ラベル 俳句 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 俳句 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年10月30日日曜日

待兼山俳句会

せとちとせ(2)からの続き

瀬戸さんを探しているうちに,阪大の待兼山俳句会にたどりついた。2015年までの句会報が公開されていて,高齢化やコロナ禍のために活動も終息したのかとおもいきや。

Wix.comに新しい待兼山俳句会のホームページができて引き継がれていた。今年の5月の句会報までが公開されている。令和2年2月には合同句集「待兼山」第4集がf出版されていた。なんと,瀬戸さん(俳号:瀬戸幹三)が句会の選者になって,序文を書いていた。その著者紹介には下記のような説明があった。
二〇〇一年,(株)博報堂の社内俳句会「源八句会」に参加。二〇〇六年,待兼山俳句会に投句を始め,現在に至る。「雲」同人,俳人協会会員。著書に「たのしい回文」「笑う回文教室」(創元社)

瀬戸さんは 基礎工学部の情報工学科を卒業したのだけれど,本人もおっしゃっているように,文科系人間,言葉の人だったのだ。これにビートルズマニアが加わっている。 それは広告会社博報堂にぴったりの人材だった。

待兼山俳句会の会員は,ほとんど高齢者なのだけれど,つらつらと眺めていると向井邦夫先生の名前があった。大阪教育大学でフランス語を教えており,瀬戸さんより10歳年上だ。阪大の文学部・大学院を修了されている。フランス語の先生といえば,なんだか近寄りがたい人が多かったので,在職時代に向井先生とお話したことはなかった。

P. S. 半導体の大塚穎三先生や元総長の平野俊夫先生のお名前もあった。「待兼山」第4集に寄稿された会員の年齢構成は60代以下が2名,70代が8名,80代が19名,90代が6名だ。出身学部等は,文学部11名,薬学部6名,浪高6名などとなっていた。

[1]せとちとせ(Instagram)

2021年12月10日金曜日

夏井いつき

 NHKのプロフェッショナル仕事の流儀夏井いつきをやっていた。なんだかんだって,結局民放(BSを除く)はほとんど見ずに,NHKばかり見ている。NHKがおかしくなっているのはニュースや報道番組なので,それ以外はEテレ含めて受信料を払う価値があるものも多い。

ただ,科学報道番組だからといっても安心はできない。マスメディアの機能とは本質的に情報の増幅作用(煽り)に過ぎないからだ。科学的な根拠や正確性や客観性やバランスよりも,いかに耳目を集めるか,情報量としてのニュース価値が優先された構成になってしまう。温暖化問題しかり,コロナ問題しかり。それが,ニュース報道系では中立性という幻想のもとに,ジャーナリスティックな批判色が抜けてしまい,単なる政府与党の主張の広報宣伝機能に終始することになってしまった。

話がそれた。夏井いつきは,毎日放送のプレバトで出演者の芸能人が作る俳句を辛口に添削することで一躍有名になったようだが,そもそもこの番組は一度も見たことがない。ただ,NHKの俳句番組にもたまに出てきて,同じような俳句批評をするのを見たことがあったので,面白いというのは理解できる。

そこで,YouTubeの夏井いつき俳句チャンネルで勉強することにしたら,最初からとてもためになるではありませんか。五・七・五の正しい数え方というタイトルで,「チューリップ」を理解すれば良いというのが結論だった。拗音(ゃゅょ)を含む音・促音(っ)・長音(ー)・撥音(ん)はそれぞれ一音と数えるということだ。したがって,「チュ・ー・リ・ッ・プ」は五音になる。

2021年11月12日金曜日

神戸:西東三鬼

対面授業が始まってくれたおかげで,電車の中で読書する時間が戻ってきた。

西東三鬼(1900-1962)の神戸・続神戸を読了。これは,昔,NHKのドラマ人間模様で見た「冬の桃」(1977,脚本:早坂暁,演出:深町幸男,全7回)の原作である。早坂=深町コンビといえば,夢千代日記(1981)も新婚当時よく見ていたが,それと同じフレーバーの名作だった。

冬の桃は1977年の放送だったが,M2の頃に見ていたのではないかもしれない。とすると総合テレビで夜9:00に再放送された1990年だろうか。小林桂樹の渋い演技や,時々挟まる西東三鬼の俳句が,戦時中の神戸の怪しいホテル人々の様子と相まってとても印象的だった。

小説(著者はフィクションではないと書いている)の方も,小説より奇なりのエピソードが積み重ねられる。歯科医の著者が,弾圧によって俳句から距離を置いた,戦中戦後の生活模様が描かれる。

その後,1948年には山口誓子(1901-1994)を主宰とする雑誌「天狼」の編集にあたる。名前は耳にしたことがある雑誌だが,創刊時は奈良県丹波市町(現天理市)の養徳社から出版されている。西東三鬼が編集に携わっていた頃は先鋭的だったのが,後に微温的な雑誌になってしまったとのこと。

養徳社は,天理時報社の出版部門が1944年に株式会社として独立したもので,現在は,天理教関係の一般雑誌などを出版している(天理時報社=印刷会社には,個人の名刺を印刷してもらったことがある)。天理教の出版物といえば,天理道友社だが,こちらは宗教法人格を持っている。


写真:西東三鬼(津山市西東三鬼賞のページより引用)

[1]第三俳句集 今日(西東三鬼,青空文庫)
[2]西東三鬼賞(津山市)

2021年9月27日月曜日

(秋休み 7)

 「コスモスが浄土をかこむトポロジー」 (をにく 1953-)

2021年8月15日日曜日

(夏休み 6)

「コロナ禍に放鳩中止原爆忌」 (をにく 1953-)

2020年9月17日木曜日

秋の蝶

 今日の散歩は,鷺がよく目についた。なぜかあちこちの田池や社叢に群がっている。そんな叢の一つを抜けると黄色い蝶がたよりなく舞っていた。「秋の蝶」という季語があったのではないかと思って調べると,蝶(春),夏の蝶(夏),秋の蝶(秋),冬の蝶(冬)と全てそろっていた。

実際の情景は「草にある午前のしめり秋の蝶(鷲谷七菜子)」にやや近いのだけれど,心象風景は「我が影の伸びゆく先の秋の蝶(星野椿)」かもしれない。


写真:平等坊町の鷺の群れ(2020.9.17)


2019年6月19日水曜日

松下ガーデン

金沢の広小路から有松の交差点に向かう道路(南端国道あるいは南大通)の途中に,今は駅西の合同庁舎内に移転した金沢地方気象台があった。その横には松下ガーデン(松下種苗店)が昔からそして今もある。子どもの時にときどきいったことがある。友達と遊びに行って朝顔の種が数粒10円だったので,安いなーと声をあげていたら,おばさんがやってきて,「あんたらなにゆうとるが,こんな高いもんあるかいね」という趣旨のことをいわれた。それはそうだ,そのへんに朝顔はたくさん咲いているので,種はただで取り放題だったのだから。

高校時代に同じ理数科の増永壮平君が,有松の近くの北陸病院に入院していたことがある。見舞いにいった帰りの夕方,もう暗くなるころに,病院に住み着いている迷い猫の首輪が必要なんだという話になって,みんなで探しに行くことになった。北陸病院から猫の首輪を探しながら松下ガーデンあたりまで歩いたがそんなものを売っている店はない。猫の首輪は毛糸を結んだようなものでいいのではないかということで,問題解決は先送りされた。病院で猫を飼うことが可能だったのか。猫の部分は想像だったのか。よくわからない話である。

なぜ,この話を思い出したかというと,今朝,朝顔(秋の季語)の双葉をみかけたから。

「朝顔に 釣瓶とられて もらひ水」(千代女 1703-1775)



2019年4月12日金曜日

倫敦の夏目漱石

「句あるべくも花なき国に客となり」 (夏目漱石 1867-1916)

夏目漱石俳句集[夏目漱石俳句ライブラリ]というウェブサイトがあった。

2019年4月9日火曜日

2019年4月8日月曜日

(春休み 8)

「ちるさくら海あをければ海へちる」 (高屋窓秋 1910-1999)

2019年4月7日日曜日

(春休み 7)

「春燈のシェードの翳を書の上に」 (五十崎古郷 1896-1935)

2019年4月6日土曜日

(春休み 6)

「バスを待ち大路の春をうたがはず」 (石田波郷 1913-1969)

2019年4月5日金曜日

(春休み 5)

" freshly mown grass
clinging to my shoes
 my muddled thoughts "
(Gracie Starkey 2004-)

2019年4月4日木曜日

(春休み 4)

「清明の雨に光れる瑠璃瓦」 (古賀まり子 1924-2014)

2019年4月3日水曜日

(春休み 3)

「小さき堰波立てゝをり春の川」 (高木晴子 1915-2000)

2019年4月2日火曜日

(春休み 2)

「仲春や庭の繚乱古机」 (松根東洋城 1878-1964)

2019年2月2日土曜日

能村登四郎

能村登四郎という名前やイメージが頭のどこかに引っかかっていたのは,NHKの俳句入門か何かで見かけたからかもしれない。その名前から,石川県にゆかりのある人かなと思ったら,やはり「我が父の生地」という前書きで「汗ばみて加賀強情の血ありけり」という句が「増殖する俳句歳時記(清水哲男)」にあった。

さらに調べると,Wikipediaの社会性俳句の項に,富山出身の沢木欣一細見綾子の夫)と並んでその名前を見つけた。

能村登四郎の句にそれほど引かれるというわけではない。むしろ老いを突き付けられてしまうことに対する軽い拒否感があるのかもしれない。それでも清水哲男の文章がいいなと思ってしまうのが次の句の解説なので以下に引用する。

「老境や空ほたる籠朱房垂れ」 (能村登四郎 1911-2001)
老境にはいまだしの私が言うのも生意気だが、年齢を重ねるに連れて、たしかに事物は大きく鮮明に見えてくるのだと思う。事物の大小は相対的に感じるわけで、視線を活発に動かす若年時には、大小の区別は社会常識の範囲内に納まっている。ところが、身体的にも精神的にも目配りが不活発になってくる(活発に動かす必要もなくなる)と、相対化が徹底しないので、突然のように心はある一つのものを拡大してとらえるようになる。単なる細くて赤い紐が、大きな朱房に見えたりする。そのように目に見えるというよりも、そのように見たくなるというべきか。生理的な衰えとともに、人は事物を相対化せず、個としていつくしむ「レンズ」を育てていくようである。(清水哲男 June 18 2000)

2018年12月20日木曜日

細見綾子の冬銀河

再びは生まれ来ぬ世か冬銀河」(細見綾子 1907-1997)
細見綾子沢木欣一と再婚後10年近く金沢に住んでいたようだ(私の生まれた前後)。
その前には,大阪府池田市で転地療養している(私の住む50年前)。昔,一瞬俳句が趣味になりかけたときに(ならなかったけど),NHKで鷹羽狩行など共に細見綾子さんが出演していたのを見た記憶がある。阿修羅のごとくの大路三千緒のイメージとどこかで連結しているのだ。

大阪教育大学の採用時面接で下村先生に,趣味は何ですかときかれ,ハイク(ハイキング) ですと答えたら,俳句と勘違いされて話が迷走し大笑いになったことがある。面接は10分ほどで終わってしまった。簡単なものである。最近の選考面接では模擬授業と研究紹介を含め小一時間ある。

まだ凍てつく冬は到来していないので冬銀河には少し早かったかもしれない。