芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2024年8月20日火曜日
橿原市昆虫館
2024年7月25日木曜日
自然史博物館
Q(koshix):各都道府県にある自然史博物館(またはそれに類する,動植物全般を扱う博物館)をリストアップしてください。都道府県コード番号,都道府県名,博物館名,博物館URL,の情報が必要です。複数該当する場合は,最も代表的なものを選び,該当する博物館がない場合は,該当なしとして,リストを作成してください。A(Perplexity PRO → 人力修正版)02 青森県20 長野県23 愛知県29 奈良県34 広島県37 香川県42 長崎県44 大分県
2024年7月24日水曜日
植物標本廃棄事件
Perplexity PRO に概要を調べさせ,得られた結果と奈良植物研究会の要望書を,Claude 3.5 Sonnet に与えてブログ記事としてまとめるように指示した結果が,つぎのとおり。
奈良県立大学による貴重な植物標本廃棄事件:1万点の学術資料喪失の経緯と影響はじめに2024年3月、奈良県立大学が預かっていた約1万点の貴重な植物標本(通称:岩田コレクション)を誤って廃棄したという衝撃的な事実が明らかになりました。この事件は、学術資料の管理の重要性と、適切な引き継ぎの必要性を改めて浮き彫りにしました。本記事では、この事件の経緯、関係者の反応、そして今後の課題について詳しく見ていきます。岩田コレクションとは岩田コレクションは、故岩田重夫氏が収集した植物標本群で、奈良県内外で採集された約1万点(奈良県内7,344点、県外2,732点)の標本から成る貴重な学術資料です。2001年に「県立自然博物館をつくる会」を通じて奈良県に寄贈されました。寄贈の経緯と協定内容1.1991年から奈良植物研究会と「県立自然博物館をつくる会」が自然史博物館設立を目指して活動2.1998年に奈良県が貴重なコレクションの保管施設を検討する意向を示す3.1999年4月15日、県が「貴重な標本を受贈する場合の基本的な考え方」を提示4.2000年8月から2001年2月にかけて、奈良植物研究会の会員が標本の整理と台帳作成を実施5.2001年6月29日、「県立自然博物館をつくる会」から奈良県へ正式に寄贈6.2001年8月13日、奈良県立大学の標本庫に搬入・配架寄贈時に交わされた覚書には、以下の重要な点が記されていました:第1条 標本については、その学術用研究財産としての重要性を踏まえ、散逸等を防止するために、乙(県立自然博物館をつくる会会長 菅沼孝之)が甲(奈良県)に寄贈し、甲が現状のまま保管・管理する。廃棄の経緯2024年3月21日、岩田コレクションが廃棄されたことが判明しました。廃棄に至った主な原因は以下の通りです:1.建物の取り壊し:標本が保管されていた建物の取り壊しに伴い、職員が不要物品の整理を行った2.所有者不明:標本が新聞紙に包まれていたため、担当者はその学術的価値に気づかず、所有者不明として産業廃棄物として処分3.引き継ぎの不備:担当者間での引き継ぎが不十分で、標本の価値や管理の重要性が適切に伝達されていなかった関係者の反応と対応奈良植物研究会奈良植物研究会は、2024年7月19日付で奈良県知事宛に要望書を提出し、以下の点を強く求めました:1.岩田コレクション受け入れに関する奈良県の認識と経緯の説明2.岩田コレクション廃棄に至った経緯の説明3.今回の事実に対する奈良県としての対応4.自然史資料の散逸を防ぎ、自然史研究・教育に資する体制の創設に向けた取り組みの推進上記4点に関する30日以内の回答要望書では、この事件を「断じて許されない行為」「奈良県における郷土の自然史資料の散逸を防ぎ自然史研究・教育を推進しようとする当会の願いに反する誠に遺憾な行為」と強く非難しています。奈良県立大学尾久土正己学長が会見で謝罪し、再発防止策として重要な資料の確認と引き継ぎの徹底を約束しました。事件の影響と今後の課題1.学術的損失:過去に採集された標本の中には、現在その採集地で確認できないものも含まれており、二度と採集することができない貴重な資料が失われました。2.自然史研究への影響:奈良県、ひいては日本の植物学における大きな損失となりました。3.資料管理の重要性:学術資料の適切な管理と引き継ぎの重要性が改めて認識されました。4.自然史博物館の必要性:自然史資料を適切に保管・管理するための専門施設の必要性が浮き彫りになりました。おわりにこの事件は、学術資料の管理における責任の重さと、適切な引き継ぎの重要性を改めて示しました。今後、奈良県および関係機関が、この教訓を活かし、貴重な自然史資料の保護と活用に向けた取り組みを強化することが期待されます。同時に、この事件を契機に、全国の研究機関や自治体が所有する学術資料の管理体制を見直すきっかけとなることも望まれます。
2023年9月9日土曜日
年縞博物館
福井県年縞博物館は、年縞(ねんこう)を通じて人類の歴史や時代の変遷を探求する世界初の博物館です。年縞とは、湖の底などに長い時間をかけて積もった泥の層を指し、福井県若狭町の三方五湖の一つ、水月湖の底からは7万年分の年縞が採取されました。この年縞は、歴史の年代決定のための国際標準の「ものさし」(IntCal)に採用され、水月湖は「Lake Suigetsu」として世界的に知られるようになりました。年縞博物館では、この7万年分の年縞を体感するための「年縞ギャラリー」が設けられており、訪問者は年縞の魅力や歴史の深さを実感することができます。
番組では,立命館大学古気候学研究センターの中川毅センター長がていねいにその趣旨や特徴を説明されていた。
2023年8月29日火曜日
大阪市科学館学芸員
Q:User博物館が社会的機能を果たすための、学芸員の役割を述べなさい。 ( 800 字以上 1,000字以内)A:ChatGPT博物館が社会的機能を果たすための学芸員の役割博物館は、歴史、文化、自然などの多岐にわたる知識を保存し、伝える場所としての役割を果たしています。その中心に位置するのが、学芸員という専門家です。学芸員は博物館の社会的機能を果たすために、以下のような役割を担っています。1.知識の保存と伝承学芸員は、博物館に収蔵されているアイテムや情報の専門家として、それらの保存と管理を行います。また、展示を通じて一般の人々に知識を伝える役割も果たします。これにより、文化や歴史が次世代に継承されることを保証します。2.展示の企画・制作学芸員は、博物館の展示の企画や制作を行います。これには、テーマの選定、展示物の選択、解説文の作成などが含まれます。学芸員の専門的な知識と視点が、訪問者にとって魅力的で教育的な展示を実現します。3.教育活動の推進多くの博物館では、学芸員がワークショップや講演会、学校との連携プログラムなど、教育活動を推進しています。これにより、博物館が学びの場としての機能を強化し、社会に貢献します。4.研究活動の推進学芸員は、自らの専門分野に関する研究活動を行うこともあります。この研究は、新しい知識の発見や、博物館のコレクションの価値を高めるために不可欠です。5.コミュニティとの連携学芸員は、地域コミュニティや他の機関と連携し、共同プロジェクトやイベントを企画することもあります。これにより、博物館が地域社会との結びつきを強化し、より多くの人々に利益をもたらすことができます。6.アクセシビリティの確保学芸員は、博物館ができるだけ多くの人々に利用されるよう、アクセシビリティの確保に努めます。これには、障害を持つ人々や高齢者、外国からの訪問者など、さまざまな背景を持つ人々のニーズに応える取り組みが含まれます。7.情報のデジタル化近年、デジタル技術の進化に伴い、学芸員は博物館のコレクションや情報のデジタル化にも取り組んでいます。これにより、博物館の知識がより広く共有され、世界中の人々にアクセス可能となります。まとめると、学芸員は博物館が社会的機能を果たすためのキーパーソンとして、多岐にわたる役割を担っています。彼らの専門的な知識と情熱が、博物館を学びと発見の場として、そして文化や歴史の宝庫として、多くの人々に愛される存在としています。
素直すぎて面白みに欠けるから,倍率が高い場合はこれでは採用されない。あらかじめ断った上で,科学博物館に限定して話を展開して自分の面白エピソードをぶっ込むとか。
2023年8月24日木曜日
現代芸術文化センター(仮称)
1979年 岸昌府知事1980年 中之島に大阪府立現代美術センター1983年 (大阪市制100周年記念事業基本構想 近代美術館)1988年 大阪府新美術館構想1989年 現代芸術文化センター(仮称)の基本構想に関する報告書1991年 中川和雄府知事1995年 横山ノック府知事1996年 「現代芸術文化センター(仮称)構想」の凍結2000年 太田房江府知事2001年 「現代芸術文化センター(仮称)構想」が正式に廃止2007年12月 (平松市長)2008年2月 橋下徹府知事2008年6月 大阪府立現代美術センター廃止へ2011年11月 松井一郎府知事・(橋下市長)2012年3月 大阪府立現代美術センター廃館2012年4月 大阪府立江之子島文化芸術創造センター開館2013年2月 (大阪新美術館整備決定)2015年12月 松井府知事・(吉村市長)2017年 大阪府20世紀美術コレクションの一部105点を咲洲庁舎B3F駐車場に2019年4月 吉村洋文府知事・(松井市長)2022年2月 (大阪中之島美術館開館)2023年2月 大阪府バーチャル美術館新設方針2023年7月 咲洲庁舎B3F駐車場の美術コレクションが問題に2023年8月 アート作品活用・保全検討チーム
2023年1月20日金曜日
博物館の定義(2)
博物館法(昭和二十六年/令和四年)(定義)第二条 この法律において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、併せてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和二十五年法律第百十八号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体、一般社団法人若しくは一般財団法人、宗教法人又は政令で定めるその他の法人(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。第二十九条において同じ。)を除く。)が設置するもので次章の規定による登録を受けたものをいう。
(登録の審査)第十三条都道府県の教育委員会は,登録の申請に係る博物館が次の各号のいずれもに該当すると認める時は,当該博物館の登録をしなければならない。一 当該申請に係る博物館の設置者が次のイ又はロに掲げる法人のいずれかに該当すること。イ 地方公共団体又は地方独立行政法人ロ 次に掲げる要件のいずれにも該当する法人(略)(1) 博物館を運営するために必要な経済的基礎を有すること(2) 当該申請に係る博物館の運営を担当する役員が博物館を運営するために必要な知識または経験を有すること(3) 当該申請に係る博物館の運営を担当する役員が社会的信望を有すること二〜六 (以下略)
2023年1月19日木曜日
博物館の定義(1)
博物館法(昭和二十六年)(定義)第二条 この法律において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和二十五年法律第百十八号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体、一般社団法人若しくは一般財団法人、宗教法人又は政令で定めるその他の法人(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。第二十九条において同じ。)を除く。)が設置するもので次章の規定による登録を受けたものをいう。
教育基本法(昭和二十二年/平成十八年)(社会教育)第十二条 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。社会教育法(昭和二十四年)(図書館及び博物館)第九条 図書館及び博物館は、社会教育のための機関とする。2 図書館及び博物館に関し必要な事項は、別に法律をもつて定める。図書館法(昭和二十五年)(定義)第二条 この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設で、地方公共団体、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室を除く。)をいう。
博物館の定義“博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する。”
Museum Definition“A museum is a not-for-profit, permanent institution in the service of society that researches, collects, conserves, interprets and exhibits tangible and intangible heritage. Open to the public, accessible and inclusive, museums foster diversity and sustainability. They operate and communicate ethically, professionally and with the participation of communities, offering varied experiences for education, enjoyment, reflection and knowledge sharing.”
注1:平成十三年に制定された文化芸術基本法の内容は大変すばらしいものだ。その中に,次のような施設の充実に関する項目がある。
(劇場、音楽堂等の充実)ここに現れる劇場,音楽堂,美術館は別の法律で定義されていた。
第二十五条 国は、劇場、音楽堂等の充実を図るため、これらの施設に関し、自らの設置等に係る施設の整備、公演等への支援、芸術家等の配置等への支援、情報の提供その他の必要な施策を講ずるものとする。
(美術館、博物館、図書館等の充実)
第二十六条 国は、美術館、博物館、図書館等の充実を図るため、これらの施設に関し、自らの設置等に係る施設の整備、展示等への支援、芸術家等の配置等への支援、文化芸術に関する作品等の記録及び保存への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。
美術品の美術館における公開の促進に関する法律(平成十年)
(定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
二 美術館 博物館法(昭和二十六年法律第二百八十五号)第二条第一項に規定する博物館又は同法第二十九条の規定により博物館に相当する施設として指定された施設のうち、美術品の公開及び保管を行うものをいう。
劇場、音楽堂等の活性化に関する法律(平成二十四年)
(定義)
第二条 この法律において「劇場、音楽堂等」とは、文化芸術に関する活動を行うための施設及びその施設の運営に係る人的体制により構成されるもののうち、その有する創意と知見をもって実演芸術の公演を企画し、又は行うこと等により、これを一般公衆に鑑賞させることを目的とするもの(他の施設と一体的に設置されている場合を含み、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和二十三年法律第百二十二号)第二条第一項に規定する風俗営業又は同条第五項に規定する性風俗関連特殊営業を行うものを除く。)をいう。
2022年8月24日水曜日
ファシズムの初期兆候
01. 強力かつ継続的なナショナリズム(Powerful and Continuing Nationalism)
02. 人権の蔑視(Disdain for Human Rights)
03. 団結させるための敵の設定(Identification of Enemies as a Unifying Cause)
04. 軍事の最優先(Supremacy of the Military)
05. はびこる性差別(Rampant Sexism)
06. 支配されたマスメディア(Controlled Mass Media)
07. 国家安全保障への執着(Obsession with National Security)
08. 宗教と政治の結合(Religion and Government Intertwined)09. 企業の力の保護(Corporate Power Protected)
10. 労働者の抑圧(Labor Power Suppressed)
11. 知性や芸術の蔑視(Disdain for Intellectuals and the Arts)
12. 刑罰強化への執着(Obsession with Crime and Punishment)
13. 身びいきや汚職の蔓延(Rampant Cronyism and Corruption)
14. 不正な選挙(Fraudulent Elections)
2022年6月21日火曜日
ギフテッド
日曜の朝,親戚の一統さんからFacebook Messageが入っていた。姪の鈴木涼美が芥川賞候補になったというのだ。自分からすると,鈴木涼美は祖父のいとこのひ孫にあたる(かなり遠い・・・)。
さっそく鈴木涼美を調べてみると,父が鈴木晶,母が灰島かりとあった。なんだ人違いじゃないのと思ったが,よくよく確かめると自分の知っている遠い親戚の本名に行き着いた。私の祖父である越桐弥太郎のいとこが越桐信で,その娘が鈴木千恵子さんだ。そのファミリーだった。
1965年,小学校6年の夏休み,家族全員で東京旅行するという企画がもちあがった。妹が小学校4年と1年のころ。父にどこに行きたいか聞かれて,東京タワーと国立科学博物館をあげた。寝台列車で東京に向かい,ひとあたり東京の街を回って,大田区にあった鈴木千恵子さんのお宅に泊めてもらう。千恵子さんには息子と娘がいて,中学生と小学生だった。その妹の部屋で本を見せてもらったが,雨月物語があった。お兄ちゃん(=鈴木晶)と話した記憶はあまりない。
日本橋の白木屋デパートで食べた天ぷらそばがおいしくてびっくりしたこと,千恵子さんが予定になかった後楽園遊園地にいっしょに行こうと提案してくれて,乗り物が楽しかったこと,科学博物館のミイラには驚いたが,時間が足りなくて全館回りきれなくて残念だったことなどなど。
千恵子さんが旅行で金沢に来て家に泊まっていったこともある。お兄ちゃんは勉強がよくできて,東大に入ったいう話だったが,今では,舞踊評論家,舞踊史家,翻訳家として多くの著作がある有名な先生だった。
2022年6月20日月曜日
大阪博物場
鐵腕 天野皎(あきら)からの続き
天野皎は,1885年から数年間,大阪博物場長と教育博物館長を勤めていた。その大阪博物場について調べてみようと思いながらもう1年半近くたってしまった。
大阪博物場は,1875年(明治8年)に設立された,博物館・美術館・商品陳列所・図書館・美術館を1ヶ所に併設した博物館群(テーマパーク)である。その後,組織や規模を縮小しながら,1945年の大阪大空襲まで70年近く存続していたようだ[1]。
その場所は,現在のマイドーム大阪のあたりである[2]。大阪教育大学のフォーマルな催し物でよく訪れたシティプラザ大阪の隣だ。毎年今ごろの季節には,田中俊哉先生+事務局メンバー達と帰りに立ち寄って水茄子を食べていたのは何の店だっただろうか。7-8年前のことなのにすっかり忘れてしまっている。google mapで探してもわからない。なくなったのか?
教育博物館という観点で,明治初期の中央教育博物館や地方教育博物館について調べた論文が,椎名さんの「教育博物館の成立」[3]である。1871年(明治4年),湯島聖堂に博物館が設置され紆余曲折を経て,1875(明治8年)に東京博物館となり,1877年(明治10年)に教育博物館として上野に設置される。現在の国立科学博物館の前身である。
このころ,京都博物館(1875),金沢博物館(1876),秋田博物館(1876),広島博物館(1877),開拓使札幌博物場(1877)などが誕生している。博覧会を媒介として教育博物館と殖産興業的な博物場のコンセプトがせめぎ合っていたが,地方では教育博物館が成立することはなかった。
[2]府立大阪博物場「年表」(すくらんぶるアートビレッジ)
2022年3月3日木曜日
水平社宣言
1922年の3月3日に,京都市の岡崎公会堂で,全国水平社の創立大会が開かれ,そこで, 水平社宣言が採択された。その100周年になる。奈良県御所市にある水平社博物館もリニューアルされて,3月3日にオープンする。
全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によつてなされた吾らの爲めの運動が、何等の有難い効果を齎(もた)らさなかつた事實は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたは)るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、實行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
吾々が穢多である事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何なんであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。
水平社は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。
大正十一年三月
2021年8月21日土曜日
金沢美術工芸大学
金沢美術工芸大学が輩出したゲーム・アニメ・漫画関係者といえば,宮本茂,細田守,米林昌宏,東村あきこなど,錚錚たるメンバーがそろっている。その金沢美術工芸大学が,2023年度を目処として,金沢大学の工学部の跡地に移転するらしい。その隣で,2022年度に開館するのがが新しい石川県立図書館だ。
1972年の移転前の金沢美術工芸大学は,本多町の赤レンガの校舎であり,今は石川県立歴史博物館になっている。となりの石川県立美術館や国立工芸館とともに,本多の森公園の一角をしめている。この赤レンガの校舎で写生大会があったような気がするが,それは妹達の写生大会の記憶が転移しただけかもしれない。
2021年2月10日水曜日
鐵腕 天野皎(あきら)
牧野由里さん(美術教育)と有賀暢迪さん(科学史)が,「教育掛図《小学用博物図》の研究 ―天野皎と明治初期大阪の教育・出版文化―」という論文を出していて,有賀さんがTwitterで紹介していた。
天野皎(あきら)(1851-1897)[1]は,博物学を専攻した東京師範学校の一期生として1873年に卒業した。その後,官立の大阪師範学校(1873-1878)の教師となっている。やがて奈良五條師範や兵庫神戸師範の校長を経て,1878年には教育職を辞している。以下,1880年,大阪商法会議所の書記,1881年,大阪府御用掛・大阪測候所長,1885年,府立大阪博物場長および教育博物館長,1891年,大阪朝日新聞社編輯部,1897年,47歳で死去となっている。
天野が著した小学校の教科書や有賀さんらが議論している教育掛図(国立科学博物館で見つかった新出資料)についてはさきほどの論文に譲るとして,大阪つながりで近隣の大学の附属図書館に収集されている資料がないか調べてみた。
1982年に雄松堂書店から復刻された,明治初期教育稀覯書集成 / 唐沢富太郎編集「下等小學教授法略解 乙」と「博物小学金石篇」の2冊が,京都大学,京都教育大学,大阪大学,大阪教育大学,奈良教育大学の各附属図書館に収蔵されていた。CiNiiでは,アマノ・コウとかアマノ・キヨシになっているが違うんじゃないの。さらに,京都大学には,「商法會議所要覽(天野皎編 -- 鹿田靜七,1880)」,「入清日記その他 (鐵腕天野皎著;天野徳三編纂 -- 壺外書屋,1929)」の2冊があった。天野の号が「鐵腕」なのである。
一方,大阪教育大学には先の2冊の他に,「小學博物書天野皎譯 ;動物學第2,動物學第3 -- (天野皎,1877)」「師範學校掛圖童子訓 5巻 /井出猪之助, 天野皎輯 ; 巻之1 - 巻之5(文敬堂, 1875)」の2冊の教育書が所蔵されていた。後者は実際には,巻之2,巻之4,巻之5だけがあって,これらはデジタル資料として公開されている。
なお,国立国会図書館のNDLオンラインを調べると,こちらには17件の資料がみつかった。
[1]「大臺原紀行」の作者である天野 皎あきらについて(き坊のノート)
【天野皎】(1851~1897)天野氏、名は皎、幼名祐太郎、別に鐵腕と号す、江戸の人、世々徳川幕府に仕ふ、幼より学を好みて業を長谷部甚弥に受け又書法を石川潭香に学ぶ、明治6年東京師範学校を卒業して大阪師範学校本科教師を命ぜらる、後ち奈良県五条師範学校校長・神戸師範学校校長等を歴任し、13年大阪商業会議所書記となる。14年大阪府御用掛となり大阪測候所長・大阪商業講習所長等を兼ね、明治18年「府立大阪博物場長」に専任せらる。是に於て専ら心を美術の奨励に致し、兼ねて薀蓄せる智職を以て「美術館」を創設す。又率先唱導して城南今宮村に「大阪商業倶楽部」の開設を企画する等大に浪華文化の発展に力を尽くせり。24年「大阪朝日新聞」に入りて編輯の事務に従い、25年臨時博覧会事務局監査官となり、26年閣龍世界博覧会事務の為に米国シカゴに赴き其博覧会の審査官に任ぜらる。27年日清戦役の起るや第ニ軍に従うて能く其任務に務む。30年遂に朝日新聞社を辞し、更に日本製鋼株式会社長となり、幾もなく病を獲て武庫郡住吉村の客舎に歿す。人と為り堅忍剛毅博学宏識、能く詩文を属し尤も書法に長ず。殊に美術に関する造詣深く斯道の為に貢献する所蓋し鮮少ならず、嗣子徳三嘗て職を大阪朝日新聞社に奉ぜり。著書:入清日記その他。歿年:明治30年10月16日47歳。(大阪人物誌続編より)
2020年1月24日金曜日
湯川秀樹(2)
湯川さんを見たことが1度だけある。理学部物理の4回生のときに,毎回ゲストをよんで1時間くらいその専門分野の話を聞く授業があった。理学部5階のD501という階段教室で行われるが,誰でも参加して話を聞くことができるため,ノーベル賞2回受賞者のジェームス・バーディーン(1908-1901)のときなどは満席だった。湯川さんのときもそうだった。ただ,自分が湯川さんの話を聞いたのが,4回生のときだったのか大学院生のときだったのははっきり憶えていない。湯川さんはすでに京都大学を定年退職していて,病み上がりだったのかなんだかで,長いあごひげをはやしていた。で,なんの話をしたのかはまったく記憶にない。たぶん,あまりおもしろくなかったのです。
自分の所属していた森田研究室は,伏見研を引き継いだ内山研から派生しているので,湯川さんの流れを引いていることになる。また,研究内容も原子核における弱い相互作用と中間エネルギー物理であり,中間子交換流の話などまさにテーマのつながっているわけだった。したがって,いつも湯川ポテンシャルと戯れている人もいるのだった。
2020年1月23日木曜日
湯川秀樹(1)
「今日は湯川さんの誕生日とのこと。113年前の今日、湯川秀樹は生まれた。1世紀前の物理に想いを馳せるのに良い日である」
ということで,1月23日は湯川秀樹の誕生日である。
橋本さんが阪大の総合学術博物館の湯川記念室へのリンクを張っていた。なかなか良い仕上がりのページになっている。湯川秀樹の論文や資料,写真などが紹介されている。阪大の湯川記念室で所蔵しているものに加えて,小沼先生らが京大の基礎物理学研究所を基点に資料収集整理されたものの一部が阪大で公開されているようだ。論文や資料などはダウンロードすることもできるが,メールアドレスを登録してパスワードを請求する必要がある。早速試してみたが,登録の目的をきかれるのがちょっと面倒である。また,京大基礎物理学研究所のクレジットが入ったものを使う場合は,事前の許諾が必要である。
この他にも,北沢さん,橋本さんや細谷さんの話とか,湯川さんが内山さんに出したはがきの筆跡鑑定から読み解く人物像などの記事もあってとてもおもしろいのだ。
[1]阪大理学部の創設と湯川秀樹(斉藤吉彦)
[2]理学部を語る(大阪大学理学友倶楽部)
2019年9月26日木曜日
ミキモト真珠島
養殖アコヤガイによる真円真珠の製法は,御木本幸吉が商業化に成功したが,見瀬立平と西川藤吉が技術を確立し実用化(特許取得)したとされている。これに対して,英国人のウィリアム・サヴィル・ケントが発明したものであることを強調した論説がある。真珠博物館を見ていて,真珠の選別にはロボットとディープラーニングの組み合わせが使えそうだと思ったが,まだ実用化されていないのだろうか。
ミキモト真珠島と関連するのが,三重県出身の江戸川乱歩のパノラマ島奇譚だ。鳥羽には江戸川乱歩館があるが,平日は予約制のようだった。