2019年6月22日土曜日

道徳教育(2)

道徳教育(1)からの続き)

現在のように「道徳」を特別な教科として格上げすることになったのは,2013年の3月に文部科学省に設置した「道徳教育の充実に関する懇談会」が同年12月に出した報告書,「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)~新しい時代を、人としてより良く生きる力を育てるために~ 」に基づくものである。

メンバーをみると,露骨に右寄りのイデオローグは含まれていないようだ(自分が知らないだけかもしれない)。道徳教育学プロパーが中心となっている。そもそも懇談会の名前が道徳教育の充実に関する・・・なので,議論する前から方向性や結論は決まっているようなものだ。安倍総裁のもとでの自由民主党の教育再生会議の徳育と体育の充実が議論の出発点になっているので,当然といえば当然なのだが。

道徳教育の必要性が,教育基本法の教育の目的の最初のフレーズ「教育は,人格の完成を目指し,・・・(これは旧教育基本法も同じ)」に源泉するとしている。つまり,人格の完成=道徳教育の方向性であることから,道徳教育の位置づけを教育課程全体に渡る非常に高いところにおこう,というのが道徳教育プロパーをコアとした懇談会メンバーの主流意見となっている。教育課程全体が道徳のもとに再編されるというたいへん恐ろしい事態が目前に迫っている。

これを補完するように,時代の変化に対応した高度専門分野の倫理の問題や,学校におけるいじめ問題や若者の規範意識の低下への対応のためであることなどが,耳あたりのよい説明として強調されている。それに加えて,「戦前の反省を踏まえた戦後の民主主義的な流れによって道徳教育が軽視されてきたこと」を否定することが,道徳教育の充実にとっては必要であるという,強い主張がなされている。しかし,これは道徳教育の存在を当然のように前提とした議論であり,現状分析は表層的なものにとどまっている。道徳教育の本質に遡っての反省や見直しが議論された様子はうかがえない。

この全体的な流れをやさしく復習しているのがこどもまなびラボの記事。また,苫野一徳さんと竹田青嗣さんなどの議論が参考になる。

[1]道徳教育の必要性とは?「特別の教科」になった本当の理由(こどもまなびラボ)
[2]竹田青嗣×苫野一徳 全面実施目前,『道徳』の本質を問う(×哲学プロジェクト)
[3]「道徳の教科化」に潜む“愛国教育”の危うさ 国が道徳観を定め教師が評価するのは適切か(福島創太)
[4]「よりマシ」な道徳教科書を,あなたの町の小学生に届けましょう(だい)
(このなかで最も高く評価されていた光村図書の道徳教科書には,千葉大学附属中学校の三宅健次先生が編集委員として加わっていた,その節はお世話になりました。また,最も評価の低かった教育出版の道徳教科書の宣伝VTRには,武蔵野大学の貝塚茂樹が登場していた。そういうことである。)

道徳教育(3)に続く)

0 件のコメント: