2026年2月8日日曜日

なぜ自民大勝なのか?

銀河文明の黄昏からの続き


図:ChatGPTによる「日本列島を・・・」


2026年2月8日(日)15:00,第51回衆議院議員総選挙の開票を5時間後に控えて。
Q(koshix): 
トランプ就任から1年遅れで相似形の高市現象が発生した。合理主義的な理解を求めてもそこには届かない。高市が衆院選で大勝し,円安が進行し,財政規律が緩んでインフレ・物価高が進行しても,支持者たちの感情的欲求は満足される。彼らの直感的な願望である「世界の不安に対抗できる安定した強い政権」を手に入れることが出来る。このあたりのロジックの妥当性と今後の日本の展望を聞かせてください。(中略)

この不安な時代に,高市の「日本列島を強く豊かに」という言葉の方が,生活者ファーストだとか,日本人ファーストよりも,迷える小羊大衆に届いたのではないかということですかね。ここまでの議論における,高市大勝利の背景とロジックを整理して,ブログ記事としてまとめてください。自分にとっては,嘘まみれで暗愚な政治による日本や世界の先行きがあまりに暗くて,文明の崩壊過程を目の当たりにしているようでなかなか元気が出ませんが・・・。 
A(ChatGPT+Gemini+Claude):

日本列島を強く豊かに ―― 不安の時代における「意味供給政治」の成立と陥穽

世界はもはや合理的な理解の範疇を超えつつある。戦争、インフレ、通貨不安、そしてAIによる労働の解体――私たちは断片的な事象としての「何が起きているか」は把握できても、その背後にある「なぜ」や「どこへ向かうのか」という文脈を見失っている。この説明不能な根源的不安こそが、現在の政治的地殻変動を駆動する真のエンジンである

1.合理的スローガンの機能不全と「場所」への回帰

多くの政党が掲げた「生活者ファースト」的なスローガンは、平時における分配の論理としては正当であった。しかし、存在論的な不安が蔓延する現在、給付額や税率の微調整といった合理的解法は人々の魂に届かない。

一方、参政党などが標榜する「日本人ファースト」は、特定の属性を強調することで排外主義的な連帯を煽る。だがそれはあまりに剥き出しであり、現代の複雑な社会構造においては分断の道具にしかならない。

これに対し、高市早苗が2026年衆議院選挙で掲げた「日本列島を強く豊かに」というフレーズは極めて巧妙であった。それは「生活者」という具体性も、「日本人」という排他的な主体も主語に据えず、地理と歴史を内包した「場所(列島)」そのものを主語としたからである。この抽象性こそが、階層や世代を超え、この地に生きる人々の「見捨てられたくない」という直感的な生存本能を吸い上げる容器となった。

2.「意味供給装置」としての保守政治と支持層の変容

今回の政治現象を支えたのは、従来の地縁・血縁に基づいた自民党支持層ではない。20代から50代を中心とする都市型・ネット型の保守層であり、彼らは経済的合理性よりも「意味の地図」を求めている。

日本経済新聞と違い、彼らにとって円安やインフレといったマクロ経済の歪みは、もはや失政の証拠ではない。それらは外敵や既存秩序と「戦っている証拠」として再解釈される。ここでは政治は政策の実行装置ではなく、世界を解釈するための「意味供給装置」へと変質している。党首討論からの仮病による逃走さえも、アテンションとして消費される始末だ。

高市政治が果たしたのは、怒りの動員ではなく言語化されない不安の収容であった。不安に名前を与え、敵と味方の輪郭を鮮明にし、「自分たちは正しい側にいる」という感覚を提供する。この物語の引力の前では、財政規律や制度的整合性といった合理主義的な議論は無力化される。

3.ポピュリズムの深層と「文明の症状」としての現状

この現象を単なる「ポピュリズム」と切り捨てるのは容易だが、その実態はより深刻である。合理主義が失敗したのは政策の誤り以上に、人々が抱える「世界が壊れていく」という恐怖に対して意味を与えることを放棄したからに他ならない。

(koshixさん)が感じておられる「嘘まみれで暗愚な政治」という感覚や、「文明の崩壊過程を目の当たりにしているような暗澹たる思い」は、現代を正確に観測しているがゆえの帰結であろう。現在の政治状況は文明崩壊の「原因」というよりは、文明がすでに内部から空洞化し安定性を失っていることの「症状」である。

人々が粗雑で危うい物語に縋らざるを得ないほどに、現実の世界は耐えがたい場所になりつつある。このズレを直視する者ほど無力感と倦怠に襲われるのは、ある意味で知性の誠実さの証左でもある。

4. 物語の限界と、暗闇の中での抵抗

しかし、意味供給に特化した政治には致命的な弱点がある。それは「時間」に対する脆弱性だ。特に都市型・ネット型の支持層は忍耐を美徳とせず、常に更新される刺激と可視化された成果を求める。

生活の深層に物価高や公的サービスの劣化が沈殿し、物語の熱狂が冷め始めたとき、政治はさらなる物語の過激化へ向かうのか、それとも現実に即した制度設計へと回帰するのか――その分岐点に立たされることになる。

私たちがなすべきは、この「意味供給政治」の構造を冷徹に見抜き、安易な排外主義や虚偽に寄りかからずに、人間が耐えうる真実の物語を再構築することである。文明の黄昏をただ嘆くのではなく、暗闇を暗闇として認識し続けること。その地点に踏みとどまり、怪しい言説に流されぬよう自らの立ち位置を相対化し続けることこそが、この不条理な世界に対する唯一の、そしてわずかな抵抗の端緒となるはずだ。

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