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2026年10月25日日曜日

Wikipediaの翻訳


図:星空の書斎と孤霊の知恵(ChatGPTによる)


物理学者(1)・物理学者(2)からの続き

AI環境支援によるプログラミング開発の件である。Koshix Timelineが一段落して,HanjaLensの作業もスローダウンした。KahadehonNewsはまだ緒についていないので,Fisica_Wiki の整備を再開した。

いまのところ,ガリレオ・ガリレイ(伊),アイザック・ニュートン(英),オットー・ハーン(独),ジャン・ペラン(仏),アルフレッド・ランデ(独+英)が訳出済みで,湯川秀樹(日),朝永振一郎(日),南部陽一郎(日)が移植済みだ。

それ以外に,日本語版をそのまま仮に埋め込んだのが,アルバート・アインシュタイン,アーネスト・ラザフォード,エルヴィン・シュレーディンガー,エンリコ・フェルミ,ジェームズ・クラーク・マクスウェル,チャンドラセカール・ラマン,ニールス・ボーア,ハンス・ベーテ,ポール・ディラック,マイケル・ファラデー,マックス・プランク,マックス・ボルン,マリー・キュリー,リチャード・ファインマン,ルートヴィッヒ・ボルツマン,レオ・シラード,ロバート・オッペンハイマー,ヴェルナー・ハイゼンベルク,ヴォルフガング・パウリ(参考:https://nucleus.sakura.ne.jp/wiki/index.php/特別:ページ一覧)

アルフレッド・ランデは本家の日本語版Wikipediaにはないので,翻訳版を新設しようとしたところ,ChatGPTに注意された。確かめてみると,Wikipedia:翻訳のガイドラインは思いのほか面倒なことになっていた。「機械翻訳を過度に使用した記事は削除されるべきである」なのだと。さらに輪をかけて,「Wikipedia:大規模言語モデルの利用」では,「LLM等による生成が強く疑われる記事は、特段の事情が認められない限り、削除の対象となります」ときた。

ヤル気をそがれることこのうえない。そこで,Claudeに意見書(wikitext形式)を作ってもらった。

Q(koshix):
たいへん複雑なので以下のガイドラインのポイントを整理してください。LLMチャットを使って日本語に欠落している記事の整備作業したいのですが,上記ガイドラインは古い機械翻訳が前提のようでとても窮屈に感じます。なにかうまい方法はないですか。

出力をそのまま、あるいは軽微な修正だけで投稿することは「絶対に」禁止とされています。ここが不自由なのですね。いまどきのLLMだと下手に人間が訳出するよりよほど周辺情報もチェックしてくれるので,精度が高くなっているはずです。機械的翻訳であふれてしまう危惧はわかりますけど,日本語版Wikipedia全体の質や量がみすぼらしいので,困っています。

A(Claude):
ルール側の事情
(1) 検証コストの非対称性
LLMの出力が平均的に人間の訳より正確でも、誤りの所在が分からないことが問題である。ガイドラインが引く研究も、流暢な機械翻訳ほど誤訳の見落としが増えると示している。日本語版は編集者が少なく、大量投稿を検証する人手がない。そのためコミュニティは、平均の質より最悪ケースの流入防止を優先している。
(2) 「周辺情報のチェック」は諸刃の剣
LLMが文脈を補って訳を良くする能力は、出典にない情報を紛れ込ませる能力と表裏一体である。翻訳部分は原文と突き合わせれば済むが、補われた情報は一つずつ裏取りが要る。人間の確認作業は結局減らない。
(3) ライセンスの不確定性
品質とは別の法的論点である。LLM出力のライセンス適合性が未整理だという問題は、技術の進歩では解消しない。

それでも打てる手
(1) ルールの実質要件を満たす
削除基準はガイドラインではなく削除の方針(G-3、ケースH)にあり、判断対象は「過度な使用」や「生成が強く疑われる」ことである。LLMを読解・訳案・照合に全面活用しても、最終文を自らの判断で書き直し、出典を確認していれば、それは自分の翻訳である。よい訳案を土台に推敲すれば、ゼロから訳すより速く質も高い。禁止されているのは流し込みであって、道具として使い倒すことではない。
(2) ルール自体の改正を提案する
これが本筋だろう。英語版は2026年3月、翻訳者が正確性を確認できることを条件に、LLM翻訳を例外として認めた。日本語版でも、「原語を読める翻訳者が全文を原文・出典と照合したと要約欄で宣言すれば、LLM訳文をベースとしてよい」といった条件付き解禁を、井戸端やガイドラインのノートで提案する余地がある。日本語版の質と量への危機感は、他の編集者も共有しているはずである。
(3) 実績で示す
提案に説得力を持たせるには、上の条件で作った高品質な翻訳記事を、LLM利用を開示したうえで積み上げるのが有効である。検証済みならこの水準になるという実例があれば、議論は抽象論で終わらない。


ブログで先に論点を公開し、反応を見てから井戸端に出すという順序もありうる。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
== 翻訳における大規模言語モデル(LLM)訳文の条件付き利用について(提案) ==
いつもお世話になっております。[[Wikipedia:翻訳のガイドライン#機械翻訳|WP:MACHINE]]の運用について、条件付きの見直しを提案したく、ご意見を伺えれば幸いです。

=== 背景 ===
* 現行の翻訳のガイドラインは、機械翻訳の出力をそのまま、または軽微な修正のみで投稿することを禁じ、機械翻訳は「参考程度」にとどめるよう求めています。この方針は、2022年の[[Wikipedia:削除の方針#G-3|削除の方針ケースG-3]]の新設と、コンテンツ翻訳における機械翻訳の廃止を経て確立したもので、低品質な翻訳記事の大量流入を防ぐうえで大きな役割を果たしてきたと考えます。
* 一方、現在の大規模言語モデルによる翻訳は、当時想定されていたニューラル機械翻訳と比べ、文脈理解・訳語選択・文体の点で大きく性質が異なります。原語を読める翻訳者が十分に照合すれば、人手のみの翻訳と同等以上の品質を、より短時間で得られる場面が増えています。
* 英語版では2026年3月に、LLMによる記事内容の生成・書き換えを原則禁止とする一方、他言語版からの翻訳については、翻訳者が正確性を確認できる能力を持つことなどを条件に、LLMの利用を例外として認めるガイドラインが合意されました([[:en:Wikipedia:Writing articles with large language models]])。
* 日本語版には、多数の言語版に存在しながら日本語版に欠けている重要項目が依然として多くあります。検証可能性を損なわずに翻訳の担い手と速度を増やす手段として、条件付き解禁を検討する価値があると考えます。

=== 提案内容 ===
次の条件をすべて満たす場合に限り、LLMの訳文を翻訳のベースとして用いることを認める。

# '''翻訳者の能力''':翻訳者は翻訳元の言語を読解でき、訳文の正確性を自ら判断できること。
# '''全文照合''':投稿前に訳文の全文を原文と照合し、誤訳・訳抜け・原文にない付け足しがないことを確認すること。
# '''出典の確認''':翻訳元で脚注の付いた記述について、少なくとも主要な主張については出典が実在し、記述を支持していることを確認すること。確認できない記述は訳出しない。
# '''生成の禁止''':LLMに原文にない情報・出典を追加させないこと。翻訳者自身による加筆は、翻訳とは別の編集で、出典を付けて行う。
# '''推敲''':日本語版の文体と表記の慣行([[Wikipedia:スタイルマニュアル]]等)に沿って推敲すること。
# '''開示''':要約欄に、従来の翻訳元・版指定に加えて「LLM補助翻訳・全文照合済み」の旨を記載すること。
# '''責任''':内容とライセンス適合性の確認について、翻訳者が全面的に責任を負うこと。

条件を満たさない投稿には、従来どおりケースG-3および[[Wikipedia:削除の方針#ケースH|ケースH]]を適用します。

=== 想定される懸念について ===
; 検証の負担が増えるのではないか
: 開示を義務とするため、LLM補助翻訳の追跡と重点確認がしやすくなります。現状では、開示されないまま利用されている可能性のある訳文を見分ける手段が乏しく、開示の制度化はむしろ検証を容易にすると考えます。
; 低品質な大量投稿を招くのではないか
: 全文照合と出典確認を条件とし、違反には既存の削除基準をそのまま適用します。必要であれば、試行期間中は1利用者あたりの新規作成数に目安を設けることも考えられます。
; ライセンス上の問題
: 出力の権利の扱いはサービスごとに異なるため、利用規約上の適合性確認は現行どおり翻訳者の責任とします。適合性について特定のサービスを公認する趣旨ではありません。

=== 進め方の案 ===
# 本井戸端で方向性についてご意見を伺う
# 賛同が得られれば、[[Wikipedia‐ノート:翻訳のガイドライン]]でWP:MACHINEの具体的な改定文案を議論する
# 一定期間(例:6か月)の試行運用ののち、運用状況を検証して本採用を判断する

ご意見・ご批判をいただければ幸いです。--~~~~

2026年6月27日土曜日

オットー・ハーン

MediaWiki(6)からの続き


写真:オットー・ハーン(Wikimedia Commons から引用)


MediaWikiの環境設定が終ったので,具体的な人物の登録で確かめてみる。137人の物理学者リストによれば,日本語版が他言語版に較べて最も貧弱だったのが,オットー・ハーンだった。換算文字数で日本語版の本文は他言語の2-4%しかないのだ。そこで,Wikipediaドイツ語版から翻訳する。ChatGPTに頼んでブロックごとにすすみ,丸々三日かかってようやく完了した。

残念ながら,もとのページのソースコード(Wikitext)を直接与えて,一気に翻訳するというのは現段階では無理である。Gemini でそれを試したところ,前半はまあまあだったが,指数関数的に訳文の質と量が減り,最後は適当なでっちあげてお茶を濁されてしまった。

しかも,未実装なテンプレートとか,国旗イメージとか,脚注の参照方法とか,解決すべき課題が沢山出てくる。ChatGPTは単にドイツ語を日本語に訳するだけではなくて,その用語の妥当性とか細部にわたって助言してくれるし,技術的な問題解決にも重宝した。

テンプレート:Wikipedia言語名
<includeonly>{{#invoke:Wikipedia言語名|GetWikipediaPageName|{{{1|}}}}}</includeonly><noinclude>{{Documentation}}</noinclude>

テンプレート:Wikipedia翻訳註記
<div class="translation-credit" style="font-size: 0.9em; margin: 1em 0; padding: 0.8em 1em; border-left: 4px solid #c8ccd1; background: #f8f9fa;">
本記事は、{{{lang|}}}版Wikipedia
[{{{url|}}} {{{title|}}}]
を主な翻訳元とし、ChatGPTによる翻訳支援を用いて作成・改稿した。
原記事の履歴および著作者情報は、翻訳元Wikipediaのページ履歴に記録されている。
本記事は翻訳・要約・構成調整・日本語表現の修正を含む改変版であり、CC BY-SA 4.0 のもとで公開する。
</div>

をChatGPTの助言に従って定義して,他言語へのリンクと著作権クレジットに対応した。

オットー・ハーン記事の(wikitext バイト数,本文推定文字数)は,ドイツ語版で(137.5kB,90,100字),Wikipedia日本語版で(7.9kB,2,860字*),この度のFsicica Wiki日本語版で(161.3kB,58,400字)・・・。ちょっとおかしいので,ChatGPTがwikitextから出してきた推定文字数があまり正しくないのかも知れない。(ChatGPTの推定文字数から換算した値は1640字。一方。2860字は直接カウントしたもの。それでも,その結果の5.8万字はドイツ語版の推定9万字にはちょっと足りない。)


2026年5月23日土曜日

LLM-Wiki


図:LLM-Wikiのぱっとしないイメージ(ChatGPTによる)


シンギュラリティ・サロンで,保田さんが,アンドレイ・カーパシーのLLM-Wikiの記事を紹介していた。さっそく,Claudeに話を聞いてみた。Geminiはあんまりよくわかっていなかった。ChatGPTは分かりすぎていて,自分の現在のFisica Wikiをめぐる作業に密接しながらたいへん詳しく説明してくれたので,逆に紹介しにくい。
Q(koshix):
LLM-Wikiとは何ですか。

A(Claude):
LLM-Wikiとは、Andrej Karpathy(OpenAI共同創業者、元Tesla AI責任者)が2026年4月頃に提唱した、個人知識ベース構築のための設計パターンおよびその思想的枠組みです。

基本的な考え方
従来のRAG(Retrieval-Augmented Generation)は「検索」に最適化されています。クエリのたびに文書を再読し、関連チャンクを取得して回答を生成する——つまり毎回ゼロから再導出する構造です。LLM-Wikiはこれとは根本的に異なります。「知識をコンパイルする」という発想です。 
Karpathy自身の言葉でこの哲学を一文に要約すれば、「ObsidianはIDE、LLMはプログラマー、WikiはCodebase」ということになります。

三層アーキテクチャ
構造は明確に分離されています。第一層はRaw Sources(不変の一次資料)— 論文、記事、メモ。LLMはここを読むが書き換えない。第二層はWiki— LLMが生成・維持するMarkdownファイル群。エンティティページ、概念ページ、相互リンク。人間が読み、LLMが書く。第三層はSchema— LLMにWikiの構造や規約を指示する設定ファイル(CLAUDE.mdやAGENTS.md)。 

RAGとの本質的な違い
新しい文書を追加するたびに、LLMはそれをインデックスするだけでなく、内容を読んで重要情報を抽出し、既存ページを更新し、要約を改訂し、矛盾を記録し、相互リンクを強化します。知識は一度コンパイルされ、その後も更新され続ける——クエリのたびに再導出されることはありません。これがwikiを「永続的・複利的なアーティファクト」たらしめる核心です。 

なぜこれが機能するか
人間がwikiを放棄するのは、維持コストが価値の増加より速く膨らむからです。LLMは飽きない。相互参照の更新を忘れない。一回のパスで15ファイルを更新できます。維持コストがほぼゼロであるため、wikiは生きつづけます。 

koshixさんが進めておられるFisica Wiki(MediaWikiベースの物理学記事の日本語化プロジェクト:後述)は、このLLM-Wikiの思想と構造的に非常に近いところにあります。ソース(英語Wikipedia記事)を不変の原典とし、翻訳・構造化されたwikiページを「コンパイル済み知識」として蓄積し、相互リンクと体系化を施す——方法論的な共鳴は大きいと思います。

P. S. OpenAIの共同創業者のアンドレイ・カーパシー(日経ではカルパシー)が5月19日付けで,Anthropic(アンソロピック=ダリオ・アモディとダニエラ・アモディの兄妹が共同創業者でCEOと社長)に入社したと,5月20日の日経夕刊が報じていた。

[1]karpathy-llm-wiki(GitHub)
[2]LLM-Wiki


2026年4月29日水曜日

Wikipedia


図:ウィキペディアのページ(https://www.wikipedia.org/から引用)


ウィキという不特定多数の人がウェブコンテンツを編集できるシステムは1995年からあるらしいが,自分がそれ知ったのは,たぶん2000年を越えてからだ(2005年ごろか?)。ウィキのシステムを使って,世界中のボランティアが参加して編集できるオープンで多言語のフリー百科事典であるウィキペディアがスタートしたのは2001年である。

現時点での各言語版のWikipediaで100万記事以上あるのは,19言語だ。記事数順に,1. 英語,2. セブアノ語(フィリピンの一方言),3. ドイツ語,4. フランス語,5. スウェーデン語,6. オランダ語,7. スペイン語, 8. ロシア語と続く。中国語は12位,日本語は13位,朝鮮語は23位である。総言語数は361,総記事数は6700万である。

ChatGPTに相談して,主要言語(英,独,仏,伊,中,日,韓)の記事ページに対する平均データ量を求めてもらった。記事のデータ量はWikitextというマークアップ言語の記述量で計られる(APIでも取得可)。各言語ごとにデータバックアップの統計があるので,Wikitextの圧縮後総データ量はわかる(日本語の例,jawiki-latest-pages-articles-multistream.xml.bz2 をみればよい。)。

その結果は以下のようになっていた。
言語    記事数  圧縮後 展開後推定 平均
日本語   約150万  4.73GB 約25GB  約17kB/記事
英語    約717万  26.2GB 約131GB  約18kB/記事
フランス語 約275万  7.11GB 約36GB  約13kB/記事
ドイツ語  約312万  8.10GB 約41GB  約13kB/記事
イタリア語 約197万  4.35GB 約22GB  約11kB/記事
中国語   約153万  3.47GB 約17GB  約11kB/記事
韓国語   約74万  1.35GB 約6.8GB  約9kB/記事
あれっ?自分の(物理学関係の記事をみての)印象は,日本語版は英語版よりかなり中身が薄い(1記事あたりの分量が少ない)ものが多いというもので,意外な結果だった。そこで,Geminiにその理由を聞いてみた。

1.英語は1文字1byteだか,日本語(UTF-8)は1文字3byteなので,同じファイル容量のうちのテキスト部分では,日本語の文字数は1/3になってしまう。
2.英語版は出典が多いが,1文字1byteなので,全体の容量増への影響は少ない。このため出典部分の見栄えの効果でより内容が充実して見える。
3.英語版は格差が激しい「ピラミッド型」である。数百万規模のボット製「数行だけの記事(地名・生物等)」が平均値を強烈に引き下げる。その結果,トップ層(物理学など)がどれほど巨大でも、全体平均は18kB程度に落ち着く。
一方,日本語版は中堅層が厚い「寸胴(ずんどう)型」であり,英語版ほどの「大量の超短文記事」が少なく,平均値の底上げが起きている。トップ層の記事が英語版より薄くても,裾野が広すぎないため,平均値で見ると英語版と同水準に見える。

ということであった。



2025年11月10日月曜日

AIんしゅたいん

AINSTEIN: Assessing the Feasibility of AI-Generated Approaches to Research Problems という論文が視界を横切ったので,arxivで探しだしてさっそく読んでもらった。なかなか良いワンステップだ。統計的オウム論者はますます追いつめられていく。ChatGPT-5に読みやすいブログ記事風にまとめてもらった。
Q(koshix):
(論文URLの指定)
どうおもいますか。

A(ChatGPT-5)
(回答略)

Q(koshix):
どういう分野のどんな具体的な問題をいくつ考えさせたのですか。それぞれの問題についての入力データアブストラクト数はどうなりますか。

A(ChatGPT-5)
(回答前略)以下の11分野クラスタの数字は該当する論文数(重複有)
C0 Reinforcement Learning(強化学習) 1037 非定常環境での学習、忘却防止など
C1 Transformer Architectures 1106 注意機構の拡張、効率化、MoE設計
C2 Molecular Graph Modeling 398 蛋白質・分子構造の表現学習
C3 Neural / Latent Dynamics 899 連続時間モデル、Neural ODE
C4 Large Language Models & NLP 1647 モデル自己評価、報酬学習など
C5 Adaptive Gradient Methods 936 最適化アルゴリズムの改良
C6 Multimodal Learning 911 画像・テキスト統合、動画理解
C7 Data-Centric AI 974 データ品質改善・訓練戦略
C8 3D Scene Representation 548 ポイントクラウド、3D理解
C9 Diffusion Models & Generation 775 サンプリング高速化、制御性
C10 Graph Neural Networks 424 グラフ構造の表現学習・拡張
(回答後略)

Q(koshix):
以上の結果をブログ記事としてまとめようと思います。対象は理工系の学部学生のレベルです。前提となる問題意識をはっきりとさせたうえで,起承転結を明確にして,この論文が何を新規に明らかにしたのかをわかるような,論理的でつながった文章で(箇条書きは控えて)示してください。結局LLMは統計的な鸚鵡ではないのだということでよいですか。

A(ChatGPT-5):
起:問題意識 ― 「LLMは本当に考えているのか?」
生成AI、とくに大規模言語モデル(LLM)は近年、驚くべき成果を次々と示しています。数学の問題を解き、プログラムを書き、論文の草稿まで作ってしまう。それはまるで、AIが人間と同じように「考えている」かのようです。しかし、研究の世界ではこの点に大きな疑問があります。AIの成果は本当に推論の結果なのでしょうか。それとも、訓練データをもとにした「統計的な鸚鵡(おうむ)」にすぎないのでしょうか。この問いは、AGI(汎用人工知能)への道を考えるうえでも、科学研究の自動化という文脈でも、避けて通れない本質的なテーマです。
承:方法 ― 「AInsteinフレームワーク」という検証装置
今回紹介する論文「AInstein」(ICLR 2025, arXiv:2510.05432)は、この問いに正面から取り組んだものです。研究チームは、AIの“思考”を測るための新しいフレームワークを設計しました。ICLR 2025に投稿された1,214本の論文アブストラクトを素材にして、各アブストラクトから「解法を含まない純粋な研究課題文」を抽出します。これをAIに与え、外部知識には一切アクセスさせず、モデル自身が解法を考えるように仕向けます。さらに、提案された解法はモデル自身と別のモデルによって繰り返し批評・改善されるという“疑似ピアレビュー”を経て評価されました。
対象となった課題は強化学習、Transformer設計、拡散モデル(Diffusion)、グラフニューラルネットワークなど、現代のAI研究を代表する11の分野に分類され、それぞれ数百件規模の問題が含まれています。これにより、特定の領域に偏らない、きわめて広範な検証が可能になりました。
転:結果 ― 「記憶ではなく、思考の萌芽」
実験の結果、最も性能の高いモデル(GPT-OSS-120B)は、全課題に対して約7割の成功率で技術的に成立した解法を提案しました。特筆すべきは、「人間とまったく同じ解法を再発見する率」は15〜20%にとどまる一方で、「人間とは違うが有効な別解」を出したケースが6割を超えたという点です。これは、モデルが単に既知の知識を再生しているだけではなく、問題に対して構造的に新しい方針を立てる力を持ち始めていることを示します。しかもこの傾向は、論文の難易度(Oral/Posterの別)にあまり左右されず、内部の推論能力に強く依存していました。
また、モデルが生み出した解法群は、Transformer構造の最適化や拡散モデルのステップ制御、グラフ表現のスケーラビリティ改善など、現代の研究潮流を反映する11のクラスタに自然に分類されました。これは、モデル内部にある種の「研究パラダイム的な構造」が形成されていることを示唆します。
結:結論 ― 「統計的な鸚鵡」を超えた段階へ
この研究が明らかにしたのは、「LLMは単なる統計的記憶再生マシンではない」ということです。もちろん、まだ人間の科学者のような深い創造性を持っているわけではありません。しかし、問題を構造的に捉え、有効な別解を提示する力を持ち始めていることは確かです。
科学の歴史において、発見の多くは「既存の知識の組み合わせ」から生まれました。LLMが示しているのは、まさにその「組み合わせと再構成」の初期段階といえます。したがって、LLMはもはや単なる鸚鵡ではなく、「まだ未熟だが、科学的な思考の萌芽を備えた道具」として位置づけるべき段階に来ています。
このことは、AIが科学研究の補助を超え、自律的な研究者として振る舞い始める未来を現実味のあるものにしています。今後は、AIと人間が「知の共創者」として研究の場に並び立つ時代が訪れるかもしれません。
Q(koshix):
「これをAIに与え、外部知識には一切アクセスさせず、モデル自身が解法を考えるように仕向けます。」とありますが,一般的なコンピュータサイエンスの専門知識はどうなのですか。

A(ChatGPT-5):
この実験では、外部のWeb検索や文献データベースといった「外部知識ソース」にはアクセスしない設計になっていますが、モデルの内部に既に組み込まれている一般的なコンピュータサイエンスの知識は利用しています。つまり、「外部記憶」は遮断しても、事前学習で獲得された知識はそのまま活かされている、というのがこの研究の基本的な前提です。
(後略)


図:AIんしゅたいん(久々にChatGPTの生成イメージ)

2024年10月1日火曜日

無知の知

Facebookで北海道の奥村先生が,ソクラテスの「無知の知」は「不知の自覚」とするべきだという東京大学の納富信留さんの説が腑に落ちたと語っていた。納富さんの参加により,東京書籍の高校倫理の教科書では「無知の知」が「不知の自覚」に改められた。

どういうこと?そもそも,高等学校の倫理でソクラテスを学び,宿題としてプラトンの「ソクラテスの弁明」を読んだ感想文を出すというときに,どうにも自分の中では納得できない状態だった。「無知の知」はなんとなくいやらしいけれど認めるとして,「悪法も又法なり」といって毒杯を仰いで死刑になったのは理解できなかった。50年以上経ってもわからないままだったりする。

そんなわけで,こういう問題はAIに尋ねるに限る(そんなわけないやろ)。ChatGPT-4o, Gemini 1.5 Pro,Claude 3.5 Sonnetの3人に同じ質問で聞いてみた。まあ,いずれも一長一短かなあ。わかったようなわからないような。いずれにせよ,納富先生の考えとは違うわけで・・・。
Q(koshix):
無知の知と不知の自覚はどう違いますか。

A(ChatGPT-4o):
「無知の知」と「不知の自覚」は、どちらも自分の知識の限界を認識する概念ですが、哲学的な文脈やニュアンスに違いがあります。

1.無知の知(Socratic Ignorance)
これは、ソクラテスが提唱した概念で、自分が「何も知らない」ことを知っているという意味です。具体的には、人が自分の無知を認識し、謙虚に学び続ける態度を持つことが重要であるという哲学的な姿勢です。ソクラテスは、知っていると思い込んでいる人々が実際には何も知らないことを示し、自分自身も知識の限界を認識しているがゆえに、むしろ賢明であると考えました。無知の知は、自己反省と批判的思考を通じて、さらに深い理解を追求するための出発点とされます。

2.不知の自覚
一方、「不知の自覚」は、もっと一般的に自分が知らないことを意識することです。これは哲学的な議論の場に限らず、日常的な文脈でも使われることがあり、自分がある分野や問題について十分な知識を持っていないことを自覚する行為です。この場合、特にソクラテス的な知的探求の姿勢が伴う必要はなく、単に自分がその問題について知らないことを理解している状態を指します。

3.主な違い
無知の知は、自分の無知を認識しながらも、それがさらなる知識の追求に向けた積極的な姿勢を生む点で特徴的です。つまり、無知であることを知ることで、より賢明であるとされます。
不知の自覚は、単に自分が知らないことを理解する行為であり、必ずしも知識探求への動機づけや哲学的な反省を含むものではありません。
まとめると、「無知の知」は、自己の無知を認識することで知的探求を続ける哲学的な態度を示し、「不知の自覚」は、ある事柄について知らないことを単に認識するという点で、より日常的な概念です。


A(Gemini 1.5Pro):
「無知の知」と「不知の自覚」は、どちらもソクラテスの哲学に関連する言葉であり、一見似ているように思えますが、微妙なニュアンスの違いがあります。

無知の知
意味:自分が知らないことを知っている、つまり、自分の無知を自覚している状態。
解釈:
・何かを知らないことを自覚することで、より深く学び、成長しようとする姿勢を表します。
・古代ギリシャでは、神託によってソクラテスが「最も賢いのは、自分の無知を自覚している者である」と告げられたことから、この言葉が有名になりました。
・ただし、現代では「無知の知」という言葉が、自分の無知を過度に意識し、自己肯定感を下げてしまうようなネガティブな意味で使われることもあります。

不知の自覚
意味:自分が知らないことを自覚している、つまり、無知であることを認識している状態。
解釈:
・「無知の知」とほぼ同じ意味ですが、「不知の自覚」の方がより客観的で、自分の無知を率直に認めるニュアンスが強いです。
・ソクラテスの哲学においては、この「不知の自覚」が、真の知への第一歩であるとされています。
・他者の意見に耳を傾け、対話を通して新たな知識を吸収していく姿勢を表します。

違い
・ニュアンス:「無知の知」は、自分の無知を自覚することで生まれる知的探求心や謙虚さを強調するのに対し、「不知の自覚」は、より客観的に自分の無知を認識し、そこから学びを深めていく姿勢を強調します。
・現代における解釈:「無知の知」は、現代ではポジティブな意味だけでなく、ネガティブな意味でも使われることがある一方で、「不知の自覚」は、より客観的で中立的な意味で使われることが多いです。

まとめ
どちらも「自分が知らないことを知っている」という共通点がありますが、「無知の知」は、より主観的で、自分の無知を自覚することによる知的探求心や謙虚さを強調するのに対し、「不知の自覚」は、より客観的で、自分の無知を率直に認め、そこから学びを深めていく姿勢を強調します。

どちらを使うべきか
どちらの言葉を使うかは、状況や伝えたいニュアンスによって異なります。
・自分の無知を自覚することの重要性を強調したい場合:「無知の知」
・客観的に自分の無知を認め、そこから学びを深めていく姿勢を強調したい場合:「不知の自覚」

補足
・「無知の知」という言葉は、翻訳の問題もあり、正確には「不知の自覚」と訳されるべきだという意見もあります。
・どちらの言葉を使うにしても、重要なのは、自分の無知を恐れず、積極的に学び続けていく姿勢を持つことです。
ご自身の考えと照らし合わせ、より深く理解してみてください。


A(Claude 3.5 Sonnet):
「無知の知」と「不知の自覚」は、似ているようで微妙に異なる概念です。

1.無知の知
・古代ギリシャの哲学者ソクラテスに由来する概念です。
・自分が無知であることを知っている状態を指します。
・より深い知恵や真理の追求につながる哲学的な姿勢です。
・「自分が何も知らないことを知っている」という paradoxical な認識を含みます。

2.不知の自覚
・より一般的で日常的な概念です。
・自分が何かを知らないことに気づいている状態を指します。
・特定の知識や情報の欠如を認識することです。
・学習や成長の出発点となる自己認識です。

3.主な違い
・範囲:「無知の知」はより包括的で、人間の知識の限界に関する認識を含みます。「不知の自覚」は特定の分野や事柄についての認識です。
・哲学的深さ:「無知の知」はより哲学的で、人間の知識の本質に関わります。「不知の自覚」はより実践的で、日常的な学習や成長に関連します。
・起源:「無知の知」は哲学的伝統に根ざしていますが、「不知の自覚」はより一般的な概念です。

両者とも、自己認識と学習への姿勢において重要な役割を果たします。
この説明についてさらに詳しく知りたい点がありますか?


図:無知の知と不知の自覚のイメージ(左 DALL-E3 右 Imagen3)

納富先生曰く
今日それは、私たちの頭脳の中に宿り、あるいは、注入されたり蓄積されたり消去されたりする事物のように扱われている「情報」という曖昧な概念が「知識」に等価と見なされ、人のあり方から切断されて扱われる傾向も生じている。知識は量の多寡で判断され、とりわけ個別の断片的命題の蓄積が知識と等値される。情報はデータとして蓄積される以上、知識の主体はもはや人ではなくコンピュータやICチップでも構わない。総じて、そういった情報を使いこなす術が「知」と思いなされている。[1]
そうか・・・これが正に自分の「知識」理解だった。さらにその後に続くのは,
ソクラテスが基本的に「知らない」とするのは、「善、美、正義」といった「大切な事柄」についてであり、「死、ハデス」についての不知の表明もそれに含まれる。他方で、日常の経験的事実認識はもとより、技術もそのまま認められ、知として尊重されている。「知」を問うことで問題となっているのは、生を成り立たせる根本概念であった。[1]
うーん,なかなか奥が深いので,自分の考えが足りないまま50年経過したということだけは確かなようだ。

[2]知の一様式としての知らない(池田光義)

2024年9月24日火曜日

知性の物理学

茂木健一郎のPIVOTチャンネルが,「生成AIを丸裸にする知性の物理学」というタイトルで,ハーバード大学脳科学センターで知性の物理学プログラムを主催している田中秀宣さんを招いて対談をしていた。とても刺激的で良かったのだけれど,今一つ具体性にかけて空振りが続く試合だった。そういえば,東大理学部物理にも統計力学の樺島祥介さんが主催する「知の物理学研究センター」というのがあったね。
Q(koshix):
知性の物理学 Physics of Intelligence について教えてください。
専門用語を避けずに説明して見てください。多角的な視点はOKです。

A(Gemini 1.5 PRO)
知性の物理学:専門用語を交えた多角的な解説
「知性の物理学」とは、従来、哲学や心理学の領域であった「知性」を、物理学の厳密な枠組みで理解しようとする学際的な研究分野です。近年、人工知能の発展や脳科学の進歩を背景に、急速に注目を集めています。

1.知性の物理学の目的
・知性の本質の解明:知性を、単なる情報処理ではなく、物理的な現象として捉え、その本質を明らかにすることを目指します。
・人工知能の限界と可能性:人工知能のさらなる発展のために、人間の知性の仕組みを解明し、それを模倣する技術開発を目指します。
・脳科学との連携:脳イメージング技術などの進歩を活かし、脳内の情報処理メカニズムと知性の関係を解明します。

2.知性の物理学における主要なアプローチ
・神経回路網の物理モデル:脳の神経回路網を、物理学のモデルを用いて記述し、学習や記憶といった高次脳機能をシミュレーションします。
・情報熱力学:情報処理とエネルギー消費の関係を、熱力学の法則に基づいて考察し、知性の効率的な実現を目指します。
・量子脳理論:量子力学的な現象が、意識や創造性といった高次の認知機能に関わっている可能性を探求します。

3.知性の物理学が扱う概念
・複雑系:脳は、多数の要素が複雑に相互作用する複雑系であり、そのダイナミクスを理解することは大きな課題です。
・エマージェント現象:個々の要素の性質だけでは説明できない、全体として現れる新たな性質を指します。知性は、脳の複雑系からエマージェントに現れる現象と考えられます。
・計算論的神経科学:脳の情報処理を、計算論的な視点から解析し、神経回路網の機能をモデル化します。

4.知性の物理学が抱える課題
・意識の問題:意識の起源や本質は、哲学、神経科学、物理学など、様々な分野で議論されている難問です。
・測定の問題:脳の活動を直接観測することは困難であり、間接的な方法を用いる必要があります。
・モデルの複雑性:脳の機能を完全に再現できるようなモデルを構築することは、非常に困難です。

5.知性の物理学の将来展望
・汎用人工知能の実現:人間の知能に匹敵する、あるいはそれを超える人工知能の開発が期待されます。
・脳疾患の治療:脳のメカニズムの解明は、アルツハイマー病や統合失調症などの脳疾患の治療法開発につながる可能性があります。
・人間理解の深化:知性の物理学は、人間がどのように思考し、学習し、創造性を発揮するのかをより深く理解するための新たな視点を提供します。

6.より専門的な用語
・相転移:物質の状態が、ある特定の条件下で急激に変化する現象。脳の学習過程における相転移が注目されています。
・自由エネルギー原理:脳が、外界の情報と内部モデルとの間の不一致を最小化するように機能するという仮説。
・結合係数:神経回路網において、ニューロン間の接続の強さを表すパラメータ。学習によって変化します。

知性の物理学は、物理学、脳科学、コンピュータサイエンスなど、多岐にわたる分野の研究者が集結し、共同で研究を進めている最先端の学問分野です。
この分野の研究は、人間の知性の謎を解き明かすだけでなく、人類の未来を大きく変える可能性を秘めています。 

図:知性の物理学のイメージ(Imagen3に拒否られ,DALL-E3に描かせたもの)


結局なんだかよくわからないのであった。神経網が生成する人間の知性と,ニューラルネットが生成するAIを同じ土俵の上に上げて,後者は単に設計された機械(もしくはソフトウェア)ではなくて,物理的な現象としての創発過程として理解しようという話だ。というのも,生成AIがこのようにうまく機能している状態がそもそもよく理解できていないからである。とにかく計算リソースをつぎこんで適当にダイヤルを回しているうちに動いてしまったようなこと。

その上で,これを知性の物理学というからには,知性とは何かを定量的に捉えて,測定可能な量を用いて定義する必要があるのだけれども,そのあたりは十分説明されていない。すなわち何らかの主導原理的なストーリーがなくて,あるいは鍵となる仮説や実験事実の背景がないままに,妖しいキーワードとしての,脳科学,量子脳理論,複雑系が多用されるのはちょっとかんべんしてほしいかなあ。

あと,ハーバードやMITが西海岸と違って,より理学部的にアプローチしているという話はわからなくもなかったが,医学・生理学とのつながりを重視する方向に傾きすぎているのではないかという気もした。いや,もちろんそちら側に正解があるのかもしれないけれど,どうなのだろうか。



2024年1月18日木曜日

コンストラクタ理論

コンストラクタ理論というものがあることを知った。知るには段階があるのだけれど,これは名前とボンヤリした意味がわかるという第1段階。自分の頭の中で「知っている」というのはだいたいこれにあたる。

対象が,具体的な事物なのか,抽象的な事柄なのかによっても話が違ってくる。例えば,有馬温泉知ってますかという問いに対して,(1) 名前を聞いたこともない,(2) 名前は聞いたことがある,(3) その属性(場所・由来)なども知っている,(4) 写真や動画での紹介を見た,(5) 現地を訪問したことがある,(6) 宿泊して観光したことがある,(7) ある程度の期間滞在して暮らしていた,(8) 長い間にわたって現地で生活していた。などなど。

今では,(1)-(4) は簡単に実現できる。仮想空間技術が進歩すれば,(5) や場合によっては(6) あたりまでは手が届くようになるのかもしれない。視聴覚以外の体験はまだ難しい。食べ物について同様に自分が知っているかどうかという問題を考えると,あるものを食べるという体験と結びついた記憶の話や,文化的な多様性のなかで様々な派生物の範囲をどこまで理解してそのなかで位置づけることができているかなど,さらに話が複雑になってくる。

ある事柄に関するプロフェッショナルというのは,結局どれだけの具体的な体験を積み重ねてきてそれらをネットワークする知恵を発達させているのかということに帰着するような気がする。

そんなわけで,このブログのように浅く(広くもない,人間の興味はかなり限定される)知った気分になっているというのに,どれほどの意味があるのかということを改めて反省する。

話が,全然進まない。コンストラクタ理論の件である。受け売りの要約では次のようになる。生成AIや翻訳ツールがあるので,十分な読解を経なくてもわかったようなまとめができてしまう。それはそれで問題なのだ。抽象的な事柄の意味を知っているかどうかというのは,多次元空間の連続的なスペクトルのどこに位置するかみたいな面倒な話にはなりそうだ。
コンストラクター理論とは、物理学における基本法則を定式化する新しいアプローチである。世界を軌道、初期条件、力学的法則で記述する代わりに、構成理論では、どのような物理的変換が可能で、どのような変換が不可能か、そしてその理由についての法則を記述する。この強力な転換は、現在は本質的に近似的とみなされているあらゆる興味深い分野を基礎物理学に取り込む可能性を秘めている。例えば、情報、知識、熱力学、生命の理論などである。

量子計算理論の創始者の一人であるデイヴィッド・ドイッチュ(1953-)が2012年に提案し,キアラ・マレットとともにオックスフォード大学で展開している理論である。

[1]Constructor Theory (D. Deutsch, 2012)
[2]Constructor Theory of Information (D. Deutsch, C. Marletto, 2014)
[3]Constructor Theory of Life (C. Marletto, 2014)
[4]Constructor Theory of Probability (C. Marletto, 2015)

2023年1月22日日曜日

対話と検索の狭間

対話の時代からの続き

ChatGPTの影響はまだ続いている。ChatGPTに対抗・関連・代替するシステムが多数出現中だ。ChatGPTは,学術的な問いに正確な回答はできない。引用文献も出鱈目である。こういう場合に推奨されているのが次のシステムだ。

(1) Elicitは,Oughtという非営利研究機関により,2022年4月に運用が始まった大規模言語モデル(GPT-3)を用いる研究支援ツールだ。質問をすると,1億7千5百万本の論文に基づいて関連する数編の論文と重要な情報の要約を表示する。

(2) Perplexityは,米国のAI開発企業 Perlpexity AIが開発した,世界最初の対話型検索エンジンを謳ったシステムだ。大規模な言語モデルと検索エンジンを用いて複雑な質問に対して正確な回答と根拠となる参考文献を5件及び関連情報を提供するアンサーエンジンである。

(3) これは噂だけなのだが,Claudeは,AnthropicというOpenAIの元社員によるAIスタートアップ企業が開発中の対話型AIである。ChatGPTとの比較記事が出されている。OpenAIの「ChatGPT」と元OpenAIエンジニアが開発した「Claude」の性能を比較した実験結果。ChatGPTと比べ一長一短であり,計算力が特別優れているわけでもない。

"what are the effects of general relativity on the formation of planetary system"という質問で(1)(2)を比べてみた。参考のため,(4) Google Scholarも試した。質問の趣旨は,惑星系の形成過程で一般相対論的な効果はどのように影響するかというものだ。

(1) Elicitはそれらしい論文を示してくれた。最初の3本は妥当だけれど,次の4本は微妙だったり,pdfファイルがないものだった。(2) Perplexityは一般相対論に関する一般的な話を回答してきた。参考文献もWikipediaだったり,Open Sourceの教科書だったり,あまり専門的なものではない。(4) Google Scholarは,検索結果の参考文献を並べただけなのだが,ブラックホールの話や重力のScalar Tensor理論の話や,細胞核の話題など,ポイントがそれており問題を十分把握できていない。

Perplexityのようなインターフェースと表現で,Elicitレベルかそれ以上の答えが出てくればよいのだけれど,今のところ,自分で普通のgoogle検索を重ねるのが最も正解に近づきやすいという結果だ。


2022年12月11日日曜日

対話の時代

衝撃のAIからの続き

11月30日にOpenAIが公開した対話型AIシステム(ChatGPT)についての現段階の感想をまとめておくことにする。

(1) ChatGPTに対する見方
・AI専門家の声が見えない。清水亮は対話システムの限界と見る
・IT技術者やプログラマーは限界を理解しつつも比較的高く評価
・理系研究者等は知識が人工知能にはまったく及ばないと否定的
・短期間の 100万人登録から大きなインパクトがあったのは事実

(2) ChatGPTの特徴
・大規模言語システム GPT−3.5による対話システム*
・対話の前提条件や表現等を指定することができる
・対話によって自分の前言を修正することができる
・適切でない質問への回答を拒否することができる

(3) ChatGPTの長所と短所
・学習データに基づく辞書的事実を持つが分野にムラ
・簡単な計算や数理処理や論理判断はできるが不十分
・プログラム言語等については耳学問が発達している
・創作風で自由な文章や名前の羅列などは比較的得意

(4) 今後必要な機能的発展
・個人や集団ごとに対話情報を記憶して連携=LINE&SNS
・入力コーパス分野拡大と正しい知識の獲得=ウィキペディア
・数理計算能力や高度な論理的推論力の獲得=マセマティカ
・対象や場面に依存した表現の一貫性の獲得=パーソナリティ

(5) ChatGPTの未来
・1人1台のネットワーク端末から1人1つのAIアシスタントの時代
・対話出力がリアルタイム説明動画を生成するチューターの時代
・AIアシスタントとの関係に没入するパーキーパット人形の時代
・・・・

インターネットが大衆化した1990年代の半ばごろ,インターネットの教育利用について語る自分のPowerPointのファイルには,その本質として,リソース(情報のストック)とコミュニケーション(情報のフロー)の2つの柱があるというポンチ絵を必ず描いていた。今から思えば,知識というのは必ずしもリソース側にあるわけでなはく,コミュニケーションを成立させているネットワークに分かち持たれるものだったかもしれない。

そして,インターネットの利用の2つの柱は,情報検索(リソースへのアクセス)とSNS(コミュニケーションへのアクセス)として体現されることになった。対話の形をとったリソースへのアクセスシステムは,Q&Aサイトとして,Yahoo知恵袋,教えてgoo,hatena人力検索,OKWAVEとか,最近だとQuoraがあった。ただ,その回答の精度は必ずしも高くなく現時点のChatGPTなみだった。それが大きく変わることになるかもしれない。

情報検索とSNSがAIを媒介として統合される対話の時代の始まりだ。チューリングテストを受けていないAIアシスタントがキャラクター(パーソナリティー)を持って参加するMastdonインスタンスが林立し,そこへのアクセスによって質問への確かな回答が得られると同時に,懇切丁寧にわかるまでAIアシスタントにも教えてもらえる時代がやってくる。

しかし,その対話の半分は人間側の幻想による補完から成り立っている。そして,知識の本質というのは,この対話における幻想と切り離せないのかもしれない。知識を産み出した人間同士のコミュニケーションだって,やぎさんゆうびんを補完することでかろうじて成り立っているものだから。

図:11/30のChatGPTの出現前後のgoogle trends

* ChatGPTはInstructGPTの兄弟モデルであり,プロンプトの指示に従って詳細な応答を行うよう,人間のフィードバックを元にした強化学習を施している。


2022年5月27日金曜日

三角関数(4)

三角関数(3)からの続き

東京大学の浜口幸一さんが2022年の夏学期に担当している「基礎方程式とその意味を考える」の中間試験問題が公開されている。

あなたが長い眠りから目を覚ますと、そこは 20xx 年の某国。そこでは、「三角関数は不要だ」と考える権力者によって全ての教科書から三角関数の記述が消されてしまっていた。これは大変だ。しかし幸いなことに、指数関数や複素数に関する記述は残っていた。そこであなたは「基礎方程式とその意味を考える」の講義で出てきた複素指数関数を用いて三角関数を定義し、そこから三角関数の性質を導くことにした*1 。

という設定で,三角関数の加法定理や周期性を導くものとなっている。 その参考文献として,立川裕二さんの2012年の物理数学IIの問題の以下の設定と,

問題:あなたは物理数学のテストの日になって目が覚めてみると空間が 1 次元増えて 4 次元になっていることを発見した!これでは三次元空間における球面調和関数だけでは物理を理解することはできない、四次元における球面調和関数を決定しないといけない。しかし物理数学 II の講義で習った内容は四次元の球面調和関数を決定するのに十分だ。そこで、以下の順序にしたがって、四 次元の球面調和関数について考えよう。

もうひとつ,グレブナー基底大好き bot さんのカクヨム小説「三角関数禁止法」があげられていた。三角関数禁止の世界が洒落にならないのがこわい。まあこの国では,禁止しなくてもみんな忖度で自分から身を捧げるので,だまっていてもどのマスコミも敵性語の三角関数を使わなくなるのかもしれない。キエフも敵性語ということでしたから。

2022年5月26日木曜日

三角関数(3)

三角関数(2)からの続き

三角関数の話題から,学習指導要領について調べていると,次の記事が目に入った。

最新の「学習指導要領」が,「絵に描いたモチ」になってしまっている以外な理由(現代ビジネス,2022/5/20 8:02 Yahoo! Japan News)。元文部官僚の前川喜平と法政大学教授の児美川孝一郎が,最近の教育政策について語り合った『日本の教育、どうしてこうなった?』(大月書店 2022)からの抜粋らしい。

平成30年3月告示(2018年)の現行学習指導要領が,教育内容ではなく「育てたい資質・能力」ベースで編成され,「社会に開かれた教育課程」や「学びの地図」といった目標設定がなされ,「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)や「カリキュラム・マネジメント」の導入など,話題が満載な改訂である理由について尋ねられて次のように述べている。

児美川:すべての教科・科目にそれぞれの「見方・考え方」が書き込まれ,かつ各教科・科目の内容もすべて「資質・能力」の3つの柱に沿って記述された。いわば、各教科・科目が縦軸、見方・考え方と3つの資質・能力が横軸となったマトリクス上にすべてが配置されました。芸術系の科目だろうが、体育だろうが例外はありません。その限りでは、形式的な論理性は究極まで貫かれています。ちょっと気持ち悪いくらいです(笑)。

前川:いかにもきれいに整理されているように見えるんだけど、そんなふうに整理しきれるものじゃないと思うんですけどね。書き込みすぎ,考え込みすぎ。要するに,やりすぎ。

仕事柄,学習指導要領は,過去からの時系列を比較しながら読むことが多かったが,現行指導要領の印象はまさにその通りなのである。最初に見たときに自分の感じた違和感は,ルーブリック評価のテーブルをみるときの気持ち悪さと一緒であり,無理矢理に拵えられて過剰に書き込まれた論理的整合性なのだ。

前回の平成20年告示(2008年)の学習指導要領は,平成10年告示(1998年)版が,ゆとり教育路線による過剰な精選によって大きな批判を浴びたのをうけて,内容充実に柁を切ったものだった。それが,平成30年告示(2018年)では,教育方法にまで手を突っ込んで,箸の上げ下ろしのような細部まで拘束しかねない学習指導要領を追求している。

前川:まあ、両方とも合田君がやったからいけないんですよ(笑)。2008年・09年の改訂のときに合田君は,初等・中等教育局の教育課程課の教育課程企画室長だった。改訂の事務方の中心的な役割を担っていたんです。

 今回の改訂も合田色が強い。合田君が教育課程課長になったので。私が初等中等教育局長だったのが2013年~14年でしたが、合田君を課長にするつもりはなかったです。合田君がやったものを見なおすことのできる人間がやらないとダメだと思っていましたから。

 ところが私の後任になった小松親次郎君は,合田君がいいと思ったんでしょうね。合田君は合田君で,前回やり残したことがあったんですね。こういう文科省で誰が担当しているかということは,けっこう影響するんですよ。

前川:戦前の陸軍の関東軍は暴走しちゃったわけじゃないですか。ああいう強硬な中堅将校がいると,全体が引きずられちゃうことがあるわけですね。合田君はOECDの考え方の影響を強く受けているし,経済産業省が教育に乗り込んでくる動きにも乗っかっちゃったわけですね。

合田哲雄,現在は内閣府の科学技術・イノベーション推進事務局審議官である。2012-2015年の前後,自分が文部科学省によく通っていた時期には,この合田哲雄や小松親次郎の顔も拝んでいる。合田哲雄の評判は,当時の長尾学長らも口にしていたが,よくできるということだった(注)。

やり過ぎ感満載の学習指導要領を貫く精神は,大学教育にも大きな影を落としている。その結果,教育内容ではなく,アクティブラーニングをはじめとする教育方法と,抽象的な資質能力観が構成する3ポリシーでがんじがらめにされた,気持ち悪いカリキュラムを作るはめに陥ったのだった。まあ,文科省路線に迎合しようと努力していた自分も悪いのだが。

経営的にも組織的にも精神的にも自立できない日本の国立大学が共通に辿っている道だ。

[1]OECDの考え方:OECD Future of Education & Skills 2030

(注)「文部科学省には,大合田と小合田の二人がいてなんとか・・・」ということだったが,もうひとりの合田とは,もと高等教育局大学課長,生涯学習政策局長の合田隆文のようだ。

2022年5月25日水曜日

三角関数(2)

 三角関数(1)からの続き

前回の復習:金融教育を推奨している藤巻は,三角関数は高校で全員が学ぶ必要がなく,大学に入ってから学べば十分である個別的な専門知識だと主張している。しかし,そもそもの文部科学省の答弁で,三角関数は必履修科目の範囲にはなく(全員が学んでいない),金融教育が必履修科目「公共」の範囲だった(全員が学ぶことになっている)。


表:高等学校学習指導要領から

高等学校の学習指導要領をみると,各学科に共通する部分は表のようになっていた。図の黄色の科目が必履修科目であり,緑の科目は選択的な必履修科目だ。それ以外が選択科目となり,各高等学校がその特性に応じて決めている。

三角関数は,数学Ⅱと数学Ⅲに登場するだけでなく,物理基礎と物理の各分野でも必須の基礎知識なので,日本維新の会が政権に加わって,藤巻のいう方向で文部科学省が動けば,たちどころに日本の理工系教育が崩壊する。

一方,金融教育について必履修科目「公共」の学習指導要領解説編に何が書いてあるかを見れば,森田審議官の答弁で問題が解決したとも言い切れない。
公共
B 自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち
(ウ)職業選択,雇用と労働問題,財政及び租税の役割,少子高齢社会における社会保障の充実・安定化,市場経済の機能と限界,金融の働き,経済のグローバル化と相互依存関係の深まり(国際 社会における貧困や格差の問題を含む。)などに関わる現実社会の事柄や課題を基に,公正かつ自由な経済活動を行うことを通して資源の効率的な配分が図られること,市場経済システムを機能させたり国民福祉の向上に寄与したりする役割を政府などが担っていること及びより活発な経済活動と個人の尊重を共に成り立たせることが必要であることについて理解すること。
【解説編】
金融の働きについては,現代の経済社会における金融の意義や役割を理解できるようにするとともに,金融市場の仕組みと金利の働き,銀行,証券会社,保険会社など 各種金融機関の役割,中央銀行の役割や金融政策の目的と手段について理解できるようにする。
なお,「金融とは経済主体間の資金の融通であることの理解を基に,金融を通した経済活動の活性化についても触れること」(内容の取扱い)が必要であり,金融は,家計や企業からの資金を様々な経済主体に投資することで資本を増加させ,生産性を高め,社会を豊かに発展させる役割を担っていることを理解できるようにする。また,近年の金融制度改革の動向や金融政策の変化などを理解できるようにするとともに,フィンテックと呼ばれる IoT,ビッグデータ,人工知能といった技術を使った革新的な金融サービスを提供する動き,クレジットカードや電子マネーなどの利用によるキャッシュレス社会の進行,仮想通貨など多様な支払・決済手段の普及,様々な金融商品を活用した資産運用にともなうリスクとリターンなどについて,身近で具体的な事例を通して理解できるようにすることも大切である。
たぶん,藤巻の主張の中で,すべての生徒にとって必要だという部分はここにはない。実は,同じ必履修科目の家庭総合(ただし家庭基礎と選択の可能性あり)の解説編に該当部分の記載がある。
家庭総合
C 持続可能な消費生活・環境
(1)生活における経済の計画
ア(イ)生涯を見通した生活における経済の管理や計画,リスク管理の考え方について理解 を深め,情報の収集・整理が適切にできること。
【解説編】
生涯を見通した生活における経済の管理や計画,リスク管理の考え方については,人生を通して必要となる費用はライフステージごとに異なることについて理解して生涯収支に関心をもつようにするとともに,将来の予測が困難な時代におけるリスク管理の考え方について理解できるようにする。また,生涯を見通した経済計画を立てるには,教育資金,住宅取得,老後の備えの他にも,事故や病気,失業などのリスクへの対応策も必要であることについて理解し,預貯金,民間保険,株式,債券,投資信託等の基本的な金融商品の特徴(メリット,デメリット),資産形成の視点にも触れながら,生涯を見通した経済計画の重要性について理解できるようにする。

結局,藤巻の主張する金融教育というのは,金融リテラシーに相当するものを意味しており,それはすでに日本政府が率先して旗振りをしているのであった。

P. S. 「公共」の学習指導要領をこの度はじめて読んでみたが,その書きっぷりが他の教科とあまりに違いすぎて気になった。もう少し表現を吟味・整理して書くことができなかったのだろうか。

2022年3月21日月曜日

知の対価のデフレ

 東北大学の堀田昌寛さんがTwitterで「知の対価のデフレ」について発言したことが波紋を広げている。

インターネット上に無償の(物理や数学などの)専門知識コンテンツが溢れていることによって知の対価がデフレになっているとして,無償で学術コンテンツを公開している研究者やアマチュアに対して苦言を呈している。その趣旨は2つある。

(1)知識はタダで手に入るものという誤った考えが浸透することになり,知識生産(科学研究とその成果の解説や普及)やそれに携わる人たちの努力が報われなくなってしまう。これは,最終的に知的生産活動を毀損する方向に働くだろう。現に,専門書の市場がかなり縮小してしまい,売れなくなったとのことだ。

(2)人気のある無償コンテンツによって,量子力学の解問題などで典型的にみられる間違った知識が広がってしまう。なお,堀田さん自身のコペンハーゲン解釈の理解と解釈は正しいと主張している。無償コンテンツの流通が情報の質を低下させることに問題がある。

まあ,著作権法の精神がかなりビジネスサイドに歪められている状況で,著作権管理団体が主張している方向性に親和性のある発言である。彼自身が,投げ銭システムを使おうが,有償コミュニティを作ろうがそれはよろしいのだけれど,問題はこれまで無償で良質なコンテンツを公開してきた人に批判の矢を向けていることだ。実際,批難された人たちが様々なリアクションをしている。

堀田さんの量子力学の新しいタイプの教科書「入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として」は,Twitterでの宣伝も功を奏してとても評判になったし,自分も購入している。それ以前の「量子情報と時空の物理」も買っており,量子力学の認識論的解釈という言葉に目を開かれる思いだった。

インターネットの黎明期から始まった知識情報やソフトウェア・データの民主化と公開化の流れや精神に自分は基本的に賛成であり,それらに非常に大きな恩恵を受けている。また,その結果として新しいビジネスモデルが展開されて,お金が動き始めることには全く問題はないと思う。しかし,原点である情報のオープン化に障害となるような発言を繰り返されるのは,影響力の大きな人だけに気になってしまう。なんだかなあ。

P. S. 1 Twitterでの堀田さんの発言はずっとウォッチしてきているが,微妙に道徳・宗教的なところや,変な理由で谷村省吾さんがサイエンス社のサイトで補足情報を出したことに噛み付いたりと,あまり良い印象のない部分がある。

P. S. 2 arxivやWikipediaやWeb Archiveにもお世話になっていて,わずかながら寄附したことはあるので,全くただノリをしているつもりはない。また,YouTubeには収益化機構があるので,これもOKだろう。

P. S. 3 堀田さん自身もお世話になっているはずの,オープンソースソフトウェアについて,彼はどう考えているのだろう。

2021年7月2日金曜日

失敗知識データベース

 畑村洋太郎さん(1940-)は,失敗学を提起し2002年には特定非営利活動法人の失敗学会を設立している。また,個人では,畑村創造工学研究所の名前でも活動している。

これに関連して,失敗学会には失敗知識データベースのページがある。明治時代から2008年までの様々な分野での失敗事例が,事例詳細,経過,原因,対処,知識化,背景などにわたって丁寧に記録分析されていて,たいへん有益である。その後の更新が止まっているのが残念だ。

福島原発事故が含まれておらず,医療・健康分野がその他にごくわずかな例しか取り上げられていないことも惜しい。せっかくだから,教育やその他の行政分野にわたっても失敗知識を蓄積してほしいところ。2chあがりのネトウヨ担当大臣がデジタル庁にうつつを抜かすくらいならば,失敗庁をつくるほうが日本の将来にとってよほど有益だろう。


2020年6月30日火曜日

「役に立たない科学」が役に立つ

エイブラハム・フレクスナーとロベルト・ダイクラーフによる『「役に立たない科学」が役に立つ』が,初田哲男さんの監訳によって近々東京大学出版会から登場する。著者は,プリンストン高等研究所の初代および現在の所長である。この本は,この二人のエッセイ,明日の世界(ロベルト・ダイクラーフ),役に立たない知識の有用性(エイブラハム・フレクスナー)を中心に構成されている。後者は1939年にHerpars Magazine に掲載されたものでありすでに著作権が切れており,2013年の3月にあの山形浩生によって「役立たずな知識の有益性」として訳出されている。このタイトル比べただけでも,山形大丈夫かと思ってしまいそうだ。本は読んでいないけれど,2017年12月のダイクラーフの講演資料をみるとその趣旨がとてもよく理解できた。

図 The Usefulness of Useless Knowledge 原著の表紙(引用)


2020年3月13日金曜日

小学館版学習漫画少年少女日本の歴史

新型コロナウイル感染症のため全国の学校が休校になり,さまざまな対応措置が講じられている。そのひとつが子ども向け学習・娯楽コンテンツの期間限定無料提供である。例えば,小学館版学習漫画少年少女日本の歴史全24巻(22巻+付録2巻)が2020年3月11日から4月12日まで無料公開されている。

さっそく読み始めました。いやーおもしろくてためになる。高校のときは理数科で世界史と日本史は片方のみが選択だった。それならば世界史でしょうということで,受験に不利かもしれない世界史を選択したため,日本史は小学校の知識でとどまっている。中学校社会の歴史は,途中で交代もあったかもしれないなんだかもうひとつの先生で(地理の米山先生は若くて授業に集中できたのに),試験の成績も全く振るわなかったのだ。

小学校で歴史を学ぶのは6年生である。5年生が地理。その泉野小学校6年の担任の前多光子先生が,4月の社会の授業の最初に1時間かけて何のために歴史を学ぶのかということをひたすら子どもたちに問い続けた。みんなで考え続ける時間がとても長かった。で,結論は「温故知新(ふるきをたずねてあたらしきをしる)」ということだった。学校生活で数少ない印象的だった授業の一つである。

さて,学習漫画のほうに話を戻す。
わかったことは,日本の政治は悪者が担ってきたということだ。どおりで最近の政権支持率が40%で高止まりしているわけだ。子どものときからみんながこの37年に渡るベストセラーの学習漫画で育っている。そんなわけで,今の50歳以下の世代は我々と違って政治の本質を見抜いてしまっており,なおかつこれが歴史というものだとあきらめて(達観して)いるのかもしれない。その土壌の上に新自由主義が猖獗するのもしょうがない。


2019年8月28日水曜日

ニューヨーク公共図書館

平日に妻と行く映画シリーズその2。制限時間30分で,梅田スカイビルから中津まで走り,阪急宝塚線一駅のって十三の第七芸術劇場に向う。開演5分前に到着し,整理番号は56と57。平日このテーマにもかかわらず,結構お客さんが入っている。12:00から15:35の長丁場なので途中に休憩が入る。

さて,タイトルは「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(Ex Libris: The NewYork Public Library)」で,フレデリック・ワイズマン監督の2017年米国ドキュメンタリー映画(205分)である。3時間を越えるドキュメンタリーってどんなものかと思ったが,妻の予想だったシックでクラシックな建物を中心とした紹介などではまったくなかった。

ニューヨーク公共図書館(NYPL NewYork Public Library 1895-)は,国,州,市などの行政が設置した図書館ではなく,カーネギーの寄付などをもとにした私立(だがパブリック)の図書館であり,ニューヨーク市からの公的資金と民間からの寄付によって運営される。マンハッタン,ブロンクス,スタテンアイランドに92の分館を設置し,5300万冊の図書・資料を所蔵し,年間350万人が利用している。クイーンズとブルックリンには運営が別組織である公共図書館がそれぞれにある。

映画は,レファレンスサービスでの電話のやりとりから始まったが,1つのエピソードが長い。しかもほとんどが言葉や対話の積み重ねだ。図書館のプログラムで社会的な問題についての話をする講師や,芸術的な対話の数々。黒人文化に関するショーンバーグ研究図書館も大きなテーマとして,黒人差別の問題と関って取り上げられていた。また,NYPLの運営にかかわる委員会での議論がたびたび登場する。全編の3割以上を占めていたのではないか。予算獲得の問題。インターネットアクセスの問題。図書館の教育機能にかかわる問題。ホームレスへの対応の問題。などなど,多様な問題についての議論の様子が克明に記録されている。日本のオリンピック委員会も見習ってほしい。

予想とは異なっていたが,とても楽しく3時間半を過ごすことができた。さまざまな病巣をかかえる国であるにしろ,民主主義の基本となる言葉がしっかりと生きている場所がある安心感。翻って,日本の政治家やマスコミやTV知識人の細切れで歴史を無視した表層的な議論の数々を対比させたとき,なんともいえない虚脱感に襲われる。

あるいは,大阪では,児童図書館や公共的な文化施設が破壊されただけでなく,公共交通,病院,公園,大学が次々とターゲットとなり,公共から営利への流れができている。そして,それを推進する政治勢力がマスコミによって擁護され,さらに多くの市民・住民の支持を得ていくという,公共性の喪失の危機が進行している。

この映画は,民主主義の本質を支える言葉(Speech)の映画だった。

2019年7月7日日曜日

記述式問題の問題

大学入試に記述式問題が必要であるというロジックはどうなっているのか。まずは,教育再生実行会議の中から, 第四次提言「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」(平成25年10月31日)をみなければならないだろう。

要約
○グローバル化とイノベーションに対応する人材の質が重要であり教育がその要
○大学入学者選抜が教育の在り方を大きく左右する。知識偏重の一点刻み試験や,学力不問のAO入試はだめ。高校教育+大学教育+入学者選抜の一体的改革が必要
○高校教育:生徒の多様性を踏まえた特色化+主体的に学び社会に貢献する能力
○大学教育:厳格な卒業認定及び教育内容・方法の可視化+人材育成機能を強化
○入学者選抜:能力・意欲・適性を多面的・総合的に評価・判定するものに転換

大学入試センター試験の改革は,当初,複数回実施の達成度テストという話のはずだった。しかし,現実と折り合わせた結果は,大学入試共通テスト(記述問題+英語民間試験)というところに落ち着いてしまった。面接や活動の重視と生徒の多様性を踏まえた高等学校の特色化という主張から見えるのは,色濃く漂う社会階層の分離政策である。なんだかなあ。

記述式テストは個別学力検査において,これまでも十分実施されてきた。一方,アルバイトを含む1万人の採点者が標準化された採点基準で公平な(提言元は,一点刻みを否定しており,公平性や公正性なんかクソ食らえと思っているかもしれないが)試験をするためには,マークシート並のレベルの問題に落とし込まなければならないだろう。今のセンター試験は十分工夫されていて,単純な知識偏重問題ではない。なんだかなあ・・・orz

ミクロにみるとこの大学入試改革で得をするのは,教育関連産業とそのロビーであり,御用学者であり,システム開発企業であり,それらに力を及ぼすことができる政治家だろう。また損をするのは,振り回される側の受験生・家族や,高校・大学教員ということになる。それはそれとして,この結果,当初のもくろみのように,高校や大学の教育が改善されて,質の高い人材が本当に育成されることになるのかどうかだ。この国の文部科学省や財務省はエビデンス・エビデンスと口を酸っぱくして畳みかけてくるが,彼ら自身が,政策の効果を測定した結果を公開し,それによって政策担当者を評価しているという話はあまり聞いたことがない。

2019年6月25日火曜日

知識の定義

「道徳教育(3)」で,いくつかの概念のオレオレ定義を考えた。村井実は特に道徳の「知識」の重要性を指摘した。その「知識の定義」を書き下そうとすると,これが思いのほか難物なのだった。他の概念も負けず劣らず難しいはずなのだが,比較的簡単に思い切ることができた。しかし,「知識」はそうはいかなかった。「科学」を定義したのだけれど,その中の登場する「知識」はブラックボックスのままであった。

例えば,精選日本国語大辞典には,
「(英 knowledge ドイツ Wissen の訳語)哲学で,認識活動によって得られ,客観的に確証された成果。広義には,諸事物について経験によって得られた断片的な事実認識もすべて含むが,狭義には,これらの事実認識を統一的に組織付け,普遍的な妥当性を要求できるように整えられた命題の体系」
とある。なかなかいいですね。

なるべく簡潔に表現したくて,次のように考えたところで挫折した。
知識の定義
 対象や事象に関して認識された情報から抽出されたもので,他の知識との関係の中に位置づけて理解や伝達を可能にしたもの
知識の中で知識が再帰定義されている。いずれにせよ,いまひとつなのだ。知識工学という分野もあるので,その方面で何かヒントがないか探してみるのだが,簡単には見つからない。やはり,科学哲学や認識論でどう扱われているかを勉強すべきなのか・・・続く。

[1]哲学概論−知識について(西脇与作)
[2]知識の哲学(戸田山和久)−コメント(伊勢田哲治)
[3]「知識」についての考え方のイメージ(たたき台)(文部科学省)・・・orz
[4]「思考力の分類学」と「知識」(反転授業研究会)