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2023年2月18日土曜日

少女マンガベスト10

バート・バカラックからの続き

BingAIはイージーリスニングの楽団についてそこそこの結果を返した。これに味をしめて,少女マンガ家のベストテンを尋ねてみた。
Q:日本の少女漫画家のベスト10をあげて下さい。
[番号,氏名,生年,代表的な作品名を1つ]の形式でお願いします。

‘日本の少女漫画家のベスト10’ を検索しています
‘少女漫画家 24年組’ を検索しています
回答を生成しています…

A:こんにちは、こちらはBingです。少女漫画家のベスト10をお答えします。😊

少女漫画のベスト10というのは、主観的なものなので、一概には言えませんが、一般的には、1970年代に少女漫画の革新を担った女性漫画家の一群である「24年組」1が有名です。彼女たちは、それまでの少女漫画の常識を打ち破り、新しい表現やテーマに挑戦しました。24年組のメンバーは、以下のようになります。

[番号,氏名,生年,代表的な作品名を1つ]
1,萩尾望都,1949年,『ポーの一族』2
2,竹宮惠子,1950年,『風と木の詩』2
3,大島弓子,1947年,『綿の国星』2
4,青池保子,1948年,『ポーの一族』2
5,木原敏江,1948年,『ベルサイユのばら』2
6,山岸凉子,1947年,『風と木の詩』2
7,樹村みのり,1949年,『ベルサイユのばら』2
8,ささやななえこ,1950年,『ベルサイユのばら』2
9,山田ミネコ,1949年,『ベルサイユのばら』2
10,岸裕子,1949年,『ベルサイユのばら』2
以上が、少女漫画家のベスト10としてよく挙げられる方々です。3
最初の3件はなっとくだが,その後がグダグダになっている。そこで,質問の角度を変えて,少女マンガの名作ベストテンにしてみた。
Q:日本の少女マンガの名作ベスト10を教えてください。回答は次の形式でお願いします。なお,一人一作品に限ることにします。幅広い年代からバランスよく選択してください。
[順位,作品名,出版年,著者名,著者の生年]

A:こんにちは、こちらはBingです。日本の少女マンガの名作ベスト10をお答えします。😊

少女マンガの名作というのは、時代や個人の好みによって変わるものなので、一概には言えませんが、一般的には、以下のような作品がよく挙げられます。123

[順位,作品名,出版年,著者名,著者の生年]

1,花より男子,1992〜2004,神尾葉子,1957
2,NANA―ナナ―,2000〜2009,矢沢あい,1967
3,カードキャプターさくら,1996〜2000,CLAMP,1987
4,ベルサイユのばら,1972〜1973,池田理代子,1947
5,天は赤い河のほとり,1995〜2002,篠原千絵,1963
6,電撃デイジー,2007〜2013,もとなおこ,1973
7,ちはやふる,2007〜,末次由紀,1975
8,金色のコルダ,2003〜2011,呉由姫,1973
9,きらきらひかる,1992〜1998,水野英子,1958
10,おしゃれ手帖,1985〜1994,一条ゆかり,1952
以上が、少女マンガの名作ベスト10としてよく挙げられる作品です。

さきほどより少し改善されたが,6,9,10は作品名と著者名が対応していない。ちなみに,ベスト20にして,誤った部分の差し替えを依頼すると,いつまでたっても,正しい組を答えることができないループにはいった。以前,ChatGPTに動物園にいる動物を20種あげてもらったときも,同様だった。動物名の重複や動物園外のいきものが延々と繰り返されていた。


追伸:Bing Chat はあっという間に限界に達したようだ。今日から,1セッションあたり5ターン(一往復問答)まで,1日当たり50ターン?までという制限がかかってしまった。回答の柔軟性も失われているようだ。Bing Chat の混乱によって不適切な情報が回答されるのを防ぐのが主目的のようだ。

2023年2月12日日曜日

大泉サロン

冥王代からの続き

竹宮惠子と丸山茂徳が徳島大学時代に何の部活で接点があったのかを探していたところ,竹宮惠子の大泉サロン時代の話に引き込まれた。
大泉サロン(おおいずみサロン)は、かつて東京都練馬区南大泉に存在した借家で、漫画家の竹宮惠子萩尾望都が1970年から1972年にかけて2年間同居し交流の場となった際の呼び名である。「24年組」と呼ばれ、のちに日本の少女漫画界をリードした女性漫画家達が集った。(Wikipedia 大泉サロン)
藤子不二雄まんが道にでてくるトキワ荘のような話かと思うと,残念ながらそうではなかった。アマゾンの[3]の書評で御伽草子が「芸術家の決闘,あるいは,萩尾望都へのアンフェアな罵倒に対する逆襲」として,1万6千字費やしてしまうような物語だった。

一方,Wikipediaには次の記載がある。
「大泉サロン」には、山田ミネコ(1949年生)、ささやななえこ(1950年生)、伊東愛子(1952年生)、佐藤史生(1952年生)、奈知未佐子(1951年生)、それに少女同人サークル「ラブリ」(石川県金沢市)の坂田靖子(1953年生)、花郁悠紀子(1954年生)、波津彬子(1959年生)、たらさわみち、城章子など、いわゆる24年組と呼ばれる世代を中心とする若手女性漫画家やアシスタントが集まった。
このうち,坂田靖子花郁悠紀子(開発公子),波津彬子(開発明子)は金沢市立野田中学校の同窓生である。坂田さんは,3年6組(山田清三先生)の同級で20期卒,開発姉妹は21期と26期だ。坂田さんは病気で1年遅れたために自分と同じ学年になっていたようだ。

彼女達がまんがを描いていたことは妹から聞いて知っていた。同人サークルに妹が誘われていたのかどうかはっきりしないのだが,同人誌のようなものをちらっと見せてもらった記憶がある。卒業アルバムには坂田康子とあったような気もするが,50周年の同窓会名簿は靖子で採録されていた。竹宮惠子のマンガは全く読んでいないのだが,萩尾望都は妹から借りて何冊も熟読したのだった。

[3]一度きりの大泉の話(萩尾望都)
[4]少年の名はジルベール(竹宮惠子)
[5]増山法恵(萩尾望都と竹宮惠子を大泉サロンで結ぶ)

P. S. 2023.3.22
妹に確認したところ,彼女が中学2年から3年のころに(1969-70),坂田さんの主催する同人誌ラヴリに参加して,実際に作品を作って投稿していたらしい。ちょうど同人ラブリが創設されてまもなくのころだ。手書き同人誌を湿式コピーしたものがあったのだが処分してしまったらしい。

2020年8月9日日曜日

さよなら三角

妹のおかげで,少女マンガに触れる機会が多かった。月刊少女マンガ雑誌といえば,少女クラブ(講談社:1946-1962),少女(光文社:1949-1963),なかよし(講談社:1954-),りぼん(集英社:1955-)などだった。どれを購入していたのだろうか。あるいは,週刊誌の少女フレンド(講談社:1962-1974),マーガレット(集英社:1963-1988),セブンティーン(集英社:1968-)だったか。

砂糖や脂肪がふんだんに使われている洋菓子や和菓子のようなフレーバーでなくて,自分にも楽しく読めたのは,恐怖マンガ系の楳図かずお(へび少女とか),ギャグマンガの土田よしこ,あるいは巴里夫(ともえさとお)などに限られていた。巴里夫のデビュー作が「さよなら三角」となっているが,それだったかあるいは別のマンガのエピソードのひとつだっだような気もするけれが,さよなら三角の最初のフレーズだけが印象的だった。

 さよなら三角 また来て四角
 四角は豆腐 豆腐は白い
 白いはウサギ ウサギは跳ねる
 跳ねるはカエル カエルは青い(みどり)
 青い(みどり)は柳(葉っぱ)
 柳(葉っぱ)はゆれる
 ゆれるは幽霊 幽霊は消える
 消えるは電気 電気は光る
 光るはおやじのハゲ頭

また,単行本で萩尾望都のシリーズを揃えていたのを読ませてもらったのは,大阪に出てきてからかもしれない。

中でも最も印象深かったのは水野英子ファイヤー!だった。ちょうど自分が高校生の頃で,洋楽ポップスにはまっていた時期なので強く引かれた作品だった。いまだと,クイーンのボヘミアン・ラプソディー,昔だとロマン・ロランのジャン・クリストフか。

2020年8月7日金曜日

日の丸

昭和30年から40年にかけては,少年マンガ雑誌は月刊誌がその中心だった。やがて,少年サンデー(小学館:1959-),少年マガジン(講談社:1959-),少年キング(少年画報社:1963-),少年ジャンプ(集英社:1969-),少年チャンピオン(秋田書店:1970-)などの週刊誌が主流となっていく。

小学校低学年のときに,母親からマンガの雑誌を定期購読してもいいという話をとりつけた。少年マガジンやサンデーなどの週刊誌もあるよとすすめられたけれど,付録もついている月刊誌を選択した。それが日の丸(集英社:1958-1963)だった。どちらかといえば最もマイナーだったのだが,どうしてそれが気に入ったのかよくわからない。ナンバーセブン(手塚治虫)やテレビ小僧(石森章太郎)があったのは憶えている。

当時の月刊誌といえば,少年クラブ(講談社:1946-1962),少年(光文社:1946-1968),冒険王(秋田書店:1949-1983),少年画報(少年画報社:1950-1971),まんが王(秋田書店:1952-1971),ぼくら(講談社:1954-1969),少年ブック(集英社:1959-)などがあった。

各社2冊のところがあるので,対象年齢層が少しずれていたのかもしれない。日の丸は小学校3年の終わりに休刊となって,同じ集英社の少年ブックに引き継がれたため,そのまま少年ブックを購読していた。少年ブックは日の丸と違って付録も充実しており,毎号楽しみだった。小学校5年生の時に実家が新築されたので,それを潮時として購読をやめたのかもしれない。やがて小学校が終わるころには,月刊誌のピークも終わりに近づいていた。

定期購読していないものでも,貸本屋,床屋,病院,友達の家などで読む機会は多かったので,各雑誌の主要マンガの印象は大きい。また,少年ブックに連載されていた,ビッグX(手塚治虫)や宇宙エース(吉田竜夫)などは,鉄腕アトムや鉄人28号などのメジャーではない作品がアニメ化されていく過程のさきがけのひとつだった。

2020年8月5日水曜日

桑田次郎

桑田次郎が7月2日に85歳で亡くなったという報道があった。桑田二郎とあったので,何を間違えているのかと思ったが,間違えていたのは自分のほうで,1990年ごろに改名されていた。

まぼろし探偵は,少年画報に1957年から1961年まで連載されていた。少年と同じように新保の床屋でみていたのか,あるいは清藤の貸本屋で借りていたのかどうだったのか。吉永小百合が出ていたテレビのまぼろし探偵は1959年から1960年の放送で,これもなんとなく記憶にある。

月光仮面は,1958年から1959年までテレビで放映されていたが,こちらの印象のほうが強い。小学校の絵日記では,風呂敷をマントにして月光仮面ごっこをしている絵をかいていた。桑田次郎の少年クラブのマンガ版のほうは記憶にないが,サタンの爪の赤が印象的だった絵本は買ってもらったことがある。月光仮面といえば佐藤秀明君で,金沢大理(→北教大)の岡崎隆さんと一緒に原子核三者若手夏の学校で踊っていた。

エイトマンは,平井和正原作のスタンダードなSFの設定だった。1963年から1965年までの少年マガジンの方は見ていなかったかもしれないが,1963年から1964年の丸美屋ののりたま提供のテレビマンガのほうは欠かさずに見ていた。小学校のバス旅行の帰りにはエイトマンの歌で盛り上がっていた。エイトマンといえば深山良徳君で,これまた夏の学校でのエイトマンの踊りはシュレーディンガー音頭を圧倒していた。