2021年5月31日月曜日

平和町児童図書館

社会教育センターからの続き

社会教育センターに併設されていた石川県立図書館は閉架で利用しなかったと書いたが,金沢で図書館といえば,小学生のころに平和町の児童図書館に通っていた。金沢市立図書館の分館の一つであり,現在も開館している。

小学校5年か6年のころに,政岡良一君か横谷富夫君あたりに連れていかれてからときどき通うようになった。寺町の家から歩いて20分くらいだろうか。小柄で無口なおじいさんが窓口を担当していて,利用者もほとんどいなかったが,子供むけの本を読んだり借りて帰ったりした。

夏目漱石の坊っちゃんを借りたのはこの児童図書館だったが,10回くらい繰り返して借りた気がする。あとは,当時発刊されたばかり国土社の発明発見物語全集(1964)だ。板倉聖宣さんらが編集していて,科学史の立場から科学の全分野をていねいに紹介するものだった。ほとんど読んだがいずれも名著だった。20年後に新しく編集されて17冊のシリーズとなっていた。そこには,大教大の理科教育研究室の鈴木善次先生も名を連ねているのだった。

国土社 発明発見物語全集(1964)
1.ピタゴラスから電子計算機まで:数学
板倉聖宣編
2.コロンブスから人工衛星まで:宇宙
板倉聖宣編
3.デモクリトスから素粒子まで:原子
板倉聖宣編
4.らしん盤からテレビジョンまで:電気
板倉聖宣編
5.時計からオートメーションまで:機械
板倉聖宣編
6.くるまから宇宙旅行まで:交通
岩城正夫編
7.酸素ガスからナイロンまで:化学
大沼正則編
8.鉄からプラスチックまで:物質
大沼正則編
9.家畜から人工生命まで:生物
道家達将編
10.おまじないから病気のない世界へ:医学
道家達将編


写真:国土社の発明発見物語全集(1964)の表紙(明倫館書店から引用)

2021年5月30日日曜日

アメリカ文化センター(3)

 アメリカ文化センター(2)からの続き

金沢のアメリカ文化センターが廃止になった1967年は中学2年。その後この建物は社会教育センターの分室となっていた。

泉丘高校ではE.S.S.(英語研究部)に所属していたが,金沢市内の高校や大学のE. S. S.の連合会があって,その集まりがこの旧アメリカ文化センターで開催されていた。

この連合会が主催する英語劇の大会があって,1年のときはクリスマスキャロルのスクルージを演じたのだった。大会の会場は,当時まだ金沢城址にあった金沢大学の学生会館だった。その後の講評などを,英語弁論大会の際に旧アメリカ文化センターで行っていたような気がする。もしかすると弁論大会は別の日だったのかもしれない。

その英語弁論大会は大学生や短大生によるもので,金沢大学の方の話が素晴らしかった(多分最優秀賞)のと,金沢女子短大?の方の環境問題の方は内容がよくわかったような気がした。外国人の方の講評で「環境汚染」は"polution"というのだと初めて知った。まだ環境問題が取り上げられ始めたばかりの頃だった。

この弁論大会以外にもESS連合会の集まりがあって,1年と2年のときに出席した。1年のときは例の最優秀賞の方と同じテーブルだった。金沢大学附属高校出身の才媛だった。英語の歌を流して歌詞を筆記するというクイズがあり,正解は,"Love is a many splendored thing"(慕情)だったけれど,splendoredでつまづいて全滅だった。

2年のときは,部長の高橋裕之君と出席することになった。中学校の同級生だった小堀信幸君が錦丘高校かどこかの代表で来ていて同席だった。このときも自己紹介か何かでパニックっていたのだった。

また別の機会だったのか天気の良かった土曜日の午後,1階の図書閲覧室で同級生の米本君に出会った。彼はここで自習しているとのことで,何やら秘密の話を聞かされたのだった。

2021年5月29日土曜日

アメリカ文化センター(2)

 アメリカ文化センター(1)からの続き

アメリカ文化センターの最初の記憶は小学校低学年のころだ。USIS教育映画を上映するというのが,アメリカ文化を普及させる手段としてなっていた。その16mm映画の一つに高高度極超音速実験機X-15を紹介するものがあり,これを見たのがここだったような気がする。あるいはこれは父が借りてきて自宅で見たのだろうか。

X-15は空中母機から発進してロケット推進により高度100kmの宇宙空間まで達してから,滑空によって地上に帰還するというものであり,その後のマーキュリー計画ジェミニ計画アポロ計画スペースシャトル計画と続く米国の宇宙開発の嚆矢をなすものだった。

16mm映画の映写には資格が必要だが,父がこの資格を持っており,アメリカ文化センターから借りてきた16mmの映画を自宅で映写したこともあった。小学校の友達もよんで映写会をするはずだったのが誰も来なかったことがあったような思い出もあるけれど,あれは何だったのか。

1965年公開のフランス映画「頭上の脅威」を見たのも,アメリカ文化センターだったはずだ。小学校6年か中学1年のころだった。センターの館長さん(アメリカ人)か誰かに挨拶させられたような記憶もあるけれど,その後しばらくしてセンターは閉館となるのだった。


写真:極超音速実験機 X-15(Wikipediaから引用)

[1]占領下米国教育映画についての覚書(中村秀之)

2021年5月28日金曜日

アメリカ文化センター(1)

 社会教育センターからの続き

かつて本多町の社会教育センターの隣にあったのがアメリカ文化センターであり,いろいろ思い出があるが,まずはそれが何だったのかを調べてみる。

1952年,全国13都市に置かれたアメリカ文化センターは,SCAP図書館(CIE図書館)をその起源とする。敗戦後の日本で,連合軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)民間情報教育局(CIE)が,連合国軍による日本統治政策として,教育・宗教・芸術などの文化戦略を担当した。

その一つが,米国式のCIE図書館であり,札幌,函館,仙台,秋田,東京(日比谷・新宿),横浜新潟金沢,長野,静岡,名古屋京都大阪神戸,岡山,広島,高松,松山,北九州(小倉),福岡,長崎,熊本の23か所に設置した。日本国民の民主化や米国への理解,公共図書館の近代化を進める役割を果たした。

1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効にともって,連合軍による日本占領は終結しCIE図書館は廃止された。上記23か所のうち13都市(太字)のCIE図書館は,米国国務省に移管され,1952年5月からアメリカ文化センター(American Cultural Center)となった。図書館機能に加えて,米国政府の広報活動の最先端を担う施設となり,映画会,展覧会,英会話教室,講演会,人事交流事業に重点が置かれることになる。

1967年以降,予算削減のため金沢を含む7つのセンターが閉鎖され,1972年時点では札幌,東京,名古屋,京都,大阪,福岡の6都市のみとなった。金沢では,1966年に社会教育センターが開設されていたので,アメリカ文化センターの施設などは,社会教育センターの分室(国際文化交流センター)という位置付けになった。

当時のアメリカ文化センターは,北陸海軍館の建物を使用しており,建物の正面にある玄関の上の壁一面に「AMERICAN CULTURAL CENTER アメリカ文化センター」と大きな英文字と日本文字が併記で貼られた目立つ建物だった。その後,1972年に改築されて石川県社会福祉会館となっている。


写真:アメリカ文化センター(花園村春秋から引用)

[1]アメリカ文化センターについて(レファレンス協同サービス)
[2]ホームステイに見られる観光文化ー金沢での1956-1958年を事例として(山口隆子)
[3]アメリカ文化センター設置のねらい(石原眞理)

2021年5月27日木曜日

金沢の新交通システム

金沢の市電からの続き

5月25日に「金沢市新しい交通システム導入検討委員会」の第1回会合が開かれてニュースに取り上げられていた。資料[1]では金沢港-金沢駅-香林坊-野町駅のルートが示されていたが,報道では有松となっていた。郊外からの車との乗り継ぎ(パークアンドライド)の施設の関係で有松まで延長されたものが議論の出発点になっている。

高齢化に対応し脱炭素社会を目指すために導入するものであり,「LRT=次世代型路面電車」か「BRT=バス高速輸送システム」のいずれかを採用する方針。なお,路線延長は約9kmであり,LRTは60億円/km,BRTの場合,中央走行方式で10億円/km,路側走行方式なら10億円ということだ。北陸鉄道の浅野川線石川線も同じ規格にしてしまえば便利なように思えるが,切り替え工事期間中の輸送問題があるので素人の妄想かもしれない。

次世代交通サービス(MaaS)と一体で検討されているのがよろしいが,生きているうちに拝めるのだろうか?北陸新幹線の関西延長よりはマシだろうか?


図 金沢市新交通システム経路案(日本経済新聞から引用)

[1]新しい交通システムについて(金沢市,2017.2.16)
[2]第2次金沢交通戦略(金沢市,2018.3)
[3]次世代交通サービスについて(金沢市,2021.2.17)

2021年5月26日水曜日

コロナワクチン接種能力

医療関係従事者数からの続き

東京と大阪の大規模接種会場のコロナワクチン接種能力を次のように定義する。

コロナワクチン接種能力 = 1日あたりの接種回数 / 医療関係従事者数

東京会場は290人で1万回,大阪会場は190人で5千回なので,合わせて1万5千回を480人で割ると平均は1日あたり31回/人となる(1日8時間とすれば,1時間あたり4回/人のオーダーなので,ほぼ接種後の待ち時間が律速になっていることに対応)。

ワクチン接種には,医療チームが関わる問診・接種・事後観察などの過程がある。医療関係従事者でなくても可能な事務受付や誘導や接種完了登録などを除いて,医療チームが全体として対応している部分をざっくりと平均した値が上記の数字である。

この能力を使って政府の目標とされる100万回 / 日を実行するためには,3.2万人の医療関係従事者が1日作業する必要がある。現在考えられている医師・看護師・歯科医師・薬剤師・臨床検査技師・救急救命士などの合計が200万人であり,この1.6%をフルタイムで動員すればよい。

5月25日現在の接種回数は,医療関係従事者14万回,高齢者26万回の合計40万回 / 日なので,延べ1.3万人がフルタイムで動いていることに相当する。これから7月末にかけて,その人的資源の活用度を2.5倍にまで拡大する必要がある。


2021年5月25日火曜日

医療関係従事者数

コロナワクチン接種予想からの続き

コロナワクチンの接種を加速化するということで,救急救命士と臨床検査技師が接種要員として動員される。医師はワクチンを筋肉注射する部分ではなく,むしろ問診の過程に必要らしい。そこで,今回のコロナワクチン接種に関係する日本の医療関係従事者数を調べてみた。令和2年版厚生労働白書の資料編の保健医療の項にあった。残念ながらいつものように,最新より少し古いデータしか上がってこないのだった。

医師  311,963人
歯科医師  101,777人
・薬剤師  240,371人
資料:厚生労働省政策統括官付保健統計室「平成30年医師・歯科医師・薬剤師統計」
  ※医師・歯科医師は医療施設の従事者。薬剤師は薬局・医療施設の従事者。

・保健師 62,118人
・助産師 39,613人
看護師 1,210,665人
・准看護師 347,675人
資料:厚生労働省医政局調べ。(H28)

・理学療法士(PT)  91,694.8人
・作業療法士(OT)  47,852.0人
・視能訓練士 8,889.1人
・言語聴覚士 16,639.2人
・義肢装具士 105.3人
・診療放射線技師 54,213.1人
臨床検査技師 66,866.0人
・臨床工学技士 28,043.4人
資料:厚生労働省政策統括官付保健統計室「平成29年医療施設調査」
  ※常勤換算の数値

・就業歯科衛生士 132,629人
・就業歯科技工士 34,468人
・就業あん摩マッサージ指圧師 118,916人
・就業はり師 121,757人
・就業きゅう師 119,796人
・就業柔道整復師 73,017人
資料:厚生労働省政策統括官付行政報告統計室「平成30年衛生行政報告例」

・救急救命士 56,415人
資料:厚生労働省医政局調べ。(H30.3.31現在)
免許登録者数
なお,今回の報道によれば,救急救命士の免許登録者は6.6万人でそのうち4.0万人が就業中らしい。これらの医療関係従事者のうちの該当者(太字)の3%がワクチン接種の運用にフルタイムで関わることができれば(仮定1),総数は5万人となる。さらに,5人のチームが1日100人の接種に対応できれば(仮定2),100万人/日が実現できる計算なのだけれど・・・。

2021年5月24日月曜日

コロナワクチン接種予想

コロナワクチン接種率からの続き

5月24日(月)から東京と大阪で防衛省・自衛隊が設置した大規模接種センターの運用が始まった。自衛隊の医官が80人,看護官が200人,民間の看護師が200人,民間のスタッフが200人でこれに一般の自衛隊員が加わる。総スタッフ数は,大阪会場が340人,東京会場が700人と思われるので,およそ次のような内訳ではないかと推定される(あまり自信はない)。

東京会場:医官 50,看護官 130,自衛官 280,民間看護師 110,民間スタッフ 130;合計 700
大阪会場:医官 30,看護官 70,自衛官 80,民間看護師 90,民間スタッフ 70;合計 340
合計:医官 80,看護官 200,自衛官 360,民間看護師 200,民間スタッフ 200;合計 1040

民間の看護師とスタッフ,医官や看護官以外の自衛官には,余ったワクチンを接種するということだけれど,なんだかなあ。接種会場のスタッフにまずワクチンを打つべきだと思うが。

これらの会場では,モデルナのワクチン(2回の接種間隔は4週間)を,1日あたり当初 5000人/2500人,最大 1万人/5千人の接種を実施する。100万人/日の目標からするとそれほど大きな効果はないが,これに習って各地方自治体でも大規模接種会場が設置されるようだ。


菅首相は,7月末の高齢者ワクチン接種完了に異常に固執している。しかし,現在のワクチン接種数を外挿すると多分実現は無理である。ただし,3600万人の高齢者全てが希望するわけでなはいなどというめちゃくちゃな後付けの理由で持って,80%達成時点で目標は達成されたといい出す可能性はある。

首相官邸の新型コロナワクチンのデータからざっくりと見積もると(接種回数が線形に増加して,5月末に最大値の100万回/日に到達すると仮定),非常にうまく進んだとして,5月末までに400万回,6月中に2400万回,7月中に3000万回の合計5800万回がこなせれば,目標の7月末の高齢者ワクチン接種は,80%の達成率となる。


図 ワクチン接種状況(医療従事者と高齢者と合計の推移)

2021年5月23日日曜日

コロナワクチン接種率

 日本政府(各省庁等)の統計データの管理技術にはなかなか残念な綻びが散見される。コロナワクチン接種率もその一つだ。政権の見栄えのために厚生労働省から引き剥がして内閣府に設けた「新型コロナワクチンについて」のページには,医療従事者等と高齢者等の総ワクチン接種回数のデータが,日別と都道府県別で上がっている。しかし,データは必ずしも定時に定常的にアップロードされるわけではなく,目詰まりしながら間欠的に提示されている。都道府県別データに至っては,5月23日の時点で5月14日や16日のデータが最新という有様だ。

WHOの新型コロナウイルス感染者数と死亡者数でも多くの国では毎日更新データが提供されているが,スペインなど1週間で2回ほど更新される程度の国もある。なお,日本は,このデータについては毎日更新ができている。

この直近のワクチン接種回数の都道府県別データを,各都道府県の人口で除したものを医療従事者と高齢者を2つの要素として散布図にしてみた。juliaのグラフィックスのgadfly.jlを用いると簡単にできることがわかったので,それを使ってみた。

- - - - - - - - - - - - - - - -
using Gadfly
using Compose
using DataFrames
X = [4.0,4.2,5.2,4.1,4.8,4.8,4.4,4.0,4.1,4.2,3.5,3.2,3.6,3.0,4.3,5.0,5.0,6.3,3.6,4.3,4.3,3.7,3.9,4.6,4.0,4.0,3.4,3.4,4.6,5.4,5.6,5.3,4.8,4.6,5.8,6.8,4.8,5.6,6.7,4.0,7.1,5.9,6.0,5.9,5.3,5.7,4.6]
Y = [0.6,1.3,1.3,0.7,2.1,2.1,1.3,0.7,0.7,1.0,0.4,0.4,0.5,0.4,1.1,0.4,1.8,1.4,1.3,1.2,1.0,0.5,0.8,0.7,1.4,0.5,0.5,0.5,1.0,3.5,2.3,1.5,0.4,0.8,2.5,1.6,1.8,0.6,3.2,0.4,1.7,0.9,1.0,1.2,1.8,1.4,0.9]
Labels = ["北海道","青森","岩手","宮城","秋田","山形","福島","茨城","栃木","群馬","埼玉","千葉","東京","神奈川","新潟","富山","石川","福井","山梨","長野","岐阜","静岡","愛知","三重","滋賀","京都","大阪","兵庫","奈良","和歌山","鳥取","島根","岡山","広島","山口","徳島","香川","愛媛","高知","福岡","佐賀","長崎","熊本","大分","宮崎","鹿児島","沖縄"]

plot(x=X, y=Y, label=Labels, Geom.point, Geom.label, Theme(major_label_font="CMU Serif",minor_label_font="CMU Serif",major_label_font_size=12pt,minor_label_font_size=12pt))
#plot(x=X, y=Y, Guide.annotation(compose(context(), text(X, Y, Labels))))

- - - - - - - - - - - - - - - -

図 都道府県別コロナワクチン接種率(x: 医療従事者 %,y: 高齢者 %)

ラベルの重複処理ができているといえばできているのだけれど,欠落しているといえばそうなわけで,これを解決すると(#でコメントアウトしたcomposeによる方法)見にくくなってしまうので一長一短なのだった。

エビデンスベースの政策立案(EBPM)が鳴り物入りで喧伝されているが,公文書を堂々と改竄・隠蔽して憚らない文化の中で,恣意的なエビデンスのチェリーピッキングが横行することを考えれば,地味でも着実に正規化された標準データを蓄積して情報公開を進めることの方が,つまらないデジタル庁を設けるよりもまず最優先の課題だと思われる。

2021年5月22日土曜日

ラベル付き散布図

Rをjupyterでからの続き 

ラベル付き散布図と格闘している。

(1) Excel が一番簡単そうで,調べるとすぐに事例が見つかった。しかし,これはWindows版の場合であり,残念ながらMac版(Microsoft Office 2019 Home & Student)にはその機能がなかった。

(2) Rは統計グラフがお手の物のはずなので多分あるだろう。そこでRをjupyter上に持ってきた。これも簡単に事例が見つかった。見本通りにやってみると,

#今回使うライブラリ
library(maptools)
#データの準備
CC <- c("CAN","DNK","FIN","FRA","DEU","ITA","JPN","KOR","NLD","POL","SWE","GBR","USA")
PAR <- c(13.7,15.7,16.6,16.6,20.2,20.1,22.1,10.3,14.9,13.5,17.6,15.6,12.8)
SE <- c(3.8,7.4,8.6,11.5,8.5,12.2,9.3,1.9,5.4,8.9,9.4,6.2,5.5)
sample <- data.frame(PAR, SE)
rownames(sample) <- CC
以下のerrorが出て(これは例題に対しては実害はなかったが)日本語も化けてしまう。

Checking rgeos availability: FALSE
Note: when rgeos is not available, polygon geometry computations in maptools
depend on gpclib, which has a restricted licence. It is disabled by default;
to enable gpclib, type gpclibPermit()

ただ,日本語文字化けを避けるには(エラーは残るものの),次のようにすればよかった。
par(family= "HiraKakuProN-W3")
plot(sample$PAR, sample$SE, xlab="65歳以上人口比率(%)", ylab="対GDP比高齢者向け社会支出(%)")
pointLabel(x=sample$PAR, y=sample$SE, labels=rownames(sample))
図 R on jupyter のラベル付き散布図の例

(3) juliaではラベル付き散布図の例が探せなかったが,labelled scatter をキーワードとするといとも簡単に解が見つかってしまった。こちらは日本語もすんなり通ってくれる。

2021年5月21日金曜日

Rをjupyterで

 ラベル付き散布図を描きたいのだ。なかなかうまく探しきれず,Rが一番手っ取り早そうなので,Rをjupyterから使えるようにすることを試みた。

とりあえず,brewでRをインストールすると最新のarm版だった。

brew install R
R —version
R version 4.1.0 (2021-05-18)
次にコマンドラインでRを起動し,R環境の中で3つのコマンドを実行する[1]。
>install.package(“devtools”) … CRAN ダウンロードは Japan/Tokyo 47 から

1つ目のコマンド(上記)で次のエラーが出てしまった。

>1: install.packages("devtools") で:
> installation of package ‘gert’ had non-zero exit status
>2: install.packages("devtools") で:
> installation of package ‘usethis’ had non-zero exit status
>3: install.packages("devtools") で:
> installation of package ‘devtools’ had non-zero exit status
>> Configuration failed to find libgit2 library. Try installing:
> * brew: libgit2 (MacOS)

そこで,brewでlibgit2をインストールしてから再挑戦する。
brew install libgit2
R
> install.packages("devtools")
> devtools::install_github("IRkernel/IRkernel")
> IRkernel::installspec()
jupyter lab … これで OK!
これでうまくいった。

写真:jupyterlabの起動画面

2021年5月20日木曜日

MRSO

 MRSO(マーソ)は,防衛省・自衛隊による東京と大阪のコロナワクチンの大規模接種センターの予約システムのトラブルで話題の企業だ。7月中に65歳以上の高齢者3600万人の接種を完了させるという菅官邸のごり押し政策の象徴として,1日に1万人/5千人(東京/大阪)の集団接種を実施するセンターを設けるということで進められている。大阪では予約初日に25分で25,000人分の予約がいっぱいになってしまった。

この予約システムの不備が,朝日新聞出版アエラ,毎日新聞,日経クロステックなどによって検証報道された。東京会場の予約には,自治体番号,接種券番号(10桁),生年月日を入力して進むようになっているのだが,そのいずれもが出鱈目の番号で予約ができてしまうことや,対象期間外でも予約可能になっているという酷いシステムだったことが明らかになった。

これに対して,岸防衛相や兄の安倍元首相が,朝日新聞と毎日新聞に絞って非難する発言をしている。日経はいいのか。安倍のtwitterは岸の発言を引用しつつ「朝日、毎日は極めて悪質な妨害愉快犯と言える。防衛省の抗議に両社がどう答えるか注目」ときた。極めて悪質な国会審議妨害犯の言葉にあきれて口が塞がらない。

これに対してアエラは正当な反論をしている。一般論としてはセキュリティホールが見つかった場合にこれを報道する/しないの判断には慎重さが要求される。しかし,今回の事例はセキュリティホールですらなく,防衛省・自衛隊の発注仕様そのものが問題となっている。

MEROという小さな会社は竹中平蔵が経営顧問を務めているということで,これだけでもキナ臭い話だ。ただ,一月万冊の清水有高によれば,このベンチャー企業はこれまでも人間ドックやインフルエンザ予防接種システムを多くの自治体などに提供しており十分な実績があるところだった。

つまり,発注側の防衛省・自衛隊が,7月末という菅首相の無理難題な期限設定に合わせるために十分な検証なしにシステムを発注し納入させてしまったことが問題だった。こんないい加減な組織に日本の防衛を任せているという恐怖に慄く今日この頃である。

それにしても日本政府のシステム設計能力は低すぎる。厚生労働省の動きが悪いとみて西村経済再生相をコロナ対策にあて,さらに河野太郎をワクチン接種推進担当相とした。それでも不満で,総務省を使って地方自治体に圧力をかけて,7月中の高齢者接種が可能であると言わせた。その上で,たかだか全体の1%の寄与のために(1日100万件に対する1万件),従来のシステムと全く独立に防衛省・自衛隊を使うという有様だ。この状態でデジタル庁を作るととんでもない未来が待ち構えると予想されるのだった。

[1]「ワクチン予約システムに欠陥」~この報道は犯罪?不適切?~メディアへの抗議や批判を検証する(江川紹子,Yahoo News,2021.5.20)

[2]朝日新聞出版、毎日新聞の「架空予約」報道は「悪質な妨害愉快犯」なのか?(米山隆一,論座,2021.5.22)


2021年5月19日水曜日

田村正和

天牛書店からの続きか 

阪東妻三郎(1901-1953)の息子の田村正和(1943-2021)が77歳で亡くなった。兄の田村高廣(1928-2006)も77歳で亡くなっている。弟の田村亮(1946-)は存命だ。なお阪妻の命日は米島君の誕生日の1953年7月7日と同じだ。Wikipediaにある阪妻の写真は田村正和によく似ている。

田村正和といえば円月殺法の眠狂四郎であり,大阪出張の父と梅田コマ劇場の舞台を観た話は以前書いた。テレビの人気番組は全くみていない。テレビでは,西郷輝彦のどてらい男(1973-1975)に出ていた田村亮の方が記憶にある。

なお,どてらい男のモデルは山善山本猛夫(1921-1991)だが,豊中の蛍池に住んでいたのではないか。大学の通学路の途中に山本猛夫の表札がかかった大きな家があってこれがそれだと誰かに聞いたようなのだが,気のせいかもしれない。


2021年5月18日火曜日

MacBook Air M1(4)

 MacBook Air M1(3)からの続き

4月18日にMacBook Air M1 がやってきてからちょうど1ヶ月になる。このところCPU負荷がつねに30-40%を越えて,CPU温度が70-80℃となっていた。Apple シリコンのM1チップを搭載したMacは発熱が少ないのが特徴だったはずなのになぜだ。すべてのアプリを終了させてスリープした状態で一晩寝かせ,朝を迎えてもパームレスト部分が暖かいのである。

さすがにおかしいと思って,アクティビティモニタで調べてみると,なんとアンチウィルスのSophosが非常に大きなCPUタイム消費の原因だった。さっそくこれを取り除いた。ウィルス対策は,ClearnMyMacのアンチウィルス機能に頼ることにする。おかげで,CPU負荷は5%,温度は35℃前後まで下がった。やれやれ。

なお,MacBook Air M1(2)で書いていた「jupyterlabが動かない問題」はしばらく前に以下のようにして解決した。これで残ったのは pythonの機械学習ライブラリ scikit-learn が動かないことくらいである。

/opt/homebrew/opt/python@3.9/bin/python3.9 -m pip install --upgrade pip
pip3 install jupyterlab
jupyter lab -> error
jupyter lab build -> error
brew install node.js
jupyter lab build
jupyter lab

2021年5月17日月曜日

スクリーンタイム

アップルの macOS や iOS には,端末やアプリの使用時間 を記録したり制限したりするツールとしてスクリーンタイムが準備されている。NHKの朝の情報番組「あさイチ」のスマホ認知症特集で登場したのでチェックしてみた。

なお,司会の博多花丸大吉は好感がもてるけれど,「あさイチ」の生活の知恵的特集にはいまイチのものも散見される。「チコちゃんに叱られる」や「ガッテン」も同様で,眉唾で楽しむ必要がある(特に脳科学者などの肩書きででてくるものに注意)。

まあ,まじめな顔(疑似客観性や疑似中立性)を装いながら,著しく操作/加工された情報を流したり,重要な情報をシカトするNHKの報道番組よりは数段ましかもしれない。もっとひどいのは吉本芸人を使って大阪維新や菅政権の提灯持ちをする民放のニュースワイドショーなのだが。

話をもとに戻して,自分の端末のスクリーンタイムのデータ(5月1日〜5月16日)を確認したところ,iPhoneの利用時間は平均2時間10分ほどだった。利用アプリベストスリーは,Facebook,Twitter,LINEである。これに対して,MacBook Air の利用時間は平均11時間50分で,その内訳は,Safari 8時間,YouTube 3時間,twitter 1時間,blogger 30分,Wikipedia 30分といったところだ。いいようなわるいような。

なお,ほとんど信用できないスマホ認知症のチェックリストの点数は12点である。GIGAスクールが進めば,子どもの端末使用時間は12時間を軽く越えてくるのは間違いないので,もう少し科学的なメリット・デメリットの分析と評価が必要になるはずだ。現在のゲーム・スマホ有害論のほとんどはそれ自身が有害だと思われる。

2021年5月16日日曜日

社会教育センター

本多町に社会教育会館ができたのは中学1年のときだった。会館に設置された県立図書館は閉架だったこともあってほとんど利用しなかったが,社会教育センターの方は土曜日に教育映画教室を開いていたので,毎週のように通っていた。

子ども向けの内容も多く,まわりは小学生ばかりだったので,中学生の我々はちょっと浮いていたかもしれない。土曜日の午後になると畦地君,有坂君,出島君,横谷君のいつものメンバーで下菊橋を渡って往復した。

印象に残っているのは,NHKのドキュメンタリーの「カラコルムへの道(1963)」である。東京大学のカラコルム遠征隊(京大だと思っていた)によるバルトロ・カンリ初登頂の記録だ。国語の教科書にあった河口慧海の西蔵探検のイメージと重なって記憶に定着した。
・昭和三十八年(1963) 12月19日:県は下本多町の県営アパートを含む県有地3,300平方メートルに、来春から3年計画で社会教育センターを建設することになり、本年度建設費6,500万円を追加予算に計上、県議会の議決を得た。建物は5,490平方メートルの4階建、兼六園の県中央図書館もセンターに収容する。
・昭和三十九年(1964) 6月9日:本多町に建つ石川県社会教育センターの起工式がおこなわれた。
・昭和四十一年(1966) 5月1日:本多町3丁目に完成した石川県社会教育会館が開館した。同会館には社会教育センター県立図書館がはいった。地下1階、地上4階、延べ6,382平方メートル、総工費3億円(兼六園内の旧県立図書館は6月中に取りこわす)。
・昭和五十七年(1982) 12月4日:県社会教育会館の増改築工事が完了し、落成式が行われた。石川県立図書館開館70周年記念式典を挙行(12月9日)。
県立図書館は,明治12年(1897年)に前田家蔵書3万冊が石川県勧業館内に設置された図書室で公開されたものを起源として,明治45年(1912年)に石川県立図書館が開館した。平成28年(2016年)に新石川県立図書館基本構想が検討され,令和元年(2019)年に,小立野の金沢大学工学部跡地で,新石川県立図書館が着工された。


写真:石川県社会教育会館(パブリネットから引用)


2021年5月15日土曜日

闕野神社

金沢の 闕野神社(がけのじんじゃ)は,実家から歩いて5分の寺町通りにある神社。子どものころ,正月の初詣はここと決まっていた。母がお雑煮の準備をしている間に,父とこどもたちが初詣に向かう。後年,元旦には西金沢の八幡神社(はちまんじんじゃ)に母と何回か通うことになる。

小学校1年の絵日記で,闕野神社のお祭りの出店で5円のアイスクリームを買って食べたことを書いたら,おばあちゃんや両親にこっぴどく指導された。何が入っているかわからないのでそんなものは食べてはいけないとのこと。せっかく,近所の友達の宮崎君と10円玉にぎりしめて楽しみにいったのに,散々な結果であった。

お祭りといえば,おばあちゃんの家がテリトリーとなっている泉野桜木神社のほうが大きくて出店も多かったのであるが,何かを買ってもらった記憶はあまりないかもしれない。神社の祭りの出店ではなく,寺町通り終点あたりにでる夜店の方がにぎやかだった時期もあったけれど,それも長くはつづかなかった。

寺町通りの商店会も閉店が続き,横山酒店も松川金物店も北村の傘屋も新保の床屋も荒木自転車店も寺町終点の津田の靴屋もみんななくなってしまった。


写真:闕野神社(金沢徒然日記から引用)

P. S.  金沢徒然日記には「闕野神社 宵詣りの逸話が残る神社」として,

当社の境内では昔「宵詣り」という人に呪いをかけるものが流行し、本殿裏の欅の木には無数の藁人形が五寸釘で打ち込まれていたという

 とあるが,さすがにその記憶はありません。

2021年5月14日金曜日

城南公民館

 金沢の百年に,城南公民館の設置についての記事があった。1960年だから自分が小学校1年のときに寺町1丁目の銭湯桜湯と闕野(がけの)神社の間の筋を入ったところにできた。しかし,1977年には若草町に移転している。わずか17年のことだったのか。

城南公民館は,旧市民病院の跡地につくられたようだが,この病院については全く記憶がない。市史年表では以下のようになっている。なお,568坪がそのまま公民館になったとは思えない。こじんまりとした建物だった。横山別邸跡なので辻儀十郎さんの家の敷地になった部分も含まれていたのかもしれない。

・大正十五年・昭和元年(1926)3月30日:金沢市施療病院の敷地は野田寺町1丁目元横山章別邸跡(570坪)にきまった。市の買収価格は坪27円。 

・昭和二年(1927)5月19日市の施寮病院「金沢市民病院」の第1期工事が野田寺町1丁目旧横山別邸跡で着工された。敷地568坪、建坪291坪、収容人員60人。

・昭和三年(1928)4月1日低所得階級を対象にした市立金沢市民病院が、野田寺町1丁目に開院した。総工費4万5,000余円、被扶助階級と月収25円未満の単身者等は診察費無料となっている。

・昭和八年(1933)6月:野田寺町の市立金沢病院は一般市民に実費診療を実施して歓迎され、入院通院患者が激増、最近6ヵ月間の延べ受診人員は1万4,419人に達した。 

・昭和二十九年(1954)8月4日市は市民病院および同伝染病院が老朽化したので、30年度から伝染病院敷地に市立総合病院を建設する計画をきめ、準備として寺町通りから伝染病院に通ずる道路新設の測量を開始した。

・昭和三十四年(1959)8月12日昨年1月から長坂町に建設中のモデル総合病院、金沢市立病院の落成式がおこなわれた。(診療開始は17日)。新病院は現在市内に分散している市民病院、同付属病院、伝染病院を統合した施設となるもの。敷地1万2,019平方メートル、本館は地下1階、地上5階の延べ6,008平方メートル(このほか昨年完成した伝染病舎など1,310平方メートル)。総工費2億9,000万円。

・昭和三十五年(1960)1月10日十一屋、泉野両校下の公民総合センター「城南公民会館」が完成、落成式があげられた。十一屋公民館が中心となって野田寺町1丁目の旧市民病院の払下げ(421万円)を受け、改装設備費に150万をかけたもので、資金は簡易保険料の集金手数料の積み立てなどをあてた。館内には結婚式場、ホール等もある。

・昭和五十四年(1979)4月9日城南公民館(若草町)の開館式が行われた。(総事業費1億2,642万円余)

高校時代のクラブのコンパや卒業生を送る会は,公民館を借りて行うことが多かった。1970年3月の追い出しコンパは,城南公民館で開かれることになり,家が近所だったのでその手続きを任された記憶がある。公民館の使用料は格安だったので,お金のない高校生にはうってつけだった。2階に座敷があって,そこでおかしやジュースを持ち寄ってわいわいやっていた。

卒業生に宛てる色紙に何を書いてよいのかわからなくて困り果てていたとき,卒業する佐竹さん(金沢大医学部)が気楽にかけばいいよとアシストしてくれた。後は,陽気な森さん(上智大学)がいたのを覚えている。他の3年生はだれだったのだろうか。AFSの留学でアメリカから帰ってきた宮崎さん(国際基督教大学)もこのときだったかもしれない。しかし,自分が2年や3年のときのクラブの追い出しコンパの記憶はまったく欠落しているのであった。


2021年5月13日木曜日

金沢の映画館(4)

 金沢の映画館(3)からの続き

高校時代にみた洋画で思い出せるもののリスト(*は既出,年月は日本公開日順)を以下に。

アメリカン・ニューシネマの時代だったのである。ちょうど高校に入る前から学部生のころだ。アメリカン・ニューシネマ作品の隙間を埋めるように,過去の名画やその他のヒット作に足を運んだ。総合的に評価したマイベストワンは,デヴィッド・リーン監督のアラビアのロレンスで,これは今も変わっていない。

試験が終わってからみんなで見に行ったのが,屋根の上のバイオリン弾き小さな恋のメロディ。屋根の上のバイオリン弾きは,もっとよいかと思ったが,米島君のいうように似た話の繰り返しが感動をそいでしまっていた。

小さな恋のメロディは,ビージーズとCSNYが聴けるだけでよかったのだけれど,意外にもメロディをとりまくロンドンの中流下層の暮らしぶりのリアルな描写が印象的だった。ストーリーは基本的にお子様向けで役者もいまいちだったのだが。

エルビス・オン・ステージ愛の狩人を観たのは大学入試も終わった頃だった。米本君の感想は「エルビス・オン・ステージはものすごく良かった」だった。彼の映画評はだいたい正しい。ポピュラー音楽としてプレスリーの曲はちょっと敬遠していたが,このドキュメンタリーで復活したころは素直にかっこいいと思えた。亡くなるまであと6年だとはわからない。

愛の狩人は,監督が卒業やキャッチ22のマイク・ニコルズ。結構期待して,米島君,荒谷君の3人で駅前のロキシーにいった。しかし,ストーリーがさっぱり理解できないままに終わってしまった。米島君はよくわかったといっていたので,これは自分の力不足だった。

1 *誰がために鐘は鳴る 1952.10
2 旅情 1955.8
3 *エデンの東 1955.10
4 アラビアのロレンス 1963.2
5 野生のエルザ 1966.3
6 俺たちに明日はない 1968.2
7 卒業 1968.6
8 ロミオとジュリエット 1968.11
9 Ifもしも…. 1969.8
10 イージーライダー 1970.1
11 明日に向かって撃て! 1970.2
12 砂漠の冒険 1970.7
13 いちご白書 1970.9
14 *幸せはパリで 1970.10
15 *クリスマスキャロル 1970.11
16 エルビス・オン・ステージ 1971.2
17 罪と罰 1971.3
18 小さな恋のメロディ 1971.6
19 *アンドロメダ… 1971.8
20 屋根の上のバイオリン弾き 1971.12
21 愛の狩人 1972.1
ソ連映画の罪と罰は,北国新聞社の無料映画試写会のハガキが当選したもので,旧北国新聞社屋内ホールの北国講堂でみている。たぶん映画をみてから小説を読んだと思うが,罪と罰は名作でしたね。帰りに同じクラスの横川君が前の席から足早に帰っていくのが見えた。彼も当選していたのか。

金沢の旧作名画3本立ては,石引町のスタア劇場が代表的である。ここで,Ifもしも….と俺たちに明日はないとイージーライダーを250円くらいでみたような気がする。もしそうならばすごくお得な話である。


写真:スタア劇場1982(やけくぞじじいの写真展より引用)

2021年5月11日火曜日

寺町台100年

西村一朗さんの寺町の記憶からブラウズしていると,金沢の百年という市史年表にたどりついた。金沢市図書館のウェブサイトからリンクされている。そこから,100年前から50年前の出来事を抜粋してみた。市内電車の50年であった。

 加賀藩の時代に,一向宗からの防御のために(子どものときは一般に敵からの攻撃をふせぐためとならった)犀川南岸の台地に寺院が集められた。寺町寺院群である。金沢にはこのほかに,小立野寺院群や浅野川北岸の東山にある卯辰山山麓寺院群がある。したがって,これらの寺院は一向宗以外の禅宗や日蓮宗が中心となっていて,浄土真宗の寺院はほとんどない。

・大正十年(1921) 7月10日:街鉄市内電車の第2期線の寺町線が開通した。延長1マイル。
・大正十三年(1924) 6月19日:犀川の上菊橋から野田寺町1丁目に出る坂の拡張工事が完成したので不老坂と命名、落成式がおこなわれた。
・昭和十八年(1943) 8月24日:野田寺町松月寺の桜(大桜)と広坂通堂形のシイの木(県庁前)が文部省から天然記念物に指定された。
・昭和三十二年(1957) 11月20日:寺町終点─野田町間の道路舗装が完成、この舗装を公共事業(全額国庫資金)として実現するために、手をたずさえて努力した地元十一屋校下の母親たち約1,000人も参列して、寺町終点映画館でなごやかな完成祝賀式がおこなわれた。
・昭和三十五年(1960) 1月10日:十一屋、泉野両校下の公民総合センター城南公民会館」が完成、落成式があげられた。十一屋公民館が中心となって野田寺町1丁目の旧市民病院の払下げ(421万円)を受け、改装設備費に150万をかけたもので、資金は簡易保険料の集金手数料の積み立てなどをあてた。館内には結婚式場、ホール等もある。
・昭和三十五年(1960) 11月30日:寺町台に赤痢続発、11月16日野田寺町1丁目柱岩寺保育所に13人、27日野田町養護施設亨誠塾に13人発生した。本年にはいってからの市内赤痢患者130人のうち、寺町台の発生数は52人。
・昭和三十七年(1962) 4月29日:午前9時50分ごろ野田寺町1丁目桂岩寺から出火、同寺を全焼してさらに同寺裏の民家2戸と納屋1むねを全焼、2戸を半焼した。桂岩寺の有名な木仏五百羅漢(文政8年完成)は、数体を持出しただけであとは焼失した。
・昭和三十八年(1963) 2月7日:北鉄バス金沢市内線の金沢駅前ー寺町間が開通。これで市内バスの開通路線は、橋場町ー公園下ー香林坊間と、橋場町ー公園下ー香林坊ー金沢駅間とをあわせ3線。
・昭和三十八年(1963) 6月1日:金沢市最初の住居表示法にもとづく新住居表示が、寺町台一帯で実施され、44町が18町に統合された。新しい18町名は野田町、平和町1─3丁目、法島町、十一屋町、若草町、緑丘、寺町1─4丁目、泉野町1─6丁目で、対象は4,587戸。
・昭和三十九年(1964) 11月27日:赤痢の集団発生があい次ぐ金沢市内で、また弥生町の弥生小学校に児童15人(ほかに給食調理人1人、家族4人)が赤痢にかかった。ことしになってから本日までの金沢市の赤痢患者は579人、うち寺町台地の発生が約30%を占めている。
・昭和四十二年(1967) 2月2日:市内電車の全面廃止を記念する花電車が午前10時、北鉄本社車庫を出発、市民に別れを告げた(花電車は10日まで運転された)。
・昭和四十二年(1967) 2月10日:大正8年以来48年の歴史をもつ北鉄の市内電車が全面廃止された。
・昭和四十四年(1969) 12月22日:本多町と寺町台を結ぶ都市計画街路、新桜坂が完工、開通式が行われた。延長233メートル、幅9メートル、両側に1.5メートルの歩道。工費1億5,350万円。
・昭和五十年(1975) 2月23日:闕野神社(寺町)の菊桜(樹齢150年)が枯死した。
大日本帝国陸軍の第九師団が金沢に置かれたのが1898年である。ちょうど北陸本線の金沢までの延伸が完了して,金沢駅が設置された年だ。その兵舎が野村(現在の平和町)におかれたため,寺町もその恩恵を受けていたと思われる。