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2026年8月26日水曜日

新たな大学評価

失敗の本質からの続き


図:大学評価の波と書類の迷路(ChatGPTによる)


大学に勤めていたころ,後半は評価に振り回されていた。国立大学の法人化認証評価制度の導入など,引きも切らずに評価の波が押し寄せた。大学改革のための評価室というところに割り振られ,個人評価の導入までかかわることになった。

弱小教員養成系大学が,生き残りのかかった自己評価書の作成に,大学全体のリソース(人と時間)を費やしていた。無駄なことあほらしいことこのうえないが,組織の存亡と予算獲得がかかっているので仕方がない。

さらに,その屋上屋を重ねる話が進んでいる。日本の役所というものは,仕事をしたという物語を生み出すためだけに,九龍城砦のように話を複雑怪奇なものに積み上げていく。それを止められる賢人はどこにも見当たらない。十分に賢い芦田宏直先生も,大学組織人として,この面倒な話をまともに取り合っている


A(ChatGPT + Claude):

文科省「新たな大学評価」案への批判 — 測れないものを格付けし,予算と制裁に接続する制度

2026年6月3日,中央教育審議会のワーキンググループが「教育・学習の質向上に向けた新たな評価の在り方」の議論のまとめを公表した(本文概要)。大学・学部を「要是正」から星三つまでの四段階で格付けし,統一形式で公表して進路選択に供し,資源配分や行政措置にも接続するという構想である。なお,これは現時点では施行済みの制度ではなく,実施前の試行的評価の必要性を述べる段階の文書であることを最初に確認しておく。

結論から言えば,この案は現状のまま制度化すべきではない。最大の欠陥は,教育成果を測定する方法が確立していない段階で格付けを行い,その結果を評判,予算,学部新設,場合によっては存続にまで接続しようとしている点にある。何を測っているのかは曖昧なのに,結果の効力だけは強大である。測定論的に未成熟なまま行政的に強力という,この危険な非対称性が制度全体を貫いている。

目的の混線:
文科省案は,①最低基準の認証,②教育改善を促す形成的評価,③進学者向け情報提供,④序列化,⑤国費配分,⑥制裁という,目的も方法も異なる六つの機能を一つの制度に詰め込んでいる。とりわけ致命的なのは,質保証と質向上の混同である。最低基準の確認には強制力が伴ってよいが,質向上の評価は,大学が弱点を率直に開示して改善策を探す形成的評価でなければ機能しない。ところが,弱点を公表すれば星が減り予算に響く制度の下で,大学が弱点を正直に申告するはずがない。改善のためのデータと賞罰を決めるデータを同一にしてはならない。前者には正直さが必要だが,後者は正直さを罰するからである。

測定器が未完成のまま,格付けと制裁が先に決まっている:
文書自身が,標準試験,ポートフォリオ,ルーブリック等の直接評価は「始まっているところ」であり,全国学生調査の質問項目も「今後設定」と認めている。測定方法は実験段階なのに,四段階評価,統一的公表,資源配分への利用,要是正への行政措置という外枠だけが先に決められている。試験問題の妥当性を確認する前に,成績表と懲戒規定を作っているのである。

大学独自のディプロマ・ポリシー(DP)と全国共通の星は両立しない:
大学ごとに目標が異なるなら達成度を同じ星で比較できず,比較可能にするにはDPの水準と尺度を外部から統一せざるを得ず,それはDPの実質的な国定化である。標準化せずに格付けだけ行えば,評価の攻略競争になる。この三すくみは解消困難である。しかも最高評価の基準とされる「その学部に社会的・学術的に期待される水準」は,評価者の頭の中のブランドや偏差値と切り離せない。形式上は絶対評価でも,実際には「この大学にしてはよくやっている」という相対評価が入り込み,難関大学の星三つと地方小規模大学の星三つは異なる意味を持つことになる。

「学生をどれだけ成長させたか」は単純には測れない:
入学時と卒業時の差には,入学者の学力・家庭背景,退学者除外による選抜効果,学外学習,自然な成熟,平均への回帰,天井効果などが混入する。統計的に調整しなければ,「伸び幅」は教育力ではなく学生構成と測定方法の産物になる。また,低い出発点から大きく伸びることと,学士に必要な水準に到達することは別問題であり,案は到達水準と伸び幅をどう統合するかを示していない。明示的なルールがなければ,最後は評価委員の印象である。直接評価も間接評価も同様で,各大学が自ら目標を作り,自ら採点し,自ら成功物語を書く制度では評価対象と評価者が実質的に同一であり,学生アンケートが測るのは能力ではなく本人の自信である。異種の不完全な指標を「総合的に勘案」しても正しい評価にはならない。片方が温度,もう片方が湿度,三つ目が暑さの感想を測る温度計を平均しても,気温にはならないのである。

インセンティブは逆向きに働く:
この制度下で評価を攻略する最も簡単な方法は,目標を達成しやすくすることである。「高度な統計解析ができる」と書けば厳密な試験が必要になり,「データを活用する態度を身に付ける」と書けば自己評価アンケートで済む。具体的で反証可能なDPを掲げる大学ほど低評価の危険を負い,「人間力」「主体性」を並べる大学ほど安全になる。真面目に高い目標を立てる大学が馬鹿を見る構造である。

連帯責任と格差の増幅:
 一学科の基準未達で大学全体に「要是正」を付す仕組みは,全学的な統治不全の立証を欠いた連帯責任であり,学内に教育改善よりも相互監視を生む。困難な学生を受け入れる学科や高コストの実習系学科は全学の「評価リスク」と見なされ,執行部は挑戦的な教育よりも絶対に要是正にならない無難な教育を選ぶようになる。そして評価結果を資源配分に接続すれば,IR部門や評価専任職員を整備できる大規模大学が有利になり,低評価の大学は資金を減らされてさらに条件が悪化する。これは質向上の支援ではなく,累積的優位を行政的に加速する装置である。評価が測るのは教育の質よりも,かなりの程度「評価書を作る組織力」なのだ。
 
星印は「分かりやすい」のではなく,情報を破壊する:
専門知識,思考力,卒業率,学生支援,地域貢献といった多次元の情報を一から三の単一尺度に圧縮すれば,必ず何かが失われ,測定誤差も評価者間のばらつきも表示されない。星は精密な測定結果ではなく,複雑な定性的判断を精密に見せかける擬似的な数値である。行政が「国民に分かりやすく」と言うとき,複雑さを説明する代わりに複雑さそのものを消していないか,警戒が必要である。

Univ-mapの機能膨張と,負担のデジタル化:
共通データ基盤Univ-mapにデータ入力から自動計算,アラート,AI利用までを統合する構想は,機能膨張の典型的な入口であり,高利害評価にAIを用いるなら監査可能性,説明可能性,異議申立てを先に法定すべきだが,その記述はない。一元入力で負担が減るという説明も,負担の中心が転記作業ではなくDPの書き換え,尺度設計,卒業生追跡,証拠資料作成にあることを見誤っている。これは官僚主義の削減ではなく,官僚主義のデジタル化である。

必要なのは「新評価」の修正ではなく,制度の分離である:
第一に,法令と学位水準に限定した質保証。判定は適合・要改善・不適合程度にとどめ,不利益処分には証拠開示と異議申立てを保障する。第二に,教育改善のための形成的評価。大学が弱点を正直に提出できるよう原則非公開とし,星,ランキング,予算削減と切り離す。第三に,学生向けの多次元的な情報公表。単一の星ではなく,授業規模,退学率,学費,進路等を分野別に,定義と母数を付して示す。「伸び幅」を使うなら,共通尺度,脱落者の扱い,年度間安定性,評価者間一致度を複数年の試行で検証した後にすべきであり,それまで星表示や予算配分に使ってはならない。そして資源配分は,困難な学生を多く受け入れる大学にこそ改善資金を投じる方向で設計されるべきである。低評価だから資金を減らすのは,熱の高い患者から治療費を取り上げるようなものだ。

最終評価:
大学が学生に何を身に付けさせたのかを説明すべきだという問題意識自体は正当であり,現行の認証評価が書類確認に傾いているという指摘にも理由がある。しかし,問題意識が正しいことと解決策が正しいことは別である現行案は,測定できていない「教育の質」を,大学自身が作った不統一な尺度で測らせ,専門家が総合的に勘案し,星印に圧縮して公表し,予算と制裁に利用する制度であり,エビデンスに基づく政策というより,エビデンスらしい外観をまとった行政統制である。一言で評するなら,「認識能力は弱いのに,処分能力だけは強い制度」。失敗を申告した大学を星と予算で罰する制度から,誠実な自己改善が生まれるはずがない。この制度が先に変えてしまうのは質の低い大学ではなく,真面目な大学の方であろう

2025年2月17日月曜日

失敗の本質

1月31日の日経朝刊,日経コメンテーターの中山淳史による「失敗の本質」野中郁次郎氏の遺産 野性こそ創造の源泉がおもしろかった。中山による生前の野中への取材をまとめたものだ。一橋大学名誉教授の野中郁次郎(1935-2025)は,カリフォルニア大学バークレー校でドクターを取得し,防衛大学校に所属しているときに「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」を書いた。

脳トレのために,自力で要約してみよう。

第2次大戦における日本軍の様々な失敗の場面を分析したのが「失敗の本質」だ。その観点から日本の「失われた30年」を考える視点を尋ねたのが野中への取材の要目だった。日本の低迷の原因は普通「雇用,設備,債務の3つの過剰」だとされるが,野中は「プランニング(計画),アナリシス(分析),コンプライアンス(法令順守)の3つの過剰」だと強調した。

わかるわかる。PDCAだよ。国立大学法人化後の中期目標計画認証評価制度のことだよ。そして今再び,中教審の大学分科会の中間報告からニュースのトップに取上げられたのがこれだ。あーぁ・・・。また屋上屋を重ねるのか。
文部科学省は大学の運営を第三者が審査する「認証評価制度」を見直す。在学中の学生の成長具合など、教育の質を測る指標をつくり、複数段階で評価する。受験生らが偏差値やイメージではなく、教育内容を比較して進学先を選べるようにする。大学間の切磋琢磨(せっさたくま)を促し、大学教育全体の質向上にもつなげる。

図1:大学教育の第三者評価(日経新聞2025.1.29より引用)


話を戻そう。野中は,日本のPDCA(計画・実行・評価・改善)が「PdCa」になってしまい肝心の行動と改善がおろそかになっていることを指摘する。計画や分析やルールづくりが行き過ぎ,自己目的化し,経営(研究教育)の活力を損なってしまうというわけだ。

これに替わるもの,提案したのがSECIモデルだ。それは組織における個人の暗黙値を集団で共有してイノベーションを推進するため,知識の生成と共有のプロセスをモデル化したものだ。徹底した対話で暗黙知を言葉や論理による形式知に変換し,最終的には集団で獲得した知の実践を通じて個人の暗黙知をもう一段高めていくものだ。

すなわち,SECI = 共同化(Socialization),表出化(Externalization),連結化(Combination),内面化(Internalization)というわけだ。



図2:野中郁次郎のSECIモデル(日経新聞2025.1.31から引用)

[1]大学の教育評価と成果の可視化(齊藤貴浩・林隆之)

2025年2月8日土曜日

教員の学力低下

2月5日のNewsWeek日本版に,教職不人気で加速する「教員の学力低下」の深刻度という教育社会学者の舞田敏彦(1976-)の記事が出た。舞田さんはデータ分析の新しい切り口をいつも見せてくれる面白い人だ。

結論を一言でいえば,「新規採用教員のうち4割近くの出身学部の入試偏差値は50に満たない」ということだ。旺文社の『大学の真の実力2025』にある,関東1都6県の231大学・865学部からの教員就職者は9454人(2024年春)を,出身大学のタイプで分けて分析したものだ。あわせて,公務員就職者や全就職者も比較の対象として分析している。

そのオリジナルの表を元校長のyoshiさんが編集し直したものが下記に引用した図である。教職がブラック性が広まり,一般の企業の就職が堅調であることから,教員採用倍率の低下がこのところ続いている。これによって,教員就職者の学力の平均が低下していることを裏付けるデータになっている。


図:就職者の出身大学と偏差値(yoshiの教育ブログから引用)

ChatGPT 4o,Gemini 2.0 Flash,Claude 3.5 Sonnet,などは,イメージファイルを読み込んで分析することができる。Perplexity Pro は有料版に誘導され,DeepSeek V3とQwen2.5-Max はイメージの読み込みができない。上記の図を入力してみたところ,それぞれそれなりに分析してくれた。Gemini 2.0 Flash はピントがズレていていまいちだ。Claude 3.5 Sonnet は要点を正確かつ簡潔に19行でまとめた。ChatGPT 4o がより詳しい分析を与えてくれる。
Q(koshix):
(図のjpgファイルをアップロードした上で)
このグラフからわかることを分析してください

A(ChatGPT 4o):
このグラフからわかるポイントを分析すると、以下のようになります。

1.教員の出身大学偏差値と傾向
私立大学偏差値50未満の出身者が圧倒的に多い
→ 教員(緑のバー)の割合が 37.9% と突出しており、他の職種(全就職者・公務員)と比べて明らかに高い。
→ これは、私立大学の偏差値が低めの層から教員になる人が多い傾向を示している。
偏差値が高い大学(国公立、私立偏差値65以上)出身の教員は少ない
→ 国公立大学出身の教員は 15.2% にとどまり、私立偏差値65以上は 5.3% にとどまる。
→ 高偏差値の大学から教員になる割合は低めであり、教育職が高学歴層にとって魅力的なキャリアになっていない可能性がある。

2.公務員(赤のバー)の傾向
・比較的バランスが取れている
→ 公務員は国公立出身 13.7%、私立偏差値65以上 19.5%、偏差値50~60の範囲で比較的均等に分布。
→ 偏差値が高い大学出身者も一定数公務員になっている。
・私立大学偏差値50未満の割合はやや低め(19.8%)
→ 教員と比べると、公務員はやや高偏差値の大学出身者が多い。

3.全就職者(青のバー)の傾向
・私立大学偏差値50未満が多い(28.4%)が、教員ほどではない
→ 教員と比較すると、企業などの就職先の方が高偏差値大学の出身者が分散している。
・国公立大学の出身者は少なめ(6.6%)
→ 企業に就職する人は国公立大学出身者よりも私立大学出身者の方が多い。

4.重要なポイント
・教員の偏差値50未満の大学出身者が非常に多い(37.9%)
→ 赤い矢印で強調されている通り、教員は低偏差値の大学出身者が占める割合が非常に高い。
→ これは、教育界が高学歴層にとって魅力的でない、あるいは給与や待遇面で課題がある可能性を示唆。
・高偏差値大学出身者は公務員や企業に流れる傾向がある
→ 私立大学偏差値65以上の出身者は公務員(19.5%)の方が教員(5.3%)よりも多い。

結論
このデータから、日本の教育業界が高学歴層を十分に惹きつけられていない可能性が示唆される。教員の待遇やキャリアパスの改善が必要と考えられる。また、私立大学の低偏差値層から教員になる人が多いことが、教育の質や社会的な評価にどう影響するのかも考察すべきポイントである。

2025年1月12日日曜日

ケプラーの法則

年末(12月29日)のテレビでだらだらと放送大学をみていた。松井哲男さんが出てくる「科学からの招待状」という生涯学習支援シリーズの一つだ。空間と時間 ~物理学の歴史を通して~ 第1回 人は測り始めた である。

ニュートン力学の成立を扱っているので,ケプラーの法則の説明がある。そこでは,太陽と惑星の距離がでてくるが,その求め方を地球から恒星までの距離を推定する場合の年周視差によって説明していた。うーむ。惑星は恒星と違って天球上で動いているわけなので,半年経てば別の場所にある。この説明ではちょっとマズイのではないか。

インターネットで検索してみても,ニュートン力学からケプラーの法則を導出するというような話ばかりで,肝腎な情報には行き当たらない。たぶん,科学史のちゃんとしたテキストにあたる必要があるのだが,専門家ではないのでそれはそれで大変だ。

こういうときはChatGPTに聞くに限る。それが本当に正しい答えかどうかはわからないが,少なくとも放送大学での公式説明よりはましかも。
Q(koshix):
放送大学の物理の授業で,ケプラーの法則における太陽から惑星までの距離の算出は三角測量によるという説明がありました。地球が太陽に対して半年(半周期)動く間の年周視差から求めるという説明です。しかし,この半年の間に対象の惑星も動いてしまうので,その説明はおかしいと思います。なおかつ,ケプラーの第2法則(面積速度一定)を導くには,一定の時刻ごとの惑星の距離を細かく求める必要があります。ケプラー当時の正しい惑星までの距離の算出方法を教えてください。

A(ChatGPT 4o):
ケプラー(1571-1630)の時代(16-17世紀)には、正確な天体の距離を測定する直接的な手段は存在せず、彼が導いた法則は全て当時の天文学的観測データを基にした理論的な成果です。特に惑星までの距離に関しては、ケプラーが自身で測定したのではなく、師であるティコ・ブラーエ(1546-1601)が収集した膨大で正確な観測データを利用しました。

以下、ケプラーがどのように惑星の軌道や距離を導き出したかについて説明します。

1.ケプラーのデータの基盤:ティコ・ブラーエの観測
ティコ・ブラーエは肉眼による観測で非常に精密な惑星の位置データを記録しました。このデータは地球から見た惑星の位置(天球上の角度)であり、視線方向に沿った正確な距離を含むものではありません。しかし、ケプラーはこのデータを用いて、惑星の相対的な位置関係と軌道の形状を特定しました。

2.惑星の軌道と距離を決定する方法
ケプラーが惑星の距離を導き出したプロセスは以下の通りです:

(1) 軌道形状の特定
ケプラーは火星の運動を解析し、地球中心ではなく太陽中心の楕円軌道であることを発見しました。特にケプラー第1法則(楕円軌道)を導くためには、火星が地球の位置に応じてどのように見えるかを計算し、楕円形状に適合させました。

(2) 相対的な距離の算出
ケプラー第3法則(公転周期の2乗が軌道長半径の3乗に比例する)を導く際、惑星の軌道の大きさを相対的な値として計算しました。この段階では、惑星の距離が具体的な長さ(例えばキロメートル)として測定されたわけではありません。

(3) 地球の公転周期を基準とした計算
地球の軌道を基準にして、火星など他の惑星の公転周期や位置を求めました。このプロセスで、地球が太陽の周りを公転していることを前提とした解析が行われます。惑星の位置はティコ・ブラーエの観測データと地球の軌道位置(半年ごとの視角差)を組み合わせて計算されました。

(4) 具体的な距離の単位の確立
ケプラー自身は「天文単位(AU)」という現代の距離単位を使うことはありませんでした。彼の計算は全て相対的なスケールで行われており、具体的な数値距離は後世の科学者が導きました。特に19世紀に恒星の年周視差が測定されるまで () 、天文単位をメートルやキロメートルに変換する手段は存在しませんでした。

3.あなたの疑問に対する回答
ケプラーの時代には「三角測量」や「年周視差」を利用して直接惑星の距離を測定することは不可能でした。年周視差は恒星の距離を測るための手法であり、ケプラー当時は恒星までの視差すら測定できていませんでした。ケプラーの法則は、視差や三角測量を直接使わず、惑星の相対的な位置とティコの観測データから導き出された理論です。

惑星が動いてしまうという点に関しては、ケプラーが惑星の動きや相対的な位置関係を細かく解析することで克服しています。彼はティコの観測データを楕円軌道に適合させることで、惑星の位置を追跡し、時刻ごとの距離を計算しました。

補足
実際に太陽と惑星の距離が具体的な単位で測定されたのは、以下の進展を経てからです:
・1672年:天文学者ジョヴァンニ・カッシーニが火星の視差 () を測定。
・19世紀:恒星の年周視差が測定され、天文単位の具体的なスケールが確立。
ケプラーの法則は、相対的な解析による成果であることを理解すると、当時の方法論の精巧さがより明確になります。



図:ヨハネス・ケプラー(Wikipediaから引用)

他の情報なども参考にしてわかったこと,わからなかったこと:

・ケプラーの法則は太陽と惑星の相対距離で記述されたものだった。
・最も重要なのは,ケプラーが楕円軌道を見つけたことだ。彼はティコ・ブラーエの観測データから,太陽と惑星のなす角度に着目して軌道の形を明らかにした。はず?
・惑星の楕円軌道上の位置が特定できれば,相対距離のままでケプラーの第二法則(面積速度一定)は導出可能だ。
・ケプラーの第三法則があるので,太陽と地球の距離が確定すれば,太陽と各惑星の距離も定まる。あれれ,話が逆だった。各惑星への相対距離はどうして求めた?
・太陽と地球の距離は,地球上の2点から見た太陽の視差から分析できる。これが,ChatGPTがいう1672年のジョバンニ・カッシーニによる火星の視差という話のようだ。Wikipediaではギアナとパリでの太陽の観測から地球−太陽間の距離を求めたとある。
・ジョバンニ・カッシーニの息子のジャック・カッシーニ(1677-1756)も地球の大きさを測定しての精度を向上させている。これらの蓄積が,1790年のメートル法につながっていく。

ちょっとまだ詰めが甘かった。


2024年12月5日木曜日

天理大学

とてもきれいに晴れていたので銀杏並木を見ようと天理市中心部に向かった。雲一つない青空で,天理教本部前の道路の銀杏並木には撮影しているグループを沢山みかけた。

さて,昼ご飯をどうしようということになったが,なかなか適当なところがない。で,行ったことはないけれど天理大学の学食はどうかと。Google Mapで検索するとすぐそばじゃないですか。指示通りに進むと遠回りして鍵のかかった裏口に誘導された。インドのケースのように建設中の橋を示され落下して死ぬよりはマシだ。

11時30分だというのに,広い食堂には学生がだれもいない。どうなっているのでしょう。営業はしていたので,カツカレーと天大がっつりセットを注文して1300円。食べ始めたら三々五々と学生さんがやってきた。レジには野球部と寮生の名簿があって,彼らはチェックするだけで食べられるらしい。

天理大学の杣之内キャンパスは天理教の建物や天理図書館が建ち並ぶ敷地内にあって幹線道路も通っているため,とてもオープンな環境になっていてよろしい。もちろん,食堂は一般の人も自由に利用できるわけだ。

食後,天理大学で韓国語の公開講座があるのか確かめに行こうと,事務室のある建物に向かった。そこには学生支援課と教務課しかなかったので,教務課で尋ねたところ,公開講座という言葉がまったく通じない。かろうじて科目等履修生の手続きは教えてもらえたが,どうなっているのでしょう。

家に帰ってから調べると,公開講座は2,3のごく限られたものだけであり,韓国語はなかった。たぶん,社会連携室あたりに問い合わせなければならなかったのだ。なお,奈良新聞社が主催し,天理大学と連携して開講している語学講座があることがわかった。



写真:天理大学の食堂(左)と講義棟(右)(2024.12.2 撮影)

2024年6月9日日曜日

国立大学協会声明

6月7日に国立大学協会理事会名で,国立大学協会声明が出された。タイトルは,国立大学協会声明------我が国の輝ける未来のために------である。A4,1ページ1000字の文書で,1.国立大学の覚悟,2.国立大学を取り巻く財務状況の悪化,3.輝ける未来への協働,4.国民の皆様へのお願い,からなるけれどもいいたいことは次に集約される。
2.国立大学を取り巻く財務状況の悪化
国家予算が厳しさを増すにつれ、国立大学の活動を支える基盤経費(運営費交付金)は減額されたままです。加えて、社会保険などの経費の上昇、近年の物価高騰、円安などにより基盤経費を圧迫し、実質的に予算が目減りし続けています。また、働き方改革の実現のため、大学教職員、学校教員や医師を確保する必要も出てきました。その中にあっても質の高い教育研究活動を維持・向上していくために、寄付金などの外部資金や自ら収入を増やす努力も進めています。そうして、我が国の課題、また地球規模の課題の解決に、教育と研究を通じて全力で取り組んできました。
しかし、もう限界です
確かに,限界である。全国立大学の授業料を10%あげたところで問題は解決しない。

(参考)としてあげられている国立大学理事会のメンバー32名には,会長補佐として大阪教育大学の岡本幾子学長の名前もあった。




2024年5月28日火曜日

大学資本主義

国立大学法人化20年国立大学授業料からの続き
Q(koshix):
Academic Capitalism(大学資本主義)とは何ですか。

A(ChatGPT-4o):
Academic Capitalism(大学資本主義)は、大学やその他の高等教育機関が経済活動や市場原理に基づいて運営される傾向を指します。この概念は、教育と研究が市場の力と結びつき、商業的利益や産業界との連携が重視されることを意味します。以下に、Academic Capitalismの主な特徴と背景を説明します。

特徴
1.市場志向の研究と教育
・大学が研究資金を企業から調達し、研究成果を特許として商業化する。
・学生の教育も市場のニーズに対応し、就職に直結するスキルや知識の提供が重視される。
2.企業とのパートナーシップ
・企業と大学が共同研究を行い、産業界との連携を強化する。
・大学の研究成果が産業界で直接活用される。
3.財政多様化
・公的資金に依存せず、企業や民間団体からの資金調達を増やす。
・大学自身のビジネス活動(例:技術移転、コンサルティング、起業支援など)によって収入を得る。
4.知識の商業化
・知識や技術の特許化、ライセンス化を通じて収益を得る。
・大学発ベンチャー企業の設立と支援。

背景
1.経済的プレッシャー
・公的資金の減少や教育費の増加に対応するために、新しい収入源を模索する必要がある。
2.競争の激化
・グローバル化により、大学間の競争が激化し、優秀な教員や学生を引きつけるための資金やリソースが必要。
3.技術と知識の進歩
・科学技術の発展に伴い、大学の研究が直接的に産業界で応用される機会が増えた。

Academic Capitalismは、大学の運営と研究の在り方に大きな変化をもたらし、教育と研究がより経済活動と結びつく傾向を強めています。この傾向には賛否両論があり、学問の自由や公共性とのバランスをどう取るかが重要な課題となっています。
日本の国立大学の法人化における,学長への権限集中,外部有識者=企業人による大学支配,選択と集中による研究教育環境の荒廃,などは,稼げる大学の名のもとに大学資本主義の論理が貫徹される過程として理解することができる。

Q(koshix):
大学資本主義の副作用を整理してください.どうすればこれを防げますか。

A(ChatGPT-4o):
大学資本主義には、いくつかの副作用があります。これらの副作用は、学問の自由や公共性、教育の質などに影響を及ぼす可能性があります。以下に主要な副作用と、それを防ぐための対策を整理します。

副作用
1.学問の自由の制約
・企業や産業界の影響が強まることで、研究テーマの選択や結果の発表に制約がかかる可能性があります。
・特定の利益集団にとって都合の悪い研究が抑制されるリスク。
2.教育の商業化
・教育プログラムが市場の需要に過度に依存することで、幅広い教養教育が軽視される可能性があります。
・学生が「顧客」として扱われることで、教育の質が低下するリスク。
3.不平等の拡大
・資金力のある大学とそうでない大学の間で格差が広がる。
・経済的に余裕のある学生とそうでない学生の間で教育機会の不平等が拡大する。
4.研究の短期志向
・短期的な利益や応用を重視することで、基礎研究や長期的な視野を持った研究が疎かにされる。
・産業界のニーズに応えるために、革新的なアイディアやリスクを伴う研究が敬遠される。
5.知識の商業化による公共財の喪失
・大学の研究成果が特許やライセンスを通じて商業化されることで、知識が公共財として広く共有されなくなる。
・社会全体が恩恵を受けるべき知識が、一部の企業や個人の利益に結びつく。

防止策
1.学問の自由と公共性の強化:
・大学の研究や教育が公的な利益に資するよう、学問の自由を法的・制度的に保障する。
・公的資金の適切な配分を通じて、企業依存を減らす。
2.多様な資金源の確保
・公的資金、民間資金、寄付など多様な資金源をバランス良く活用する。
・資金調達の透明性を確保し、利害関係の偏りを防ぐ。
3.教育の質と公平性の維持
・教育プログラムの多様性と質を確保し、商業的な圧力に左右されないカリキュラムを提供する。
・経済的背景に関わらず、全ての学生に公平な教育機会を提供するための奨学金制度の充実。
4.長期的視野を持った研究支援
・基礎研究やリスクを伴う革新的な研究を支援するための公的資金の増額。
・産業界との連携を維持しつつ、学術的な独立性を確保する。
5.知識の公共財としての活用
・大学の研究成果をオープンアクセスで公開し、知識の共有を促進する。
・特許やライセンスの商業化においても、公共の利益を考慮した戦略を採用する。

これらの対策を講じることで、大学資本主義の副作用を最小限に抑えつつ、大学が持つ教育・研究の公共的な役割を維持することが可能です。
無難な答えしか出てこないのであった。課題の列挙には役立つかもしれないけど。


図:「大学資本主義を象徴するシュールなイメージをください」の答え(DALL-Eより)


[2]アカデミック・キャピタリズム(S. スローター,L. L. レスリー)



2024年5月27日月曜日

国立大授業料

自分が大学に入学した1972年から大学の授業料が月3000円年3.6万円に上がった。それまでは,月1000円年1.2万円だった。この授業料値上げ反対闘争の影響で,阪大の入学試験では入構が厳しくチェックされていた。たぶん,最初の半期は月1000円が適用されていたかもしれない。

大学4年間はこれですんだが,修士課程に進学すると年9.6万円,博士課程では年14.4万円と急速に着実に授業料は上昇を続けた。1960年代の高度経済成長が終わり,1973-4年のオイルショックを経て,不景気モードの中で私立大学との格差を解消するというような名目の政策が進められた。

今では,国立大学の授業料は年53.6万円に達しているが,このところはデフレの影響で高止まりしたままになっていた(2005年度から上昇していない)。それが再び話題になり始めた。

1.3月27日,中央教育審議会・高等教育の在り方に関する特別部会で,慶応義塾塾長の伊藤公平(物理屋だったのか・・・伊藤忠兵衛来孫か・・・)が,国立大学の授業料を150万円にという,国立・公立・私立大学の協調と競争を促す学納金体系を提案したことが発端だ(2月27日にも発言している)。これが,5月に入ってマスコミに取上げられたことで波紋を広げた。

2.5月8日,NHKが東京大学が授業料を10万円程度引き上げることを検討していると報道。国立大学の授業料は,文部科学省の国立大学等の授業料その他の費用に関する省令によって,標準額の120%までの増額が各大学の判断で可能になっている。既に,東京芸術大学,東京医科歯科大学,東京工業大学が120%の年64.3万円なので,これに続くということか。

3.5月16日,自民党の政務調査会の一つ,教育・人材力強化調査会(会長:柴山昌彦,他に櫻田義孝,義家弘介,片山さつき等・・・orz)が,国立大学は競争力強化へ適正な授業料を聴取すべきだとの提言をまとめた。慶応の伊藤塾長の発言に呼応したものだろう。

奨学金という名前の学生ローンシステムをそのままにして,窮乏する国家における格差拡大路線まっしぐらという感じか。


図:国立大学と私立大学の授業料の推移

自分が学生の時は,授業料が相対的に最も安い時期だったことがわかる。伊藤公平の議論は全体としておもしろいところもあるけれど,いつものように単に学費値上げだけが実現されて悲しい結果になるのが火を見るより明らか。


[2]国立大学12の真実(東京大学)

2024年5月13日月曜日

霊長類研究所

昔,犬山城へは行ったことがあるが,日本モンキーセンターの記憶ははっきりしない(確認すると確かに訪れたとのこと)。その隣に京都大学霊長類研究所(1967-2022)があったはずだ。

霊長類研究所はチンパンジーのアイちゃん(1976-)でおなじみだ。童謡のアイアイは,アイちゃんの歌だと思っていたけれど,どうやらマダガスカルのアイアイのことだったらしい。松沢哲郎(1950-)のチンパンジーの知能の研究が有名で,NHKでも何度か特集が組まれていた。

2019年に研究資金の不正使用が報道され,2020年に京都大学の調査委員会は5億円の不正使用があったことを認めた。この結果,2022年3月に霊長類研究所の組織は解体され,一部がヒト行動進化研究センターとして再編された。

その事情を分析した霊長類研究所解体の経緯を考える(杉山幸丸,相見満,黒田末寿,佐倉統,2024)という論文があった。その結論は次のとおりであった。
第1に、ことの発端は飼育チンパンジーを収容する大型の檻2基の設置工事をめぐる業者とのトラブルであるが、事態をここまで悪化させずに収束させられたかもしれないと考えられる時点が複数存在したこと。第2に、このような大型工事が可能になったのは霊長類研究所のA教授とそのグループが霊長類学としては巨額の研究資金獲得に成功したからであり、その背景要因のひとつとして文部科学省による「選択と集中」政策があったこと。これらの構造的要因を踏まえて再発を防ぐには、教育研究組織のリーダーや運営責任者は、単に研究教育面だけでなく、組織の経営管理についても高い見識を有することが求められ、そのような研修をリーダーに義務づける必要があると思われる。
てこと〜(へライザー総統口調で)。日本の研究環境の格差拡大と研究力の疲弊化を招いたことを含め,どう考えても文部科学省の「選択と集中」は誤った政策だった。


写真:チンパンジーのアイちゃん(問題の発端である読売新聞から引用)

2024年4月9日火曜日

国立大学法人化20年

2004年4月に国立大学が法人化されてから20年がたった。

各新聞では,国立大学法人化20年の功罪をとりあげている。大半は,正確な分析や反省を抜きにして,研究を強化しようというなまぬるい無内容なスローガンを掲げたものだ。

驚いたのは朝日新聞の国立大学学長アンケートだ。86国立大学の79人が回答し,その7割が法人化によって大学は教育研究機関として悪い方向に進んだと回答した。記事のタイトルもそのようになっている。びっくりしたのはそうではなくて,3割26人がよくなったと回答していることのほうだ。すごいよね。

中日新聞でも同様の傾向が出ていた。中部圏16大学の学長の4割が法人化を評価しているというものだ。現体制の勝者としての学長達の多くはこのシステムを評価しているのか。なるほど,闇が深いわけだ。

日本経済新聞の4月8日朝刊教育面では,ボストンカレッジのフィリップ・アルトバック名誉教授を引っ張り出してきて,日本の大学の国際競争への課題を語らせていた。いいのだけれど,明らかな誤認が含まれていた。「日本の問題は,学生の80%近くが私立大学の通っていることだ。これらの多くは規模が小さく,人口が急速に減る地方に位置している。・・・」

前段は正しいが,後段は誤り。日本の私立大学の学生定員の多くは都市部にある。地方にはそもそも私立大学も少ないのだ。確かめた結果が以下の表。

国公立大学私立大学合計(%)
北海道0.600.921.53 
青森県0.660.571.23 
岩手県0.540.360.90 
宮城県0.611.522.13 
秋田県0.760.150.91 
山形県0.740.351.09 
福島県0.370.430.80 
茨城県0.610.340.96 
栃木県0.210.861.07 
群馬県0.610.861.47 
埼玉県0.111.351.47 
千葉県0.181.541.72 
東京都0.374.514.88 
神奈川県0.141.761.90 
新潟県0.680.601.28 
富山県0.960.101.06 
石川県0.921.532.45 
福井県0.800.501.30 
山梨県1.030.931.97 
長野県0.630.220.85 
岐阜県0.340.661.00 
静岡県0.380.540.92 
愛知県0.352.002.35 
三重県0.360.410.77 
滋賀県0.491.782.27 
京都府0.834.885.71 
大阪府0.362.292.64 
兵庫県0.371.732.10 
奈良県0.371.081.45 
和歌山県0.570.370.94 
鳥取県1.170.061.23 
島根県1.090.001.09 
岡山県0.661.362.02 
広島県0.621.321.94 
山口県1.090.271.36 
徳島県0.890.711.59 
香川県0.630.310.94 
愛媛県0.630.641.27 
高知県1.250.121.37 
福岡県0.531.602.13 
佐賀県0.710.240.95 
長崎県0.800.481.27 
熊本県0.560.831.39 
大分県0.450.891.34 
宮崎県0.560.330.89 
鹿児島県0.590.390.98 
沖縄県0.680.551.23 
平均値0.610.961.58
標準偏差0.260.970.93

平成5年度の各都道府県の本部所在大学の学部学生数を,当該自治体の人口で除したもの(%)。上位は黄色,下位は水色で示した。明らかに私立大学学生の割合が高いのは首都圏,近畿圏と名古屋なのである。なお,国公私立全大学生数の対人口比は,京都-東京-大阪-石川-名古屋の順で高い。江戸時代の都市の文化度順なのか?


図:各都道府県の国公立大学の学生率(横軸)と私立大学の学生率(縦軸)

東京と京都が私立大学の突出した2点に対応している。私立大学の全国での偏りは非常に大きい。国立大学は関東圏の数県を除けば,高々1:3の範囲に収まっている。