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2025年8月29日金曜日

京都国際マンガミュージアム

日の丸からの続き

孫のすぅちゃんのお守りで,烏丸御池にある京都国際マンガミュージアムにいった。

中京区の京都市立龍池小学校の跡地に,京都市とマンガ学部を持つ京都精華大学の共同プロジェクトとして2006年に開館し,マンガ約30万点が収容されている。そのうち約5万点が開架の資料として展示されている。

他に,漫画家の手の石膏像やメイン展示として過去から現在までの毎年のマンガの書架があった。京都市立の小学校は1872年に日本の学校制度が始まる前の1869年に京都の町衆によって「番組」という町区分に創設された番組小学校がルーツになっていて,この旧龍池小学校の校舎も非常に立派な建物仕様になっていた。



写真:京都国際マンガミュージアム(Wikipediaから引用)

自分が小学生だった1960年代前半のマンガで開架になっているものはちょっと物足りなかったかも知れない。こどものころ床屋や貸本屋で良く読んだ,少年クラブ(1946-1962:講談社),少年(1946-1968:光文社),冒険王(1946-1971:秋田書店),少年画報(1950-1969:少年画報社),ぼくら(1954-1969:講談社),日の丸(1958-1963:集英社),少年ブック(1959-1969:集英社)などからは,少年画報が1冊展示されていただけだった。

2023年7月18日火曜日

君たちはどう生きるか

7月14日,宮崎駿(1941-)監督のジブリ作品「君たちはどう生きるか」が公開された。

事前のプロモーション広告がまったくなかったので,ネットで噂になりはじめたころも何のことかわからなかった。そういえば,岩波文化人吉野源三郎(1899-1981)の小説「君たちはどう生きるか」の題名を借りて10年ぶりに新作をつくるという話があったのを思い出した。

アニメーション作品「君たちはどう生きるか」の評価は完全に二分されていて,説明不足で期待外れの失敗作というものと,難解だけれど素晴らしい芸術作品だというものだ。いずれにせよ簡単に読み解けるようなストーリーではないらしい。そのため,ネット上のさまざまな雑音やネタバレ(考証ぶったクイズごっこや食通ぶった矛盾探し)を排除して,まずは虚心坦懐にみるのが最も重要だという説が多い。

そうはいっても,情報はどんどん入ってくるのであった。(1) 宮崎駿の個人的な体験が物語のベースになっている,(2) アニメーション作成現場についてのメタファーで構成されている,(3) 過去のジブリ作品のオマージュやシンボルが多数ちりばめられている,(4) 原作に相当するものとして次の2作品がある。失われたものたちの本(ジョン・コナリー)と幽霊塔(江戸川乱歩版,黒岩涙香版は青空文庫に)。

ところで,作品中の13という数字が宮崎駿のジブリ長編アニメーションの数だという解説があったけれど,それはちょっとうまく整合しないような気がするがどうなのか。宮崎駿監督の長編アニメーション作品をあげれば次のようになるので13ともいえるかも。
1985(44) スタジオジブリ設立
1989(48) 魔女の宅急便
1992(51) 紅の豚
1997(56) もののけ姫
2013(72) 風立ちぬ

「君たちはどう生きるか」に一番近いのが「千と千尋の神隠し」らしいけれど, そういえばそれだってどんな話だったのかをみんな十分に理解しているわけではないような気がするので(自分だけ?),なぜ今回だけとくに不評なのだろうか。

P. S.  不評の原因を[4] が解読していた。さもありなん。


写真:1枚だけ公開されたポスター(スタジオジブリから引用)


[1]『君たちはどう生きるか』を理解できなかった人のためのネタバレ謎解き(海燕)
[2]『君たちはどう生きるか』を理解できなかった人のためのネタバレ謎解き(ちょっと上級編)(海燕)

2023年2月18日土曜日

少女マンガベスト10

バート・バカラックからの続き

BingAIはイージーリスニングの楽団についてそこそこの結果を返した。これに味をしめて,少女マンガ家のベストテンを尋ねてみた。
Q:日本の少女漫画家のベスト10をあげて下さい。
[番号,氏名,生年,代表的な作品名を1つ]の形式でお願いします。

‘日本の少女漫画家のベスト10’ を検索しています
‘少女漫画家 24年組’ を検索しています
回答を生成しています…

A:こんにちは、こちらはBingです。少女漫画家のベスト10をお答えします。😊

少女漫画のベスト10というのは、主観的なものなので、一概には言えませんが、一般的には、1970年代に少女漫画の革新を担った女性漫画家の一群である「24年組」1が有名です。彼女たちは、それまでの少女漫画の常識を打ち破り、新しい表現やテーマに挑戦しました。24年組のメンバーは、以下のようになります。

[番号,氏名,生年,代表的な作品名を1つ]
1,萩尾望都,1949年,『ポーの一族』2
2,竹宮惠子,1950年,『風と木の詩』2
3,大島弓子,1947年,『綿の国星』2
4,青池保子,1948年,『ポーの一族』2
5,木原敏江,1948年,『ベルサイユのばら』2
6,山岸凉子,1947年,『風と木の詩』2
7,樹村みのり,1949年,『ベルサイユのばら』2
8,ささやななえこ,1950年,『ベルサイユのばら』2
9,山田ミネコ,1949年,『ベルサイユのばら』2
10,岸裕子,1949年,『ベルサイユのばら』2
以上が、少女漫画家のベスト10としてよく挙げられる方々です。3
最初の3件はなっとくだが,その後がグダグダになっている。そこで,質問の角度を変えて,少女マンガの名作ベストテンにしてみた。
Q:日本の少女マンガの名作ベスト10を教えてください。回答は次の形式でお願いします。なお,一人一作品に限ることにします。幅広い年代からバランスよく選択してください。
[順位,作品名,出版年,著者名,著者の生年]

A:こんにちは、こちらはBingです。日本の少女マンガの名作ベスト10をお答えします。😊

少女マンガの名作というのは、時代や個人の好みによって変わるものなので、一概には言えませんが、一般的には、以下のような作品がよく挙げられます。123

[順位,作品名,出版年,著者名,著者の生年]

1,花より男子,1992〜2004,神尾葉子,1957
2,NANA―ナナ―,2000〜2009,矢沢あい,1967
3,カードキャプターさくら,1996〜2000,CLAMP,1987
4,ベルサイユのばら,1972〜1973,池田理代子,1947
5,天は赤い河のほとり,1995〜2002,篠原千絵,1963
6,電撃デイジー,2007〜2013,もとなおこ,1973
7,ちはやふる,2007〜,末次由紀,1975
8,金色のコルダ,2003〜2011,呉由姫,1973
9,きらきらひかる,1992〜1998,水野英子,1958
10,おしゃれ手帖,1985〜1994,一条ゆかり,1952
以上が、少女マンガの名作ベスト10としてよく挙げられる作品です。

さきほどより少し改善されたが,6,9,10は作品名と著者名が対応していない。ちなみに,ベスト20にして,誤った部分の差し替えを依頼すると,いつまでたっても,正しい組を答えることができないループにはいった。以前,ChatGPTに動物園にいる動物を20種あげてもらったときも,同様だった。動物名の重複や動物園外のいきものが延々と繰り返されていた。


追伸:Bing Chat はあっという間に限界に達したようだ。今日から,1セッションあたり5ターン(一往復問答)まで,1日当たり50ターン?までという制限がかかってしまった。回答の柔軟性も失われているようだ。Bing Chat の混乱によって不適切な情報が回答されるのを防ぐのが主目的のようだ。

2023年2月12日日曜日

大泉サロン

冥王代からの続き

竹宮惠子と丸山茂徳が徳島大学時代に何の部活で接点があったのかを探していたところ,竹宮惠子の大泉サロン時代の話に引き込まれた。
大泉サロン(おおいずみサロン)は、かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家で、漫画家の竹宮惠子萩尾望都が1970年から1972年にかけて2年間同居し交流の場となった際の呼び名である。「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家達が集った。(Wikipedia 大泉サロン)
藤子不二雄まんが道にでてくるトキワ荘のような話かと思うと,残念ながらそうではなかった。アマゾンの[3]の書評で御伽草子が「芸術家の決闘,あるいは,萩尾望都へのアンフェアな罵倒に対する逆襲」として,1万6千字費やしてしまうような物語だった。

一方,Wikipediaには次の記載がある。
「大泉サロン」には、山田ミネコ(1949年生)、ささやななえこ(1950年生)、伊東愛子(1952年生)、佐藤史生(1952年生)、奈知未佐子(1951年生)、それに少女同人サークル「ラブリ」(石川県金沢市)の坂田靖子(1953年生)、花郁悠紀子(1954年生)、波津彬子(1959年生)、たらさわみち、城章子など、いわゆる24年組と呼ばれる世代を中心とする若手女性漫画家やアシスタントが集まった。
このうち,坂田靖子花郁悠紀子(開発公子),波津彬子(開発明子)は金沢市立野田中学校の同窓生である。坂田さんは,3年6組(山田清三先生)の同級で20期卒,開発姉妹は21期と26期だ。坂田さんは病気で1年遅れたために自分と同じ学年になっていたようだ。

彼女達がまんがを描いていたことは妹から聞いて知っていた。同人サークルに妹が誘われていたのかどうかはっきりしないのだが,同人誌のようなものをちらっと見せてもらった記憶がある。卒業アルバムには坂田康子とあったような気もするが,50周年の同窓会名簿は靖子で採録されていた。竹宮惠子のマンガは全く読んでいないのだが,萩尾望都は妹から借りて何冊も熟読したのだった。

[3]一度きりの大泉の話(萩尾望都)
[4]少年の名はジルベール(竹宮惠子)
[5]増山法恵(萩尾望都と竹宮惠子を大泉サロンで結ぶ)

P. S. 2023.3.22
妹に確認したところ,彼女が中学2年から3年のころに(1969-70),坂田さんの主催する同人誌ラヴリに参加して,実際に作品を作って投稿していたらしい。ちょうど同人ラブリが創設されてまもなくのころだ。手書き同人誌を湿式コピーしたものがあったのだが処分してしまったらしい。

2022年2月5日土曜日

反知性主義(1)

Wikipediaによれば,反知性主義とは 1950年代にアメリカ合衆国で登場した概念であり,知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想とされていた。1963年のホフスタッターの「アメリカの反知性主義」が代表的な文献とされているが,この日本語訳が出たのは,40年後の2003年になってからである。

安倍晋三や麻生太郎や菅義偉の発言や政策を巡って,あるいは橋下徹を筆頭とする日本維新の会やその支持者達に対して,反知性主義だという分析がされてきた。ところが,Wikipediaではむしろその対抗言論として,日本における(反知性主義の)誤用・乱用の指摘がやけに強調されていた。

録画してあった,ベトナム戦争後の1970年代のカンボジアを描いたドゥニ・ドゥ監督のアニメーション「FUNAN」をみて,クメール・ルージュ(オンカー)の酷薄さを改めて印象づけられた。カンボジア大虐殺では,100万人以上の知識人・専門家が都市から追放されて虐殺されたが,反知性主義の行き着く先はここにある。

[1]反知性主義とアメリカン・デモクラシー(清水晋作)

[2]公共圏への回路と新たな秩序問題(長谷川公一)

2022年1月15日土曜日

めった汁

テレビアニメの「舞子さんちのまかないさん」で,郷土料理の紹介リストに,石川のめった汁という言葉が出てきた。めった汁は全国に通用する普通名詞ではないのか。小学校の給食では定番のメニューだったが,そういえば,この50年ほとんど聞いたことがなかった。

めった汁ってどんなものと聞かれて返事に困った。普通に自宅の晩ご飯にでてくる豚汁と同じもので,野菜やいもが沢山入ったみそ汁だ。早速確認すると,農林水産省の「うちの郷土料理」というサイトには石川県の郷土料理として採用されており,次のような定義があった。「めった汁とは,さつまいもや大根、人参といった根菜類を使った具だくさんの豚汁のこと。従来の豚汁と異なるのは,じゃがいもではなくさつまいもを使う点にある」。

この農水省サイトは親切なので,著作権表示をすれば画像コンテンツを比較的自由に利用できる。下記写真の画像提供元は青木クッキングスクールだが,うーん,微妙に具が大きすぎて違う気がする。むしろ,いつもの夕食に出てくる豚汁の方が,追想/幻想の「めった汁」に近い。


写真:めった汁(出典:農林水産省Webサイト

P. S.  うちの郷土料理のページはよくできている。石川県,福井県,奈良県,京都府,宮城県など27府県分はあるが,富山県,大阪府,兵庫県,静岡県,東京都など20都道府県分は未作成で,令和3年度末にできることになっているけれど,間に合うのかしら。

2021年11月15日月曜日

ピクミンブルーム

日本でテレビ放送が始まった 1953年の生まれなので,テレビ環境には十分適応している。ラジオはどうかというと,遅ればせながら高校生から大学生にかけて深夜放送を聞いて育った。もちろん小学生時代の貸本屋から始まって漫画雑誌も大丈夫。コンピュータが登場するのは大人になってからだったが,これもなんとかクリアできた。

ところが,残念ながら自分が適応できなかった種目がある。コンピュータゲームだ。そのはしりのアーケードゲームは1979年に大流行したスペースインベーダー。柳田さん夫妻が新婚旅行でハマったやつだ。喫茶店のようなところで何回か遊んだことはあるが,はまるにはほど遠かった。

やがて,1983年の任天堂ファミリーコンピュータを嚆矢に,次々と家庭用ゲーム機が登場する。残念ながら,結婚してそろそろ子供ができようかという頃であり,全く興味も関心もなかった。子供たちが成長する過程でも,ゲーム機の類を買い与える機会はなかった。1996年のたまごっちをのぞいては。自宅には,PC-9801があり,後にはMacBookなども使えたのだけれど,ポストペットで遊ぶ程度だった。

やがて,スマートフォンの時代になり,子供から強く勧められて,コロプラ(コロニーな生活☆プラス)を始めた。位置情報ゲームとよばれるジャンルのはしりだ。これは10年経った今も愛用している。その後,ギークの間で流行るイングレスを生み出したNIANTICが2016年にポケモンGOを産み出し,これは1〜2年楽しんだ。

この間,ジャンルとしてのアクションゲーム,ロールプレイングゲーム,シミュレーションゲーム,アドベンチャーゲーム,スポーツゲーム,レースゲーム,音楽ゲームなどは全くの未踏の地として残ってしまった。残念なことである。

PC-9801が登場したころに,ASCIIかOhPCに掲載されていたフライトシュミレータの機械語のプログラムを2ページびっしり必死で打ち込んだ。モノクロ線画で,5MHzの8086(128kBRAM)上で動作するコックピットがすぐクラッシュしていた時代から,はや40年になる。

さて,最近ピクミンブルーム(NIANTIC 任天堂)の宣伝に騙されて,これをiPhoneにインストールした。11月1日公開のところを11月6日にスタートしたので,珍しく早い対応だった。散歩の歩数がゲームのポイントに直結するスマートフォン向けARアプリなので,老人には相応しいものかもしれない。


写真:ピクミンブルームのスナップショット

2021年8月21日土曜日

金沢美術工芸大学

山下洋輔(1942-)の祖父,山下啓次郎(1868-1931)が設計した明治の五大監獄の一つが金沢監獄である。金沢美術工芸大学が金沢監獄の跡地にあった金沢刑務所の小立野の現在地に移転したのが1972年なので,ちょうど大学進学で金沢を離れたころだ。そんなこともあって,金沢美術工芸大学のキャンパスを訪れる機会はなかった。

金沢美術工芸大学が輩出したゲーム・アニメ・漫画関係者といえば,宮本茂,細田守,米林昌宏,東村あきこなど,錚錚たるメンバーがそろっている。その金沢美術工芸大学が,2023年度を目処として,金沢大学の工学部の跡地に移転するらしい。その隣で,2022年度に開館するのがが新しい石川県立図書館だ。

1972年の移転前の金沢美術工芸大学は,本多町の赤レンガの校舎であり,今は石川県立歴史博物館になっている。となりの石川県立美術館国立工芸館とともに,本多の森公園の一角をしめている。この赤レンガの校舎で写生大会があったような気がするが,それは妹達の写生大会の記憶が転移しただけかもしれない。


写真:赤レンガ校舎跡地(金沢美術工芸大学同窓会facebookから引用)

2020年8月9日日曜日

さよなら三角

妹のおかげで,少女マンガに触れる機会が多かった。月刊少女マンガ雑誌といえば,少女クラブ(講談社:1946-1962),少女(光文社:1949-1963),なかよし(講談社:1954-),りぼん(集英社:1955-)などだった。どれを購入していたのだろうか。あるいは,週刊誌の少女フレンド(講談社:1962-1974),マーガレット(集英社:1963-1988),セブンティーン(集英社:1968-)だったか。

砂糖や脂肪がふんだんに使われている洋菓子や和菓子のようなフレーバーでなくて,自分にも楽しく読めたのは,恐怖マンガ系の楳図かずお(へび少女とか),ギャグマンガの土田よしこ,あるいは巴里夫(ともえさとお)などに限られていた。巴里夫のデビュー作が「さよなら三角」となっているが,それだったかあるいは別のマンガのエピソードのひとつだっだような気もするけれが,さよなら三角の最初のフレーズだけが印象的だった。

 さよなら三角 また来て四角
 四角は豆腐 豆腐は白い
 白いはウサギ ウサギは跳ねる
 跳ねるはカエル カエルは青い(みどり)
 青い(みどり)は柳(葉っぱ)
 柳(葉っぱ)はゆれる
 ゆれるは幽霊 幽霊は消える
 消えるは電気 電気は光る
 光るはおやじのハゲ頭

また,単行本で萩尾望都のシリーズを揃えていたのを読ませてもらったのは,大阪に出てきてからかもしれない。

中でも最も印象深かったのは水野英子ファイヤー!だった。ちょうど自分が高校生の頃で,洋楽ポップスにはまっていた時期なので強く引かれた作品だった。いまだと,クイーンのボヘミアン・ラプソディー,昔だとロマン・ロランのジャン・クリストフか。

2020年8月7日金曜日

日の丸

昭和30年から40年にかけては,少年マンガ雑誌は月刊誌がその中心だった。やがて,少年サンデー(小学館:1959-),少年マガジン(講談社:1959-),少年キング(少年画報社:1963-),少年ジャンプ(集英社:1969-),少年チャンピオン(秋田書店:1970-)などの週刊誌が主流となっていく。

小学校低学年のときに,母親からマンガの雑誌を定期購読してもいいという話をとりつけた。少年マガジンやサンデーなどの週刊誌もあるよとすすめられたけれど,付録もついている月刊誌を選択した。それが日の丸(集英社:1958-1963)だった。どちらかといえば最もマイナーだったのだが,どうしてそれが気に入ったのかよくわからない。ナンバーセブン(手塚治虫)やテレビ小僧(石森章太郎)があったのは憶えている。

当時の月刊誌といえば,少年クラブ(講談社:1946-1962),少年(光文社:1946-1968),冒険王(秋田書店:1949-1983),少年画報(少年画報社:1950-1971),まんが王(秋田書店:1952-1971),ぼくら(講談社:1954-1969),少年ブック(集英社:1959-)などがあった。

各社2冊のところがあるので,対象年齢層が少しずれていたのかもしれない。日の丸は小学校3年の終わりに休刊となって,同じ集英社の少年ブックに引き継がれたため,そのまま少年ブックを購読していた。少年ブックは日の丸と違って付録も充実しており,毎号楽しみだった。小学校5年生の時に実家が新築されたので,それを潮時として購読をやめたのかもしれない。やがて小学校が終わるころには,月刊誌のピークも終わりに近づいていた。

定期購読していないものでも,貸本屋,床屋,病院,友達の家などで読む機会は多かったので,各雑誌の主要マンガの印象は大きい。また,少年ブックに連載されていた,ビッグX(手塚治虫)や宇宙エース(吉田竜夫)などは,鉄腕アトムや鉄人28号などのメジャーではない作品がアニメ化されていく過程のさきがけのひとつだった。

2020年8月5日水曜日

桑田次郎

桑田次郎が7月2日に85歳で亡くなったという報道があった。桑田二郎とあったので,何を間違えているのかと思ったが,間違えていたのは自分のほうで,1990年ごろに改名されていた。

まぼろし探偵は,少年画報に1957年から1961年まで連載されていた。少年と同じように新保の床屋でみていたのか,あるいは清藤の貸本屋で借りていたのかどうだったのか。吉永小百合が出ていたテレビのまぼろし探偵は1959年から1960年の放送で,これもなんとなく記憶にある。

月光仮面は,1958年から1959年までテレビで放映されていたが,こちらの印象のほうが強い。小学校の絵日記では,風呂敷をマントにして月光仮面ごっこをしている絵をかいていた。桑田次郎の少年クラブのマンガ版のほうは記憶にないが,サタンの爪の赤が印象的だった絵本は買ってもらったことがある。月光仮面といえば佐藤秀明君で,金沢大理(→北教大)の岡崎隆さんと一緒に原子核三者若手夏の学校で踊っていた。

エイトマンは,平井和正原作のスタンダードなSFの設定だった。1963年から1965年までの少年マガジンの方は見ていなかったかもしれないが,1963年から1964年の丸美屋ののりたま提供のテレビマンガのほうは欠かさずに見ていた。小学校のバス旅行の帰りにはエイトマンの歌で盛り上がっていた。エイトマンといえば深山良徳君で,これまた夏の学校でのエイトマンの踊りはシュレーディンガー音頭を圧倒していた。



2020年5月20日水曜日

丘シカ地下イカ坂

テレビからとつぜん不思議な歌が聞こえてきて思わず引き込まれてしまった。みんなの歌のアニメーションのフレーバーがかつて愛読したスズキコージ+片山健の「やまのかいしゃ」なのである。たぶん今,全国的にサラリーマンの気分はほげたさんになっている。

曲名と歌手を調べてみると,SAKANAMONの「丘シカ地下イカ坂」だった。歌詞はこんな感じである。

いきなり,上れ上れ上れ・・・上り坂上れ,下れ下れ下れ・・・下り坂下れときて(もうここが衝撃ですね),丘の上の家にすむシカと地下の家にすむイカがサカの途中で遊ぶという物語だ。で,最後は,さよならは寂し坂,会えるのは楽し坂というのが結論。

2019年9月28日土曜日

なつぞら

今日はNHKの朝のテレビドラマ「なつぞら」の最終回。100作目ということで,これまでの朝ドラヒロインがオールスターで登場していた。日本アニメの黎明期がテーマなのでおもしろかった。そこで,自分のアニメ視聴史(〜中学生まで)を振り返ってみた。

映画館にて
1960 白蛇伝(寺町終点の映画館パレスに小学校2年生の映画鑑賞)
1961 西遊記(同上,小学校3年生の映画鑑賞)
1961 101匹わんちゃん大行進(喜代子おばあちゃんと)
1963 わんぱく王子の大蛇退治(喜代子おばあちゃんと金劇にて)
1964 わんわん忠臣蔵(喜代子おばあちゃんと金劇にて)
1965 ガリバーの宇宙旅行(喜代子おばあちゃんと金劇にて)
1965 ファンタジア(小学校6年生?の映画鑑賞@金劇)

テレビアニメ
1960 フィリックス君(いつからはじまったのだろうか)
1962 鉄腕ポパイ(これもいつからはじまったのだろうか)
1963 鉄腕アトム(床屋の少年でおなじみ,ムックでも読んだ,金属おもちゃも買った)
1963 鉄人28号(同上,単行本でも読んだ,プラモデルも作った)
1963 エイトマン(小学校のバス旅行で熱唱した)
1963 狼少年ケン(おばあちゃんの家でみることが多かった?)
1964 トムとジェリー(これもおばあちゃんの家でみることが多かった)
1964 ビックX(購読中の少年ブックでもおなじみ,プラモデルも作った)
1965 宇宙エース(タツノコプロ,同上)
1965 おばけのQ太郎(以下藤子不二雄シリーズが続く)
1965 JQ(ジョニークエスト,主人公JQが好きだった)
1965 スーパージェッター(流星号のプラモデルも作った)
1965 遊星少年パピィ(ピーーーパピィ)
1965 宇宙少年ソラン(小学校卒業式午後のお楽しみ会の出し物だった)
1965 ジャングル大帝(カラー作品のスタート)
1966 ハリスの風(ちばてつやシリーズの始まり)
1966 魔法使いサリー(妹のりぼんでおなじみ)
1966 おそ松くん(赤塚不二夫シリーズの始まり)
1966 遊星仮面(ピネロン星人ですよ)
1967 黄金バット(これを見ているときに踵を切ったイメージが想起)
1967 悟空の大冒険(この三蔵法師に似ていると米島君に指摘された)
1968 ゲゲゲの鬼太郎(畦地君の家で少年マガジンを読みふける)
1968 巨人の星(同上,スポーツ漫画の始まり)

2019年8月27日火曜日

ディリリとパリの時間旅行

平日に妻と行く映画シリーズその1。梅田スカイビルイーストタワー3Fのシネ・リーブルに「ディリリとパリの時間旅行(Dilili a Paris)」を観に行った。日本経済新聞の文化欄か映画欄で紹介されていておもしろそうだったので。フランスアニメーションのミッシェル・オスロ監督による,2018年フランス・ベルギー・ドイツ合作の94分のアニメーション。

紙兎ロペ風の,平面的で対称的な構図を中心としたリアルなデザインと色彩の作品。パリ市街や室内装飾などの一部は実写写真を加工したものが使われている。19世紀末から20世紀初頭までのベル・エポック時代のパリの著名人,マリー・キュリーと娘たち,パスツールエッフェルツェッペリン,印象派の画家達,ルソーピカソロートレック(背が低かったのか),サティドビュッシーサラ・ベルナールエマ・カルヴェなどが登場する。

ストーリーは,ニューカレドニアから密航し,パリ万博の見せ物を演じつつ庇護者の下でしっかりしたフランスの教育を受けている,混血の少女ディリリが主人公だ。物語の発端から突如登場する副主人公の三輪車乗りの青年オレルとともにパリの観光スポットをめぐる冒険が始まる。パリの少女を狙った連続誘拐事件は,男性支配団(非常にストレートな女性差別構造の表現だ)のしわざであり,警視総監などパリ警察のトップもこれにつながっている。権力の腐敗,パリの貧困や差別構造にも目配りされている。

誘拐され,男性支配団によって四つ足椅子(江戸川乱歩を彷彿とさせる)にされていた少女たちを,ディリリと仲間たちがツェッペリンの飛行船で救出し,最後は大団円で終わる。


2019年4月24日水曜日

日本アニメーション映画クラシックス

国立映画アーカイブ旧国立近代美術館フィルムセンター)が管理している,日本アニメーション映画クラシックスは,2017年2月にはできていた。国産アニメーションが誕生して100周年を記念して創られたアーカイブサイトである。

日本の初期のアニメーションが64作品収められている。代表的な作家と作品として,
大石郁雄の『動絵狐狸達引(うごきえこりのたてひき)』(1933年)が紹介されているが,アーカイブには収蔵されておらず,you tubeにある。