2024年8月30日金曜日

敵国人抑留

NHKクローズアップ現代で,「敵国人抑留」が取上げられていた。

日系人の強制収容(1942-1949)については,規模も大きく(12万人),レーガン大統領時代からバイデン大統領に至るまで米国政府が正式に謝罪したり補償したことがニュースでとりあげることが多かったが,日本での敵国人の抑留については十分には認知されていなかった。

日本では,1941年の真珠湾攻撃以降,連合国側の敵性外国人1100人ほどが,全国各地の教会,修道院,ミッションスクールの校舎など,数十ヶ所に抑留された。1ヶ所あたりは1人から50人ほどであり,数人規模のところも多かった。1943年にイタリアが降伏すると,イタリア人も抑留された。

NHKで取上げられていたのは,イタリア人の作家であるダーチャ・マライーニ(1936-)である。彼女の父は,東洋学者のフォスコ・マライーニ(1912-2004)といって,日本への留学後,京都帝大のイタリア語教師をしていた人物だ。彼女の家族は,1943年に名古屋の収容施設にスーツケース一つで連行され,収容施設を管理する警察官に酷い仕打ちを受けることになる。特に,食糧がなくて困ったようだ。米国の日系人の収容施設でも食糧はなかったが,広大な敷地の中の農地で自作することは可能だった。

その後,ダーチャさんら16人は,名古屋市内の空襲を避けるため,山あいの寺に移され,そこでは日本人とも良好な関係を築くことができた。



図:DALL-E3と格闘したがこれが限界だったイメージ


図:ImageFXに英語でお願いした場合のイメージ


[1]太平洋戦争下の「敵国人」抑留(小宮まゆみ)
[2]さまざまな色合いの抑留(バクストン・A・カーリー)

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