2022年1月25日火曜日

水洗式便所

グリル狸からの続き

グリル狸の水洗便所の話をしたところだ。で,水洗式便所に出会ったのはそれが最初だったとしたが,正確には少し違う。和風の水洗便所が初めてだったので,驚いたのだった。

幼稚園に上がる少し前に,駅前の田丸町にあった家から金沢市立工業高等学校のグラウンドの横手にあった泉野町ヨ114-4の地に引っ越した。そこは祖父母と叔父が住んでいた寺町2丁目の家から歩いて5分くらいのところだ。昭和38年に始まった金沢市の住居表示変更によって,一番に泉野町から寺町1丁目に変わった地域だ。

桜畠(寺町3丁目)のあたりには,祖父である越桐弥太郎の弟の越桐與三次郎の一家が住んでいた。寺町台地から犀川を見下ろすことのできる端にあって,非常に見晴らしのよい立派な家だった。その近くにある料亭の仁志川で最近法事をしたところである。

金沢弁で分家のことをあじちというので,あじちのおじさんの家ということになっていた。その家の玄関を上がると広い廊下から洋風の長い階段が2階に続いていて,1階の右手には洋風の腰掛け式の水洗便所があった。そのトイレを子どものころにどうやって使っていたのかははっきりしないのだけれど,便座が木製のスツール型だったことは記憶にある。

小学校4年になって,寺町1丁目の自宅を建て替えることになり,自分だけ半年ほど祖母の家に預けられることになった。父母と妹達は笠舞町の借家の2階に移った。祖母の家もその少し前に洋風に改造されて(叔父が結婚するときだった),古い和式便所は残したまま,新しい浴室の隣に和風の水洗便所が設けられた。水洗便所は苦手だったので,もっぱら古い和式便所の方を利用していた。

小学校5年の夏には寺町1丁目の新しい自宅ができた。ここも和式の水洗便所になっていた。昔の家の和式便所にはバキュームカーがきて汲み取りをしていたが,その風景も臭いもなくなってしまった。

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