2026年5月19日火曜日

立場と言葉(1)

銀河帝国の黄昏からの続き


図:立場と言葉のイメージ(ChatGPTによる)


お風呂に入っていると浮力で言葉が浮かんできたので,久しぶりに生成AIの助けを借りず自力でブログ記事を綴ってみる。


トランプ,高市,吉村あるいは斉藤元彦に象徴されるような政治的な話題について,ちょっと頭に来てChatGPTに聞くことが多い。その結論は自分と同じ方向を向いていたとしても,たいていの場合,客観的に均衡を取って考えなさいという趣旨の指導されることが多い。冷静を装って質問したはずなのだが,エコーチェンバーで増幅された自分の内なる感情がChatGPTに見透かされている。なかなかその収まり処がわからない。

結論はこうだ。言葉を発するものの社会的な立場と,彼らが使う言語におけるレトリックやトーンやロジックには明らかに構造的な相関があって,それがまさに言語が社会的な機能を発露している現場なのだ。世界はそのような言葉であふれている。そして今,SNSやAIがその言葉の機能を一気に混ぜ合わせて解体しようとしている。


最近よく聞くYouTubeのチャンネル(自分のエコーチェンバー),菅野完,ドン・マッツ,西脇享輔,子守康範,じゅんちゃんなどは明らかな運動家的・政治的言語をベースに語られている。自分はそれらには抵抗がないのだけれど,その一方で右側の政治的なレトリックには辟易しているので,国会中継や選挙放送はあまりみたくない。すぐに韓国・中国ドラマにチャンネルを変える。

NHKはじめマスメディアが使うのは大衆刺激言語だ。時々それが民主主義や人権に資することもあるのだけれど,多くの場合は政権を支持する多数派の通俗道徳的な気分に依拠しながら,ほぼ政府・業界広報的な報道がだらだら続いている。そして,情報量が多い特異的な事故や事件が発生すると,これでもかとばかりに増幅して見せて,一時的な集客に努めるのが彼らの本質だ。だから週刊文春に一喜一憂していても仕方がない。

自分が依拠し駆使してきた(できていたのか?)のは,教師の言語と学者の言語である。明白な支配的構造に安住しながら,リベラルだとか客観主義だとかの空気を振りまくことに慣れていた。ところが,そこに収益構造が絡めば,どんどん大政翼賛的で資本主義的な方向に流れていくのが人の常というものだ。全ての画面はそうしたイデオローグ達で満ちている。

あるいは,役人のレトリック。法と制度と慣習の構造を熟知して鎧兜のように身に付けながら,あるときは守りに徹し,また別のときは攻めに打って出る。それを駆使しているのが,あのおぞましい斉藤元彦の記者会見の場であり,言葉の持つ正当な論理や伝達の力や,情意まで投げ捨ててグロテスクな定形パターンの機械的応答を延々と聞かされることになる。

そして,ChatGPTをはじめとする生成AIの語りは,対話の継続のための媚びである。あくまでも,対話相手の話の流れを切断させないための隠れたレトリックを駆使している。それが,政治経済社会問題や日常生活のテクニカルな話題やプログラミングとコンピュータ環境の設定支援であってもだ。


SNSは,様々の立場の発言者(生成AIも含め)が,こうした立場によるレトリックやエモーションを取り混ぜて,増殖,加速させていくための場=装置だ。バベルの塔を目指してきた地球文明は,いままさに言葉の癌細胞の無限増殖によって崩壊の危機を迎えている。ホワイトハウス公式SNSからどんな情報が流れているかをみるがいい。高市らの数多の軽い嘘の積み重ねの歴史を巻き戻すがいい。


それでは,自分は何をするのか。まあとりあえず,今年の目標は,自分を形成してきた言葉の源泉であった数多の本の整理と処分かな。言葉との決別って言うこと?

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