2024年4月11日木曜日

和田合戦女舞鶴

4月10日の国立文楽劇場の第2部は,豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上と襲名披露狂言「和田合戦女舞鶴−市若初陣の段−」が主な出し物だった。

平日にも関わらず,開場前にはすごい行列ができていた。1階の休憩所なども満員。なかなか珍しい光景だ。座席も9割方埋っていた。久しぶりのことだ。新若太夫=呂太夫=英太夫の人徳かもしれない。

豊竹若太夫は,義太夫節の元祖竹本義太夫の高弟の竹本采女が竹本座から独立して豊竹座を創設 (1703)するに際に名乗った豊竹姓の元祖であり,義太夫界における由緒ある名跡だ。十一代目豊竹若太夫(林雄治,1947-)の祖父が十代目豊竹若太夫(林英男,1888-1967)であり,57 年ぶりの名跡復活となった。

文楽の襲名口上では本人からの挨拶が無く,太夫の部,三味線の部,人形の部からそれぞれの代表が挨拶するのが通例だ。今回は,豊竹呂勢太夫が進行を務め,竹本錣太夫,竹澤団七,桐竹勘十郎が挨拶していた。後列には新若太夫の弟子(薫太夫,亘太夫,希太夫,芳穂太夫,小住太夫)がずらっと並んでいた。前列に並ぶはずの千歳太夫は病欠。

襲名披露狂言の和田合戦女舞鶴は,国立文楽劇場では初めて見る演目だった。中が希太夫と清公,切が豊竹若太夫と鶴澤清介だ。この段の主役である板額がは桐竹勘十郎がつとめた。主君の子どもを守るために,自分の子どもを犠牲にするといういつものパターンなのだ。ただ,子どもを自分で殺めるのではなく,それらしい芝居を打って,子ども本人が自害するように仕向けるという高度な技が用いられていた。

珍しく,粗品がもらえるアンケートをやっていたので,「三業に女性も参加できるように,手遅れになる前に至急検討を始めてください」との自由記述コメントを書いて,ボールペンをいただいた。


写真:国立文楽劇場のポスターを引用

P. S. 若太夫は大阪の人だけれど,中高は東京だったのか。有名進学校の都立小石川高校出身で,東大を2浪してから,大阪に戻って春子太夫に弟子入りしている。高校時代の友達には,美術評論家の建畠哲がいるのだ。建畠哲はあいちトリエンナーレ2019の「芸術監督選考委員会」の委員長をつとめて,津田大介を選んだのだった。

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