東京節(1918)の別名はパイノパイノパイで,ジョージア行進曲のメロディーに演歌師の添田知道(添田さつき)(1902-1980)が詞をつけたものだ。彼の父親は添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう,1872-1944)という演歌師だった。
最後の演歌師といわれる桜井敏雄(1906-1996)がバイオリンをひきながら,なぎら健壱と東京節を歌っているものや,打楽器奏者土取利行の東京節や解放節を聴くことができる。なかなか味わい深い。これが,後の高石ともや,フォーククルセダーズ,岡林信康などにつがなっているのかも。
写真:添田唖蝉坊(大磯町のページから引用)
[1]添田唖蝉坊超人気シンガーソングライター(大磯町)
[2]のんき節(添田唖蝉坊,土取利行)
[3]あきらめ節(添田唖蝉坊,土取利行)
[4]ストライキ節(添田唖蝉坊,土取利行)
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