芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2024年5月29日水曜日
一乗谷朝倉氏遺跡博物館
2024年5月8日水曜日
あのベンチ
2023年5月24日水曜日
渦潮
2022年7月5日火曜日
てらまちや風心庵
日経朝刊の文化欄をみていたら,「かなざわ風鈴」という言葉が目に入った。著者は金沢工業大学の土田義郎先生で,環境心理,サウンドスケープの専門家だ。音が出る玩具や雑貨の収集をはじめていたが,2013年に正方形の紙を組み合わせたかなざわ風鈴を考案した。
2017年には,寺町の町家再生プロジェクトの一環として,古民家を再生したゲストハウス「てらまちや風心庵」をオープンしており,そこで収集した風鈴が展示されている。地図でしらべると,昔,大叔父の越桐與三次郎さん(あじちのおじさん)が住んでいた家の近くだった。数年前に亡くなった母が入院していた石田病院からも近く,新規開店した中華料理屋に入ったが,その数軒となりだ。
1棟貸しで,1泊平日6400円~(5名利用の1名),休前日7949円~(5名利用の1名),風鈴制作・灯り制作1名1600円なのでなかなかリーズナブルかもしれない。
2022年6月24日金曜日
沖縄「慰霊の日」
6月23日は,沖縄戦(1945.3.26-1945.9.7)から77年目(ななじゅうしちねんめ)を迎える「慰霊の日」だった。NHKでは左手に情緒的で反戦的なエピソードを積み上げつつ,右手では"防衛費"の増額と憲法の"改正"があたかも既定路線であって,なんの問題もないかのような印象操作を続けている。
さて,6月23日という日付は,なんとなく,沖縄戦で米軍が勝ち日本軍が負けた日なのかと思いこんでいたが,そんな単純なことでもなかった。沖縄戦を戦った第32軍の司令官の牛島満(1887-1945)と参謀の長勇(1895-1945)が自決して,日本軍の組織的な戦闘ができなくなった日だった。降伏の手続きを経なかったので掃討戦は継続し,6月23日以降にも多くの人命が失われた。7月2日には,連合国軍が終了宣言を出したものの,降伏調印式が行われたのは9月7日だった。
昭和19年の沖縄の人口は59万人,昭和21年には51万人に減っている。沖縄県による沖縄戦戦没者の推計によれば,全戦没者20万人(平和の礎には24万人が刻まれる),軍人軍属9.4万,一般県民9.4万,米軍1.3万とある。沖縄出身の軍人軍属と県民を合わせれば,12.2万人であり,県民全体の1/4近くに達している。
1977年夏の米島君との沖縄旅行については少し書いた。民宿に一泊した次の日に,南部戦跡をめぐるバスツアーに参加した。途中で,日本軍の地下壕の跡に立ち寄ったのだが,それが,豊見城市の旧海軍指令壕だった。ここでも6月13日に海軍司令官の大田実が自決している。その後ひめゆりの塔に向かったはずだがあまりはっきりおぼえていない。
金沢の卯辰山には,殉難豊川女子挺身隊の像がある。高校相撲大会の応援のときに,それをみながら米島君が,日本でミュージカルをつくるならばテーマはひめゆりの塔だと力説していた。そのとき自分はピンと来ていなかったが,数年後にはいっしょに沖縄を訪れることになった。
2022年6月21日火曜日
ギフテッド
日曜の朝,親戚の一統さんからFacebook Messageが入っていた。姪の鈴木涼美が芥川賞候補になったというのだ。自分からすると,鈴木涼美は祖父のいとこのひ孫にあたる(かなり遠い・・・)。
さっそく鈴木涼美を調べてみると,父が鈴木晶,母が灰島かりとあった。なんだ人違いじゃないのと思ったが,よくよく確かめると自分の知っている遠い親戚の本名に行き着いた。私の祖父である越桐弥太郎のいとこが越桐信で,その娘が鈴木千恵子さんだ。そのファミリーだった。
1965年,小学校6年の夏休み,家族全員で東京旅行するという企画がもちあがった。妹が小学校4年と1年のころ。父にどこに行きたいか聞かれて,東京タワーと国立科学博物館をあげた。寝台列車で東京に向かい,ひとあたり東京の街を回って,大田区にあった鈴木千恵子さんのお宅に泊めてもらう。千恵子さんには息子と娘がいて,中学生と小学生だった。その妹の部屋で本を見せてもらったが,雨月物語があった。お兄ちゃん(=鈴木晶)と話した記憶はあまりない。
日本橋の白木屋デパートで食べた天ぷらそばがおいしくてびっくりしたこと,千恵子さんが予定になかった後楽園遊園地にいっしょに行こうと提案してくれて,乗り物が楽しかったこと,科学博物館のミイラには驚いたが,時間が足りなくて全館回りきれなくて残念だったことなどなど。
千恵子さんが旅行で金沢に来て家に泊まっていったこともある。お兄ちゃんは勉強がよくできて,東大に入ったいう話だったが,今では,舞踊評論家,舞踊史家,翻訳家として多くの著作がある有名な先生だった。
2022年5月30日月曜日
友ヶ島
コロナ禍で中断していたファミリーツアーが再開したので,久々の旅行で紀州へ向かった。
目的地の一つが紀淡海峡にあり,和歌山と淡路島の間に位置する友ヶ島だ。明治22年(1889年)に大阪湾を防御するために,由良要塞の建設が始まった。日清戦争が明治27年(1894年),日露戦争が明治37年(1904年),その時代のことだ。
由良要塞は,淡路島の由良地区,友ヶ島地区(沖ノ島+虎島),紀伊半島の加太・深山地区から成り立ち,その後,四国の鳴門地区も編入された。このうちの,深山砲台群と友ヶ島砲台群を訪れた。友ヶ島はラピュタのイメージ島として宣伝されているが,現地ではそんな宣伝臭はあまりない。林の中の廃虚となったレンガ造の雰囲気や,砲台跡の地下の弾薬庫跡の暗闇などなかなかおもしろかった。
友ヶ島へは,加太港から友ヶ島汽船の定期便が一日4往復の運行をしている。2隻の船(ともがしま号・友ヶ島V号)が片道20分ほどで加太と友ヶ島を行き来する。連休や土日はかなりの賑わいが戻ってきており,時間通りに乗船場にいくと2時間待ちなどざららしい。事前の予約システムはなく,現地の窓口でおばちゃんから物理的な整理券をもらって,並んだ順に切符が購入できる仕組みだ。
ところが,乗客が増えると時刻表はほとんど関係なくて,始発前に臨時便は出るは,臨機応変にピストン輸送モードに切り替わるは,そのアバウトさが大変素晴らしい。もちろん,紀伊水道の内側の大阪湾内とはいえ安全面の配慮は十分だと思われる。
近ごろは,なんでもかんでもネットでの予約システムを使うことになっている。人間の判断の余地を極限まで少なくして,機械に最適化を頼りながらフレキシビリティを追求するというのが流行りなのだ。自動車のナビや自動運転もその延長線上にある。しかし,友ヶ島汽船の古典的なおばちゃん力と船長の力強い柁捌きには一日の長があるように見えた。
2020年8月21日金曜日
グリフィス記念館
足羽川沿いの宿のすぐそばに福井市グリフィス記念館があった。ウィリアム・グリフィス(1843-1928)は,明治維新の頃,ラトガース大学で福井藩士の日下部太郎と出会ったのを契機に,1870年に来日して福井藩校の教師となる。この記念館は,その当時外国人教師のための居住用としていた建物を復元したものである。グリフィスはその後東京大学の前身である開成学校に移籍して,1875年にはアメリカ合衆国に帰国し,日本を紹介する「皇国(The Mikado's Empire)」を執筆する。亡くなる前年の1927年には日本を再訪し,福井でも大歓迎を受けた写真が展示されていた。
2020年8月20日木曜日
2020年8月19日水曜日
一乗谷朝倉氏遺跡
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」のせいで, 福井市の一乗谷朝倉氏遺跡への観光客は増えていたようだが,お盆休みの最中にもかかわらず新型コロナウイルス感染症のためにそこまで混雑してはいなかった。が,猛暑炎天下に影のない遺跡を歩き回ることになる。
福井市の中心を流れる足羽川を東に上ってクルマで30分ぐらいのところから南に向う支流の一乗谷川をはさんで南北に3kmにわたって一乗谷朝倉氏遺跡がひろがっている。手前の足羽川沿いには福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館があったがここはパス。当主の館や侍屋敷,寺院,職人や商人の町屋,庭園から道路に至るまで戦国時代の町並みのうち一部が再現されている。こちらは福井市が管理しているようだ。春や秋で行楽シーズンをずらして人が少ないときにゆっくりと散策するのがおすすめ。
2020年8月18日火曜日
かこさとし ふるさと絵本館
ならの大仏さま:かこさとし とつながる
かこさとし ふるさと絵本館「砳」(らく)は,彼の生地である福井県の越前市にあった。敦賀の気比神宮から雨とトンネルの8号線をくぐり抜けてなんとかたどりついた。来場者はほどんどいないが,検温とアルコール消毒ののち連絡先を記帳した。ここでは,かこさとしの作品が収蔵・展示されている。1階には,絵本や紙芝居を読める絵本の部屋,工作のできる遊びの部屋があり,2階には原画や複製原画が展示されていた。館外にはだるまちゃんの遊具などもあって,こじんまりしているがかこさとしファンにはたまらない場所である。近くの8番ラーメン武生店も繁盛していた。
写真:かこさとし ふるさと絵本館の駐車場辺り(2020.8.13)
2020年8月17日月曜日
永平寺
永平寺は福井駅から東にクルマで 30分ぐらいの山中にある。永平寺門前の新しい宿をチェックアウトして土産物屋が並ぶ道をたらたらと上がっていくと右手に寺の入口がある。境内は巨木と苔の絨毯に覆われており,今夏は観光客も少ない。山門をくぐって外から拝観するのかと思っていたらそうではなく,参禅者向けの宿泊施設でもある吉祥閣に誘導された。中に入ってしばらく待っていると,雲水による5分くらいの拝観順案内があって建物の上階に向う。このあたりの雰囲気は天理教の施設内と少し似ている。ここから絵天井のある傘松閣を経由して,僧堂・仏殿・承陽殿・法堂・大庫院・山門と回った。たくさん居るはずの修行僧はどこにいあるのか,写真撮影は禁じられていたけれども,それほど目にすることもなかった。これまでにいろいろと拝観したお寺の中では最も規模が大きいものの一つだろうか。あ,土産物屋のボリュウムも含めれば,モンサンミシェルには負けるかも。その後,てらまえで昼食をとって福井駅に向う。
2020年7月23日木曜日
カリーニングラード
2020年6月25日木曜日
セグウェイ
2019年10月31日木曜日
沖縄
1度目は1977年に,神戸港から真鍋さんペアに見送られながら船で与論島へ向かう米島誠二君との二人旅。与論島に2泊した後の那覇は,沖縄返還後間もない時期で,到着した晩は食べたステーキはアメリカのように?安かった。船を降り,当日の宿泊先を決めていない我々のような旅行者に宿を案内する人が集まってきた。1500円でいいよというおじさんの言葉に誘われて,国際通りの北(辻のあたりだったろうか)の民宿に2泊ほどした。当時は,返還後の1975年に沖縄復興のてこ入れとして沖縄国際海洋博覧会が開かれた後の沖縄旅行ブームが終わり,民宿の経営はたいへんだったのだろう。首里城跡の博物館や,守礼の門まで歩いたような気がする。まだ,首里城の復元は始まっていなかった。帰りも牧志市場から国際通りに向けて歩いて下った。毒のある大きなカタツムリは触らないように注意しなければならない。
2度目は 家族旅行だ。1992年に復元が完成して数年後の首里城を訪れた。子どもたちが小学生の頃だったと思う。宿泊は沖縄中部にあるビーチ(かりゆしビーチ?)のリゾートホテルで,子どもたちと午後から半日海水浴をしただけで,南国の強い日光にやられてしまった。夕食後どんどん体調が悪くなり,水風呂で癒そうとしたが,皮膚呼吸ができずに苦しんだ。翌日,首里城観光へ向ったが,太陽光線を浴びると苦しいので,日陰を選びながらやっとの思いでたどりついた。そんなわけで,首里城の印象より,日焼けで苦しんだ思い出の方が強いのであった。
2019年9月26日木曜日
ミキモト真珠島
養殖アコヤガイによる真円真珠の製法は,御木本幸吉が商業化に成功したが,見瀬立平と西川藤吉が技術を確立し実用化(特許取得)したとされている。これに対して,英国人のウィリアム・サヴィル・ケントが発明したものであることを強調した論説がある。真珠博物館を見ていて,真珠の選別にはロボットとディープラーニングの組み合わせが使えそうだと思ったが,まだ実用化されていないのだろうか。
ミキモト真珠島と関連するのが,三重県出身の江戸川乱歩のパノラマ島奇譚だ。鳥羽には江戸川乱歩館があるが,平日は予約制のようだった。
2019年6月11日火曜日
2019年2月27日水曜日
Sofitel Legend Metropole Hanoi
2016年の5月に家族旅行でベトナムのハノイを訪問した。ハロン湾とハノイ市内の観光である。そのとき,後半の2泊ほどをこのホテルに宿泊した。そのときの写真。
2019年1月2日水曜日
初夢
(1)節分から立春にかけての夜に見る夢
(2)大晦日から元旦にかけての夜に見る夢
(3)元旦から二日にかけての夜に見る夢
(4)二日から三日にかけての夜に見る夢
その昔は(1)で,江戸時代は(4),最近は(3)が多いとある。
自分が子どものころのお正月は一大行事であって,大晦日の夜のお風呂はかなり緊張して身を清め,全身新しい下着に身を包んで気合いを入れ,妹が9時からの紅白歌合戦を見始める前には就寝し,(2)の初夢を見るべく努力していた(宝船の絵は使いません)。
一富士二鷹三茄子は,一姫二太郎三なすび,の隣に記憶されているが,一は曾我兄弟の仇討ち場所の富士の裾野,二は忠臣蔵の浅野家の紋所の鷹,三は伊賀越鍵屋の辻の地場産物の茄子,の日本三大仇討ちシリーズの暗示だ,などという話は子どもには教えてもらえなかった(親も知らなかったのかもしれない)。
P. S. 長女が1歳の頃,家族で伊賀に旅行したときに,伊賀越の漬物をお土産に買ったような気もするが,今見ると茄子はメインにはなっていない。伊賀では金谷にも行きました。伊賀肉の思い出は他にもある。2005年ごろに教育実習の研究授業の参観指導で,三重県の津あたりまで行ったことがある。実習生のK山君の母上が実習先の中学校までわざわざ差し入れを持ってきて下さった。ありがとうございました。
P. P. S. 今年はぎっくり腰のため,寝返りも夜中のトイレもつらく,初夢どころではない。