芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2024年3月14日木曜日
春日祭
2024年2月23日金曜日
お水おくり
2024年2月22日木曜日
東大寺修二会
2024年2月21日水曜日
工場跡事務室
2023年11月12日日曜日
奈良の神社寺院
また,神道の系列別のベスト7は次のようになる。八王子神社も散歩でよく見かける。奈良市 396 12%五條市 238 7%宇陀市 229 7%橿原市 214 7%大和郡山市 193 6%桜井市 156 5%天理市 155 5%その他 1602 50%
春日系列 146 20%八幡系列 139 19%祇園系列 83 11%天神系列 81 11%八王子系列 39 5%伊勢系列 35 5%稲荷系列 24 3%その他 188 26%
浄土真宗本願寺派 424 24%浄土宗 318 18%融通念仏宗 205 11%高野山真言宗 164 9%真宗大谷派 100 6%曹洞宗 74 4%真宗興正派 67 4%その他 441 25%
2023年11月11日土曜日
融通念仏宗
2023年4月26日水曜日
URLを教えてもらう
2023年3月8日水曜日
行政文書
この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)を含む。第十九条を除き、以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。一 官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの二 特定歴史公文書等三 政令で定める研究所その他の施設において、政令で定めるところにより、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの(前号に掲げるものを除く。)
(文書主義の原則)第12条 職員は、文書管理者の指示に従い、法第4条の規定に基づき、法第1条の目的の達成に資するため、総務省における経緯も含めた意思決定に至る 過程並びに総務省の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証するこ とができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、文書を作成 しなければならない。
2023年2月26日日曜日
水木十五堂
大和の歴史や地誌の研究を進める一方,漢詩,和歌,俳句,書画,狂歌から茶道,演劇等を通じ,多くの文人や芸術家と交流し,幅広い分野であらゆる収集を行い,その数7,000点あまり,『水木コレクション』として,今日に受け継がれている。中近世の古文書,近世の刊本,近世から近代の絵地図,文化人の書状など多岐にわたる膨大な資料群であり,学術的に貴重な資料も多く含まれている。特に異彩を放つのが,『水木の大福帳』と呼ばれる半紙四分の一大の帳面であり,300冊以上にものぼる大福帳には,多くの学者や文人,芸術家などあらゆる階層の人たちが署名やコメント,似顔絵などを残している。まさに時代の息吹が直接伝わる貴重な資料である。(大和郡山市ホームページより引用)
2023年1月14日土曜日
傾城恋飛脚
2023年1月5日木曜日
小鍛冶
三条の小鍛冶宗近は剣を打てとの勅命を受けるが相鎚あいづちの者がいないので当惑し,稲荷明神に祈誓に行く。すると童子が現われ,力を貸し与えようといって消える。宗近が用意を整えると,稲荷明神が現われて相鎚をつとめ,名剣小狐丸ができあがる。
稲荷明神が頭に狐の型をつけていた。何も知らないジージは,頭にネコがいるというと,すーちゃんは違うよと。イヌだ。うぅうん。キツネかなというと,そうだよとやっとOKが出た。すーちゃんは何でキツネだとわかったのだろう。
2022年11月8日火曜日
世阿弥の佐渡状
2022年11月7日月曜日
NARASIA
2022年7月28日木曜日
しかせんべい
奈良県民になって30年,奈良の名所も一通り訪れた。ときどきテレビでは,鹿せんべいを買った人が鹿に追いかけられて往生している場面が映る。これを見て,あ〜素人だぁ(こどもならしかたないけど)と即席奈良県民は余裕のよっちゃんで笑っていた。
さて,夏休みの孫たちを連れて,久しぶりに奈良公園で鹿にせんべいを与える行事が勃発した 。バーバの指示で,一束200円に値上げされてしまったせんべいを二束,乾いた寡黙な婆さんから購入した。おつりの百円玉をもらった瞬間を合図に,近くで待機していた鹿チームがどわっと押し寄せてきた。
しかも,そのうちの数頭の牡鹿はとても立派で綺麗な角を持っていて,ぐいぐいぐいと迫ってくるのだ。鹿の角切りは秋の行事であり,今は,春に生まれた仔鹿が鹿苑を出て公園デビューしたばかりの時期。発情期ではなさそうなので,そこまで危険はないのかもしれない,が,しかし鹿の角は怖い。
昔,六甲山牧場に金沢から出てきた母親を連れて行ったことがある。牛といっしょに記念撮影をしようと近づいたところ,気分を害した牛に思い切り尾てい骨を突かれてしばらく痛かった。それ以来,互いに気持ちが通じにくい偶蹄目はちょっと苦手だ。
Wikipediaの鹿せんべいの記事では,食糧が不足する冬の時期の方が危ないと書いてあるが,まったく関係ありません。自分が鹿にせんべいをやるターンだったら,その場で包みを破って,ワアキャアいいながら片づけてしまえばいいようなものの,今回はこの二束の鹿せんべい,なんとか孫のすーちゃんまでバトンを繋がなければならない。
一番大きな角の鹿に迫られ,小突かれ,服を引っ張られながら,ようやくかーかへのバトンタッチに成功した,が,鹿はそんなこと関知しないので統一教会への追及の手を緩めない。クネクネ歩きでなんとかそれをかわしながら,鹿せんべい売り場の婆さんから70mほどでようやく彼らのテリトリー境界を越え,かろうじて脱出に成功した。
教訓:鹿せんべいを甘く見てはいけません。
2022年7月11日月曜日
テロリズムの定義
7月8日,週刊誌でスキャンダルが暴露された候補者がいる長野選挙区での応援を急遽取りやめて,それほど接戦が伝えられているわけでもない,政調会長高市早苗の地元奈良選挙区へ遊説にきた安倍晋三(1954-2022)が,近鉄大和西大寺駅前の演説会場で銃撃され心肺停止状態となった。その後,平城宮跡からドクターヘリで救急搬送され,5時間後に奈良県立医大附属病院で失血死した。地元のニュースにはついつい反応してしまう。
安倍晋三は自分よりちょうど1歳下で,誕生日も1日違いなので,どうも自分と性格が似ているように思えてならない。困ったものだ。NHKをはじめとしてマスコミは安倍の所業の負の側面には一言も触れず,その「功績(今でも異論があり歴史の評価に堪えられない)」をこれでもかと褒め称えることに終始していて気が滅入る。しかも喪服モードだよ。中曽根康弘(1918-2019)や石原慎太郎(1932-2022)のときよりたちが悪いかもしれない。
1980年の参議院選挙中に首相の大平正芳(1910-1980)が亡くなった。このとき自民党が大勝したように,今回も(そうではなくても自民・公明・維新が優勢だと伝えられている)同じ轍を踏みそうである。安倍晋三は,生前だけでなく死後にも日本社会に大きなダメージを与えるのか。希望が不在のパンドラの箱(希望カードは野党解体に使われてしまった)が開いてしまった。「安倍さんの悲願の憲法改正と防衛費倍増を!」というスローガンが目に浮かぶ。
マスコミや政治家の定型的なコメントでは,「このテロは言論の自由に対する挑戦だ」というような表現が使われている。しかし,これまで奈良県警から断片的に漏れてくる情報では,政治的なテロではないし,言論封殺を狙ったものでもない。政治家に対する暴力の連鎖がテロを誘導するといえばそうだろうし,宗教団体に対する局所テロとはいえるのかもしれないが。
2017年の逢坂誠二(1959-)の国会での質問主意書によれば,日本の法律上のテロリズムの定義は次のようなものである。
警察庁組織令第三十九条では、テロリズムの定義として、「テロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。)」と規定されている。
特定秘密の保護に関する法律第十二条第二項では、テロリズムの定義として、「テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。)」と規定されている。
容疑者が犯罪の動機としたのが「安倍と宗教団体との密接な関係が原因であり,安倍の政治信条への恨みからではない」からだとすれば,社会に不安若しくは恐怖を与える目的がないことは明らかなように(現時点では)思える。
トロツキズム,テロリズム,ヘイトクライムなどの言葉が意味をずらして,レッテリングに使われることには注意が必要だ。言論封殺が好きなのは,憲法改正で基本的人権の剥奪を目論んだ(でいる最中の)自民党右派の皆さんのはずなのに,安倍の死を逆手にとって,民主主義を守れというあやしげな選挙前キャンペーンを振りまいている。
P. S. まだ事件の全体像がはっきりしていない中,選挙前の7月9日のNHKスペシャルで「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」が放送された。Twitterでは,選挙前に他にやることがあるだろうと非難轟々だった。これまでの映像材料をかき集めてざっくりと編集しただけの番組に,御厨貴(1951-)をよんできて,暴力で言論がゆがめられてはいけないとしゃべらせていた。今回の事件の本質の一つであるカルトと政治の関係にはまったく迫れていない。
[1]「宗教団体の名前を伏せる」「各局揃って喪服」……「安倍元首相銃撃事件」テレビ報道への4つの“違和感”(鎮目博道)
[2]アベさんに対する銃撃について思うこと(小出裕章)
2022年7月9日土曜日
KCN 光1G
フレッツ光 vs eo光 からの続き
あっというまに,9ヶ月過ぎていた。マンションの春の理事会で,KCNのインターネットが光に 切り替わるというアナウンスがあり,5月ごろに受付が始まった。早速申し込んだところ,6月に訪問調査があり,7月8日に開通することになった。
これまでは,TVの共聴同軸ラインから分配したものをモデム経由で無線ルータ(AirMac)に繋いでいた。今回は,NTTの電話線の配管に光ファイバーを通して,電話線の出口あたりからONUに入って無線ルータに繋げることになる。そこで,AirMacの設置場所も電話機の位置に移動するわけで,やや面倒なことになったのだが,ONUはとてもコンパクトだったので,壁に取り付けるまでもなかった。
光ファイバーの引き込みとONUへの接続に1時間ほどかかって作業が終り,KCNさんの端末では接続が確認された。ただし,クレームを避けるためか,速度測定はしてくれなかった。
入線担当グループはMacの設定についてはちょっと不安があるようで,KCNの別担当が工事終了後にくることになっていた。それまでに,自分でAirMacに結線して確認したところ,特別な設定なしに問題なく繋がった。肝腎の回線速度だけれど,下りが150Mbps,上りが100Mbpsくらいだ。下りは多少改善された程度だが,上りは20倍程度になったので,zoom会議も安心だ。
KCNの設定担当者がきても特にすることはなく,専用端末を有線でつないで,下り180Mbpsと上り210Mbpsでていますということで終了した。AirMacもかなり古いWifiルーターなので,これを取り換えてもいいかと考えていたが,有線でこの程度ならばあまり御利益はない。
ベストエフォートだし,月々の回線料も安くなったので,まあよしとしよう。問題は夜間の混雑時にどうなるかだ。うちが,マンション内の光回線引き込み工事第1号だったので,今週くらいはまだましかも(P. S. とりあえず夜間のスピードダウンは解消された)。
2022年7月6日水曜日
まひるの月を追いかけて:恩田陸
昔,最も多いときは,年に100冊近く本や雑誌を買っていたかもしれない。ところが,最近,ほとんど本を買わなくなってしまった。通勤帰りに毎日本屋に立ち寄る習慣がなくなったせいだが,そもそも行動範囲内から書店がどんどん消えていることも原因だ。
諸般の事情で少し空き時間があったので,久しぶりに近鉄八木店のジュンク堂書店に立ち寄ると,宮部みゆき(1960-)の文庫新刊「まひるの月をおいかけて」が平積みされていた。手に取って中をパラパラみると,奈良県のあちこちを回る話で,天理という字が目に入ったので思わず買ってしまい,並み居る未読書を差し置いてさっそく読了した。
主人公らは,東京−橿原神宮前駅−橿原神宮−藤原京−今井町−明日香−亀石−橘寺−石舞台−天理駅−山辺の道−長岳寺−大神神社−近鉄奈良駅−奈良公園−新薬師寺−白毫寺−東大寺−法隆寺−中宮寺−飛鳥駅−橘寺と巡り,それにつれて物語が転回していく。
実体験にもとづくような文章だったので,たぶん,宮部みゆきもこのルートを辿ったのだな。天理駅前のビジネスホテルと焼き肉屋はどこだろう。とあらためて本をよく見ると,著者は宮部みゆきではなく,恩田陸(1964-)だった。しかも新刊ではなく,2007年が文庫1刷(単行本は2003年)だ。写真で見る二人の顔形はなんとなく似ているような気がするし,文春文庫の黄色い背表紙をみて条件反射的に宮部みゆきにアサインされていたようだ。奈良のご当地ものということで,書店で平積みされていただけだった。
宮部みゆきは何冊も読んだが,恩田陸は映画化された「夜のピクニック」を始めほとんど読んでいない。ハヤカワSFシリーズということもあって「ロミオとロミオは永遠に」はたぶん買ったような気がするが,期待外れだったので処分してしまった。
2022年6月29日水曜日
信貴山朝護孫子寺
摂州合邦辻からの続き
今年は寅年なので,信貴山朝護孫子寺に注目が集まっているはずだ。信貴山登るなら今年がいいねということで,自宅から西に15km,車で30分のところにある信貴山寺に行ってきた。
実は,これは初めてではなくて2回目である。1回目は大学2年のゴールデンウィークだった。八尾(志紀)の柳田さんの家にお泊まりで行ったメンバーは誰だったか,楠本さんの他,藤原さんもいたかなあ。講義ノートを販売する作戦の倫理的問題について議論が巡らされたときだ。
次の日に恩智駅からいけば近いよということで,楠本君と二人で信貴山に上ることになった。信貴山寺は,恩智駅からほぼ東に5kmにある。Googleマップで道を確認して見たがみあたらない。しかし,ちゃんとハイキングコースがあって,2-3時間ほど歩くと迷わずにお寺まで到達できた。そのころにも大きな寅があったのだろうか,全く印象には残っていない。
さて,今回は,入り口の大寅(電動らしい)で記念撮影したあと,成福院,玉蔵院,本堂(戒壇巡り),千手院とまわったが,信貴山観光センターも霊宝館も臨時休業で,信貴山縁起絵巻(複製)も拝観できなかった。境内の電気工事のせいだ。戒壇巡りもコーナーの非常灯が消灯しているので,気をつけるように注意された。
本堂拝観の後,時間が余ったので信貴山城趾まで登ることにする。出発点から頂上まで560m20分と書いてあるけれど,両手に竹杖の高齢者夫婦にはその倍の時間がかかってフラフラになる。残念ながら力尽きて松永屋敷跡まではたどり着けなかった。
587年7月3日,聖徳太子が物部守屋を討伐したのを機に創建し,毘沙門天=多聞天を本尊とする信貴山寺だが,境内は鳥居だらけだった。真言宗でも高野山とはちょっと空気が違う。毘沙門天が戦いの神になったのは,仏教に取り込まれた後であり,そもそもは,「五穀豊穣,商売繁盛,家内安全,長命長寿,立身出世」という現世利益を授ける七福神の一柱なので,信貴山寺の売り出し方は本来の姿なのだろう。
[2]志貴山縁起中(国立国会図書館デジタルコレクション)
[3]志貴山縁起下(国立国会図書館デジタルコレクション)
2022年3月3日木曜日
水平社宣言
1922年の3月3日に,京都市の岡崎公会堂で,全国水平社の創立大会が開かれ,そこで, 水平社宣言が採択された。その100周年になる。奈良県御所市にある水平社博物館もリニューアルされて,3月3日にオープンする。
全國に散在する吾が特殊部落民よ團結せよ。
長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によつてなされた吾らの爲めの運動が、何等の有難い効果を齎(もた)らさなかつた事實は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そしてこれ等の人間を勦(いたは)るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、實行者であつた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剝ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剝取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖い人間の心臟を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
吾々が穢多である事を誇り得る時が來たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によつて、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何なんであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃(がんぐらいさん)するものである。
水平社は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。
大正十一年三月
2022年2月11日金曜日
高取城
晴れた祝日だったので(まあ年がら年中休日だらけかもしれないが)高取城に行くことになった。自宅のベランダからは標高583mの高取山が見えているが,その山頂の山城だ。車で40分南に走ると明日香の先に高取町の古い町並みがある。
無料の観光駐車場から高取城までは,3km弱で440mほど登ることになる。この数字だけをみると簡単そうに見えるが,約2時間の山道は日ごろの鍛練を怠っている高齢者にはかなりハードな行程だった。きつい勾配にもかかわらず,キャッキャとはしゃぐ子供たちが横を駆け抜けていく。
高取城は日本三大山城のひとつだが,テレビでも日本最強の城として紹介されることが多い。竹田城にはバスで上ったことがあるが,なぜ三大山城にはいっていないのだろう?城郭の面積だけならば,どちらも同じくらい広いような気がする。
明治20年の高取城の写真が残っていて,これはWikipediaでもみられる。明治の版籍奉還によって,全国の城は兵部省の管轄になり,さらに陸軍省に引き継がれる。明治6年に廃城令が出され,陸軍が軍用として使用する城郭陣屋と,大蔵省に引渡し売却用財産として処分する城郭陣屋に区分された。この過程で,高取城を含む多くの城は廃城となった。