田原本の奈良最古の醤油蔵元マルト醤油から少し歩くと村屋神社(村屋坐彌冨都比賣神社)がある。奈良県指定天然記念物の照葉樹林のイチイに囲まれた落ちついだ神社だ。その林にあるツバキの落ち葉を燃やした灰が強アルカリ性で,米にかけておくと醤油の発酵に最適の麹菌が生き残るらしい。
芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2026年2月23日月曜日
村屋神社
田原本の奈良最古の醤油蔵元マルト醤油から少し歩くと村屋神社(村屋坐彌冨都比賣神社)がある。奈良県指定天然記念物の照葉樹林のイチイに囲まれた落ちついだ神社だ。その林にあるツバキの落ち葉を燃やした灰が強アルカリ性で,米にかけておくと醤油の発酵に最適の麹菌が生き残るらしい。
2026年1月4日日曜日
廣瀬大社
「二十二社(にじゅうにしゃ)」とは、平安時代中期〜後期にかけて朝廷(中央政府)が特に重視して崇敬し、国家の重大な祭祀や天変地異の際に特別に奉幣(朝廷からの供物や幣帛)を受けた一連の神社のことです。主に京畿(京都周辺)と大和を中心とした由緒ある神社が選ばれ、合計22社となりました。制度としては永保元年(1081年)に「永例(正式な制度)」とされました。(Wikipediaより)
【上七社】1. 太神宮 神宮(伊勢神宮) 三重県伊勢市2. 石清水 石清水八幡宮 京都府八幡市3. 賀茂 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 京都府京都市北区賀茂御祖神社(下鴨神社) 京都府京都市左京区4. 松尾 松尾大社 京都府京都市西京区5. 平埜 平野神社 京都府京都市北区6. 稲荷 伏見稲荷大社 京都府京都市伏見区7. 春日 春日大社 奈良県奈良市【中七社】8. 大原野 大原野神社 京都府京都市西京区9. 大神 大神神社 奈良県桜井市10. 石上 石上神宮 奈良県天理市11. 大和 大和神社 奈良県天理市12. 廣瀬 廣瀬大社 奈良県北葛城郡河合町13. 龍田 龍田大社 奈良県生駒郡三郷町14. 住吉 住吉大社 大阪府大阪市住吉区【下八社】15. 日吉 日吉大社 滋賀県大津市16. 梅宮 梅宮大社 京都府京都市右京区17. 吉田 吉田神社 京都府京都市左京区18. 廣田 廣田神社 兵庫県西宮市19. 祇園 八坂神社 京都府京都市東山区20. 北野 北野天満宮 京都府京都市上京区21. 丹生 丹生川上神社(中社) 奈良県吉野郡東吉野村丹生川上神社上社 奈良県吉野郡川上村丹生川上神社下社 奈良県吉野郡下市町22. 貴布禰 貴船神社 京都府京都市左京区
2025年11月11日火曜日
如来御回在
2025年7月17日木曜日
オープンファクトリーマップ
NHKの夕刻のローカル番組ならナビで,奈良県のオープンファクトリーマップがとりあげられていた。オープンキャンパスの工場版?ちょっとちがうか。
オープンファクトリーとは、簡単に言うと、工場を一般の人々に開放し、モノづくりの過程を見学したり、体験できるイベントのことです。従来は、個々の企業が自社の工場見学を実施することが一般的でしたが、近年では、地域全体の活性化を目指して、複数の企業が共同でイベントを開催する「地域一体型オープンファクトリー」が盛んになっています。これをマップアプリ上に展開したものがこれ。これがどんなシステム上で作られているかというと,プラチナマップというデジタルマッププラットフォームだった。事例紹介をみると,観光案内(金沢旅物語もあった)やMaaS(仙台MaaSとか)などが中心であり,奈良県のようなオープンファクトリーはちょっとめずらしいのかもしれない。近畿圏全域のオープンファクトリーマップのネットワークにして,初等中等教育に活用できるとおもしろそうだ。
[1] 企業博物館(Wikipedia)
2025年5月9日金曜日
百済観音
2025年4月8日火曜日
そば楽
2024年12月24日火曜日
黄色い帽子
2024年12月8日日曜日
クロスウェイなかまち
2024年9月28日土曜日
宮越家花鳥図
2024年9月23日月曜日
梨園
梨園(りえん)とは中国・唐の宮廷音楽家養成所である。日本では転じて、一般社会の常識とかけ離れた封建・特殊社会として、かつての歌舞伎俳優の社会を差別的に表す。(Wikipedia)
由来:語の由来は、唐の玄宗の初年(712年)に、唐都長安西北郊の西内苑内で、芸人達を梨が植えられている梨園と称される庭園に集め、音楽教習府と呼ばれる施設で芸を磨いたことに始まる。 (Wikipedia)
2024年9月5日木曜日
運転免許更新
2024年8月20日火曜日
橿原市昆虫館
2024年8月16日金曜日
大仏鉄道
2024年8月15日木曜日
天理軽便鉄道
2024年7月24日水曜日
植物標本廃棄事件
Perplexity PRO に概要を調べさせ,得られた結果と奈良植物研究会の要望書を,Claude 3.5 Sonnet に与えてブログ記事としてまとめるように指示した結果が,つぎのとおり。
奈良県立大学による貴重な植物標本廃棄事件:1万点の学術資料喪失の経緯と影響はじめに2024年3月、奈良県立大学が預かっていた約1万点の貴重な植物標本(通称:岩田コレクション)を誤って廃棄したという衝撃的な事実が明らかになりました。この事件は、学術資料の管理の重要性と、適切な引き継ぎの必要性を改めて浮き彫りにしました。本記事では、この事件の経緯、関係者の反応、そして今後の課題について詳しく見ていきます。岩田コレクションとは岩田コレクションは、故岩田重夫氏が収集した植物標本群で、奈良県内外で採集された約1万点(奈良県内7,344点、県外2,732点)の標本から成る貴重な学術資料です。2001年に「県立自然博物館をつくる会」を通じて奈良県に寄贈されました。寄贈の経緯と協定内容1.1991年から奈良植物研究会と「県立自然博物館をつくる会」が自然史博物館設立を目指して活動2.1998年に奈良県が貴重なコレクションの保管施設を検討する意向を示す3.1999年4月15日、県が「貴重な標本を受贈する場合の基本的な考え方」を提示4.2000年8月から2001年2月にかけて、奈良植物研究会の会員が標本の整理と台帳作成を実施5.2001年6月29日、「県立自然博物館をつくる会」から奈良県へ正式に寄贈6.2001年8月13日、奈良県立大学の標本庫に搬入・配架寄贈時に交わされた覚書には、以下の重要な点が記されていました:第1条 標本については、その学術用研究財産としての重要性を踏まえ、散逸等を防止するために、乙(県立自然博物館をつくる会会長 菅沼孝之)が甲(奈良県)に寄贈し、甲が現状のまま保管・管理する。廃棄の経緯2024年3月21日、岩田コレクションが廃棄されたことが判明しました。廃棄に至った主な原因は以下の通りです:1.建物の取り壊し:標本が保管されていた建物の取り壊しに伴い、職員が不要物品の整理を行った2.所有者不明:標本が新聞紙に包まれていたため、担当者はその学術的価値に気づかず、所有者不明として産業廃棄物として処分3.引き継ぎの不備:担当者間での引き継ぎが不十分で、標本の価値や管理の重要性が適切に伝達されていなかった関係者の反応と対応奈良植物研究会奈良植物研究会は、2024年7月19日付で奈良県知事宛に要望書を提出し、以下の点を強く求めました:1.岩田コレクション受け入れに関する奈良県の認識と経緯の説明2.岩田コレクション廃棄に至った経緯の説明3.今回の事実に対する奈良県としての対応4.自然史資料の散逸を防ぎ、自然史研究・教育に資する体制の創設に向けた取り組みの推進上記4点に関する30日以内の回答要望書では、この事件を「断じて許されない行為」「奈良県における郷土の自然史資料の散逸を防ぎ自然史研究・教育を推進しようとする当会の願いに反する誠に遺憾な行為」と強く非難しています。奈良県立大学尾久土正己学長が会見で謝罪し、再発防止策として重要な資料の確認と引き継ぎの徹底を約束しました。事件の影響と今後の課題1.学術的損失:過去に採集された標本の中には、現在その採集地で確認できないものも含まれており、二度と採集することができない貴重な資料が失われました。2.自然史研究への影響:奈良県、ひいては日本の植物学における大きな損失となりました。3.資料管理の重要性:学術資料の適切な管理と引き継ぎの重要性が改めて認識されました。4.自然史博物館の必要性:自然史資料を適切に保管・管理するための専門施設の必要性が浮き彫りになりました。おわりにこの事件は、学術資料の管理における責任の重さと、適切な引き継ぎの重要性を改めて示しました。今後、奈良県および関係機関が、この教訓を活かし、貴重な自然史資料の保護と活用に向けた取り組みを強化することが期待されます。同時に、この事件を契機に、全国の研究機関や自治体が所有する学術資料の管理体制を見直すきっかけとなることも望まれます。
2024年7月2日火曜日
金魚三百年
中国・発祥と歴史: 金魚の発祥は浙江省近辺で、南北朝時代に飼育が始まった。宋代に養殖が盛んになり、明代には品種が増えた。・文化大革命の影響: 文化大革命で「旧文化」として非難され、生産・流通が壊滅状態に。1978年の日中平和友好条約後、日本の協力で復興が始まった。・現状: 改革開放政策後に庶民にも普及し、現在は輸出品として政府の支援を受けている。日本・伝来と初期の飼育: 室町時代に中国から伝来。江戸時代に大々的に養殖が始まり、江戸中期には庶民の愛玩物として広まった。・庶民への普及: 江戸時代後期に大量生産が確立し、庶民に普及。品評会や飼育用具も充実した。・現代の状況: 各地に養殖産地があり、愛知県(弥富市)、奈良県(大和郡山市)、東京都(江戸川区)の三大養殖地が有名。2022年にはアートアクアリウム美術館が銀座に移転している。
どこが300年なのか。
Perplexityに尋ねると,その情報源はやはりほとんどWikipediaなのだけれど次のようになる。
Q(koshix):江戸時代の日本に金魚が伝来してその飼育が普及するにいたる端緒になったのはいつどこのどんなことでしょうか。
A(Perplexity PRO):
江戸時代の日本で金魚の飼育が普及するに至った端緒は、以下のような要因が重なったことによります:
1.武士のサイドビジネス:江戸中期になると、藩士たちが副業として金魚の養殖を始めました。これにより金魚の大量生産が可能になり、価格が下がったことで庶民にも手が届くようになりました。
2.養殖技術の発展:江戸時代に入り、平和な時代が続いたことで養殖技術が発展しました。これにより、金魚の生産量が増加し、より多くの人々が金魚を入手できるようになりました。
3.金魚飼育書の出版:延享5年(1748年)に安達喜之による『金魚養玩草』という金魚飼育書が出版されました。この本の影響により、金魚の愛好が広まったとされています。
4.販売形態の確立:江戸中期には、金魚売りや金魚すくいなどの販売形態が成立しました。これにより、金魚がより身近な存在となりました。
5.夏の風物詩としての定着:金魚は江戸時代の夏の風物詩として定着し、庶民の間で人気を博すようになりました。
これらの要因が重なり合って、江戸時代中期から後期にかけて、金魚の飼育が庶民の間で広く普及するようになりました。当初は贅沢品だった金魚が、養殖技術の発展と販売形態の確立により、メダカと並ぶ庶民の愛玩動物として広まっていったのです。
Q(koshix):
大和郡山市では今年金魚伝来300年を記念する行事が行われるそうなのですが,その300年の根拠を教えてください。
A(Perplexity PRO):
大和郡山市で金魚伝来300年を記念する行事が行われる根拠は、1724年に大和郡山藩の藩主であった柳沢吉里が甲斐国(現在の山梨県)から大和郡山に転封された際に、金魚の養殖が始まったことに由来します。この年が金魚養殖の始まりとされており、2024年でちょうど300年を迎えることになります。
[1]「金魚が旅した中山道を歩く」プロジェクト "金魚旅"(大和郡山市)
2024年6月8日土曜日
カラスに襲われる
2024年5月31日金曜日
無書店自治体
・TSUTAYA WAY書店天理店(田井庄町481−5)・未来屋書店 天理店(東井戸堂町381 イオンタウン)・ヤマト屋書店(別所町80−6)・おやさと書店 三島店・Books道友(三島町432−1)・おみちの書籍 天理書房(川原城町306−1)・海老山書店(川原城町72)・西廼書店(柳本町1255)・大塚書籍文具店(櫟本町2423−1)

















