2019年6月30日日曜日

「神への長い道」とツイッター

小松左京の中編「神への長い道」は高校時代に読んで,影響されたSFの一つだ。米島君にも銀背のハヤカワSFシリーズの短編集を貸したのだが,評価はなかなかよかった。しばらく前に,これが Twitter をかなり正確に予言しているとして話題になった。その部分を取り出してみよう。
五十六世紀人たちのしゃべる言葉は,長い場合は猛烈にはやかった。—まるで昆虫の翅音のようにしかきこえない。(中略)というよりは,大脳前頭葉が二十一世紀人に比べて極度に発達した彼らは,ほんの短い,感投詞(ママ)のような言葉を投げかけあうだけで,ほとんどの意味がつうじてしまうらしかった。しかし,長い議論になると,鳥のさえずりのような,せせらぎのようなせわしない声があたりにみちた。—彼が発見しておどろいたのは,五十六世紀人たちは,会話が熱をおびてくると,しばしば二人ないし,それ以上の人たちが,同時にしゃべりまくるということだった。最初はそれが受け答えになっているのかと思ったが,そうではないらしく,めいめいの人間は,相手のいっていることなどきかず,猛烈なスピードで自分の考えをしゃべりつづけ,相手のしゃべりつづけている話のうち,ほんの一つ二つの単語なりフレーズなりでなにかこちらが展開している思考にヒントとなるようなものがあれば,それが相手方の展開している思考系列のなかで,どういう順序,または意味で組みこまれているかということとは関係なく,それをこちらの思考の流れにとりいれて,また新たな方向へ,自分の考えを展開していくらしかった。—つまり,彼らの議論とは,めいめいが相互に情報発振源になってのべつ発振し,何かめいめいにとってそのなかで,瞬間的に共鳴する情報だけがコミュニケートすればいいのであって,相手の考えを全面的に理解する必要はなかったのだ。にもかかわらず,そのやり方は,相互に共鳴し,コミュニケートする情報が,ある確率でもって整理されていうことによって,りっぱに—むしろいちいち言葉の厳密さをたしかめて,煉瓦のように論理を構築していく古いやり方より,よっぽど効率良く—相互の思考を進展させ,同時にめいめいがちがった側面において,新しい問題に達することによって,ひろがりを深めていくのだった。
(引用:世界SF全集35 日本のSF(短編集)現代編「神への長い道」より)

今だと「情報発信」なのだろうが,この文脈では「発振」のほうがふさわしいようだ。たぶん,Twitterやその他のSNSの本質的な側面を非常にうまく表現している。実現したのが五十六世紀ではなく,二十一世紀だったが,我々は思考を進展できずにフェイクを撒き散らかし続けるという残念な段階にとどまったままである。人と人のコミュニケーションは山羊さんゆうびんのように原理的に困難なものなのかもしれない。

2019年6月29日土曜日

道徳教育ビッグデータ

20XX年,教育基本法が再度改正され,日本の教育の目的は,次のようになった。
第一条 教育は,道徳的人格の完成を目指し,国家及び社会の形成者として必要な強い心と頑強な身体を備えた国民の育成を期して行なう。

教育基本法の趣旨を踏まえるならば道徳教育がすべての教育課程の中心であるべきだ,という道徳教育学者の強い主張を支えに,学習指導要領のトップに特別の教科「道徳」が位置することになった。道徳教育を主担当できるのは,教職大学院の道徳教育エクステンションプログラムを修了した主幹教諭以上のものに限られる。全国で毎年400名が養成されており,将来的には,全国4万校の各学校に1名が配置される予定だ。

道徳教育は,道の教育に対応する知識の部分と,徳の教育に対応する実践の部分から成り立っている。道徳的な知識については,一人一台の学習コンピュータによって毎日15分,自分の好きな時間に学ぶことになっている。ゲーミフィケーションや児童心理学の知識をフル動員して作られたアドベンチャー型デジタル教材なので,子どもたちは喜んでこれにはまっている。

問題になるのは,徳の部分である。政治家や企業人だけにとどまらず,教師ですら道徳的な実践を日常的に続けることは難しい。いくら国民的道徳放送で洗脳を続けてるとはいえ,毎日のように道徳警察と道徳裁判所のお世話になる民が後を絶たたない。悪の芽は子どものうちから摘まなければならない。そこで考え出されたのが,学校の道徳通貨ゼン(Zen)の導入である。ゼンは「善」からきている。

全国の子どもたちの24時間のふるまいは,各学校ごとにデザインされ,すべての子ども達が日の丸の鉢巻きのように締めているウェアラブル・バンダナを通じて,全てライフレコーディングされる。バンダナは,位置,発話,聴覚,視覚,生体の各情報収集機能を持ち,各学校に建てられた無線通信塔を通じて,リアルタイムにネットワークアクセスすることによって,道徳教育ビッグデータとして収集されることになった。

国家戦略特区制度を活用し,文部科学省はある特定の業者にすべての運用を随意契約で委託した。情報は,セキュリティ万全のブロックチェーンで管理され,その β 社が運営する道徳クラウド上の道徳教育ビッグデータサイトに収集される。ビッグデータはつぶれかけていた国産企業の粋を集めた量子スーパーコンピュータを用いたディープモラルラーニングシステムにかけられ,これによって価値判断が行われる。

道徳教育を実効的なものにするため,道徳教育ビッグデータから各個人ごとに評価された結果は,道徳通貨ゼンに換算されて個人に付与されることになった。すべての行為には,時間と空間とネットワーク構造で変化する善悪の重みがダイナミックに定まり,児童生徒が持つ道徳通貨バーチャル通帳(通称ゼンノート)にゼンのポイントとして記録されていく。善行をつめばゼンが貯まり,悪いことをすればゼンが消耗する。

当初は,古典的な徳目が道徳の基準として設定されていたのであるが,ディープラーニングの学習が進むとともに,その基準は徐々に変化していった。通貨の本質が影響し,やがて毎月のように善悪の基準は変化するようになった。もう何が善で何が悪かは絶対的なものではない。何が事実で何がフェイクかが区別できなくなったのと同じである。簡単にいうと,ある種の投票システムのデリバディブによって善が決まっているのだ。このため,株式市況と並んで,道徳価値市況が毎日のネットニュースに流れている。

例えば,日刊ゼンポイントニュースサイトでは,次のような記事のネット番組が放送されている。本日のはやりの善行はこれだ。おとめ座でA型の君にお奨めの善行リスト。今日は避けたい方角と行為。みのがしてもらえる隠れ悪行のリスト。このネット動画をみてゼンポイントをかせごう。将来のゼンポイントのために,こんなスキル磨きに投資しよう。これが闇ゼンポイント交換サイトの全貌だ。大人の悪行を暴いてゼンポイントをかせげ。

さて,その通帳のゼンポイントの高によって,子どもたちの選択可能な進路が決まるのでたいへんだ。道徳帝大に入学するためには,高いポイントが必要だ。知識や技能を問う一斉マークシート試験などはとっくの昔に廃止されている。一般レベルの英語教育の四技能もバンダナの簡易翻訳機能のおかげで,あっという間に不要の長物になった。職業倫理に結びついたゼンポイントの基準が進学や就職のすべての鍵を握っている。

さて,このような世界で,競争が発生すると,他者に対してより高いゼンを獲得するためのベストな行動はどんなものになるのだろうか。そのために各個人のデジタル・ゼン・アシスタントは何をサジェストするのだろうか・・・続く


P. S. 虚構新聞じゃないけど,ゼンポイントがもう現実化してしまった・・・orz
 東京都,善行にポイント 小池知事「SDGsを切り口に」(日本経済新聞 2019.12.6)

2019年6月28日金曜日

教育ビッグデータ(3)

教育ビッグデータ(2)からの続き)

新時代の学びを支える先端技術活用推進方策 (最終まとめ)の,2.学校現場における先端技術・教育ビッグデータの効果的な活用をもう少しだけ読んでみた。

前段の「学校現場で先端技術の効果的な活用を促進するために」の方は次の項目からなる。
・遠隔・オンライン教育
・デジタル教科書・教材
・協働学習支援ツール
・AV・VR
・AIを活用したドリル
・センシング
・統合型校務支援システム

このうち遠隔・オンライン教育にかなりの説明を割いていることが目立つ。SINETの開放(といってもVPNの提供くらいしかメリットがなさそうだけど)に加えて,大学や企業を巻き込む「マッチング&アドバイザリープラットフォーム」機能を有するポータルサイトを創設するという提案まで踏み込んでいる。初等中等教育をダシに,SINETの強化を図るということ?よくわかりません。

その他の項目はなんだか手垢のついたものばかりで,目新しいものはないし,センシングも腰が引けている。総じて教育ビッグデータとの関連をきれいに見せきれていない。最近の情報教育の主流派のみなさんが推奨してきた一連のシステムを,総花的に並べている。なぜか,教育工学の伝統につながる学習履歴の収集とその分析というキーワードが強調されていないような気がする。危険・注意だからかもしれないが。

後段の「教育ビッグデータの現状・課題と可能性」では,関連企業団体であるICT CONNECT21 からの海外事例報告のあと,多くのページをデータの標準化の話に割いている。文部科学省による学校調査を自動化・効率化するためのシステムとして「教育ビッグデータ的なもの」を使うという話であればそれでよいのだろうと思う。まさに,英国モデルであり,各ベンダーはその標準を満足する個別システムを自由に設計すればよいのだから。

ところで,教育ビッグデータが目指しているとして,この政策まとめで最初に謳ったものはなんだったのだろうか。非常な危険を伴うが,「公正に個別最適化された学び 誰一人取り残すことなく子供の力を最大限引き出す学び」なのであれば,ちょっとベクトルが違うような気もしないではない。しかしながら,道徳教育でフル回転している現在の文部科学省が,教育ビッグデータといった瞬間,「道徳教育ビッグデータ」で統合される恐ろしい世界が迫ってくるようでなので,そうなれないのであれば逆に良いのかもしれない。

2019年6月27日木曜日

教育ビッグデータ(2)

教育ビッグデータ(1)からの続き)

文部科学省の政策提言に「教育ビッグデータ」という言葉を発見したときに軽い違和感があった。ディープラーニング(あるいはAI)が流行するにつれてやや背景に退き気味だった「ビッグデータ」に再会したような気分だった。

ビッグデータの定義は,「高ボリューム,高速度,高バラエティのいずれか(あるいは全て)の情報資産であり,新しい形の処理を必要とし,意思決定の高度化,見識の発見,プロセスの最適化に寄与する」である。ビックデータを背景にしながら,その解析にもちいられるディープラーニングがAIの表の顔としてもてはやされていた。

なお,教育ビッグデータ=教育データマイニングラーニング・アナリティクスということで,教育工学の何度目かのお色直しであり,25年前のインターネット,10年前のeラーニング・デジタル教科書,などの正当な後継者としての役割を与えられるのだろう。

Googleトレンドで,データマイニング,ビッグデータ,ディープラーニングのポピュラリティを,この15年間について調べると次のようになった。

図 Googleトレンドによる人気度の傾向

20年前にはやったデータマイニングは漸減している。2013年にはビッグデータがピークを迎え,その4年後にはディープラーニングがピークを迎えている。次には何がはやるのか楽しみだ。

[1]ビッグデータとは何か(総務省)
[2]教育ビッグデータ早わかり(デジタル・ノレッジ)
[3]教育ビッグデータを用いた教育・学習支援のためのクラウド情報基盤(京都大学)
[4]ラーニングアナリティクスセンター(九州大学基幹教育院)
[5]実用段階に入ったビッグデータの教育活用(岡山大学教育学部)
[6]教育ビッグデータで変わる教育(ベネッセ教育総合研究所)
[7]Enhancing Teaching and Learning Through Educational Data Mining and Learning Analytics: An Issue Brief(US Department of Education)
[8What is Big Data? A Consensual Definition and a Review of Key Research TopicsAndrea De Mauro, Marco Greco and Michele Grimaldi
[9]EducationalDatamining.org
[10]Learning Analytics (UNESCO)
[11]ビッグデータから見落とされる人間的洞察(トリシア・ワン)

教育ビッグデータ(3)に続く)

2019年6月26日水曜日

教育ビッグデータ(1)

2019年6月25日に,文部科学省は「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」を公表した。普通ならば,何らかの検討組織を編成して,文部科学大臣が諮問するような形を取りそうなものだ。ここでは,2018年11月に提出された「柴山・学びの革新プラン」というスケッチを踏まえて,文部科学省初等中等教育局に「学びの先端技術活用推進室」を新設している。そして,よく分からないブラックボックスで「地方自治体、事業者,研究者等の知見を有する関係者と意見交換」した結果として,3ヶ月で中間まとめ,半年で最終まとめを公表している。また,具体的な政策に落とし込む詰めの作業には今年いっぱいかかるようだ。(P. S. ただちに,先端技術・教育ビッグデータ利活用推進本部を設けて,そこで作業することになったのか)

以下,だらだらとした感想。

【1】社会構造や雇用環境の変化に対応する教育として,「子供の多様化に向き合った公正に個別最適化した学び」が必要だとしている。一歩間違うとかなり危険なものになりそうだが,そのあたりの重要な原理的な問題点にはあまり触れられることもなく,とりあえず結論を目指して突っ走ったような印象を受ける。

【2】上記目的ののために,ICT 環境を基盤とした先端技術や教育ビッグデータの活用が必要であるとしている。個別の学びのためにセンシング技術が重要だということで,日本中の子供たちに脳波や運動測定のためのヘッドギアか腕輪がつけられそうな勢いかと思ったが,説明の例としては発話と視線のデータ取得があげられている。

【3】EBPM(エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング)がということばが説明なしに使われているのかと思ったがこれは自分の勘違い。要は教育ビッグデータを収集・分析したいということだ。誰が。ベネッセですか。

【4】ビッグデータ化に関連して,学習指導要領のコード化によるデータの標準化のイメージが示されていた。教育コンテンツ一般とすると範囲が広すぎるけれど,学習指導要領は有限だからなんとかなるのか。探究学習などで指導要領から外れるコンテンツはどうするのかしら。あるいは旧NICER現在はGENESなのかNICERDBなのか)の二の舞いとか。

【5】SINETを初等中等教育に開放するといっても,結局教育委員会単位で束ねてつなぎ込むわけで。クラウドを推進するのであれば,各学校が独立にプロバイダーに直接つなぐ予算をつけるほうがよくないか。

【6】おまけとして,校務の効率化のため遠隔技術を活用した研修や会議を進めるとある。かつてのメディア教育開発センターの衛星通信システムSCSでは国立大学全体をカバーするような運用会議を実施していたけれど,あっという間に廃止されてしまった。

【7】結局,これらを実現するための学校ICT環境の整備+個人向け端末(私費)への誘導で,大手ベンダーやら内田洋行やらもろもろの企業に商機を与えるのが主目的なのかもしれない。

【8】従来取り散らかしながら進められてきた,あるいは進めようとして障害にぶつかっていたICT政策をてんこ盛りにしているような気がする。それもこれも,経産省フレーバに満ちあふれる官邸への対抗意識に満ちた忖度の結晶。

結論:教育ビッグデータは,EBPMによる予算獲得のための擬似餌の可能性が高い。十分に検討や設計がされておらず,これで収益を得る企業や組織は非常に限定される。ICT環境の基盤整備が本命で(受益企業などが圧倒的に増える),このブレークスルーのためにさまざまな要素を盛り込んだと思われる。あるいは,その構造全体を擬似餌とみれば,子どもたちが1人1端末を自由に学校で使う世界への第一歩をめざしているという,超希望的観測も成り立たないとはいえない。これまでの歴史をみれば,文部科学省が鳴り物入りで政策的に進めようとすることは,たいていつまづいたり大きな副作用を生ずるのだけれど。

教育ビッグデータ(2)に続く)

2019年6月25日火曜日

知識の定義

道徳教育(3)」で,いくつかの概念のオレオレ定義を考えた。村井実は特に道徳の「知識」の重要性を指摘した。その「知識の定義」を書き下そうとすると,これが思いのほか難物なのだった。他の概念も負けず劣らず難しいはずなのだが,比較的簡単に思い切ることができた。しかし,「知識」はそうはいかなかった。「科学」を定義したのだけれど,その中の登場する「知識」はブラックボックスのままであった。

例えば,精選日本国語大辞典には,
「(英 knowledge ドイツ Wissen の訳語)哲学で,認識活動によって得られ,客観的に確証された成果。広義には,諸事物について経験によって得られた断片的な事実認識もすべて含むが,狭義には,これらの事実認識を統一的に組織付け,普遍的な妥当性を要求できるように整えられた命題の体系」
とある。なかなかいいですね。

なるべく簡潔に表現したくて,次のように考えたところで挫折した。
知識の定義
 対象や事象に関して認識された情報から抽出されたもので,他の知識との関係の中に位置づけて理解や伝達を可能にしたもの
知識の中で知識が再帰定義されている。いずれにせよ,いまひとつなのだ。知識工学という分野もあるので,その方面で何かヒントがないか探してみるのだが,簡単には見つからない。やはり,科学哲学や認識論でどう扱われているかを勉強すべきなのか・・・続く。

[1]哲学概論−知識について(西脇与作)
[2]知識の哲学(戸田山和久)−コメント(伊勢田哲治)
[3]「知識」についての考え方のイメージ(たたき台)(文部科学省)・・・orz
[4]「思考力の分類学」と「知識」(反転授業研究会)

2019年6月24日月曜日

道徳教育(4)

(道徳教育(3)からの続き)

長田新の弟子である村井実は,今は村井純の父として名前が上ることが多いかもしれないが,1948年から1987年まで慶応義塾大学に在職していた教育哲学者である。村井実が1965年に発表した論文に「道徳は教えられるか」がある。平易な文章で明解な論理が示されており,道徳教育の原理を考える際の出発点の一つだと考えられる。

論文の内容を自分なりに要約すると次のようになる。

○「道徳を教えられるかどうか」は,ソクラテスの時代から現代の日本にいたるまで大きな課題である。道徳教育の必要性を議論し,実施のための課題の検討を進めるより前に,これを改めて問い直す必要がある。

○道徳の教育は,善悪や正義についての知識の教育と,その知識に従って行動する習慣の教育の2つの側面に分けることができる。前者が「道」に,後者が「徳」に対応する。

○道徳の知識は,(1)行為の目標や原理,(2)行為の条件や方法,(3)目標や原則に対する行為の認証,の3段階に分けられる。道徳教育を巡る最近の議論はこれらの知識の問題の吟味を欠いた情操の養成や意志の訓練に走っている。

○かつての修身教育は,行為の目標や原理の知識の注入にのみ終始し,さらに「徳」に関する教育との関係を考えていなかった。また,実際の行為の場における「道」の適用には,原則・原理の知識に加えて,歴史・社会・諸科学の知識や訓練が必要である。

○道徳教育が,歴史・社会・諸科学の知識だけでよいということにはならず,原理・原則との結びつきは必須である。また,「道」の知的要素を忘れた,心情への直接的働きかけに終始することも誤りである。

○知識がもののように授受されて教えられることはない。理解された状態をつくることが必要だ。一方,道徳に限って「教える」ことが実践的行為を保証するものでなければならないといえるのか。他の知識と同様に知的理解の上で導かれるのが実践的行為だと考えるのがよい。

○知的な理解が実践につながる例はつぎのようなものである。(1) 道徳的行為の一貫である必要条件としての目標や知識を「教える」場合。(2) 教えられるべき原理や目標が対立していて,それを克服することを「教える」必要がある場合。(3) 歴史の推移とともにある道徳的原理の廃止や変容に対処することを「教える」場合。(4) 道徳的な主体性を確立することを「教える」場合。

○道徳を「教える」ということは「道」の側面が重要な部分を占める。そのうえで,「徳」の教育は「道」を教えられた理性が,「私はそうしたくない」という矛盾から若人を救うためのものである。これらの道徳教育の必要条件を満たすことを求めるべきである。

[1]教育勅語・道徳教育に関する簡易年表(リブ・イン・ピース☆9+25)
[2]道徳の内容の歴史1890〜2015年(池田賢市・大森直樹)
[3]ラリサへの道(プラトン−ソクラテス)が,村井実の論文にある。
「メノンについては,プラトンの対話篇の中で叙述されている。そこでは,ソクラテスが正しい考えと科学の違いを,メノンを例に「ラリサへの道」として説明している。「ラリサへの道」とは、メノンが生きる道を信じて故郷のラリサを目指したように,それぞれ人間は、人生の中で真実を模索しながら、死という目的地へと生きている,と言ったのであった」(Wikipedia ラリサより引用)

2019年6月23日日曜日

道徳教育(3)

道徳教育(2)からの続き)

自分の考えを整理するために,自己流で概念を定義する(2019年版)。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
道徳の定義
 人の共同体を維持するために,社会慣習や行為基準を理念化し内面化させるもの

法の定義
 人の共同体を維持するために,構成員の行為を制約する制度的な枠組み

宗教の定義
 複雑化した社会を調停するために,超越的存在とそれへの帰依によって,
 人の共同体の矛盾を回避するための理念とこれを実現するシステム

倫理の定義
 道徳から宗教的な要素を取り除いた行為基準を客体化したもの

知識の定義
 対象や事象に関して認識された情報から抽出されたもので,他の知識との関係の中に位置づけて理解や伝達を可能にしたもの

科学の定義
 客観的に妥当する調査,観察,実験,推論などによって仮説検証を繰り返す過程から,対象世界に関する知識を獲得する活動

技術の定義
 対象の状態を変える,または創るための,再現や伝達が可能な方法や手段の体系(形式知)

技能の定義
 対象の状態を変える,または創るための,経験に根ざして個人に宿る方法や手段(暗黙知)

教育の定義
 人の共同体を維持するために,対象となる個人の技能を伸ばしながら,必要な知識や技術を伝えるための仕組み

学校教育の定義
 社会において,ある層を対象として組織的に教育を行うための制度的な枠組み

学校の定義
 学校教育を実施するための,組織・施設などのシステム

*社会システムは複雑系であることから,上記で用いられる「維持」とは保守的な概念ではなく,内外の状態や環境に対応して適応的に発展させることを含んでいる。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

ここから,学校において道徳教育が可能かどうかを考える。

道徳は普遍的なものではない。時代や民族や国あるいはそれらを構成する社会集団,例えば家族によっても異る可能性がある。あるいは,成育歴やおかれた社会環境によって,個人ごとに何が望ましい行為基準であるかは変動していておかしくない。いや,道徳は内面的な基準として作用するのであるから,本質的に個人に依存するものであり,いわゆる「価値多様化社会」においては大域的に共通な道徳概念は成立しにくい。したがって,ある道徳的な徳目が提示された場合には,それが誰にとってどんな意味を持つのか,その妥当性を局所的な視点で検討する必要がある。

道徳的な基準は,善悪,正邪,聖俗,美醜,苦楽,情理などのような行動基準に結びつく二項対立のリストに関係する。そして,ある事象に対したときの行動基準を定める上において,個人ごとに上記の項目を組み合わせた多次元の境界面の位置は異なる。一方,社会集団ごとにその境界面の構造は似通ったものとなることが想像され,集団ごとの道徳的な傾向といったものが考えられるかもしれない。そうであれば,社会集団ごとの利害関係にもとづく経済的・政治的な力関係によって,何が社会としての普遍的な基準としての道徳となるかが選択されることになる。

学習指導要領で提示されているような道徳教育の項目(徳目)は,知恵者たちによるロンダリングの結果,一見普遍的な妥当性を持つように思われる。しかし,よくみれば,それらはマクロなあるいはミクロな社会構造の中で支配的な立場にある側がその状態を維持するという目的にとって有利なものであることが見え隠れする。もちろん,社会集団が安定的に維持されることは,構成員にとっても正しいことでもあるかもしれない。しかし,その社会が矛盾をかかえていて,その矛盾を解決せずに維持しようとしている場合には,道徳は矛盾に苦しむ構成員に対する抑圧として強く作用することになる。

道徳教育は科学ではないので,時間や空間を越えた普遍的な妥当性を議論することに意味はない。もちろん,集団を維持するための生物学的なあるいは社会心理学的な知見にもとづいた傾向性が存在することまでは否定しない。だが,気をつけなければ,それらは道徳のあやしげな科学的裏付けに使われるだけだろう。問題は,道徳教育をいかにして価値観を押し付ける抑圧体系の輪廻から解脱させるかである。それは道徳という概念の枠組みでは本質的に困難ではないか。

もし,道徳教育を現在の学校教育のなかで位置づけるとすれば,安定した人間関係を築きながら社会に調和することを目指すと同時に,そこに生ずる様々な課題に立ち向かいながら解決できるようになるための具体的な技や方法を習得するとともに,その前提となる多様な視点や共感する力を獲得するための感性を養うことだろうか(結局は,教育する側が重要だと考える価値を注入するという方法論に自分自身が染まっていて,それから抜け出せていないようにも思う。現在の道徳教育推進論者たちと同じ穴に落ち込んでいるのか・・・orz)。

道徳を廃止し,生活科を解体再編して1〜6年の35時間の枠にしたい(1・2学年で各100時間余りある現行の生活科は,理科と社会に配分してあげて下さいw)。

参考文献

2019年6月22日土曜日

道徳教育(2)

道徳教育(1)からの続き)

現在のように「道徳」を特別な教科として格上げすることになったのは,2013年の3月に文部科学省に設置した「道徳教育の充実に関する懇談会」が同年12月に出した報告書,「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)~新しい時代を、人としてより良く生きる力を育てるために~ 」に基づくものである。

メンバーをみると,露骨に右寄りのイデオローグは含まれていないようだ(自分が知らないだけかもしれない)。道徳教育学プロパーが中心となっている。そもそも懇談会の名前が道徳教育の充実に関する・・・なので,議論する前から方向性や結論は決まっているようなものだ。安倍総裁のもとでの自由民主党の教育再生会議の徳育と体育の充実が議論の出発点になっているので,当然といえば当然なのだが。

道徳教育の必要性が,教育基本法の教育の目的の最初のフレーズ「教育は,人格の完成を目指し,・・・(これは旧教育基本法も同じ)」に源泉するとしている。つまり,人格の完成=道徳教育の方向性であることから,道徳教育の位置づけを教育課程全体に渡る非常に高いところにおこう,というのが道徳教育プロパーをコアとした懇談会メンバーの主流意見となっている。教育課程全体が道徳のもとに再編されるというたいへん恐ろしい事態が目前に迫っている。

これを補完するように,時代の変化に対応した高度専門分野の倫理の問題や,学校におけるいじめ問題や若者の規範意識の低下への対応のためであることなどが,耳あたりのよい説明として強調されている。それに加えて,「戦前の反省を踏まえた戦後の民主主義的な流れによって道徳教育が軽視されてきたこと」を否定することが,道徳教育の充実にとっては必要であるという,強い主張がなされている。しかし,これは道徳教育の存在を当然のように前提とした議論であり,現状分析は表層的なものにとどまっている。道徳教育の本質に遡っての反省や見直しが議論された様子はうかがえない。

この全体的な流れをやさしく復習しているのがこどもまなびラボの記事。また,苫野一徳さんと竹田青嗣さんなどの議論が参考になる。

[1]道徳教育の必要性とは?「特別の教科」になった本当の理由(こどもまなびラボ)
[2]竹田青嗣×苫野一徳 全面実施目前,『道徳』の本質を問う(×哲学プロジェクト)
[3]「道徳の教科化」に潜む“愛国教育”の危うさ 国が道徳観を定め教師が評価するのは適切か(福島創太)
[4]「よりマシ」な道徳教科書を,あなたの町の小学生に届けましょう(だい)
(このなかで最も高く評価されていた光村図書の道徳教科書には,千葉大学附属中学校の三宅健次先生が編集委員として加わっていた,その節はお世話になりました。また,最も評価の低かった教育出版の道徳教科書の宣伝VTRには,武蔵野大学の貝塚茂樹が登場していた。そういうことである。)

道徳教育(3)に続く)

2019年6月21日金曜日

道徳教育(1)

1958年,昭和33年施行の学習指導要領で教科外活動の時間としての道徳が導入されたため,自分が小学校の時にはすでに毎週1回の道徳の授業があった。道徳は教科ではなかったので,当時のあの薄い教科書も教科書ではなかったのだろうか。当時の小学校道徳の目的は以下のようなものだ。

 1 日常生活の基本的な行動様式を理解し,これを身につけるように導く。
 2 道徳的心情を高め,正邪善悪を判断する能力を養うように導く
 3 個性の伸長を助け,創造的な生活態度を確立するように導く。
 4 民主的な国家・社会の成員として必要な道徳的態度と実践的意欲を高めるように導く。

小学校の道徳の時間はイヤでしかたがなかった。教訓めいた題材の中にはサイエンスやスポーツにかかわる興味深いものも若干混じっていたが(テニスの清水善造選手の話とか,電子顕微鏡の開発の話とか),自分の内面の嘘を見透かされたような学校生活をテーマとした道徳的葛藤のストーリーは,なんともがまんできず,はやくこの時間が終わればいいのにと願っていた。体育の時間と同じくらいイヤな時間だった。

そんな道徳の時間は, 教育基本法の改正で地ならしされたところへ,2015年に特別な教科として再定義されることになった。それ以来,学校および社会の支配層のツールとしてその内容に磨きがかけられつつある。そう,道徳が声高に語られるときはその主体と目的と対象を明確に意識しておいたほうがよい。

道徳は,宗教に替わって,あるいは宗教を補完して,高度に複雑化した人間の共同体を安定的に維持するための規範を定義するものなのだろう。しかし,それが学校教育の教科という形で実現できるのかどうかはよくわかっていない。Wikipediaの道徳教育には対応する英語項目がなく,それに相当するものとしては,Character Education (人格教育)が示されている。これは,民主主義社会における市民の育成という観点から、子どもの人格の発展に働きかけ、子どもを取り巻く諸問題を解決することを目指した教育のこと,であるとされる。しかし,それは成功していないともある。また,英国では,Personal, Social, Health and Economic (PSHE) Education という概念で与えられるものに相当するようだ。

[1]道徳教育(文部科学省)
[2]道徳教育アーカイブ(文部科学省)
[3]総合的道徳教育プログラム(東京学芸大学)
[4]日本道徳教育方法学会
[5]日本道徳教育学会

道徳教育(2)に続く)

2019年6月20日木曜日

テストは変わる

今日は観察実習の日なので,非常勤の授業も休講。NHKの番組「ウワサの保護者会」のタイトル「テストは変わる」の回の再放送をみていた。尾木直樹さんが出演している。

日本の教育における学力概念が変化するとともに,学校での成績評価が相対評価から絶対評価に変わり,記述式のテスト問題が増えてきた状況を,番組に参加している保護者の方々の子どものテストへの対応の悩みとともに話し合っていた。

そのなかで,次のような算数の記述問題が示され,参加者一同首をひねって困っていた。
「今まで算数を学んできたなかで,実生活において算数の考え方が活かされて感動したり,面白いと感じた出来事について簡潔に説明して下さい」
ほほう,これは簡単だ。自分の回答は次のようになる。

高校3年のときの秋の文化祭の仮装行列のクラスの出し物が,ギリシャ神話のパンドラの箱の物語だった。パンドラが神様からもらった箱を,開けてはいけないといわれていたのに開けてしまった結果,それまで世界には存在していなかった様々な悪の魑魅魍魎がわき出した。これによって,世界がそれまでの平和な状態から,様々な不幸があふれる悲惨な状態に変わってしまう。パンドラは慌てて蓋を閉めたが,もう逆戻りはできない。悲しんだパンドラが,最後に箱の中から呼ぶ声にしたがって,開けてみるとそこからは最後の救いとなる「希望」が出てくるのであった。

話がすすまない。

このパンドラの箱の製作担当グループになった。設計図をかいて,木材とベニヤ板を組み合わせて,長方形+半円柱の蓋からなる数m×数m(中に数名入ることができる)の構造物を造るのが我々の任務だ。箱の表面には金紙を貼ることになり,尾張町辺りの紙問屋につてがある友達と3人で,秋の寒い夕方に武蔵が辻までバスで向った。店に着くともうあたりは暗くなっている。受付で紙の見本をみせられ紙の大きさはそれほど大きくない長方形だったので,何枚必要ですかと尋ねられた。

大急ぎで,円柱の表面積と直方体の表面積を与えるとともに,長方形の金紙の向きをどちらに向けると最も枚数を節約できるかの計算をはじめた。あとの二人(増永君と東出君かなあ)は唖然として見守っていた。たぶん,そのお店には当時まだ珍しかった電卓があって,それを借りて計算したような気がする。高校では,CASIOのプログラム電卓を使っていたので,まだ世の中に普及していない電卓であろうが,こわくはない。もし,これが正しい記憶ならば,このような電卓(で1971年に存在しているもの)だったのではないか。

このときほど,小学校のときやや苦手だった面積の計算が役に立ったことはない。
(やや苦手というのは小学校4年生ででてきた面積や体積の単位の換算の部分なのだけど)

20分ほどで無事に計算は終了し,金紙の束を購入して帰路についたのであった。たしかにその金紙はちょうど箱の外側の必要な面積を覆うことができた。計算は正しかったのだ。ところが残念ながら,米島君に「いいけども,色がもうちょっと金色だったらよかったのに」とダメ出しされた。紙問屋さんが出してきたのは普通の折り紙のきらきらした金紙ではなくて,もう少し上品で表面が地味に加工されている大人向けの金紙だったのだ。なお,パンドラの箱の半円柱の蓋の内側の構造もベニヤ板をはってペンキを青く塗っただけだったので,こちらもダメ出しされている。

さて,このような個人的な体験をきいて,教師は何を考え,子どもたちに何を伝えることができるのだろうか。このなんだかメタな算数の記述問題は,やはりあまり筋がよくないように思われるのであった。

P. S. 2019.12.29 もしかしてこの紙問屋は十間町の中島商店だったかもしれない。その建物は昭和7年の村野藤吾のモダンな建築である。

2019年6月19日水曜日

松下ガーデン

金沢の広小路から有松の交差点に向かう道路(南端国道あるいは南大通)の途中に,今は駅西の合同庁舎内に移転した金沢地方気象台があった。その横には松下ガーデン(松下種苗店)が昔からそして今もある。子どもの時にときどきいったことがある。友達と遊びに行って朝顔の種が数粒10円だったので,安いなーと声をあげていたら,おばさんがやってきて,「あんたらなにゆうとるが,こんな高いもんあるかいね」という趣旨のことをいわれた。それはそうだ,そのへんに朝顔はたくさん咲いているので,種はただで取り放題だったのだから。

高校時代に同じ理数科の増永壮平君が,有松の近くの北陸病院に入院していたことがある。見舞いにいった帰りの夕方,もう暗くなるころに,病院に住み着いている迷い猫の首輪が必要なんだという話になって,みんなで探しに行くことになった。北陸病院から猫の首輪を探しながら松下ガーデンあたりまで歩いたがそんなものを売っている店はない。猫の首輪は毛糸を結んだようなものでいいのではないかということで,問題解決は先送りされた。病院で猫を飼うことが可能だったのか。猫の部分は想像だったのか。よくわからない話である。

なぜ,この話を思い出したかというと,今朝,朝顔(秋の季語)の双葉をみかけたから。

「朝顔に 釣瓶とられて もらひ水」(千代女 1703-1775)



2019年6月18日火曜日

Wolfram Alpha 日本語版

Wolfram Alphaの日本語版がオープンして1周年になる。ただし,日本語化されているのはまだ数学分野だけだ。科学の他の分野についても日本語化が待たれる。Wolfram|Alpha は2009年の5月15日に公開されたが,わくわくしながらライブ中継のカウントダウンを見ていた。しかし,なかなか大仰な宣伝だったわりには,実際に使ってみると今一つすごいと感じなかった。それまで約20年間Mathematicaを使い続けてきていたのであまり有難みを感じなかったからなのか,本当のインパクトがまだ感じられない。そうこうしているうちによりオープンなJuliaが登場した(もちろんカテゴリーが違うものなので比較するのもどうかと思うが)。MathematicaやWolfram Alphaはどうしてもその高額な有償部分にひっかかるのであった。

大阪教育大学の理科専攻の1回生向けの選択科目「科学のための数学」では,昨年度はWolfram Alpha(計算知能)での計算を出席課題として課していたが,今年ははじめに紹介するにとどめることにした。このようなシステムがあることは知っておいてほしいが,微分積分の導入教育でどこまで使うべきなのかどうかはよくわからないまま定年を迎えてしまった。

図 Wolfram Japanより引用


2019年6月17日月曜日

Mathematicaについて

Mathematicaのことをはじめて知ったのは,The BASIC(技術評論社, 1983-1996)の紹介記事だったように思う。吉田弘一郎さんが西海岸からの最新情報を定期的にレポートする「バークレイ通信」という連載の中だったのではないか。Mathematicaは,1988年にNeXTにバンドルする形でリリースされた後,1989年にはMacintosh用のMathematica1.2が登場する。さらに,1991年には,Mathematica NotebookやMathLinkが実装される。Mathematicaとはそのころからのつきあいである。 くだんの紹介記事では,アメリカの物理屋さんが,Mathematicaノートブックでどんどん教材を開発しているという話があって,これはすごい!絶対に購入しなければ!と一人でエキサイトしたのだった。

大阪教育大学のリポジトリでMathematicaを検索すると,私の紀要論文が2つだけ見つかる。1993年の「Mathematicaによる1次元量子力学的散乱問題の可視化」と,1995年の「ネットワーク環境のMathematicaを用いた2次元量子力学的散乱問題」だ。このころが自分の能力とMathematicaの機能向上のスピードがマッチしていて,いちばん楽しかったように思う。MathLinkを使うということでは,体育の赤松先生のお友達の宮地力先生が,1998年に岩波コンピュータサイエンスから「Mathematicaによるネットワークプログラミング」を出版され,体育の先生はなんとすごいのかと感心したのだった。

さて,フロッピーディスク版からはじまり,CD-ROM版/DVD-ROM版を経由し,オンライン・ダウンロード版のMathematica 12まで順調にバージョンアップを繰り返しながら使ってきた。数理科学講座にもユーザがいたので,以前には大阪教育大学の情報処理センターでもキャンパスライセンスを取得していた。ところが,21世紀にはいってMathematicaのライセンス料が高騰し,とてもキャンパスライセンスを維持することができなくなってしまい,限定された数の端末だけのライセンスに替わっていった。今ではそれすらなくなっているのかもしれない。自分の研究室のMacにキャンパスライセンスを乗せるのは継続性に不安があったので,研究費や私費で購入したライセンスで運用していた。

最近は,Premeierライセンス更新で毎年5万円近く払ってきたが,この3月にリタイアしたので,これもおしまいだ。もしバージョンが古くて耐えられなくなったら,何年かに一度ホームライセンスで更新しようかとも思うが,どうだろう。Juliaのシンボル計算周りが進化すれば,もうMathematicaは使わなくなるのかもしれない。

写真:Mahtmematica25周年を記念して,Stephan Wolframから送られてきた,私のユーザ登録証のコピー。1989年7月11日に受理されているので,今年の7月で30周年になる。


2019年6月16日日曜日

Software 2.0

テスラのAI部門長アンドレイ・カルパシー(1986-)が,2017年,MediumSoftware 2.0 という記事を書いた。

問題解決のために用いられる従来のプログラム(C++,Java,・・・)をソフトウェア1.0とよび,ニューラルネットワークによる問題解決を1つのツールとして見るのではなく,ソフトウェア2.0として考えようということを提案している。

すなわちニューラルネットワークの重みがプログラムに相当すると考えるのである。この重みの数(ニューラルネットワークのノード数)は膨大な数になることから,従来のプログラムのようにアルゴリズムを考えて人間がコード化するプログラミングとは質的に違ったものになっている。そして,その適応範囲が,画像認識,音声認識,機械翻訳,ゲームと広がっている。

もちろん,ソフトウェア2.0がすべてのソフトウェアによる問題解決をカバーすることはできないので,ソフトウェア1.0と共存することになるが,ニューラルネットワークについての一つの見方を提供するものである。そして,これが,サイエンスにおいてニューラルネットワーク(ディープラーニング)を利用することが持つ意味について,再考させることにつながるのかもしれない。

図 Software 2.0のイメージ(Medium Software2.0から引用)


2019年6月15日土曜日

Discipline-Based Education Research

日本物理教育学会の理事会で,Discipline-Based Education Research:DBERという言葉をはじめてきいた。PER(Physics Education Research)=物理教育研究についても,何年か前に聞いたときに単なる普通名詞だと誤解して査読意見をつけたくらいによくわかっていない自分なのであった。

発端は,今年2019年の3月2日に東北大学で開催された国際シンポジウム「ノーベル賞受賞者が主導した科学・技術教育の科学的変革-カール・ワイマン博士とインペリアル・カレッジ・ロンドンの取組-」だ。あの(冨田先生のお友達で橋下時代に活躍された)大森不二雄さんが仕掛け人なのか・・・orz。笹尾真実子さんが日本学術会議の物理教育委員会の物理教育研究分科会の委員長である。そんなわけで,今年の9月末に学術会議が主催する学術フォーラムで物理教育改革をテーマをした集まりが開かれる予定だそうだ。

Discipline-Based Education Researchとは,主にSTEM教育領域の個々の学術分野の知識や世界観に基づいた視点による学習や教育の方法を研究するものである。具体的には,
天文学   Astronomy education research (AER)
生物学   Biology education research (BER)
化学    Chemistry education research (CER)
計算機科学 Computer science education research (CSER)
工学    Engineering education research (EER)
地球科学  Geoscience education research (GER)
数学    Mathematics education research (MER)
物理学   Physics education research (PER)
などの集合であり,PER(物理教育研究)がもっとも早くから研究されているようだ。

PER(物理教育研究)でいえば,物理学−科学哲学−物理学史−認知心理学−教育方法学−&(社会学−言語学−人類学−倫理学)などが関係する学際的な研究分野が物理教育研究になる。

STEM教育の文脈あるいは教育方法学的な立場では,DBERの共通項を議論することに価値があるだろうが,要点は個別の学問領域の固有の関心やアプローチに基づく「学問分野別教育研究」の推進が必要であるということ。

関連した情報はまだそれほど多くない。
[1]Discipline-Based Education Research(Wikipedia:en)
[2]Physics Education Research (Wikipedia:en)
[3]Discipline-Based Education Research: Understanding and Improving Learning in Undergraduate Science and Engineering(Singer, Nielsen and Schweingruber,2012)
[4]研究領域としての物理教育(新田英雄,2016)
[5]物理教育研究 PER・学問領域に根ざした教育研究 DBER とは何か?(村田隆紀・笠潤平・覧具博義,2017)
[6]日米におけるアクティブ・ラーニング論の成立と展開(西岡加名恵,2017)
[7]米国STEM教育におけるDBER(discipline-based education research)の勃興 ―日本の大学教育への示唆を求めて―(大森不二雄・斉藤準,2018)

2019年6月14日金曜日

総務省の家計調査報告

金融庁のホームページからの続き)

金融庁の金融審議会市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」の主目的は,金融業界のための個人投資の推進にあると思われる。結果的には,これを巡る混乱状態のニュースによって国民の注目を集めることができ,金融コンサルティングへと足を向かわせた段階で成功したことになるのかな。官邸や政権与党執行部が大慌てで糊塗しようとしている一方で,金融庁のホームページは削除されていない。

ここで問題とされた内容(=年金だけでは2000万円の生活費が不足する)は,ワーキンググループが検討過程で収集した総務省による「家計支出調査(2017)」に基づくものであって,すでに公表済みのデータにすぎない。最新版は,家計調査報告 家計収支編 2018年(平成30年)平均結果の概要として,総務省統計局から公表されていて,本質的には2017年度の結果と変わっていない。

何故こうなったかというと,麻生財務大臣が6月4日の記者会見で雑な対応をしたのが切っ掛けだった。政府の方針と違うも何も,公表済みの公文書である客観的なデータをないものにすることはできない。それでも取り繕ってしまおうとするのが現在の政権与党とそれを支えるマスコミだ。NHKも金融庁に媚を売るようなストーリーでお茶を濁していた。


2019年6月13日木曜日

金融庁ホームページより


まだ,この内容が削除されるには到っていない。

金融審議会 「市場ワーキング・グループ」報告書 の公表について
(令和元年6月3日 金融庁)

麻生副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣閣議後記者会見の概要
(令和元年6月4日 金融庁)

以下引用
わが国では、バブル崩壊以降、「失われた 20 年」とも呼ばれる景気停滞 の中、賃金も長く伸び悩んできた。年齢層別に見ても、時系列で見ても、 高齢の世帯を含む各世代の収入は全体的に低下傾向となっている。公的年 金の水準については、今後調整されていくことが見込まれているとともに、 税・保険料の負担も年々増加しており、少子高齢化を踏まえると、今後も この傾向は一層強まることが見込まれる。
支出もほぼ収入と連動しており、過去と比較して大きく伸びていない。 年齢層別に見ると、30 代半ばから 50 代にかけて、過去と比較して低下が 顕著であり、65 歳以上においては、過去と比較してほぼ横ばいの傾向が見 られる。
60 代以上の支出を詳しく見てみると、現役期と比べて、2~3割程度減 少しており、これは時系列で見ても同様である。
しかし、収入も年金給付に移行するなどで減少しているため、高齢夫婦 無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっている。 この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産より補填することとなる。
・・・・・
老後の生活においては年金などの収入で 足らざる部分は、当然保有する金融資産から 取り崩していくこととなる。65 歳時点に おける金融資産の平均保有状況は、夫婦世帯、単身男性、単身女性のそれぞれで、2,252 万円、1,552 万円、1,506 万円となっている。なお、 住宅ローン等の負債を抱えている者もおり、 そうした場合はネットの金融資産で見ることが 重要である。
 (2)で述べた収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合 には、20 年で約 1,300 万円、30 年で約 2,000 万円の取崩しが必要になる。支出については、特別な支出(例えば老人ホームなどの介護費用や住宅リ フォーム費用など)を含んでいないことに留意が必要である。さらに、仮に 自らの金融資産を相続させたいということであれば、金融資産はさらに必要 になってくる。(2)と合わせ、早い時期から生涯の老後のライフ・マネー プランを検討し、老後の資産取崩しなどの具体的なシミュレーションを行っ ていくことが重要であるといえる。
総務省の家計調査報告に続く)



2019年6月12日水曜日

戦争・革命・崩壊・疫病

オーストリアの歴史学者,ウォルター・シャイデルの The Great Leveler: : Violence and the History of Inequality from the Stone Age to the Twenty-First Century が「暴力と不平等の人類史」として翻訳されている。

平成に入ってから,バブルの崩壊とともに日本の成長は終焉し,人々の格差は拡大し続けている。しかし,これを政策的に逆転させることは難しいのかもしれない。すべての人間社会は時間とともにある方向に変化し,それをリセットして平等化を可能にするのは,戦争・革命・崩壊・疫病によるしかないというのがこれまでの歴史からわかった事実であるという主旨らしい(未読なのでわからない)。

「崩壊」とは国家の崩壊であり,昔のブログでは,飢饉と訳していたものもある
ジャレド・ダイアモンド(1937-)
ジャック・アタリ(1943-)
ダロン・アシモグル(1967-)
トマ・ピケティ(1971-)

2019年6月11日火曜日

余部鉄橋「空の駅」

例年高齢の3ファミリー旅行の目的地の1つが余部鉄橋「空の駅」だった。かつて転落事故があったあの余部鉄橋の一部がエレベータで上る展望台となって,新しい橋梁と駅ができていて,無料で見学することができる。地上にはカメの駅長の「かめだ・そら」ちゃんもいてなかなか楽しかった。

2019年6月10日月曜日

三平方の定理(2)

(三平方の定理(1)からの続き)

ところでこの問題は初等幾何でより簡単に証明できることがyoutubeで示されていた。
それを図形で表したものが下記である。
○は45度を表している。△AOPを時計回りに90度回転すると△BOP'となる。△P'OQ≡△POQがすぐに見て取れるのでQP'=QP=zであり,BP'=xである。また∠QBP'は90度なので△QBP'は直角三角形であることから題意が示される。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
\begin{tikzpicture}
\draw(0,0) rectangle(4,4);
\draw[thin, -] (0,4)--(4,0) node at(-0.15,-0.15){O};
\draw[thin, -] (0,0)--(1.464,2.536) node at(1.64,2.72){P};
\draw[thin, -] (0,0)--(3.155,0.845) node at(3.28,1.02){Q};
\draw(0.20,3.55) circle(0.08) node at(-0.15,4.15){A};
\draw(0.38,0.28) circle(0.08);
\draw(3.55,0.20) circle(0.08) node at(4.15,-0.15){B};
\draw[dotted] (0,4) to [out=335,in=115] (1.464,2.536) node at(1.05,3.5) {$x$};
\draw[dotted] (1.464,2.536) to [out=335,in=115] (3.155,0.845) node at(2.7,1.9) {$z$};
\draw[dotted] (3.155,0.845) to [out=340,in=110] (4,0) node at(3.75,0.7) {$y$};
\draw[dotted] (0,0) to [out=110,in=250] (0,4) node at(-0.2,2) {$a$};
%\draw[dotted] (0,0) to [out=340,in=200] (4,0) node at(2,-0.2) {$a$};
\draw[thin, -] (0,0)--(2.536,-1.464)--(4,0) node at(2.6,-1.6){P$^{'}$};
\draw(3.55,-0.20) circle(0.08);
\draw(0.48,-0.05) circle(0.08);
\draw(2.536,-1.464)--(3.155,0.845);
\draw[dotted] (4,0) to [out=240,in=30] (2.536,-1.464) node at(3.5,-1.0) {$x$};
\draw[dotted] (2.536,-1.464) to [out=90,in=240] (3.155,0.845) node at(2.5,-0.3) {$z$};
\end{tikzpicture}
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


2019年6月9日日曜日

三平方の定理(1)

twitterで次の問題をみかけた。

正方形の対角線に2点${\rm P, Q}$を取り,$∠{\rm POQ}=\frac{\pi}{4}$として,$\overline{\rm AP}=x, \overline{\rm PQ}=z,  \overline{\rm QB}=y$ とすると,$x^2+y^2=z^2$が成り立つことを示せ。


Mathematicaでこれを解いてみた。
∠APOと∠OPQ,および,∠BQOと∠OQPに対する余弦定理を等置した式に,△POQに対する余弦定理から得られた式を用いて z を消去する。ただし,PO=√p,QO=√qと置いた。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
In[1]:=  sol =  Solve[{(a^2 - x^2 - p)/(2 x Sqrt[p]) == (z^2 + p - q)/(2 z Sqrt[p]), 
     (a^2 - y^2 - q)/(2 y Sqrt[q]) == (z^2 + q - p)/(2 z Sqrt[q])}, {p, q}]

Out[1]:= {{p -> a^2 - x y - x z, q -> a^2 - x y - y z}}

In[2]:= (z^2 - p - q)^2 == 2 p q /. sol[[1]]

Out[2]= (-2 a^2 + 2 x y + x z + y z + z^2)^2 ==  2 (a^2 - x y - x z) (a^2 - x y - y z)

In[3]:= % /. {z -> Sqrt[2] a - x - y}

Out[3]:= (-2 a^2 + x (Sqrt[2] a - x - y) + (Sqrt[2] a - x - y)^2 + 2 x y + (Sqrt[2] a - x - y) y)^2 
   == 2 (a^2 - x (Sqrt[2] a - x - y) - x y) (a^2 - x y - (Sqrt[2] a - x - y) y)

In[4]:= Simplify[%]

Out[4]:= (a^2 - x y) (a^2 + x y - Sqrt[2] a (x + y)) == 0

In[5]:= z^2 - x^2 - y^2 /. {z -> Sqrt[2] a - x - y} // Simplify

Out[5]:= 2 (a^2 + x y - Sqrt[2] a (x + y))
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
余弦定理を組み合わせて得られた式 Out[4]と三平方の定理からzを消去した式Out[5]は一致したので,問題は解決する。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
\begin{tikzpicture}
\draw(0,0) rectangle(4,4);
\draw[thin, -] (0,4)--(4,0) node at(-0.15,-0.15){O};
\draw[thin, -] (0,0)--(1.464,2.536) node at(1.64,2.72){P};
\draw[thin, -] (0,0)--(3.155,0.845) node at(3.28,1.02){Q};
\draw(0.20,3.55) circle(0.08) node at(-0.15,4.15){A};
\draw(0.38,0.28) circle(0.08);
\draw(3.55,0.20) circle(0.08) node at(4.15,-0.15){B};
\draw[dotted] (0,4) to [out=335,in=115] (1.464,2.536) node at(1.05,3.5) {$x$};
\draw[dotted] (1.464,2.536) to [out=335,in=115] (3.155,0.845) node at(2.6,1.9) {$z$};
\draw[dotted] (3.155,0.845) to [out=340,in=110] (4,0) node at(3.75,0.7) {$y$};
\draw[dotted] (0,0) to [out=110,in=250] (0,4) node at(-0.2,2) {$a$};
\draw[dotted] (0,0) to [out=340,in=200] (4,0) node at(2,-0.2) {$a$};
\end{tikzpicture}
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


2019年6月8日土曜日

アップルと私

なんだかこの40年間ずっと影響・翻弄され続けてきたような・・・

1980年代初頭,私はPC-9801ユーザで研究室のコンピュータもPC-9801シリーズ(まわりを見回してもみんなそうだった)。ところが,1988年に大阪教育大学に40台のMacintoshII (Mathematica, Fortranつき)+ LaserWriterが導入されたのをきっかけとして,マックユーザに転向してしまった(PC-9801RAくらいまではフォローしていた・・・)。

最初にMacintoshを見たのは日本橋の上新電機の1階だった。PC-9801本体+8087プロセッサが30万円の時代に,小さなモノクロディスプレイ一体型のMacintoshPlusが60万円以上していた。これはコストパフォーマンスが悪いと思い,その後近づかないようにしていた。それでも何か気になって,Mac+(1986-)やMacLife(1987-)などの雑誌を買い始めたところに,各国立大学へ貿易黒字対策のための外国製コンピュータ導入の話が降ってわいた。

いまから思えば,これが日米貿易戦争の端緒であり,半導体産業やコンピュータ産業の凋落の第一歩であったように思う。この米国の作戦に自ら進んで飛び込んで成長力を失った日本は,さらに竹中マジックで骨の髄まで外資にしゃぶられる今日の体たらくになるのであった。当時はバブルとも重なって毎週のようにDRAM技術の革新が報じられ,日本の半導体は少なくとも量的には完全無敵の状態に見えていたにもかかわらず。

さて,大学にMacintoshIIが導入されてからは,ジョブズのいないアップルの業績は下り坂で,その方針も混迷を極めた。日本経済新聞は何かある度にこれでもかというようにアップル叩きに勤しんでいた。その後の手のひら返しをみて,つくづくジャーナリズムにいやけがさすのであった。

なにやかやいっても,おおむねアップルの動きに追随してきたつもりだった。ところがApple Watchを見送ったあたりから,様々な技術や製品についていけなくなった。アーリーアダプターとしてiPhoneを卒業生らに見せびらかしていた時代がなつかしい。

P. S. 池田分校の新しい情報科学専攻に1教室分のMacintoshIIが設置され,ここでMathemacaの授業を1コマ持っていた。毎週朝早く到着して,全台手作業でDisinfectantでウイルス除去をするのが私の仕事だった。

年代 事項    製品      私は       
1976 創業 Apple I 大学院進学
1977 アップルコンピュータ設立 Apple II
1978
1979 Lisaプロジェクト
1979 Macintoshプロジェクト
1981
1982 大阪教育大学
1983
1984 Macintosh PC-9801導入
1985 ジョブズ追放→NeXT
1986
1987 Newtonプロジェクト HyperCard
1988 MacintoshII×40台
1989 MacintoshIIfx導入
1990 (NeXTstation)
1991
1992 Newton MP NeXTstation導入
1993
1994 PowerMacintosh PowerBookDuo270導入
1995
1996 NeXT買収
1997 ジョブズ復帰 漢字Talk7 PowerBook2400購入
1998 iMac/AppleWorks
1999 iBook
2000
2001 アップルストア MacOSX/iPod
2002 iPod購入
2003 iTunes Music Store
2004
2005 スタンフォード卒業式
2006 Apple TV
2007 iPhone
2008 iPhone購入
2009
2010 iBookstore iPad
2011 ジョブズ死去
2012 MacBookPro購入
2013
2014 Apple Pay開始
2015 Apple Watch
2016
2017 ApplePark
2018 定年退職
2019 iPadPro購入
2020

2019年6月7日金曜日

組体操の危険性

NHKをみていたら,大阪経済大学名誉教授の西山豊先生(数学者)が,卵はなぜ卵形なのかの解説をしていた。角度5度以下の斜面で転がり落ちず,振動しながら下ることで,卵がわれないようにするからだ。ところで,西山先生のホームページには他にも重要な論文があった。「組体操・人間ピラミッドの巨大化を考える」である。各教育委員会ではこれを熟読して早急に対策する必要がある。

[1]西山豊:2016年広島移動ピラミッド死亡事故を検証する,大阪経大論集,第69巻5号1-32,2019
[2]西山豊:都道府県別組体操事故統計(2018 年版)


2019年6月6日木曜日

WWDC19(3)

WWDC19(2)からの続き)

Gizmodo Japanで,林信行(1967-)と松村太郎(1980-)が対談していた。
AR kitの話,AppleTVとゲームコンソールの話,Apple Watchの話など興味深い。
Appleの #WWDC19 を著名ジャーナリスト2人とギズ編集長が語る動画ができました

ARグラス=電脳メガネが実用化されるまではまだ時間がかかりそう。でもそれまでに社会の分断化が進んでしまって,この技術は誰のためのものということになるのか。

nobiさんからプログラミング教育で,Swiftを使ったらどうかという提案があった。それで思い出したが,大阪教育大学の新しい理事・事務局長(名称復活...orz)の新津勝二さんは,文部科学省初等中等教育局教育課程課課長補佐の時代にプログラミング教育に関わっていたようだ

2019年6月5日水曜日

WWDC19(2)

WWDC19(1)からの続き)

macOS 10.14 Mojaveはインストールしていない。まだ,High Sierraのままである。当初の不具合に加えて,ダークモードが好きじゃないのだ。もちろんモバイル環境で節電できるというメリットはあるのかもしれないが,この歳になると暗い背景では字が読みにくいのです。

macOS 10.15 Catalinaについての情報もいろいろと入ってきた。ベータリリースノートには,正式版ではScript言語のランタイムが同梱されなくなるとあるようだが,どうなんだろうか。Homebrewさえインストールできれば問題ないのかな。

あと,ハードウェアもソフトウェアもデザイン的な統一感が失われていることが残念。

WWDC19(3)へ続く)

2019年6月4日火曜日

WWDC19(1)

毎年,WWDCなどアップルの発表がある度にkeynotesを見ている。最初に見たのは,スティーブ・ジョブズがアップルに戻ってきて,1998年にiMacを発表したときだったろうか。その約10年後の2007年に最初のスマートフォンであるiPhoneが発表されたときははっきり憶えている。それから1年後に日本で発売されて1ヶ月後にiPhoneを購入したときの高揚感も忘れられない。

残念なkeynotesもあった。iMacの最終段階で,ろくな製品がなくJobsが水玉模様のiMacで一瞬お茶を濁していたのがその最たるものだ。最近のWWDCもそれに匹敵すると言えるかもしれない。OSやアプリケーションの細かな改良とハードウェアの漸進的な更新が続き,場合によっては,改良ではなく後退や悪化にもみえるものもあった。

今回のWWDC19はどうだったろうか。iPadOSができてMacのサブディスプレイや入力となるのはよいかもしれないが,どこまで使うだろうか。新しいMacProはデザインと価格は最悪だが,拡張性が高いことは評価できる。ただし,プロユースでフルセットにすれば数百万円のシステムになるので,我々一般ユーザにはもう関係のない世界に入ってしまった。iOS13のセキュリティ関連やApple SignInはちょっと面白いかもしれない。あとは,TwitterのネイティブアプリがMacに帰ってくるかもしれないことかな。


2019年6月3日月曜日

ウルフラムとペレス

辰己さんが,Jupyterの発音は,ジュパイターではなく,ジュピターじゃないのとFacebookでつぶやいていた。これに対して中野さんは,普通はジュピターでしょと。あれ・・・,pythonオリジンだからジュパイターだと思い込んでいた私はどうしよう・・・

ということでさっそくYouTubeに尋ねてみると,いきなりIPythonJupyterの開発者のフェルナンド・ペレス2017年のJupyterConの講演にぶちあたった。はい,正解はジュピターでした。Project Jupyterにもちゃんと Jupyter=/ˈdʒuːpɪtər/ と書いてある。

ところで,そのペレスは,Pythonの対話型環境であるIPythonを,Wolfram Notebookにインスパイアーされて開発したとある。つまり,ノートブック型インターフェースの始まりは,スティーブン・ウルフラムによるMathematicaであった。その後,IPythonからスピンオフしたプロジェクトがJupyterを創り出す。Jupyterの意義は単に特定の言語の対話型環境をつくることではなく,「Project Jupyterは,オープンソースソフトウェア,オープンスタンダード,そして何十ものプログラミング言語にわたるインタラクティブコンピューティングのためのサービスを開発するために存在します」であった。Jupyter+Julia+α連合軍をみて,Wolfram言語も開放政策に舵をきったのではないか。

スティーブン・ウルフラム(1959-)はイギリス生まれで,17歳でオックスフォードに入学し,ゲルマンに誘われて18歳でカリフォルニア工科大学に入り,1979年に20歳でPh. D.をとる。専門分野は素粒子物理学の理論であったが,1981年にはMathematicaの前身のSMP(Symbolic Manupilation Program)を商業化し,複雑系の物理学の研究(Celuller Automata)を進めた。

一方,フェルナンド・ペレスはコロンビア生まれで,コロンビアのアンティオキア大学で物理学を学び,コロラド大学で素粒子物理学(格子QCD理論)のPh. Dをとる。それ以前には,フラクタル,半古典カオスなども研究しているようだ。2008年にはカリフォルニア大学バークレー校に移り,ソフトウェア開発に主軸を置くことになる。

なんだかよく似たところがある2人である。

2019年6月2日日曜日

AI Feynman(4)

AI Feynman(3)からの続き)

2018年に発表されたウーとテグマークの論文 "Toward an AI Physicist for Unsupervised Learning"は,AI Feynman 論文に先行するものだ。2018年のインターネットでは,AI物理学者が仮想現実の物理法則を発見したものとして話題になっていた。

その要約は次のようなものである。
物理学でよく用いられる4つの戦略を使用して,教師なし機械学習を改善するという課題に挑戦する。その4つは,分割統治,オッカムのかみそり,統一,そして絶え間ない学習である。1つのモデルを使ってすべてを学ぶのではなく,学習と「理論」の操作を中心に置いた新しいパラダイムを提案する。それは(過去の観測から)将来を予測し,その予測が正しい領域を定めるものだ。特に,各理論がその比較的有利な領域に特化するための新しい一般化平均損失,および不良データを除いて理論を単純な数式にまとめることを目指す区別可能な記述長を導入する。理論は「理論ハブ」に格納され,そこでは学習された理論を継続的に統合し,新しい環境に出会ったときに理論を提案することができる。我々は,実装した「AI Physicist」学習エージェントを,しだいに複雑化する環境でテストする。重力,電磁気力,調和運動,弾性衝突などのランダムな組み合わせを含む仮想世界における物体の軌道の教師なし学習を行う。我々の学習エージェントは,同等の複雑さの順伝搬型ニューラルネットより速く学習し,約10億分の1の平均二乗予測誤差を与える。また,整数や有理数の理論パラメータを正しく予言する。この学習エージェントは区分的に一定の力が働く場における非線形カオス二重振り子についても,異なる運動則をもつ領域をうまく同定することができた。

2019年6月1日土曜日

AI Feynman(3)

AI Feynman(2)からの続き)

機械学習と物理で紹介したように,日本物理学会誌では,人工知能と物理学というシリーズが始まっている。第1回目に神嶌敏弘さんが,機械学習の分野の全体像と歴史の概観をしているが,データマイニング・機械学習分野の概要という資料もわかりやすい。

神嶌さんの物理学会誌の特集記事に「変わりゆく機械学習と変わらない機械学習」というのがある。機械学習の自然科学での活用の節で,ドミンゴの "The Master Algorithm" からの引用として,自然科学の研究をブラーエ,ケプラー,ニュートンの業績になぞらえて三段階に分類してとらえることができると紹介している。なんのことはない武谷三男の三段階論ではないか。

「実験データを集めるブラーエの段階, 経験則を発見するケプラーの段階,そしてその経験則の背後の理論を見つけ出すニュートンの段階である」というのは武谷三段階論の現象論,実体論,本質論に対応している。それぞれに対して,データマイニング・機械学習・深層学習・AI(それぞれの分野の概念的な構造関係が十分理解できていないので暫定的に並列にしている)で何ができるかを考えることができる。

テグマークのAI Feynmanは,実体論なのだろうか,本質論なのだろうか。あるいは階層の異る現象論なのだろうか(広重徹ならばそのような三段階論による当嵌めの構図それ自体に意義をとなえるかもしれない)。

AI Feynman(4)に続く)