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2023年11月12日日曜日

奈良の神社寺院

融通念仏宗からの続き

散歩の犬棒で思い出したが,うちの近所の寺には融通念仏宗が多いような気がする。早速,調べてみよう。日本の神社・寺院検索サイト「八百万の神」という,センスのよい有難い場所がある。誰が運営しているかというと,株式会社 INFO UNITE というあまり聴いたことのない会社だった。とりあえずなんとなくニュートラルな印象で,他にも日本の住所というデータベースを運営している。なんなのだろうか。

その結果を以下に整理した。まず。奈良県の神社・寺院数を市町村別に見たベスト7だ。五條とか宇陀などがかつては相対的に栄えていたのかもしれない。
奈良市   396   12%
五條市   238   7%
宇陀市   229   7%
橿原市   214   7%
大和郡山市 193   6%
桜井市   156   5%
天理市   155   5%
その他   1602  50%
また,神道の系列別のベスト7は次のようになる。八王子神社も散歩でよく見かける。
春日系列  146  20%
八幡系列  139  19%
祇園系列  83  11%
天神系列  81  11%
八王子系列 39  5%
伊勢系列  35  5%
稲荷系列  24  3%
その他   188  26%
問題の仏教の宗派別のベスト7は次のとおりで,融通念仏宗は第3位,奈良県ではけっこう存在感を示していた。
浄土真宗本願寺派 424  24%
浄土宗      318  18%
融通念仏宗    205  11%
高野山真言宗   164  9%
真宗大谷派    100  6%
曹洞宗      74  4%
真宗興正派    67  4%
その他      441  25%
なお,天理市には融通念仏宗の寺が25あった。なるほど近所でよく見かけるわけだ。


写真:融通念仏宗本山は大阪市平野区の大念彿寺(Wikipediaから引用)

2021年11月21日日曜日

安倍晴明

安倍晴明(921-1005)といえば,先日はライバルの道魔法師(蘆屋道満)が活躍する芦屋道満大内鑑を国立文楽劇場で見たところだ。桜井市にある安倍文殊院を訪ねたとき,お堂の中に安倍晴明の坐像があったので,ここが出身地かと思っていたがそうではなかったようだ。

阪堺電車に乗って,大阪阿倍野の北畠あたりに散歩に行った帰りに,安倍晴明神社を発見した。それによると,出身地には諸説あるが(大和は含まれていない),大阪説が一番有力と主張している。その根拠は「葛の葉伝説」なのだが,それでいいのか。なお,京都の晴明神社は,安倍晴明の没後に邸跡に御霊を鎮めるために設けられたので,生誕地とは関係ない。

日曜午後の安倍晴明神社は,お参りの人や学習ツアーの団体などでかなり賑わっていた。よくわからないが,社務所の横にちょっと怪しい占いコーナというのがあって日替わりで相談に応じていた。

P. S. 神社の近所には,The MARKET Grocery というお店がオープンしたばかりで,美味しいリンゴとミカンを試食させてもらった。ミカンを買ってしまったのは,もしかすると葛の葉の狐に化かされたからかもしれない。


写真:安倍晴明神社の石碑(撮影 2021.11.21)


2021年5月15日土曜日

闕野神社

金沢の 闕野神社(がけのじんじゃ)は,実家から歩いて5分の寺町通りにある神社。子どものころ,正月の初詣はここと決まっていた。母がお雑煮の準備をしている間に,父とこどもたちが初詣に向かう。後年,元旦には西金沢の八幡神社(はちまんじんじゃ)に母と何回か通うことになる。

小学校1年の絵日記で,闕野神社のお祭りの出店で5円のアイスクリームを買って食べたことを書いたら,おばあちゃんや両親にこっぴどく指導された。何が入っているかわからないのでそんなものは食べてはいけないとのこと。せっかく,近所の友達の宮崎君と10円玉にぎりしめて楽しみにいったのに,散々な結果であった。

お祭りといえば,おばあちゃんの家がテリトリーとなっている泉野桜木神社のほうが大きくて出店も多かったのであるが,何かを買ってもらった記憶はあまりないかもしれない。神社の祭りの出店ではなく,寺町通り終点あたりにでる夜店の方がにぎやかだった時期もあったけれど,それも長くはつづかなかった。

寺町通りの商店会も閉店が続き,横山酒店も松川金物店も北村の傘屋も新保の床屋も荒木自転車店も寺町終点の津田の靴屋もみんななくなってしまった。


写真:闕野神社(金沢徒然日記から引用)

P. S.  金沢徒然日記には「闕野神社 宵詣りの逸話が残る神社」として,

当社の境内では昔「宵詣り」という人に呪いをかけるものが流行し、本殿裏の欅の木には無数の藁人形が五寸釘で打ち込まれていたという

 とあるが,さすがにその記憶はありません。

2021年4月8日木曜日

高野山町石道

 町石道(ちょういしみち)は,和歌山県九度山町(くどやまちょう)の慈尊院から高野山までの参詣道である。弘法大師が母のいる慈尊院に月に九度通ったことから九度山の名前が付いたということだけれど,往復に丸一日費やすことになりそうで,他の仕事に差し支えるのではないかと思う。

町石というのは一町(109m)ごとに置かれた道標のことであり,根本大塔から慈尊院までの22kmの道のりに180基,根本大塔から奥之院の弘法大師御廟まで4kmで36基と,あわせて216基あるとのこと。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成している。慈尊院から高野山までは6-7時間のコースだとのこと。

高野山町石道の途中に丹生都比売神社がある。空海の高野山開創の伝説を構成する紀伊國一宮なので,ちょっと期待していたのだけれど,周辺にへび出没注意の看板があるくらいで一般参詣者には見所もなく残念だった。せめて,弘法大師を高野山に案内した犬の子孫?の二匹の神犬を見ることができれば良かったのだけれど,公開日ではなかったのだ。



写真:慈尊院と丹生都比売神社(撮影:2021.4.7)


2021年3月14日日曜日

門戸厄神

西宮市の 門戸厄神(東光寺)へ行ったのは初めてだったかもしれない。阪急今津線の門戸厄神駅は,神戸女学院大学に行ったときに何度か降りている。最初に神戸女学院を訪れたのは,佐藤秀明君から文化祭のことを聞いたときで,馬場のぼる11ぴきのねこ井上ひさしが戯曲化したものをみた。ネコジャラ市の11人とごっちゃになっていたのだけれど,なかなか苦い味のする劇だった。

門戸厄神は日本三大厄神の一つとのことで,あとの2つは京都八幡市の石清水八幡宮と紀伊国一之宮の丹生都比売神社(天野明神)。空海が愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王像(両頭愛染明王像)を三体刻んで,これをおさめたのがこの3箇所で,いまでは門戸厄神だけに残っているらしい。結局,厄神明王像はどこにあったのだろうか・・・肝腎なものを見逃しているような気がする。

1911年(明治44年)大正天皇が皇太子のときに,兵庫県で陸軍特別大演習が行われた。その御座所が設けられた記念碑(東宮殿下御野立所跡)が立っている。確かに,境内からは摂津平野が広く一望できた。陸軍特別大演習といえば,近鉄天理線二階堂駅前にも明治天皇の御座所があったという碑が立っていたと記憶していたが,調べても出てこない。逆に,昭和7年秋の陸軍特別大演習で昭和天皇がここからお召し列車に乗ったという記事がみつかった。

[1]参考:昭和7年陸軍特別大演習於奈良・大阪(奈良県立図書情報館)


写真:門戸厄神と摂津平野(2021.3.14 撮影)


2020年10月2日金曜日

御旅所

三十八柱神社からの続き

傍示浚で登場した天理市南六条町の三十八神社の御旅所(おたびしょ)が,傍示浚と三十八神社の中間地点にある。神様が宿る依代のような大きな木があるが注連縄は張られていない。Wikipediaの説明によれば祭礼の神輿の休憩地点ということなのだけれど。このマイナーな御旅所がgoogle検索によってあがってくるのは,自分の検索履歴が影響しているのだろうか。


地図&写真:google mapから引用 & 三十八神社の御旅所(2020.9.30撮影)

2020年9月22日火曜日

三十八柱神社

先日,石上神宮の北西端の結界に対応する三十八神社(みそやじんじゃ)の傍示浚の標を見つけたところだった。今日の散歩は三十八柱神社(みそやはしらじんじゃ)だった。

調べてみると奈良県を中心として各所に三十八の名前がつく神社があった。三十八神社,三十八柱神社,三十八社神社,三十八所神社など。県内分をリストアップすると次のようなことで,半分は天理市にある。

三十八神社(みそやじんじゃ)
〒632-0098 奈良県天理市南六条町223
〒632-0054 奈良県天理市檜垣町94
〒632-0025 奈良県天理市藤井町218

三十八柱神社(みそやはしらじんじゃ)
〒632-0083 奈良県天理市稲葉町162
〒636-0216 奈良県磯城郡三宅町小柳373
〒635-0814 奈良県北葛城郡広陵町南郷1242
〒633-0067 奈良県桜井市大福479

三十八社神社(さんじゅうはっしゃじんじゃ)
〒632-0068 奈良県天理市合場町259
〒634-0825 奈良県橿原市観音寺町882

三十八所神社(さんじゅうはっしょじんじゃ)
〒630-8212 奈良県奈良市春日野町160(春日大社境内) 

で,三十八柱とは結局どの神様なのかというと,桜井市の三十八柱神社の説明によれば,伊邪那岐命+伊邪那美命+宮中三十六柱ということらしい。では宮中三十六柱は誰なの。Wikipediaの宮中・京中の式内社一覧によれば,つぎのとおり(式内社は延喜式神名帳に記載された神社)。 

御巫祭神 8座
 神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神
座摩巫祭神 5座
 生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神
御門巫祭神 8座
 櫛石窓神×4・豊石窓神×4
生島巫祭神 2座
 生島神・足島神
宮内省坐神 3座
 園神・韓神×2
大膳職坐神 3座
 御食津神・火雷神・高倍神
造酒司坐神 6座
 大宮売神×4・酒殿神×2(酒弥豆男神・酒弥豆女神)
主水司坐神 1座
 鳴雷神

なかなか面倒なことになっている。


図 google map において三十八神社等で検索した結果から引用



2020年9月16日水曜日

傍示浚

朝の散歩でときどき思いがけないものを発見する。昨日は 傍示浚(ぼうじさらえ)だ。北西ルートで郡山インターの南側を回っていると,石上神宮の傍示浚神事の標識があった。氏子区域の境界を示す杙(くい)が8ヶ所あって,毎年10月1日に神事が行われるもので,添付写真の説明文に詳しい。奈良女子大学の宮路淳子さんの論文から8ヶ所について記されている部分を引用する。散歩コース内には他に何ヶ所かある。

神事の概要については、白井伊佐牟氏の著書に詳しいので、以下抜粋する 16)。「当日午前九時神職二名が北郷・南郷(布留川の北が北郷・南が南郷)にわかれ、北郷は 1 石上町・石上市神社、2 富堂町・岩上神社、3 田井庄町・八剱神社、4 南六条町北方・三 十八神社の四か所、南郷は 5 内馬場町・春日神社、6 川原城町・神明神社、7 備前町南端・ 備前橋南詰道路脇、8 田町・厳島神社の四か所の計八ケ所で祭典が行なわれ、榜示榊は 1・ 2・3・4・5・8 は各神社本殿前の盛砂に刺すが、8 は後刻北西方の境界地へ刺し、1 も以 前は北方の櫟本町との境界に立てていた。6 は一の鳥居跡地(布留街道と上街道の交差点 の東)へ、7 は祭典場所と同じところへ立てる。


写真:天理市南六条町の傍示浚標識(2020.9.15)

[1]宮路淳子:天理市石上神宮の傍示浚神事からみる布留川 流域の水資源利用と土地開発に関する研究

2020年6月17日水曜日

稗田環濠集落

稗田阿礼の出身地ということで,稗田環濠集落にある賣太神社の祭神は稗田阿礼命(ひえだのあれのみこと)だった。天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と猿田彦神(さるたひこのかみ)も祭神に名を連ねている。

神道の神の命名規則によると,「(1)○○ノ(2)○○ノ(3)○○」では,(1)が神の属性,(2)が神の名前,(3)が神号(尊称)である。むむむ,(3)には神−命−大神−権現−明神などがあるようだがいまひとつ区別がかわからない。そもそもサルタヒコも古事記では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神であり,日本書紀では猿田彦命となっているということなのでいったいなんなのか。

えーっ,猿田彦と天宇受賣は夫婦だったのか。猿田彦が手塚治虫の火の鳥にでてきたところまではなんとなく知っていたけれど。また「アメノウズメ」は古事記では天宇受賣命,日本書紀では天細女命となっている。賣太神社は稗田阿礼なので古事記方式でよいのだろう。

P. S. 稗田環濠集落の水路には亀がたくさん泳いでいた。猿沢池を越えるインパクトである。


写真:大和郡山市の稗田環濠集落にある賣太神社(2020.6.16撮影)

2019年9月16日月曜日

天河大辨財天社

敬老の日の休日なので(実は連日休日なのだ),道の駅吉野路黒滝でおいしい蕎麦(深山そば)を売っているというので,ドライブに出かけたところ,道の駅は入場待ちの行列ができており,10分さきの天川村まで足を伸ばした。

まずは,大峰本宮の天河神社に向った。天河伝説殺人事件は読んだことも映画を見たこともないのだけれど,当時のCMのせいか印象に残っていたので,天河神社の存在はよく認識していた。ところが,妻はそれ何知らないという。そうではなくて,途中に案内があった,丹生川上神社のほうが圧倒的に有名だと主張する。自分はそれ何知らない状態である。調べてみると天河神社は郷社であり,丹生川上神社は旧官幣大社であった。あらら。しかも丹生川上神社の上社はダムに水没させたという。いいのか水神を守る神社にそんなことして。罰があたるぞ。

その後,天川村に1つしかない信号機の横のかどや食堂に入ってアマゴ塩焼き定食とアマゴ甘露煮定食(両方とも安くておいしい)を食べて,これまたすぐ向いの土産物屋の小路の駅「てん」でアマゴの甘露煮をお土産に買った。かどや食堂の亭主夫妻のイラスト入りである。なお,帰りによった道の駅黒滝の深山そばは,人気のため売り切れてしまっていた。



写真:天河神社(撮影 2019.9.16)


2019年7月21日日曜日

菅原神社

奈良の喜光寺は,菅原道真(845-903)の生誕地(異説も多い)である菅原の里にあったためかつて菅原寺とよばれていた。喜光寺のそばには菅原神社(菅原天満宮)と菅原道真が産湯を使ったといわれる天神池の遺跡があった。「すがはら」なのか「すがわら」なのかどうなのだろう

写真 菅原天満宮あたり(2019.7.18撮影)