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2024年11月9日土曜日

シンバル

NHKの探検ファクトリーはとても興味深い番組だ。バラエティー生活小百科の後番組で,定時の土曜日お昼時だけでなく再放送でもよくみかける。今日は大阪市平野区のシンバル工場だった。

小出製作所は,金属のヘラ絞り加工を専業とする10人ほどの小企業だが,従業員からの提案で,20年ほど前からシンバルの製造を行っている(シンバル部門は社長を含めて4名だけ)。日本でただ一つのシンバル製造メーカーで,小出シンバルのブランドで有名なのだった。

番組では,製造工程をていねいに紹介していた。気になったのは,同じ直径のシンバルでは,重いほうが音が高いというところだ。弦の固有振動の場合は,振動数は張力を線密度で割ったものの平方根に比例する。つまり重い弦の方が振動数は低くなるわけだ。円盤の振動では,そうなっていない。これは重いシンバルのほうが,その曲げ剛性が大きくなるからのようだ。たぶん。



写真:小出のクラシックシンバル(Amazonストアから引用,10万5千円)

2024年11月6日水曜日

鍵屋資料館

11/2,3,4の三連休,NHKにブラタモリが帰ってきた。東海道五十七次の旅というタイトルで,京都から大阪までの旧街道筋をたどるものだ。東海道五十三次は江戸の日本橋から京都の三条大橋までの53宿であり,53番目が大津宿。大津から京都へ向かう山科追分(髭茶屋追分)で,大津街道が分岐して五十七次の54番の伏見宿に至る。大坂−伏見間は京街道であり,55番の淀宿,56番の枚方宿,57番の守口宿と淀川の南東岸の文禄堤を大坂の高麗橋へと街道が続いた。これが,今回の番組の舞台だった。

11月4日の放映前に,予習のため枚方宿に向かった。枚方市駅あたりから,南西の枚方公園駅まで,旧東海道をたらたらと歩く。途中で昼食のため万年寺山をまわったが,残念ながら目的の渋いお店は小学生未満お断りで,他のしゃれたお店も皆お休み。結局,ひらかたパーク最寄り駅前にある昔ながらの一力食堂で一息ついた。

その後再び旧東海道に戻って,市立枚方宿鍵屋資料館を訪ねる。下足箱に靴がびっしりとつまっていたが,人の気配はない。受付にいくと,今日は2階で琵琶の会が催されているので上がれないとのこと。1階の資料館の部分だけを見る。淀川下りの三十石船にごんぼ汁を売りに来るくわらんか舟のやりとりの3Dディスプレイや実物大モデルがおもしろい。

中山道(六十九次)は,草津追分で東海道(五十三次)に合流するが,69番大津宿,68番草津宿の1つ手前が67番守山宿になる。うちの子供たちはこれまで旧街道沿いの,守山宿,伏見宿,枚方宿,守口宿あたりに住んだり,関係したりするのだった。なお,我々は東海道や中山道より1000年ほど昔からある大和の古道(下ツ道・中ツ道)の間に住んでいる。



写真:東海道五十七次枚方宿(撮影:2024.11.4)


2024年9月4日水曜日

夢遊桃源図

録画してあった朝の韓国ドラマ,スティーラー七つの朝鮮通宝をまとめてみた。なるほど,暇な老人は,このようにして毎日テレビを見て過ごしているのか。時間は無限に溶けていく。

たわいないB級サスペンスコメディなのだけれど,ハイテクガジェットが沢山出てきたり,歴史的な謎解きがあったりして面白い。朝鮮侵略した日本が奪った朝鮮の財宝を日本の将軍が隠匿し,その秘密の隠し場所を示す星座の位置が,7枚の朝鮮通宝に穴を開けて伝えられていた。この争奪戦がドラマの骨格であり,慶州瞻星台という,世界遺産地区にある東洋最古の天文台が最後の舞台だった。

中心となる悪役は,第二次世界大戦ごろの親日派であり,独立運動に関わったが戦後は貧しいままだった人々と,親日派が財産を隠匿してその後の財閥の骨格をなしていくということの対比が示唆されていた。韓国の歴史的な遺物を悪役が奪取し,それらの財宝の隠し場所を日本人の島田に設計させる。彼が作った謎解きトラップのキーワードが神功皇后安堅の夢遊桃源図だった。

その夢遊桃源図は,日本の重要文化財に指定され,現在,天理大学附属図書館所蔵している。


図:夢遊桃源図(安堅,Wikipediaから引用)

2024年8月29日木曜日

一億総特攻

8月17日のNHKスペシャル「“一億特攻”への道 〜隊員4000人 生と死の記録」は,途中から見てしまったので,再放送を録画してもう一度見直した。 折りから,オリンピック選手が知覧特攻平和会館を訪れたいと発言した話題が議論を呼んでいた。NHKスペシャルの15年にわたる取材チームの調査の成果は貴重だった。改めて自分が特攻について十分知らなかったことに気づかされる。

番組では,海軍の神風特別攻撃隊について取上げられている。4000人に上る特攻による死者の記録が,詳細に調べられてデータベース化され,日本地図上にまんべんなく拡がる4000点として表現されていた。そのピンクの記号の波が,先日のスーパーシミュレーターの夢に現われた鳥(朱鷺)のイメージの原型だったのかもしれない。

太平洋戦争で日本軍が米軍に敗北を続け,1944年7月にサイパンが陥落して日本本土への空爆基地化した後,戦争の前線は,日本人戦没者数が最多の50万人を越えた地域であるフィリピンレイテ島へ移る。神風特別攻撃作戦は1944年10月,このレイテ沖海戦で米空母を攻撃するための苦肉の策として,大西瀧治郎によって実施された。

戦況はあきらかに日本に不利であり,米軍の物量に勝つことは困難であるため,一撃講和を目指した精神戦として,その後もこの特攻作戦が継続されていく。特攻を肯定する空気は映画やラジオを通じ,あるいは,地方事務所を媒介として日本全国民の間に浸透していく。

最終的には神風特別攻撃作戦によって4000人余りが犠牲となる。翌1945年に入り,4月の沖縄戦において特攻の死者数はピークを迎える。その内訳は十分に訓練されていない少年飛行兵(海軍飛行予科練習生?)と動員された学徒が中心で,エリート士官が僅かに加わる。


写真:NHKスペシャルの画面から引用(立体グラフはやめてね)

最近新しく発見されたものとして,海軍における特攻隊員の選抜資料が取上げられていた。海軍所属後の成績順に並べられた名簿には,意向を聴取された結果の「熱望」と「望」をトップに,氏名,本人の性向,家族関係などが詳しく記されている。驚いたのは,成績最上位層は選抜されず,その次にくる者たちが選ばれたようだという識者の解説だった。成績下位者は選抜されていない。また,「熱望」と「望」は選抜とは全く関係がなかった。意向には「否」もあったらしいが,そう記したものはほとんどなかったようだ。


[1]「特攻」はこうして生まれた…(一ノ瀬俊也)
[4]空気は行動を決定するか(田中國夫・井上和子)

2024年8月5日月曜日

總力戰硏究所󠄁

8月に入り,NHKの朝ドラ「虎に翼」の物語に総力戦研究所の話がでてきた。佐田寅子(三淵嘉子,1914-1984)の再婚相手の星航一(三淵乾太郎,1906-1985)がこれに加わっていたためだ。そこで,ChatGPT-4oに記事としてまとめてもらう。なんだかおかしいな。Claude 3.5 Sonnet に同じ問いを投げる。こちらの方がより正しいと思われる。

Q(koshix):
総力戦研究所と秋丸機関についてブログ記事の形にまとめてください。
・それぞれの組織の概要と両者の関係
・それぞれの組織が導いた結論
・日本の戦争執行体制に及ぼした影響
などに着目してください。

A(ChatGPT-4o):
(中略)
総力戦研究所と秋丸機関は、共に日本の戦争遂行体制の強化を目指して活動していましたが、それぞれ異なる役割を果たしていました。総力戦研究所は、戦争全般にわたる戦略と政策を研究し、国の総力を戦争に投入することを推進しました。一方、秋丸機関は、戦略的な情報収集と分析に焦点を当て、具体的な戦局の変化に対応するための情報を提供しました。

この二つの機関は、戦争の全体的な戦略を支えるために協力し合い、総力戦の実行と情報戦の強化を通じて、日本の戦争体制を支えました。その結果、日本の戦争遂行体制は、より効率的に戦局に対応し、戦争の勝利を目指す体制が整えられました。
(これはちょっとかなり間違っているような気がする)

A(Claude 3.5 Sonnet):
総力戦研究所と秋丸機関:日本の戦争政策への影響

はじめに
第二次世界大戦中の日本において、戦争遂行能力を分析し、政策に影響を与えた2つの重要な組織がありました。それが総力戦研究所と秋丸機関です。本記事では、これらの組織の概要、相互関係、そして日本の戦争執行体制に及ぼした影響について探ります。

総力戦研究所
概要
総力戦研究所は、1940年10月に陸軍省の外郭団体として設立されました。その主な目的は、国家の総力を結集して行う「総力戦」に関する研究を行うことでした。

主な活動と結論
・国内外の経済、政治、軍事情勢を分析
・日本の戦争遂行能力を評価
・結論:日本の資源と工業力は米英に比べて劣っており、長期戦には不利であるとの見解を示しました

秋丸機関
概要
秋丸機関は、1940年7月に陸軍省経理局内に設置された秘密組織です。陸軍少将の秋丸次朗が主宰したことから、この名で呼ばれています。

主な活動と結論
・日米開戦時の経済的影響を分析
・結論:日本が米国と戦争した場合、勝利の見込みは極めて低いと結論づけました。特に、石油資源の不足が致命的であると指摘

両組織の関係
総力戦研究所と秋丸機関は、同時期に設立され、類似の目的を持っていましたが、独立して活動していました。両者とも、日本の戦争遂行能力に対して悲観的な見方を示したという点で共通しています。

日本の戦争執行体制への影響
1.警鐘としての役割:両組織の分析結果は、日本が長期戦や対米戦に勝利する可能性が低いことを示唆し、戦争回避の根拠となり得ました。
2.政策への限定的影響:しかし、これらの分析結果は軍部や政府の主流派には受け入れられず、実際の政策決定にはほとんど影響を与えませんでした。
3.情報の隠蔽:特に秋丸機関の報告書は、その悲観的な結論のために軍部上層部によって隠蔽されました。
4.戦後の評価:戦後、これらの組織の分析の正確さが再評価され、もしこれらの警告に耳を傾けていれば、日本の運命は変わっていたかもしれないと指摘されています。

結論
総力戦研究所と秋丸機関は、科学的・客観的な分析に基づいて日本の戦争遂行能力の限界を指摘しました。しかし、これらの冷静な分析は当時の日本の指導者たちに受け入れられることはありませんでした。両組織の存在と their findings は、戦時下の日本における理性と狂信の対立を象徴するものとして、歴史に刻まれています。
現在の日本では,知を軽視するあまり,これに相当する客観的な自己分析の組織さえ持つことができなくなっている。それで目指しているのが,日本学術会議の解体と稼げる大学への転換なのだった。

2024年5月15日水曜日

開業率

NHKのクローズアップ現代で,スモールビジネスが取上げられていた。

スモールビジネスが開業がしやすくなる条件が制度的に整うと同時に,IT環境の発達によって小額の投資でビジネスがはじめられるということだ。ところで,日本における開業率は4%程度であり,諸外国の数分の一しかないと指摘されている。

開業率って何?スモールビジネスもはっきり定義されていなかったけれど,これは厳密に定義する必要もないかもしれない。でも開業率は国際比較で定量的な数字があるので,定義があるはずだ。そのへん,ちゃんと説明されないままわかったような気分で番組は進められる。まあいつものことだ。

中小企業庁のページ,2022年版小規模企業白書第1章第2節中小企業・小規模事業者の現状に,開業率の定義があった。
開業率:当該年度に雇用関係が新規に成立した事業所数/前年度末の適用事業所数
廃業率:当該年度に雇用関係が消減した事業所数/前年度末の適用事業所数
適用事業所:雇用保険に係る労働保険の保険関係が成立している事業所数
ということで,適用事業所の正確な定義は,雇用保健法労働保険の保険料の徴収等に関する法律を合わせ見る必要がある。Command R+やGeminiにきいてみるとそれらしいよりわかりやすい答えが返ってきたけれど,それが正しいかどうかがはっきりしないので困る。

なお,全国の適用事業所数は,約240万ヶ所であり,被保険者数は約4500万人である。1事業所平均被保険者数=雇用労働者数は19人ということになる。また,下図は必ずしもスモールビジネスだけに限定した話ではない。


図:開業率と廃業率の推移(中小企業庁の白書から引用)


[2]雇用保険事業月報・年報(厚生労働省)
[3]適用事業法文解釈(厚生労働省)

2024年5月8日水曜日

あのベンチ

琵琶湖東岸のさざなみ街道を南下し,彦根市街地を通りすぎてしばらくいくと「あのベンチ」がある。

NHKのドキュメント72時間で取上げられた回も見逃していて,予備知識ゼロだった。ゴールデンウィークの最終日は曇天で,そろそろ雨が降りそうな空模様だ。さぞや混んでいるだろうと到着すると,誰もいない小さなベンチが栴檀の木の前に琵琶湖を向いてポツンと置かれている。

そうこうしているうちに,車やバイクがどんどんやってきて,またあっという間に去っていく。ここは,誰もいない時間を選んで1人でぼんやりと長時間すわっているための場所なのである。観光名所ではありません。


写真:情緒ゼロのアングルから見たあのベンチ(撮影 2024.5.6)

2024年4月22日月曜日

香炉峰の雪

NHKの今年の大河ドラマは,平安時代を舞台にした「光る君へ」だ。

主演の吉高由里子(紫式部)は好きじゃないし,サマータイムウイカ(清少納言)も苦手なのだ。NHKの番宣番組の二人のザラザラした不作法な掛け合いは聞くに堪えなかった,二人ともどういう性格なのよ。それはそれとして,大河ドラマといえば,いつも戦国時代のチャンバラもしくは徳川物語ばかりでうんざりしていたので,ほっとする。

「光る君へ」はここまでのところ,ほとんど柄本佑(藤原道長)が主人公の物語のようにみえる。平安時代の時代考証がどうなのかは別として,古典や歴史で学んだことを復習しながら,学びそびれたことを調べながら,現代劇の一種としてみるのは楽しい。

昨日は,清少納言が中宮定子に,香炉峰の雪の話題を持ちかけられたシーンがでてきた。古文の教科書に載っていたので,なんとなく頭に残っているのだけれど,どこがポイントなのかいまいち理解できていなかった。復習したところ,ポイントは白居易(白楽天)の故事にあった。教養主義ですね。

これが白居易の七言律詩
香 炉 峰 下 新 卜 山 居 草 堂 初 成 偶 題 東 壁

日 高 睡 足 猶 慵 起
小 閣 重 衾 不 怕 寒
遺 愛 寺 鐘 欹 枕 聴
香 炉 峰 雪 撥 簾 看
匡 廬 便 是 逃 名 地
司 馬 仍 為 送 老 官
心 泰 身 寧 是 帰 処
故 郷 何 独 在 長 安
Wikibooksからの現代語訳は, 
(第一句)太陽が高くのぼり、睡眠時間も十分なのに、まだ起きたくない。
(第二句)小さな家にふとんを重ねて寝ているので、寒さの心配はない。
(第三句)遺愛寺の鐘は、枕を高くしてじっと聴き
(第四句)香炉峰の雪は、すだれを高く上げて眺める
(第五句)ここ廬山は、世間一般の名声から逃れるためには相応しい地。
(第六句)司馬という官職も老後を過ごすためには相応しい官職だ。
(第七句)心も身も安らぐ場所こそが帰るべき場所。
(第八句)どうして故郷は長安だけであろうか、いや故郷は長安だけではない。
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子しまゐりて、炭櫃に火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も「さる事は知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほこの宮の人にはさべきなめり」と言ふ。 

写真:北香炉峰かどうかはわからない廬山の日の出(Wikipediaから引用)

2024年1月31日水曜日

三体

昨年12月に録画してあったWOWOWのテレビSFドラマ「三体」(全30話)をようやく視聴した。霊河影視制作(上海)有限公司の作品だ。

原作の三体(第一部)の著者は劉慈欽(1963-)であり,2015年にアジア作家の作品で初めてヒューゴー賞(1953-)の長編小説部門に輝いた。第三部まで出版翻訳されていて,読みたい本リストのトップレベルに置いてある。

最初の10回の前半は,それほどでもなかったけれど,三体のVRゲームのイメージや文化大革命後の紅岸基地のあたりから急に面白くなる。ドラマ三体は,中国の配信プラットホームであるテンセントの作品なのだが,開放改革以前の中華人民共和国の様子をあれくらい描写していてもOKなのか。紅岸基地での物理学的な謎解きやサスペンスの部分がよかった。SFXも素晴らしい。今の日本だとせいぜいがゴジラであって,これほどの骨太の作品はちょっと無理だ。

Netflix版の三体(三部作を予定か)も近々公開されるはずだけれど,どんなものなのだろうか。予告編を見たが,これはこれでいいけれど,やはりいつものアメリカナイズされすぎた映像と世界観が少し鼻につく。中国版の方が主人公もいいし新鮮な感じがする。




2024年1月10日水曜日

紅白歌合戦

昔は,紅白歌合戦が午後9:00に始まっていた。それまではレコード大賞の時間なのだ。

こどもはもう寝る時間だったので,小学生の間はほとんど紅白歌合戦をみることがなかったような気がする。大晦日の晩ご飯の後は早々にお風呂で身を清め,新しい下着に身を包んで寝る準備をする。初夢の定義には諸説あるにしても,良い夢が見れますようにと祈りながら,さっさと布団に入るのがよい子のルーティーンだ。

妹はおませだったので,おばあちゃんの家のテレビで紅白歌合戦を観るのだといって,夜出かけて行った。なぜ自宅でなくて,歩いて5-6分のおばあちゃんの家でテレビを見る必要があったのかがよくわからない。東京オリンピックの年には,自分の家にもカラーテレビがあったような気がするが,どうなのだろうか。そのころオコチャマだった自分はスヤスヤと寝ていた。次の日,今年の紅白歌合戦は紅(あか)が勝ったか白(しろ)が勝ったかというお馴染の話題で盛り上がるのだけれど,歌謡曲にはあまり興味がなかった。なお,当時おばあちゃんの家のお手伝いさんだったかよちゃんは舟木一夫のファンだった。

最近の紅白歌合戦を見ても,半分以上が名前も知らない歌手やグループで,大半が聴いたこともない曲だ。いやかなり前からそうだったかもしれない。これを定量的に評価できるかと,WikipediaのNHK紅白歌合戦の各回の概要。放送データを眺めてみた。

「知っている」ことの定義が難しい,(1) 歌手やグループの名前だけきいたことがある,(2) 写真のイメージと名前が一致する,(3) その来歴や構成メンバーまでわかっている,(4) 曲の名前だけ聞いたことがある,(5) 曲の歌詞やメロディーの一部を脳内で再生できる,(6) 全曲を歌唱若しくは器楽演奏できる。

とりあえず,歌手名と曲名とメロディーの3セットがリンクして記憶されいるものを5年置きにカウントして全曲数に対する比率を数えてみた。1965-70年に30%程度だったものが,次の10年で20%台になり,1990年以降は10%台で推移している。平成(1989年)に入って,開始時間が前倒しされて二部制になった。視聴率確保のためのテコ入れで懐メロや企画モノが増えることになったので,そこまで知らない曲ばかりというわけでもなかった。

しかし,けん玉はもう勘弁してほしい。

2023年12月19日火曜日

モキュメンタリー

WOWOWで放映していた「ザ・モキュメンタリーズ 〜カメラが捉えた架空世界」を録画していたので,一気見した。

フェイクニュースが蔓延する昨今,「この番組では、現実の私たちと同じように、架空の世界で社会の変化に翻弄される人々を追い、現代社会で実際に起こっている出来事や社会の矛盾を、モキュメンタリーという手法をもって描くことで、真実に迫る。」とあるが,これぞ純正で良質なSFビデオ作品である。
ザ・モキュメンタリーズ ~カメラがとらえた架空世界~(各編30分)
 (編者注:丸括弧内はこちらで付加したキーワード)
#1 「インビジブル・ブルース」(透明人間皮膚移植・マイノリティー)
#2 「(株)わたし」(個人の公開株化「株式人間」・人間の価値)
#3 「WORD HUNTER」(言語省・言語取締官・不正日本語取締法)
#4 「マイナースポーツ・未来の星」(スルーイング・東西日本国)
#5 「ドローン・クライシス」(脱法人工知能搭載野良ドローンとマタギ)
#6 「ハラハラ♥ハラスメント」(ハラスメントバッチ・自由恋愛タブー)
#7 「冷凍睡眠ビジネスの闇」(家庭用冷凍睡眠カプセル)
#8 「仮想俳優A」(フルCGの俳優・最明寺アキラブーム)

本物のドキュメンタリーのような形式で製作されているうえ,非常にていねいなシュミレーションがされているため,うっかりしていると現実と混線してしまいそうになる。放送時間の関係で星新一のショートショートレベルの掘り下げとなり,問題をそこまで深刻に描いているわけではないけれど,ドキュメンタリーの力がこれらにリアリティをもたらす効果は大きい。

各編に出てくる日付が2020年のオーダーだったので調べてみると,最初に放送されたのは2021年の3月・4月だったようだ。なお,モキュメンタリーという言葉は普通名詞だった。


写真:ザ・モキュメンタリーシリーズのタイトルバック(WOWOWから引用)

この延長線上になる「PORTAL-X 〜ドアの向こうの観察記録〜」が2024年1月から8回放送されるそうで,こちらも楽しみ。

2023年9月15日金曜日

成層圏飛行

NHKのコズミックフロント関係の話題が続く。

9月7日に放映されたのが「天空の果てへ 有人気球・成層圏飛行への挑戦」だった。ヘリウム気球を使った有人成層圏飛行の実現を目的とする岩谷技研の1年半の取り組みが丁寧に紹介されていた。ほとんど会社の宣伝番組になっていたけど。なお,有人ではなく成層圏や中間圏での高高度気球での撮影をするスポーツは,スペースバルーンとよばれている。

図:地球大気の鉛直構造(高卒資格.comから引用)

北海道の株式会社岩谷技研は,2012年に個人として初めて33kmの高度からの撮影に成功した岩谷圭介(北海道大学工学部知能工学科卒)が,2016年に設立した旅客技術開発会社である。その目的は,高高度ガス気球並びに旅行用気密キャビンを設計/開発/製造し,気球による宇宙遊覧フライトを実現する,となっている。現在の資本金は3500万円で,従業員が48人だ。

ヘリウムを惜しげもなくふんだんに使って(いるように見えた)気球にかかわる様々な実験を堅実に繰り返しているところに驚いた。社長はじめ若い社員達が多くのの特許を取得しながら一歩づつ着実に目標に向かっていた。48名の人件費を賄うだけの収益があるのか,他人事ながら心配になった。

同様のベンチャー企業に,茨城県のスペース・バルーン株式会社がある。こちらの方は2020年に設立され,資本金500万円で従業員7名だ。ホームページはとても綺麗にデザインされていて,会社の目標も宇宙旅行に限定されず様々な応用分野を想定している。


うまくいけば,数百万円程度で2時間上昇+1時間滞在+1時間下降のNear Space(宇宙空間への入口)の旅=成層圏飛行が実現できるかもしれないがどうだろう。なんとなく,アーサー・C・クラーク楽園の泉(こちらは軌道エレベータの話だが)を思い出す。


2023年9月12日火曜日

どうする大学

NHK大河ドラマ「どうする家康」は,評判もずっとイマイチで,最初のうちはあまり見る気もしなかった。ところが,武田信玄が出てきて瀬名と信康が自害するあたりから,次第に面白くなってきた。本能寺の変の直前の信長への接待から,秀吉の台頭,石川数正の出奔や朝日姫の輿入れなど,最近は毎週目が離せない。


9/10のNHK日曜討論が「どうする"研究力低下"これからの日本の大学」だった。法事で外出していたため,録画したものをみた。放送直後から,Twitterで番組の感想を検索していたが,ほとんどその論調は同じだった。政府審議会の証券アナリストはわかっていない,選択と集中がこの危機を招いた,出席の大学関係者はがんばっていた,というものだった。

Twitterでおなじみ病理医の榎木英介科学・政策と社会研究室 代表理事),K2Kニュートリノ実験出身の横山広美(東京大学IPMU副機構長),KEK理事でリサーチアドミニストレーション協会副会長の高橋真木子(金沢工業大学教授),経済財政諮問会議初の民間女性有識者中空麻奈(BNPパリパ証券,アナリスト)というなかなか良いメンバーだった。野依良治が出てこなくてよかった。

さすがNHKなので,朝まで生テレビや維新の記者会見とは違って落ち着いて話が進む。中空麻奈もそこまでヒールに徹していたわけではないし,横山さんや榎木さんも控えめだ。高橋さんは,榎木さんらの主張に共感しながらも,研究機関としてのマネジメントをどうするかという立場で話していた。

まあ,バブル崩壊後の国家予算の逼迫に対応しようとした日本政府の政策の方向(国立大学の法人化と資源の選択と集中)が間違っていたわけだ。2000年のインターネット革命後の社会の変化スピードのために被害は拡大してしまい(研究人材の雇用不安定化,基盤的な大学運営費の縮減による機能喪失),焦れば焦るほど大学が危機的な状況に追い込まれている。これに少子化の波が加わる(以前は2018年問題といわれていたがまだズルズルと続いている)。


2023年9月9日土曜日

年縞博物館

ほぼ一日中テレビをつけっぱなしにしていると,よく叱られる。テレビも時々自動的・自主的に消灯して休むことがある。

NHK等の朝昼夕夜のニュース,NHKの朝ドラ,あさイチ,韓国ドラマ,VIVANT,BSドラマ,映画とコズミックフロントの録画くらいしかみていない。見るものがなくなると,放送大学にチャンネルを替えて,これをバックグラウンドTVにしながら,パソコンのYouTubeを聞き流している。たいへん健康に良くない生活だ。

その放送大学の「情報デザイン」の「〔各論〕空間とコミュニティの情報デザイン」の回で,福井県立年縞博物館が紹介されていた。GPT-4に要約させると次のようになった。
福井県年縞博物館は、年縞(ねんこう)を通じて人類の歴史や時代の変遷を探求する世界初の博物館です。年縞とは、湖の底などに長い時間をかけて積もった泥の層を指し、福井県若狭町の三方五湖の一つ、水月湖の底からは7万年分の年縞が採取されました。この年縞は、歴史の年代決定のための国際標準の「ものさし」(IntCal)に採用され、水月湖は「Lake Suigetsu」として世界的に知られるようになりました。年縞博物館では、この7万年分の年縞を体感するための「年縞ギャラリー」が設けられており、訪問者は年縞の魅力や歴史の深さを実感することができます。

番組では,立命館大学古気候学研究センター中川毅センター長がていねいにその趣旨や特徴を説明されていた。


写真:年縞博物館の7万年分45mの年縞を横向きに展示

2023年6月14日水曜日

鏡の中のミステリー

暇な老人はテレビをつけっぱなしにすることが多い。韓国ドラマを見終わって番組がつまらなくなると,放送大学にチャンネルを替えるのが癖になってしまった。先日,それで「鏡の中のミステリー〜なぜ左右が反対に見えるのか?〜」という高野陽太郎先生の番組にあたった。

従来の説として,ファインマンの説と回転説を紹介した後,それらを簡単に否定してしまった。ええっ。そのうえで,多重プロセス理論という自説を展開する。人による左右の反転の認知は,3つの原理によって産み出される3つの減少の複合体だとのこと。その3つの原理は,(1) 視点変換,(2) 表象方向 の乖離,(3) 光学変換 である。

文字の反転は(2)によるもので,鏡の前の人の場合 (1)とは区別されるというのだ。ええっ。トンデモ理論ではないのか。それにしては,森津太子さんが神妙に聞いている。岩波書店からも,「岩波科学ライブラリー 55 鏡の中のミステリー 左右逆転の謎に挑む 鏡に映った自分の顔がなぜ左右逆に見えるのか.これまで誰ひとり解けなかった謎が,ついに解けた。(現在品切れ)」と売り出している。

あたまがクラクラしてきた。もう少し調べてみると,ちゃんと反論している人はいた。その結果,認知科学が2008年に誌上討論を実施している。しかし結論はでていない。岩波と放送大学を握ったほうが勝ちなのだろうか?もう少し勉強してから考えをまとめる。

今のところの自分の考え。「上下対称,左右非対称の生物が鏡に正対したとき,彼らは上下が反転していると認識する可能性があるだろう」「文字を2次元の対象と考えれば,鏡によって反転することはない。反転するのは3次元的な対象に限られる。なお,表裏のある2次元の対象は3次元の対象と同等である」


[1]「小特集 − 鏡映反転」(認知科学,2008)
[2]鏡の世界回答編(多幡達夫,2004)
[3]鏡の中の左利き一物理屋のコメント(吉村浩一|多幡達夫,2004)
[4]鏡像問題(発見の発見ブログ,田中潤一,2007-2019)

2023年2月24日金曜日

大奥

よしながふみ原作の歴史改変ジェンダーSFマンガ大奥が,NHKでドラマ化された。あまり真面目に視聴していない大河ドラマの徳川家康よりよほどおもしろいのだ。10月にはシーズン2も予定されている。

さて,高等学校で日本史をとらなかったため,徳川歴代将軍についてもあまりよくわかっていない。そこで,Bing ChatやChatGPTに聞いてみた。
『歴代の徳川将軍について調べています。次のような形式の将軍在位順のテーブルを作ってください。|第○代|名前|在位期間(16xx-17xx)|在位年齢(30-50)|生没年(16xx-17xx)|父|母|』

何となくそれらしいアウトプットはできたもののWikipediaでチェックした(それもどうかという話だが)。半分くらいは間違っているが,そこそこの結果が出てきた,あとは手動で校正したところ,次のようになったので,テレビ視聴の参考資料とする。

第 1代|徳川家康|1603-1605|在位年齢:49-51|1543-1616|松平広忠|伝通院 |
第 2代|徳川秀忠|1605-1623|在位年齢:26-44|1579-1632|徳川家康|西郷局 |
第 3代|徳川家光|1623-1651|在位年齢:19-47|1604-1651|徳川秀忠|崇源院 |
第 4代|徳川家綱|1651-1680|在位年齢:10-39|1641-1680|徳川家光|宝樹院 |
第 5代|徳川綱吉|1680-1709|在位年齢:34-63|1646-1709|徳川家光|桂昌院 |
第 6代|徳川家宣|1709-1712|在位年齢:47-50|1662-1712|徳川綱重|長昌院 |
第 7代|徳川家継|1713-1716|在位年齢: 7-10|1709-1716|徳川家宣|月光院 |
第 8代|徳川吉宗|1716-1745|在位年齢:32-61|1684-1751|徳川光貞|浄円院 |
第 9代|徳川家重|1745-1760|在位年齢:33-48|1712-1761|徳川吉宗|深徳院 |
第10代|徳川家治|1760-1786|在位年齢:23-49|1737-1786|徳川家重|至心院 |
第11代|徳川家斉|1787-1837|在位年齢:14-64|1773-1841|徳川治斉|お富の方 |
第12代|徳川家慶|1837-1853|在位年齢:44-60|1793-1853|徳川家斉|香琳院 |
第13代|徳川家定|1853-1858|在位年齢:29-34|1824-1858|徳川家慶|本寿院 |
第14代|徳川家茂|1858-1866|在位年齢:12-20|1846-1866|徳川斉順|実成院 |
第15代|徳川慶喜|1867-1868|在位年齢:30-31|1837-1913|徳川斉昭|貞芳院 |

徳川家康が征夷大将軍だったのは2年ほどだったとか,家継が子供であっという間に亡くなったとか,いろいろ知らないことが多い。結局,大河ドラマの綱吉と吉宗と家定(篤姫)の記憶でしか定着していないのだった。

NHKのテレビ放送が1953年2月1日に始まって70周年だ。

2023年1月13日金曜日

量子ピタゴラスイッチ

ビーだま・ビーすけ おどろきの秘密 大公開スペシャル!」のビデオに引き込まれてしまい,おもわず家を出発する時間が遅れてしまう老夫婦(注)。←体言止め

ピタゴラスイッチは,4-6歳児の考え方を育てる番組らしいが,2歳の孫からじじばばまで十分通用することが実証された。これをコンピュータの中で再現できたら(それほどおもしろくないけれど)便利かなと考えたが,案の定すでにアプリが存在していた。モノイズピタゴランがそれだ。試してみるとなかなかよく作られている。きかんしゃトーマスせんろをつくろうというのもある。グリコードに加えて手持ちのおもちゃが増えた。

さて,ピタゴラスイッチは古典物理学の決定論的因果連鎖によって成立する装置だけれど,これが量子物理学の確率論的因果連鎖になればどうなるだろう。なんのことはない,量子コンピュータというのは量子ピタゴラスイッチの一種に他ならない。ただ,一つのデバイス内の話では,電子回路はみんなピタゴラスイッチだと主張しているようなもので,有難みはない。

世の中に量子ピタゴラスイッチへの言及がないかどうか確かめてみると一件だけ見つかった。東大工学研究科物理工学専攻中村研に在籍していた宇佐見康二さんだ(現日亜化学工業?)。光-マグノン-マイクロ波-超伝導量子ビットのリンクあるいは量子ピタゴラスイッチというレポートがあったが,イマイチどのようにピタゴラスイッチなのかがわからなかった。


図:ピタゴラスイッチの「ピ」(ユーフラテスから引用)

(注)赤いビー玉(=大きさは無視しない小球)はピーすけだとばかり思っていたが,ビーすけなのね。ちなみに緑色はビータ,黄色はビーゴローらしい。

[1]748時間かけたピタゴラ装置  京都芸術大学(やぎみっくシステム ピタゴラスイッチ)

2023年1月5日木曜日

小鍛冶 

正月に孫の世話をするのはたいへんだ。

バーバもカーカもお節料理の準備で手一杯なので,ジージにもその順が回ってくる。そんなときは,NHKの教育テレビ(Eテレ)が神様だ。普段はおかあさんといっしょとかピタゴラスイッチを見せている。元旦のEテレは,新春能狂言 能「小鍛冶 白頭」をやっていたので,5歳と2歳はテレビにかじりついて見ていた。

謡曲「小鍛冶五番目物)」のストーリーは次のとおり(精選版日本国語大辞典から引用)。
三条の小鍛冶宗近は剣を打てとの勅命を受けるが相鎚あいづちの者がいないので当惑し,稲荷明神に祈誓に行く。すると童子が現われ,力を貸し与えようといって消える。宗近が用意を整えると,稲荷明神が現われて相鎚をつとめ,名剣小狐丸ができあがる。

稲荷明神が頭に狐の型をつけていた。何も知らないジージは,頭にネコがいるというと,すーちゃんは違うよと。イヌだ。うぅうん。キツネかなというと,そうだよとやっとOKが出た。すーちゃんは何でキツネだとわかったのだろう。


図:小鍛冶のシテの頭のキツネ(銕仙会から引用)

小鍛冶のワキの三条宗近は,平安時代の刀工である。京都の三条通りに住んでいたことからその名がついているが,現在では若草山の麓に三條小鎩治宗近の店がある。

追伸:ChatGPTにクイズを出してみたところ,正解したのだが,後半の説明はウソだった。

Q:能の小鍛冶のシテの頭についている動物は次のどれでしょう。(1) イヌ,(2) ウサギ,(3) キツネ,(4) ネコ の中から選んでください

A:(3) キツネが正解です。能の小鍛冶のシテの頭には、キツネの形をした帽子がついています。能の小鍛冶は、日本の伝統的な芸能の一つで、演者が鎧を着て、剣や槍などの武器を使いながら、模擬戦や舞踏を演じるものです。能の小鍛冶のシテは、その中でも特に重要な役割を担う演者で、能の小鍛冶を指導する役割を担っています

2022年12月22日木曜日

ウルトラQ

ウルトラQは,円谷プロダクションによる空想特撮テレビシリーズの第1弾として1966年1月から7月にかけて放映された。この武田薬品提供枠では,月光仮面(1958-1959),豹(ジャガー)の眼(1959-1960),隠密剣士(1962-1965)なども見ていた。月光仮面やジャガーの眼は自分がまだ幼稚園のころだ。小学生のころ,風呂敷被って月光仮面ごっこをしている絵日記を書いた記憶や真っ赤なサタンの爪が印象的だった絵本を読んだ記憶もある。

ウルトラQは,当時の中学1年生にとって丁度手ごろなSFドラマだった。アウター・リミッツなどもうすこし高級で怖いものもたまに見る機会があったけれど,民放のチャンネルが限られている田舎町にはなかなか文化の香りが届かない。その後,ウルトラマン(1966.7-1967.4),ウルトラセブン(1967.10-1968.9)ときて中学生を卒業することになる。

高校になると,この枠は桜木健一・吉沢京子・近藤正臣の柔道一直線(1969.6-1971.4)になってしまう。柔道が得意でピアノもひける同級生の上出君が,若き日の近藤正臣がピアノの上を跳ね回って演奏するシーンに感心していたのが印象的だった。なんだったのだろう。


さて,「ウルトラQとウルトラマンの関係について」とChatGPTに日本語で尋ねてみると,次のような残念な答しか返ってこなかった。
「ウルトラQ」は、1966年から1967年にかけて放送された「ウルトラマン」シリーズの第1作です。この番組は、地球を守るために、人間から姿を変えた異星人が、異星生命体との戦いを繰り広げるという内容です。
ところで,ChatGPTは,英語では十分訓練されていて日本語に比べてずっとマシな答えを返すという話だ。そこで,英語で尋ねてみた。
Please explain the story of Ultra Q which is the TV program in Japan mid 1960's
答えをDeepLで翻訳すると次の通りだった。だいぶマシなのである。
「ウルトラQ」は、1966年1月2日から7月3日まで日本で放送されたサイエンスフィクションテレビシリーズです。ウルトラシリーズの最初の作品であり、その後に多くの他の特撮番組や映画が加わることになりました。

番組は、奇妙な現象を調査する科学者やジャーナリストたちを描いており、彼らは様々な怪物や宇宙生物と出会います。主人公は写真家としてチームに加わる若い女性、江戸川ゆり子です。彼らは世界中を旅し、チームのリーダーである岩本教授が備える技術的に先進的な車両や武器を活用しながら、奇妙で危険な状況に遭遇します。

「ウルトラQ」は日本で人気を博し、いくつかの続編シリーズを生んでいます。その中でも「ウルトラマン」は文化的現象となり、今でも最も有名な特撮番組の一つとして知られています。日本のサイエンスフィクションの代表的作品とされ、特撮ジャンルに長く影響を与えています。
岩本教授というのはちょっと余計だが,かなり適確な回答が返ってきた。


写真:ウルトラQのタイトル(円谷プロから引用)

2022年11月5日土曜日

戦争と人間(3)

戦争と人間(2)からの続き

山本薩夫監督(1910-1983,両親は小松市出身,山本三兄弟は甥)の「戦争と人間」三部作は,なんとなく消化不良のノモンハン事件までで終ってしまった。なお,ノモンハン事件は,中公文庫「失敗の本質−日本軍の組織的研究」の「一章 失敗の事例研究」の6件のうち,真っ先に取り上げられてた。

よく考えると,原作は五味川純平(1916-1995)の小説なので続きがあるかもしれないと調べてみた。三一新書,後に光文社文庫から出版されていた。Kindle版は今もあるのだけれど,文庫版のほうは古書で1冊数万円の値がついているものもある。

古書店など探していると,メルカリに「戦争と人間(三一新書全18冊揃い)」が3000円で出品されていたので,早速注文してみた。12巻の劫火の狩人第四部までが映画の三部作に対応しているようで,その後の話は13巻から18巻まで続くことになる。

五味川純平といえば「人間の條件」なのだが,こちらの方はテレビの昼のメロドラマ帯で断片的にみたような気がするけれど,軍隊の横暴さ残酷さは同じように描かれていたとしても,違う作品だったのかもしれない。

P. S. 仲代達矢ではなく加藤剛のイメージだったが,「テレビドラマ版の人間の條件」確かにありました。昼帯ではなかったけれど,1962年10月から1963年4月までの放映だ(小学校3年生のころか)。