番組では,海軍の神風特別攻撃隊について取上げられている。4000人に上る特攻による死者の記録が,詳細に調べられてデータベース化され,日本地図上にまんべんなく拡がる4000点として表現されていた。そのピンクの記号の波が,先日のスーパーシミュレーターの夢に現われた鳥(朱鷺)のイメージの原型だったのかもしれない。
太平洋戦争で日本軍が米軍に敗北を続け,1944年7月にサイパンが陥落して日本本土への空爆基地化した後,戦争の前線は,日本人戦没者数が最多の50万人を越えた地域であるフィリピンレイテ島へ移る。神風特別攻撃作戦は1944年10月,このレイテ沖海戦で米空母を攻撃するための苦肉の策として,大西瀧治郎によって実施された。
戦況はあきらかに日本に不利であり,米軍の物量に勝つことは困難であるため,一撃講和を目指した精神戦として,その後もこの特攻作戦が継続されていく。特攻を肯定する空気は映画やラジオを通じ,あるいは,地方事務所を媒介として日本全国民の間に浸透していく。
最終的には神風特別攻撃作戦によって4000人余りが犠牲となる。翌1945年に入り,4月の沖縄戦において特攻の死者数はピークを迎える。その内訳は十分に訓練されていない少年飛行兵(海軍飛行予科練習生?)と動員された学徒が中心で,エリート士官が僅かに加わる。
写真:NHKスペシャルの画面から引用(立体グラフはやめてね)
最近新しく発見されたものとして,海軍における特攻隊員の選抜資料が取上げられていた。海軍所属後の成績順に並べられた名簿には,意向を聴取された結果の「熱望」と「望」をトップに,氏名,本人の性向,家族関係などが詳しく記されている。驚いたのは,成績最上位層は選抜されず,その次にくる者たちが選ばれたようだという識者の解説だった。成績下位者は選抜されていない。また,「熱望」と「望」は選抜とは全く関係がなかった。意向には「否」もあったらしいが,そう記したものはほとんどなかったようだ。
[1]「特攻」はこうして生まれた…(一ノ瀬俊也)
[2]なぜ「特攻」が始められとめどもなく続けられたか…(一ノ瀬俊也)
[3]「戦争体験・記憶」の継承をめぐるポリティックス(米倉律)
[4]空気は行動を決定するか(田中國夫・井上和子)
[5]「戦後70年を考える」歴史的視点での考察(保阪正康)