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2025年5月13日火曜日

スイッチインタビュー


NHKのスイッチインタビューは,異なった分野の二人のスペシャリストが2回に分けて攻守を交替して互いをインタビューする番組だ。5月2日と9日に放映された「角野隼斗×山下真由子」では,東大工学部計数工学科の同級生だったピアニストの角野隼斗 と 代数トポロジーの山下真由子 の対話で,なかなか見ごたえがあった。

第二回で,この宇宙に別の知性体が存在したときに人類と同じ数学をつくりだすかどうかという話になった。角野はそうなると考えて質問していたのに対し,山下は違うものになるのが当然だと強く考えているところがちょっと驚いた。自分は,この宇宙に共通する自然法則に内在されている数学性がなんらかの形で表現されるのだから,たぶん理解可能な対応関係はあるに違いないと思っている。

黒板で山下の仕事を説明する部分のノーカット版が,30分ほどのスペシャルコンテンツとして番組のホームページに上がっている。これにおおむね対応するプレゼンテーションがあったので,Gemini 2.5 Proに与えて日本語の解説文を作ってみた。

Q(koshix):
(Topological Modular Forms and heterotic string theory の29pのプレゼンファイルを添付)
このプレゼンテーションの内容を,文脈を補完しながら,日本語でできるだけわかりやすく,ていねいに,説明してください。読者対象は,理工系の大学院修士課程の学生です。

A(Gemini 2.5 Pro):
(回答略)


Q(koshix):
ありがとうございました。対象を理工系の学部学生レベルにして,高度な専門用語については,簡単な解説をしながら,雑誌の丁寧な解説のような形でもう一度まとめてください。(以下,要約の真正性は保証されていないことに注意

A(Gemini 2.5 Pro):
数学と物理学の架け橋:位相的モジュラー形式と弦理論の不思議な関係

私たちの宇宙は、どのような法則で成り立っているのでしょうか?この根源的な問いに、物理学者は「弦理論」という革新的な理論で迫ろうとしています。弦理論は、物質の最小単位を点ではなく振動する「弦」と考えることで、自然界の基本的な力を統一的に記述しようとする壮大な試みです。

一方、数学の世界には「ホモトピー論」という分野があります。これは、図形を連続的に変形させたときに保たれる性質を研究する、いわば「やわらかい幾何学」です。一見すると、弦理論とホモトピー論は全く異なる世界の探求のように思えるかもしれません。

しかし、京都大学の山下真由子氏らの研究は、これら二つの分野が驚くほど深く結びついている可能性を示唆しています。本稿では、山下氏のプレゼンテーションに基づき、そのエキサイティングな研究の一端を、理工系の学部生の皆さんにも分かりやすく解説します。

発端は「シーガル・シュトルツ・タイヒナー(SST)予想」
今回の物語の中心となるのは、「シーガル・シュトルツ・タイヒナー(SST)予想」と呼ばれる、数学と物理学の接点に関する大胆なアイデアです。この予想は、大まかに言うと、ある種の物理学の理論(専門的には「2次元N=(0,1)超対称性を持つユニタリ場の量子論(SQFT)」と呼ばれます)が、数学の特殊な対象である「位相的モジュラー形式(TMF)」というものと、本質的に同じものであると主張しています。

少し言葉を補足しましょう。

場の量子論 (Quantum Field Theory, QFT):素粒子や力を「場」(空間の各点に物理的な量が対応するもの)の言葉で記述し、量子力学のルールを適用する理論です。私たちの世界の基本的な法則を記述する上で非常に成功しています。
超対称性 (Supersymmetry, SUSY):自然界に存在する粒子(フェルミ粒子とボーズ粒子)の間になりたつかもしれない対称性です。この対称性があると、理論が扱いやすくなったり、未発見の粒子を予言したりします。N=(0,1)というのは、超対称性の「量」を表す添え字です。
位相的モジュラー形式 (Topological Modular Forms, TMF):これは高度な数学の対象で、「モジュラー形式」という数学の重要な関数の「位相的」なバージョン、つまり図形の変形に強い性質を持つように一般化したものです。モジュラー形式自体、数論や幾何学、そして弦理論にも現れる重要な対象です。

SST予想がもし正しければ、物理学の問題をTMFという数学の言葉で考えたり、逆にTMFから物理学の新しいアイデアを得たりすることができるようになります。まさに、数学と物理学の間に新しい橋を架けるようなものです。

SST予想の使い道:物理の問題を数学で解く
山下氏らの研究は、このSST予想を実際に使って、物理学の難問に取り組んでいます。その一つが、「ヘテロティック弦理論のアノマリーの消失」という問題です。

ヘテロティック弦理論:弦理論にはいくつかのバージョンがありますが、その中でも特に現実世界を記述する候補として注目されているものの一つです。
アノマリー (Anomaly):物理学の理論を構築する際、古典的な理論では保たれているはずの対称性が、量子効果(ミクロな世界で重要になる効果)を考慮すると破れてしまうことがあります。これをアノマリーと呼びます。アノマリーがあると、理論が自己矛盾を起こしてしまうため、物理学的に意味のある理論であるためには、アノマリーがうまく打ち消されている(「消失する」と言います)必要があります。

山下氏らは、SST予想と、それに関連する「Freed-Hopkinsの予想」という数学と物理学を結びつける別の予想を駆使しました。これらを用いることで、ヘテロティック弦理論のアノマリーの問題を、TMFという数学の対象に関する問題に「翻訳」し、数学的な手法で見事に解決できることを示したのです。つまり、「ヘテロティック弦理論はアノマリーを持たず、矛盾のない理論である」ということを、数学の力で裏付けたことになります。

SST予想から物理へ:TMFが持つ不思議な周期性
SST予想は、物理から数学への視点だけでなく、数学から物理への新たな洞察ももたらします。TMFは、そのホモトピー群(TMFの「穴」の構造を調べる数学的な道具)に「576周期性」という顕著な性質を持つことが知られています。これは、ある種の計算結果が576番ごとに同じパターンを繰り返す、という不思議な性質です。

山下氏らは、このTMFの周期性が、超対称場の量子論(SQFT)にも対応する現象として現れることを、TMFを使わずに(つまり、より直接的な物理的考察から)証明することにも取り組んでいます。  これは、数学の世界で見つかった抽象的な性質が、実は物理現象の背後に隠された法則を示唆している可能性を示しており、非常に興味深いアプローチと言えるでしょう。

副次的アノマリーとTMFの自己双対性
さらに進んで、[TY '23]の研究では、「副次的アノマリー」という、より精密なアノマリーの概念と、TMFの「アンダーソン自己双対性」という数学的な性質との間に深いつながりがあることを見出しました。  これは、TMFが弦理論のアノマリー構造を驚くほど詳細に捉えていることを示唆しています。また、この研究は「頂点作用素代数(VOA)」という、2次元の場の量子論や弦理論で中心的な役割を果たす代数構造とTMFとの間の具体的な関係性にも光を当てています。

まとめ:数学と物理学の対話が拓く新しい地平
山下氏らの研究は、位相的モジュラー形式(TMF)という、一見すると非常に抽象的な数学の対象が、ヘテロティック弦理論のアノマリーという物理学の具体的な問題を解く鍵となったり、さらには場の量子論の新たな性質を予見したりすることを示しています。

SST予想という大胆なアイデアを羅針盤として、数学と物理学という二つの広大な知の海を探求することで、これまで見えなかった新しい景色が広がりつつあります。理工系の学部生の皆さんも、専門分野の垣根を越えたこのような研究に触れることで、科学の奥深さと、異なる分野が協力することで生まれる新しい発見の可能性を感じていただければ幸いです。


Q(koshix):
読者対象を理論物理学を専攻する学部学生のレベルまであげて,その知的好奇心を刺激するようなレベルの丁寧で詳しくわかりやすい解説にしてください。必要な専門用語は省略せず,さらに進んだ学ぶためには,なにをどのように学ぶかのヒントもあるとよいです。
A(Gemini 2.5 Pro):



写真:スイッチインタビューのおまけ画像(NHKから引用)


2025年3月10日月曜日

巨泉と前武(ヤングの時代)

リクエストコーナーからの続き

当時の日曜日のラジオの洋楽ポップス番組といえば,午前中の「巨泉のヤング作戦」があった。1968年5月,大橋巨泉(1934-2016)と浅野順子(1948-)の司会にスイッチしたころから聞き始めている。「牛も知ってるカウシルズ,うっしっし」などのダジャレギャグで曲名が紹介されていた。

浅野順子(寿々子)はりぼんの表紙を飾り,子役として映画にも出演している。最後に出演した映画は鈴木清順(1923-2017)のけんかえれじい(1966)だ。1969年8月に大橋巨泉と浅野順子が結婚したのにはあっと驚いた。その後も二人の司会で番組は続いていたのだろうか。

巨泉といえば,土曜午後のテレビのビートポップスも何度かみた記憶がある。ゾンビーズのふたりのシーズンが流行っていた頃だ。毎週釘付けになってもよさそうな番組だったけれど,そこまで熱心に見続けた記憶がない。テレビを見る時間帯ではなかったか。


必ずしも洋楽ポップスの番組ではないが,深夜放送への扉を開いたのが毎夜10時から20分の「ヤング・ヤング・ヤング」だ。東芝の提供で,パーソナリティは前田武彦(1929-2011)。自分が聞き始めたときはおとなしい榊原るみ(1951-)がアシスタントだった。穏健なマエタケの説教がちょっと気になることもあるマンスプレイニング的な番組だった。万里村れい&ザ・タイムセラーズの「今日も夢みる」は準テーマソングなのかな?

一時は毎日のように聞いていたはずだ。

1969年10月,井原高忠(1929-2014)のプロデュースで大橋巨泉と前田武彦の二人が進行を務めた「巨泉・前武ゲバゲバ90分」が始まった。構成作家として井上ひさし(1934-2010)が入り,100本以上のナンセンスなショートギャグの連続からなるアッと驚く為五郎な番組だった。翌年3月までの半年に1970年から第2期の半年が続いた。

このクオリティの番組はいまではもう制作できないだろう。


写真:ゲバゲバ90分のイメージ(みんカラから引用)


それはそうと,このころの番組にはやたらヤングというキーワードが含まれている。例えば,ヤング720(1966-),ABCヤングリクエスト(1966-),MBSヤングタウン(1967-),セイ!ヤング(1969-),ヤングおー!おー!(1969-),アタックヤング(1970-),ステージ101*(1971-),レッツゴーヤング(1974-),OBCヤングラジオ(1981-),ヤングスタジオ101(1986-)なんということでしょう・・・(* レギュラー出演グループ名が ヤング101 )。

P. S. 上のリストでは,ヤンタンくらいしか聴いていない。調べてみるとそれは
   1978/04 - 1979/03 笑福亭鶴瓶、浅川美智子、中村行延
   1978/04 - 1980/09 原田伸郎、大津びわ子笑福亭笑光、伊東正治
   1978/04 - 1979/09 笑福亭鶴光、角淳一、佐々木美絵
の時代(D1の頃)だった。

[2]昨日のつづき(1959-1971)・春夏秋冬(1956-1982)
[3]前田武彦 小沢昭一 大橋巨泉  2010/05/23(ボクらの時代,ChamekoETC)(2011, 2012, 2016)
[4]永六輔 大橋巨泉 藤田潔 2011/10/23-30(ボクらの時代,ChamekoETC)(2016, 2016, 2021)
[5]ビートポップス 1970.1.31(tonehender)

2025年3月9日日曜日

リクエスト・コーナー

オールジャパン・ポップ20 からの続き

オールジャパンポップ20は,短い時間で沢山の曲を紹介する必要があるので,エアチェックには向いていない。最も助けになったのがNHKのリクエストコーナーだ。1968年,FMに移行する前のAM日曜午後3:00バージョンの頃も聴いていたかもしれない。
 同じ1965年4月に『リクエストコーナー』が、第2放送の午後3時からの1時間番組で始まる。ポピュラー音楽のリクエストにこたえる若者向けディスクジョッキー番組である。季節やその時々の話題にちなんだ特集も随時企画した。1969年(3月1日)のFM 本放送スタートにともなってFMに移行し、日曜午後6時からの1時間番組となる。1981年度より生放送となり、最新音楽情報とともに、全米ヒットパレードに加えて全英ヒットパレードも特集で紹介した。司会は番組スタート時より最終回の1985年3月30日までの20年間、石田豊アナウンサーがつとめた。(NHKラジオ放送史 第5章 から引用)

 


写真:ビリー・ヴォーン楽団の真珠貝の歌(Funky Moose Records から引用)


ネットで検索すると,ビリー・ヴォーン楽団の真珠貝の歌ではじまるNHK-FM リクエスト・コーナーの思い出が沢山見つかる。石田豊アナウンサーの落ち着いた声と,音楽を最後までフルコーラスでかけてくれるところが有り難かった。午後6:00からだと,夕飯とぶつかりそうなものなのだが,どうしていたのだろうか。

他にもエアチェック向けの番組はいくつかあった。日曜には前回登場した出雲崎君がよびに来て,トランジスタラジオをのせた自転車で音楽を聴きながら一緒に近所をうろついていたこともある。これではエアチェックにならない。

あるとき,出雲崎君がウォーカー・ブラザーズの金沢のファン倶楽部の集まりを見つけてきた。土曜の午後,長土塀にあるビクターの営業所に向かった。そこは,怪しいビルの2階で,怖そうな女子高生以上のお姉様方が集まっている。県立工業の制服の方も見受けられる。男性は中学生男子の我々2名だけでビビった。ファン倶楽部代表の女性の進行で,スコット・ウォーカーのレコード(行かないで)などを淡々と聴くのだ。途中でウォーカーブラザースに関するクイズが出題されたりする。出雲崎君がそれに答え(ファンだと実証でき)て無事に帰宅した。


[1]15 お休み前の人気番組『夢のハーモニー』(NHKラジオ放送史5章)
[2]NHK-FM「リクエスト・コーナー」の思い出(やせっぽちのヒロシのブログ)
[3]FMリクエストコーナー(300 rzu)

2025年3月8日土曜日

オールジャパン・ポップ20

中原中也と金沢からの続き

みのもんた(1944-2025)の訃報がニュースになっていた。

しばらく前は最も人気のあるMCの一人だったが,自分の記憶にあるみのもんたはラジオの洋楽番組オールジャパンポップ20の司会だ。「♪みのみの〜,もんた,みのもんた」という軽いジングルを出雲崎君と笑いながら話題にしていた。

洋楽ポップスを聴き始めたのは中2のころだ。2年5組で同級の小林博人君がビートルズが面白いと教えてくれたのは以前書いたとおりだ。3年6組になって,ウォーカー・ブラザーズのファンだった出雲崎栄一君やビージーズが好きだという山田雄治君が,ポータブルのレコードプレーヤを持ち寄って,なけなしの小遣いで買ったレコードに耳を傾けていた。

ところで,みのもんたがオールジャパンポップ20の司会を始めたのが1969年の春頃らしい。とするとこれは高校1年になってからだ。出雲崎君も山田君も家はすぐ近所だったから,高校になってからもときどき会っていたのだろう。

みのもんた登場前の1968年,中3のころからオールジャパンポップ20をかかさずに聞くようになり,毎週のベスト20と投票数をこまめにノートに記録していた。1969年,高校1年になってトランジスタラジオとテープレコーダによるエアチェック体制が整ったころがピークだったかもしれない。このころのベスト20はほとんど曲名とメロディが対応する。1970年から71年になると,自分の中のブームはやがて下火になっていった。

野田中3年の修学旅行は東京見物だった。春の夜,新宿コマ劇場でおてもやんを観劇して,花の香りが排気ガスの匂いで上書きされる繁華街の歩道に出たところで,当時の洋楽ベスト10が掲示された立て看板を見つけた。なんだかなつかしくてワクワクした。
1968年4月2週頃のオールジャパンポップ20 
 1.ジャッキー,スコットウォーカー
 2.マサチューセッツ,ザ・ビージーズ
 3.マジカル・ミステリー・ツアー,ビートルズ
 4.初恋の並木道,ナンシー・シナトラとディーン・マーチン
 5.ウーマン・ウーマン,ザ・ユニオン・ギャップ
 6.ワールド,ザ・ビージーズ
 7.雨に消えた初恋,ザ・カウシルズ
 8.ノー・ノー・ノー,ザ・ヒューマン・ベインズ
 9.すてきなバレリ,モンキーズ
 10.星のベイビー,ザ・ファウンデーション(この曲は覚えていない)
1968年5月2週頃のオールジャパンポップ20(看板の内容は↓?) 
 1.すてきなバレリ,モンキーズ
 2.ワールド,ザ・ビージーズ
 3.レディマドンナ,ビートルズ
 4.マジカル・ミステリー・ツアー,ビートルズ
 5.ジャッキー,スコットウォーカー
 6.あの娘は今夜…,ボイス・アンド・ハート(この曲は覚えていない)
 7.ささやく瞳,ウィルマ・ゴイク
 8.ホールド・オン,ウォーカー・ブラザーズ
 9.初恋の並木道,ナンシー・シナトラとディーン・マーチン
 10.ノー・ノー・ノー,ザ・ヒューマン・ベインズ

 


図:Imagen3 はこんなものを出してきたが・・・orz

P. S. おてもやんは宝塚歌劇団の作品である。1968年の新宿コマ劇場は雪組が1968年5月3日から28日まで公演しているので,修学旅行はその期間だったことがわかる。

[1]オールジャパンポップ20(MURAKAMI Chifumi)


2024年11月9日土曜日

シンバル

NHKの探検ファクトリーはとても興味深い番組だ。バラエティー生活小百科の後番組で,定時の土曜日お昼時だけでなく再放送でもよくみかける。今日は大阪市平野区のシンバル工場だった。

小出製作所は,金属のヘラ絞り加工を専業とする10人ほどの小企業だが,従業員からの提案で,20年ほど前からシンバルの製造を行っている(シンバル部門は社長を含めて4名だけ)。日本でただ一つのシンバル製造メーカーで,小出シンバルのブランドで有名なのだった。

番組では,製造工程をていねいに紹介していた。気になったのは,同じ直径のシンバルでは,重いほうが音が高いというところだ。弦の固有振動の場合は,振動数は張力を線密度で割ったものの平方根に比例する。つまり重い弦の方が振動数は低くなるわけだ。円盤の振動では,そうなっていない。これは重いシンバルのほうが,その曲げ剛性が大きくなるからのようだ。たぶん。



写真:小出のクラシックシンバル(Amazonストアから引用,10万5千円)

2024年5月20日月曜日

チョイソコてんり(2)

チョイソコてんり(1)からの続き

朝の散歩で,天理市のAIデマンド交通システム,チョイソコてんりの停留所の写真を集めている。ところが,肝腎のチョイソコてんりには乗ったことがなかった。家人が出演する天理シティオーケストラの定期演奏会の日曜日が雨模様だったので,この際利用してみることに。

もよりの住宅地停留所は,中学校の前なのだけれど,ここだけ緑の看板があがっていない。なぜ?目的地停留所は,天理総合駅だ。残念ながら天理市民会館が目的地に含まれていない,どうして?

チョイソコてんり,アプリではなくてウェブサービスで予約する。利用するためにはあらかじめ利用者登録が必要だ。これで,年齢や割引条件が確定するので,料金が乗車時に最初からドライバーにわかる仕組みだ。

ログインして,日時,住宅地と目的地の停留所を決めるといくつかのコース候補がでてくるので,そこから選ぶことになる。ぴったりの時間はなかったので,少し余裕をみて決める。帰りの予約も促されたので,同じように選んだ。選択肢は2-3に限られ,時間も1〜2時間程度の間隔が空く。

10分前に家をでると,もう向こうの方に緑のそれらしい模様がついたトヨタのハイエースが止まっていた。早速乗車すると料金は先払い。ドライバーのタブレット画面には乗客の名簿がみえている。予定の5分前だったけれど早速出発した。

天理総合駅とは逆方向に走り,次のお客さんのところに向かう。ドライバーも慣れていないので,停留所の50mほど手前の路上で勘違いして止まっていた。緑の看板はない。すぐに気がついて,本来の停留所に到着。しばらくするとお婆さんが1人乗ってきた。これでOK,天理駅に向かった。

ドライバーに聞いて見ると,全体で4-5台が常時回っていて,それなりにお客さんがあるようだ。ただ,190箇所の住宅地停留所の場所は結構ややこしいところが多くて迷うらしい。

帰りは,天理総合駅の目的地停留所に,予約時間の7分前くらいにハイエースが到着した。名簿では2人になっていたので,こんどは名前を確認されて料金を支払った。高齢者の場合,片道200円なので,近鉄電車の240円よりも安いのである。予約時間になってももう1人のお客さんが来なかったので,淡々と見切り発車して自宅方向の住宅地停留所に向かった。


写真:天理総合駅のチョイソコ停留所(2024.5.19撮影)
廃止されたコミュニティバスの看板を流用している

P. S. 天理シティオーケストラの第23回定期演奏会は,天理市制70周年に因み,ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲,スッペ/喜歌劇「詩人と農夫」序曲, ヨハン・シュトラウスⅡ/美しく青きドナウ,ベートーヴェン/交響曲第7番だった。

P. P. S. 大学に入る前の話。家にあったクラシックのレコードで自分が聴いたのは,学校で習ったドボルザークの9番とハチャトリアンの剣の舞くらいだった。大学に入ると,同じクラスの佐藤秀明君に感化されて,NHK-FMのクラシック番組をラジカセでエアチェックするようになった。当時はFM放送が始まって間もない頃で,クラシック番組の比重が非常に大きかったのだ。そんなわけで,当時亡くなったハンスシュミット・イッセルシュテッドとかイシュトバン・ケルテスとかアムステルダム・コンセルトヘボウなどの名前が頭に入力されることになる。ベートーベンの交響曲7番もよく聴いた。

P. P. P. S.  学生時代の話。会社の出張で大阪の下宿にしばしば訪れた父親には,梅田で漫才や芝居や映画に連れてもらうことがあった。そのひとつが,未来惑星ザルドス(1974)だ。年老いたショーン・コネリーが主人公の怪しいB級SF映画なのだけれど,途中のパートで,ベートーベンの7番の第二楽章が流れ続ける場面があった。あら,こんなところでこれを使うのだと驚いた記憶がある。

2024年4月20日土曜日

紀元二千六百年記念日本万国博覧会

神武天皇即位紀元というものがある。

皇紀元年=西暦紀元前660年,皇紀2600年=1940年ということになっている。まあ,日本書紀の素朴解釈で明治初期に定義されたものに過ぎないのであまり意味はない。しかし,今から16年後の2040年=紀元2700年ということなので,用心しておいたほうがよいかもしれない。

フォーククルセダーズが,紀元二千六百年というアルバムを出していたはずだという記憶があった。これは誤っていて,正確にはパロディーになっている紀元弐阡年(1968) だった。たぶん妹が買ったのではないか。あるいは自分?紀元貮阡年以外は,おおむね思い出せる。
Side1:紀元貮阡年,帰って来たヨッパライ,悲しくてやりきれない,ドラキュラの恋,水虫の唄,オーブル街
Side2:さすらいのヨッパライ,花のかおりに,山羊さんゆうびん,レディー・ジェーンの伝説,コブのない駱駝,何のために
当時この紀元二千六百年を記念して様々な行事が催されている。ただ,国際的な三大行事である夏季オリンピック東京大会,冬季オリンピック札幌大会,日本万国博覧会は,1937年に始まった日中戦争のために中止及び延期となった。

この延期になった紀元二千六百年記念日本万国博覧会のチケットが,1970年の大阪万博や,1984年の愛知万博で,利用可能になっていた。どうやら,今回の2025年の大阪・関西万博でもそうなるらしい。まだ残っているのだろうか?


写真:紀元2600年記念万博の入場券(東京都中央区立郷土資料館から引用)

2024年4月17日水曜日

udio

生成AIの応用で最初に注目されたのが,画像生成だった。それからテキスト生成の波がやってきて,マルチモーダル=動画生成にまで及んだ。このところ話題なのが音楽生成だ。

テクノエッジの松尾公也さん(元MacUser編集長,第1回AIアートグランプリ受賞,JIMAインターネット・メディアア・ウォード2023 メディア・イノベーション部門賞)は,音楽生成AIを使って作曲したものを,Spotify やApple Musicで配布するまでになっている。

これまでは,Suno AI というのが,その定番だったが,この度登場した Udio が 1ヶ月1200曲無料で作成できるということで注目を集めている。デフォルトでは1曲あたり30秒程度だ。

さっそく,googleアカウントでログインして試してみた。Japanese 1960-1970 Folk Song という主旨のプロンプトで出来たのが,Cherry Blossom Selenade という曲だ,季節にはふさわしいわね。



写真:Cherry Blossom Serenade の画面(カバーはどれも微妙だった)

2024年1月10日水曜日

紅白歌合戦

昔は,紅白歌合戦が午後9:00に始まっていた。それまではレコード大賞の時間なのだ。

こどもはもう寝る時間だったので,小学生の間はほとんど紅白歌合戦をみることがなかったような気がする。大晦日の晩ご飯の後は早々にお風呂で身を清め,新しい下着に身を包んで寝る準備をする。初夢の定義には諸説あるにしても,良い夢が見れますようにと祈りながら,さっさと布団に入るのがよい子のルーティーンだ。

妹はおませだったので,おばあちゃんの家のテレビで紅白歌合戦を観るのだといって,夜出かけて行った。なぜ自宅でなくて,歩いて5-6分のおばあちゃんの家でテレビを見る必要があったのかがよくわからない。東京オリンピックの年には,自分の家にもカラーテレビがあったような気がするが,どうなのだろうか。そのころオコチャマだった自分はスヤスヤと寝ていた。次の日,今年の紅白歌合戦は紅(あか)が勝ったか白(しろ)が勝ったかというお馴染の話題で盛り上がるのだけれど,歌謡曲にはあまり興味がなかった。なお,当時おばあちゃんの家のお手伝いさんだったかよちゃんは舟木一夫のファンだった。

最近の紅白歌合戦を見ても,半分以上が名前も知らない歌手やグループで,大半が聴いたこともない曲だ。いやかなり前からそうだったかもしれない。これを定量的に評価できるかと,WikipediaのNHK紅白歌合戦の各回の概要。放送データを眺めてみた。

「知っている」ことの定義が難しい,(1) 歌手やグループの名前だけきいたことがある,(2) 写真のイメージと名前が一致する,(3) その来歴や構成メンバーまでわかっている,(4) 曲の名前だけ聞いたことがある,(5) 曲の歌詞やメロディーの一部を脳内で再生できる,(6) 全曲を歌唱若しくは器楽演奏できる。

とりあえず,歌手名と曲名とメロディーの3セットがリンクして記憶されいるものを5年置きにカウントして全曲数に対する比率を数えてみた。1965-70年に30%程度だったものが,次の10年で20%台になり,1990年以降は10%台で推移している。平成(1989年)に入って,開始時間が前倒しされて二部制になった。視聴率確保のためのテコ入れで懐メロや企画モノが増えることになったので,そこまで知らない曲ばかりというわけでもなかった。

しかし,けん玉はもう勘弁してほしい。

2023年11月22日水曜日

添田唖蝉坊

東京節からの続き

東京節(1918)の別名はパイノパイノパイで,ジョージア行進曲のメロディーに演歌師の添田知道(添田さつき)(1902-1980)が詞をつけたものだ。彼の父親は添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう,1872-1944)という演歌師だった。

最後の演歌師といわれる桜井敏雄(1906-1996)がバイオリンをひきながら,なぎら健壱東京節を歌っているものや,打楽器奏者土取利行東京節解放節を聴くことができる。なかなか味わい深い。これが,後の高石ともや,フォーククルセダーズ,岡林信康などにつがなっているのかも。


写真:添田唖蝉坊(大磯町のページから引用)

[2]のんき節(添田唖蝉坊,土取利行)
[3]あきらめ節(添田唖蝉坊,土取利行)
[4]ストライキ節(添田唖蝉坊,土取利行)

2023年11月21日火曜日

東京節

柳澤眞一(1932-2022)といえば,奥様は魔女のダーリンだ。彼がYouTubeで榎本健一(1904-1970)の東京節を話題にしていた。「ラメチャンたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ♪ パリコとパナナで フライ フライ フライ♪」うーん,昔良く聞いたことのある歌だ。

そもそもこれはどういう意味なのかと調べると,なんとなくそれらしい解釈が見つかった。
果たして,AI諸氏はこれに答えられるだろうか。Bingは,検索できるのでこの答えをそのまま返してきた。その他はどうもいまいち。やはり,日本語を十分学習したLLMが必要だ。

Q:榎本健一の東京節に「ラメチャンたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ パリコとパナナで フライ フライ フライ」という歌詞があるのですが,その意味を教えてください。

A:Bing
「ラメチャンたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ パリコとパナナで フライ フライ フライ」という歌詞は、大正時代に流行したコミックソング「東京節(パイノパイノパイ)」の一部です。この歌詞には、大正時代の東京の町や建物の名前が歌い込まれています。歌い出しは「東京の中枢は 丸の内 日比谷公園 両議院」。コーラス部分の「ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ」は、日本の民謡の囃子言葉(はやしことば)のように、歌の調子を整える意味のない言葉です。 「ラメチャン」の「ラメ」は、「デタラメ」の「ラメ」に由来しています。 「ギッチョンチョン」は、お座敷歌『ぎっちょんちょん』から転用されたものかもしれません。 「パイ」は、大正時代の日本で当時新しかった洋食の一つです。 後述の「フライ」も同様です。 「パリコト」の「パリコ」とは、1918年に終結した第一次世界大戦の戦後処理として、1919年に締結されたパリ講和会議を意味しています。

A:Bard
榎本健一の東京節の歌詞「ラメチャンたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ パリコとパナナで フライ フライ フライ」の意味は、以下のとおりです。
ラメチャン:デタラメの「ラメ」のこと。デタラメちゃん。深い意味はない。
ギッチョンチョン:擬音語。何かが動く音を表す。
パイのパイのパイ:囃子言葉。意味はない。
パリコ:当時流行していた菓子の名前。
パナナ:当時珍しい果物の名前。
この歌詞は、歌の途中で挟まれる囃子言葉です。深い意味はなく、単にリズムをとったり、雰囲気を盛り上げたりする役割があります。
「ラメチャン」は、当時流行していたアメリカの流行歌「テネシーワルツ」の歌詞に出てくる「ラメイ」という単語を、日本語風に言い換えたものです。この「ラメイ」は、もともとは「デタラメ」という意味の俗語です。
「ギッチョンチョン」は、何かが動く音を表す擬音語です。この場合は、ラメちゃんが何かを動かしている様子を表現していると考えられます。
「パイのパイのパイ」は、囃子言葉としてよく使われる言葉です。特に意味はありません。
「パリコ」と「パナナ」は、当時流行していた菓子と果物の名前です。この歌詞では、ラメちゃんがこれらの食べ物を手に持っている様子を表現していると考えられます。
このように、この歌詞は、当時の流行や風俗を反映した、ユーモラスで軽快な囃子言葉です。

A:Claude
榎本健一さんの「東京節」は、東京の街とそこに住む人々の生活をユーモラスに歌った曲です。
ご指摘の歌詞部分の意味は以下のように解釈できると思います。
「ラメチャンたら」は、ラーメン屋さんの景色を描写しています。
「ギッチョンチョンで」は、客がラーメンを食べている様子。ギッと音を立てて食べるさま。
「パイのパイのパイ」は、ラーメン屋の中で流れているBGM。「パイパイパイ」と重なる音。
「パリコとパナナで」は、ラーメンの具材。チャーシュー(パリコ)とメンマ(パナナ)。
「フライ フライ フライ」は、揚げ物料理をいうスラング。ラーメン屋のメニューを描写。
このように、東京のラーメン屋の雰囲気を特徴的な言葉で表現した歌詞だと思われます。
言葉遊び的な面白さがある反面、一見意味不明にも見える歌詞ですが、東京の街空間を体感できる造形力があると思います。

A:perplexity
「ラメチャンたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ パリコとパナナで フライ フライ フライ」という歌詞は、榎本健一の「東京節(パイのパイのパイ)」の一部であり、東京の観光名所や食べ物を歌ったものです。以下が歌詞の全文です。
(略:全文に近いが間違っているものを引用している)
したがって、「ラメチャンたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ パリコとパナナで フライ フライ フライ」という歌詞は、東京節の中で、東京の観光名所や食べ物を歌ったものであると言えます。

A:ChatGPT
「ラメチャンたら ギッチョンチョンで パイのパイのパイ パリコとパナナで フライ フライ フライ」という歌詞は、榎本健一が作詞した歌「東京節」の一部です。この歌詞は、単語やフレーズが連なっていて、直接的な意味があるようには見えません。
一部の歌詞やフレーズは、単にリズムや響きを重視した言葉遊びや音の連なりである場合もあります。したがって、この歌詞の具体的な意味は作者の意図や解釈者によって異なる場合があります。
もしこの歌詞が特定の文脈や背景を持っている場合は、それに基づいた意味があるかもしれませんが、一般的な日常会話や表現としては認識されていないようです。


そうこうしているうちに,OpenAIのChat-GPTは更なる進化を遂げているようだ。

[1]榎本健一(NHKアーカイブス人物)

2023年7月12日水曜日

ローラ・ニーロ

1969年の11月ごろヒットした,フィフス・ディメンションウェディング・ベル・ブルースである。

作詞作曲者がシンガー・ソングライターのローラ・ニーロ(1947-1997)であり,1967年に彼女自身のデビューアルバム「モア・ザン・ナ・ニュー・ディスカバリー」に収録されていたとは知らなかった。そもそも,ローラ・ニーロって聞いたことあるわという自分の知識≒記憶が,ニーノ・ロータ(1911-1997)やロバート・デ・ニーロ(1943-)と混線しているのであった。いずれもイタリア系なのでよけい話がややこしい。

ローラ・ニーロが作った楽曲は主に他のアーティストがヒットさせることになった。フィフス・ディメンションがヒットさせた曲でいえば,ウェディング・ベル・ブルースの他に,ストーンド・ソウル・ピクニックスィート・ブラインドネスイーライズ・カミングブローイング・アウェイセイヴ・ザ・カントリーとなっている。いずれも懐かしい。

ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズアンド・ホエン・アイ・ダイもローラ・ニーロの作詞作曲なのだけれど,ピータ・ポール・アンド・マリーがこれを歌っているのは聞いたことがなかった。

1960年代後半から1970年代初めのにかけての中高生時代,洋楽ポップスとSFが趣味だった。入門はビージーズや後期ビートルズからだった。中でも誰を一番推していたかというと,フィフス・ディメンションだった。自分が最初に買ったアルバムも,フィフス・ディメンションの日本版のファーストアルバムだった(たぶん,海外の1stアルバムUp Up and Away と2nd アルバム The Magic Gardenを日本向けに組み合わせたのだと思う)。そんなわけで,3edアルバムの Stoned Soul Picnic が日本ではセカンドアルバムとなったのではないか。その後の,The Age of AquariousPortrait とあわせて4枚ものアルバムを買ったのはフィフスディメンションだけだった。


2023年3月12日日曜日

幽霊漢字

 今日,第1回AIアートグランプリ発表があった。主催がドスパラ(サードウェーブ)で事務局が清水亮さんのMEMEPLEXだ。

279件の応募作品から,17作品が第一次選考を通過した。そのうち12作品が佳作であり,第2次選考を通過した5作品から,グランプリ1作品と準グランプリ4作品が選ばれた。なんと,グランプリは,backspace.fmでお馴染の松尾公也さんの「Desperado by 妻音源とりちゃん[AI]」だ。

これまでも亡くなった妻のとりちゃんの音源を作ってきたが,AIによって画像イメージも生成した上に,自分の歌声をとりちゃんの声に変換できるようになった。さらに3次元化にもチャレンジしているらしい。自分の声やテキストもAI化して残る未来を想定している。

最近,テクノエッジを運営するテクノコアに入社した松尾さんは,MacUserの初代編集長で,有料メールマガジンMacWIREも立ち上げている。ドリキン,西川善治と3人で毎週流しているbackspace.fmの話が面白い。

さて,AIアートグランプリで印象に残ったのは,カラス=ヨーロッパ中世の防疫マスクで登場した機能美Pさんの作品だ。急遽作られた審査員特別賞も受書した。AIグランプリなのにAIは2%しか使っていないというメタコンセプトの「そんな話を彁は喰った」がその作品だ。そのタイトルに登場する漢字「彁(か・せい)」は幽霊漢字とよばれている。

1978年に通商産業省が制定したJIS C 6226(後のJIS X 0208)では,いわゆるJIS第1・第2水準漢字として6349字が規定された。このとき典拠は次の4つの漢字表だ。
 1. 標準コード用漢字表(試案): 情報処理学会漢字コード委員会(1971年)
 2. 国土行政区画総覧: 国土地理協会(1972年)
 3. 日本生命収容人名漢字: 日本生命(1973年、現存せず)
 4. 行政情報処理用基本漢字: 行政管理庁(1975年)
この中に,音義・使用例の不明な文字があることが指摘され,辞書類に収録されながら実用例のない単語を意味する「幽霊語」をもじって「幽霊文字」と呼ばれるようになった(WIkipedia 幽霊文字から抜粋引用)。

また知らなかった事実に出会うことになる。犬も歩けば棒に当たる。

図:幽霊漢字の例(

P. S. AIアートグランプリはNHKニュースでも取り上げられて,松尾さんがインタビューに答えていた。


[1]「松尾PはなぜAIアートグランプリで優勝できたのか?!」(第1965話 shi3z & drikinの#AIドリフト)
[2]第一回AIアートグランプリを受賞したので自分の作品解説とファイナリスト作品への感想。そしてその先(CloseBox)(松尾公也)
[3]第1回 AI Art GrandPrix が素晴らしかった件(白井暁彦)

2023年2月14日火曜日

バート・バカラック

バート・バカラックが亡くなった。バカラックといえば,ディオンヌ・ワーイックだ。自分が洋楽ポップスを聴き始めた中学生から高校生にかけて,I Say a Little Prayer(1967),Do You Know the Way to San Jose(1968),The April Fools(1969),I'll Never Fall'in Love Again(1969)がヒットしていた。

そこで,Bing AIに次のような質問をしてみた。
Q:代表的なイージーリスニングの楽団を,有名な順に10組教えてください。 次のような形式で出力してほしいです。 [番号,楽団名,英語の楽団名,代表者名,代表者の生年と没年]

✓‘イージーリスニングの楽団’ を検索しています
✓‘イージーリスニングの楽団 有名’ を検索しています
✓ 回答を生成しています…

A:イージーリスニングの楽団は、1950年代から1970年代にかけて最も人気があったポピュラー音楽のジャンルです1。イージーリスニングの主なアーティストは以下の通りです123。

[1, ポール・モーリア, Paul Mauriat, ポール・モーリア, 1925年 - 2006年] [2, レイモン・ルフェーブル, Raymond Lefèvre, レイモン・ルフェーブル, 1929年 - 2008年] [3, フランク・プゥルセル, Franck Pourcel, フランク・プゥルセル, 1913年 - 2000年] [4, カラベリ, Caravelli, クロード・ヴァスリ, 1930年 - 2019年] [5, カーメン・キャバレロ, Carmen Cavallaro, カーメン・キャバレロ, 1913年 - 1989年] [6, ニニ・ロッソ, Nini Rosso, ルイジ・チェレンティーノ, 1926年 - 1994年] [7, マントヴァーニ, Mantovani, アンニーバレ・パジーニ・マントヴァーニ, 1905年 - 1980年] [8, ダニエル・リカーリ, Daniel Ricciarelli, ダニエル・リカーリ, 1929年 - 2012年] [9, グレン・ミラー, Glenn Miller, アルトン・グレン・ミラー, 1904年 - 1944年] [10, 101ストリングス, 101 Strings, デヴィッド・L・ミラー, 1913年 - 1986年]

Q:アーティストの名前でなくて,楽団名(オーケストラ名)が知りたいのですけれど修正版をお願いします。バートバカラックなどはないのですか?

✓‘イージーリスニングの楽団名’ を検索しています
✓ 回答を生成しています…

A:すみません、前回の回答はアーティスト名でしたね。楽団名(オーケストラ名)でお答えします。イージーリスニングの楽団名は以下の通りです123。

[1, マントヴァーニ・オーケストラ, The Mantovani Orchestra, アンニーバレ・パジーニ・マントヴァーニ, 1905年 - 1980年] ✓
[2, レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ, Raymond Lefèvre et son grand orchestre, レイモン・ルフェーヴル, 1929年 - 2008年]
[3, ポール・モーリア・オーケストラ, Paul Mauriat Orchestra, ポール・モーリア, 1925年 - 2006年] 
[4, パーシー・フェイス・オーケストラ, The Percy Faith Orchestra, パーシー・フェイス, 1908年 - 1976年] 
[5, フランク・プゥルセル・オーケストラ, Franck Pourcel Orchestra, フランク・プゥルセル, 1913年 - 2000年] 
[6, カラベリ・オーケストラ, Caravelli Orchestra, クロード・ヴァスリ, 1930年 - 2019年]
 [7, グレン・ミラー・オーケストラ, The Glenn Miller Orchestra, アルトン・グレン・ミラー, 1904年 - 1944年] 
[8, 101ストリングス, 101 Strings, デヴィッド・L・ミラー, 1913年 - 1986年]
[9, バート・バカラック・オーケストラ, Burt Bacharach Orchestra, バート・バカラック, 1928年 - ] 
[10, ヘンリー・マンシーニ・オーケストラ, Henry Mancini Orchestra, ヘンリー・マンシーニ, 1924年 - 1994年]

なかなかもっともらしい回答が得られた。英文名は多少違うかもしれない(…& His Orchestra 的な場合が多いかも)。自分ならば,カラベリ・オーケストラや101ストリングスではなくて,フランシス・レイ楽団とかビリー・ボーン・オーケストラを入れたいところである。

2022年10月31日月曜日

門の会


阪大マンドリンクラブに門の会というOB会があるという話は,1970年代当時から聞いたことがあった。しかし実際にはその後の活動はなかったらしい。そこで,2019年の10月13日にあらためて規約が定められ阪大マンドリンクラブ同窓会「門の会」が設立された。

その規約によれば,「門の会」という名称の由来は,1966 年 5 月クラブ創立者の松本守氏(故人)の次の言葉によるものだとのこと。
 「我等 門に入り 門を出で 門に還る 幾星霜 この門に 変らざる事を」
ホームページには少しだけ過去の資料があったので,関係部分だけ抜粋転載してみる。
阪大マンドリンクラブの歴史 (注:昭和41年〜昭和52年まで)
S. 41. 1 松本守氏 阪大マンドリンクラブを創設
・・・(中略)
S. 47. 1 部長 塚本氏→西村氏
     教養部 スト突入
    4 高松にて合宿 合宿中流れたはずの後期試
     験がありとの報にあわてて帰阪するも試験
     は流れる
    5 箕面帝釈寺にて新入生歓迎合宿
     はじめて外国人留学生入部
     和歌山での選曲をめぐってビートルズ派と
     オリジナル派論争
    7 和歌山特別演奏会
     司会者のうまさか,とにかく部員と観客が
     一体となって演奏を楽しんだ
    8 信州黒岩にて合宿
     山の上の池で泳ぐ 合宿でもハイキング恒
     例化 はじめて酒が入る(コンパ以外で)
S. 47.12 第4回定期演奏会
     そのまま泊まり込みコンパへへ突入
S. 48. 1 部長西村氏→徳井氏
     大量留年時代に入る
    4 土庄(小豆島)にて春合宿 自動車(若者)バ
     ス(幼児)自転車組(老人)と分かれて小豆島
     を動きまわる
     銀杏祭に出演し大好評
      …酒を飲んで演奏した人がいたとか…
    7 九重高原にて夏合宿 寒さのためカゼ大流行
     ハイキングの帰り人と車の競争…人が勝つ
   10 服部緑地YHにて合宿
   11 第5回定期演奏会
S. 49. 1 部長 徳井氏→井元氏
    3 加古川演奏会に向けて加古川へ数十回でか
     ける
     (車の所有者ガソリン代に泣く 有留も泣く)
     小豆島にて4度めの春合宿
    5 加古川特別演奏会
     (会場前から長蛇の列,マンドリンの人気に
     一同驚くやら喜ぶやら)
     教養部スト突入 麻雀大流行
S. 49. 8 白馬大池(信州)にて夏合宿
   11 びわこ青少年の家にて強化合宿
     第6回定期演奏会
S. 50. 1 部長 井元氏→土岐氏
     ・・・
    6 奈良特別演奏会
・・・(以下略)

第4回定期演奏会 1972.12
  プロバンズ序曲・森の写影・海の悲劇
  LP「ABBY ROAD」より・カストリュークの歌・海に来たれ
  メリアの平原にて・マッサリア・劇的序楽

第5回定期演奏会 1973.11
  青春の思い出・夜想的間奏曲・情熱的組曲
  夢うつつ・過去への憧れ
  管弦楽組曲第2番序曲
  小英雄・マルネリラ・序曲ニ短調

第6回定期演奏会 1974.11
  バートバカラック特集
  祝典輪舞曲
  序曲5番ハ長調
  祈り・イタリアの覚醒・恵まれた結婚
自分が在籍したのは,1972年の5-6月から1974年の12月までだった。その間の定期演奏会や特別演奏会,合宿などにはいずれも参加しているので,いろいろ思い当たることも。信州黒岩の合宿ではボート遊びをしていた山の上の池で泳いだし,小豆島の合宿では老人組?の自転車ツアーに加わって小豆島を一周した。

三重県和具の海の家にいって,島のまわりをみんなで浮輪に捕まりながらまわった記憶があるのだけれど,あれは,クラブの合宿ではなかったのだろうか。同学年のメンバーの顔しか思い浮かばないので,クラブ全体の行事ではなかったのかもしれない。あるいは夢だったかも。

P. S. 塚本部長は金沢大学附属高校出身で,西村部長は兵庫県養父郡出身の西村さんの親戚らしく,徳井部長は金沢泉丘高校の先輩だった。

     

2022年10月29日土曜日

せとちとせ(2)

せとちとせ(1)からの続き

阪大マンドリンクラブのOB会は門の会という名前で活動している。一度も参加したことはないのだけれど,メールは時々送られてくる。

最近,総会があったということで写真が送られてきた。知っている顔を探すと,指揮者だったギターの西尾君や人間科学部一期生の上条君の同期の他,セロパートの2学年先輩の近藤さんがケーナ演奏で参加していた。ベースの瀬戸さんが近藤さんの隣でギターを演奏しているという動画をみたが,昔の印象と全く違っているのだった。もっと顔が丸くて髪がモジャモジャでガッチリしていたように思うのだが,なんだかシュっとした髪の薄い小柄なおじさんに変化していた。

「この顔は瀬戸さんとちゃうんちがう」「いや,大阪芸術大学で広告制作を教えているみたいやで」「ほなやっぱり瀬戸さんやな」「でもその写真の顔やっぱりちゃうやん」「ビートルズのテーマで講演してはるよ」「ほなやっぱり瀬戸さんやな」「でもその写真の顔やっぱりちゃうやん」「阪大の待兼山俳句会に参加してはるで,俳号は瀬戸幹三や。昭和49年基礎工学部卒てかいたるで」「ほなやっぱり瀬戸さんやな」

2022年8月9日火曜日

マックス・ボルン

オリビア・ニュートン・ジョン(1948-2022)が亡くなった。

1974年ごろに最初のヒットが出ているが,すでに洋楽ポップスを聴かなくなっていた時期だ。したがって,復習してみたけれどほとんど知らない曲だった。同世代の歌手でもメリー・ホプキン(1950-)ならば,1968年に悲しき天使がヒットしたので,ちゃんとキャッチアップしていたのだけど。

オリビア・ニュートン・ジョンが,行列力学の創始者の一人マックス・ボルン(1882-1970)の孫だというのは,有名な話だ。ボルンは,量子力学の確率解釈で良く知られているが,そもそもヴェルナー・ハイゼンベルク(1925-1976)が最初に発見した量子規則が,当時,物理学ではあまり使われていなかった行列の形で表現できることを指摘したのがボルンであり,1925年のボルン・ヨルダンや1926年のボルン・ハイゼンベルク・ヨルダンの論文で,量子力学の基本原理が確立したわけだ。

オリビア・ニュートン・ジョンはマックス・ボルンの娘イレーネの子供であるが,息子グスタフの子供にも,人類学者・音楽家のジョージナ・ボルンと,俳優のマックス・ボルン(フェリーニのサテリコンに出演)がいる。ひ孫も含めてなんだか芸能人がたくさん輩出されているのだった。


写真:目の辺りがオリビアに似ているマックス・ボルン(Wikipediaから引用)

2022年2月27日日曜日

ウクライナ

 ウクライナへロシアの侵略が起こったのは,ウクライナへのNATOの拡大にたいする強い拒否反応を誘導し,ドイツとロシアの間の天然ガスパイプライン,ノルドストリーム2を妨害するための米国の思惑による部分があるという話があった。事の真偽はわからないが,日本のメディアはアメリカからの情報だけでまわっている。いや,だからといって,プーチンの行動はまったく正当化できないが。ウクライナが,グルジアのようになるのか,クリミアのようになるのかはまだわからない。

ロシアとウクライナの前身が1つの国であった,キエフ大公国(882-1240)の時代から考えれば,キエフが京都でモスクワが鎌倉のようなものなのだ。ロシアという名称自体が,キエフ大公国の正式名称であるルーシから来ている。自分たちのルーツが奪われて敵側軍事同盟に参加することへの圧倒的な拒否感ということか。

ウクライナといえば,中学校の社会科の時間に学んだ,肥沃な大地(黒土)と小麦というイメージだった。また,京都市の姉妹都市のキエフといえば,ムソルグスキーの「展覧会の絵(1874)」の「キエフの大門」か。

それ以外で,記憶にあるのは,ビージーズが1969年に発表したアルバムの「オデッサ」だ。1899年に遭難した架空の船の物語というコンセプトアルバムで,当時はビートルズの「ホワイトアルバム(1968)」に相当するというイメージだった。オデッサの収録曲「若葉のころ」と「メロディフェア」が,それぞれ映画「小さな恋のメロディ(1971)」の音楽として少し流行った。なぜ,オデッサという名前だったのか,本当に黒海に面したオデッサのことなのかどうかも確かではなく,当時も謎のままだった。


図:ウクライナの地図(AFP通信記事から引用)

P. S. Wikipedia 大鵬幸喜の項目から引用:「1940年(昭和15年),ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として,日本の領土である樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。マルキャンはロシア革命後に日本に亡命した,所謂白系ロシア人であった。」

[1]満州事変(1931年)・・・柳条湖事件後,関東軍による占領,傀儡国家樹立
[2]イラク戦争(2003年)・・・虚偽事実による米英豪軍の侵攻と政権の転覆
[3]南オセチア紛争(2008年)・・・グルジア(ジョージア)が2州の支配権を喪失
[4]クリミア危機(2014年)・・・クリミア共和国の一方的独立宣言後,ロシアによる併合

2021年12月13日月曜日

嗚呼黎明

旧制大阪高等学校(2)からの続き

旧制大阪高等学校の全寮歌が「嗚呼黎明」だ。大正12年に作られた曲だが,面倒なことに歌詞・楽曲ともにJASRAC管理の下にある。なわけで,歌詞を全文引用することは憚られる。前詞はいいのかな。歌詞本文は,岡林信康の「友よ夜明け前の闇の中で・・・夜明けは近い」と同じ趣旨に違いない。

東天紅を染むる金剛の峯にこれを嘯かば
  天下の惰眠一時に破れ,
夕陽沈む茅渟(ちぬ)の海にこれを叫ばゝ
  魑魅魍魎も影を潜めん。
     (大正十五年三月佐々木喜市
当時の体育会系の部活動か応援団ならばこれを歌っていたのかもしれないが,なぜか我々昭和47年入学の阪大理学部物理学科のクラス(定員40名)の2年の研修旅行(赤目四十八滝)ではみんなで肩を組んで歌うことになった。引率は,クラス担任である教養部数学の水野克彦先生だった。多分,それ以前のコンパなどで「これくらいはちゃんと歌えるようにしておかないと」というアドバイスがあったからのような気もする。

そんなわけで,研修旅行には,歌の栞を作ってバスの中で練習していたのではないか。この辺の記憶もほとんど曖昧なので単なる幻想かもしれない。高校の修学旅行で歌の栞を作ったこと(挿絵を担当したら隣のクラスにパクられてしまった)や,小学校の修学旅行では歌の栞なしにアニメソングを歌いまくっていたのは確かな記憶だと思われる。

大学のクラスで作ったその歌の栞に掲載したかどうかは定かでないが,当時クラスのみんな(一部かもしれない)でよく歌っていた,「嗚呼黎明は近づけり」や流行歌(主にフォークソング系)以外の曲といえば,「インターナショナル」「ワルシャワ労働歌」「原爆を許すまじ」「差別裁判打ち砕こう」というラインナップなのであった。時代を感じさせる。

[1]インターネットや携帯電話等 音楽利用の手引き(JASRAC 送信部ネットメディア課)

2021年9月13日月曜日

クローラ

 クローラ(Crawler)とは「ウェブ上の文書や画像などを周期的に取得し,自動的にデータベース化するプログラムである」。ボット(bot)・スパイダー・ロボットなどとも呼ばれるが,google検索ではロボットと表現されている。

25年ほど前から数年間,学校のホームページ宛の管理者宛てにアンケート調査を繰り返していたことがある。ホームページのURLは目視と手動で集めるたものだ。これに対して,perlのプログラムで(wgetを使って)何階層かのページを取得したうえで,メールアドレスを取り出すという操作をしていた。いまだと(当時でも)ほとんど危ない技だ。

さて,google検索において立て続けに類似パターンの検索をすると,googleから「おまえロボットちゃうか」と叱られるのである。そのとき出てくる警告ページを図に示す。なんのことはない,CAPTCHAのロボットチェックをクリアすればよいだけである。

図:google検索における警告メッセージ

今回,これが現れたのは,ひらがな回文タイプの「なか○かな」の○部分にあ〜んまでを順にいれて調べようとしたからだ。なぜかというと,TikToker/YouTuberのなかねかなの「モテすぎて草,誘ってて森」が流行っていたのだ。

「TikTokでよくみるイケメンが カメラ目線で 音に乗せて にこにこしている動画 あれいつも 思うけど めちゃくちゃ私のこと 誘ってて草 完全に私のこと 好きで森・・・(作詞 かなねかな)」のフレーズが耳から離れない。

なかかな(かな先生)といえば,バイオリンはじめチャンネルだったので,もしかしてこのパターンのアカウントが沢山あるのかと調べてみたところ,TwitterやInstagramやYouTubeで「なか○かな」のユーザがぞろぞろ見つかった。

「かな」が人名を表すと同時に俳句の句末の切れ字になっているのでよく出てくるのかも。