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2022年8月8日月曜日

高等教育研究センター(2)

高等教育研究センター(1)からの続き

8月4日,京都大学の高等教育研究開発推進センターの廃止のお知らせが公開された。2022年9月30日を持って廃止されたあと,コンテンツの一部は,教育学研究科高等教育学コースのHPに移管されるとあるが,ほとんどはそのまま無残にも捨てられるようだ。廃止されるセンタースタッフの所属は上記の教育学研究科に確保されている。

今後のICT活用教育関連の各プラットフォームの対応について,は,JMOOC(gacco)のうち,国際高等教育院附属データ科学イノベーション教育研究センターから提供する講義のみ継続ということで,その他は全滅なのである。

(1) 京都大学OCW

(2) MOOC(edX)

(3) SPOC(KoALA

(4) JMOOC(gacco)

(5) サポートサイト(CONNECT)

(6) 高大接続を促進するためのポータルサイト(KNOT)

確かに,あれもこれもと欲張ってゴチャゴチャしていたので,整理が必要であったかもしれない。OCW閉鎖への対応についてはアナウンスがでているが,以下の回答に関係者の無念さがにじんでいる。

京都大学のOCWは今後どうなるのですか

10月以降の状況については当センターではお答えしかねます。OCWは今世紀に入りオープンエデュケーション/教育のオープン化と呼ばれるムーブメントの中で広がってきた取り組みで,2019年にはユネスコでOER*勧告(ICTを利用した教育のオープン化に関わる教材のグローバルな普及促進に関する勧告)が全加盟国の一致でなされています。今後、国内でも教育のオープン化に関わる取り組みが広がってくると思われます。2005年の立ち上げ以降,その一端を担ってきた本学のOCWがこのような形で失われることは残念でなりません

[1] 京大OCW閉鎖の件に寄せて:これからの可能性だったものの一つ(digitalnagasaki)

2022年8月2日火曜日

高等教育研究センター(1)

昨日,京大の科学哲学の伊勢田哲治(1968-)さんが,次のようにツイートしていた。
京都大学の教育に関する情報共有・情報発信をしてきた高等教育研究開発推進センターが9月末で廃止されるとのこと。組織としては廃止されるとしても業務は移管されて残るのだろうと思っていたら、OCWやMOOCやCONNECTも含めてほとんどの業務がそのまま廃止の予定だという。
えぇーっ!である。早速,京都大学高等教育研究開発推進センターのホームページを見たが何も書いていない。しかし,センター長の飯吉透さんの任期が,2022年4月から6ヶ月(普通はありえない)となっていたので多分そうなのだろう。

放送教育開発センター(1978-2003)改めメディア教育開発センター(1997-2009)の廃止,教育情報ナショナルセンター(2001-2011)の廃止につぐ,日本のICT教育システムがまったく長続きしない問題の大ヒット事案だ。

各大学の高等教育研究センターは,国立大学の教養部解体の過程で1990年代半ばに登場した。ちょうどインターネットの商用化がスタートしたころだが,当初は,ICTとの関連が強調されていたわけではない。その後,OCW/MOOC,YouTubeからコロナ禍下でのZoom/オンライン授業へと,高等教育におけるICT対応の中心的な役割も果たしてきた。本当に,この盥の水をすべて流してしまうのだろうか?
東北大学
http://www.ihe.tohoku.ac.jp
大学教育研究センター(1993-)
高等教育開発推進センター(2004-)
高度教養教育・学生支援機構(2014-)

東京大学
https://www.he.u-tokyo.ac.jp
大学総合教育研究センター(1996-)
[全学センター→学内共同教育研究施設(2019-)]

名古屋大学
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/link/jpcenter.html( 国内の高等教育研究センター)
高等教育研究センター(1998-)

京都大学
http://www.highedu.kyoto-u.ac.jp
高等教育教授システム開発センター(1994-)
高等教育研究開発推進センター(2003-)
(2022-)

大阪大学
https://www.celas.osaka-u.ac.jp
https://www.tlsc.osaka-u.ac.jp
全学共通教育機構(1994-)
大学教育実践センター(2004-)
全学教育推進機構(2012-)

2019年2月26日火曜日

折田先生像

昨日今日は,国立大学の個別学力検査,前期試験の日。
ネットでは例年のように京大の折田彦市先生の像が話題になっていた。

写真:折田彦市(Wikipediaより)

折田彦市先生は,旧制第三高等学校の初代校長で,1950年に製作された銅像が今に伝わっている。1991年ごろから落書きの連鎖が始まり,これを避けるために1997年には像が総合人間学部図書館の地下に収納された。しかし,このムーブメントは治まることはなく,台座と像のパロディが受験シーズンなどに毎年繰り返して作られることになった。

ちょうどその1991年から1997年にかけて,総合人間学部の情報科学実習を担当していたので,折田先生の像の変化はしばしば目にしていたのだった。例えば,こんなページや,そんなページや,あんなページからのリンク)が見つかる。そして,そのリンクの先には1996年の日本のWWWサーバ一覧(なつかしい)などもある。

P. S.  折田先生の胸像は,現在は,京都大学の百周年時計台記念館1Fの歴史展示室に安置され,やすらかな余生を過ごしていらっしゃるようだ。

2019年2月16日土曜日

総合人間学部の情報科学実習(2)

総合人間学部の情報科学実習(1)からの続き)

さて,全学共通の情報学科目に対応する情報科学実習であるが(今ならば情報基礎演習[全学向]に相当),システムとしては情報処理教育センターの日立の汎用機HITAC680(大型計算機センターは富士通でした)のVOS3上のFORTRANで,川崎辰夫先生と冨田博之先生が書かれたテキストを使ったプログラミングの演習であった。

普通教室の机に埋め込んで固定されたノートブック型パソコンを端末として使うというもので(机の蓋をすると普通教室に戻る),なんだかややこしかった。実習室の確保のための苦肉の策のようだ。システム更新の後は,普通のデスクトップPC(コンピュータ端末)の並んだ実習室になった。

最初は汎用機OS上のFORTRANをTSS端末から使うという形だったものが,UNIXも使えるようになったので,UNIXのfortranでの実習に変えてもらった。最後の方は,Cでやって下さいとのことで,言語はCに変わったが,例題のレベルもつくりも,fortran実習に毛が生えた程度。ようやく電子メールも使えるようになると,受講生との連絡は楽になった。

授業中でも空いている端末は,受講していない学生さんが自由に使ってよいことになっていた。あるときその様子を見ているとIRCを使ったチャットだった。BBSは大型計算機センター時代からROMだったし(阪大大型計算機センターのBBSでは西野友年さんが活躍していた),netnewsのfjグループにもなじんでいたが,なるほどこんな時代なのかと思った。

実習室の前に端末が数台並んだ部屋(総合人間学部の情報関係の方々のたまり場?)があり,はじめのうちはここで午前中から授業の準備をさせていただいた。やがて使えなくなってしまい,普通の非常勤講師控え室でまわりの会話に耳を澄ませながらお弁当を食べていた。

1990年の末に欧州原子核機構(CERN)ティム・バーナーズ=リーが World Wide Web を開発するのだが,1993年 NCSA Mosaic の登場で爆発的に普及して今日に至る。そのできたてのMosaicが実習室の後ろの端末にインストールされていた。テキストベースのgopher/ archieは使っていたけれど,イメージが付加されるのは画期的であった。


情報科学実習でお会いした方々:

川崎辰夫先生:一度だけご挨拶してお顔を拝見したかも。2011年に80歳で亡くなられた。

冨田博之先生:お世話係なのだけれど,年に一度お会いするかどうだった。あのディラックが晩年を過ごしたフロリダ州立大学に行かれたとおしゃっていた。その後,「ケルビンの 「19世紀物理学の二つの暗雲」に関する誤解(2003)」という面白い記事を拝見することになる。

櫻川貴司さん:当時,一世を風靡していたProlog-KABAの岩波本の著者であったのでお名前は知っていた。この実習のもろもろのお世話は,基本的には櫻川さんにしていただいた。大変お忙しそうで,つかまえてシステムのパスワードを教えてもらうのに苦労した。

新出尚之さん:最初は情報処理教育センターの所属だったが,奈良女子大の助手になられ,非常勤講師として情報科学実習を担当されていた。システムトラブルの時に助けてもらった。

筒井多圭志さん:当時京大の医学部の大学院に所属されていて,櫻川さんといろいろだべっていた(ペンギンとよばれていたみたい)。後に,ソフトバンクのCTOやCS(チーフサイエンティスト:最高研究者)になるとは。ウェブの仕組み等を教えてもらった(例:チルダはどこを指しているのか)。

青木薫さん:青木さんとはちょうど入れ替わりで(青木健一さんが金沢大学に移られるタイミングだったのかな),冨田先生の打ち合わせで一度だけお目にかかった。京大の原子核理論(クラスター模型や反対称化分子動力学AMD法で有名な堀内先生の研究室)出身なので,夏の学校や学会などでちょっとすれ違ってはいたのだが,覚えてらっしゃらないようだった。

村上正行さん:私の授業のTAをつとめてくれた院生さん。総合人間学部の一期生であり,その後,京都外国語大学に就職された。教育工学や高等教育がご専門である。TAは何人かいたのだが,なぜか彼だけが記憶に残って現在に至る。

2019年2月15日金曜日

総合人間学部の情報科学実習(1)

田村松平が1967年3月に63歳で京都大学の教養部を定年退官してから,25年後に教養部は廃止され,その半年前の1992年に総合人間学部が設置された(京都大学総合人間学部,大学院人間・環境学研究科の沿革)。

ちょうどその頃に,当時の教養部,引き続き総合人間学部の非常勤講師となって,情報科学実習を担当した。1991年から1997年にかけてである。京大の非線形動力学研究室で木立さんの先輩にあたる,川崎辰夫先生や冨田博之先生が教養部の所属で,FORTRANによる情報科学実習を担当されていた。木立さんから白羽の矢を立てられた私は,毎週1回京大の教養部(後に総合人間学部)に通うことになった。

その当時,大阪教育大学も大阪府下の三分校から柏原キャンパスへの統合移転が進んでいた。私自身も1991年には,附属学校池田地区の裏手にあった大阪教育大学の池田宿舎から,奈良県天理市に引っ越した。京都までは近鉄京都線で1本である(まあ,そこから地下鉄とバスを乗り継ぐのでなかなか百万遍にはたどりつかないのだが)。

京都大学情報環境機構(2005-)を構成している学術情報メディアセンター(2002-)は,全国共同利用の京大大型計算機センター(1969-)と総合情報メディアセンター(1997-)にルーツをもつが,後者の源流が情報処理教育センター(1978-)であった。私が担当した情報科学実習は,この情報処理教育センターの第4次システムと第5次システムを使って運用されていた期間に対応する。

1991年から1997年というと,1991年の12月には大阪教育大学に情報処理センターが設置され,1992年には柏原キャンパスが開校して共通講義棟A205(現在の講義準備室)に情報処理センター管理室が開設されたころ。1996年には540㎡の情報処理センター棟(E棟)も竣工しており,ちょうど本学ではキャンパスネットワークの整備が急速に進んだ時期でもあった。

総合人間学部の情報科学実習(2)に続く)

2019年2月14日木曜日

田村松平

田村文庫の続き)

田村松平について,ネット上での情報をさらに調べると次のようなものが見つかった。

(1)日本における量子力学の受容の最初期のものとして,京都大学学術情報リポジトリ紅に,量子力学の紹介記事「新量子論,物理化學の進歩(1928),2(1):1-38」が掲載されていた。「物理化學の進歩」は,京都大学の物理化学教室が発行している学術誌であり,バックナンバーの電子化も行われているようだ(吉村洋介さん)。

(2)田村松平の没年は1995年ではなく1994年であった(Wikipediaはさきほど修正済)。
京大リポジトリにある京大広報 No. 474 855p 1994.11.01 に次の記事があった。

訃報 田村松平 名誉教授
 
 本学名誉教授 田村松平 先生は,9月24日逝
去された。享年90。             

 先生は,昭和2年京都帝国大学理学部物理学科
を卒業,本学理学部副手,講師,助教授を経て同
25年本学教授(分校)に就任,物理学及び科学史
の講義を担当された。同38年教養部に配置換,同
42年停年により退官され,京都大学名誉教授の称
号を受けられた。              
 先生の専門は素粒子論で,特に,場の量子論を
中心とする研究は,その後のこの分野における研
究に対する先駆的な役割を果たしたものであり,
高い評価を受けている。また,先生は物理学史を
中心とする科学史に対する造詣が深く,該博なる
学識と透徹した論理に基づいての科学史研究が評
価されている。               
 先生は教養部における講義以外に大学院理学研
究科の教育も担当され,深い学殖と円満な人格を
もって後学の育成に尽力された。       
 ここに謹んで哀悼の意を表します。     
              (総合人間学部)

(3)田村松平と60年安保の関わりについての二次資料があった。
田村文庫のところで紹介した記事には,安保でデモにいった話があった。

(4)物理教育学会の論文誌,物理教育6巻3号(昭和33年)に,昭和33年度の物理教育シンポジウム(昭和33年10月20日,京都大学)の特集記事(高校や大学における物理実験について)が掲載されている。そのシンポジウム「物理実験をはばむものとその対策」に田村松平が参加している。田村は昭和25年に分校の教授に就任しており,昭和38年に正式に制度化された教養部に配置替えとなる。学生の教養教育を長年担当していたのでシンポジウムによばれていたのだろう。ただ,田村は理論物理(素粒子論)が専門であり,学生実験は持っていないのでシンポジウムの発言もなかなかコメントがしづらそうな様子がみられる。

P. S. 旧制の第三高等学校を前身として,京都大学の分校を経由して教養部が設置されるまでの経緯は複雑であり,京都大学百年史,部局史編2第14章(旧教養部)を参照する必要がある。