2024年8月29日木曜日

一億総特攻

8月17日のNHKスペシャル「“一億特攻”への道 〜隊員4000人 生と死の記録」は,途中から見てしまったので,再放送を録画してもう一度見直した。 折りから,オリンピック選手が知覧特攻平和会館を訪れたいと発言した話題が議論を呼んでいた。NHKスペシャルの15年にわたる取材チームの調査の成果は貴重だった。改めて自分が特攻について十分知らなかったことに気づかされる。

番組では,海軍の神風特別攻撃隊について取上げられている。4000人に上る特攻による死者の記録が,詳細に調べられてデータベース化され,日本地図上にまんべんなく拡がる4000点として表現されていた。そのピンクの記号の波が,先日のスーパーシミュレーターの夢に現われた鳥(朱鷺)のイメージの原型だったのかもしれない。

太平洋戦争で日本軍が米軍に敗北を続け,1944年7月にサイパンが陥落して日本本土への空爆基地化した後,戦争の前線は,日本人戦没者数が最多の50万人を越えた地域であるフィリピンレイテ島へ移る。神風特別攻撃作戦は1944年10月,このレイテ沖海戦で米空母を攻撃するための苦肉の策として,大西瀧治郎によって実施された。

戦況はあきらかに日本に不利であり,米軍の物量に勝つことは困難であるため,一撃講和を目指した精神戦として,その後もこの特攻作戦が継続されていく。特攻を肯定する空気は映画やラジオを通じ,あるいは,地方事務所を媒介として日本全国民の間に浸透していく。

最終的には神風特別攻撃作戦によって4000人余りが犠牲となる。翌1945年に入り,4月の沖縄戦において特攻の死者数はピークを迎える。その内訳は十分に訓練されていない少年飛行兵(海軍飛行予科練習生?)と動員された学徒が中心で,エリート士官が僅かに加わる。


写真:NHKスペシャルの画面から引用(立体グラフはやめてね)

最近新しく発見されたものとして,海軍における特攻隊員の選抜資料が取上げられていた。海軍所属後の成績順に並べられた名簿には,意向を聴取された結果の「熱望」と「望」をトップに,氏名,本人の性向,家族関係などが詳しく記されている。驚いたのは,成績最上位層は選抜されず,その次にくる者たちが選ばれたようだという識者の解説だった。成績下位者は選抜されていない。また,「熱望」と「望」は選抜とは全く関係がなかった。意向には「否」もあったらしいが,そう記したものはほとんどなかったようだ。


[1]「特攻」はこうして生まれた…(一ノ瀬俊也)
[4]空気は行動を決定するか(田中國夫・井上和子)

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