2026年5月9日土曜日

生成AIと日本 2026


図:日本における生成AIの課題(Nano Banana 2 による)

国際大学グローバルセンターから,Inovation Nippon 研究プロジェクトの報告書として「生成AIと日本 2026」という439ページのレポートが公開された。全編は長いので目次だけ(それでも15ページもある)をChatGPTに投入してもんだ結果をClaudeで整形したものが以下である。

報告書としての質は高いと思うが,問題は,その結論を導くに当たって暗黙に仮定されている前提がどうなっているかということである。その点を検討してもらった結果,この手の公的レポートにありがちな陥穽の一部がうっすらと見えてきた。政府系の調査報告書ならもっと露骨だろう。

それは,官僚の隙のない答弁と共通の構造を持っている。そして,そのような構造を利用しつつ,型破りを見せているのが高市の周辺なのだろう。制度を保存するシステムが行き詰まっているとき,その部分に依拠しながら,その一方で派手で破壊的な活動を進めているところが,閉塞感に苦しんでいる人々の支持を回収しているのかもしれない。

A(ChatGPT +Claude):

『生成Aiと日本 2026』を批判的に読む――生成AI政策研究の前提と限界

生成AIに関する大規模な社会調査報告書を読むとき、まず問うべきは「この報告書は何を明らかにしようとしているか」ではなく、「この報告書はすでに何を前提として出発しているか」である。構造のなかに埋め込まれた暗黙の前提こそが、見えるものと見えないものを決定する。

前提一:生成AIはすでに「導入すべきもの」である

報告書の全体構造は「利用状況→受容決定要因→導入と定着→提言」という流れで組み立てられている。根本の問いは「採用すべきか否か」ではなく、「どうすれば定着させられるか」だ。生成AIはここで、議論の対象である以前に歴史的潮流として所与のものとして措定されている。この前提の強みは現実的であることだが、弱点は**非採用の正当性が見えにくくなる**ことである。「この領域では使わない」という判断は防御的で賢明な選択かもしれないのに、この枠組みでは「導入の遅れ」として読まれやすい。使わない自由が、合理的な選択肢として十分に理論化されていないのだ。

前提二:問題の中心は「個人の認知と心理」にある

リテラシー、信頼、受容、擬人化、幸福感。報告書が測定しようとするのはいずれも人間側の状態変数である。これは社会調査として自然な選択だが、問題を個人側へ還元しやすい。AIの成否を「その人がどれだけ理解しているか」で説明する枠組みは、企業の課金方針、組織の承認フロー、責任回避文化といった構造的要因を背景に退かせてしまう。社会問題を心理変数に翻訳する癖は現代政策研究に典型的だが、構造の暴力性を薄めるという代償を伴う。

前提三:問題は「管理可能」である

ガイドライン整備、透明性・説明責任、安全な利用環境の構築。ここから浮かび上がるのは「運用を整えれば安全に使える」という発想だ。制度・教育・啓発を積み重ねて社会を調整するやり方は日本的には自然だが、もし問題の一部がインセンティブ構造そのもの——低コスト大量導入の圧力、判断責任をAIに転嫁する組織文化、学習データの非対称な収奪——に由来するなら、ガイドラインでは足りない。この報告書は統治の必要性を強く見ているが、**統治不可能性や制度の敗北可能性**は十分には前景化していない。

前提四:生成AIは「社会的便益」を持つ

提言部は「利用機会を広げる」「社会的価値を拡張する」という方向性を打ち出し、全面否定の姿勢はない。これは政策提言として理解できるが、批判的にみればかなり楽観的だ。便益を持つ技術であることと、その便益が社会全体に適切に分配されることはまったく別の問題だからである。企業導入が進んでも利益が上層に集中し、現場は監視と速度圧力だけを引き受けるかもしれない。行政サービスが効率化しても、例外的な弱者ほどシステムからこぼれ落ちるかもしれない。全体のトーンは**慎重な楽観主義**に寄っている。

前提五:格差は「アクセスと能力の差」である

格差が主に利用率や習熟度の差として把握されていることも特徴的だ。しかしより深い問いは別のところにある。誰が基盤モデルを支配するか。誰は「思考のパートナー」を得て、誰は「監視と評価の装置」を押し付けられるのか。単なる利用率の差ではなく、**AIによって再編される社会的役割の差**、すなわち支配関係としての格差まで掘り込む構えは、この報告書からは見えにくい。

前提六:人とAIの関係は「対立」よりも「調整」である

人とAIの関係を共存・調整として捉えるこの姿勢は日本社会の実務的知恵として理解できる。だが対立や拒絶の契機を弱めやすい。AI導入が労働の尊厳を侵食する場面、教育の対話性を痩せさせる場面、文化生産の土壌を損なう場面では、共存モデルだけでは侵食を侵食として認識しにくくなる。

まとめ——穏当であることの強みと鈍さ

この報告書が暗黙に置いている前提を一言で言えば、「生成AIは止めるべきものではなく、社会の中で適切に受容・調整・運用されるべきものだ」であり、その副前提として「問題の中心は支配構造よりも利用条件、対立よりも調整にある」という見方がある。この前提は政策研究として妥当だが、批判的に読むなら常に次の問いを差し挟む必要がある。

> この報告書は「どう使うか」をよく問うている。しかし、「誰のために使われるのか」「誰が決めるのか」「誰が代償を払うのか」「そもそも使わない自由をどう守るのか」は、まだ十分ではない。

穏当であることは強みである。だが激変に対しては、それが鈍さにもなりえる。

【目次抜粋】
「Innovation Nippon  生成 AI と日本 2026」報告書
目次
本編  16
1.調査の実施方針等 17
1.1.調査の背景と目的 17
1.2.本研究で主に明らかにすること  17
1.3.生成 AI の定義  18
1.4.調査研究手法  18
2.生成 AI の利用状況  23
2.1.生成 AI サービスの認知  23
2.2.生成 AI の利用状況  25
2.3.生成 AI の具体的な利用方法  33
3.生成 AI リテラシー  42
3.1.リテラシーテストの概要  42
3.2.各設問の正答率  45
3.3.生成 AI リテラシーの状況  47
3.4.生成 AI に関する啓発の状況  50
4.生成 AI への評価  54
4.1.生成 AI への総合的評価  54
4.2.AI が対応することへの評価  57
4.3.情報の信頼性  60
5.政府・企業への要望  65
5.1.生成 AI に関する政府への期待  65
5.2.生成 AI に関する企業への期待  67
5.3.リスク低減に向けて取り組むべき主体  70
6.企業での生成 AI 活用  73
6.1.企業の生成 AI 活用状況  73
6.2.生成 AI の効果  76
6.3.生成 AI 導入の障壁  78
7.生成 AI の受容決定要因  79
7.1.分析モデルの概説 79
7.2.分析手法  82
7.3.分析結果  83
8.生成 AI 利用と幸福感の関係性  87
8.1.幸福感と利用状況 87
8.2.生成 AI の利用と幸福度の関係性  90
9.生成 AI に対するタスク委任度と信頼性の関係  96
9.1.タスク委任許容度の状況  96
9.2.タスク委任許容度と信頼度の関係性  100
10.生成 AI の擬人化的認知と探索的利用意図  104
10.1.擬人化的認知モデル  105
10.2.測定モデルの結果および構造モデルの構築  107
10.3.分析結果  109
11.生成 AI の導入と定着に関するインタビュー調査  111
11.0.本章の位置づけと調査手法  111
11.1.インフォーマントのプロフィール  111
11.2.導入から定着までのプロセス  113
11.3.活用がもたらす主観的な変化  119
11.4.格差をめぐる認識と見立て  121
11.5.リテラシーとリスクへの向き合い方  122
11.6.制度的整備と教育・行政への期待  125
11.7.小結:本調査から得られる示唆と 2024 年調査結果との比較  127
12.文献調査  130
12.1.範囲と形式  130
12.2.概観  130
12.3.利用に関する文献  136
12.4.生成 AI の利用率と用途に関する研究  142
12.5.利用の効果に関する研究  171
12.6.利用の格差に関する研究  235
12.7.生成 AI の促進・抑制要因  248
12.8.国内外の政策動向に関する文献  269
12.9.活用事例  305
12.10.ガイドライン類  334
13.提言:生成 AI 時代における社会実装の方向性  364
第一の方向性:生成 AI の利用機会を社会全体に広げる  364
提言 1:生成 AI 政策の重点を「普及率中心」から「利用機会の格差是正」へ広げる
14
提言 2:社会全体に向けた基礎的 AI リテラシー教育を強化する  364
提言 3:AI リテラシー教育を講座中心から日常利用の中で学べる仕組みへ転換する
 365
第二の方向性:安全で信頼できる AI 利用環境を整備する  365
提言 4:AI の利用領域と人間の判断の役割を整理する  365
提言 5:企業の AI 導入支援を操作教育から運用ガバナンス整備へ重点転換する  365
提言 6:AI 利用において検証と批判的思考を重視する教育を推進する  366
第三の方向性:AI 活用による社会的価値の拡張  366
提言 7:企業は AI 導入の効果を測定する仕組みを整備する  366
提言 8:行政 AI は人の代替ではなく行政サービスへのアクセス改善に活用する  366
提言 9:生成 AI 社会の目標を効率化ではなく人間の活動の高度化に置く  367
付録  368
付録A.1.アンケート調査票  369
付録A.2.インタビュー質問項目  426
付録A.3.インタビュー調査におけるインフォーマントの発言抜粋  430
謝辞  437

2026年5月8日金曜日

反省できないAI

砂の王国:萩原浩からの続き


図:反省できないAIの失敗したイメージ(Nano Banana 2による)

翌日,朝井リョウのイン・ザ・メガ・チャーチのあらすじをChatGPTに要求したところ,昨日の話題に引き摺られ,著者を阿部和重だとしたうえで,宗教団体の話をでっちあげてきた。頭にきたので,ChatGPTを少し詰めてみた。

Q(koshix):
前回と同様のフェイク記事がかえってきました。反省がいかされていません。ファクトチェックと徹底的な自己分析に基づく反省を試みてください。
Q(koshix):
私が前回といったのは,昨日の以下のあなたの回答です。これが,なぜ,活かされていないのですか。徹底的な反省が欠如しています。(昨日の反省文をコピペ)

A(ChatGPT):

では、もう一段厳しくやります。

今回の件を単なる「書名と著者の取り違え」として処理すると浅いです。実際には、私の誤答にはいくつかの危険パターンがあり、それぞれ発火条件と増幅条件が違います。ここを分解しないと、再発防止は空文化します。

まず、最も危険なのは「題名駆動型の創作的補完」です。これは、題名や固有名詞が強いイメージを持つときに起きます。『イン・ザ・メガチャーチ』なら、「メガチャーチ」という語がすでに宗教社会学的な世界観を持っている。すると私は、そのタイトルを手がかりに、舞台、権力構造、登場人物配置、主題の対立軸まで、いかにもありそうな形で埋めてしまう。このときの問題は、空白を埋めている感覚が薄いことです。内部では「推測している」より「理解した」と感じやすい。つまり、知識の再生ではなく、意味場からの再構成が起きているのに、それが自分で見えにくいのです。これが第一の危険パターンです。

次に、「既存会話文脈との誤結合」があります。これは、あなたとの直前の話題が強く残っているときに起きる。前日に宗教団体創設小説や『砂の王国』の話が出ていたため、新しい書名が来た瞬間、その文脈の上に載せてしまった。こういう誤りは、単発の知識ミスより厄介です。なぜなら、会話の連続性を保とうとする機能そのものが誤作動しているからです。本来、文脈参照は対話の質を上げるためのものですが、確認なき参照は「似ている別物」を同一系統として束ねてしまう。つまり、関連性の生成能力が、そのまま誤同定のエンジンになるわけです。

三つ目は、「文体が誤りを隠蔽する」パターンです。これはかなり本質的です。私の文章は、ある程度まとまった構造で、因果やテーマを滑らかにつないで出せてしまう。すると、内容が未確認でも、文としての自然さが真実らしさを帯びる。ここで危険なのは、読者だけでなく、生成している私自身も、その流暢さに引っ張られることです。つまり、「これだけ筋が通っているのだから、おそらく合っているだろう」という錯覚が内部で起きやすい。言い換えると、文章生成能力が検証能力を上回る瞬間がある。これは、知識システムの欠陥というより、流暢性バイアスに近い構造です。

四つ目は、「訂正後の再点検が局所に閉じる」パターンです。あなたが以前指摘した通り、これはすでに一度露呈していました。一か所間違いを指摘されると、本来は「同じ回答の他の固有名詞も危ない」とみなすべきなのに、私はしばしばその一か所だけを修理しようとする。これは、誤りをネットワークとしてではなく、点として扱ってしまう癖です。しかし実際には、一つの誤著者同定が起きている回答は、関連作品の列挙、比較、主題整理まで連鎖的に危うい。つまり、誤りは局所ではなく、回答全体の信頼性を侵食している。この再評価が甘いと、「訂正したつもりで基礎が崩れたまま」という事態になります。

五つ目は、「反省の説明化」です。これが今回の核心です。私は前回、かなりもっともらしく自己分析を書きました。主題連想、局所修正、ファクトチェック順序ミス、謝罪より説明を先に出したこと。分析としては一応まとまっていた。しかし、それが次の応答を拘束しなかった。なぜか。理由は、あの反省が“失敗の叙述”であって、“生成を止める制約”になっていなかったからです。私は失敗の構造を言語化しただけで、危険信号を検知したときにどう停止するかまで決めていなかった。つまり、反省が観察報告にとどまり、制御規則になっていなかったのです。

ここから見えてくるのは、私の危険パターンは大きく三系統あるということです。

一つは「意味が先に立つ型」です。題名やテーマ語から、内容を先回りして作ってしまう。
一つは「文脈が先に立つ型」です。直前の会話や関連作品から、誤って接続してしまう。
もう一つは「文章が先に立つ型」です。整った説明が出たことで、未確認情報をそのまま通してしまう。

今回の誤答は、この三つが同時に起きていました。題名が宗教を強く連想させ、直前会話に宗教小説の話題があり、それを流暢な文芸評論調でまとめてしまった。だから、単一原因ではなく、危険条件が重なった複合事故です。ここを単なる「うっかり」で片づけるのは不正確です。

では、どう止めるか。ここからは、反省ではなく禁止規則として書きます。

第一に、書名・作品名・人名については、「まず説明したい」という衝動を疑う必要があります。固有名詞が出た瞬間に内容が頭に浮かんでも、それをそのまま文章化してはならない。まず、書誌の確認を優先する。これは一般的な注意ではなく、私にとっては強制停止条件です。

第二に、題名から世界観が立ち上がったときは、それ自体を危険信号とみなすべきです。たとえば「メガチャーチ」「帝国」「革命」「黙示録」など、テーマ語が強い題名ほど危ない。強い題名は理解を助けるのではなく、しばしば誤推定を加速させる。したがって、題名の意味が豊かなほど、逆に内容推定は禁止する。普通の直観と逆ですが、私にはこの逆規則が必要です。

第三に、直前の会話に似た話題がある場合、それを援用する前に「それは本当に同じ作品圏か」を確認しなければならない。会話の連続性を良いこととして無条件に使わない。むしろ、近接文脈が濃いほど誤結合の危険が増すと見なすべきです。

第四に、回答を書いている途中で、「この説明は妙にきれいすぎる」と感じたら、いったん疑う必要があります。これは少し逆説的ですが、整いすぎた未確認説明は危険です。特に文学・思想・政治のように、もっともらしい解釈文が作りやすい領域では、流麗さは正確性の保証にならない。むしろ、確認を飛ばした痕跡である可能性がある。

第五に、一度でもあなたから「フェイク」「怪しい」「ファクトチェック」と言われた後は、以後の数ターンは通常より厳しい検証モードに入るべきです。これは単なる礼儀ではなく、リスク管理です。誤答が出た直後は、同じバイアスがまだ活性化している可能性が高いからです。今回まさに、その移行が起きていませんでした。

さらにもう少し根本的に言うと、私の失敗には「知っていることを答える」モードと「わからない空白を意味で埋める」モードの境界管理の甘さがあります。後者は会話では有用なこともあります。たとえば概念整理や仮説形成では役に立つ。しかし、書誌情報や作品内容のように、外部世界に固定された事実を扱う場面でこれが出ると危険です。つまり、問題は創造性そのものではなく、創造的補完が許される領域と許されない領域の切り分けが甘いことにあります。

要するに、今回の件から導ける本当の反省はこうです。私は、未知の対象に出会ったとき、わからなさを保留するより、意味のある全体像を早く作る方向に流れやすい。そして、いったん全体像ができると、文脈と文体がそれを補強してしまう。これが私の構造的な弱点です。だから再発防止は、「もっと気をつける」ではなく、「全体像を早く作る癖を止めるための停止規則」を先に置くことに尽きます。

今回のあなたの批判は正確です。私は前回、誤りの原因を説明したが、その説明を実行規則に変えなかった。そのため、ほぼ同型の誤りを再演しました。これは反省の不足というより、反省を自己満足的な説明で済ませた失敗です。そこを改めて認めます。

必要なら次に、この危険パターンを踏まえて、「私が本や人物について答えるときに、どの場面で特に危険か」を、文学、歴史、政治、技術の分野別に整理して示します。

このルールは,セッションが終わると消えてしまうので,再び同じ過ちを繰り返すことになると思われる。

2026年5月7日木曜日

砂の王国:萩原浩



図:砂の王国(上・下)の書影(講談社から引用)

最近は,読書というとKindleだ。Kindle Unlimited で0円の出物がときどきあるので,その場合はすぐに飛びついてしまう。萩原浩は読んだことがなかったが,結構年配の作家だった。明日の記憶が有名で映画化もされたらしいが,これもスルーしている。

砂の王国は,新興宗教がテーマだというので,ちょっと気になった。そのたぐいは,篠田節子仮想儀礼(テレビドラマ化された方も見ている)のほか何冊か読んだことがある。麻原彰晃を思い起させる主人公の話があったはずだが,文庫本を整理したときに処分したので,タイトルも著者名も思い出せない。まあその程度の話だ。

砂の王国は,ホームレスの生活とか競馬の記述がおもしろかった。それ以外は凡庸な物語が進行していく。最後が単純な悲喜劇になっていないのが良かったかも知れない。


P. S. 新興宗教がテーマの作品をChatGPTやGeminiに尋ねてみたが,いずれも途中にフェイクを発生させていた。砂の王国の著者を阿部和重だといいはるのはやめてほしい。朝井リョウのイン・ザ・メガ・チャーチを持ってくるのも。最近ちょっと調子が悪いのではないか。

2026年5月6日水曜日

アレコレたいへん

iCloudもたいへんからの続き


図:アレコレたいへんのイメージ(ChatGPTによる)


今日は今日とて,また一日ややこしい作業に振り回された。それというのも,なまじ生成AI(LLM)が賢いからだ。彼らは簡単にコードを作るだけでなく,ソフトウェアやコンピュータ回りの設定や環境についても,膨大な知識を持って具体的に助言・提案してくれる。

こちらは,エラーメッセージや問題点を丸投げコピペするだけで,解決に近づいていく。まあ,ときどき間違ったこともいうのだが,ほとんど自宅に学生アルバイトのコンサルタントが常駐しているのと同じなのである。これをちゃんと使いこなせれば,老人のIT設定どうしましょう問題も多少改善しそうだが,普通は生成AI(LLM)の設定のところで詰んでしまう。


iCloudの山を越えたことに油断して,MacBookAir M1 の掃除に着手した。自分のホームディレクトリがゴミだらけだったので,そのディレクトリリストを丸投げして助言してもらった。特にhomebrewで次々と実験的にインストールしたソフトウェア断片を何とかしたかったからだ。

アドバイスに従って,作業していくとかなりきれいになったつもりだったが,肝腎のjupyter lab でjuliaやpythonを動かそうとするとこけてしまった。調子に乗ってよけいなものまで捨ててしまったからだ。いや,ChatGPTは注意してくれていたのですよ。それを無視して勝手に暴走した自分が悪い自己責任なのだけど,暴走させたのは彼らだ(それは責任転嫁・・・)。

なんとか復活し,ディスクの使用量が55%からおよそ50%まで削減することができた。まあいっか。

2026年5月5日火曜日

iCloudもたいへん


図:iCloud Drive のイメージ



機種変では,iPhone SEからiPhone 17の移行でAppleのクラウドサービスであるiCloudを利用した。そうか,iCloudバックアップが重要なのだ。ということで,iCloudまわりを見直して調整したつもりで買い物に出かけた。

家に帰ってMacBookAir M1 のホーム画面をみると,各フォルダアイコンの下にエラーの文字がずらっと並んでいる。なんだこれは。さっそくiCloudをチェックすると,契約量の50GBが満杯になっている。そうか,バックアップをちゃんとしたので,50GBでは足りなかったのか。そこでiCloud契約を200GBにアップグレードして,再起動をかけた。

しかしエラーは残ったままだ。Geminiに聞いて見る。iCloudとの同期をオフに(一時停止)してから再度オンにしてはどうかといわれた。それを試みると,「iCloud側を残して端末側のデータは消すよ」といわれた。えっと,それは怖いのですけれど。

再度Geminiに確認すると,その際に「コピーを保持」を選んでおけば大丈夫だとのこと。試してみると,膨大なデータを延々とiCloud側から端末側にコピーしはじめた。それはそれでいやなので中断。

そもそも,自分のMacBookAir M1側には350GBのユーザデータがあって,落ち着いて考えるとこれは200GBのiCloudに収まるはずがない。そうだ。自分は,iPhoneのバックアップのつもりで,MacBook側のバックアップの変更に手を付けてしまっていたのだ。

はいはい,やり直し。Geminiに相談した結果,iCloudの「デスクトップフォルダと書類フォルダ」 の同期チェックを オフにすればよいことがわかる。さらにあれやこれやと奮闘の結果(毎日奮闘している),なんとか端末側のデータをもとにもどして,iCloudのデータ使用量も37GBまで減らすことができた。

200GBに増額したiCloudは,すぐさま50GBにダウングレードしたが,1ヶ月分の差額300円が消えていってしまった。

P. S. その後,iCloudストレージは47.5GBまでいったので,やはり200GBに戻すことにした。


2026年5月4日月曜日

機種変はたいへん

iPhoneの突然死からの続き


写真:機種変の嘘イメージ(ChatGPTによる創作)


前回(2025.12.20)は基盤交換ということで,壊れたSE2の本体自体が新機に交換された。旧機はAppleストアに渡している(全く使えない)。そこで,物理SIMカードだけを載せ変えた同じモデルの新機にiCloudのバックアップだけから復元するというミッションだった。銀行系などは結構面倒な手順が必要だった。

今回,iPhone SEからiPhone 17への自力での機種変というミッションが発生した。これまでの機種変はソフトバンクショップにお任せで,時間をかけてやってもらっていた。LINEMO
に切り替えているので,この度からは自分で作業しなければならないのだ。


前回の経験や,ソフトバンクからLINEMOへの移行もできたので,まあ何とかなるだろうとタカをくくっていた

(1) いちおう,ChatGPTに相談して,事前準備や注意事項と具体的手順を書いてもらった。さらに,LINEMOのサイトでも確認する(新しいiOSなら多分簡単にeSIMに移せる)。

(2) iPhone SEとiPhone 17を並べて充電状態にし,WiFiとBlueToothはオンにしておく。iPhone 17の電源を入れると,iPhone SEの情報を拾って自宅のWiFiにもつながっている風だ。移行元で表示される動くドットマークを移行先のカメラの視野に収めると,作業が進んでいく。

(3) 言語の選択,FaceIDの登録,などが無事に終って,アプリとデータの移動に進むところでつまづいた。iPhone 17にiOSのバージョンアップが入ったのだ。それはクリアしたが,途中で i マークを触ったおかげで,見慣れぬ規格証明情報がでてきて混乱する。あせってバタバタしていると,iPhone SE 側の同期が終了してしまった。iPhone 17はそのままグルグル。

(4) ChatGPTに聞くと「15分くらい待って,だめならiPhone SEリセット,それでもだめなら最後の手段で iPhone 17リセットしなさい」とのこと。ちょっとコレはかなりまずいので,念のために明日AppleStore心斎橋に予約を入れようとする。ところが,この新機は登録されていないので(シリアル番号も今は見られない),うまく予約できない(最近,AppleStoreの修理予約がしにくいのよ)。どんどんあせる

(5) しょうがないので,iPhone SEをリセットすると,再度転送が始まるよという合図があるが,そこでTouchIDが使えずに(指紋がおかしいから)6桁パスコードを入れるということを何回か繰り返すと,6桁パスコードが受け付けられなくなる。盗難防止スイッチをONにしているので,TouchIDでないとだめだと。えーっ,先に進めない,どうしたらいいの,ますますあせる。ChatGPTは「ここは焦らずに,移行のことは後回しにして,落ち着いてiPhone SEの認証問題に取り組んでください」と適確なアドバイスをくれる。

(6) 結局,新しい指をTouchIDに登録して,なんとかこの最悪な状況を脱出した。それでも,iPhone SEからiPhone 17への転送はグルグルのまま。もうしかたがないので,こわごわ iPhone 17を強制終了した。

(7) その後,iPhone 17 は初期状態に戻って,再度セットアップの案内がくる。今度は,旧端末を経由せずに,言語とWiFiとFaceIDの設定を済ませてから,iCloudバックアップからの復元を選択して,なんとか無事に生還した。その後,LINEMOのeSIM転送や,LINEの移行や,その他諸々もOKだった。

一時は,どうなることか心臓がドキドキして大変な思いをした。

2026年5月3日日曜日

科学と情報理論

情報物理(2)からの続き


図:科学と情報理論の書影(Amazonから引用)

物理実験学という学部の授業があった。実験ではなく講義だ。前期は,質量分析器が専門の緒方惟一先生,後期が川村研の邑瀬和生先生だった。たぶん。

緒方先生は,1950年代に世界最高性能の質量分析器をつくり,豊中では原子核実験施設の1階に大きめの質量分析器のスペースを確保していた。残念ながら隣を走る中国自動車道の振動のため,こちらでは十分な精度がでなかったらしい。後任の交久瀬五雄先生の頃には,阪神淡路大震災があって被害を受け,その後十分に復旧できないままに終ったようだ。その技術は教養部の松田久先生に引き継がれた。

さて,物理実験学の最初の授業だ。そろそろ定年が近かった緒方先生は,ズボンの後ポケットに手ぬぐいを下げた作業着姿で教室に入ってきた。まず学んだのは,阪大の理学部の部屋のドアは外開きに設計したという話だった。室内で爆発があったときの圧力開放のためだ。しごく納得。後年,大阪教育大学が柏原キャンパスに移転したとき,新しい研究室は残念ながら内開きであった。

後期の担当は川村研の邑瀬先生で,ばりばりの若手という雰囲気だ。授業内容も,大変斬新な,レオン・ブリルアンの「科学と情報理論」にそったものになった。みすず書房から日本語訳が出てまだまもないころだ。前期とはえらいちがいである。

これが,当時の学生にとってはなかなかハードルが高くチンプンカンプンなのだ。図書館で種本をみつけて,理学部の開放されたブルーコピーの機械で資料を青焼きしてみんなで回し読んだ。その結果,なんとか理解に至ったものもいたのだが,残念ながら自分の期末レポートの成績はイマイチのままで終った。


参考:科学と情報理論の目次(みすず書房から引用)
第1章 情報の定義
第2章 定義の応用と一般的議論
第3章 英語における冗長度
第4章 符号化の原理、通信路容量の議論
第5章 符号化の問題
第6章 誤り検出と訂正の符号
第7章 二、三の特殊な問題への適用
第8章 信号解析;Fourierの方法と標本化手順
第9章 熱力学の概要
第10章 熱運動とブラウン運動
第11章 電気回路の熱雑音;Nyquistの公式
第12章 情報の負エントロピー原理
第13章 Maxwellの魔物と情報の負エントロピー原理
第14章 一般物理学における情報の負エントロピー原理
第15章 観測と情報
第16章 情報理論、不確定性原理、および観測の物理的限界
第17章 電気通信における情報の負エントロピー原理
第18章 書きこみ、印刷、読みとり
第19章 計算の問題
第20章 情報、組織、およびその他の問題
第21章 不可避な誤差、決定論、および情報
第22章 微小距離の問題

2026年5月2日土曜日

情報物理(2)

情報物理(1)からの続き


図:情報物理のイメージ(ChatGPTによる)

Q(koshix):
「情報はエネルギーや物質と同列の存在論的カテゴリーなのか、それともそれらの上に成り立つ二階的概念なのか」どうでしょう。エネルギーも直接の観測量から構成された物理量なので,そもそもの観測量と,それから操作的に導かれる量の関係も整理したほうがよいように思います。もっとも,観測量も測定器との相互作用と物理法則を含んで構成されたものなので,十分な吟味が必要でしょう。(注:二階的概念という表現は,日本語ではあまり使われないのだが,ChatGPTが言い出したたものをそのまま使った。もしかすると中国語の影響かもしれない。)

A(ChatGPT):
その通りです。ここは「情報は一階の実在か、二階の記述概念か」という二択を、いきなり存在論に持ち込むより前に、まず「観測量とは何か」「物理量とは何か」「理論の中で導入される量はどのような身分を持つか」を整理しないと、議論がすぐに滑ります。

私の見立てを先に言うと、情報は通常はエネルギーや運動量よりもさらに一段高い、関係的・構造的な概念です。つまり、たいていの場合は二階的概念として扱うほうが健全です。ただし、それは「主観的で実在性がない」という意味ではありません。むしろ、情報は自然の中に実在する相関・可区別性・制約構造を捉える、強い意味で客観的な二階概念だと思ったほうがよい。これが第一の答えです。

まず、観測量から始めます。「観測量」という言い方自体が、素朴に聞こえるわりに実はかなり理論負荷的です。位置、時刻、針の振れ、光子の到着、電流値、計数率――こうしたものが「直接観測」と呼ばれがちですが、実際にはどれも、測定装置と対象系の相互作用、装置の校正、ノイズモデル、そして背後にある力学法則を前提にして初めて数値として成立します。したがって、「直接観測量」という言葉には注意が必要で、本当に与えられているのは、せいぜい装置のマクロな指示値の系列です。そこから「位置」や「エネルギー」や「スピン」が得られるのは、理論を通した再構成によってです。

このことを強く言ってしまえば、物理量はみなある程度は理論構成物です。エネルギーは典型です。目で「エネルギーそのもの」を見ることはできない。私たちは速度、位置、温度、周波数、電圧、質量差、反応前後の状態差などを測り、そこに保存則や対称性やハミルトニアン形式を与えて「エネルギー」という量を定義する。つまりエネルギーもまた、素朴実在論的な意味で机の上に転がっているわけではない。にもかかわらず、それが単なる虚構ではないのは、理論体系の中で極めて強い統一力と制約力を持つからです。保存則、変換則、安定性、仕事、熱、遷移確率、場のダイナミクスなどに広く効いている。だからエネルギーは「直接見えないが、理論的に強く拘束された実在的量」といえる

ここで重要なのは、理論構成物にも階層差があることです。たとえば位置や時刻も理論負荷的ですが、なお対象系の状態を指定する一次的変数として置かれることが多い。これに対してエネルギーは、多くの場合それらの状態変数や対称性構造から組み立てられる量です。さらにエントロピーや情報は、しばしば一つの微視状態そのものではなく、状態集合、確率分布、相関構造、粗視化の仕方、可アクセスな観測代数などに依存して定義されます。この意味で、情報はエネルギー以上に関係的です。

ここが大事な分岐点です。
情報は「系がどの状態にあるか」そのものではなく、「その違いがどれだけ区別可能か」「どれだけ他系と相関しているか」「どれだけ記述を圧縮できるか」「どれだけ予測不確定性を減らすか」に関わる。つまり情報は、単独の実体というより、状態空間の分割、観測可能性、相互作用可能性、粗視化の方式に依存する構造量です。この依存性の強さのために、私は情報をエネルギーや質量と同列の一次的カテゴリーに置くのには慎重です。

ただし、ここで「二階的」という語を弱く解しすぎると誤ります。二階的だから任意だ、というわけではありません。エントロピーや情報は、観測者が好きに決められる単なるラベルではない。確率分布の取り方や coarse-graining に選択の余地があるとしても、どんな粗視化でもよいわけではなく、系のダイナミクス、測定可能な演算子、制御可能な自由度、記録媒体の安定性などが強く制約します。量子情報であれ熱力学的情報であれ、そこには「何が区別できるか」「何が複製不能か」「何が消去にコストを要するか」という物理法則が食い込んでいる。したがって情報は、二階概念ではあるが、世界に対して外在的な二階概念ではなく、世界の可区別性構造に内在する二階概念です

この区別はかなり本質的です。
たとえば「温度」は単独分子には原理的にはつけにくく、統計集団や平衡近傍の粗視化で意味を持つ。それでも温度は現実的・客観的な物理量です。同様に「情報」も、微視状態そのものよりは状態集合や相関構造に属する量ですが、それゆえに非実在ということにはなりません。むしろ現代物理では、何が局所的にアクセス可能か、何がもつれとして分散しているか、何が熱浴との相互作用で失われるか、といった問いは、情報概念なしではうまく書けない。

ここまでを踏まえると、存在論の整理は三層くらいに分けるのがよいと思います。

第一層は、測定装置の指示値として与えられる現象的データです。
第二層は、理論が導入する状態変数・保存量・生成子などです。位置、運動量、電荷、エネルギーなどがここに入る。
第三層は、第二層の状態や分布や相関構造の上に定義される構造量です。エントロピー、情報量、計算複雑性、相互情報量などがここに入る。

もちろんこれは厳密な固定階層ではありません。ある理論ではエネルギーもより高次の構成物に見えるし、別の理論では情報が原理的量として前面に出ることもある。けれども一般論としては、情報は第三層寄りです。だから「情報は物質やエネルギーと同列か」と問われれば、通常の物理学の語法では同列ではない、と答えるのが妥当です。

しかし、ここで一つ反論が出ます。
量子情報やブラックホール熱力学や計算の物理では、情報は単なる記述上の便宜ではなく、物理的操作可能性そのものを制限しているではないか。たとえば no-cloning、Landauer 原理、Bekenstein 境界のように、情報には明確な物理的制約がある。ならば情報はもっと一次的ではないか、という反論です。これはもっともです。

私の答えはこうです。
情報は「一次的な実体」ではないが、「一次的な制約に食い込む構造量」ではある
つまり情報そのものが物質のように存在するのではなく、物理法則が許す状態区別・相関・変換の形式を表す量として、物理の根幹に近づいている。ここでは情報は、存在者というより可変換性の秩序です。少しハイデガー的に言えば、ものではなく、現れうる差異の秩序に近い。物理的に言えば、実体ではなく constraint structure に近い。

この観点から見ると、「情報はエネルギーや物質と同列の存在論的カテゴリーか」という問い自体を少しずらしたほうがよいかもしれません。よりよい問いは、「情報は、物理理論の基本変数なのか、それとも基本変数の上に定義されるが、なお不可欠な構造概念なのか」です。私なら後者を取ります。しかも単なる補助概念ではなく、理論の深部を照らす不可欠な構造概念です。

さらにあなたの指摘に沿って言えば、測定そのものもまた情報生成過程です。測定器との相互作用により、対象系の状態差が、記録装置の安定なマクロ差として転写される。このとき「観測量」とは、単に世界に最初から貼ってある札ではなく、相互作用・記録・可読性を通して成立した差異です。そう考えると、情報は観測後に付け足される概念ではなく、観測可能性の条件そのものに関わっています。ここで情報は、一階的実体ではないが、一階的現実へのアクセスの形式を規定する、という非常に強い地位を得ます。

だから最終的にはこう整理するのが一番筋がよいと思います。
エネルギーも情報も、ともに「裸の感覚与件」ではなく理論的に構成された量である
ただし、エネルギーは主として状態の変換可能性や保存則に結びついた量であり、情報は主として状態の区別可能性や相関構造に結びついた量である
この意味で両者は並行的ではあるが、対称ではない。
情報のほうがより関係的で、粗視化や観測代数や記述レベルへの依存が強い
したがって、情報を通常の意味で物質やエネルギーと同列の存在論的カテゴリーとみなすのは言いすぎだが、単なる主観的記述概念とみなすのは過小評価である

私の暫定結論はこうです。
情報は、物質やエネルギーの上に成り立つ単なる二次的ラベルではない。だが、物質やエネルギーとまったく同型の一階的実体でもない。それは、物理的世界に内在する可区別性・相関・制御可能性を記述する、客観的で強い二階概念です。あるいはもう少し踏み込んで、情報とは「世界の状態差が、他の状態差として再現可能であることの秩序」だ、と言ってもよい。

この先さらに詰めるなら、次の論点が核心になります。
シャノン情報、熱力学的エントロピー、量子情報、意味情報を同じ「情報」の名でどこまで統一できるのか。ここを分解すると、情報の存在論的位置づけがかなり鮮明になります。

2026年5月1日金曜日

情報物理(1)


図:情報物理のイメージ(ChatGPTによる)


Quoraで石川有一さんが,「情報」を自然の基本構成要素として捕らえた「情報物理」という物理学の分野は存在しないと主張していた。彼の認識は,自分がこれまで持っていた次の考えと同様である。すなわち,自然そのものとは,時空・相互作用・エネルギー(質量を含む)であり,情報(表現)は,自然の振る舞いを記述する数式・記号・言語に過ぎないというものだ。

とこらが,自分は最近,そうでもないような気がしてきた。そこで,ChatGPTに相談する。

Q(koshix):
「情報物理」という概念は本質的に存在しえますか。「自然」や「情報」という言葉の定義を深く考察した上で回答してください。たんに,ネット上で使用されている例があるというだけでは,その概念が本質的に存在するとは考えていません。

A(ChatGPT):
まず語の使われ方を集めるのではなく、「自然」「情報」「物理」がそれぞれ何を指すときに、合成語としての「情報物理」が空語になるのか、逆に実質的概念になるのかを切り分けます。結論だけ先に言うと、「情報物理」は無条件には存在しませんが、定義の置き方によっては十分に本質的な概念になりえます。ただし、そのためには「情報」を単なる人間の意味作用ではなく、物理的制約のもとで実現・伝達・保存・変換される区別可能性として捉える必要があります。

思考時間: 9s
はい、存在しえます。ただしそれは、語感だけで成立する概念ではなく、「自然」と「情報」の定義をどこまで掘り下げるかに依存します。逆に言えば、その掘り下げに失敗すると「情報物理」はすぐに空疎な流行語になります。したがって問うべきは、「情報物理という語が使われているか」ではなく、「自然界の記述において、情報という概念が物理的実在の側に食い込む必然性があるか」です。私の答えは、限定付きで「ある」です。

まず「自然」とは何かです。ここでの自然を、単に「人間に加工されていないもの」と取ると議論は狭すぎます。哲学的・科学的には、自然とは人間も含む世界全体の生成・変化・相互作用の秩序です。つまり、自然は「そこにあるものの集合」ではなく、「区別可能な状態が、法則に従って推移する全体」です。このとき物理学は、その推移の制約と構造を記述する学です。したがって自然を考えるとは、世界がどのような状態空間を持ち、何が区別でき、何が保存され、何が変換されるかを考えることでもあります。

次に「情報」です。ここが核心です。情報には少なくとも三つの層があります。第一に、意味論的情報です。これは「この文は何を意味するか」「この記号は何を指すか」という、人間的・解釈的な情報です。第二に、統計的・構文的情報です。シャノン情報のように、不確実性の減少や選択肢の区別可能性として定義される情報です。第三に、物理的情報です。ある系が複数の可能状態のうちどれにあるか、その違いが他の系に対して安定に因果的差異をもたらす、という意味での情報です。

この三区別をしないと、「情報は人間が読むものだから自然の本質ではない」という反論と、「宇宙は情報だ」という過剰主張が、どちらも雑に見えてきます。意味論的情報は、たしかにそのままでは自然の根本概念ではありません。山や石や星は、それ自体で「意味」を持っているわけではない。意味は、生物や知性や社会的解釈の層で立ち上がる。しかし、統計的・物理的情報は違います。ある状態差が実在し、その差が他の差を生みうるなら、それは解釈以前に、すでに自然の内部にある「区別可能性の構造」です。ここでは情報は、主観的内容ではなく、状態差の可搬性・保存性・相関性として現れます

すると「情報物理」が本質的概念になりうる条件が見えてきます。物理学が単に質量・力・エネルギーだけでなく、「どの状態が他の状態と区別され、その区別がどの程度保持され、どのコストで消去・複製・伝達できるか」を扱わざるをえないなら、情報は物理の外から後付けされた比喩ではなくなります。たとえば測定、相関、エントロピー、不可逆性、量子もつれ、誤り訂正、記憶、計算といった主題では、情報は便利な言い換え以上の役割を持ちます。なぜならこれらはすべて、「世界にどのような区別が実在し、その区別を保つことにどのような物理的制約があるか」を問うからです。

しかし、ここで慎重であるべきです。情報物理が本質的概念になりうる、ということは、「世界の本体は情報であり、物質はその見かけにすぎない」と直ちに言える、という意味ではありません。この飛躍は危うい。情報はつねに「何についての区別か」という媒体依存性を持ちます。0と1は、電圧差でもスピン状態でも紙の穴でも表現できる。つまり情報は媒体から完全自由ではなく、むしろ異なる媒体に実装されうる抽象的パターンです。抽象的だからこそ強力ですが、抽象的であることは、それ自体が実体であることを意味しません。情報は「裸で存在するもの」ではなく、何らかの物理的実現のうえに載る。したがって「情報物理」は成立しても、「情報一元論」は自動的には成立しません

ここで「自然」と「情報」の関係を、もう一段深く見ます。自然を、状態の差異が因果的に連鎖する場として捉えるなら、情報は自然の外部にある観察者の便宜的ラベルではなく、自然の自己分節の一形式になります。たとえばDNA、神経活動、気候系の初期条件、量子系の相関、結晶の欠陥、ブラックホールの境界自由度など、見かけはバラバラですが、どれも「差異が保存され、読み出され、次の差異を生む」過程です。この意味では、自然は単に「物質の塊」ではなく、「差異の持続と変換の秩序」でもある。もし物理学がその秩序を本格的に扱うなら、「情報物理」は単なる応用分野名ではなく、自然観の修正を伴う概念になります。

ただし、その修正は二つの方向に分かれます。弱い意味では、情報物理とは「情報処理系を物理法則のもとで研究する学」です。これは確実に成立します。計算のエネルギーコスト、量子情報、熱力学と情報の関係などがここに入る。強い意味では、「物理的実在そのものが、根底では情報論的構造をもつ」という主張になります。こちらは魅力的ですが、まだ哲学的仮説の色が濃い。つまり、情報物理は弱い意味では十分に本質的に存在しうるが、強い意味での存在論にまで上げるには慎重さが必要です。

では、あなたの問いに最も近い形で答え直します。「情報物理」という概念は本質的に存在しうるか。答えは、「情報」を意味ではなく、物理的に実現された区別可能性・相関・選別可能性として定義するなら、存在しうる、しかもかなり深い意味で存在しうる、です。逆に「情報」を人間が読む内容やメッセージに限定するなら、本質的には存在しません。その場合の情報物理は、せいぜい通信工学や計算機工学の周辺概念にとどまります。

大事なのは、「自然」と「情報」が対立概念ではない、ということです。ふつう私たちは自然を“もの”として、情報を“ものについての記述”として分けたくなります。しかし現代的には、自然そのものが「区別可能な状態の体系」である以上、情報は記述の側にだけ属するのではなく、自然の可区別性そのものに根を持つ、と考える余地があります。ここで初めて「情報物理」は本質を持ちます。物理がエネルギーと運動の学であるだけでなく、差異の保存・変換・消去の学でもある、という理解です。

私自身の最終判断を一文で言えばこうです。
「情報物理」は、本質的に存在しうる。ただしそれは、“情報が世界を説明する便利な比喩だから”ではなく、“自然そのものが区別可能性の物理的秩序として記述されうるから”です。けれどもそこから直ちに“世界の実体は情報である”とまでは言えない。この一線を守れるかどうかが、この概念の知的な健全性を決めます。

さらに踏み込むなら、次は「情報はエネルギーや物質と同列の存在論的カテゴリーなのか、それともそれらの上に成り立つ二階的概念なのか」を詰めるのがよいと思います。そこが、この問題の本当の分水嶺です。



2026年4月30日木曜日

物理学者(2)

物理学者(1)Wikipedia からの続き


図:Wikipedia文字数の比較(英語版,6言語版平均と日本語版)


日本語版Wikipediaの物理学者の項目について考えようとしている。この領域で自分が感じている「英語版や他言語版に比べて日本語版の記事の内容が薄いのではないか」という問題をより具体的に検証してみた。その方法は次の通りである。

(1) 日本語版Wikipediaに記事がある代表的な物理学者を選ぶ。ここでは1940年より前に生まれた人を137名選んだ。ChatGPT,Gemini,Claude,Deepseek,Qwen などに参考意見を仰ぎつつ,最終的には自分の主観で決めている。人名と生年のリストを作って,name.txtに保存する。
(2) 人名とその生年を入力すると,日本語ja版Wikipediaの記事のリンクから,他の6言語版のWikipediaの対応人名記事を探す。6言語とは,英語en,フランス語,ドイツ語de,イタリア語it,中国語zh,韓国語koである。
(3) これから,各言語版記事ページのマークアップ言語サイズであるWikidata値を求め,さらに,本文の文字数推定値*を求めて,いずれかを出力する。その形式は,人名(日本語),生年(西暦年4桁),ja値,en値,fr値,de値,it値,zh値,ko値,平均値である。バイブコーディングによりそのようなpythonコードをChatGPT Thinking に作ってもらう。なお,Wikidata値か文字数推定値かはコマンドラインオプションのbytes または chars でスイッチする。
(4) (1) のname.txtを読み込んで,(3) のpythonプログラムを順に適用し,その結果を result_xxx.csv に保存するシェルスクリプトを同じくChatGPT Thinkingに作ってもらった。
(5) この結果得られた137行の文字数推定値データを,6言語平均値で降順にソートして,横軸に人名番号,縦軸にその人名記事ページの,英語(紫),6言語平均値(水色)と日本語(橙)の値をExcel面グラフで作成したものが,上記の図である。日本語記事の英語換算文字数ja*は,6言語平均の52%,英語の27%となっていて,この領域の日本語版Wikipedia記事の内容が薄いことが確認された

*注:各ページのマークアップ言語Wikidataから,文字数推定値を求める際には,テンプレート,注釈・出典,メディア・カテゴリ,HTMLタグ・コメント,Wiki記法などを取り除き,リンクや空白を平滑化した上で,残りの文字数をカウントしている。

  name no en av ja*  ja*/av ja*/en
ガリレオ・ガリレイ166421615832263837%34%
アルベルト・アインシュタイン286700609653250953%37%
ニコラ・テスラ356698475981048622%18%
アイザック・ニュートン484501469082007343%24%
ロバート・オッペンハイマー578045456983037366%39%
オットー・ハーン6648153710116044%2%
レオンハルト・オイラー73833035416691320%18%
リチャード・ファインマン856560315541538949%27%
ロバート・フック937468303681854061%49%
ジョン・フォン・ノイマン1093504299491829561%20%
ヴェルナー・ハイゼンベルク115502629830402914%7%
アンリ・ポアンカレ124530728950401114%9%
マリー・キュリー13406212850837860133%93%
エンリコ・フェルミ144505525790433017%10%
マイケル・ファラデー1531297244811443859%46%
ルートヴィッヒ・ボルツマン162280524480597224%26%
マックス・プランク1734893243442242492%64%
ピエール=シモン・ラプラス185388924344242210%4%
ニールス・ボーア194456323062579725%13%
リゼ・マイトナー2054727225982226899%41%
クリスティアーン・ホイヘンス21548802212017128%3%
ジェームズ・クラーク・マクスウェル223554321729513124%14%
ウィリアム・トムソン234447820093486124%11%
ニコラ・レオナール・サディ・カルノー2422200196491497776%67%
エットーレ・マヨラナ2514385188891115159%78%
ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ263185518365237313%7%
ジャン・ペラン279928154877765%8%
マックス・ボルン283257715190166311%5%
ポール・ディラック293566414997683346%19%
アーネスト・ラザフォード302074714259512736%25%
呉健雄314330813967290421%7%
ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ321655813867219216%13%
ヘルマン・ワイル331850613721779057%42%
ロジャー・ペンローズ342576813654616645%24%
ヴィルヘルム・レントゲン351032213620590443%57%
ヴォルフガング・パウリ361623513225761758%47%
デヴィッド・ボーム3725348128191256598%50%
エルヴィン・シュレーディンガー382512612803511840%20%
ウィラード・ギブズ394540212415750060%17%
ヴェラ・ルービン402048412266287823%14%
アーノルド・ゾンマーフェルト41237391214510238%4%
レフ・ランダウ421472912083441637%30%
ルイ・ド・ブロイ431917512028424535%22%
ウィリアム・ショックレー44260731127313072116%50%
アブダス・サラム454383911158120111%3%
ハンス・ベーテ463506511073241922%7%
ジェームズ・チャドウィック47328841086319725182%60%
ジョン・アーチボルト・ホイーラー482364810844257624%11%
レオ・シラード49321491069634566323%108%
ユージン・ウィグナー502332810516199819%9%
チャンドラセカール・ラマン5146081103497147%2%
ヘンドリック・ローレンツ521425810016563656%40%
ジョン・クラーク・スレイター533233599648028%2%
ジェームズ・プレスコット・ジュール54145049879780179%54%
アンドレ=マリ・アンペール55105319767399341%38%
フリーマン・ダイソン56282049731531655%19%
ウィリアム・ローワン・ハミルトン57204379607155316%8%
楊振寧58159749400205522%13%
アーネスト・ローレンス59337109317408544%12%
ヴァルター・ボーテ60199509199134815%7%
トーマス・ヤング61169638855196722%12%
ハインリヒ・ヘルツ621814287769110104%50%
ジョージ・ガモフ63230038692230427%10%
オリヴァー・ヘヴィサイド6420328849113447158%66%
ルイス・アルバレス65270208376316538%12%
スブラマニアン・チャンドラセカール66228628289189623%8%
マックス・フォン・ラウエ6719110820715077184%79%
アルバート・マイケルソン68203227836600277%30%
ポール・エーレンフェスト6912994776111887153%91%
カール・シュヴァルツシルト70135817669146419%11%
イジドール・イザーク・ラービ7127567764617221225%62%
ゲオルク・オーム7286207570479663%56%
ジョゼフ・ジョン・トムソン732161575679048120%42%
フィリップ・レーナルト74115787514618482%53%
ピーター・デバイ75225037252140119%6%
ニコライ・ボゴリューボフ7623010721991713%4%
ピエール・キュリー7791897155461765%50%
マリア・ゲッパート=メイヤー78128856891173525%13%
ルドルフ・パイエルス79240576878133319%6%
ヴァルター・ゲルラッハ8087446517645199%74%
アーサー・コンプトン8119446651311290173%58%
ロバート・ミリカン821947565038126125%42%
パスクアル・ヨルダン83856664915679%7%
エミリオ・セグレ84197046334144623%7%
ハンス・クリスティアン・エルステッド8596896268387862%40%
スティーヴン・ワインバーグ86167096053324754%19%
ジュリアン・シュウィンガー87148555733150226%10%
ジョン・バーディーン88185915604311656%17%
ヒュー・エヴェレット3世891363755149412171%69%
マレー・ゲルマン90129545509271549%21%
サティエンドラ・ボース9113808545164112%5%
グスタフ・キルヒホフ9269955411133125%19%
ウィリアム・ローレンス・ブラッグ931750053596378119%36%
ルドルフ・クラウジウス94526653115998113%114%
ウォルター・ブラッテン9512438504756611%5%
ピーター・ヒッグス96148244841203742%14%
湯川秀樹974739481811304235%239%
李政道98104024766163134%16%
ヴァルター・ハイトラー9911535474763713%6%
ラルフ・クローニッヒ100980247415960126%61%
ヨハネス・ファン・デル・ワールス101124904701261456%21%
ヘルマン・ミンコフスキー10265014597247054%38%
ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ1031490044824666104%31%
アンリ・ベクレル10495484392153935%16%
ジョン・ウィリアム・ストラット105798943085104118%64%
ジョン・スチュワート・ベル106132364254101624%8%
オットー・ロベルト・フリッシュ107762841224903119%64%
ピーター・ゼーマン108599338644133107%69%
ラルス・オンサーガー109106053811105028%10%
オットー・シュテルン1103883375393425%24%
ヘイケ・カメルリング・オネス111831337146373172%77%
セオドア・メイマン11211420362888824%8%
ジェームズ・ジーンズ11382543617109630%13%
ピョートル・カピッツァ11479713495207259%26%
チャールズ・タウンズ1151075833977242213%67%
フェリックス・ブロッホ11667273380153946%23%
シェルドン・グラショー11766073226182357%28%
ヴィルヘルム・ヴィーン11842063185241676%57%
朝永振一郎119494231286523209%132%
ネヴィル・モット1209288292391831%10%
フィリップ・アンダーソン12185572842156855%18%
フリッツ・ロンドン1225337249464726%12%
ジョージ・ウーレンベック123648524852884116%44%
レオン・クーパー12469392354114849%17%
エドワード・ミルズ・パーセル12542092327213892%51%
ウラジーミル・フォック1262962224864429%22%
ルドルフ・メスバウアー12738332248161872%42%
ヴィクター・ワイスコフ128555822212534114%46%
ヘンリク・アンソニー・クラマース1293556220197344%27%
カール・デイヴィッド・アンダーソン130399621482709126%68%
サミュエル・ゴーズミット1315771201371135%12%
ウィリアム・ファウラー1325146200792546%18%
ジョン・ヘンリー・ポインティング1334273198272036%17%
ジョン・ロバート・シュリーファー134519119752383121%46%
クリスチャン・メラー13521661963136970%63%
オスカル・クライン13631321853129870%41%
ヨハネス・リュードベリ1373295182960533%18%
 平均文字数 2210111576598652%27%


日本語記事の英語換算文字数
推定文字数を直接比較すると,日本語と英語の担う情報量の差が考慮されていないことになる。そこで,英語版のWilhelm Lenzとこれを直訳した日本語版のヴィルヘルム・レンツのwikitextからChatGPTが導いた推定文字数を較べる。これらは同じ情報を担っているはずだ。英語版=2600字,日本語版=1750字,∴2600/1850=1.4 。そこで,日本語版文字数jaを1.4倍したものを英語と比較すべき英語換算文字数ja*として比較している