2021年2月27日土曜日

秘すれば花

風姿花伝からの続き

「秘すれば花なり」は,風姿花伝の第七別紙口伝の六段目にある(全十段)。以下引用。

一 秘する花を知ること 秘すれば花なり 秘せずば花なるべからずとなり この分目を知ること肝要の花なり 抑一切の事諸道芸においてその家々に秘事と申すは秘するによりて大用あるが故なり 然れば秘事といふことをあらはせばさせることにてもなきものなり これを させる事にてもなし といふ人はいまだ秘事といふことの大用知らぬが故なり

 先づこの花の口伝におきてもただ めづらしき花ぞ と皆人知るならば さてはめづらしき事あるべし と思ひまうけたらん見物衆の前にてはたとひめづらしき事をするとも見手の心にめづらしき感はあるべからず 見る人の為花ぞとも知らでこそ仕手の花にはなるべけれ されば見る人はただ 思ひの外におもしろき上手 とばかり見て これは花ぞ とも知らぬが仕手の花なり さるほどに人の心に思ひもよらぬ感をもよほす手立これ花なり

 たとへば弓矢の道の手立にも名将の案謀にて思ひの外なる手立に強敵にも勝つことあり これ負くるかたの目にはめづらしき理にばかされて破らるるにてはあらずや これ一切の諸道芸において勝負に勝つ理なり かやうの手立もこと落居して かかる謀事よ と知りぬればその後はたやすけれどもいまだ知らざりつる故に敗くるなり さるほどに秘事とて一つをばわが家に残すなり ここをもて知るべし たとへあらはさずとも かかる秘事を知れる人よ とも人には知られまじきなり 人に心を知られぬれば敵人油断せずして用心をもてば却て敵に心をつくる相なり 敵方用心をせぬときはこなたの勝つことなほたやすかるべし 人に油断をさせて勝つことを得るはめづらしき理の大用なるにてはあらずや さるほどにわが家の秘事とて人に知らせぬをもて生涯の主になる花とす 秘すれば花 秘せねば花なるべからず

問題は,その「花」は何を意味するのかということなのだけれど,これについては,この別紙口伝の第一段にある。
一 この口伝に花を知ること まづ仮令花の咲くを見て万に花とたとへ始めしことわりをわきまふべし そもそも花といふに万木千草において四季をりふしに咲くものなればその時を得て珍しきゆゑにもてあそぶなり 申楽も人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心なり 花とおもしろきとめづらしきとこれ三つは同じ心なり いづれの花か散らで残るべき 散るゆゑによりて咲くころあればめづらしきなり 能も住するところなきをまづ花と知るべし 住せずして余の風体に移ればめづらしきなり
世阿弥は,四季に咲く花がどのように認識されているかを分析した結果,「その時を得て珍しきゆゑにもて遊ぶなり」という本質を掴みだしている。そして,申楽が人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心を誘起することから,花=おもしろき=めづらしきの三位一体説が導かれる。

(注)前回の参考資料の「日本古典文学摘集 風姿花伝」には欠落があった。肝腎の「花とおもしろきとめづらしきとこれ三つは同じ心なり」が抜けていた。国立国会図書館のデジタルデータベースの花伝書はどれもまだ非公開状態だし,この国にはまともな古典のデジタル・アーカイブがないのかしら。

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