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2021年4月14日水曜日

国性爺合戦

 近松門左衛門(1653-1725)の国性爺合戦(1715)は,人形浄瑠璃の歴史物としては異色で中国が主な舞台となっている。なかなかナショナリズムを鼓舞する内容だった。主人公の和藤内は,明の役人であり日本に渡っていた老一官とその日本人妻の間の子供という設定だ。老一官と和藤内は,清朝からの明朝の復興運動を行った鄭芝龍(1604-1661)と鄭成功(1624-1662)=国姓爺をモデルとしている。老一官の妻は物語の中で中国に渡って重要な役割を果たすのだが名前が付いていない。何とかならなかったのか。17ヶ月連続興行の大ヒット作品だったわけだけれど,当時はどんなイメージで見られたのだろうか。

国立文楽劇場で国性爺合戦を見るのは2回目であり,前回は2016年の初春文楽公演だった。が,前回の記憶はほとんど飛んでいて,あらすじもよくわかっていなかった。しかも虎が出てきたのにはっきりと覚えていない。多分例によって寝ていたのだろうと思われる。今回も,呂勢太夫と清治による楼門の段はほとんど寝ていたので,いつの間にか老一官の妻が縛られて連れられていく始末だった。

久しぶりの4月文楽公演鑑賞は,大阪府のコロナ新規感染者が1000名を越えた日だった。公演記録のために撮影録音が行われていたが,観客の入りは間隔を開け定員の1/3から1/4程度だった。プログラムによれば太夫に新人2名が加わったようで,心強い限りであるが,この調子で大阪の感染拡大が続けば,7月公演はどうなることか心配だ。

1 大明御殿の段(17分)
2 大明御殿奥殿の段(23分)
3 芦辺の段(10分)
4 平戸浜伝いより唐土船の段(39分)
5 千里が竹虎狩りの段(23分)
6 楼門の段(47分)
7 甘輝館の段(49分)
8 紅流しより獅子が城の段(28分)

前回は,1段目から3段目(1-8)までだったが,今回は三部構成で時間が3時間半程度だったため,2段目と3段目(3-8)だけだった。虎は面白いのだけれど,ネズミと同じようなもので,文楽の子供向け演目以外で動物が出る場合は狐(桐竹勘十郎)が最も洗練されている。三味線は皆さん元気だったけれど,相変わらず呂太夫の声量が乏しく,その分は藤太夫の声量に回っていた。希太夫も今回は割と頑張っていた。


写真:国性爺合戦の和藤内と虎(文化デジタルライブラリより引用)

2021年3月5日金曜日

篠田桃紅

 3月1日に107歳で亡くなった篠田桃紅(1913-2021)が篠田正浩(1931-)の従姉だったとは知らなかった。そして,1969年に公開された篠田正浩の心中天網島には,篠田桃紅の書が使われていたとのこと。

映画「心中天網島」は米島君に勧められ,たぶん大学に入ってから大阪で見たのではないか。冒頭の文楽の黒子が走るシーンから非常に印象的で引き込まれた。その後,文楽鑑賞が趣味になって,文楽の舞台でも何度も見ることになるとは,当時は思いもよらなかった。

[1]映画「心中天網島」と文楽問題(尾形修一)

[2]映画「心中天網島」(Staff Blog)

[3]篠田正浩 河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶(松岡正剛)

2020年8月24日月曜日

豊竹嶋太夫

豊竹嶋太夫が8月20日に 88歳でなくなっていた。最後にお見かけしたのは,奈良の西大寺の奈良ファミリーで買物をしているときだった。思わずサインをもらおうかと思ったが踏みとどまった。師匠もご家族といっしょに何か探しておられたようだった。

いつも日の当たるところにいた住太夫とは異なり,一度文楽から離れて再び戻ってきたという経歴の持ち主だ。残念なことに人間国宝になってからわずか半年で引退している。しかし,住太夫と違って嶋太夫は多くの弟子を育ててきた。津國太夫,靖太夫,芳穂太夫,睦太夫,千歳太夫(越路太夫から),呂勢太夫(呂太夫から),故始太夫など。これからの文楽太夫を担う面々だ。嶋太夫の2016年の引退興行の「関取千両幟」もこれらの弟子たちに囲まれていた。

嶋太夫の語りは発音にクセがあったので,はじめは聞きにくくて苦手だった。ところが,どの演目だったかはっきり憶えていないが,すごく熱のある語りを聞いてから,この嶋太夫の語りが好きになってしまった。その一部は,靖太夫に伝わっているように感じる。


2020年2月12日水曜日

木谷千種

日本経済新聞の朝刊文化面に,なにわの街角十選の七回目として,木谷千種(1895-1947)の浄瑠璃舟が載っていた。この絵は大阪中之島美術館蔵となっているが,どこかの美術展でみてすごいなあと会話していた気がする。この絵を拡大して読み解くと,浄瑠璃の演目は梅川,忠兵衛,孫右衛門の登場する傾城恋飛脚の新ノ口村の段であり,横にある床本は伽羅先代萩なのだそうだ。西瓜,まくわ瓜をつんだ物売り舟,浄瑠璃を聴く大店のいとさんなど,大阪の夏の雰囲気で満ちている。

木谷千種の略歴によれば,12歳で渡米しシアトルで2年洋画を学んでいるとのこと。帰国後には,大阪府立清水谷高等女学校に進んでいる。清水谷高校といえば,入口豊先生とか姪御さんの谷口真由美さんだが,そういえば,大教大の経営協議会委員や監事を務められた,元和歌山大学学長の小田章先生もいらっしゃった。そうそう,浄瑠璃繋がりでは,豊竹咲寿太夫も忘れてはいけない。

2020年2月9日日曜日

稽古照今

にっぽんの芸能山川静夫が,「稽古照今(けいこしょうこん)=いにしえをかんがえ いまをてらす」という言葉をよく覚えておいてくださいとのこと。古事記の序文に出てくるもので,「莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶」とある。「古(いにしえ)を稽(かんが)えて以(もつ)て風猷(ふうゆう)をすでに廃(すた)れるに縄(ただ)し、今を照らして以て典教(てんきょう)を絶えんと浴するに補(おぎな)わずということなし」であり,「昔のことをよく学び,すでに廃れてしまった道徳を見直し,今の基準とすべく失われかかっている尊い文献を補うために、この古事記を書き残しておく」とのことらしい。古事記編纂の趣旨である。ネトウヨの皆様にはよく肝に銘じてほしいところであるが,記録は全部廃棄したことにしてデータを改竄するのが最近のはやりなのだろう。

番組は,「蔵出し!名舞台~初世 吉田玉男」であり,ゲストの山川静夫とともに,玉男の名場面や思い出をたどるものだった。「曾根崎心中の天神森の段」,「菅原伝授手習鑑 丞相名残の段」,「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」,「心中天網島 河庄の段」が取り上げられた。英太夫の若々しい声や越路太夫の力強さが印象深かった。菅原伝授手習鑑の寺子屋の段は出遣いではないのだが,松王丸の迫力が凄い。


2020年1月7日火曜日

修羅

修羅(1971)」は「薔薇の葬列(1969)」に続く松本俊夫(1932-2017)の監督・脚本の映画作品であり,大学時代に劇場でみた。彼の作品では桂枝雀(1939-1999)主演の「ドグラ・マグラ(1988)」もおもしろそうだったが,残念ながらこちらはまだみていない。

「修羅」の原作は,鶴屋南北(1755-1829)の「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」であり,中村嘉葎雄(1938-)が薩摩源吾兵衛,三条泰子(1940-)が小万の役だった。その三条泰子がとてもきれいに思えたので,帰省したとき母にいうと,なんか怪しい映画に出ている人じゃないのと切り替えされた。今,調べてもほとんどそういうことはないのだけど。

その薩摩源吾兵衛は,「盟三五大切」の元になった並木五瓶の「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」にも登場し,「国言詢音頭」の初右衛門に対応している。これらのもとになったのは,元文2年(1737)夏,曽根崎新地で薩摩藩の早田八右衛門という人物が,曽根崎桜風呂の菊野ら五人を切り殺したという事件だ。

ということで,大学時代に見ていた「修羅」が,文楽入門のきっかけとなった40年後の「国言詢音頭」につながっていた。

2020年1月6日月曜日

おいど出して

令和2年初春文楽公演(開場三十五周年記念シリーズ)が1月3日から始まった。第1部の「傾城反魂香」が,竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言であった。

津駒太夫は,2008年(平成20年)7月の私の初めての文楽体験(夏休み文楽公演第3部)で最初に出会った太夫だったので印象深い。演目は,国言詢音頭(くにことばくどきおんど)。大川の段が津駒太夫と鶴澤寛治,五人伐の段の中が文字久太夫・清友,切が住太夫・錦糸・豊澤龍爾(胡弓)という顔ぶれだった。津駒大夫が汗びっしょりでよだれをたらしながら熱演しているのにびっくりしてハマってしまい(最後のシーンが本水だったのもよかった),それ以来文楽劇場に通うようになった。

その津駒太夫=錣太夫の襲名披露は,傾城反魂香の冒頭に,床に竹本錣太夫,竹澤宗助,豊竹呂太夫(六代目 1947-)が並んで行われた。呂太夫が落ち着いて口上を述べた。文楽の襲名披露は歌舞伎のそれに比べて,相対的に形式張っておらず,また襲名する本人自身は自らは挨拶しないのが通例だ。

竹本錣太夫は,1949年広島生まれ,1969年に津太夫に入門して津駒太夫を名乗り,1970年に朝日座で初舞台,1988年に呂太夫(五代目 1945-2000)門下になり,ここで六代目の呂太夫=英太夫と接点を持つ。呂太夫の口上では,とてもきまじめな錣太夫のエピソードを1つ紹介していた。

当時の津駒太夫は,鶴澤寛治(六代目 1887-1974)に指導を受けていた。ある日,寛治がおいどを出してというので,津駒太夫はあわてて立ち上がってゆかたをめくろうとしたらしい。この場合のおいどは床本の終わりのほうを意味していたのを勘違いしたのだ。同席していた女義太夫の鶴澤寛八(1917-1993)にあわてて止められたとのことだ。文楽界を代表するおもしろい出来事だったとのこと。


写真:国立文楽劇場初日,鏡割り前の錣太夫の挨拶(2020.1.3撮影)

2019年11月10日日曜日

仮名手本忠臣蔵(八段目より十一段目まで)

先の金曜日,国立文楽劇場の仮名手本忠臣蔵(八段目から十一段目)をみてきた。大ホール前の台風19号などの水害募金チャリティで,吉田玉男さんが珍しく姫の人形を持って募金者との記念写真に応じていたので,記念撮影してもらった。

八段目は,道行旅路の嫁入りだ。どうも道行きは苦手なので途中半分は寝ていたかもしれない。加古川本蔵の妻の戸無瀬と娘の小浪が許嫁の大星力弥に会うため京都の山科まで向う冬の場面。浄瑠璃の出発点は薩埵峠(現在の由比町と静岡市と境で富士山がよく見える)。なにやらなまめかしいセリフがつづくなあと思っていたら,どんどん進んで行って,背景も琵琶湖にかわり,そろそろ山科につくところで終了。道行のトップを務めていた竹本津駒太夫は来年からは六代目竹本錣太夫になる。竹澤宗助の三味線の裏拍子がうまいなあと思った。人形は戸無瀬が吉田和生,小浪が吉田一輔。

九段目は,雪転しの段。雪達磨になぞらえながら祇園一力茶屋から帰ってきた大星由良之助が息子の力弥と禅問答をする。そして,いよいよ山科閑居の段。これは松竹座の歌舞伎も含めて何回かみている。戸名瀬と小浪が山科の大星家に到着し,大星由良之助の妻のお石が二人に冷たく,ピリピリとしたやり取りが延々と続くのであった。竹本千歳太夫はあいかわらずうなっていたけれど,豊澤富助はセーブしている感じ。確かにご無用の出所がふめいだった。豊竹藤太夫は,結構重い球を投げていて良かったのではないか。三味線の鶴澤藤蔵がうなりすぎるのをなんとかしてほしいという家人の説に同感である。歌舞伎で見たときに,雪が積もった竹で戸を開ける仕掛けの場面が印象深かったので,今か今かと待っていたら,この段の最後にやっとでてきた。しかも今回はちょっといまいちの戸の外れ方で,期待の方が外れてしまった。加古川本蔵は重要な役なのに,大星由良之助の仕掛けの披露に紛れていつの間にか死んでしまいかわいそうである。もう少しスポットを当てればよかったのに>並木宗輔?。で,はっきり天河屋に続くことを宣言してこの段は幕を閉じる。

十段目の天河屋の段が,今回のスペシャル趣向になっている。住太夫の相三味線だった野澤錦糸師匠が復曲して,102年振りに原作通りの口・奥の形で上演された。前半は以前も見ているけれど,天河屋義平も怒るよね。竹本小住太夫は迫力はないかもしれないけれど,登場人物の語り分けがうまいし,心配なしで聞くことができる。今回の豊竹靖太夫はまあボチボチか。後半のストーリーがなかなか大変で,子どもを持つお母さん達にはキツイのではないか。桐竹勘介の足の黒子だけ,ちょっと高さが他とずれていたので改善してほしい。吉田簑紫郎は丁稚伊吾の役であり,人形が人形を遣うという珍しいものだった。

十一段目は花水橋引揚げより光明寺焼香の段。普通はどちらか一方だけでおしまいなのだが,今回は両者が続く。女性の人形遣いが登場したのかと思ってよく見ると,千崎弥五郎の吉田玉延君だった模様。若い人が増えるのはいいですね。それにしても太夫の層が薄いのが気になる。豊竹咲太夫師匠が7月に人間国宝の認定を受けたが,最近あまりメジャーな役をしないのは,若手育成のためだとおっしゃっている。これはこれでありかもしれない。なお,騒動のそもそもの原因である桃井若狭之助が最後に騎馬で登場して,エエカッコしているのはどうなのよという文をどこかで見たが,その通りだと思う。

2019年7月24日水曜日

仮名手本忠臣蔵(五・六・七段目)

夏休み文楽特別公演の四日目の火曜日,平日の国立文楽劇場は初めてだったかな。お客さんの年齢層は高いがほぼ満員御礼状態。冷房が効きすぎていたのか休憩時間には男子トイレまで行列が絶えることがなかった。

演目の第二部は仮名手本忠臣蔵の五段目,六段目,七段目である。立川志の輔の中村仲蔵の落語でこの五段目に開眼し,前回(平成24年11月)の通し狂言も見ているので,ストーリーはある程度押さえているはずだけれど,まだおぼつかない。祇園一力茶屋のおかるは吉田蓑助になっていたが,二階の場面に少し出たあとは吉田一輔に交代したようだ。人間国宝になったばかりの豊竹咲太夫も,前回は一力茶屋の段の由良之助だったのが,今回は軽い身売りの段を勤めていた。まだ体調が十分ではないのかもしれない。早野勘平腹切りの段は,豊竹呂勢太夫。

一力茶屋の段の掛け合いの構成や最後の場面での斧九太夫の扱いなどを覚えていなかったので,新鮮だった。おかるの手鏡は丸いのかと思っていたら,四角いものであったし,おかるが由良之助の促されて二階からはしごを降りるところなども面白かった。最近は記憶が衰えてきたので,何度も新鮮な気持ちで見ることができる。いいのか悪いのか。

3列33番は,床の直下である。若手をはじめなかなかの迫力で聞き応えがあった。小住太夫も咲寿太夫もよかった。靖太夫は有望なのだけれど,最初の平板な入りをもう少し何とかしてほしいかも。藤太夫が見台と床本なしで,下手で鷺坂伴内を語っていた。こんな演出だったのか。

鷺坂伴内といえば,10年近く前の文楽入門講座か何かで,竹本相子太夫が鷺坂伴内の役を使って説明してくれたのが印象深かった。その当時はまだ,仮名手本忠臣蔵の面白い役回りだと認識していなかったころだ。2013年に相子太夫は文楽座を退座してしまった。残念だった。久しぶりだったので,人形遣いの若手で初めて見るような顔がいくつかあった。太夫の若手もはやく育ってほしい。

2019年4月15日月曜日

仮名手本忠臣蔵(大序から四段目まで)

月曜日に文楽劇場に行くのは初めてだった。これまでは,土曜か日祝に決まっていたが,定年を迎え曜日選択の自由度が増えた。文楽劇場開設35周年の今年は,4月,7月,11月の3公演で「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言をセットでコンプリートする運びである。玄人筋の評判はいまいちのようだが,これはこれでありかなと思う。このパターンでもよいので,通し狂言の公演を増やしてほしい。

今日は午前の部が仮名手本忠臣蔵の大序から四段目までだった。最初の竹本碩太夫がよかった。その次が三輪太夫かな。咲太夫も声が出て元気そうだった。大序の鶴が岡兜改めの段で,上手御簾内での語りの2番目だったと思うが,落ち着いてはっきりした声を安心して聞くことができた。碩太夫は四段目の城明け渡しの段にも抜擢?されていた。この部分は,前回みたときの記憶と違った。それは,暗い門前に大星由良之助がずっとたたずんでいるというもので,別の演目の記憶と混線しているのかもしれない。

塩谷判官切腹の段の切腹作法が続く時間の緊張感がなんともいえなかった。切腹というと1967年東宝の「日本のいちばん長い日(岡本喜八)」における阿南陸軍大臣(三船敏郎)のシーンが印象深かったが,これは忠臣蔵とは関係がない。この段の床本には御台様がずっと登場しているような表現があるのだが,顔世御前の簑助は途中は舞台には出ておらず,塩谷判官が亡くなってから登場していた。今回だけの演出なのか,これが標準的な演出なのか気になっている。