2022年6月20日月曜日

大阪博物場

 鐵腕 天野皎(あきら)からの続き

天野皎は,1885年から数年間,大阪博物場長と教育博物館長を勤めていた。その大阪博物場について調べてみようと思いながらもう1年半近くたってしまった。

大阪博物場は,1875年(明治8年)に設立された,博物館・美術館・商品陳列所・図書館・美術館を1ヶ所に併設した博物館群(テーマパーク)である。その後,組織や規模を縮小しながら,1945年の大阪大空襲まで70年近く存続していたようだ[1]。

その場所は,現在のマイドーム大阪のあたりである[2]。大阪教育大学のフォーマルな催し物でよく訪れたシティプラザ大阪の隣だ。毎年今ごろの季節には,田中俊哉先生+事務局メンバー達と帰りに立ち寄って水茄子を食べていたのは何の店だっただろうか。7-8年前のことなのにすっかり忘れてしまっている。google mapで探してもわからない。なくなったのか?

教育博物館という観点で,明治初期の中央教育博物館や地方教育博物館について調べた論文が,椎名さんの「教育博物館の成立」[3]である。1871年(明治4年),湯島聖堂に博物館が設置され紆余曲折を経て,1875(明治8年)に東京博物館となり,1877年(明治10年)に教育博物館として上野に設置される。現在の国立科学博物館の前身である。

このころ,京都博物館(1875),金沢博物館(1876),秋田博物館(1876),広島博物館(1877),開拓使札幌博物場(1877)などが誕生している。博覧会を媒介として教育博物館と殖産興業的な博物場のコンセプトがせめぎ合っていたが,地方では教育博物館が成立することはなかった。


図:府立大阪博物場案内図(MyDomeおおさかから引用)

[1]大阪博物場 −「楽園」の盛衰(後々田寿徳)
[2]府立大阪博物場「年表」(すくらんぶるアートビレッジ)
[3]教育博物館の成立(椎名仙卓)

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