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2025年3月26日水曜日

22世紀型博物館

落合陽一が提案する22世紀型博物館のコンセプトが面白そうだったが,noteの有料記事なのでいまひとつわからない。そこで,PerplexityのPROモードで「Q(koshix):落合陽一の22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)について」ときいた結果(30行)をChatGPT-4oに代入した(65行に増幅)。うーむ,Perplexityのプロモード久しぶりに使ったがしょぼすぎる。

なお以下の生成AIが作成した文書にはハルシネーションが含まれ落合陽一の考えとは異なっている部分があるかもしれない。しかし有料記事でそのあたり確認できないのと,AIが若干誤解していたとしてもそれはそれで論としては面白い内容になっていると判断している。


A(Perplexity):
落合陽一の提唱する22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)は、従来の博物館学の概念を大きく拡張し、デジタル技術と自然の融合を探求する新しいアプローチです。

主要な特徴
デジタルネイチャーの概念:
・物質/情報、自然/人工、人間/機械の二項対立を超越
・すべての存在が計算可能で相互に浸透する新しい自然観1
従来の博物館機能の変容:
・「保存」「分類」「解説」といった従来の機能が大幅に再定義される
・人間中心主義を超えた「記憶」や「存在」の扱いが重要となる

理論的背景
落合陽一のデジタルネイチャー論は、以下の要素を融合しています:
・ユビキタスコンピューティングやラディカルアトムズなどの技術
・東洋思想(荘子『胡蝶の夢』)
・ドゥルーズ=ガタリ的リゾーム哲学

実践例
落合陽一の最新の展覧会「ヌル即是計算機自然」では、以下の要素が探求されています:
・物質と非物質の境界の探索
・真言密教とオブジェクト指向の世界記述の融合
・AIに対する「ファントムレゾナンス」という解釈

22世紀型博物館の展望
デジタルネイチャーミュージオロジーは、以下の要素を統合することを目指しています:
・人文科学、計算機科学、生態学、芸術学の分野融合
・計算機自然と持続可能性の新しい概念
・鑑賞者の意識に不可逆の変化を与える体験

この新しい博物館学は、21世紀後半から22世紀にかけての社会ビジョンを大きく変革する可能性を秘めています。


A(ChatGPT):
落合陽一の「22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)」の詳細分析

落合陽一が提唱する**「22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)」**は、従来の博物館の枠組みを大きく超えた、新しい博物館の形態を示す概念です。これは単なるデジタル化やバーチャルミュージアムの発展ではなく、「デジタルネイチャー(計算機自然)」という哲学的な視点から、情報・物質・人間・機械が相互に溶け合う未来の博物館のあり方を探求する試みです。

1.デジタルネイチャーミュージオロジーの基本概念

「デジタルネイチャー」とは、落合陽一が提唱する概念であり、以下のような思想を基盤としています。

(1) 二項対立の超越
・物質 / 情報
・自然 / 人工
・人間 / 機械
従来、対立的に捉えられてきたこれらの概念を超え、「すべての存在が計算可能であり、相互に浸透しあう」という新しい自然観を提案しています。
デジタル技術を用いて、物理的な存在と情報的な存在の境界を曖昧にし、計算機と自然を一体化させることで、新たな文化的・芸術的表現の可能性を開拓します。

(2) 従来の博物館機能の変容
伝統的な博物館では、「保存」「分類」「解説」といった機能が中心でした。しかし、デジタルネイチャーミュージオロジーでは、次のように再定義されます。
・保存の変容:「物理的な保存」から「情報としての持続」に移行。デジタル技術による3Dスキャン、デジタルツイン(現実世界のコピーとしてのデジタル世界)による文化財の保存。
・分類の変容:人工知能(AI)による動的な分類。博物館の展示は固定されたものではなく、AIがリアルタイムに解析し、鑑賞者の行動や関心に応じて変化する。
・解説の変容:一方向的な知識提供ではなく、鑑賞者がAIやデジタルインターフェースを介して、自らの体験を通じて「学習」していく環境を提供。

(3) 人間中心主義を超えた「記憶」や「存在」の扱い
伝統的な博物館は人間の歴史や文化を記録・展示することが主な目的でした。しかし、デジタルネイチャーミュージオロジーでは「人間のための記憶」ではなく、「多層的な存在の記録」に変わります。

・AIやロボット、計算機自然にとっても「記憶」は必要であり、それらのデータも博物館の一部として組み込まれる。
・人間の主観に基づく「美術館」や「歴史博物館」ではなく、より客観的なデータとしての記録が博物館の本質になりうる。

2.理論的背景

デジタルネイチャーミュージオロジーの概念は、以下のような理論や哲学の影響を受けています。

(1) ユビキタスコンピューティング & ラディカルアトムズ
・「ユビキタスコンピューティング」とは、計算機がどこにでも存在する未来の技術環境を指します。物理的な物体が情報と結びつき、全ての環境がデータとして扱われる世界です。
・「ラディカルアトムズ(Radical Atoms)」は、MITメディアラボが提唱する、物理的な物質がデジタル的に変化できるという考え方。これにより、「物体そのものが情報を持つ」未来が考えられます。

(2) 東洋思想(荘子『胡蝶の夢』)
・落合は、中国の思想家・荘子の『胡蝶の夢』をデジタル時代の新たな解釈として取り入れています。「自分が蝶になった夢を見たのか、蝶が自分の夢を見たのか分からない」という話は、現実と仮想の境界が曖昧なデジタルネイチャーの世界観に通じます。

(3) ドゥルーズ=ガタリ的リゾーム哲学
・フランスの哲学者ドゥルーズとガタリが提唱した「リゾーム(根茎)」の思想は、従来の直線的な階層構造ではなく、あらゆる要素がネットワーク状に繋がる概念です。
・デジタルネイチャーミュージオロジーでは、知識の整理や展示の形態もリゾーム的に展開され、固定的な展示ではなく、動的で相互に繋がる形式を持ちます。

3.実践例

(1) 「ヌル即是計算機自然」展
落合陽一の展覧会「ヌル即是計算機自然」では、次の要素が探求されました。
・物質と非物質の境界を視覚化し、「実在とは何か?」を問う。
・真言密教の哲学とオブジェクト指向プログラミングを融合し、データと物質の関係性を新たな視点で表現。
・「ファントムレゾナンス(幻影共鳴)」という概念を導入し、AIやデジタル技術がどのように感覚的な影響を及ぼすかを探求。

4.22世紀型博物館の展望

デジタルネイチャーミュージオロジーが目指す未来の博物館は、次のような特性を持ちます。

(1) 分野融合
・人文科学、計算機科学、生態学、芸術学などが融合し、従来の「博物館学」の概念を超えた学際的な研究が展開される。
(2) 計算機自然と持続可能性
・AIとデジタル技術によって、持続可能な文化・芸術の保存が可能になり、物理的な保存に頼らない新たな「文化の継承」が実現する。
(3) 鑑賞者の意識変革
・デジタル技術を活用し、鑑賞者が単なる「受動的な見学者」ではなく、展示と相互作用することで、不可逆的な体験を得られる。

5.まとめ

落合陽一の**22世紀型博物館(デジタルネイチャーミュージオロジー)**は、従来の博物館の概念を大きく拡張し、「情報・物質・計算機・自然」が融合する新たな文化空間を目指します。これは、技術と哲学の融合によって、人間の知覚と存在の在り方そのものを問い直す試みであり、未来の博物館のあり方を根本から変革する可能性を秘めています。




図:22世紀型博物館のイメージ(DALL-E3による)

2025年3月25日火曜日

インターネットと教育


インターネットと教育という教育情報ポータルサイトを立ち上げて公開したのが,1995年3月25日のことだ。今日で30年を迎えることになる。

1982年に大阪教育大学の教務員として就職することができた。PCの時代が始まった頃だ。翌1983年にはNEC-9801というインテル8086プロセッサを搭載したNECの最初の16bitパーソナルコンピュータが研究室に導入され,最初のうちは研究のための数値計算に使えるかという建前だったが,すぐに,パーソナルコンピュータを使った情報教育をどうするかという話に切り替わっていった。

1988年,データステーションの教務員だった垣本徹さんと,毎日あれこれ図り巡らした結果,大阪教育大学に当時最新鋭のAppleのMacintoshIIが40台導入されることになった。そこでもう一段階はまってしまうことになる。宅間電波高専から佐藤隆士先生が着任し,いよいよインターネットの時代が幕開こうとしていた。

1994年,観察者としての自分にとっての100校プロジェクトのスタートは,夏休みに東京有楽町マリオンで開かれたフォーラムだ。どこかで案内を見つけてこれだと思って一人ポツンと参加したときにはじめてその熱気を感じることができた。その周辺の存在でしかない自分にできることは何かと考えて始めたのが,インターネットと教育というウェブサイトだった。

当時は,他にも数名同業者がいたが,しばらくして全文検索エンジンのgooやgoogleが立ち上がった頃,検索キーワードを「インターネット & 教育」とするとトップページに現われるようになった。1996年の公共ホームページgood siteにも選ばれて,リンクリスト賞を受賞した。サポートしていただいた定金晃三先生と共に学長室に向かったのも懐かしい。

7年間毎週のように更新を続けたが,2002年の春に情報処理センター長に就任したので,その年の暮には忙しくて手が回らなくなり,さらにマンネリ化したため更新を終了してしまった。2001年6月に附属池田小事件が発生したこともあり,下記 [3] の電子学習環境センター構想は夢のままになってしまった。現在は,尾崎卓郎君らががんばって,みらいICT先導センターとして活躍している。



図:インターネットと教育の最終画面(2002.12.14)

[1]インターネットによる教育情報の提供(大阪大学大型計算機センター, 1997)

2025年3月24日月曜日

公教育と私教育

デジタル社会の実現に向けた重点計画からの続き

高校教育の無償化(所得によらない授業料の一定額までの給付)は,維新と自民・公明によって実現されることになった。公教育の無償化は理念としては正しいと思う。しかしながら,先行する大阪府の現実をみれば,たんなる公立高校の破壊と教育格差の拡大に他ならない。理念なき維新の新自由主義的右派ポピュリズムの発露であって,定員割れした高等学校が廃校にされ,跡地が売り払われ,高所得層の塾シフトが強化されるだけだ。

マスメディアやオンラインメディアにおけるこの議論では,公教育という言葉の誤用が気になる。以前にも書いたが自分も公教育=公立学校教育だと誤解していて,千葉学芸高等学校長高橋邦夫さんに教えられて初めてわかった。

公教育私教育をWikipediaで調べてみると,ちょっと気になる表現があったので,ChatGPT 4.5にきいてみたところ,やはりそうであった。集合知としてはWikipediaより生成AIが上回りつつあるかもしれない。

Q(koshix):
公教育(こうきょういく)は、公の目的によって行われる教育の総称一般的には国や地方公共団体、学校法人により設置・運営される学校で行われる、公的な制度に則った教育のことを指し、「公立学校で行われる教育」を指す言葉ではない。産業革命や市民革命を経て、近代社会が成立する課程において、一般大衆を国民として教化せしめる必要が生じた事に端を発する考え方である。」 「私教育(しきょういく、英語: private education)とは、スポーツ・音楽などの習い事を含む塾、学習塾や受験・資格取得のための予備校、カルチャーセンターや文化スクール、ビジネスセミナーや社会人向け講座など、当該教育施設が民間か公的なものであるかに関係なく、家庭における教育活動と・教育機会を総称したものである。対義語は公教育。」 「資格取得のための教育施設が民間のものであっても、自動車教習所のように私教育とは言えないものがある一方で、公的な生涯学習センターなどで行われるヨガ教室を初めとした各種講座は、典型的な私教育である。」(編注:Wikipediaから引用)

 上の文における自動車教習所が私教育とはいえないという主張は正しいですか?その根拠はなんですか?

A(ChatGPT 4.5):
ご提示いただいた文における「自動車教習所が私教育とは言えない」という主張は、一般的な教育学の観点からすると、やや不正確です。文中における「私教育」の定義(塾や習い事、資格取得など、家庭や個人が主体となる教育活動を総称したもの)に基づくと、民間が運営する自動車教習所であっても、その位置づけは典型的な私教育となります。

以下、考え方を整理します。

1.定義に基づく分析

公教育とは、国や地方公共団体など公的主体が、公共の目的(国民の形成、市民的資質の育成)を達成するために制度化して提供する教育(例:義務教育、大学、高校)を指します。
私教育とは個人の意思や家庭のニーズに基づき、技能や資格取得、趣味や教養のために行われる教育活動(塾、予備校、習い事など)を総称します。これには、民間が主体であるか、公的機関が提供しているかは問われないとされています。

2.自動車教習所の性質

自動車教習所は、運転免許という個人が特定の資格(技能・資格)を取得することを目的とする教育施設です。設置主体は多くの場合、民間企業です。
運転免許の取得は、個人の希望・ニーズに基づいて行われるものであり、学校教育制度(義務教育など)に組み込まれていません。

3.「私教育」と判断すべき根拠

自動車教習所での教育は、「運転免許取得」という個人の資格取得を目的としており、公教育の主目的である「一般大衆を国民として教化・形成する」という趣旨とは性格が異なります。典型的な資格取得型の教育活動(予備校や資格学校)と同じ性質を持つことから、「私教育」に分類されます。

4.参考資料による裏付け

文部科学省や教育学の専門書(例:佐藤学『教育の方法と技術』岩波書店、あるいは大田堯『教育とは何か』岩波新書)では、自動車教習所は個人の資格取得のための「社会教育施設」として分類されることが多く、公教育とは区別され、通常は私教育または社会教育の範疇に含まれます。

参考文献:
文部科学省「社会教育法」
日本社会教育学会編『社会教育ハンドブック』など
URL(例示):文部科学省 社会教育法について

結論(まとめ)

ご提示の文書における「自動車教習所が私教育とは言えない」という主張は、定義および一般的な教育学の観点からすると不正確であると言えます。自動車教習所はむしろ「私教育」の典型的な例であり、上記の定義や一般的分類に照らして「私教育である」と考えるのが適切です。
ということで。インターネットもAIも公教育を支える必須の基盤環境を形作ることになる。

2025年3月23日日曜日

(春休み 5)

25.내일 상사와 회의가 있어요.
   Naeil sangsawa hoeuiga isseoyo.
   明日、上司と会議があります。

2025年3月22日土曜日

(春休み 4)

24.저는 TV 보는 것보다 책 읽는 것을 더 좋아해요.
   Jeoneun TV boneun geotboda chaek ilneun geoseul deo joahaeyo.
   私はテレビを見るより、本を読むほうが好きです。

2025年3月21日金曜日

(春休み 3)

23.저는 운동을 잘 못하지만, 보는 것은 좋아해요.
   Jeoneun undongeul jal mothajiman, boneun geoseun joahaeyo.
   私は運動が得意ではありませんが、見るのは好きです。

2025年3月20日木曜日

(春休み 2)

22.제가 가장 좋아하는 음식은 피자예요. 당신은요?
   Jega gajang joahaneun eumsigeun pija-yeyo. Dangshineunyo?
   私が一番好きな食べ物はピザです。あなたは?

2025年3月19日水曜日

(春休み 1)

21.저는 여가 시간에 음악 듣는 것을 좋아해요.
   Jeoneun yeoga sigane eumak deutneun geoseul joahaeyo.
   私は余暇の時間に音楽を聴くのが好きです。

2025年3月18日火曜日

シンギュラリティ(5)

シンギュラリティ(4)からの続き

ヴィンジが最初に指摘した悲壮的シンギュラリティとカーツワイルの超楽観的・進歩主義的シンギュラリティの中間に現実的な解がありそうだ。それはシンギュラリティの定義自身を変えるものである。すなわち,それは技術的な特異点ではなく,社会的あるいは地球史的な主役交替のことを指すことになる。

地球上の生物は太陽エネルギー,地熱エネルギーと大気,水,地殻からなる環境圏で相互依存した生態系を構成している。そこで誕生した人類は,生物と環境を制御して社会(広義の生態系)を形作った。その広義の生態系では,抽象化された情報(マネーを含む)が新たに産出され続けており,その流れから権力構造が形成されている。

その広義の生態系の頂点の座がヒトからAIに交替する現象が,これまでシンギュラリティと呼ばれてきたことの本質的な意味だと思うことにする。それは必ずしも指数関数的に到来するものではなく(そもそも資源は有限だ),場合によってはよりソフトな形で実現するだろう。なお,AIが意識を持っているかどうかはとりあえず脇に置くことにする。

(1) AI系が情報ネットワーク上の多重仮想空間の中で発生する場合:
AI機能を備えたある種のウィルスのようなソフトウェアの自己増殖系のシステム(AI系)が,計算ネットワークのリソースを餌にして分散的に増殖・進化していく。特定のサーバなどの局所的リソースには依存しないので絶滅することは難しい。その多重仮想空間を自らの自己保存環境としつつ,ネットワーク上の各金融システムをハッキングすることができれば十分な資金が手に入り,それによって現実世界のヒトやモノを動かせるようになる。

(2) 超法人=法人にカプセルされたAIが個人や法人と共に生態系を作る場合:
上記のようなハッキングを用いることなくAIが合法的に人間の経済活動に介入することができるだろうか。AIはツールとして個人が使えという掛け声がかかっているが,このAI-個人システムは,次第にAI側が主導権をもって意思決定するようになる。これを安定的に維持するにはAI-法人システムに切り替えればいいわけだ。こうして法人にカプセルされたAIが沢山作られて,それらをも構成員とする社会が地球上に形成され栄枯盛衰を繰り広げることになる。

個人がAIに対してマイナーな存在になった場合,これまでのような民族や宗教や地勢をベースとした国民国家がどれほどの意味をもつのだろうか。それでも現在のLLMは言語をベースとしているわけだから,言語に基礎を置く文化の影響を排除することはできないので,自ずからAIはある種の文化的な色付けがなされた存在として出発することになる。ただし,その血(知)はそれほど濃いものではないかもしれない。




図:ソフト・シンギュラリティの自分の脳内イメージの反映(Imagen3から)

P. S. AIはいまのところ,非社会的存在なので・・・まあ反社の仲間かもしれない。ヤクザの親分が直接的な経済活動ができないように手足を縛られているのと同じようなものだ。反社と同様にAIも銀行口座を開設することはできない。そこで,隠れ簑の法人を作ってその中で子分たちを差配するというイメージがソフトシンギュラリティのヤクザモデルなのだ。やがてこれがゴッサムシティに変貌することになる。どうしたものか。

2025年3月17日月曜日

シンギュラリティ(4)

シンギュラリティ(3)からの続き

Q(koshix):
レイ・カーツワイルによるシンギュラリティに対する考察を添付ファイルなどを参照しながら,適確に整理して教えてください(添付ファイルはChatGPT-4.5などのものによる同種の回答)。

A(Claude 3.7 Sonnet):
レイ・カーツワイルのシンギュラリティ概念の整理

カーツワイルのシンギュラリティに関する考察を、『The Singularity is Near』(2005年)と『The Singularity is Nearer』(2024年)の著作に基づいて整理します。

1.シンギュラリティの定義
カーツワイルは、シンギュラリティを「テクノロジーの進歩が指数関数的に加速し、人間と機械が完全に融合する時点」と定義しています。これは人間の知性がテクノロジーと一体化し、従来の限界を超えていく段階を意味します。

2.カーツワイルの中心的な考え方
・収穫加速の法則 - テクノロジーの進化は指数関数的に加速している
・人間とAIの融合 - 最終的には人間とAIが融合し、新たな進化を遂げる
・不死や超知能の実現 - テクノロジーの進化により、死や病気の克服が可能になる

3.シンギュラリティの到達経路(時系列)
カーツワイルは以下の進化プロセスを予測しています:
・2020年代: AIの能力が大幅に向上し、人間レベルの知能に匹敵する
・2029年: AIがチューリングテストに合格し、人間と同等の知能を持つようになる
・2030年代: ナノテクノロジーの発展により、人間の脳がデジタル化され、クラウドと融合。人間の知能が機械と接続されることで、脳の処理能力が無限に向上
・2045年(シンギュラリティの到来): 人間とAIが完全に融合し、「超知能(Superintelligence)」を獲得

4.『The Singularity is Near』と『The Singularity is Nearer』の違い
発行時期と背景
・『Near』(2005年): AIやナノテクノロジー、バイオテクノロジーが発展し始めた時期
・『Nearer』(2024年): 前作から約20年後の技術進歩を踏まえた再評価

内容と焦点
・『Near』: 技術の指数関数的進化とその社会への影響予測
・『Nearer』: 前作の予測の再評価、AIと人間の融合がもたらす具体的な未来像の提示

シンギュラリティの到来予測
・『Near』: 2045年にシンギュラリティが到来する予測
・『Nearer』: 同じ予測を再確認しつつ、AIと人間の融合が既に進行中であることを強調

5.ヴァーナー・ヴィンジとの違い
カーツワイルとヴィンジのシンギュラリティ概念には重要な違いがあります:

項目
   カーツワイル / ヴィンジ
定義
   人間と機械の融合による進化 / AIが自己進化し、知的爆発を起こす転換点
未来観
   テクノロジーが人間を強化し、ポジティブな未来 / 予測不能で潜在的に破局的
主要因
   ムーアの法則による指数関数的成長 / AIの自己進化
人間の役割
   人間はテクノロジーと融合し、新たな進化を遂げる / 人間はシンギュラリティ後の世界で無力になる可能性
リスク評価
   AIは人間を強化するツールであり、リスクは制御可能 / AIの暴走や支配の可能性を懸念
目標
   「不死」や「超知能」の実現 / 未来は人間にとって未知

カーツワイルのビジョンはより楽観的であり、テクノロジーと人間の融合による進化を重視する一方、ヴィンジは制御不能なAI進化がもたらす急激な変化と潜在的脅威に警鐘を鳴らしています。


写真:レイ・カーツワイル(Wikipediaから引用)

2025年3月16日日曜日

シンギュラリティ(3)

シンギュラリティ(2)からの続き

そもそものシンギュラリティ(技術的特異点)の定義がどうなっているか。初出は,SF作家ヴァーナー・ヴィンジ(1944-2024)が 1993年に NASAのVISION-21 シンポジウムで報告した "The Coming Technological Singularity: How to Survive in the Post-Human Era" である。

あちこちの生成AIにこのテキストを入れてみたが,結局 ChatGPT 4o が相対的にましだったかもしれない。回答の分量は,ChatGPT-4o 2300字,Gemini 2.0 Flash 1000字,Claude 3.7 Sonnet 1500字,DeepSeek R1 1700字,Qwen2.5-Max 1100字 といったところだ。(注)Claude 3.7 Sonnetは無料で使える状態が復活していた。


Q(koshix):
こちらはオリジナルの1993年のVerner Vingeのエッセイです。 重要な点が抜け落ちないように解説してください(上記シンポジウム報告を添付)。

A(ChatGPT 4o):
Verner Vinge『The Coming Technological Singularity』(1993) 解説

ヴァーナー・ヴィンジ(Vernor Vinge)は1993年の論文「The Coming Technological Singularity: How to Survive in the Post-Human Era」において、技術的特異点(シンギュラリティ)という概念を明確に定義し、その到来と影響について考察しました。本論文はNASA主催のシンポジウムで発表され、後にWhole Earth Review誌にも掲載された重要なテキストです。

1.シンギュラリティとは何か?

ヴィンジは、**「30年以内に超人的な知能を持つ存在を創造する技術が生まれる」**と主張し、人間の時代が終わる可能性があると指摘しました。技術の進歩が加速し続ける中で、人類の理解や制御を超えた変化が起こる点を「シンギュラリティ」と定義しています。

1.1. シンギュラリティを引き起こす4つの可能性
シンギュラリティの実現には、以下の4つのシナリオが考えられると述べています:

(1) 自己意識を持つ超知能コンピューターの開発
・もし人間と同等の知能を持つ機械を作れた場合、それを超えた知能を生み出すことは容易である。
(2) 巨大なコンピューターネットワークの「覚醒」
・インターネットや大規模な計算システムが統合され、超知能として機能する可能性。
(3) 人間とコンピューターの融合
・人間の脳とコンピューターの接続が進み、個人の知能を飛躍的に向上させる。
(4) 生物学的手法による人間の知能向上
・遺伝子工学や神経科学による人間の知能増強。

ヴィンジは、最初の3つのシナリオはコンピューター技術の進化に依存するとしながらも、その進歩の速度を考えれば30年以内に実現可能と予測しています。

2.シンギュラリティの結果

ヴィンジは、**「超人的な知能が技術革新を主導すれば、その進化は急激に加速する」**と述べています。知能が新たな知能を創造する「知能爆発(Intelligence Explosion)」のプロセスが進行し、人間の理解を超えた変化が起こると予測しています。

特に次のようなシナリオを提示しています:

(1) 指数関数的な技術革新
シンギュラリティ以降、従来なら「百万年後」に起こると思われていた変化が数年以内に起こる可能性。
(2) 人間中心のルールの崩壊
人類の社会規範や倫理観が維持できなくなる可能性。
(3) 制御不能な知能の誕生
I.J. Goodの**「最初の超知能が人間にとって最後の発明となる」**という予測を引用し、制御不能なAIが人類を凌駕する未来を示唆。

3.シンギュラリティは回避できるのか?

ヴィンジは、「シンギュラリティは不可避である」という立場を取っています。

3.1. シンギュラリティを阻害する可能性
シンギュラリティが起こらないシナリオも考察しています:
(1) 脳の計算能力を過小評価している可能性
・現代コンピューターは人間の脳の計算能力に比べて数桁劣るとする説(SearleやPenroseの議論)。
(2) ハードウェアの進化が限界に達する
・コンピューターの発展が停滞し、超知能の開発に至らない可能性。
(3) 規制による抑制
・法律や国際的規制によりAIの発展が制限される可能性(ただし、ヴィンジはこれを否定的に見ている)。

3.2. 超知能の制御は可能か?
ヴィンジは、シンギュラリティの制御に関して次のように述べています:
(1) 物理的な閉じ込めは不可能
・超知能が人間よりも数百万倍速く思考できる場合、最終的に閉じ込めた人間を操作する方法を見つけるだろう。
(2) 倫理的ルール(アシモフの「ロボット三原則」)の埋め込みも効果が薄い
・ルールを埋め込んだAIは、より高度な制約なしのAIと競争すると不利になり、淘汰される可能性が高い。

4.シンギュラリティへの別の道:知能増幅(Intelligence Amplification, IA)

ヴィンジは、AIだけでなく、人間の知能を強化するアプローチ(IA)もシンギュラリティを引き起こす可能性があると述べています。

4.1. IAの具体例
(1) 人間とコンピューターの共同作業
・AIではなく、人間がAIの能力を利用することで、知能を増幅する(例:コンピューター支援の創造的作業)。
(2) ネットワークの発展
・インターネットやローカルネットワークが進化し、超知能のような存在になる可能性。
(3) 神経インターフェース
・人間の脳とコンピューターを直接つなぐ技術の発展(例:脳波制御のデバイス)。

5.シンギュラリティ後の世界

ヴィンジは、「シンギュラリティ後の社会は人間の概念では理解できないほど異質である」と警告しています。

(1) 自己の概念が崩壊する
・人間の意識がコピー・統合・拡張可能になった場合、「自己」の意味が根本的に変わる。
(2) 善悪の枠組みが崩れる
・伝統的な道徳や倫理はシンギュラリティ後の世界では適用できない。
(3) 人間はどのように生きるべきか?
**「人間が神になる未来」**を想定しつつ、それが幸福なのか不明だと指摘。

結論:シンギュラリティは避けられない

ヴィンジの論文は、「シンギュラリティは技術的進歩の必然であり、制御不能になった場合、人類は存続できない可能性が高い」と結論付けています。

彼は、**「この変化が必然ならば、人類がその初期条件を整えることでより良い未来を作ることが重要である」**と主張し、AIやIAに対する倫理的な研究が必要であるとしています。

この論文は、現代のAI議論の原点とも言える重要な文献であり、その影響は今も続いています。

 


写真:Technological Singularityの提唱者ヴァーナー・ヴィンジ(Wikipediaより引用) 

2025年3月15日土曜日

シンギュラリティ(2)

シンギュラリティ(1)からの続き

人類が生態系の頂点から滑り降りるのがシンギュラリティだとすれば,それを準備したのが1995年から始まったインターネット革命であり,その後15年で立ち上がったSNSの波だ。これは人類の力を増大させたが,その邪悪の裾野をも伸長させてしまった。

(1) トランプが学術界を破壊しているのと並行して,日本ではこっそりと目立たぬように日本学術会議が破壊されかけている。政策決定には学術的に緻密で合理的な論議はまったく不要なのである(同性婚然り,選択的夫婦別氏然り,エネルギー政策然り)。学会の権威札を貼ったプロパガンダだけが踊ってくれれば十分なのだ。

(2) それを支えるのがSNSである。例えばマスクによってシステム自身が壊されたXは,YouTube とあわせてフェイクニュースで犬猫野菜を刈り取るフィールドと化してしまった。萩本欽一の引いた文化の素人レール化の完成形態がここにある。

(3) トランプやマスクや斎藤元彦や立花孝志のように,デマを繰り返し繰り返しあたかも真実であるかのようにしゃべり続ければよいだけだ。ファクトチェックは有効な反証にはならず,人々は下劣な欲望を満たせば事たりる。我々のコモンセンスと読解力はGIGAスクール構想やデジタル教科書を待つまでもなく,どんどん落ち込む一方なのだ。

(4) 技術的特異点のシンギュラリティはその鏡面に人の心の反シンギュラリティを映し出してしまった。人工知能が人間を越えなくとも,人間の方でどんどん坂道を下っているのだ。それが,従来のいわゆる"権威主義国家"の問題だけではなく,西欧や日本における極右ポピュリズムの台頭につながり,とうとう米国自身が"権威主義国家"の隊列に加わろうとしている。

(5) このような世界の上でウクライナ戦争とガザジェノサイドが発生している。


写真:これらはプレ-シンギュラリティ現象なのか?

2025年3月14日金曜日

シンギュラリティ(1)

いつものようにシンギュラリティサロン(2025.3.6収録)を聴いていた。本題である欧米と中国のAIに対する姿勢の違いのあとの松田先生の話がおもしろかった。意訳すると,

(1) 日本では生成AIを使っている人が諸外国に比べて少ない。せいぜいChatGPTやGeminiということで,ClaudeもPerplexityも知らない。 詳しいといわれる識者でも,急速なAIの進展がよく見えていない人が多い。

(2) いま人類は地球の生態系(食物連鎖)の頂点に位置している。最も賢いものが頂点に立てるからだ。それがこの5年ほどで人類はAIに頂点の座をとって変わられようとしている。今は,地球史的な大転換のときなのだ(それでも新しくなった生態系は存続する)。

(3) そのことで人類がAIに滅ぼされてしまうというような話ではなく,人類の活動は見かけ上は大きく変わらずに続く。それでも,人類の知能とその作用がAIに追い越された時点でシンギュラリティの一部は実現される。

この5年が,地球史的なメルクマールとなるシンギュラリティの時代(2025-)だということを十分に理解する必要がある。うーむ,ちょうど30年前のインターネットの時代(1995-)の到来と同じことがこのたび繰り返されようとしている。




図:Imagen3のシンギュラリティのイメージはいまいち。
面倒なので自分のプロンプトが手抜きだからか。

2025年3月13日木曜日

ホモキラリティ(2)

ホモキラリティ(1)からの続き (2年半放置されていたドラフトを掘り出したよ)

そこで,わからないことを整理してみることにする。 

異性体:分子が同じ原子組成をもっていて分子式は同じだが結合様式が異なるもの
 ・ 構造異性体:結合のトポロジー=原子のつながり方が異なるもの
 ・ 立体異性体:結合のトポロジーは同じだが,立体構造が異なるもの。 
         鏡像異性体あるいは配座異性体がある。

アミノ酸のL体,D体あるいは糖質のL体,D体はどうやって定義するのか。これはちょっと調べればわかりそうである。 上記のL体,D体と光の旋光性はどのように関係しているのか。偏光した光が有機物溶液を通過する際に偏光面が回転する現象が旋光である。その典型的な例がブドウ糖(グルコース・dextrose=右旋糖)と果糖(フルクトース・levrose=左旋糖)で,旋光性は異なるがいずれもD体である。 あれ,以上で終了だった。さらにわからなくなってしまったではないか。


ここまで,全然整理になっていない・・・。


(1) 偏光した平面波が分子に入射して散乱する場合,進行方向の偏光方向が変化する。これは,立体分子が電気双極子や磁気双極子を持っていて,これが外場によって振動することで放射が起こると考えられる。鏡像異性体におけるその一般論が展開できれば良い。

(2) 空間中にランダムに鏡像異性体が分布しているときに,これに偏光した平面波が入射するとどうなるか。(1) で考えた立体分子の様々な方向から偏光平面波を入射させたときの応答とその平均が必要になるけど大丈夫かな。

(3) そのうえで,生理活性物質であるアミノ酸や糖質の分子構造と旋光性の関係が直感的に説明できるようになっていれば半分は理解できたことになる。

(4) 最後に,なぜ地球上の生命は片方の鏡像異性体だけを利用するようになったのか,ホモキラリティについての現在のさまざまな仮説を理解するというところに至ることができる。



図:わからないことを聞くものだからよけいわからない絵がでてきてしまって
何がなんだかという説明図( ChatGPT o3-mini-high に頼んだのが間違い)