湯川さんを見たことが1度だけある。理学部物理の4回生のときに,毎回ゲストをよんで1時間くらいその専門分野の話を聞く授業があった。理学部5階のD501という階段教室で行われるが,誰でも参加して話を聞くことができるため,ノーベル賞2回受賞者のジェームス・バーディーン(1908-1901)のときなどは満席だった。湯川さんのときもそうだった。ただ,自分が湯川さんの話を聞いたのが,4回生のときだったのか大学院生のときだったのははっきり憶えていない。湯川さんはすでに京都大学を定年退職していて,病み上がりだったのかなんだかで,長いあごひげをはやしていた。で,なんの話をしたのかはまったく記憶にない。たぶん,あまりおもしろくなかったのです。
自分の所属していた森田研究室は,伏見研を引き継いだ内山研から派生しているので,湯川さんの流れを引いていることになる。また,研究内容も原子核における弱い相互作用と中間エネルギー物理であり,中間子交換流の話などまさにテーマのつながっているわけだった。したがって,いつも湯川ポテンシャルと戯れている人もいるのだった。
写真提供:大阪大学湯川記念室
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