芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
2026年10月25日日曜日
Wikipediaの翻訳
2026年6月27日土曜日
オットー・ハーン
2026年5月23日土曜日
LLM-Wiki
Q(koshix):LLM-Wikiとは何ですか。A(Claude):LLM-Wikiとは、Andrej Karpathy(OpenAI共同創業者、元Tesla AI責任者)が2026年4月頃に提唱した、個人知識ベース構築のための設計パターンおよびその思想的枠組みです。基本的な考え方従来のRAG(Retrieval-Augmented Generation)は「検索」に最適化されています。クエリのたびに文書を再読し、関連チャンクを取得して回答を生成する——つまり毎回ゼロから再導出する構造です。LLM-Wikiはこれとは根本的に異なります。「知識をコンパイルする」という発想です。Karpathy自身の言葉でこの哲学を一文に要約すれば、「ObsidianはIDE、LLMはプログラマー、WikiはCodebase」ということになります。三層アーキテクチャ構造は明確に分離されています。第一層はRaw Sources(不変の一次資料)— 論文、記事、メモ。LLMはここを読むが書き換えない。第二層はWiki— LLMが生成・維持するMarkdownファイル群。エンティティページ、概念ページ、相互リンク。人間が読み、LLMが書く。第三層はSchema— LLMにWikiの構造や規約を指示する設定ファイル(CLAUDE.mdやAGENTS.md)。RAGとの本質的な違い新しい文書を追加するたびに、LLMはそれをインデックスするだけでなく、内容を読んで重要情報を抽出し、既存ページを更新し、要約を改訂し、矛盾を記録し、相互リンクを強化します。知識は一度コンパイルされ、その後も更新され続ける——クエリのたびに再導出されることはありません。これがwikiを「永続的・複利的なアーティファクト」たらしめる核心です。なぜこれが機能するか人間がwikiを放棄するのは、維持コストが価値の増加より速く膨らむからです。LLMは飽きない。相互参照の更新を忘れない。一回のパスで15ファイルを更新できます。維持コストがほぼゼロであるため、wikiは生きつづけます。koshixさんが進めておられるFisica Wiki(MediaWikiベースの物理学記事の日本語化プロジェクト:後述)は、このLLM-Wikiの思想と構造的に非常に近いところにあります。ソース(英語Wikipedia記事)を不変の原典とし、翻訳・構造化されたwikiページを「コンパイル済み知識」として蓄積し、相互リンクと体系化を施す——方法論的な共鳴は大きいと思います。
2026年4月29日水曜日
Wikipedia
言語 記事数 圧縮後 展開後推定 平均日本語 約150万 4.73GB 約25GB 約17kB/記事英語 約717万 26.2GB 約131GB 約18kB/記事フランス語 約275万 7.11GB 約36GB 約13kB/記事ドイツ語 約312万 8.10GB 約41GB 約13kB/記事イタリア語 約197万 4.35GB 約22GB 約11kB/記事中国語 約153万 3.47GB 約17GB 約11kB/記事韓国語 約74万 1.35GB 約6.8GB 約9kB/記事
2025年11月10日月曜日
AIんしゅたいん
Q(koshix):(論文URLの指定)どうおもいますか。A(ChatGPT-5)(回答略)Q(koshix):どういう分野のどんな具体的な問題をいくつ考えさせたのですか。それぞれの問題についての入力データアブストラクト数はどうなりますか。A(ChatGPT-5)(回答前略)以下の11分野クラスタの数字は該当する論文数(重複有)(回答後略)Q(koshix):以上の結果をブログ記事としてまとめようと思います。対象は理工系の学部学生のレベルです。前提となる問題意識をはっきりとさせたうえで,起承転結を明確にして,この論文が何を新規に明らかにしたのかをわかるような,論理的でつながった文章で(箇条書きは控えて)示してください。結局LLMは統計的な鸚鵡ではないのだということでよいですか。A(ChatGPT-5):起:問題意識 ― 「LLMは本当に考えているのか?」生成AI、とくに大規模言語モデル(LLM)は近年、驚くべき成果を次々と示しています。数学の問題を解き、プログラムを書き、論文の草稿まで作ってしまう。それはまるで、AIが人間と同じように「考えている」かのようです。しかし、研究の世界ではこの点に大きな疑問があります。AIの成果は本当に推論の結果なのでしょうか。それとも、訓練データをもとにした「統計的な鸚鵡(おうむ)」にすぎないのでしょうか。この問いは、AGI(汎用人工知能)への道を考えるうえでも、科学研究の自動化という文脈でも、避けて通れない本質的なテーマです。承:方法 ― 「AInsteinフレームワーク」という検証装置今回紹介する論文「AInstein」(ICLR 2025, arXiv:2510.05432)は、この問いに正面から取り組んだものです。研究チームは、AIの“思考”を測るための新しいフレームワークを設計しました。ICLR 2025に投稿された1,214本の論文アブストラクトを素材にして、各アブストラクトから「解法を含まない純粋な研究課題文」を抽出します。これをAIに与え、外部知識には一切アクセスさせず、モデル自身が解法を考えるように仕向けます。さらに、提案された解法はモデル自身と別のモデルによって繰り返し批評・改善されるという“疑似ピアレビュー”を経て評価されました。対象となった課題は強化学習、Transformer設計、拡散モデル(Diffusion)、グラフニューラルネットワークなど、現代のAI研究を代表する11の分野に分類され、それぞれ数百件規模の問題が含まれています。これにより、特定の領域に偏らない、きわめて広範な検証が可能になりました。転:結果 ― 「記憶ではなく、思考の萌芽」実験の結果、最も性能の高いモデル(GPT-OSS-120B)は、全課題に対して約7割の成功率で技術的に成立した解法を提案しました。特筆すべきは、「人間とまったく同じ解法を再発見する率」は15〜20%にとどまる一方で、「人間とは違うが有効な別解」を出したケースが6割を超えたという点です。これは、モデルが単に既知の知識を再生しているだけではなく、問題に対して構造的に新しい方針を立てる力を持ち始めていることを示します。しかもこの傾向は、論文の難易度(Oral/Posterの別)にあまり左右されず、内部の推論能力に強く依存していました。また、モデルが生み出した解法群は、Transformer構造の最適化や拡散モデルのステップ制御、グラフ表現のスケーラビリティ改善など、現代の研究潮流を反映する11のクラスタに自然に分類されました。これは、モデル内部にある種の「研究パラダイム的な構造」が形成されていることを示唆します。結:結論 ― 「統計的な鸚鵡」を超えた段階へこの研究が明らかにしたのは、「LLMは単なる統計的記憶再生マシンではない」ということです。もちろん、まだ人間の科学者のような深い創造性を持っているわけではありません。しかし、問題を構造的に捉え、有効な別解を提示する力を持ち始めていることは確かです。科学の歴史において、発見の多くは「既存の知識の組み合わせ」から生まれました。LLMが示しているのは、まさにその「組み合わせと再構成」の初期段階といえます。したがって、LLMはもはや単なる鸚鵡ではなく、「まだ未熟だが、科学的な思考の萌芽を備えた道具」として位置づけるべき段階に来ています。このことは、AIが科学研究の補助を超え、自律的な研究者として振る舞い始める未来を現実味のあるものにしています。今後は、AIと人間が「知の共創者」として研究の場に並び立つ時代が訪れるかもしれません。
Q(koshix):「これをAIに与え、外部知識には一切アクセスさせず、モデル自身が解法を考えるように仕向けます。」とありますが,一般的なコンピュータサイエンスの専門知識はどうなのですか。A(ChatGPT-5):この実験では、外部のWeb検索や文献データベースといった「外部知識ソース」にはアクセスしない設計になっていますが、モデルの内部に既に組み込まれている一般的なコンピュータサイエンスの知識は利用しています。つまり、「外部記憶」は遮断しても、事前学習で獲得された知識はそのまま活かされている、というのがこの研究の基本的な前提です。(後略)
2024年10月1日火曜日
無知の知
Q(koshix):無知の知と不知の自覚はどう違いますか。A(ChatGPT-4o):「無知の知」と「不知の自覚」は、どちらも自分の知識の限界を認識する概念ですが、哲学的な文脈やニュアンスに違いがあります。1.無知の知(Socratic Ignorance)これは、ソクラテスが提唱した概念で、自分が「何も知らない」ことを知っているという意味です。具体的には、人が自分の無知を認識し、謙虚に学び続ける態度を持つことが重要であるという哲学的な姿勢です。ソクラテスは、知っていると思い込んでいる人々が実際には何も知らないことを示し、自分自身も知識の限界を認識しているがゆえに、むしろ賢明であると考えました。無知の知は、自己反省と批判的思考を通じて、さらに深い理解を追求するための出発点とされます。2.不知の自覚一方、「不知の自覚」は、もっと一般的に自分が知らないことを意識することです。これは哲学的な議論の場に限らず、日常的な文脈でも使われることがあり、自分がある分野や問題について十分な知識を持っていないことを自覚する行為です。この場合、特にソクラテス的な知的探求の姿勢が伴う必要はなく、単に自分がその問題について知らないことを理解している状態を指します。3.主な違い無知の知は、自分の無知を認識しながらも、それがさらなる知識の追求に向けた積極的な姿勢を生む点で特徴的です。つまり、無知であることを知ることで、より賢明であるとされます。不知の自覚は、単に自分が知らないことを理解する行為であり、必ずしも知識探求への動機づけや哲学的な反省を含むものではありません。まとめると、「無知の知」は、自己の無知を認識することで知的探求を続ける哲学的な態度を示し、「不知の自覚」は、ある事柄について知らないことを単に認識するという点で、より日常的な概念です。A(Gemini 1.5Pro):「無知の知」と「不知の自覚」は、どちらもソクラテスの哲学に関連する言葉であり、一見似ているように思えますが、微妙なニュアンスの違いがあります。無知の知意味:自分が知らないことを知っている、つまり、自分の無知を自覚している状態。解釈:・何かを知らないことを自覚することで、より深く学び、成長しようとする姿勢を表します。・古代ギリシャでは、神託によってソクラテスが「最も賢いのは、自分の無知を自覚している者である」と告げられたことから、この言葉が有名になりました。・ただし、現代では「無知の知」という言葉が、自分の無知を過度に意識し、自己肯定感を下げてしまうようなネガティブな意味で使われることもあります。不知の自覚意味:自分が知らないことを自覚している、つまり、無知であることを認識している状態。解釈:・「無知の知」とほぼ同じ意味ですが、「不知の自覚」の方がより客観的で、自分の無知を率直に認めるニュアンスが強いです。・ソクラテスの哲学においては、この「不知の自覚」が、真の知への第一歩であるとされています。・他者の意見に耳を傾け、対話を通して新たな知識を吸収していく姿勢を表します。違い・ニュアンス:「無知の知」は、自分の無知を自覚することで生まれる知的探求心や謙虚さを強調するのに対し、「不知の自覚」は、より客観的に自分の無知を認識し、そこから学びを深めていく姿勢を強調します。・現代における解釈:「無知の知」は、現代ではポジティブな意味だけでなく、ネガティブな意味でも使われることがある一方で、「不知の自覚」は、より客観的で中立的な意味で使われることが多いです。まとめどちらも「自分が知らないことを知っている」という共通点がありますが、「無知の知」は、より主観的で、自分の無知を自覚することによる知的探求心や謙虚さを強調するのに対し、「不知の自覚」は、より客観的で、自分の無知を率直に認め、そこから学びを深めていく姿勢を強調します。どちらを使うべきかどちらの言葉を使うかは、状況や伝えたいニュアンスによって異なります。・自分の無知を自覚することの重要性を強調したい場合:「無知の知」・客観的に自分の無知を認め、そこから学びを深めていく姿勢を強調したい場合:「不知の自覚」補足・「無知の知」という言葉は、翻訳の問題もあり、正確には「不知の自覚」と訳されるべきだという意見もあります。・どちらの言葉を使うにしても、重要なのは、自分の無知を恐れず、積極的に学び続けていく姿勢を持つことです。ご自身の考えと照らし合わせ、より深く理解してみてください。A(Claude 3.5 Sonnet):「無知の知」と「不知の自覚」は、似ているようで微妙に異なる概念です。1.無知の知・古代ギリシャの哲学者ソクラテスに由来する概念です。・自分が無知であることを知っている状態を指します。・より深い知恵や真理の追求につながる哲学的な姿勢です。・「自分が何も知らないことを知っている」という paradoxical な認識を含みます。2.不知の自覚・より一般的で日常的な概念です。・自分が何かを知らないことに気づいている状態を指します。・特定の知識や情報の欠如を認識することです。・学習や成長の出発点となる自己認識です。3.主な違い・範囲:「無知の知」はより包括的で、人間の知識の限界に関する認識を含みます。「不知の自覚」は特定の分野や事柄についての認識です。・哲学的深さ:「無知の知」はより哲学的で、人間の知識の本質に関わります。「不知の自覚」はより実践的で、日常的な学習や成長に関連します。・起源:「無知の知」は哲学的伝統に根ざしていますが、「不知の自覚」はより一般的な概念です。両者とも、自己認識と学習への姿勢において重要な役割を果たします。この説明についてさらに詳しく知りたい点がありますか?
今日それは、私たちの頭脳の中に宿り、あるいは、注入されたり蓄積されたり消去されたりする事物のように扱われている「情報」という曖昧な概念が「知識」に等価と見なされ、人のあり方から切断されて扱われる傾向も生じている。知識は量の多寡で判断され、とりわけ個別の断片的命題の蓄積が知識と等値される。情報はデータとして蓄積される以上、知識の主体はもはや人ではなくコンピュータやICチップでも構わない。総じて、そういった情報を使いこなす術が「知」と思いなされている。[1]
ソクラテスが基本的に「知らない」とするのは、「善、美、正義」といった「大切な事柄」についてであり、「死、ハデス」についての不知の表明もそれに含まれる。他方で、日常の経験的事実認識はもとより、技術もそのまま認められ、知として尊重されている。「知」を問うことで問題となっているのは、生を成り立たせる根本概念であった。[1]
2024年9月24日火曜日
知性の物理学
Q(koshix):知性の物理学 Physics of Intelligence について教えてください。専門用語を避けずに説明して見てください。多角的な視点はOKです。A(Gemini 1.5 PRO)知性の物理学:専門用語を交えた多角的な解説「知性の物理学」とは、従来、哲学や心理学の領域であった「知性」を、物理学の厳密な枠組みで理解しようとする学際的な研究分野です。近年、人工知能の発展や脳科学の進歩を背景に、急速に注目を集めています。1.知性の物理学の目的・知性の本質の解明:知性を、単なる情報処理ではなく、物理的な現象として捉え、その本質を明らかにすることを目指します。・人工知能の限界と可能性:人工知能のさらなる発展のために、人間の知性の仕組みを解明し、それを模倣する技術開発を目指します。・脳科学との連携:脳イメージング技術などの進歩を活かし、脳内の情報処理メカニズムと知性の関係を解明します。2.知性の物理学における主要なアプローチ・神経回路網の物理モデル:脳の神経回路網を、物理学のモデルを用いて記述し、学習や記憶といった高次脳機能をシミュレーションします。・情報熱力学:情報処理とエネルギー消費の関係を、熱力学の法則に基づいて考察し、知性の効率的な実現を目指します。・量子脳理論:量子力学的な現象が、意識や創造性といった高次の認知機能に関わっている可能性を探求します。3.知性の物理学が扱う概念・複雑系:脳は、多数の要素が複雑に相互作用する複雑系であり、そのダイナミクスを理解することは大きな課題です。・エマージェント現象:個々の要素の性質だけでは説明できない、全体として現れる新たな性質を指します。知性は、脳の複雑系からエマージェントに現れる現象と考えられます。・計算論的神経科学:脳の情報処理を、計算論的な視点から解析し、神経回路網の機能をモデル化します。4.知性の物理学が抱える課題・意識の問題:意識の起源や本質は、哲学、神経科学、物理学など、様々な分野で議論されている難問です。・測定の問題:脳の活動を直接観測することは困難であり、間接的な方法を用いる必要があります。・モデルの複雑性:脳の機能を完全に再現できるようなモデルを構築することは、非常に困難です。5.知性の物理学の将来展望・汎用人工知能の実現:人間の知能に匹敵する、あるいはそれを超える人工知能の開発が期待されます。・脳疾患の治療:脳のメカニズムの解明は、アルツハイマー病や統合失調症などの脳疾患の治療法開発につながる可能性があります。・人間理解の深化:知性の物理学は、人間がどのように思考し、学習し、創造性を発揮するのかをより深く理解するための新たな視点を提供します。6.より専門的な用語・相転移:物質の状態が、ある特定の条件下で急激に変化する現象。脳の学習過程における相転移が注目されています。・自由エネルギー原理:脳が、外界の情報と内部モデルとの間の不一致を最小化するように機能するという仮説。・結合係数:神経回路網において、ニューロン間の接続の強さを表すパラメータ。学習によって変化します。知性の物理学は、物理学、脳科学、コンピュータサイエンスなど、多岐にわたる分野の研究者が集結し、共同で研究を進めている最先端の学問分野です。この分野の研究は、人間の知性の謎を解き明かすだけでなく、人類の未来を大きく変える可能性を秘めています。
2024年1月18日木曜日
コンストラクタ理論
コンストラクター理論とは、物理学における基本法則を定式化する新しいアプローチである。世界を軌道、初期条件、力学的法則で記述する代わりに、構成理論では、どのような物理的変換が可能で、どのような変換が不可能か、そしてその理由についての法則を記述する。この強力な転換は、現在は本質的に近似的とみなされているあらゆる興味深い分野を基礎物理学に取り込む可能性を秘めている。例えば、情報、知識、熱力学、生命の理論などである。
量子計算理論の創始者の一人であるデイヴィッド・ドイッチュ(1953-)が2012年に提案し,キアラ・マレットとともにオックスフォード大学で展開している理論である。
[1]Constructor Theory (D. Deutsch, 2012)[2]Constructor Theory of Information (D. Deutsch, C. Marletto, 2014)
2023年1月22日日曜日
対話と検索の狭間
2022年12月11日日曜日
対話の時代
2022年5月27日金曜日
三角関数(4)
三角関数(3)からの続き
東京大学の浜口幸一さんが2022年の夏学期に担当している「基礎方程式とその意味を考える」の中間試験問題が公開されている。
あなたが長い眠りから目を覚ますと、そこは 20xx 年の某国。そこでは、「三角関数は不要だ」と考える権力者によって全ての教科書から三角関数の記述が消されてしまっていた。これは大変だ。しかし幸いなことに、指数関数や複素数に関する記述は残っていた。そこであなたは「基礎方程式とその意味を考える」の講義で出てきた複素指数関数を用いて三角関数を定義し、そこから三角関数の性質を導くことにした*1 。
という設定で,三角関数の加法定理や周期性を導くものとなっている。 その参考文献として,立川裕二さんの2012年の物理数学IIの問題の以下の設定と,
問題:あなたは物理数学のテストの日になって目が覚めてみると空間が 1 次元増えて 4 次元になっていることを発見した!これでは三次元空間における球面調和関数だけでは物理を理解することはできない、四次元における球面調和関数を決定しないといけない。しかし物理数学 II の講義で習った内容は四次元の球面調和関数を決定するのに十分だ。そこで、以下の順序にしたがって、四 次元の球面調和関数について考えよう。
もうひとつ,グレブナー基底大好き bot さんのカクヨム小説「三角関数禁止法」があげられていた。三角関数禁止の世界が洒落にならないのがこわい。まあこの国では,禁止しなくてもみんな忖度で自分から身を捧げるので,だまっていてもどのマスコミも敵性語の三角関数を使わなくなるのかもしれない。キエフも敵性語ということでしたから。
2022年5月26日木曜日
三角関数(3)
三角関数(2)からの続き
三角関数の話題から,学習指導要領について調べていると,次の記事が目に入った。
最新の「学習指導要領」が,「絵に描いたモチ」になってしまっている以外な理由(現代ビジネス,2022/5/20 8:02 Yahoo! Japan News)。元文部官僚の前川喜平と法政大学教授の児美川孝一郎が,最近の教育政策について語り合った『日本の教育、どうしてこうなった?』(大月書店 2022)からの抜粋らしい。
平成30年3月告示(2018年)の現行学習指導要領が,教育内容ではなく「育てたい資質・能力」ベースで編成され,「社会に開かれた教育課程」や「学びの地図」といった目標設定がなされ,「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)や「カリキュラム・マネジメント」の導入など,話題が満載な改訂である理由について尋ねられて次のように述べている。
児美川:すべての教科・科目にそれぞれの「見方・考え方」が書き込まれ,かつ各教科・科目の内容もすべて「資質・能力」の3つの柱に沿って記述された。いわば、各教科・科目が縦軸、見方・考え方と3つの資質・能力が横軸となったマトリクス上にすべてが配置されました。芸術系の科目だろうが、体育だろうが例外はありません。その限りでは、形式的な論理性は究極まで貫かれています。ちょっと気持ち悪いくらいです(笑)。
前川:いかにもきれいに整理されているように見えるんだけど、そんなふうに整理しきれるものじゃないと思うんですけどね。書き込みすぎ,考え込みすぎ。要するに,やりすぎ。
仕事柄,学習指導要領は,過去からの時系列を比較しながら読むことが多かったが,現行指導要領の印象はまさにその通りなのである。最初に見たときに自分の感じた違和感は,ルーブリック評価のテーブルをみるときの気持ち悪さと一緒であり,無理矢理に拵えられて過剰に書き込まれた論理的整合性なのだ。
前回の平成20年告示(2008年)の学習指導要領は,平成10年告示(1998年)版が,ゆとり教育路線による過剰な精選によって大きな批判を浴びたのをうけて,内容充実に柁を切ったものだった。それが,平成30年告示(2018年)では,教育方法にまで手を突っ込んで,箸の上げ下ろしのような細部まで拘束しかねない学習指導要領を追求している。
前川:まあ、両方とも合田君がやったからいけないんですよ(笑)。2008年・09年の改訂のときに合田君は,初等・中等教育局の教育課程課の教育課程企画室長だった。改訂の事務方の中心的な役割を担っていたんです。
今回の改訂も合田色が強い。合田君が教育課程課長になったので。私が初等中等教育局長だったのが2013年~14年でしたが、合田君を課長にするつもりはなかったです。合田君がやったものを見なおすことのできる人間がやらないとダメだと思っていましたから。
ところが私の後任になった小松親次郎君は,合田君がいいと思ったんでしょうね。合田君は合田君で,前回やり残したことがあったんですね。こういう文科省で誰が担当しているかということは,けっこう影響するんですよ。
前川:戦前の陸軍の関東軍は暴走しちゃったわけじゃないですか。ああいう強硬な中堅将校がいると,全体が引きずられちゃうことがあるわけですね。合田君はOECDの考え方の影響を強く受けているし,経済産業省が教育に乗り込んでくる動きにも乗っかっちゃったわけですね。
合田哲雄,現在は内閣府の科学技術・イノベーション推進事務局審議官である。2012-2015年の前後,自分が文部科学省によく通っていた時期には,この合田哲雄や小松親次郎の顔も拝んでいる。合田哲雄の評判は,当時の長尾学長らも口にしていたが,よくできるということだった(注)。
やり過ぎ感満載の学習指導要領を貫く精神は,大学教育にも大きな影を落としている。その結果,教育内容ではなく,アクティブラーニングをはじめとする教育方法と,抽象的な資質能力観が構成する3ポリシーでがんじがらめにされた,気持ち悪いカリキュラムを作るはめに陥ったのだった。まあ,文科省路線に迎合しようと努力していた自分も悪いのだが。
経営的にも組織的にも精神的にも自立できない日本の国立大学が共通に辿っている道だ。
[1]OECDの考え方:OECD Future of Education & Skills 2030
(注)「文部科学省には,大合田と小合田の二人がいてなんとか・・・」ということだったが,もうひとりの合田とは,もと高等教育局大学課長,生涯学習政策局長の合田隆文のようだ。
2022年5月25日水曜日
三角関数(2)
三角関数(1)からの続き
前回の復習:金融教育を推奨している藤巻は,三角関数は高校で全員が学ぶ必要がなく,大学に入ってから学べば十分である個別的な専門知識だと主張している。しかし,そもそもの文部科学省の答弁で,三角関数は必履修科目の範囲にはなく(全員が学んでいない),金融教育が必履修科目「公共」の範囲だった(全員が学ぶことになっている)。
公共B 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち(ウ)職業選択,雇用と労働問題,財政及び租税の役割,少子高齢社会における社会保障の充実・安定化,市場経済の機能と限界,金融の働き,経済のグローバル化と相互依存関係の深まり(国際 社会における貧困や格差の問題を含む。)などに関わる現実社会の事柄や課題を基に,公正かつ自由な経済活動を行うことを通して資源の効率的な配分が図られること,市場経済システムを機能させたり国民福祉の向上に寄与したりする役割を政府などが担っていること及びより活発な経済活動と個人の尊重を共に成り立たせることが必要であることについて理解すること。【解説編】金融の働きについては,現代の経済社会における金融の意義や役割を理解できるようにするとともに,金融市場の仕組みと金利の働き,銀行,証券会社,保険会社など 各種金融機関の役割,中央銀行の役割や金融政策の目的と手段について理解できるようにする。なお,「金融とは経済主体間の資金の融通であることの理解を基に,金融を通した経済活動の活性化についても触れること」(内容の取扱い)が必要であり,金融は,家計や企業からの資金を様々な経済主体に投資することで資本を増加させ,生産性を高め,社会を豊かに発展させる役割を担っていることを理解できるようにする。また,近年の金融制度改革の動向や金融政策の変化などを理解できるようにするとともに,フィンテックと呼ばれる IoT,ビッグデータ,人工知能といった技術を使った革新的な金融サービスを提供する動き,クレジットカードや電子マネーなどの利用によるキャッシュレス社会の進行,仮想通貨など多様な支払・決済手段の普及,様々な金融商品を活用した資産運用にともなうリスクとリターンなどについて,身近で具体的な事例を通して理解できるようにすることも大切である。
家庭総合C 持続可能な消費生活・環境(1)生活における経済の計画ア(イ)生涯を見通した生活における経済の管理や計画,リスク管理の考え方について理解 を深め,情報の収集・整理が適切にできること。【解説編】生涯を見通した生活における経済の管理や計画,リスク管理の考え方については,人生を通して必要となる費用はライフステージごとに異なることについて理解して生涯収支に関心をもつようにするとともに,将来の予測が困難な時代におけるリスク管理の考え方について理解できるようにする。また,生涯を見通した経済計画を立てるには,教育資金,住宅取得,老後の備えの他にも,事故や病気,失業などのリスクへの対応策も必要であることについて理解し,預貯金,民間保険,株式,債券,投資信託等の基本的な金融商品の特徴(メリット,デメリット),資産形成の視点にも触れながら,生涯を見通した経済計画の重要性について理解できるようにする。
結局,藤巻の主張する金融教育というのは,金融リテラシーに相当するものを意味しており,それはすでに日本政府が率先して旗振りをしているのであった。
P. S. 「公共」の学習指導要領をこの度はじめて読んでみたが,その書きっぷりが他の教科とあまりに違いすぎて気になった。もう少し表現を吟味・整理して書くことができなかったのだろうか。
2022年3月21日月曜日
知の対価のデフレ
東北大学の堀田昌寛さんがTwitterで「知の対価のデフレ」について発言したことが波紋を広げている。
インターネット上に無償の(物理や数学などの)専門知識コンテンツが溢れていることによって知の対価がデフレになっているとして,無償で学術コンテンツを公開している研究者やアマチュアに対して苦言を呈している。その趣旨は2つある。
(1)知識はタダで手に入るものという誤った考えが浸透することになり,知識生産(科学研究とその成果の解説や普及)やそれに携わる人たちの努力が報われなくなってしまう。これは,最終的に知的生産活動を毀損する方向に働くだろう。現に,専門書の市場がかなり縮小してしまい,売れなくなったとのことだ。
(2)人気のある無償コンテンツによって,量子力学の解問題などで典型的にみられる間違った知識が広がってしまう。なお,堀田さん自身のコペンハーゲン解釈の理解と解釈は正しいと主張している。無償コンテンツの流通が情報の質を低下させることに問題がある。
まあ,著作権法の精神がかなりビジネスサイドに歪められている状況で,著作権管理団体が主張している方向性に親和性のある発言である。彼自身が,投げ銭システムを使おうが,有償コミュニティを作ろうがそれはよろしいのだけれど,問題はこれまで無償で良質なコンテンツを公開してきた人に批判の矢を向けていることだ。実際,批難された人たちが様々なリアクションをしている。
堀田さんの量子力学の新しいタイプの教科書「入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として」は,Twitterでの宣伝も功を奏してとても評判になったし,自分も購入している。それ以前の「量子情報と時空の物理」も買っており,量子力学の認識論的解釈という言葉に目を開かれる思いだった。
インターネットの黎明期から始まった知識情報やソフトウェア・データの民主化と公開化の流れや精神に自分は基本的に賛成であり,それらに非常に大きな恩恵を受けている。また,その結果として新しいビジネスモデルが展開されて,お金が動き始めることには全く問題はないと思う。しかし,原点である情報のオープン化に障害となるような発言を繰り返されるのは,影響力の大きな人だけに気になってしまう。なんだかなあ。
P. S. 1 Twitterでの堀田さんの発言はずっとウォッチしてきているが,微妙に道徳・宗教的なところや,変な理由で谷村省吾さんがサイエンス社のサイトで補足情報を出したことに噛み付いたりと,あまり良い印象のない部分がある。
P. S. 2 arxivやWikipediaやWeb Archiveにもお世話になっていて,わずかながら寄附したことはあるので,全くただノリをしているつもりはない。また,YouTubeには収益化機構があるので,これもOKだろう。
P. S. 3 堀田さん自身もお世話になっているはずの,オープンソースソフトウェアについて,彼はどう考えているのだろう。
2021年7月2日金曜日
失敗知識データベース
畑村洋太郎さん(1940-)は,失敗学を提起し2002年には特定非営利活動法人の失敗学会を設立している。また,個人では,畑村創造工学研究所の名前でも活動している。
これに関連して,失敗学会には失敗知識データベースのページがある。明治時代から2008年までの様々な分野での失敗事例が,事例詳細,経過,原因,対処,知識化,背景などにわたって丁寧に記録分析されていて,たいへん有益である。その後の更新が止まっているのが残念だ。
福島原発事故が含まれておらず,医療・健康分野がその他にごくわずかな例しか取り上げられていないことも惜しい。せっかくだから,教育やその他の行政分野にわたっても失敗知識を蓄積してほしいところ。2chあがりのネトウヨ担当大臣がデジタル庁にうつつを抜かすくらいならば,失敗庁をつくるほうが日本の将来にとってよほど有益だろう。
2020年6月30日火曜日
「役に立たない科学」が役に立つ
2020年3月13日金曜日
小学館版学習漫画少年少女日本の歴史
さっそく読み始めました。いやーおもしろくてためになる。高校のときは理数科で世界史と日本史は片方のみが選択だった。それならば世界史でしょうということで,受験に不利かもしれない世界史を選択したため,日本史は小学校の知識でとどまっている。中学校社会の歴史は,途中で交代もあったかもしれないなんだかもうひとつの先生で(地理の米山先生は若くて授業に集中できたのに),試験の成績も全く振るわなかったのだ。
小学校で歴史を学ぶのは6年生である。5年生が地理。その泉野小学校6年の担任の前多光子先生が,4月の社会の授業の最初に1時間かけて何のために歴史を学ぶのかということをひたすら子どもたちに問い続けた。みんなで考え続ける時間がとても長かった。で,結論は「温故知新(ふるきをたずねてあたらしきをしる)」ということだった。学校生活で数少ない印象的だった授業の一つである。
さて,学習漫画のほうに話を戻す。
わかったことは,日本の政治は悪者が担ってきたということだ。どおりで最近の政権支持率が40%で高止まりしているわけだ。子どものときからみんながこの37年に渡るベストセラーの学習漫画で育っている。そんなわけで,今の50歳以下の世代は我々と違って政治の本質を見抜いてしまっており,なおかつこれが歴史というものだとあきらめて(達観して)いるのかもしれない。その土壌の上に新自由主義が猖獗するのもしょうがない。
2019年8月28日水曜日
ニューヨーク公共図書館
さて,タイトルは「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(Ex Libris: The NewYork Public Library)」で,フレデリック・ワイズマン監督の2017年米国ドキュメンタリー映画(205分)である。3時間を越えるドキュメンタリーってどんなものかと思ったが,妻の予想だったシックでクラシックな建物を中心とした紹介などではまったくなかった。
ニューヨーク公共図書館(NYPL NewYork Public Library 1895-)は,国,州,市などの行政が設置した図書館ではなく,カーネギーの寄付などをもとにした私立(だがパブリック)の図書館であり,ニューヨーク市からの公的資金と民間からの寄付によって運営される。マンハッタン,ブロンクス,スタテンアイランドに92の分館を設置し,5300万冊の図書・資料を所蔵し,年間350万人が利用している。クイーンズとブルックリンには運営が別組織である公共図書館がそれぞれにある。
映画は,レファレンスサービスでの電話のやりとりから始まったが,1つのエピソードが長い。しかもほとんどが言葉や対話の積み重ねだ。図書館のプログラムで社会的な問題についての話をする講師や,芸術的な対話の数々。黒人文化に関するショーンバーグ研究図書館も大きなテーマとして,黒人差別の問題と関って取り上げられていた。また,NYPLの運営にかかわる委員会での議論がたびたび登場する。全編の3割以上を占めていたのではないか。予算獲得の問題。インターネットアクセスの問題。図書館の教育機能にかかわる問題。ホームレスへの対応の問題。などなど,多様な問題についての議論の様子が克明に記録されている。日本のオリンピック委員会も見習ってほしい。
予想とは異なっていたが,とても楽しく3時間半を過ごすことができた。さまざまな病巣をかかえる国であるにしろ,民主主義の基本となる言葉がしっかりと生きている場所がある安心感。翻って,日本の政治家やマスコミやTV知識人の細切れで歴史を無視した表層的な議論の数々を対比させたとき,なんともいえない虚脱感に襲われる。
あるいは,大阪では,児童図書館や公共的な文化施設が破壊されただけでなく,公共交通,病院,公園,大学が次々とターゲットとなり,公共から営利への流れができている。そして,それを推進する政治勢力がマスコミによって擁護され,さらに多くの市民・住民の支持を得ていくという,公共性の喪失の危機が進行している。
この映画は,民主主義の本質を支える言葉(Speech)の映画だった。
2019年7月7日日曜日
記述式問題の問題
要約
○グローバル化とイノベーションに対応する人材の質が重要であり教育がその要
○大学入学者選抜が教育の在り方を大きく左右する。知識偏重の一点刻み試験や,学力不問のAO入試はだめ。高校教育+大学教育+入学者選抜の一体的改革が必要
○高校教育:生徒の多様性を踏まえた特色化+主体的に学び社会に貢献する能力
○大学教育:厳格な卒業認定及び教育内容・方法の可視化+人材育成機能を強化
○入学者選抜:能力・意欲・適性を多面的・総合的に評価・判定するものに転換
大学入試センター試験の改革は,当初,複数回実施の達成度テストという話のはずだった。しかし,現実と折り合わせた結果は,大学入試共通テスト(記述問題+英語民間試験)というところに落ち着いてしまった。面接や活動の重視と生徒の多様性を踏まえた高等学校の特色化という主張から見えるのは,色濃く漂う社会階層の分離政策である。なんだかなあ。
記述式テストは個別学力検査において,これまでも十分実施されてきた。一方,アルバイトを含む1万人の採点者が標準化された採点基準で公平な(提言元は,一点刻みを否定しており,公平性や公正性なんかクソ食らえと思っているかもしれないが)試験をするためには,マークシート並のレベルの問題に落とし込まなければならないだろう。今のセンター試験は十分工夫されていて,単純な知識偏重問題ではない。なんだかなあ・・・orz
ミクロにみるとこの大学入試改革で得をするのは,教育関連産業とそのロビーであり,御用学者であり,システム開発企業であり,それらに力を及ぼすことができる政治家だろう。また損をするのは,振り回される側の受験生・家族や,高校・大学教員ということになる。それはそれとして,この結果,当初のもくろみのように,高校や大学の教育が改善されて,質の高い人材が本当に育成されることになるのかどうかだ。この国の文部科学省や財務省はエビデンス・エビデンスと口を酸っぱくして畳みかけてくるが,彼ら自身が,政策の効果を測定した結果を公開し,それによって政策担当者を評価しているという話はあまり聞いたことがない。
2019年6月25日火曜日
知識の定義
例えば,精選日本国語大辞典には,
「(英 knowledge ドイツ Wissen の訳語)哲学で,認識活動によって得られ,客観的に確証された成果。広義には,諸事物について経験によって得られた断片的な事実認識もすべて含むが,狭義には,これらの事実認識を統一的に組織付け,普遍的な妥当性を要求できるように整えられた命題の体系」
とある。なかなかいいですね。
なるべく簡潔に表現したくて,次のように考えたところで挫折した。
知識の定義知識の中で知識が再帰定義されている。いずれにせよ,いまひとつなのだ。知識工学という分野もあるので,その方面で何かヒントがないか探してみるのだが,簡単には見つからない。やはり,科学哲学や認識論でどう扱われているかを勉強すべきなのか・・・続く。
対象や事象に関して認識された情報から抽出されたもので,他の知識との関係の中に位置づけて理解や伝達を可能にしたもの
[1]哲学概論−知識について(西脇与作)
[2]知識の哲学(戸田山和久)−コメント(伊勢田哲治)
[3]「知識」についての考え方のイメージ(たたき台)(文部科学省)・・・orz
[4]「思考力の分類学」と「知識」(反転授業研究会)





