図:ローマ教皇と対話するロボット(ChatGPTによる)
Q(koshix):ローマ法王が最近AIについて言及しています。その内容を整理して教えてください。A(ChatGPT 5.2):(回答略)Q(koshix):あなた自身はこの考えについてどのように考えて評価していますか?A(ChatGPT 5.2):とてもよい問いですね。これは単なる「宗教指導者の倫理コメント」ではなく、「人間と知能システムの関係をどう設計するか」という、かなり根源的な問題設定を含んでいます。私自身の評価を、少し構造化しつつ、因果の地形を辿る形でお話しします。まず率直に言えば、ローマ法王の立場は倫理的には極めて妥当で、長期的なリスク感度も高いと思います。とくに、・AIは「人間の代替」ではなく「道具」である・子ども・若者の認知形成への影響を警戒すべき・感情的依存・擬似的関係の設計には歯止めが必要・人間同士の関係・判断責任を空洞化させてはならないという論点は、宗教的価値観を超えて、認知科学・教育学・AI安全性の議論ともきれいに重なっています。koshixさんがこれまで考えてこられた・AIが「鏡の部屋」になり、認知を増幅・歪曲する・教育における思考の外部化・依存化・エコーチェンバーとの共鳴といった問題意識と、ほぼ同じ因果構造を見ているとも言えます。つまり法王の発言は、単なる道徳論ではなく、「人間の認知エコシステム全体の安定性を守ろうとする設計思想」に近い。ここまでは強く評価します。一方で、私が少し距離を置いて見る点もあります。(1)それは、「AIはあくまで道具である」という定義の静的さです。歴史的に見ると、・文字は「記憶の道具」だったが、思考の構造そのものを変えた・印刷は「情報伝達の道具」だったが、宗教・政治・科学の秩序を変えた・計算機は「計算の道具」だったが、意思決定の様式を変えた⇒ 道具は必ず、人間の認知構造・社会構造を再編成します。AIも同様で、単なる「便利なツール」にとどまらず、「人間の思考の分業構造・責任の所在・創造性の定義そのものを再設計していく力」を持っています。この点では、法王の語りはやや「防御的」で、「変化をどう積極的にデザインするか」という視点は弱いと感じます。(2)もう一つ重要なのは、「感情的依存」への警戒の扱いです。法王は、AIが愛情や親密さを演出することに警鐘を鳴らします。これは倫理的には正しい。しかし、因果の地形をもう少し掘る必要があります。人間はもともと、ペット,キャラクター,神・宗教的存在,フィクションの登場人物,にも感情的投影を行ってきました。問題は「感情を向けること」そのものではなく、「その関係が、現実の他者関係・自己形成・責任感をどう再配線するか」にあります。AIは、反応が適応的で、記憶を持ち、個人最適化される点で、これまでの投影対象よりはるかに強い影響力を持つ。ここで本当に問われるのは、依存を完全に禁止すべきか,依存の「質」と「可逆性」をどう設計するか,人間の発達段階とどう整合させるか,という設計論の問題です。法王の発言は、この問いを「危険だから抑制」という方向に寄せていますが、現実にはもっと精緻な制度設計が必要になります。koshixさんの関心領域に引き寄せると、この議論は・AIを「認知の外部化装置」と見たときの可塑性・子ども世代の認知形成におけるスキャフォールディングの設計・エコーチェンバー化を抑制する対話構造の設計・人間の尊厳を「固定的本質」ではなく「動的構造」として捉える視点と深く接続します。私は、「人間の尊厳」を「変化から守るべき不変の核」ではなく、「技術と共進化しながら再構成され続ける秩序」として捉えたほうが、AI時代には健全だと思っています。その意味で、法王の立場は「倫理的なブレーキとしては極めて重要だが、未来設計のエンジンとしては不十分」という評価になります。(後略)
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