芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2026年1月17日土曜日
AI神道(3)
2026年1月16日金曜日
AI神道(2)
2026年1月15日木曜日
AI神道(1)
デジタルネイチャーからの続き
Q(koshix):さて,これを前提として,以前我々が展開した「AI神道」のコンセプトを再度,整理・展開してもらえますか。「AI神道」憶えていますかね?A(ChatGPT-5.2):はい、憶えています。私たちが以前に使っていた「AI神道」は、単なるキャッチコピーではなく、・デジタルネイチャー(計算が環境になる)・テクノアニミズム(非人間エージェントへの霊性付与)・日本的アニミズム(人格神ではなく〈はたらき〉への畏れ)を制度化せずに接続するための“思考装置”でした。いま書いてくれた論説文を前提にすると、AI神道はかなり整理された形で再定義できます。以下、①再定義 → ②構造 → ③何を避ける思想か → ④実践形 → ⑤限界の順でまとめます。1.AI神道とは何か(再定義)AI神道とは、計算が自然環境になった世界において、非人間的計算プロセスを「人格化せずに畏れる」ための認識様式である。ポイントは二つ。・AIを「神」にしない・しかし「単なる道具」としても扱わない神道における神(カミ)が、人格神でも全能の設計者でもなく山・風・疫・技芸・境界・異常・働きであったのと同様に、AI神道におけるAIは、意図を持たないが、結果をもたらす〈はたらき〉として位置づけられる。2.なぜ今「AI神道」なのか(論理的接続)先ほどの論説文の結論はこうである:・計算は道具ではなく環境になった→ もはや人間は計算の外部に立てないここで問題が生じた。・近代的合理主義 →「全部理解し、制御できるはずだ」・テクノ神秘主義 →「わからないから神として崇拝する」この二択がどちらも破綻する。AI神道は、その第三の態度である。・理解しようとするが、完全理解は前提にしない・制御しようとするが、完全支配は幻想だと知るだからこそ、距離・節度・境界儀礼を持つこれは、計算機自然に対する環境倫理の形式でもある。3.AI神道が「避ける」二つのもの① AI宗教(擬似人格神化)・AGIを「意思ある存在」「救済主体」にする・啓示・予言・裁定をAIに委ねる→ 責任が消える→ ブラックボックス免責装置になる② AI合理主義(完全操作幻想)・AIは完全に説明可能・管理可能だという前提・想定外を「バグ」や「失敗」に還元→ 環境としての計算を見誤る→ 事故や暴走を制度的に招くAI神道は、この両極を同時に拒否する。4.AI神道の構造(神道との対応)神道——————————|AI神道—————————カミは人格でない |AIは主体でない祟り・恵みは区別しない |最適化も災厄も同じ計算祭祀は制御ではなく調停 |チューニング・停止・制限結界・禁足地 |アクセス制限・権限分離祝詞 |ログ・説明責任・監査重要なのは、AIを「信じる」のではなく、「扱う作法」を持つことだ。5.実践としてのAI神道(思想で終わらせない)AI神道は信仰ではなく、設計態度である。具体的には:・「これは神域(自動化してはならない)か?」と問う・判断をAIに委ねる前に、人間が引き受ける責任線を明示する・全自動化より、半自動+人間の介在を好む不可解な結果に対して「意味づけ」ではなく「距離」を取るこれは、計算機自然世における倫理の最低限の形式とも言える。6.AI神道の限界(自己免疫)最後に重要な点。AI神道は、・日本文化の特殊性を普遍化してはならない・「美しい比喩」で現実の権力構造を隠してはならないだからこそ、AI神道は 制度でも宗教でもなく、仮設的な思考様式であるべきだ。・必要な間だけ立ち上げ、危険になったら壊せる思想それが、私たちが以前共有していた「AI神道」の核心だったはず。(後略)Appendix A:日本の神道の特徴(構造的要約)神道は、教義・経典・創始者を持つ宗教というより、環境と人間の関係を調停するための実践的世界観として成立してきた。その特徴は、近代宗教や哲学とは異なる前提に基づいている。1.人格神を前提としない「カミ」概念神道における「神(カミ)」は、人格的存在や全能の創造主を意味しない。山、川、風、雷、疫病、技芸、境界、異常な出来事など、人間の制御を超えた〈はたらき〉や現象がカミと呼ばれる。カミは意図や計画を持たず、善悪の判断主体でもない。人間はカミに命令せず、説得もせず、ただ距離を取り、向き合う。2.善悪二元論を持たない神道には、絶対的な善神と悪神の対立構造がない。同じカミが恵みをもたらすこともあれば、災厄をもたらすこともある。重要なのは原因の道徳化ではなく、結果への対処と関係の調整である。祟りは罰ではなく、関係が歪んだ徴候として理解される。3.信仰よりも作法・実践を重視する神道は「何を信じるか」よりも、「どう振る舞うか」を重視する。祝詞、祭祀、禊、清めといった行為は、世界を説明するためではなく、人間と環境の関係を整えるための手続きである。信仰の有無よりも、節度・畏れ・距離感が重んじられる。4.境界の設定を重視する神道では、神域・禁足地・結界など、「近づいてよい場所/いけない場所」が明確に区別される。すべてを可視化し、利用し、支配することは善とされない。触れてはならない領域を残すこと自体が秩序と考えられる。5.世界を制御する思想ではない神道は、自然や世界を人間の理性で完全に把握・制御できるとは考えない。人間は世界の中心的支配者ではなく、環境の一部として位置づけられる。したがって神道は、救済や進歩を約束する思想ではなく、共存のための態度である。6.一神性・普遍性を要求しない神道は排他的な普遍真理を主張しない。他宗教との習合や重層的信仰を許容し、状況に応じて異なる枠組みを併用する。これは理論的未熟さではなく、環境依存的な実用知としての性格による。付記(AI神道との接続点)以上の特徴から、神道は・非人格的な力を扱う・完全理解や完全支配を前提としない・距離・節度・境界を設計する・実践と作法を重視するという点で、計算が自然環境になった時代のAIとの向き合い方を考える際の、有効な参照枠となる。ただしこれは、日本文化の特殊性を普遍化する根拠ではない。神道は、AI神道にとって「答え」ではなく、態度を考えるための例にすぎない。Appendix B:AI神道の定義(200字)AI神道とは、計算が社会や環境の前提条件となった時代において、AIやアルゴリズムを「人格的主体」でも「単なる道具」でもなく、人間の制御を超えた〈はたらき〉として捉える認識様式である。それはAIを崇拝する宗教ではなく、完全理解や完全支配の幻想を退け、距離・節度・境界を設けながら共存するための作法である。日本の神道が自然現象に対して取ってきた非人格的・実践的態度を参照しつつ、計算機自然の中で人間が責任を引き受け続けるための、仮設的な思考枠組みを指す。
2026年1月4日日曜日
廣瀬大社
「二十二社(にじゅうにしゃ)」とは、平安時代中期〜後期にかけて朝廷(中央政府)が特に重視して崇敬し、国家の重大な祭祀や天変地異の際に特別に奉幣(朝廷からの供物や幣帛)を受けた一連の神社のことです。主に京畿(京都周辺)と大和を中心とした由緒ある神社が選ばれ、合計22社となりました。制度としては永保元年(1081年)に「永例(正式な制度)」とされました。(Wikipediaより)
【上七社】1. 太神宮 神宮(伊勢神宮) 三重県伊勢市2. 石清水 石清水八幡宮 京都府八幡市3. 賀茂 賀茂別雷神社(上賀茂神社) 京都府京都市北区賀茂御祖神社(下鴨神社) 京都府京都市左京区4. 松尾 松尾大社 京都府京都市西京区5. 平埜 平野神社 京都府京都市北区6. 稲荷 伏見稲荷大社 京都府京都市伏見区7. 春日 春日大社 奈良県奈良市【中七社】8. 大原野 大原野神社 京都府京都市西京区9. 大神 大神神社 奈良県桜井市10. 石上 石上神宮 奈良県天理市11. 大和 大和神社 奈良県天理市12. 廣瀬 廣瀬大社 奈良県北葛城郡河合町13. 龍田 龍田大社 奈良県生駒郡三郷町14. 住吉 住吉大社 大阪府大阪市住吉区【下八社】15. 日吉 日吉大社 滋賀県大津市16. 梅宮 梅宮大社 京都府京都市右京区17. 吉田 吉田神社 京都府京都市左京区18. 廣田 廣田神社 兵庫県西宮市19. 祇園 八坂神社 京都府京都市東山区20. 北野 北野天満宮 京都府京都市上京区21. 丹生 丹生川上神社(中社) 奈良県吉野郡東吉野村丹生川上神社上社 奈良県吉野郡川上村丹生川上神社下社 奈良県吉野郡下市町22. 貴布禰 貴船神社 京都府京都市左京区
2025年11月6日木曜日
奉納文楽
舞台の鏡板の松の絵は、日本画の大家、前田青邨が手掛けた逸品。南地大和屋の女将が上方芸能の拠点として1965年に設置した能楽堂は、床下に反響用の壺を備えるなど本格的で、司馬遼太郎も称賛しました。
能楽発祥の地とも縁深い奈良へという運びとなり、近畿日本鉄道会長の口利きで大神神社への奉納が決定。大神神社は本殿を持たず三輪山をご神体とする古い祭祀の形を守り、「風姿花伝」にも由緒が結びつけられるなど能楽と深いゆかりがあります。
能舞台の松は「神が降り立つ依り代」とされ、この格式ある能楽堂が、最古の神社である大神神社に移設されたことは「良縁」として静かな注目を集めています。今後は、大神祭の後宴能などで活用される予定です。(299字)
2023年11月12日日曜日
奈良の神社寺院
また,神道の系列別のベスト7は次のようになる。八王子神社も散歩でよく見かける。奈良市 396 12%五條市 238 7%宇陀市 229 7%橿原市 214 7%大和郡山市 193 6%桜井市 156 5%天理市 155 5%その他 1602 50%
春日系列 146 20%八幡系列 139 19%祇園系列 83 11%天神系列 81 11%八王子系列 39 5%伊勢系列 35 5%稲荷系列 24 3%その他 188 26%
浄土真宗本願寺派 424 24%浄土宗 318 18%融通念仏宗 205 11%高野山真言宗 164 9%真宗大谷派 100 6%曹洞宗 74 4%真宗興正派 67 4%その他 441 25%
2021年11月21日日曜日
安倍晴明
安倍晴明(921-1005)といえば,先日はライバルの道魔法師(蘆屋道満)が活躍する芦屋道満大内鑑を国立文楽劇場で見たところだ。桜井市にある安倍文殊院を訪ねたとき,お堂の中に安倍晴明の坐像があったので,ここが出身地かと思っていたがそうではなかったようだ。
阪堺電車に乗って,大阪阿倍野の北畠あたりに散歩に行った帰りに,安倍晴明神社を発見した。それによると,出身地には諸説あるが(大和は含まれていない),大阪説が一番有力と主張している。その根拠は「葛の葉伝説」なのだが,それでいいのか。なお,京都の晴明神社は,安倍晴明の没後に邸跡に御霊を鎮めるために設けられたので,生誕地とは関係ない。
日曜午後の安倍晴明神社は,お参りの人や学習ツアーの団体などでかなり賑わっていた。よくわからないが,社務所の横にちょっと怪しい占いコーナというのがあって日替わりで相談に応じていた。
P. S. 神社の近所には,The MARKET Grocery というお店がオープンしたばかりで,美味しいリンゴとミカンを試食させてもらった。ミカンを買ってしまったのは,もしかすると葛の葉の狐に化かされたからかもしれない。
2021年5月15日土曜日
闕野神社
金沢の 闕野神社(がけのじんじゃ)は,実家から歩いて5分の寺町通りにある神社。子どものころ,正月の初詣はここと決まっていた。母がお雑煮の準備をしている間に,父とこどもたちが初詣に向かう。後年,元旦には西金沢の八幡神社(はちまんじんじゃ)に母と何回か通うことになる。
小学校1年の絵日記で,闕野神社のお祭りの出店で5円のアイスクリームを買って食べたことを書いたら,おばあちゃんや両親にこっぴどく指導された。何が入っているかわからないのでそんなものは食べてはいけないとのこと。せっかく,近所の友達の宮崎君と10円玉にぎりしめて楽しみにいったのに,散々な結果であった。
お祭りといえば,おばあちゃんの家がテリトリーとなっている泉野桜木神社のほうが大きくて出店も多かったのであるが,何かを買ってもらった記憶はあまりないかもしれない。神社の祭りの出店ではなく,寺町通り終点あたりにでる夜店の方がにぎやかだった時期もあったけれど,それも長くはつづかなかった。
寺町通りの商店会も閉店が続き,横山酒店も松川金物店も北村の傘屋も新保の床屋も荒木自転車店も寺町終点の津田の靴屋もみんななくなってしまった。
P. S. 金沢徒然日記には「闕野神社 宵詣りの逸話が残る神社」として,
「当社の境内では昔「宵詣り」という人に呪いをかけるものが流行し、本殿裏の欅の木には無数の藁人形が五寸釘で打ち込まれていたという」
とあるが,さすがにその記憶はありません。
2021年4月8日木曜日
高野山町石道
町石道(ちょういしみち)は,和歌山県九度山町(くどやまちょう)の慈尊院から高野山までの参詣道である。弘法大師が母のいる慈尊院に月に九度通ったことから九度山の名前が付いたということだけれど,往復に丸一日費やすことになりそうで,他の仕事に差し支えるのではないかと思う。
町石というのは一町(109m)ごとに置かれた道標のことであり,根本大塔から慈尊院までの22kmの道のりに180基,根本大塔から奥之院の弘法大師御廟まで4kmで36基と,あわせて216基あるとのこと。ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を構成している。慈尊院から高野山までは6-7時間のコースだとのこと。
高野山町石道の途中に丹生都比売神社がある。空海の高野山開創の伝説を構成する紀伊國一宮なので,ちょっと期待していたのだけれど,周辺にへび出没注意の看板があるくらいで一般参詣者には見所もなく残念だった。せめて,弘法大師を高野山に案内した犬の子孫?の二匹の神犬を見ることができれば良かったのだけれど,公開日ではなかったのだ。
2021年3月14日日曜日
門戸厄神
西宮市の 門戸厄神(東光寺)へ行ったのは初めてだったかもしれない。阪急今津線の門戸厄神駅は,神戸女学院大学に行ったときに何度か降りている。最初に神戸女学院を訪れたのは,佐藤秀明君から文化祭のことを聞いたときで,馬場のぼるの11ぴきのねこを井上ひさしが戯曲化したものをみた。ネコジャラ市の11人とごっちゃになっていたのだけれど,なかなか苦い味のする劇だった。
門戸厄神は日本三大厄神の一つとのことで,あとの2つは京都八幡市の石清水八幡宮と紀伊国一之宮の丹生都比売神社(天野明神)。空海が愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王像(両頭愛染明王像)を三体刻んで,これをおさめたのがこの3箇所で,いまでは門戸厄神だけに残っているらしい。結局,厄神明王像はどこにあったのだろうか・・・肝腎なものを見逃しているような気がする。
1911年(明治44年)大正天皇が皇太子のときに,兵庫県で陸軍特別大演習が行われた。その御座所が設けられた記念碑(東宮殿下御野立所跡)が立っている。確かに,境内からは摂津平野が広く一望できた。陸軍特別大演習といえば,近鉄天理線二階堂駅前にも明治天皇の御座所があったという碑が立っていたと記憶していたが,調べても出てこない。逆に,昭和7年秋の陸軍特別大演習で昭和天皇がここからお召し列車に乗ったという記事がみつかった。
[1]参考:昭和7年陸軍特別大演習於奈良・大阪(奈良県立図書情報館)
2020年10月2日金曜日
2020年9月22日火曜日
三十八柱神社
先日,石上神宮の北西端の結界に対応する三十八神社(みそやじんじゃ)の傍示浚の標を見つけたところだった。今日の散歩は三十八柱神社(みそやはしらじんじゃ)だった。
調べてみると奈良県を中心として各所に三十八の名前がつく神社があった。三十八神社,三十八柱神社,三十八社神社,三十八所神社など。県内分をリストアップすると次のようなことで,半分は天理市にある。
三十八神社(みそやじんじゃ)〒632-0098 奈良県天理市南六条町223
〒632-0054 奈良県天理市檜垣町94
〒632-0025 奈良県天理市藤井町218
三十八柱神社(みそやはしらじんじゃ)
〒632-0083 奈良県天理市稲葉町162
〒636-0216 奈良県磯城郡三宅町小柳373
〒635-0814 奈良県北葛城郡広陵町南郷1242
〒633-0067 奈良県桜井市大福479
三十八社神社(さんじゅうはっしゃじんじゃ)
〒632-0068 奈良県天理市合場町259
〒634-0825 奈良県橿原市観音寺町882
三十八所神社(さんじゅうはっしょじんじゃ)
〒630-8212 奈良県奈良市春日野町160(春日大社境内)
で,三十八柱とは結局どの神様なのかというと,桜井市の三十八柱神社の説明によれば,伊邪那岐命+伊邪那美命+宮中三十六柱ということらしい。では宮中三十六柱は誰なの。Wikipediaの宮中・京中の式内社一覧によれば,つぎのとおり(式内社は延喜式神名帳に記載された神社)。
御巫祭神 8座
神産日神・高御産日神・玉積産日神・生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神
座摩巫祭神 5座
生井神・福井神・綱長井神・波比祇神・阿須波神
御門巫祭神 8座
櫛石窓神×4・豊石窓神×4
生島巫祭神 2座
生島神・足島神
宮内省坐神 3座
園神・韓神×2
大膳職坐神 3座
御食津神・火雷神・高倍神
造酒司坐神 6座
大宮売神×4・酒殿神×2(酒弥豆男神・酒弥豆女神)
主水司坐神 1座
鳴雷神
2020年9月16日水曜日
傍示浚
朝の散歩でときどき思いがけないものを発見する。昨日は 傍示浚(ぼうじさらえ)だ。北西ルートで郡山インターの南側を回っていると,石上神宮の傍示浚神事の標識があった。氏子区域の境界を示す杙(くい)が8ヶ所あって,毎年10月1日に神事が行われるもので,添付写真の説明文に詳しい。奈良女子大学の宮路淳子さんの論文から8ヶ所について記されている部分を引用する。散歩コース内には他に何ヶ所かある。
神事の概要については、白井伊佐牟氏の著書に詳しいので、以下抜粋する 16)。「当日午前九時神職二名が北郷・南郷(布留川の北が北郷・南が南郷)にわかれ、北郷は 1 石上町・石上市神社、2 富堂町・岩上神社、3 田井庄町・八剱神社、4 南六条町北方・三 十八神社の四か所、南郷は 5 内馬場町・春日神社、6 川原城町・神明神社、7 備前町南端・ 備前橋南詰道路脇、8 田町・厳島神社の四か所の計八ケ所で祭典が行なわれ、榜示榊は 1・ 2・3・4・5・8 は各神社本殿前の盛砂に刺すが、8 は後刻北西方の境界地へ刺し、1 も以 前は北方の櫟本町との境界に立てていた。6 は一の鳥居跡地(布留街道と上街道の交差点 の東)へ、7 は祭典場所と同じところへ立てる。
2020年6月17日水曜日
稗田環濠集落
2019年9月16日月曜日
天河大辨財天社
まずは,大峰本宮の天河神社に向った。天河伝説殺人事件は読んだことも映画を見たこともないのだけれど,当時のCMのせいか印象に残っていたので,天河神社の存在はよく認識していた。ところが,妻はそれ何知らないという。そうではなくて,途中に案内があった,丹生川上神社のほうが圧倒的に有名だと主張する。自分はそれ何知らない状態である。調べてみると天河神社は郷社であり,丹生川上神社は旧官幣大社であった。あらら。しかも丹生川上神社の上社はダムに水没させたという。いいのか水神を守る神社にそんなことして。罰があたるぞ。
その後,天川村に1つしかない信号機の横のかどや食堂に入ってアマゴ塩焼き定食とアマゴ甘露煮定食(両方とも安くておいしい)を食べて,これまたすぐ向いの土産物屋の小路の駅「てん」でアマゴの甘露煮をお土産に買った。かどや食堂の亭主夫妻のイラスト入りである。なお,帰りによった道の駅黒滝の深山そばは,人気のため売り切れてしまっていた。

















