芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2024年11月12日火曜日
八犬伝
2024年2月14日水曜日
曾根崎心中
文楽の曾根崎心中は何度か観ているが,歌舞伎では初めてだった。
この世の名残り」夜も名残り。死に行く身を」たとふれば」あだしが原の」道の霜。一足づつに」消えて行く」夢の夢こそ」哀れなれ。あれ数ふれば」暁の」七つの時が」六つ鳴りて」残る一つが」今生の」鐘の響きの」聞き納め。寂滅為楽と」響くなり。鐘ばかりかは」草も木も」空も名残りと」見上ぐれば」雲心なき」水の面」北斗は冴えて」影うつる」星の妹背の」天の河。梅田の橋を」鵲の」橋と契りて」いつまでも」われとそなたは」女夫星。必ず添ふと」すがり寄り」二人がなかに」降る涙」河の水嵩も」勝るべし。
竹本住太夫が,近松は五七調からズレるのがあまり好きじゃないといっていたが, この冒頭の部分だとずれているのは一箇所だけだ。
2024年1月11日木曜日
見せ算
2023年12月25日月曜日
M-1グランプリ2023
2023年2月27日月曜日
レコード煎餅
1924年に神戸で煎餅レコードが販売されていた。タイヘイレコード設立者の森垣二郎が作ったものとされ,童謡が収録されていた。これを見た落語家の初代桂春団治(1878-1934)が1925年に,今度は大阪市の住吉区にあった「ニットーレコード(日東蓄音機)」の協力のもと,やはり煎餅レコードを作った。湿気ない様に缶にパッケージされていた。春団治のレコードの価格は8枚入りの1缶が1円50銭,10枚入りの1缶が1円95銭だった[19][20]。1926年1月に天理教の大祭の人出の多さを当て込んで売り出されたが,値段の高さや,あいにくの雨で煎餅の多くが湿気ったことなどでほとんど売れず,春団治は大損した。落語やコントなどが収録され,「聴き飽きたら食べる」というコンセプトだった。
せんべいで作ったレコードは大正期の終わりに京都市内のお菓子屋が始めたという。実際に制作されたせんべいのレコードは兵庫・神戸市にある有馬温泉名物の温泉せんべいのように表面がすべすべしたもので,水飴でコーティングしてそこに溝を入れ,竹の針を落として聴く。神戸では「桃太郎」や「金太郎」,そして「花咲かじいさん」のような童謡を吹き込んだせんべいのレコードが売られていた記録も残っていた。(中略)レコードは初代師匠の十八番の落語などを吹き込み,いずれも専用の竹針を入れた8枚入りと10枚入りの2種類を売り出して,「鈴鹿馬子唄」の歌詞を拝借した「昔はウマが物云う鈴鹿の関,今は煎餅で物云う春団治」というキャッチコピーで売り出した。
2023年1月15日日曜日
壇浦兜軍記
2023年1月5日木曜日
小鍛冶
三条の小鍛冶宗近は剣を打てとの勅命を受けるが相鎚あいづちの者がいないので当惑し,稲荷明神に祈誓に行く。すると童子が現われ,力を貸し与えようといって消える。宗近が用意を整えると,稲荷明神が現われて相鎚をつとめ,名剣小狐丸ができあがる。
稲荷明神が頭に狐の型をつけていた。何も知らないジージは,頭にネコがいるというと,すーちゃんは違うよと。イヌだ。うぅうん。キツネかなというと,そうだよとやっとOKが出た。すーちゃんは何でキツネだとわかったのだろう。
2022年11月3日木曜日
團十郎への道
2022年9月23日金曜日
超歌舞伎
近所の方から行けなくなったチケットが回ってきたので,京都南座の超歌舞伎2022に行くことになった。
わりと前の席だったが,過去の松竹座歌舞伎公演などとは客層の様子が明らかに違う。平均年齢が若く,もちろん女性優位だけれどもビジネスマン風の人もちらほらと。DWANGOやNTTがスポンサーだからなのか。しかも,みんな手には結構大きなペンシルライトなるものを持っている。後で説明があったけれど(超歌舞伎2022 Powered by NTT 大向う付オリジナルペンライトの使い方),4000円もするらしい。
音響効果(PA)の音が老人の耳にはきつすぎてたいへんだった。初音ミクの存在感はそれほどなかったが,中型や大型プラズマディスプレイ,中型スクリーンへのプロジェクション,前面半透過大スクリーンへの投射など,これでもかという方法を組み合わせていた。
中村獅童はサービス精神たっぷりだったけれども,歌舞伎だと思ってみると物足りないかもしれない。かといって,新しい実験的なメディアの挑戦だといえるかというとそうでもない。ボストン・ダイナミックスのロボットがみんなでとんぼを切るとか,劇場内をドローンウォームが飛び回って龍をつくるとかでないとインパクトに欠ける。
最後に撮影タイムというのがあって,自由に撮影できるという趣向がよかった。まあ,DWANGOの作戦にまんまと乗せられているのかもしれない。
2022年6月3日金曜日
鶴瓶・二葉・べ瓶
UNEXTの宣伝用に,笑福亭鶴瓶(1951-)の無学 鶴の間 第1回 が無料公開されていた。記念すべき第1回ゲストは桂二葉(1986-)だった(天狗刺し参照)。冒頭,桂二葉が入門前に笑福亭鶴瓶のおっかけをしていたことが紹介されていた。二葉は大学に入るまではTVを見ることがなかったらしい。そのテレビで初めて見たのが,きらきらアフロの鶴瓶であり,それからおっかけがはじまった。
これをきっかけとして,二葉は落語にめざめるのだけれど,弟子入りしたのは鶴瓶ではなく米朝一門の桂米二(1957-)だった。面倒見がよさそうだったというのがその理由らしい。芸歴をアフロヘアーでスタートしたというのも,二葉と鶴瓶の共通点になっている。
桂二葉のエピソードは,鶴瓶の最後の弟子である笑福亭ベ瓶(べべ,1982-)との対談,桂二葉に迫りたいでも繰り返されていた。べ瓶のことは,ほとんど知らなかったけれど,鶴瓶に3回破門されて,再び戻ってきた人だった。
笑福亭べ瓶は,去る3月31日に新宿の末広亭で,笑福亭鶴瓶との親子会を開いている。主要演目はらくだであり,そのコンテンツはネット上に見当たらないが,対談の様子を鶴瓶・べ瓶親子会 師弟対談ほぼ完全版でみることができた。
笑福亭鶴瓶が笑福亭松鶴(6代目,1918-1986)に入門し,ほぼ同時にマスメディアデビューしたのが,1972年である。自分が大阪で大学生をはじめたころだ。テレビの深夜番組に,ベテランの落語家や漫才師に混じって,アフロへアの鶴瓶が出演していた。三題噺を即興で楽々と作り上げるセンスのよさが群を抜いていて印象的だった。
その後,秀逸で記憶に残る11pmでのやしきたかじんとの漫才,鶴瓶・新野のぬかるみの世界,突然ガバチョ,9年9組つるべ学級,鶴瓶・上岡パペポTVなど,50年に渡って楽しんでいる。役者としても活躍しているが,古典落語の行方が興味深い。
2022年5月21日土曜日
袈裟と盛遠
鎌倉殿の13人で,市川猿之助の扮する怪しい坊さんが,頼朝の周辺でなにやら平家追討に画策する場面が時折でてくる。前回は,義朝のドクロといわれるものを持ち出して,義経を京都から呼び戻す作戦に加わっていた。
これが,文覚上人(遠藤盛遠)であり,芥川龍之介の短編「袈裟と盛遠」で知られる盛遠の出家後の姿だった。菊池寛の戯曲「袈裟の良人」が原作となった衣笠貞之助の「地獄門」(1954年第7回カンヌグランプリ)にもつながっている。古典落語には「袈裟御前」という演目があり,笑福亭鶴光の話をYouTubeで聞くことができる。
袈裟御前をめぐる物語は,「袈裟御前の生涯」などに詳しい。遠藤盛遠が袈裟御前に懸想しなければ,彼女を斬り殺したことを悔いて出家し,文覚になることもなかった。となると,頼朝に平家討伐を迫って後白河法皇から院宣を入手していない世界線が存在する。コニー・ウィリスのタイムトラベルSFの日本版にふさわしいテーマだ。
2022年4月25日月曜日
愛の設計図
松竹座で5月から始まる「藤山寛美三十三回忌追善喜劇特別公演」に関連したイベントがなんばパークスシネマで開催された。応募ハガキが当選したので授業前の時間を利用して大阪まで出る。
藤山寛美による1983年の松竹新喜劇公演の「愛の設計図」がDVD化されていて,これを上映したあとに,渋谷天外と藤山扇次郎のトークショウがあった。DVDの音源を利用しているからか,劇場の音響がちょっときつすぎて閉口した。
曽我廼家文童が情報処理プログラマーの試験に受かるところからはじまって,建設会社の現場監督と設計士を巡るドラマが進んでいく。アドリブも沢山入っているらしい藤山寛美のセリフは必ずしも全編に渡って流ちょうというわけでもないのだけれど,要所要所で観客の心をつかむ技はさすがである。
2021年12月14日火曜日
中村仲蔵
さて今日は12月14日。元禄15年12月14日(1703年1月30日)に赤穂四十七士が吉良上野介邸に討ち入りした日を記念し,兵庫県赤穂市の赤穂大石神社では赤穂義士祭が行われる。昨年はコロナ感染症蔓延のため中止されたが,今年は規模縮小の上2年ぶりの開催となった。
俳句の春の季語にも義士祭というのがある,こちらの方は赤穂浪士の墓がある東京都港区高輪の泉岳寺で4月1日から7日まで行われるので春の季語になっている。赤穂浪士がそれぞれの大名屋敷で切腹させられたのは,元禄16年2月4日(1703年3月20日)なので,そのへんからきているのかもしれない。なお,泉岳寺義士祭は12月14日にも行われている。
この赤穂事件から45年後の寛延元年8月14日(1748年9月6日)に,人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵が大阪の竹本座で初演された。その五段目の話である中村仲蔵を初めて聞いたのは,立川志の輔の落語だった。忠臣蔵や歌舞伎の解説から入って,グングンと引き込まれる話だった。神田伯山の講談(張り扇がうるさい)はネット上に映像があるが,志の輔の方は残念ながら見当たらなかった。
その中村仲蔵の話が,NHKで忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段(なかむらなかぞう しゅっせのきざはし,外題は奇数でないと・・・)として2週に渡ってドラマ化されていた。主演は六代目中村勘九郎だ。先代の勘九郎はNHKの大河ドラマ元禄繚乱で大石内蔵助だったが,これは見ていなかった。
NHKのドラマはなかなか豪華なメンバーで面白かった。そうそう,上白石萌音の三味線も良かった。それでも志の輔の落語の方が印象的だったかもしれない。
2021年11月28日日曜日
中村歌右衛門
人間国宝の歌舞伎の中村歌右衛門(六代目:1917-2001)といえば,文化勲章受章者でもあり女形の最高峰として過去の映像をみるくらいなのだが,初代の中村歌右衛門(1714-1791)は,医師の子として金沢に生まれた。そんなわけで,屋号は加賀屋だったのが,四代目のときに成駒屋にかえている。
その初代中村歌右衛門の墓所が金沢にある。知りませんでした。東山寺院群の一角にある日蓮宗の真成寺(しんじょうじ)は,鬼子母神が祀られていることで有名とのこと。寺町寺院群にも浄土真宗の寺はなかったが,このあたりもそうなのか。
2021年11月24日水曜日
天狗刺し
NHKの新人落語大賞はNHK新人演芸大賞から派生している。今年は奇数年なので,大阪のNHKホールで開催された。東西107名の参加者から勝ち抜いた6名のファイナリストの中に,笑福亭松鶴(六代目)の弟子の笑福亭松喬(六代目)の弟子の笑福亭生喬の弟子の笑福亭生寿が出るというので珍しく落語の録画を見ていた。
抽選で最後になった,桂米朝(三代目)の弟子の桂米二の弟子の桂二葉が「天狗刺し」で大賞を獲得した。5名の審査員の評価は納得のいくもので,二葉は全員から満点の10点を得て,女性初の大賞となった。なお,笑福亭生寿は第2位の得点だった。
主人公が,新しい商売としててんすき屋(天狗のすき焼き屋)を始めるといって,材料の天狗を捕獲する(刺す)ために鞍馬山へ行く。奥の院の坊さんを天狗と間違えて捕まえた主人公は,京都の町に下りてくる。
さて,米朝の話では次のような下げになる。向うから大きな青竹を10本ばかり担いで来る奴がある。男はもう真似する奴が現れて天狗を捕まえに行くとのかと思い,商売仇を呼び止める。男「お前も鞍馬の天狗さしか」竹を持った男「いやあ、わしは五条の念仏ざしじゃ」
念仏尺(ねんぶつざし)とは,「近江の伊吹山から念仏塔婆が掘り出され,それに精確な尺度が刻んであったので,これを模して念仏尺と名づけた」あるいは「西本願寺大谷本廟のあたりで採れる竹を使っていたことから「念仏」の名称になったという。精密、精巧であったため、緒方洪庵もメートル法を尺貫法に換算する際、基準として用いた」という竹の物差しのことだ。しかし,今では誰も知らないので,これでは落ちない。そこで,二葉は,坊主の衣と天ぷらの衣をかけた下げにうまくアレンジしていた。
2021年7月1日木曜日
日高川入相花王
WOWOWのシネマ歌舞伎で,玉三郎の日高川入相花王渡し場の段(2006)をやっていた。歌舞伎では,これは人形振り(役者が人形遣いに操られている人形のように振る舞う)で演じられることになっているらしい。15年前なので,清姫の坂東玉三郎も人形遣いの尾上菊之助もともに若い。船頭は,坂東薪車だった市川九團次だ。
17世紀はじめに出雲阿国によってはじまった歌舞伎であるが,現在も演じられている主要な作品の数々は,元禄時代に近松門左衛門,竹田出雲,三好松洛,並木宗輔らの戯作者によって人形浄瑠璃の演目として作られて大流行した作品が歌舞伎に移植されたものだ。歌舞伎の人形振りというのはその過程を反映しているのかもしれない。
日高川入相花王,文楽では何回か見ているが,玉三郎の所作は文楽での人形の動きを非常に丁寧にシミュレートしていて美しい。これがMIKIKOによるPerfumeの振り付けの源流になるのだろうか?
高野山から国道371号線を南に進むと,和歌山県と奈良県の県境にある護摩壇山に至る。日高川はこのあたりから始まって,椿山ダムを経て御坊市の河口まで続いている。河口の北には道成寺がある。安珍を追いかける清姫は日高川に飛び込んで蛇に化け,道成寺まで到達して鐘に隠れた安珍を焼き殺すわけだ。
2021年2月28日日曜日
因果の花
今日は,シンギュラリティサロンによるオンラインシンポジウム#46で,渡辺正峰(まさたか)さんの「意識を科学のまな板にのせる―20年後の意識のアップロードに向けて―」が13:30-17:00まであった。基調講演が長引いたので,パネルディスカッションは省略されたが,視聴者からのZoomによる質問などもあって,興味深く聞いた。
そこでも,因果というキーワードがでてきたのだが,因果と相関の関係については,決定論的世界観でも確率論的世界観でも十分に自分で納得する理解ができていない。しかし,因果は日常的にはなんの問題もなく理解されている。世阿弥のいう「花」は「情報」のことではないかと昨日思いついた。そうすると「因果の花」はいったい何を意味することになるだろう。
風姿花伝の第七別紙口伝の第七段から因果の花について引用する。
一 因果の花を知ること 極めなるべし 一切みな因果なり 初心よりの芸能の数々は因なり 能を究め名を得ることは果なり しかれば稽古するところの因おろそかなれば果をはたすことも難し これをよくよく知るべし
また時分をもおそるべし 去年盛りあらば今年の花なかるべきことを知るべし 時の間にも男時・女時とてあるべし いかにするとも能によき時あればかならず悪きことまたあるべし これ力なき因果なり
これを心得てさのみ大事になからん時の申楽には立会勝負にそれほど我意執を起こさず骨をも折らず勝負に負くるとも心にかけず手をたばいてすくなすくなと能をすれば見物衆もこれはいか様なるぞと思ひさめたるところに大事の申楽の日てだてを変へて得手の能をして精励をいだせばこれまら見る人の思ひのほかなる心いでくれば肝要の立会大事の勝負にさだめて勝つことあり これめづらしき大用なり このほど悪かりつる因果にまた善きなり
2021年2月27日土曜日
秘すれば花
風姿花伝からの続き
「秘すれば花なり」は,風姿花伝の第七別紙口伝の六段目にある(全十段)。以下引用。
一 秘する花を知ること 秘すれば花なり 秘せずば花なるべからずとなり この分目を知ること肝要の花なり 抑一切の事諸道芸においてその家々に秘事と申すは秘するによりて大用あるが故なり 然れば秘事といふことをあらはせばさせることにてもなきものなり これを させる事にてもなし といふ人はいまだ秘事といふことの大用知らぬが故なり
先づこの花の口伝におきてもただ めづらしき花ぞ と皆人知るならば さてはめづらしき事あるべし と思ひまうけたらん見物衆の前にてはたとひめづらしき事をするとも見手の心にめづらしき感はあるべからず 見る人の為花ぞとも知らでこそ仕手の花にはなるべけれ されば見る人はただ 思ひの外におもしろき上手 とばかり見て これは花ぞ とも知らぬが仕手の花なり さるほどに人の心に思ひもよらぬ感をもよほす手立これ花なり
たとへば弓矢の道の手立にも名将の案謀にて思ひの外なる手立に強敵にも勝つことあり これ負くるかたの目にはめづらしき理にばかされて破らるるにてはあらずや これ一切の諸道芸において勝負に勝つ理なり かやうの手立もこと落居して かかる謀事よ と知りぬればその後はたやすけれどもいまだ知らざりつる故に敗くるなり さるほどに秘事とて一つをばわが家に残すなり ここをもて知るべし たとへあらはさずとも かかる秘事を知れる人よ とも人には知られまじきなり 人に心を知られぬれば敵人油断せずして用心をもてば却て敵に心をつくる相なり 敵方用心をせぬときはこなたの勝つことなほたやすかるべし 人に油断をさせて勝つことを得るはめづらしき理の大用なるにてはあらずや さるほどにわが家の秘事とて人に知らせぬをもて生涯の主になる花とす 秘すれば花 秘せねば花なるべからず
一 この口伝に花を知ること まづ仮令花の咲くを見て万に花とたとへ始めしことわりをわきまふべし そもそも花といふに万木千草において四季をりふしに咲くものなればその時を得て珍しきゆゑにもてあそぶなり 申楽も人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心なり 花とおもしろきとめづらしきとこれ三つは同じ心なり いづれの花か散らで残るべき 散るゆゑによりて咲くころあればめづらしきなり 能も住するところなきをまづ花と知るべし 住せずして余の風体に移ればめづらしきなり
2021年2月24日水曜日
風姿花伝
近鉄橿原線結崎駅まで数駅の地から
序
夫れ申楽延年の事態その源を尋ぬるに或は仏在所よりおこり或は神代より伝はるといへども時移り代へだたりぬればその風を学ぶ力及びがたし 近頃万人のもてあそぶところは推古天皇の御宇に聖徳太子秦河勝に仰せて且は天下安全の為且は諸人快楽の為六十六番の遊宴をなして 申楽 と号せしより以来代々の人風月の景を仮りてこのあそびの中だちとせり その後かの河勝の遠孫この芸を相続ぎて春日日吉の神職たり 仍て和州江州の輩両社の神事に従うこと今に盛なり
されば古きを学び新を賞する中にも全く風流をよこしまにすることなかれ ただ言葉賤しからずして姿幽玄ならんを 承けたる達人 とは申すべきか 先づこの道にいたらんと思はん者は非道を行ずべからず 但し歌道は風月延年のかざりなれば尤もこれを用ふべし 凡そ若年より以来見聞き及ぶところの稽古の条々大概注し置くところなり
一 好色 博奕 大酒 三の重戎これ古人の掟なり。
一 稽古は強かれ 靜識はなかれ
となり