鈴木善次先生(1933-2024)が山口大学教養部から大阪教育大学に教授として赴任されたのは,1985年だった。当時の理科教育講座の理科教育専修は,森一夫,家野等,松本勝信,鈴木善次,三田村緒佐武,米田健の6名だ。1988年に大阪教育大学教養学科が設置されたとき,三田村先生と米田先生が自然システム専修(環境分野)に移動した。残りの4名は教員養成課程に残ることになった。
鈴木善次先生は,大学院の研究科長をつとめ,博士課程の設置に向けての検討をされていたが,当時の状況ではそれは実現しなかった。ひょうひょうとしているけれど,あの大阪教育大学の教授会でもしっかりと自分のお考えを述べられていて,皆の信頼は厚かった。
阪大物理学科時代の同級生のK君が,卒業後山口大学の医学部に再入学していた。1970年代後半の当時,中国電力が山口県で原子力発電所の設置場所を探していた。その一つがK君の地元の豊北町であり,山口大学でも日本科学者会議のメンバーによる反対運動が組織されていた。そこに鈴木善次先生が加わっていて,おもしろいおじさんだったとK君から聞くことがあった。
後に,鈴木善次先生にその話を尋ねたことがあるが,K君はおぼえてらっしゃらなかった。
P. S. 中国電力による原子力発電所設置計画は,その後瀬戸内海側の上関原発に変わって建設工事が始まったが,2011.3.11以降中断している。
[1]わが師わが友)日本環境教育学会2代目会長・鈴木善次さんの思い出(安渓遊地)
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