2025年1月12日日曜日

ケプラーの法則

年末(12月29日)のテレビでだらだらと放送大学をみていた。松井哲男さんが出てくる「科学からの招待状」という生涯学習支援シリーズの一つだ。空間と時間 ~物理学の歴史を通して~ 第1回 人は測り始めた である。

ニュートン力学の成立を扱っているので,ケプラーの法則の説明がある。そこでは,太陽と惑星の距離がでてくるが,その求め方を地球から恒星までの距離を推定する場合の年周視差によって説明していた。うーむ。惑星は恒星と違って天球上で動いているわけなので,半年経てば別の場所にある。この説明ではちょっとマズイのではないか。

インターネットで検索してみても,ニュートン力学からケプラーの法則を導出するというような話ばかりで,肝腎な情報には行き当たらない。たぶん,科学史のちゃんとしたテキストにあたる必要があるのだが,専門家ではないのでそれはそれで大変だ。

こういうときはChatGPTに聞くに限る。それが本当に正しい答えかどうかはわからないが,少なくとも放送大学での公式説明よりはましかも。

Q(koshix):
放送大学の物理の授業で,ケプラーの法則における太陽から惑星までの距離の算出は三角測量によるという説明がありました。地球が太陽に対して半年(半周期)動く間の年周視差から求めるという説明です。しかし,この半年の間に対象の惑星も動いてしまうので,その説明はおかしいと思います。なおかつ,ケプラーの第2法則(面積速度一定)を導くには,一定の時刻ごとの惑星の距離を細かく求める必要があります。ケプラー当時の正しい惑星までの距離の算出方法を教えてください。

A(ChatGPT 4o):
ケプラー(1571-1630)の時代(16-17世紀)には、正確な天体の距離を測定する直接的な手段は存在せず、彼が導いた法則は全て当時の天文学的観測データを基にした理論的な成果です。特に惑星までの距離に関しては、ケプラーが自身で測定したのではなく、師であるティコ・ブラーエ(1546-1601)が収集した膨大で正確な観測データを利用しました。

以下、ケプラーがどのように惑星の軌道や距離を導き出したかについて説明します。

1.ケプラーのデータの基盤:ティコ・ブラーエの観測
ティコ・ブラーエは肉眼による観測で非常に精密な惑星の位置データを記録しました。このデータは地球から見た惑星の位置(天球上の角度)であり、視線方向に沿った正確な距離を含むものではありません。しかし、ケプラーはこのデータを用いて、惑星の相対的な位置関係と軌道の形状を特定しました。

2.惑星の軌道と距離を決定する方法
ケプラーが惑星の距離を導き出したプロセスは以下の通りです:

(1) 軌道形状の特定
ケプラーは火星の運動を解析し、地球中心ではなく太陽中心の楕円軌道であることを発見しました。特にケプラー第1法則(楕円軌道)を導くためには、火星が地球の位置に応じてどのように見えるかを計算し、楕円形状に適合させました。

(2) 相対的な距離の算出
ケプラー第3法則(公転周期の2乗が軌道長半径の3乗に比例する)を導く際、惑星の軌道の大きさを相対的な値として計算しました。この段階では、惑星の距離が具体的な長さ(例えばキロメートル)として測定されたわけではありません。

(3) 地球の公転周期を基準とした計算
地球の軌道を基準にして、火星など他の惑星の公転周期や位置を求めました。このプロセスで、地球が太陽の周りを公転していることを前提とした解析が行われます。惑星の位置はティコ・ブラーエの観測データと地球の軌道位置(半年ごとの視角差)を組み合わせて計算されました。

(4) 具体的な距離の単位の確立
ケプラー自身は「天文単位(AU)」という現代の距離単位を使うことはありませんでした。彼の計算は全て相対的なスケールで行われており、具体的な数値距離は後世の科学者が導きました。特に19世紀に恒星の年周視差が測定されるまで () 、天文単位をメートルやキロメートルに変換する手段は存在しませんでした。

3.あなたの疑問に対する回答
ケプラーの時代には「三角測量」や「年周視差」を利用して直接惑星の距離を測定することは不可能でした。年周視差は恒星の距離を測るための手法であり、ケプラー当時は恒星までの視差すら測定できていませんでした。ケプラーの法則は、視差や三角測量を直接使わず、惑星の相対的な位置とティコの観測データから導き出された理論です。

惑星が動いてしまうという点に関しては、ケプラーが惑星の動きや相対的な位置関係を細かく解析することで克服しています。彼はティコの観測データを楕円軌道に適合させることで、惑星の位置を追跡し、時刻ごとの距離を計算しました。

補足
実際に太陽と惑星の距離が具体的な単位で測定されたのは、以下の進展を経てからです:
・1672年:天文学者ジョヴァンニ・カッシーニが火星の視差 () を測定。
・19世紀:恒星の年周視差が測定され、天文単位の具体的なスケールが確立。
ケプラーの法則は、相対的な解析による成果であることを理解すると、当時の方法論の精巧さがより明確になります。



図:ヨハネス・ケプラー(Wikipediaから引用)

他の情報なども参考にしてわかったこと,わからなかったこと:

・ケプラーの法則は太陽と惑星の相対距離で記述されたものだった。
・最も重要なのは,ケプラーが楕円軌道を見つけたことだ。彼はティコ・ブラーエの観測データから,太陽と惑星のなす角度に着目して軌道の形を明らかにした。はず?
・惑星の楕円軌道上の位置が特定できれば,相対距離のままでケプラーの第二法則(面積速度一定)は導出可能だ。
・ケプラーの第三法則があるので,太陽と地球の距離が確定すれば,太陽と各惑星の距離も定まる。あれれ,話が逆だった。各惑星への相対距離はどうして求めた?
・太陽と地球の距離は,地球上の2点から見た太陽の視差から分析できる。これが,ChatGPTがいう1672年のジョバンニ・カッシーニによる火星の視差という話のようだ。Wikipediaではギアナとパリでの太陽の観測から地球−太陽間の距離を求めたとある。
・ジョバンニ・カッシーニの息子のジャック・カッシーニ(1677-1756)も地球の大きさを測定しての精度を向上させている。これらの蓄積が,1790年のメートル法につながっていく。

ちょっとまだ詰めが甘かった。


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