そのコンビーフの缶が廃止されるらしい。コンビーフの野崎産業は,合併後に川商フーズになっていて,その歴史がここにある。特殊な缶の製造設備なので更新するのが難しかったらしい。最近ほとんど食べていないけど,あの缶を空けるのはいやじゃなかった(むしろ楽しいよ)というのは家人の説である。
写真:最近入手したノザキのコンビーフ(2020.1.17撮影 追加)
芥川龍之介が「蜘蛛の糸」を発表して百年。高二の秋の文化祭,クラスの仮装行列のテーマが 蜘蛛の糸だった。お釈迦様の極楽タワーの竹を近所から切り出し,地獄の焔と煙の絵を描いた。犍陀多に続いて蜘蛛の糸(登山部の赤いザイル)に群がる地獄の亡者だったころ。
こどもたちのデザインマインドを育む番組 NHK Eテレ「デザインあ」。本展は「デザインあ」のコンセプトを、体験の場に発展させた展覧会です。身のまわりに意識を向け(みる)、どのような問題があるかを探り出し(考える)、よりよい状況をうみだす(つくる)という一連の思考力と感性を「デザインマインド」ととらえ、多彩な映像表現をもちいて伝えてきました。デザインあ展は、この「デザインマインド」を、見て、体験できる展覧会です。
物理を専攻する学生にとってベクトル解析の習得は最も重要な課題の一つである。しかし,初心者には面倒な添字の扱いに困難を感じることが多いようだ。一方,テンソル代数を直観的に扱って効率的に計算する図形的表現があることが知られている。これは代数計算と同等な記憶コードに相当するものだ。問題は,LaTeXで簡単に書けないことかもしれない。まったくできないわけではないが。
図形的表現法は,教育的な文脈ではベクトル空間の代数的な扱いについて応用されているが,これを3次元ユークリッド空間のベクトル解析におけるベクトル場の微積分に適用している文献はない。
そこで,物理学専攻の学生と教育者を対象として「ベクトル解析の図形表現」を導入し、その教育学的利点を示し,純粋な数学的な等式と物理学の実用計算の両方を含む十分な演習を提供します。図形表現は教育環境で容易に利用でき,ベクトル解析の学習と実践の障壁を下げるだけでなく,学生に興味を持たせ、ベクトル解析の構文を操作してテンソルの言語を発見的に学習して理解するようになる。
「今,RTした三人のツイート,興味深いポイントだ。僕の思うところは,また違うのだが。「膨張する「個人」を抑えられなくなって社会が均衡を失いつつある」ってのは,正しいのではないだろうか。」
「ただし,それはこれまでフツーにあったはずの「社会規範」が失われ,「社会が均衡を失いつつある」ということだ。法に定めなくても,あったような共同体の規範。あるいは,野間通易がいうところの,「だいたいの正義」でもいい。それが失われてきている。」
「そうした個人主義の膨張が,価値相対性や新自由主義への道を辿る一方で,社会規範から解放されたいと願い,解放されたかのように感じている個人が,「社会」ならぬ「国家」と添い寝するようになったのが,今の日本の状況ではないだろうか。」
「「膨張する個人」は,身近にあった社会規範を嫌う一方で,肉屋が好きな豚のように,国家によるコントロールなら喜んで受け入れるし,そこに同化して,他者をコントロールすることに快楽さえ見出している。そんな光景を見ているように思うのだよね,僕は。」
「モリカケサクラもつまりは,これまでフツーにあったはずの社会規範,法に定めずともあったような共同体の規範,当たり前の正義だったり,人としての道だったりするものが,政府の中枢で完全に失われ,国家がいいように私物化されている図な訳でしょ。」
「その意味では,安倍晋三は社会規範から解放されたいと願う「膨張する個人」の権化であり,写し鏡なんだよ。自分の力が及ぶスモール・ワールドでは,同じように振る舞いたいと思っている人々の。」
「だから,彼らはモリカケサクラを前にしても,糾弾するどころか喝采を送り,安倍と同化して,フツーの社会規範,当たり前の正義を求める側こそを叩くわけだ。それこそ,「膨張する「個人」を抑えられなくなって社会が均衡を失いつつある」光景だよ。」大阪での維新勢力の跋扈も全く同根であるように見える。そこには利権の顔を隠すためのうっすらと反権力的なニセ化粧さえ施されている。そして,共同体を支えてきたのが,主体的な個人間の万有引力ではなく,権威主義的な殻による社会的な斥力だったことも話を複雑化している。維新に攻撃されている学校や行政には確かに大阪人の反発を招く種もなかったとはいえない。
私の答え、その3:「いろいろ考えてきたんだが、私の答えは、いまの日本は、〈2011.3.11〉のトラウマから説明するのが一番分かりやすい、というもの。あの大地震、津波、原発事故のショック下に日本人たちは今もまだいるんだ。」
「それで、日本人たちの半分ぐらいに、精神分析のいう、le déni de réalité の反応を引き起こした。現実を否認して出来事は全くなかったかのごとく暮らすように決めた。それで、あの出来事はまるで夢のなかで起こった出来事であったかのように、悪夢のように忘れさることに決めたのさ。」
「そこに入り込んだのが、アベとその一味による今のアベ政権だというわけだ。3.11はとっても好都合なことに、たまたま野党がごくまれに政権についていたときに偶然起こった。災害の準備を怠ったのも原発を始めたのもあらゆる対策をネグッたのも全部自民党政権だったのにね。」
「それで、あの出来事全体の一切合切をアベたちは全部野党のせいにすることにした。すべての現実を否認して、他者に責任を転嫁することにした。そして、あの出来事の自分たちの責任と影響をすべて否認することにした。」
「それだけじゃなく、今の日本は世界から落伍していきつつあるし、経済もうまく行っていないし、人口を激減で衰退がせまっているのに、そんなことはいっさいない、というストーリーを組み立てることにした。お金も狸の葉っぱみたいに刷り続けて見せかけだけは株価をつりあげて経済もうまくいってる」
「ように見せかけることにした。すべてを「現実の否認」の政治で塗り込めるようにした。それが、あのアベという男の長期政権なのさ。ウソを基調にした、ポスト・トゥルースの政治なのさ。」[1] NULPTYX.COM 石田英敬のブログ