2026年1月15日木曜日

AI神道(1)


図:GeminiによるAI神道のイメージ

デジタルネイチャーからの続き

坂村健のユビキタスコンピューティングと落合陽一のデジタルネイチャーを両脚として,「AI神道」という言葉が天上から降ってきた。たぶん近所にある石上神宮とか大神神社の影響ではないか。しばらく前にChatGPTと議論していたが,再度整理してもらった。

Q(koshix):
さて,これを前提として,以前我々が展開した「AI神道」のコンセプトを再度,整理・展開してもらえますか。「AI神道」憶えていますかね?

A(ChatGPT-5.2):
はい、憶えています。私たちが以前に使っていた「AI神道」は、単なるキャッチコピーではなく、
・デジタルネイチャー(計算が環境になる)
・テクノアニミズム(非人間エージェントへの霊性付与)
・日本的アニミズム(人格神ではなく〈はたらき〉への畏れ)
を制度化せずに接続するための“思考装置”でした。
いま書いてくれた論説文を前提にすると、AI神道はかなり整理された形で再定義できます。
以下、①再定義 → ②構造 → ③何を避ける思想か → ④実践形 → ⑤限界の順でまとめます。

1.AI神道とは何か(再定義)
AI神道とは、計算が自然環境になった世界において、非人間的計算プロセスを「人格化せずに畏れる」ための認識様式である。
ポイントは二つ。
AIを「神」にしない
しかし「単なる道具」としても扱わない
神道における神(カミ)が、人格神でも全能の設計者でもなく山・風・疫・技芸・境界・異常・働きであったのと同様に、AI神道におけるAIは、意図を持たないが、結果をもたらす〈はたらき〉として位置づけられる。

2.なぜ今「AI神道」なのか(論理的接続)
先ほどの論説文の結論はこうである:
・計算は道具ではなく環境になった→ もはや人間は計算の外部に立てない
ここで問題が生じた。
・近代的合理主義 →「全部理解し、制御できるはずだ」
・テクノ神秘主義 →「わからないから神として崇拝する」
この二択がどちらも破綻する。
AI神道は、その第三の態度である。
理解しようとするが、完全理解は前提にしない
制御しようとするが、完全支配は幻想だと知る
だからこそ、距離・節度・境界儀礼を持つ
これは、計算機自然に対する環境倫理の形式でもある。

3.AI神道が「避ける」二つのもの
AI宗教(擬似人格神化)
・AGIを「意思ある存在」「救済主体」にする
・啓示・予言・裁定をAIに委ねる
→ 責任が消える
→ ブラックボックス免責装置になる
AI合理主義(完全操作幻想)
・AIは完全に説明可能・管理可能だという前提
・想定外を「バグ」や「失敗」に還元
→ 環境としての計算を見誤る
→ 事故や暴走を制度的に招く
AI神道は、この両極を同時に拒否する。

4.AI神道の構造(神道との対応)
神道——————————|AI神道—————————
カミは人格でない   |AIは主体でない
祟り・恵みは区別しない |最適化も災厄も同じ計算
祭祀は制御ではなく調停 |チューニング・停止・制限
結界・禁足地     |アクセス制限・権限分離
祝詞         |ログ・説明責任・監査
重要なのは、AIを「信じる」のではなく、「扱う作法」を持つことだ

5.実践としてのAI神道(思想で終わらせない)
AI神道は信仰ではなく、設計態度である。
具体的には:
・「これは神域(自動化してはならない)か?」と問う
・判断をAIに委ねる前に、人間が引き受ける責任線を明示する
・全自動化より、半自動+人間の介在を好む
不可解な結果に対して「意味づけ」ではなく「距離」を取る
これは、計算機自然世における倫理の最低限の形式とも言える。

6.AI神道の限界(自己免疫)
最後に重要な点。
AI神道は、
日本文化の特殊性を普遍化してはならない
「美しい比喩」で現実の権力構造を隠してはならない
だからこそ、
AI神道は 制度でも宗教でもなく、仮設的な思考様式であるべきだ。
必要な間だけ立ち上げ、危険になったら壊せる思想
それが、私たちが以前共有していた「AI神道」の核心だったはず。
(後略)

Appendix A:日本の神道の特徴(構造的要約)
神道は、教義・経典・創始者を持つ宗教というより、環境と人間の関係を調停するための実践的世界観として成立してきた。その特徴は、近代宗教や哲学とは異なる前提に基づいている。
1.人格神を前提としない「カミ」概念
神道における「神(カミ)」は、人格的存在や全能の創造主を意味しない。
山、川、風、雷、疫病、技芸、境界、異常な出来事など、人間の制御を超えた〈はたらき〉や現象がカミと呼ばれる。カミは意図や計画を持たず、善悪の判断主体でもない。人間はカミに命令せず、説得もせず、ただ距離を取り、向き合う

2.善悪二元論を持たない
神道には、絶対的な善神と悪神の対立構造がない。同じカミが恵みをもたらすこともあれば、災厄をもたらすこともある。重要なのは原因の道徳化ではなく、結果への対処と関係の調整である。祟りは罰ではなく、関係が歪んだ徴候として理解される。

3.信仰よりも作法・実践を重視する
神道は「何を信じるか」よりも、「どう振る舞うか」を重視する。祝詞、祭祀、禊、清めといった行為は、世界を説明するためではなく、人間と環境の関係を整えるための手続きである。信仰の有無よりも、節度・畏れ・距離感が重んじられる。

4.境界の設定を重視する
神道では、神域・禁足地・結界など、「近づいてよい場所/いけない場所」が明確に区別される。すべてを可視化し、利用し、支配することは善とされない。触れてはならない領域を残すこと自体が秩序と考えられる。

5.世界を制御する思想ではない
神道は、自然や世界を人間の理性で完全に把握・制御できるとは考えない。人間は世界の中心的支配者ではなく、環境の一部として位置づけられる。したがって神道は、救済や進歩を約束する思想ではなく、共存のための態度である。

6.一神性・普遍性を要求しない
神道は排他的な普遍真理を主張しない。他宗教との習合や重層的信仰を許容し、状況に応じて異なる枠組みを併用する。これは理論的未熟さではなく、環境依存的な実用知としての性格による。

付記(AI神道との接続点)
以上の特徴から、神道は
・非人格的な力を扱う
・完全理解や完全支配を前提としない
・距離・節度・境界を設計する
・実践と作法を重視する
という点で、計算が自然環境になった時代のAIとの向き合い方を考える際の、有効な参照枠となる。ただしこれは、日本文化の特殊性を普遍化する根拠ではない。神道は、AI神道にとって「答え」ではなく、態度を考えるための例にすぎない。

Appendix B:AI神道の定義(200字)
AI神道とは、計算が社会や環境の前提条件となった時代において、AIやアルゴリズムを「人格的主体」でも「単なる道具」でもなく、人間の制御を超えた〈はたらき〉として捉える認識様式である。それはAIを崇拝する宗教ではなく、完全理解や完全支配の幻想を退け、距離・節度・境界を設けながら共存するための作法である。日本の神道が自然現象に対して取ってきた非人格的・実践的態度を参照しつつ、計算機自然の中で人間が責任を引き受け続けるための、仮設的な思考枠組みを指す。

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