ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年3月2日火曜日

石原裕次郎

 録画されていた「黒部の太陽 完全版(日活1968)」をみた。石原プロモーション三船プロダクション劇団民藝とのことで,往年の名優がたくさん顔をならべていた。まあ,結局,石原裕次郎と三船敏郎と樫山文枝と辰巳柳太郎と加藤武で話が進むわけだった。宇野重吉+寺尾聰がちょっと気になったけれど。そんなわけで(どんなわけだ),スタッフロールのキャスト一覧はフラットなあいうえお順になっていた。人間ドラマ的な掘り下げは今ひとつ微妙だったとしても,水が溢れるトンネル工事シーンはそれなりの迫力があった。

黒部の太陽の公開当時は中学三年であり,映画館で見ることはなかった。高校三年のときに同じ石原プロ制作,石原裕次郎主演で同様のフレーバーを持つ映画「甦る大地(松竹1971)」の方を見た記憶がある。こちらは鹿島コンビナート開発をめぐる物語だったが,茨城県の農工両全プロモーション的な色彩もあって盛り上がらず,かなり期待はずれで終わってしまった。

石原裕次郎が出てくる映画で観たことがあるものがもうひとつ。「素晴らしきヒコーキ野郎(1965)」だ。小学校六年なので,父親に連れて行ってもらったのだと思われる。映画自身はとても面白かったが,石原裕次郎は映画開始後,あっというまに事故で墜落して飛行機レースから脱落したのでほとんど出番がなかったのだった。

2020年8月6日木曜日

海底軍艦

NHKの歴史秘話ヒストリアで「伊400幻の巨大潜水艦」をやっていた。伊四百型潜水艦は全長122mで第二次世界大戦中に就航したものでは世界最大の潜水艦であった(2012年まで世界一)。特殊攻撃機の青嵐を3機搭載できる潜水空母だ。そのコンセプトが後の核ミサイル搭載の原子力潜水艦につながっていく。

Wikipediaをみていると,特撮映画の「海底軍艦」の話がでている。宇宙戦艦ヤマトではないが,伊四百型潜水艦を改造して海底軍艦をつくったのかと思えばそうではなくて,実在の伊400,401, 402に続く,伊403という仮想の潜水艦を奪って終戦時に帝国海軍を離脱したグループが海底軍艦の轟天号をつくってムウ帝国と戦うという話だった。

海底軍艦が上映されたのは,小学校4年の冬だった。おばあちゃんの家で遊んでいたときに,どういう話になったのか,親戚のお兄さん(斉藤之泰さん)に当時の大和の上階で上映中の映画館に連れていってもらうことになる。マンガ月刊誌の付録でも読んだとおもう。印象的なのは冷凍光線だった。氷点下273度ですべてのものを凍らせてしまうというすばらしい兵器を搭載していたのだ。2本立てのクレージーキャッツを見るかと聞かれたが,当然もういいよといって,帰ってきたのであった。たぶん海底軍艦のプラモデルもつくったような気がする。


2020年7月8日水曜日

スコセッシ

マーティン・スコセッシ監督といえば,さきの第92回アカデミー賞授賞式で,ポン・ジュノパラサイトでオスカーをとったときに,最も影響を受けた監督の1人として名前をあげていたシーンが印象深い。

昔(2012年)の記事で,「スコセッシ監督が,映画監督志望の若者に推薦する傑作39本」というのにぶつかった犬は,記憶のために記録することにした。

「メトロポリス」(1927,フリッツ・ラング)
「ドクトル・マブゼ」(1922,フリッツ・ラング)
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922,F・W・ムルナウ)
「ナポレオン」(1927,アベル・ガンス)
「大いなる幻影」(1937,ジャン・ルノワール)
「ゲームの規則」(1939,ジャン・ルノワール)
「天井棧敷の人々」(1945,マルセル・カルネ)
「無防備都市」(1945,ロベルト・ロッセリーニ)
「戦火のかなた」(1946,ロベルト・ロッセリーニ)
「揺れる大地」(1948,ルキノ・ビスコンティ)
「自転車泥棒」(1948,ビットリオ・デ・シーカ)
「ウンベルトD」(1951,ビットリオ・デ・シーカ)
「美女と野獣」(1946,ジャン・コクトー)
「東京物語」(1953,小津安二郎)
「生きる」(1952,黒澤明)
「七人の侍」(1954,黒澤明)
「雨月物語」(1953,溝口健二)
「山椒大夫」(1954,溝口健二)
「天国と地獄」(1963,黒澤明)
「絞死刑」(1968,大島渚)
「いつもの見知らぬ男たち」 (1958,マリオ・モニチェリ)
「若者のすべて」(1960,ルキノ・ビスコンティ)
「大人は判ってくれない」(1959,フランソワ・トリュフォー)
「ピアニストを撃て」(1960,フランソワ・トリュフォー)
「勝手にしやがれ」(1960,ジャン=リュック・ゴダール)
「はなればなれに」(1964,ジャン=リュック・ゴダール)
「ウィークエンド」(1967,ジャン=リュック・ゴダール)
「追い越し野郎」(1962,ディノ・リージ)
「情事」(1960,ミケランジェロ・アントニオーニ)
「欲望」(1966,ミケランジェロ・アントニオーニ)
「革命前夜」(1964,ベルナルド・ベルトルッチ)
「肉屋」(1969,クロード・シャブロル)
「四季を売る男」(1971,ライナー・ベルナー・ファスビンダー)
「不安は魂を食いつくす」(1974,ライナー・ベルナー・ファスビンダー)
「マリア・ブラウンの結婚」(1979,ライナー・ベルナー・ファスビンダー)
「さすらい」(1976,ビム・ベンダース)
「アメリカの友人」(1977,ビム・ベンダース)
「カスパー・ハウザーの謎」(1974,ベルナー・ヘルツォーク)
「アギーレ・神の怒り」(1972,ベルナー・ヘルツォーク)

半分くらいは名前を知っているけれど,みたことのあるのは邦画だけかもしれない。ウィキペディアには,2013年にあげた好きな映画12本ものっている。こちらも1/3しかみていない。

「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック,1968年)
「8 1/2」(フェディリコ・フェリーニ,1963年)
「灰とダイヤモンド」(アンジェイ・ワイダ,1958年)
「市民ケーン」(オーソン・ウェルズ,1941年)
「山猫」(ルキノ・ヴィスコンティ,1963年)
「戦火のかなた」(ロベルト・ロッセリーニ,1946年)
「赤い靴」(マイケル・パウエル,エメリック・プレスバーガー,1948年)
「河」(ジャン・ルノワール,1951年)
「シシリーの黒い霧」(フランチェスコ・ロージ,1962年)
「捜索者」(ジョン・フォード,1956年)
「雨月物語」(溝口健二,1953年)
「めまい」(アルフレッド・ヒッチコック,1958年)

2020年6月7日日曜日

タクシー運転手

録画していた2017年公開の韓国映画「タクシー運転手」,最初の方ははほとんど見ていなかったが,光州の虐殺場面からカーチェイスの最後まで引きつけられた。1980年5月18日から27日に韓国全羅南道の光州市で起きた光州事件で,ドイツ人ジャーナリストが事件を報道するに至った実話に基づいている。主演がソン・ガンホだったのでやっぱりおもしろい。

アメリカ合衆国のミネソタ州ミネアポリスでの警察官による黒人(ジョージ・フロイド)殺害事件はついに警察機構の解体再建という話にまで達している。日本では対岸の火事のようなネトウヨの論調もあるが,沖縄や東京でほとんど同レベルの差別が繰り広げられている。そう,香港や天安門もしかり,権力はどこでも人間の憎悪を使って機械的に発動する。日本のマスコミはほとんどとりあげないし,警察や出入国在留管理庁(入国管理センター)はびくともしないのだろう。

2020年5月22日金曜日

パンデミック侍

町田康の「パンク侍,斬られて候」の映画をテレビで見た。原作はとてもおもしろかったのだが,ストーリーはほぼ忘却の彼方にあった。まあ,「宿屋めぐり」や「告白」など他の物語と混線しているものもあるからか。映画のほうは,原作に忠実にパンクになっている部分と,制御がきななくでグダグダになっている部分が混在していた。ストーリはほぼ再現していたのでまあまあかしら。

物語に登場する「腹ふり党」が猖獗をきわめるというのは,まさにパンデミックにつながるのだった。次は「ギケイキ 千年の流転」を読まなくては。えっ,全四巻・・・

P. S. 本棚を確認すると,河出文庫の「ギケイキ 千年の流転」があった。なんということだ。読んだことすら忘れているのだろうか・・・最近こういうのが多くて・・・



2020年2月11日火曜日

ポン・ジュノ

パラサイトからの続き)

第92回アカデミー賞で,ポン・ジュノ監督(1969-)の「パラサイト」が,作品賞,監督賞,脚本賞,国際長編映画賞の4冠に輝いた。BSの中継を,主演男優賞(ジョーカーの補ホアキン・フェニックス),主演女優賞(ジュディのレネー・ゼルウィガー)のあたりから見ていた。途中で監督賞にはポン・ジュノが選ばれているのを知って,これは有力かもと思っていたら,外国語映画としてアカデミー賞史上初めての作品賞となった。感動的でしたね。

ポン・ジュノの主な監督作品で比較的簡単にアクセスできるのは次のようなものだ。
2000 ほえる犬は噛まない(フランダースの犬)
2003 殺人の追憶
2006 グエムル(怪物
2009 母なる証明
2013 スノー・ピアサー
2017 オクジャ
2019 パラサイト
いずれも,ソン・ガンホ(1967-)がしぶくて良い役を担っている。

ポン・ジュノは監督賞の受賞挨拶で,マーティン・スコセッシ(1942-)に最大級の賛辞を贈っているが,そのスコセッシもまた,今村昌平(1926-2006)などから影響を受けている。それにしても,最近の韓国映画や韓国テレビドラマの質は高い。パク・ウネ時代にはポン・ジュノは韓国政府からは冷たくあしらわれていたようだけれど,韓国としては映画産業の振興にてこ入れしてきたのだろう。

2020年1月20日月曜日

1987,ある闘いの真実

韓国の全斗煥(チャン・ドゥファン)政権末期,1987年の6月10日デモから6.29宣言が出るまでの,大統領の直接選挙制改憲要求を中心とした運動が六月民主化抗争である。これによって第六共和制憲法が成立し,大統領の直接選挙が実現して1988年2月には盧泰愚(ノ・テウ)が大統領になる。

この背景には,1月15日のソウル大学校学生の朴鍾哲(パク・ジョンチョル)が警察による拷問で死亡した事件とそれに係わる隠蔽工作の発覚,4月13日の「今年度中の憲法改正論議の中止」と「現行憲法に基づく次期大統領の選出と政権移譲」を主旨とする「4・13護憲措置」の発表,5月27日の野党も含む広範な反政府勢力を結集した「民主憲法争取国民運動本部」の結成,6月9日の延世大学校学生の李韓烈(イ・ハニョル)が警察の催涙弾直撃を受けて重体(7月5日に死亡),などの事件が起こっている。

これらの一連の事件を史実に基づいて構成し,2017年に公開された映画が張俊煥(チャン・ジュナン)監督「1987,ある闘いの真実」である。30年前の出来事であるが,韓国の民主化運動の熱気が伝わってくる。それは北朝鮮との緊張関係を背景とした反共政策の苛烈さと対応している。そして,それが韓国ジャーナリズムと現在の日本のジャーナリズムの違いを際立たせてもいる。通常国会が始まったが,NHKの岩田の解説に反吐が出そうになる。映画はとてもうまく作られていておもしろかった。日本アカデミー賞を6部門も受賞した「新聞記者」と比べると良いかもしれないが,軍配はチャン・ジュナンにあげたい。

ある意味,日本はぬるま湯であり,かつ茹でガエルであり,そのなかで肥大化した社会の慣性が世襲化の進行=既得権益の確保を温存している。これに対抗するグローバリズムに支えられた新自由主義は右翼的セクターを巻き込んで,基本的人権や民主的な組織を破壊し続けている(既得権益を持つ勢力と直交しているわけではない)。

2020年1月12日日曜日

パラサイト

1月10日の日本経済新聞の夕刊のシネマ万華鏡で「パラサイト 半地下の家族」が★5つで紹介されていた。これは「グエムル−漢江の怪物−」のポン・ジュノ監督による2019年の作品で第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画として初めてパルムドールを受賞したものだ。

早速,夫婦で見に行きました。前年のパルムドールは,是枝裕和監督の「万引き家族」だったが,これも映画館で見て面白かった。最初はこれに似た雰囲気なのかと思っていたら,そうではなかった。いずれも東アジアの貧困を焦点化した面と家族の深い関係を示唆している部分があるのだけれども,ポン・ジュノはさらにそれを進める。

コメディタッチで前半が進むが,やがてカオスが到来する。半地下の家でWiFiの電波を求めなければ生活が成り立たない様子,周到な計画で近代化された韓国を象徴するようなモダンな豪邸に入り込んでゆく過程,激しい雨の中を帰る家族を待っていた水害と避難所のシーン,高級住宅地の豪邸の庭でのパーティーを2階から俯瞰している場面など,必要最小限の説明で分かりやすい物語が進むと同時に,予想できない展開が待っている。

韓国の社会や文化については,それなりに学習してきているのと,同じ東アジア文化圏のメンタリティーがあることで,感情移入はしやすい。自分としてのこの映画のポイントをまとめると,「人生は計画通りに進まない」「差別はにおいから始まる」の2点ということにしておく。

P. S. 今朝のNHKの7時のニュースでは,パラサイトが紹介され,ポン・ジュノと是枝裕和の対談が放映されていた。


2020年1月7日火曜日

修羅

修羅(1971)」は「薔薇の葬列(1969)」に続く松本俊夫(1932-2017)の監督・脚本の映画作品であり,大学時代に劇場でみた。彼の作品では桂枝雀(1939-1999)主演の「ドグラ・マグラ(1988)」もおもしろそうだったが,残念ながらこちらはまだみていない。

「修羅」の原作は,鶴屋南北(1755-1829)の「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」であり,中村嘉葎雄(1938-)が薩摩源吾兵衛,三条泰子(1940-)が小万の役だった。その三条泰子がとてもきれいに思えたので,帰省したとき母にいうと,なんか怪しい映画に出ている人じゃないのと切り替えされた。今,調べてもほとんどそういうことはないのだけど。

その薩摩源吾兵衛は,「盟三五大切」の元になった並木五瓶の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」にも登場し,「国言詢音頭」の初右衛門に対応している。これらのもとになったのは,元文2年(1737)夏,曽根崎新地で薩摩藩の早田八右衛門という人物が,曽根崎桜風呂の菊野ら五人を切り殺したという事件だ。

ということで,大学時代に見ていた「修羅」が,文楽入門のきっかけとなった40年後の「国言詢音頭」につながっていた。

2019年12月11日水曜日

布袋戯(プータイシー)

昨日,十三の第七藝術劇場で「台湾,街かどの人形劇」を観てきた。

布袋戯は台湾の民間芸能である指人形劇の一種だ。精巧に造られた木製の頭部や手足部が,布製の袋部の衣裳をまとい,そこに手を入れて操作する。

その布袋戯の第一人者であった李天禄(リ・チェンルー)は,映画監督侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の作品のいくつかもに出演している。そして今回,李天禄の長男であり台湾の人間国宝でもある陳錫煌(チェン・シーホァン)のドキュメンタリーを侯孝賢が監修し, 楊力州(ヤン・リージョウ)監督のもとで,映画化されたのが本作品である。

原題は「父」であり,父と子の葛藤をベースにしながら,滅びつつある伝統的な布袋戯の活動が10年に渡って記録されている。それにしても,布袋戯の人形の動きは素晴らしかった。日本の文楽の人形に通ずるものがある。アジアに広く浸透している人形劇の背景文化を土壌として,各地で独特の発展をしているかのように見えてしまう。

[1]李天禄布袋戯文物館

2019年12月2日月曜日

大仏迴国

京都みなみ会館典座を見に行く途中の近鉄電車内で検索作業中の妻に,大仏迴国という映画もやっているようだよ,と教えてもらった。典座の方は昨夜みた評判にちょっと不安があったので,私だけあわててそちらに切り替えた。近所のル・ブランで昼食をすませ,新装されたみなみ会館の1Fで開始までの時間待ち。

あとで調べたところ,京都みなみ会館は怪獣映画の聖地とよばれていたそうだ。それならば,日本の怪獣映画の原点としての大仏迴国リメイクが上映されている意味も大きい。ところで,そのリメイクは残念ながらリメイクではなかった。なんといえばいいか。よくわかりませんでした。宝田明,久保明,小林夕岐子,螢雪次朗は日本の怪獣映画のオマージュということらしい。大槻義彦とたま出版の韮澤潤一郎の対談もその派生物か。製作費が300万円なので,立ち上がった聚楽園大仏(じゃないのか,茨城県の大仏だった)のCGもかなり制限されていた。脚本はまあ支離滅裂といったところだろうか。よくわからないがオカルト風味と東京の地震の終末感風味で終わってしまった。

P. S. 典座のほうもちょっと残念だったようだ。

2019年9月28日土曜日

なつぞら

今日はNHKの朝のテレビドラマ「なつぞら」の最終回。100作目ということで,これまでの朝ドラヒロインがオールスターで登場していた。日本アニメの黎明期がテーマなのでおもしろかった。そこで,自分のアニメ視聴史(〜中学生まで)を振り返ってみた。

映画館にて
1960 白蛇伝(寺町終点の映画館パレスに小学校2年生の映画鑑賞)
1961 西遊記(同上,小学校3年生の映画鑑賞)
1961 101匹わんちゃん大行進(喜代子おばあちゃんと)
1963 わんぱく王子の大蛇退治(喜代子おばあちゃんと金劇にて)
1964 わんわん忠臣蔵(喜代子おばあちゃんと金劇にて)
1965 ガリバーの宇宙旅行(喜代子おばあちゃんと金劇にて)
1965 ファンタジア(小学校6年生?の映画鑑賞@金劇)

テレビアニメ
1960 フィリックス君(いつからはじまったのだろうか)
1962 鉄腕ポパイ(これもいつからはじまったのだろうか)
1963 鉄腕アトム(床屋の少年でおなじみ,ムックでも読んだ,金属おもちゃも買った)
1963 鉄人28号(同上,単行本でも読んだ,プラモデルも作った)
1963 エイトマン(小学校のバス旅行で熱唱した)
1963 狼少年ケン(おばあちゃんの家でみることが多かった?)
1964 トムとジェリー(これもおばあちゃんの家でみることが多かった)
1964 ビックX(購読中の少年ブックでもおなじみ,プラモデルも作った)
1965 宇宙エース(タツノコプロ,同上)
1965 おばけのQ太郎(以下藤子不二雄シリーズが続く)
1965 JQ(ジョニークエスト,主人公JQが好きだった)
1965 スーパージェッター(流星号のプラモデルも作った)
1965 遊星少年パピィ(ピーーーパピィ)
1965 宇宙少年ソラン(小学校卒業式午後のお楽しみ会の出し物だった)
1965 ジャングル大帝(カラー作品のスタート)
1966 ハリスの風(ちばてつやシリーズの始まり)
1966 魔法使いサリー(妹のりぼんでおなじみ)
1966 おそ松くん(赤塚不二夫シリーズの始まり)
1966 遊星仮面(ピネロン星人ですよ)
1967 黄金バット(これを見ているときに踵を切ったイメージが想起)
1967 悟空の大冒険(この三蔵法師に似ていると米島君に指摘された)
1968 ゲゲゲの鬼太郎(畦地君の家で少年マガジンを読みふける)
1968 巨人の星(同上,スポーツ漫画の始まり)

2019年9月10日火曜日

盗まれた街

内閣改造のあまりのひどさと,お友達で何が悪いと堂々と開き直るNHKの岩田の話をきいていて,頭がくらくらしてきた。アベちゃんお気に入り極右日本会議統一教会オールスター悪夢内閣。萩生田・衛藤・江藤・高市・西村・小泉・菅原・武田・・・。

昨日のWOWOWの秋のサスペンス月間でやっていた「インべージョン」の原作はジャック・フィニィの「盗まれた街(The Body Snacher 2007)」だ。ハヤカワ・SF・シリーズ(銀背)のトップなので,名前は十分頭にしみ込んでいるが,未読だった。ニコール・キッドマンが主演で母と息子の物語に翻案され,なにやらスプラッター成分もみられる仕上がりだったので,原作の持っている静な恐怖(らしい)とはややかけ離れていたのかもしれない。なお,2007年公開なので,iPhoneはまだ登場していなかった。

この国ももう盗まれてしまっているのだろうか。

2019年8月28日水曜日

ニューヨーク公共図書館

平日に妻と行く映画シリーズその2。制限時間30分で,梅田スカイビルから中津まで走り,阪急宝塚線一駅のって十三の第七芸術劇場に向う。開演5分前に到着し,整理番号は56と57。平日このテーマにもかかわらず,結構お客さんが入っている。12:00から15:35の長丁場なので途中に休憩が入る。

さて,タイトルは「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(Ex Libris: The NewYork Public Library)」で,フレデリック・ワイズマン監督の2017年米国ドキュメンタリー映画(205分)である。3時間を越えるドキュメンタリーってどんなものかと思ったが,妻の予想だったシックでクラシックな建物を中心とした紹介などではまったくなかった。

ニューヨーク公共図書館(NYPL NewYork Public Library 1895-)は,国,州,市などの行政が設置した図書館ではなく,カーネギーの寄付などをもとにした私立(だがパブリック)の図書館であり,ニューヨーク市からの公的資金と民間からの寄付によって運営される。マンハッタン,ブロンクス,スタテンアイランドに92の分館を設置し,5300万冊の図書・資料を所蔵し,年間350万人が利用している。クイーンズとブルックリンには運営が別組織である公共図書館がそれぞれにある。

映画は,レファレンスサービスでの電話のやりとりから始まったが,1つのエピソードが長い。しかもほとんどが言葉や対話の積み重ねだ。図書館のプログラムで社会的な問題についての話をする講師や,芸術的な対話の数々。黒人文化に関するショーンバーグ研究図書館も大きなテーマとして,黒人差別の問題と関って取り上げられていた。また,NYPLの運営にかかわる委員会での議論がたびたび登場する。全編の3割以上を占めていたのではないか。予算獲得の問題。インターネットアクセスの問題。図書館の教育機能にかかわる問題。ホームレスへの対応の問題。などなど,多様な問題についての議論の様子が克明に記録されている。日本のオリンピック委員会も見習ってほしい。

予想とは異なっていたが,とても楽しく3時間半を過ごすことができた。さまざまな病巣をかかえる国であるにしろ,民主主義の基本となる言葉がしっかりと生きている場所がある安心感。翻って,日本の政治家やマスコミやTV知識人の細切れで歴史を無視した表層的な議論の数々を対比させたとき,なんともいえない虚脱感に襲われる。

あるいは,大阪では,児童図書館や公共的な文化施設が破壊されただけでなく,公共交通,病院,公園,大学が次々とターゲットとなり,公共から営利への流れができている。そして,それを推進する政治勢力がマスコミによって擁護され,さらに多くの市民・住民の支持を得ていくという,公共性の喪失の危機が進行している。

この映画は,民主主義の本質を支える言葉(Speech)の映画だった。

2019年8月27日火曜日

ディリリとパリの時間旅行

平日に妻と行く映画シリーズその1。梅田スカイビルイーストタワー3Fのシネ・リーブルに「ディリリとパリの時間旅行(Dilili a Paris)」を観に行った。日本経済新聞の文化欄か映画欄で紹介されていておもしろそうだったので。フランスアニメーションのミッシェル・オスロ監督による,2018年フランス・ベルギー・ドイツ合作の94分のアニメーション。

紙兎ロペ風の,平面的で対称的な構図を中心としたリアルなデザインと色彩の作品。パリ市街や室内装飾などの一部は実写写真を加工したものが使われている。19世紀末から20世紀初頭までのベル・エポック時代のパリの著名人,マリー・キュリーと娘たち,パスツールエッフェルツェッペリン,印象派の画家達,ルソーピカソロートレック(背が低かったのか),サティドビュッシーサラ・ベルナールエマ・カルヴェなどが登場する。

ストーリーは,ニューカレドニアから密航し,パリ万博の見せ物を演じつつ庇護者の下でしっかりしたフランスの教育を受けている,混血の少女ディリリが主人公だ。物語の発端から突如登場する副主人公の三輪車乗りの青年オレルとともにパリの観光スポットをめぐる冒険が始まる。パリの少女を狙った連続誘拐事件は,男性支配団(非常にストレートな女性差別構造の表現だ)のしわざであり,警視総監などパリ警察のトップもこれにつながっている。権力の腐敗,パリの貧困や差別構造にも目配りされている。

誘拐され,男性支配団によって四つ足椅子(江戸川乱歩を彷彿とさせる)にされていた少女たちを,ディリリと仲間たちがツェッペリンの飛行船で救出し,最後は大団円で終わる。


2019年8月18日日曜日

ひろしま

NHKが深夜に映画「ひろしま」を放送していた。日教組が関川秀雄の監督で製作し,1953年8月に完成しているので,誕生してからちょうど自分の年齢と同じだけの時を経ている。はっきりしたストーリーはなく,岡田英次と広島出身の月丘夢路が主人公かと思っていたら,そうでもなかった。様々なエピソードの積み重ねで原爆投下前後の悲惨な状況をリアルに描写しているが,現実の重みがそれらのエピソードを支えている。また,原爆投下後8年目に,地元広島市民の協力の下に製作されており,監督の視点ではなく市民や被爆者の呻きのような空気も感じられる。

広島大学の教育学者である長田新が原爆を体験した子どもたちの作文を編集した文集「原爆の子」がもととなっている。当初は,日教組が新藤兼人を監督として製作を進めるはずだったが,両者は意見があわなかった。新藤兼人は「ひろしま」とは別に「原爆の子」という映画を乙羽信子主演で製作し,1952年8月6日に公開した。こちらのほうは見たことがない

1953年9月には,国際物理学会が日本(東京・京都)で開催されている。海外からはノーベル賞学者17名を含む55名が参加しているが,そのうち8名がこの映画を見ているらしい。いつ誰が観たのかについての情報はみつからなかった。映画には仁科芳雄博士が原子爆弾であることを確認した話と,原爆であることを秘匿しようとする軍部とのやりとりが出てくる。

2019年7月8日月曜日

新聞記者

リタイアすると,平日の昼に映画を見ることができるようになった。新ノ口のシネマ橿原で「新聞記者」を上映していたのでいってきた。はい,朝から老人ばかりです。東京新聞の望月衣塑子が原作を書いていおり,東京新聞が映画の製作にも協力している。この映画は「シン・ゴジラ」のようにカタルシスを与えるものではなく,「この世界の片隅に」のように現実のディテイルからなにかを紡ぎ出すものでもなく,「主戦場」のように課題を照射するものでもなかった。抽象的で抑制的な画像と演出の中で,現実の世界のできごとと相似な世界が描かれていく。

登場するのは,新聞記者と官僚とそれらの家族三組だけであり,安倍晋三も加計孝太郎も,政治家や企業家はまったく登場しない。それはそれでありだと思う。物語の構造は非常に単純であり深みはない。いや,小説より奇な現実の非常にうまい写像になっているために,見慣れた風景にしか見えないといったほうがよいかもしれない。気がつかなかった視点を新たに提供するものでもない。南彰と前川喜平とマーティンファクラーと望月衣塑子の対談が埋め込まれているのだが,映画のストーリーと完全にシンクロして矛盾しない。そしてひたすら,現実世界の少し裏側にすけてみえる内閣調査室のカラクリを提示してくる。

主演女優のシム・ウンギョンはとてもよかったが,松阪桃李は努力賞といったところか。映画で重要な役割を果たした多田の田中哲司が,尾美としのりにしか見えなかった自分の識別力に問題があったのかもしれない。というわけで,菅野完にいわせれば望月衣塑子の世界観が間違っとるからということになるのかもしれない。家族のドラマのところでもっとドロドロしたものが出てくるのかと思っていたら,そうではなく定型的なパターンだった。原作の問題なのか監督や演出の問題なのか。

もうひとつ引っかかったのが,加計学園のモデルにダグウェイ羊事件をからめたところである。内閣府主導の軍事目的施設というのはちょっとどうかと思う。現実の加計学園はそれどころではない,グダグダの施設でほとんど学園の資金計画ありきの間に合わせの計画だったように報道(マスコミではない)されているので,なかなかリアリティを持つことができなかった。

P. S. ニューヨーク公共図書館の映画の予告編がよかった。

2019年5月4日土曜日

第七藝術劇場

第七藝術劇場は今日が2回目。前回は,2012年10月27日(土) の「考察・討論「維新の会・橋下徹と大衆、メディア」PART2」だった。豊竹英大夫による「文楽協会と橋下徹」についてと,湯浅 誠・想田和弘・豊竹英大夫・平田オリザによる考察・討論が,今井一の進行で催されたときだ。

今日観た映画の「主戦場」もそれにつながっている。フロリダ州生まれの日系アメリカ人のミキ・デザキ(1983-)が監督し,釜山国際映画祭2018ドキュメンタリー・コンペティション部門に招待された。東京では4月20日から,大阪では4月27日から公開されている。

地下鉄御堂筋線中津駅から淀川(十三大橋)を歩いて渡り,西村道明さんと行って初めて自分の眼鏡を買ったビジョンメガネの前を通過し,やがて劇場に到着。開演30分前で整理券は71番。約100席の会場はほぼ満席で,立ち見もあるというアナウンスだったが,帰りに見回すとそうでもなかった。

ネットでは,失笑や爆笑が起こる場面もあったらしいが,維新支配下の大阪(サンフランシスコ姉妹都市関係解消のご本家)では他人事でない重いテーマでもあり,あまりそんな雰囲気ではなかった。おおむね自分のこれまで見聞きしてきた範囲の事実に即した内容だったが,転向した日砂恵ケネディの誠実な語りや,英語で分かりやすくこの事態を説明できる中野晃一が印象的だった。左右の関係者のインタビューへの回答と過去のビデオ映像等の資料が積み重ねられ,うまく構成されていたと思う。

こうした論争に中立的な立場があるとも必要だとも思わないので,監督の立場や論理展開は明解であったと思う。ネット上では慰安婦へのインタビューが不足しているという指摘もあったが,高齢化されていることや,記録に残されることを踏まえ,オープニングのイ・ヨンスさんとエンディングのキム・ハクスンさんが登場する構成で問題ないという藤岡朝子のパンフレットでの主張に賛同できる。

あらためて,2006年12月22日に交付された改正教育基本法がもたらした影響の深刻さや,安倍晋三と中川昭一に起因する今日のNHKの惨状に思い至る。日本会議を背景とする安倍晋三の出発点がセクシズムと戦争認識の交点である慰安婦問題であり,それが今日の日本の反韓の空気の醸成をもたらしている。

写真:十三大橋から淀川下流を望む(2019.5.4)

[注1]能川元一のツイートより,安倍晋三の国会答弁についての補足等
[注3]デジタル記念館慰安婦問題アジア女性基金 http://www.awf.or.jp/

2019年4月24日水曜日

日本アニメーション映画クラシックス

国立映画アーカイブ旧国立近代美術館フィルムセンター)が管理している,日本アニメーション映画クラシックスは,2017年2月にはできていた。国産アニメーションが誕生して100周年を記念して創られたアーカイブサイトである。

日本の初期のアニメーションが64作品収められている。代表的な作家と作品として,
大石郁雄の『動絵狐狸達引(うごきえこりのたてひき)』(1933年)が紹介されているが,アーカイブには収蔵されておらず,you tubeにある。

2019年2月1日金曜日

初めての旅

数日前に,日本映画製作者連盟の新年記者発表があり,クイーンのボヘミアン・ラプソディが2018年度の興行収入トップで100億円を越えた,とテレビのニュースでやっていた。東映グループ会長ですっかりおっさんになってしまった岡田裕介が映っていた。

岡田裕介といえば,映画の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の薫クンであり,同じ森谷司郎監督の「初めての旅」の主人公である。両作品ともに森和代が主人公の相手役として出演している。高校時代に米島誠二君が森和代を絶賛しており,今はなくなってしまった金沢劇場(東宝の配給館,ゴジラシリーズも日本のいちばん長い日もここで観たのだ)に一人で行ったのが48年前の高校2年の冬か。さらば青春を含む映画音楽は小椋佳だった(青春−砂漠の少年− 岡田裕介と森和代のナレーション入り)。そして,その小椋佳が東大出身の銀行員だとわかったときに,二人でかなりがっかりしていたのもなつかしい。

庄司薫の薫君シリーズでは「白鳥の歌なんか聞こえない」が,NHKの銀河テレビ小説でドラマ化され,主演が荒谷公之と仁科明子だったのだが,やはり岡田裕介−森和代ペアには勝てなかった。岡田裕介は70年代半ばには映画プロデューサに転じ,その後父親の岡田茂の後をついで東映の社長になる。

P. S. 何年か後に,「初めての旅」は曽野綾子が原作だということに気がついた。あの曽野綾子だ…orz。まあ,ストーリーから考えて “むべなるかな” なのであった(岡田裕介が岡田茂の息子であるという状況から考えると2乗で効いているのか,現実の権力関係は青春を凌駕する…orz)。