鹿賀丈史(1950-)が金沢の出身だというのは知っていたのだが,金沢市立野田中学校の先輩だった。同窓会名簿をみると,勝田重勝という名前で,第17期の3年2組,林義直先生のクラスに載っている。Wikipediaには,本名が勝田薫且(しげかつ)となっているので,たぶんそうだと思う。
鹿賀丈史は,小学校時代は一時東京にいたようなのだが,材木町小学校を卒業している。高校は二水高校だ。たぶん,近所に住んでいたのだろうが,残念ながら3学年違いなので世界線が交差することはなかった。
上に登場した数学の林義直先生は,自分が2年のときの担任だった。平成3年から5年まで,野田中の第14代校長を務めている。野田中の同窓会名簿をみていたら,阪大マンドリンクラブと金沢泉丘高等学校の先輩だった,徳井久康さんや,小学校・中学校が同じで高校との同級生だった,荒井秀典君が教諭を務めていた。
当時の野田中学校(1949-)は,十一屋小,泉野小,富樫小の3校が校区だった。やがて,郊外の人口増に伴って新しく高尾台中学校(1981-)が新設され,富樫小は伏見台小(1974-)や扇台小とともにそちらの校区に編入された。野田中は十一屋小,泉野小,長坂台小(1981-)を校区としている。
なお,田中美里も十一屋小学校らしいが,中学校からはミッション(北陸学院中学校・高等学校)に進んだので野田中ではない。幼稚園が若草幼稚園なら後輩なのだが,噂によると寺町の幼稚園とのことなので,これもどうやらちがうようだ。