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2024年11月12日火曜日

八犬伝


12月まで有効の映画券をもらったのだけれど,なかなか面白そうな映画がみあたらない。消去法で残ったのが,八犬伝だ。テレビでも宣伝していたのでちょっと観たいと思った。原作は山田風太郎の「八犬傳」であり,なんのことはない自宅の本棚に収まっていた。

原作の八犬傳は,南総里見八犬伝の著者の曲亭馬琴葛飾北斎の対話が中心となる実の世界と,八犬伝の物語のダイジェストに相当する虚の世界が14章にわたって交互に描かれている。実の世界は,物語の中心部分をなす鶴屋南北との問答を含めてほぼ映画で再現されている。一方,虚の世界はそもそももとの八犬伝が長編なので,映画の時間では全く収まらず,ごく少数のエピソードとSFXだけで最後まで突っ走っていった。

江戸時代に二日がかりで,歌舞伎の東海道四谷怪談が上演されていたという場面があり,これは,仮名手本忠臣蔵の中に,東海道四谷怪談が埋め込まれるという構成になっていた。四谷怪談が忠臣蔵の外伝だということは知っていたけれど,上演方法がこんなことになっているとはビックリだ。

高校時代の教科書に載っていた,芥川龍之介戯作三昧はまさにこの滝沢馬琴だった。最後に八犬伝の口述筆記を行った滝沢家の嫁の土岐村路のくだりも,馬琴の誇張だったという説があったけれど,どうなのだろうか。路女日記を読んだらわかるのかもしれない。



写真:映画「八犬伝」のポスターを引用


2024年2月14日水曜日

曾根崎心中

 文楽の曾根崎心中は何度か観ているが,歌舞伎では初めてだった。

生玉社前の段。油屋九平次とその取り巻きらにいじめられる手代徳兵衛の場面がある。冷たい視線を送る群衆がフリーズしているのが,妙に現代劇のような演出になっている。いいようなわるいような。尾上右近の徳兵衛も,中村壱太郎のお初もセリフがやや聞き取りにくいのでちょっともやもやする。

天満屋の段。徳兵衛の叔父の醤油屋の平野屋久右衛門が登場する。これは文楽にはなかった。久右衛門は,徳兵衛がお初に騙されていると思い,その徳兵衛を諌めるために来たのだ。その後,天満屋の主人吉兵衛がお初に説教するところも文楽にはなかったものだ。九平次が現れるのはそのままだけれど,吉兵衛とからんで揉める部分が追加されている。

そして,一番大きな違いは,九平次の悪事が久右衛門に露見するという話が追加されていることだ。お初と徳兵衛が暗闇の中,天満屋を脱出した後,油屋九平次の手代の市兵衛が急用でやってきた。九平次が無くしたと嘘の届け出をして隠していた印判を役人に持っていってしまい,嘘がばれそうになっているとあわてて九平次に知らせに来たのだ。その話を久右衛門が聞いて,天満屋主人吉兵衛にも伝わってしまう。

天神森の段。ここは,ほぼ竹本の語りで進んでいくので,違いはないような気がする。
この世の名残り」夜も名残り。
死に行く身を」たとふれば」あだしが原の」道の霜。
一足づつに」消えて行く」夢の夢こそ」哀れなれ。
あれ数ふれば」暁の」七つの時が」六つ鳴りて」残る一つが」今生の」鐘の響きの」聞き納め。
寂滅為楽と」響くなり。
鐘ばかりかは」草も木も」空も名残りと」見上ぐれば」雲心なき」水の面」北斗は冴えて」影うつる」星の妹背の」天の河。
梅田の橋を」鵲の」橋と契りて」いつまでも」われとそなたは」女夫星。
必ず添ふと」すがり寄り」二人がなかに」降る涙」河の水嵩も」勝るべし。

竹本住太夫が,近松は五七調からズレるのがあまり好きじゃないといっていたが, この冒頭の部分だとずれているのは一箇所だけだ。


写真:お初天神(露天神社)のお初徳兵衛の像(Wikipediaから引用)

2024年1月11日木曜日

見せ算

M-1グランプリ2023からの続き

漫才コンビさや香の新山が考案した「見せ算」である。これは,一般人と最先端のテクノロジーやシステムが乖離している世の中で,その問題を解消するためには一般人の数学力の強化が必要だとの主張から始まる。加減乗除の四則演算では少ないので新山が作った五則目の演算が見せ算である。

見せ算」は,数字と数字を見合わせてどう思うかという演算だ(訳註:演算記号は指定されていないので,ここでは目に似ている@=みせを採用する)。この演算の答えは,和差積商に並んで「眼(がん)」という。

基本ルールその1:(例)1@1=0
 同じ数字どうしが見合うと恥ずいのでお互い立ち去るからゼロになる。
基本ルールその2:(例)1@2=2
 違う数字が見合うとき,小さい方が大きい方を見ると怖いから立ち去るので大きい方が残る。
応用編その1:(例)6@9=11
 お互いに見合うと俺かとなって近づいていって11になる。
応用編その2:(例)2@5= 1.1
 お互いに俺かとなって近づいたけれど反転していて違うので携帯を落として1.1になる。
応用編その3:(例)1@100=83⇒84
 これは難しいので(訳註:説明略)大学院のルールだ。

図:見せ算に使う数字の形

数字の形によって結果が変わらないように,(端点の数,曲がり角の数,三差路の数)のセットで分類してみれば,確かに6と9は同じグループ(1-4-1)であり,2と5も同じグループ(2-4-0)だ。前者は回転操作で重なるが,後者を重ねるためには反転操作が必要だ。それ以外には同等の数字はなかった。


2023年12月25日月曜日

M-1グランプリ2023

M-1グランプリやってるよという連絡を受けて,久しぶりにTVのチャンネルを回した。

笑い飯がタイトルを取る頃まではよく見ていたが,最近はちょっと足が遠のいていた。審査員のコメントや評価もなんだかしっくりこなくて,最近の笑いのスタイルにうまく波長が合わなくなっていた。

今回,久々に見ようという気になったのは,NHKのあさイチで博多大吉が「審査するのがちょっと憂鬱だ」というような話をしていたからだ。NHKが大阪維新とグルになっている吉本興業とベタベタの関係になっているのはちょっとどうかと思うが,朝のひとときを博多華丸・大吉の無難な笑いで過ごすのは精神衛生上よいかもしれない。

M-1グランプリを令和ロマンの次あたりからみた。さや香の評価が高かったけれどちょっとうるさすぎて,ピンと来なかった。ヤーレンズの笑いが一番自分の壺にはまって終始ニヤニヤしていた。今回はそれぞれ,審査員のコメントもみな納得できるものでよかった。最後の3組を残したあたりで,古典芸能への招待の録画が始まり,チャンネルは自動的にあまり好きでない市川團十郎に切り替わってしまった。

その後,クリスマスイブにネットで確認すると,令和ロマンが2023のチャンピオンになっていた。さっそくYouTubeで探してみたが,まあまあという感じかな。ヤーレンズの方が自分には合っていた。

P. S. さらに次の日クリスマスの夜にネットで確認するため,最終決戦三組のネタをあらためてみた。令和ロマン(クッキー工場)<ヤーレンズ(ラーメン屋)<さや香(見せ算)だった。「見せ算」圧倒的に面白かったやんか。ただ審査員から票は入っていなかった。

P. P. S. さや香の新山は大阪教育大学卒業だった。どおりで自分と波長が合うネタだったわけだ。

[1]大吉ポッドキャスト,いったんここにいます! M−1グランプリの採点振り返りです。

2023年2月27日月曜日

レコード煎餅

水木十五堂からの続き

第11回水木十五堂賞授賞式のやまと郡山城ホールには,桂文我が収集した落語関係資料の一部が公開されていた。その中に,桂春団治の煎餅缶というのがあったがサラッと通り過ぎた。

帰ってから調べてみると,それはなんとレコード煎餅というものだった。必ずしも確かではないネット情報とYouTubeでの桂文我自身の話を組み合わせると次のようなことらしい。

まず,Wikipediaのレコードの項には次のようにある。
1924年に神戸で煎餅レコードが販売されていた。タイヘイレコード設立者の森垣二郎が作ったものとされ,童謡が収録されていた。これを見た落語家の初代桂春団治(1878-1934)が1925年に,今度は大阪市の住吉区にあった「ニットーレコード(日東蓄音機)」の協力のもと,やはり煎餅レコードを作った。湿気ない様に缶にパッケージされていた。春団治のレコードの価格は8枚入りの1缶が1円50銭,10枚入りの1缶が1円95銭だった[19][20]。1926年1月に天理教の大祭の人出の多さを当て込んで売り出されたが,値段の高さや,あいにくの雨で煎餅の多くが湿気ったことなどでほとんど売れず,春団治は大損した。落語やコントなどが収録され,「聴き飽きたら食べる」というコンセプトだった。
 一方,次のような話もある[2]。
せんべいで作ったレコードは大正期の終わりに京都市内のお菓子屋が始めたという。実際に制作されたせんべいのレコードは兵庫・神戸市にある有馬温泉名物の温泉せんべいのように表面がすべすべしたもので,水飴でコーティングしてそこに溝を入れ,竹の針を落として聴く。神戸では「桃太郎」や「金太郎」,そして「花咲かじいさん」のような童謡を吹き込んだせんべいのレコードが売られていた記録も残っていた。
(中略)
レコードは初代師匠の十八番の落語などを吹き込み,いずれも専用の竹針を入れた8枚入りと10枚入りの2種類を売り出して,「鈴鹿馬子唄」の歌詞を拝借した「昔はウマが物云う鈴鹿の関,今は煎餅で物云う春団治」というキャッチコピーで売り出した。
発売されたのは,1926年の天理教の大祭の3日間だけだったが,全国から信者が集まっていたために,缶だけが残されたものがあって,ヤフーオークションにかかった。落札価格は35万円。桂文我はその後会津若松地方で見つけたということだ。


写真:桂春団治のものいふせんべい(大和郡山市資料から引用)


2023年1月15日日曜日

壇浦兜軍記

傾城恋飛脚からの続き

初春文楽公演第三部の後半は,壇浦兜軍記阿古屋琴責の段以前にも見ているが,勘十郎の指捌きが楽しみだ。阿古屋=呂勢太夫,重忠=織太夫,岩水=靖太夫,榛沢=小住太夫など6名の太夫が並んでいる。三味線は,清治が休演で藤蔵,これに寛太郎(ツレ)と清公(三曲)が加わる。清公は琴と三味線と胡弓の3つの楽器を弾くのでたいへんだろう。

人形は,勘十郎(阿古屋),玉志(重忠),玉佳(岩永),玉翔(榛沢)という配役。阿古屋は主遣いだけでなく左の簑紫郎,足の勘昇も顔を出すという珍しい三人出遣いだった。しかも黒子は1〜2名ついているというすごい布陣。あの豪華な衣裳で3つの楽器を操り,その度に右手は変えるなど手間がかかっている。

実際の音色と人形の手はやはり非常にうまくシンクロしているように見えた。今回気がついたのは,左遣いの簑志郎にもかなりの技術が要求されるということだ。また,琴や胡弓は清公が弾くのだが,三味線が音を重ねることで,人形との同期がよりわかりやすく表現されている。三味線のバチのアクセントがないと,かなり微妙に難しいことになりそうだ。

胡弓は三味線より一回り小さく,ヒザに挟んで押さえながら演奏していた。バイオリンやチェロなどの西洋弦楽器とは違い,弓捌きのときに楽器を回して弦を選択している。この部分とか開放弦のしぐさは,人形の左遣いの責任なのだけれども,さらに工夫の余地ありかもしれない。それでもすごいことはすごいのだ。

なお,歌舞伎で阿古屋ができるのは,玉三郎しかいないということで,YouTubeでその映像を探してみた。人間が舞台で三つの楽器を弾き分けながら演技もするという高度な技が求められていた。岩永は五代目勘九郎人形振りで演じていた。セリフはすべて太夫が出し,後ろにはダミーの黒子が二人ついていた。

勘十郎の姉の三林京子さんが観劇にきていて,舞台が跳ねると弟子の勘昇が手配したタクシーで一同は早々に引き上げて行かれた。

詳細な感想は,TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹に任せるけれど,このサイトも大変参考になる。


写真:国立文楽劇場の阿古屋人形(2023.1.12撮影)


2023年1月5日木曜日

小鍛冶 

正月に孫の世話をするのはたいへんだ。

バーバもカーカもお節料理の準備で手一杯なので,ジージにもその順が回ってくる。そんなときは,NHKの教育テレビ(Eテレ)が神様だ。普段はおかあさんといっしょとかピタゴラスイッチを見せている。元旦のEテレは,新春能狂言 能「小鍛冶 白頭」をやっていたので,5歳と2歳はテレビにかじりついて見ていた。

謡曲「小鍛冶五番目物)」のストーリーは次のとおり(精選版日本国語大辞典から引用)。
三条の小鍛冶宗近は剣を打てとの勅命を受けるが相鎚あいづちの者がいないので当惑し,稲荷明神に祈誓に行く。すると童子が現われ,力を貸し与えようといって消える。宗近が用意を整えると,稲荷明神が現われて相鎚をつとめ,名剣小狐丸ができあがる。

稲荷明神が頭に狐の型をつけていた。何も知らないジージは,頭にネコがいるというと,すーちゃんは違うよと。イヌだ。うぅうん。キツネかなというと,そうだよとやっとOKが出た。すーちゃんは何でキツネだとわかったのだろう。


図:小鍛冶のシテの頭のキツネ(銕仙会から引用)

小鍛冶のワキの三条宗近は,平安時代の刀工である。京都の三条通りに住んでいたことからその名がついているが,現在では若草山の麓に三條小鎩治宗近の店がある。

追伸:ChatGPTにクイズを出してみたところ,正解したのだが,後半の説明はウソだった。

Q:能の小鍛冶のシテの頭についている動物は次のどれでしょう。(1) イヌ,(2) ウサギ,(3) キツネ,(4) ネコ の中から選んでください

A:(3) キツネが正解です。能の小鍛冶のシテの頭には、キツネの形をした帽子がついています。能の小鍛冶は、日本の伝統的な芸能の一つで、演者が鎧を着て、剣や槍などの武器を使いながら、模擬戦や舞踏を演じるものです。能の小鍛冶のシテは、その中でも特に重要な役割を担う演者で、能の小鍛冶を指導する役割を担っています

2022年11月3日木曜日

團十郎への道

NHKアーカイブズ あの日 あのとき あの番組で「大看板 團十郎への道」(1985)が再放送されていた。これは市川團十郎(12代目)(1946-2013)の1985年4月の襲名前後を記録したNHK特集だが,スタジオには,先日襲名披露が行われたばかりの市川團十郎(13代目)と息子の市川新之助(8代目)が招かれて,今回のアナウンサーの森田美由紀さんがインタビューしていた。チコちゃんのナレーションでおなじみの森田さんももう還暦を過ぎている。

インタビューの応答も含めて,どうも当代の市川團十郎は苦手なタイプだ。息子も同様になりそう。先代の市川團十郎は海老蔵という名前で記憶にインプットされているのだが,こちらもちょっとだった。そもそも歌舞伎を始めて見たのは,文楽を見るようになってからなので,團十郎といわれてもいまひとつその重要性がピンと来ない。

歌舞伎役者といえば,テレビにでてくる尾上松緑(二代目)とか尾上菊之助(四代目),舞台に出てくる松本幸四郎(九代目),あるいは映画に出てくる中村鴈治郎(二代目)の印象があるくらいだった。

さて,その1985年のNHK特集では竹本住大夫(1924-2018)を襲名する直前の竹本文字大夫が,浄瑠璃(弁慶)を襲名前の市川海老蔵(10代目)に指導するシーンがかなり長い時間を割いて取り上げられていた。この22歳年上の住大夫の指導はなかなかに厳しいのである。もちろん,弟子の文字久大夫への指導の場合とは比べものにはならないが,声が腹から出ない海老蔵は汗だくになりながらダメ出しされ続けるのだった。

2022年9月23日金曜日

超歌舞伎

近所の方から行けなくなったチケットが回ってきたので,京都南座の超歌舞伎2022に行くことになった。 

わりと前の席だったが,過去の松竹座歌舞伎公演などとは客層の様子が明らかに違う。平均年齢が若く,もちろん女性優位だけれどもビジネスマン風の人もちらほらと。DWANGOやNTTがスポンサーだからなのか。しかも,みんな手には結構大きなペンシルライトなるものを持っている。後で説明があったけれど(超歌舞伎2022 Powered by NTT 大向う付オリジナルペンライトの使い方),4000円もするらしい。

音響効果(PA)の音が老人の耳にはきつすぎてたいへんだった。初音ミクの存在感はそれほどなかったが,中型や大型プラズマディスプレイ,中型スクリーンへのプロジェクション,前面半透過大スクリーンへの投射など,これでもかという方法を組み合わせていた。

中村獅童はサービス精神たっぷりだったけれども,歌舞伎だと思ってみると物足りないかもしれない。かといって,新しい実験的なメディアの挑戦だといえるかというとそうでもない。ボストン・ダイナミックスのロボットがみんなでとんぼを切るとか,劇場内をドローンウォームが飛び回って龍をつくるとかでないとインパクトに欠ける。

最後に撮影タイムというのがあって,自由に撮影できるという趣向がよかった。まあ,DWANGOの作戦にまんまと乗せられているのかもしれない。


写真:超歌舞伎2022最後の撮影タイムのようす(2022.9.23撮影)

2022年6月3日金曜日

鶴瓶・二葉・べ瓶

 UNEXTの宣伝用に,笑福亭鶴瓶(1951-)の無学 鶴の間 第1回 が無料公開されていた。記念すべき第1回ゲストは桂二葉(1986-)だった(天狗刺し参照)。冒頭,桂二葉が入門前に笑福亭鶴瓶のおっかけをしていたことが紹介されていた。二葉は大学に入るまではTVを見ることがなかったらしい。そのテレビで初めて見たのが,きらきらアフロの鶴瓶であり,それからおっかけがはじまった。

これをきっかけとして,二葉は落語にめざめるのだけれど,弟子入りしたのは鶴瓶ではなく米朝一門の桂米二(1957-)だった。面倒見がよさそうだったというのがその理由らしい。芸歴をアフロヘアーでスタートしたというのも,二葉と鶴瓶の共通点になっている。

桂二葉のエピソードは,鶴瓶の最後の弟子である笑福亭ベ瓶(べべ,1982-)との対談,桂二葉に迫りたいでも繰り返されていた。べ瓶のことは,ほとんど知らなかったけれど,鶴瓶に3回破門されて,再び戻ってきた人だった。

笑福亭べ瓶は,去る3月31日に新宿の末広亭で,笑福亭鶴瓶との親子会を開いている。主要演目はらくだであり,そのコンテンツはネット上に見当たらないが,対談の様子を鶴瓶・べ瓶親子会 師弟対談ほぼ完全版でみることができた。

笑福亭鶴瓶が笑福亭松鶴(6代目,1918-1986)に入門し,ほぼ同時にマスメディアデビューしたのが,1972年である。自分が大阪で大学生をはじめたころだ。テレビの深夜番組に,ベテランの落語家や漫才師に混じって,アフロへアの鶴瓶が出演していた。三題噺を即興で楽々と作り上げるセンスのよさが群を抜いていて印象的だった。

その後,秀逸で記憶に残る11pmでのやしきたかじんとの漫才,鶴瓶・新野のぬかるみの世界突然ガバチョ,9年9組つるべ学級,鶴瓶・上岡パペポTVなど,50年に渡って楽しんでいる。役者としても活躍しているが,古典落語の行方が興味深い。

2022年5月21日土曜日

袈裟と盛遠

鎌倉殿の13人で,市川猿之助の扮する怪しい坊さんが,頼朝の周辺でなにやら平家追討に画策する場面が時折でてくる。前回は,義朝のドクロといわれるものを持ち出して,義経を京都から呼び戻す作戦に加わっていた。

これが,文覚上人(遠藤盛遠)であり,芥川龍之介の短編「袈裟と盛遠」で知られる盛遠の出家後の姿だった。菊池寛の戯曲「袈裟の良人」が原作となった衣笠貞之助の「地獄門」(1954年第7回カンヌグランプリ)にもつながっている。古典落語には「袈裟御前」という演目があり,笑福亭鶴光の話をYouTubeで聞くことができる。

袈裟御前をめぐる物語は,「袈裟御前の生涯」などに詳しい。遠藤盛遠が袈裟御前に懸想しなければ,彼女を斬り殺したことを悔いて出家し,文覚になることもなかった。となると,頼朝に平家討伐を迫って後白河法皇から院宣を入手していない世界線が存在する。コニー・ウィリスのタイムトラベルSFの日本版にふさわしいテーマだ。


写真:Endo Musha Morito Approaching Kesa's Bedroom(月岡芳年 Wikimedia Commons)

2022年4月25日月曜日

愛の設計図

松竹座で5月から始まる「藤山寛美三十三回忌追善喜劇特別公演」に関連したイベントがなんばパークスシネマで開催された。応募ハガキが当選したので授業前の時間を利用して大阪まで出る。

藤山寛美による1983年の松竹新喜劇公演の「愛の設計図」がDVD化されていて,これを上映したあとに,渋谷天外と藤山扇次郎のトークショウがあった。DVDの音源を利用しているからか,劇場の音響がちょっときつすぎて閉口した。

曽我廼家文童が情報処理プログラマーの試験に受かるところからはじまって,建設会社の現場監督と設計士を巡るドラマが進んでいく。アドリブも沢山入っているらしい藤山寛美のセリフは必ずしも全編に渡って流ちょうというわけでもないのだけれど,要所要所で観客の心をつかむ技はさすがである。


2021年12月14日火曜日

中村仲蔵

 さて今日は12月14日。元禄15年12月14日(1703年1月30日)に赤穂四十七士が吉良上野介邸に討ち入りした日を記念し,兵庫県赤穂市の赤穂大石神社では赤穂義士祭が行われる。昨年はコロナ感染症蔓延のため中止されたが,今年は規模縮小の上2年ぶりの開催となった。

俳句の春の季語にも義士祭というのがある,こちらの方は赤穂浪士の墓がある東京都港区高輪の泉岳寺で4月1日から7日まで行われるので春の季語になっている。赤穂浪士がそれぞれの大名屋敷で切腹させられたのは,元禄16年2月4日(1703年3月20日)なので,そのへんからきているのかもしれない。なお,泉岳寺義士祭は12月14日にも行われている。

この赤穂事件から45年後の寛延元年8月14日(1748年9月6日)に,人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵が大阪の竹本座で初演された。その五段目の話である中村仲蔵を初めて聞いたのは,立川志の輔の落語だった。忠臣蔵や歌舞伎の解説から入って,グングンと引き込まれる話だった。神田伯山の講談(張り扇がうるさい)はネット上に映像があるが,志の輔の方は残念ながら見当たらなかった。

その中村仲蔵の話が,NHKで忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段(なかむらなかぞう しゅっせのきざはし,外題は奇数でないと・・・)として2週に渡ってドラマ化されていた。主演は六代目中村勘九郎だ。先代の勘九郎はNHKの大河ドラマ元禄繚乱で大石内蔵助だったが,これは見ていなかった。

NHKのドラマはなかなか豪華なメンバーで面白かった。そうそう,上白石萌音の三味線も良かった。それでも志の輔の落語の方が印象的だったかもしれない。


写真:勝川春章による初代中村仲蔵の斧定九郎(Wikipediaより引用)

2021年11月28日日曜日

中村歌右衛門

人間国宝の歌舞伎の中村歌右衛門(六代目:1917-2001)といえば,文化勲章受章者でもあり女形の最高峰として過去の映像をみるくらいなのだが,初代の中村歌右衛門(1714-1791)は,医師の子として金沢に生まれた。そんなわけで,屋号は加賀屋だったのが,四代目のときに成駒屋にかえている。

その初代中村歌右衛門の墓所が金沢にある。知りませんでした。東山寺院群の一角にある日蓮宗の真成寺(しんじょうじ)は,鬼子母神が祀られていることで有名とのこと。寺町寺院群にも浄土真宗の寺はなかったが,このあたりもそうなのか。


写真:金沢東山の真成寺(@19960912_maruさんのtwitterから引用)

2021年11月24日水曜日

天狗刺し

 NHKの新人落語大賞NHK新人演芸大賞から派生している。今年は奇数年なので,大阪のNHKホールで開催された。東西107名の参加者から勝ち抜いた6名のファイナリストの中に,笑福亭松鶴(六代目)の弟子の笑福亭松喬(六代目)の弟子の笑福亭生喬の弟子の笑福亭生寿が出るというので珍しく落語の録画を見ていた。

抽選で最後になった,桂米朝(三代目)の弟子の桂米二の弟子の桂二葉が「天狗刺し」で大賞を獲得した。5名の審査員の評価は納得のいくもので,二葉は全員から満点の10点を得て,女性初の大賞となった。なお,笑福亭生寿は第2位の得点だった。

主人公が,新しい商売としててんすき屋(天狗のすき焼き屋)を始めるといって,材料の天狗を捕獲する(刺す)ために鞍馬山へ行く。奥の院の坊さんを天狗と間違えて捕まえた主人公は,京都の町に下りてくる。

さて,米朝の話では次のような下げになる。向うから大きな青竹を10本ばかり担いで来る奴がある。男はもう真似する奴が現れて天狗を捕まえに行くとのかと思い,商売仇を呼び止める。男「お前も鞍馬の天狗さしか」竹を持った男「いやあ、わしは五条の念仏ざしじゃ」

念仏尺(ねんぶつざし)とは,「近江の伊吹山から念仏塔婆が掘り出され,それに精確な尺度が刻んであったので,これを模して念仏尺と名づけた」あるいは「西本願寺大谷本廟のあたりで採れる竹を使っていたことから「念仏」の名称になったという。精密、精巧であったため、緒方洪庵もメートル法を尺貫法に換算する際、基準として用いた」という竹の物差しのことだ。しかし,今では誰も知らないので,これでは落ちない。そこで,二葉は,坊主の衣と天ぷらの衣をかけた下げにうまくアレンジしていた。


写真:鞍馬の天狗像(京都旅屋のページから引用)

2021年7月1日木曜日

日高川入相花王

 WOWOWのシネマ歌舞伎で,玉三郎日高川入相花王渡し場の段(2006)をやっていた。歌舞伎では,これは人形振り(役者が人形遣いに操られている人形のように振る舞う)で演じられることになっているらしい。15年前なので,清姫の坂東玉三郎も人形遣いの尾上菊之助もともに若い。船頭は,坂東薪車だった市川九團次だ。

17世紀はじめに出雲阿国によってはじまった歌舞伎であるが,現在も演じられている主要な作品の数々は,元禄時代に近松門左衛門,竹田出雲,三好松洛,並木宗輔らの戯作者によって人形浄瑠璃の演目として作られて大流行した作品が歌舞伎に移植されたものだ。歌舞伎の人形振りというのはその過程を反映しているのかもしれない。

日高川入相花王,文楽では何回か見ているが,玉三郎の所作は文楽での人形の動きを非常に丁寧にシミュレートしていて美しい。これがMIKIKOによるPerfumeの振り付けの源流になるのだろうか?

高野山から国道371号線を南に進むと,和歌山県と奈良県の県境にある護摩壇山に至る。日高川はこのあたりから始まって,椿山ダムを経て御坊市の河口まで続いている。河口の北には道成寺がある。安珍を追いかける清姫は日高川に飛び込んで蛇に化け,道成寺まで到達して鐘に隠れた安珍を焼き殺すわけだ。


図:伝土佐光重(土佐派)画『道成寺縁起』より

2021年2月28日日曜日

因果の花

今日は,シンギュラリティサロンによるオンラインシンポジウム#46で,渡辺正峰(まさたか)さんの「意識を科学のまな板にのせる―20年後の意識のアップロードに向けて―」が13:30-17:00まであった。基調講演が長引いたので,パネルディスカッションは省略されたが,視聴者からのZoomによる質問などもあって,興味深く聞いた。

渡辺正峰さんの中公新書2460「脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦」は購入して読んでいたが,おおよそそれに沿った話をされた。従来読み込めていなかった部分が整理されてありがたかった。情報側からの客観的アプローチでなく,脳神経科学側からの主観的アプローチでループを切断して意識を科学として扱うという方法論は面白かった。

そこでも,因果というキーワードがでてきたのだが,因果と相関の関係については,決定論的世界観でも確率論的世界観でも十分に自分で納得する理解ができていない。しかし,因果は日常的にはなんの問題もなく理解されている。世阿弥のいう「花」は「情報」のことではないかと昨日思いついた。そうすると「因果の花」はいったい何を意味することになるだろう。

風姿花伝の第七別紙口伝の第七段から因果の花について引用する。

一 因果の花を知ること 極めなるべし 一切みな因果なり 初心よりの芸能の数々は因なり 能を究め名を得ることは果なり しかれば稽古するところの因おろそかなれば果をはたすことも難し これをよくよく知るべし

 また時分をもおそるべし 去年盛りあらば今年の花なかるべきことを知るべし 時の間にも男時・女時とてあるべし いかにするとも能によき時あればかならず悪きことまたあるべし これ力なき因果なり 

 これを心得てさのみ大事になからん時の申楽には立会勝負にそれほど我意執を起こさず骨をも折らず勝負に負くるとも心にかけず手をたばいてすくなすくなと能をすれば見物衆もこれはいか様なるぞと思ひさめたるところに大事の申楽の日てだてを変へて得手の能をして精励をいだせばこれまら見る人の思ひのほかなる心いでくれば肝要の立会大事の勝負にさだめて勝つことあり これめづらしき大用なり このほど悪かりつる因果にまた善きなり

2021年2月27日土曜日

秘すれば花

風姿花伝からの続き

「秘すれば花なり」は,風姿花伝の第七別紙口伝の六段目にある(全十段)。以下引用。

一 秘する花を知ること 秘すれば花なり 秘せずば花なるべからずとなり この分目を知ること肝要の花なり 抑一切の事諸道芸においてその家々に秘事と申すは秘するによりて大用あるが故なり 然れば秘事といふことをあらはせばさせることにてもなきものなり これを させる事にてもなし といふ人はいまだ秘事といふことの大用知らぬが故なり

 先づこの花の口伝におきてもただ めづらしき花ぞ と皆人知るならば さてはめづらしき事あるべし と思ひまうけたらん見物衆の前にてはたとひめづらしき事をするとも見手の心にめづらしき感はあるべからず 見る人の為花ぞとも知らでこそ仕手の花にはなるべけれ されば見る人はただ 思ひの外におもしろき上手 とばかり見て これは花ぞ とも知らぬが仕手の花なり さるほどに人の心に思ひもよらぬ感をもよほす手立これ花なり

 たとへば弓矢の道の手立にも名将の案謀にて思ひの外なる手立に強敵にも勝つことあり これ負くるかたの目にはめづらしき理にばかされて破らるるにてはあらずや これ一切の諸道芸において勝負に勝つ理なり かやうの手立もこと落居して かかる謀事よ と知りぬればその後はたやすけれどもいまだ知らざりつる故に敗くるなり さるほどに秘事とて一つをばわが家に残すなり ここをもて知るべし たとへあらはさずとも かかる秘事を知れる人よ とも人には知られまじきなり 人に心を知られぬれば敵人油断せずして用心をもてば却て敵に心をつくる相なり 敵方用心をせぬときはこなたの勝つことなほたやすかるべし 人に油断をさせて勝つことを得るはめづらしき理の大用なるにてはあらずや さるほどにわが家の秘事とて人に知らせぬをもて生涯の主になる花とす 秘すれば花 秘せねば花なるべからず

問題は,その「花」は何を意味するのかということなのだけれど,これについては,この別紙口伝の第一段にある。
一 この口伝に花を知ること まづ仮令花の咲くを見て万に花とたとへ始めしことわりをわきまふべし そもそも花といふに万木千草において四季をりふしに咲くものなればその時を得て珍しきゆゑにもてあそぶなり 申楽も人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心なり 花とおもしろきとめづらしきとこれ三つは同じ心なり いづれの花か散らで残るべき 散るゆゑによりて咲くころあればめづらしきなり 能も住するところなきをまづ花と知るべし 住せずして余の風体に移ればめづらしきなり
世阿弥は,四季に咲く花がどのように認識されているかを分析した結果,「その時を得て珍しきゆゑにもて遊ぶなり」という本質を掴みだしている。そして,申楽が人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心を誘起することから,花=おもしろき=めづらしきの三位一体説が導かれる。

(注)前回の参考資料の「日本古典文学摘集 風姿花伝」には欠落があった。肝腎の「花とおもしろきとめづらしきとこれ三つは同じ心なり」が抜けていた。国立国会図書館のデジタルデータベースの花伝書はどれもまだ非公開状態だし,この国にはまともな古典のデジタル・アーカイブがないのかしら。

2021年2月24日水曜日

風姿花伝

近鉄橿原線結崎駅まで数駅の地から

 風姿花伝 世阿弥

 夫れ申楽延年の事態その源を尋ぬるに或は仏在所よりおこり或は神代より伝はるといへども時移り代へだたりぬればその風を学ぶ力及びがたし 近頃万人のもてあそぶところは推古天皇の御宇に聖徳太子秦河勝に仰せて且は天下安全の為且は諸人快楽の為六十六番の遊宴をなして 申楽 と号せしより以来代々の人風月の景を仮りてこのあそびの中だちとせり その後かの河勝の遠孫この芸を相続ぎて春日日吉の神職たり 仍て和州江州の輩両社の神事に従うこと今に盛なり

 されば古きを学び新を賞する中にも全く風流をよこしまにすることなかれ ただ言葉賤しからずして姿幽玄ならんを 承けたる達人 とは申すべきか 先づこの道にいたらんと思はん者は非道を行ずべからず 但し歌道は風月延年のかざりなれば尤もこれを用ふべし 凡そ若年より以来見聞き及ぶところの稽古の条々大概注し置くところなり

 一 好色 博奕 大酒 三の重戎これ古人の掟なり。

 一 稽古は強かれ 靜識はなかれ

 となり

[1]日本古典文学摘集 風姿花伝

[2]文系の雑学・豆知識 風姿花伝

2020年8月31日月曜日

五番立

文楽の演目が時代物,世話物,舞踊に分類できるように,能は五番立となっているらしい。
近世から明治・大正までの能の正式の上演形式では一日の番組をこの順に上演する。

初番目(神・脇能物):神がシテで神仏の霊験を称える演目(この前に「翁」がくる)
二番目(男・修羅物):修羅道に落ちた武将がシテとなる演目(勝修羅と負修羅がある)
三番目(女・鬘物) :優美な女性がシテとなる優美な舞による演目
四番目(狂・雑能物):他の分類に入らないストーリ性のある演目
五番目(鬼・切能物):鬼・怨霊・天狗などがシテの派手で豪快な演目

なぜこれが出てきたかというと,三枝和子の最初の長編小説である「八月の修羅(未読)」がこの形式を踏んでいるという倉田容子の論説があったため。三枝和子の小説はあまり文庫化されておらず(いまどきされていてもあっというまに品切れになるが),表にでてこない。大庭みな子・岩橋邦枝・水田宗子・与那覇恵子監修による三枝和子選集(全六巻)が鼎書房から2007年に出版されており,古書店でも入手できる。「月の飛ぶ村」は収録されていないのか・・・。

第1巻
 八月の修羅 
 乱反射 
 処刑が行なわれている より 
   幼ない、うたごえ色の血 
   花塊の午後に 

第2巻
 思いがけず風の蝶 
 野守の鏡 より 
  野守 
  螢酒場 

第3巻
 響子微笑 
 響子愛染 
 響子悪趣 
 響子不生 

第4巻
 隅田川原 より 
  江口水駅 
  隅田川原 
 鬼どもの夜は深い 
 うそりやま考 

第5巻
 その日の夏 
 小説 清少納言「諾子の恋」 
 女王卑弥呼 

第6巻
 恋愛小説の陥穽 
 女の哲学ことはじめ 
 神様の居候たち 
 伝説は鎖に繋がれ より 
  白い月 
  覚束ない虹/葦舟に乗る/潜戸の海蛇 
  白い鎖 
 犬吠埼に〈単行本未収録作品〉 
 年 譜 
 参考文献