。で,これである。

いわゆる「ニューメディア」権(インターネットによるダウンロードまたはストリー ミング、IPTV、ホームビデオ、ビデオオンデマンド、モバイル・プラットフォームの権利など)を含む(ただし、それらには限定されない)、既存のまたは将来生まれる あらゆる形態の放送、上映メディアを手段とする、本大会および本大会関連イベントの放送、上映、送信、配信に関するすべての契約(以下、「放送契約」という)は、 IOC が独占的に交渉、締結するものとする。 

なんだか悪質な詐欺のように見えてしまうのは気のせいだろうか。 

本大会開催の結果として生じた剰余金があれば、以下のとおり配分するものとする。
a) NOC に 20%
b) OCOG に 60%。NOC と協議のうえで OCOG が決定する開催国におけるスポーツの全般的利益のために使用することを目的とする
c) IOC に 20%

 

2020年1月26日日曜日

徳勝龍

奈良県奈良市出身の大相撲力士,西前頭17枚目の徳勝龍が令和2年の1月場所で優勝した。20年ぶりの幕尻優勝,98年ぶりの奈良県出身力士の優勝で話題になった。ちなみに東前頭筆頭の遠藤9勝6敗で殊勲賞,西前頭5枚目の炎鵬は8勝7敗で残念ながら技能賞を逃した。西前頭11枚目の輝は10勝5敗でらくらくと炎鵬に勝っていた。千秋楽のテレビにはしがみついて見ていたけれど,正大と御嶽海からはじまって,貴景勝と徳勝龍の対戦,優勝インタビューまで目を離せなかったし,久々の感動ものだった。

自分がテレビで観戦するスポーツで最も時間の多いのは大相撲だ。夫婦でよくみる。石川県からは相撲に強い力士が多く輩出されるからだ。富山県は前乃山くらいだけど。高校野球やプロ野球でもときどき松井秀喜のような選手が出てくるので目を離せない。スポーツは自分の中ではローカル・パトリオティズムと直結しているのであった。だからオリンピックはいやなのである。

奈良県出身の力士というのは誰かと思ってしらべると,鶴ヶ濱という名前がでてきたが,3名のうちで優勝したのは,1922年の東前頭4枚目鶴ヶ濱増太郎のようだった。相撲の起源は古代の奈良にあるのだけれど,相撲発祥の地として桜井市の相撲神社と葛城市(當麻町)のけはや座が争っている。これを機会にキャンペーンを繰り広げると良いかもしれません。

NHKの夕方の番組,ニュースホット関西や奈良ナビのスポーツコーナあたりで奈良県出身力士の勝敗情報が流れている。徳勝龍は十両あたりでいまひとつの成績だけど,とりあえずしょっちゅう目にしていたのだが,こんな日を迎えることになるとは,世の中何が起こるか分からない。



2019年5月15日水曜日

金沢市立西南部中学校

JR西金沢駅を西に約1kmほど行くと,金沢市立西南部中学校がある。昭和40年だから自分が小学校6年生のときだ。地域の3中学校が統合して創立した新しい中学校だった。金沢市立野田中学校の応援団員だったので,運動部の試合の応援で行ったことが一度ある。泉中は野球,兼六中にはバスケットの応援にいったのだが,西南部中が何の競技だったかはよく憶えていない。陸上競技かな。応援に行っても恥ずかしくて声が出せず,友達と一緒にモジモジしているだけで全く役に立たない中学生であった。

西南部中学校には全国大会でも優勝したことのある相撲部があって,その卒業生が次の3名の大相撲力士だ。
遠藤聖大(1990.10.19,184cm 154kg,追手風部屋) 2005年度卒業
輝大士(1994.6.1,193cm 170kg,高田川部屋) 2009年度卒業
炎鵬晃(1994.10.18,168cm 99kg,宮城野部屋) 2009年度卒業

石川県は何故か相撲が盛んで,たいていの中学校や高等学校には相撲の土俵があった。近所の金沢市立工業高校の土俵で子どもの時から良く遊んでいた。高校生になると,今ごろの季節に卯辰山で催される高等学校相撲金沢大会の応援に1年生全員が駆り出されていた。七尾商業の舛田茂=後の舛田山(1951.4.10-)が個人優勝していたころである。