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2021年4月14日水曜日

国性爺合戦

 近松門左衛門(1653-1725)の国性爺合戦(1715)は,人形浄瑠璃の歴史物としては異色で中国が主な舞台となっている。なかなかナショナリズムを鼓舞する内容だった。主人公の和藤内は,明の役人であり日本に渡っていた老一官とその日本人妻の間の子供という設定だ。老一官と和藤内は,清朝からの明朝の復興運動を行った鄭芝龍(1604-1661)と鄭成功(1624-1662)=国姓爺をモデルとしている。老一官の妻は物語の中で中国に渡って重要な役割を果たすのだが名前が付いていない。何とかならなかったのか。17ヶ月連続興行の大ヒット作品だったわけだけれど,当時はどんなイメージで見られたのだろうか。

国立文楽劇場で国性爺合戦を見るのは2回目であり,前回は2016年の初春文楽公演だった。が,前回の記憶はほとんど飛んでいて,あらすじもよくわかっていなかった。しかも虎が出てきたのにはっきりと覚えていない。多分例によって寝ていたのだろうと思われる。今回も,呂勢太夫と清治による楼門の段はほとんど寝ていたので,いつの間にか老一官の妻が縛られて連れられていく始末だった。

久しぶりの4月文楽公演鑑賞は,大阪府のコロナ新規感染者が1000名を越えた日だった。公演記録のために撮影録音が行われていたが,観客の入りは間隔を開け定員の1/3から1/4程度だった。プログラムによれば太夫に新人2名が加わったようで,心強い限りであるが,この調子で大阪の感染拡大が続けば,7月公演はどうなることか心配だ。

1 大明御殿の段(17分)
2 大明御殿奥殿の段(23分)
3 芦辺の段(10分)
4 平戸浜伝いより唐土船の段(39分)
5 千里が竹虎狩りの段(23分)
6 楼門の段(47分)
7 甘輝館の段(49分)
8 紅流しより獅子が城の段(28分)

前回は,1段目から3段目(1-8)までだったが,今回は三部構成で時間が3時間半程度だったため,2段目と3段目(3-8)だけだった。虎は面白いのだけれど,ネズミと同じようなもので,文楽の子供向け演目以外で動物が出る場合は狐(桐竹勘十郎)が最も洗練されている。三味線は皆さん元気だったけれど,相変わらず呂太夫の声量が乏しく,その分は藤太夫の声量に回っていた。希太夫も今回は割と頑張っていた。


写真:国性爺合戦の和藤内と虎(文化デジタルライブラリより引用)

2021年4月13日火曜日

蔦屋書店

 京阪枚方市駅前の商業施設,HIRAKATA T-SITEには蔦屋書店が入っている。最近は本屋がどんどん消滅しているが,その中で蔦屋書店だけが生息域を拡大している。春日原始林に蔓延るナンキンハゼみたいなもので,シカが食べないことから森林生態系の変化が危惧されている。まあそもそも春日原始林はアマゾン熱帯雨林で置き換えられてしまったのかもしれないが。

1983年に開業した蔦屋書店の1号店が蔦屋書店枚方市駅前なので,ここは大変由緒正しいTSUTAYAの聖地なのだった。レンタルCD・ビデオのTSUTAYAと併せて,1985年に設立されたカルチャ・コンビニエンス・クラブ(CCC)によって運営されている。このCCCの名前が知れ渡ったのが,図書館の委託管理事業への進出である。当時の樋渡啓祐市長によりCCCが初めて指定管理者となった武雄市図書館では,CCCの関連会社からゴミのような中古書籍を多数購入したり,貴重な地域の歴史資料資料を除籍・廃棄処分したり,改革の名の下に図書館機能をズタズタにしてしまった。

そんなわけで,CCCには悪い印象しか持っておらず,地元の図書館が浸食されないように祈るばかりであるが,蔦屋書店も自分の肌には合わないのだった。

(1) 選書がお洒落な本に偏っており,書店の規模に対して,理工書やしっかりした人文科学書の割合が少ない。本屋ではなくファッション系の小物のお店になってしまっている。あるいはファッションの一部としての見せかけの書籍群。その極限が大きな壁面に糊付けされている洋書の見掛け倒しである。本物の図書館では,一応アクセスは確保されている。大嫌いな安藤忠雄設計のこども本の森中之島も同じ発想だ。

(2) 書籍の配列がでたらめになっている。よくいえばテーマ別で新しい発見を促すともいえるが,あるべき場所に本がないので特定の意図を持って探すのが面倒である。端末で検索せよというならば,アマゾンとどこが違うのか。文庫本が著者のアイウエオ順なのはまだ許せるとして,場合によっては単行本と文庫本が混在し,恣意的な分類をしている。

そんなわけで,仮想空間で自分好みの本屋体験ができるアプリの出現を待っている。

2021年3月29日月曜日

鈍春

 今井 vs 美々卯からの続き

うどんといえば,阪急宝塚線の蛍池に住んでいたころ,駅前東口の武岡パン屋の北側に「鈍春(どんぱる)」という創作うどんの店ができたのは,1975-6年だったろうか。インターネットで検索すると断片的な記憶が散乱しているが,2000年代のはじめごろには廃業していたようだ。鳴門わかめうどんが1つの柱で,「春一番」という名のうどんが思い出深い。大ぶりの丼にたっぷりの出汁と太めの手打ち麺。ここに,まったく生臭さを感じない鳴門灰わかめの入った肉うどんの上にすだちと生姜がのっている。だしは完璧だけれど,米島君を連れて行ったときの感想は,「めんがもうひとつ」というものだった。

グラタンうどんとか他の洋風メニューなどもいろいろあったのだけれど,「春一番(もしかしたらこれは別のものを指しているのかもしれないような気がする・・・)」がもっともお気に入りだった。あるとき,隣の豊中駅の近くのうどん屋に入ったとき似たようなメニューがあって,蛍池の鈍春と関係があるんですかと聞くと兄弟分のようなものだという返事があった。残念ながらわかめがちょっと生臭くて鈍春の味とは全く違うのものであり,兄弟分ではなかったようだ。

1980年頃には,阪大豊中キャンパス正門西の中央環状線沿いの清風荘に鈍春の支店ができて,大坪先生と入ったことがある。年末の博士論文の追い込みの大晦日か小晦日で,生協食堂もしまっているときの昼食だった。味は申し分なかったし,場所もそれなりだと思ったが,残念ながらあっという間に閉店してしまった。それからは,もう鈍春を訪れることもなくなっていた。

なお,阪大生協図書館下食堂のきつねうどんは1972年には30円で,その後50円になった。これも毎日のように食べていたけれども,まったく飽きずに食欲を満たしてくれた。

[1]蛍池駅周辺スレッドうどんのうまい店(2002年にはまだ店は営業していたようだ)

[2]お手軽料理 うどんグラタン(新・さったんの独り言)

2021年3月28日日曜日

今井 vs 美々卯 & かにどん

 Apple心斎橋にMacBook Pro mid 2012 を修理に出して引き取った日,昼食はきつねうどんを食べた。大学生の頃(1970年代前半),年に数回,道頓堀の古本屋を回っていた。今はもうなくなってしまったが,大丸の地下に「かにどん」の商号できつねうどんのスタンドがあった。そこで昼食をとるのが学生時代のルーチーンだった。金沢のお多福や加登長のきつねうどんは,油揚げが刻んであったので,大阪の甘い大ぶりの油揚げは珍しかったが,すぐに大好きになった。かにどんの麺は中太のもっちりめん。夏場は暑かったので,横の大丸地下食品売り場のミックスジュースコーナーでコンボを決めていた。

道頓堀でうどんといえば,道頓堀今井である。本店にも娘と一度入ったことがあるがたいへんおいしかった。さて,今回のApple心斎橋訪問である。1日目は大丸地下のフードコートまわりに今井のスタンドがあったので,そこを利用した。2日目はホテル日航の地下に美々卯の店舗を発見したのでここに入った。それでは両者を比較してみよう。

       今井(大丸地下) 美々卯(日航ホテル地下)
 値段     870円      825円
 PayPay    不可       可
 湯茶     なし       お茶(おかわりあり)
 おしぼり   なし       あり(ペーパー)
 七味     小パック     七味容器
 油あげ    中×2       大×2(ジューシー)
 めん      中細       中細
 だし   七味にかきけされた 七味にかきけされた
 座席   セルフサービス   サービス有り

ということで,今回は美々卯の勝ち〜。両者ともあの山椒がきつめの七味があわないと思う。


写真:道頓堀今井本店のきつねうどん(今井のウェブサイトから引用)

[1]東京駅・彩食小路 かにどん 残念ながら2006年3月に閉店しました(食い道をゆく)
[2]かにどん(東京)(もみーのうどんレポ 2003.11.15)

2021年2月12日金曜日

ライブ・アンダー・ザ・スカイ

 チック・コリアが 79 歳でなくなったというニュースが飛び込んできた。MacBook Proに入っている リターン・トゥ・フォーエヴァーを聴いて追悼している。ライト・アズ・ア・フェザーもある。

1979年の7月25日(水)に大阪の万博記念公園特設屋外会場(エキスポランド側だった)で開催された,ライブ・アンダー・ザ・スカイには,チック・コリアも参加していた。調べたが,東京公演(雨の田園コロシアム)の話はみつかるが,大阪公演の情報はインターネット上にほとんどない。どういうこと。1979年はドクター2年のときで,吹田キャンパスの阪大核物理センターの大型計算機でひと仕事済ませた後の夕方,大切なチケットを手に,一人で歩いて会場に向かった記憶がある。

V. S. O. P. クインテット(ハービー・ハンコック,フレディ・ハバード,ウェイン・ショーター,ロン・カーター,トニー・ウィリアムス)と,ハービー・ハンコック=チック・コリアのデュオだったはずだ。チック・コリアのピアノも良かったが,その日一番凄かったのは,夕暮れの夏空に吸い込まれていくフレディ・ハバードのトランペットの音だった。

終演後のアンコール時の舞台でチック・コリアが踊っていたのも印象的だった。バスで千里中央・蛍池経由で帰宅した。


2020年12月16日水曜日

勝負の三週間

「新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けて政府が短期間の集中した取り組みを呼びかけた「勝負の3週間」が16日最終日を迎えた」ということらしいが,感染者数も死亡者数も高止まりしている。東京に比べて大阪が若干ましに見えているけれど本当のところはどうだかわからない。吉村は和歌山県知事のメッセージもスルーしているようだし,相変わらずマスコミとの共依存でまともな対応がなされていないような気がする。とにかくデータが信頼できないというのが致命的だ。

2020年12月8日火曜日

有馬さん(2)

 今日は12月8日で,このブログを開始してからちょうど2周年ということになる。

そして,8年前の2012年12月8日にも有馬さんとの接点があった。「高度専門型理系教育指導者養成プログラム~これからの中等理科教育指導者像を探る~」と題したシンポジウムが大阪教育大学天王寺キャンパスのミレニアムホールで開催され,その基調講演に有馬さんを招いたのだった。たぶん,仲矢さんが話をつけてきたのではなかったか。長尾学長とプログラム責任者の定金先生に加えて当時理事だったということで私も加わって,二部主事室で有馬先生と開催前の談話をしていた。名刺交換のときに軽く自己紹介したけれど,有馬先生は私のことを覚えていなかったと思う。

さらにさかのぼって,1996年の9月に南園先生が新大阪の大阪ガーデンパレスで開いた国際シンポジウムが,「International Symposium on Non-Nucleonic Degrees of Freedom Detected in Nuclei」であり,この基調講演にも有馬先生を招待していた。実行委員のメンバーの一人でもあったため,歩いて5分の新大阪の駅まで有馬先生を迎えに行くことになった。有馬先生はすぐに見つかり,かばんをお持ちしましょうといったのだけれど,いやいや大丈夫と断られた。ホテルまでの道筋でもそんな大した話はした記憶はない。ただ,森田研の出身であったということはなんとなく理解されていたのだと思う。

この大阪ガーデンパレスは,私立学校の共済組合の系列であり,城西国際大学に移られた森田先生がよく利用されていた。しばしばホテルに呼び出されて,その時点での研究状況等を報告してから,昼ごはんをごちそうになっていた。科研費の打ち合わせということで,謝金もたまに出ていた。

2020年12月3日木曜日

大阪モデル

 COVID-19の大阪モデルのモデリング指標が大阪府のホームページに公開されている。第1波の段階では,それまでの安倍政権や小池知事の東京都の対応と比較して,「(相対的に)吉村知事の決断力すげー」みたいな空気が大阪マスメディアを中心として沸き起こった。ところが,その後のカッパ・イソジン騒動などでどんどん株は下落を続けた。特にひどかったのが,大阪府のコロナ感染のモデリング指標が吉村の恣意的な操作によってコロコロ変えられたことである。いまでは二度と赤信号がつかないひどい基準になっている。それもこれも「大阪市廃止特別区設置(いわゆる大阪都構想)」の住民投票のときに赤信号が灯らないようにするためだったのでなはいかと想像される。切羽詰まった状況になったので,再び恣意的な指標変更に相当する運用がされるようだ。なお,その基準というのは以下のようになっている。

(1) 新規陽性者における感染経路不明者7日間移動平均前週増加比(黄:2以上),かつ,(2) 新規陽性者における感染経路不明者数7日間移動平均(黃:10人以上/緑:10人未満で解除),(3) 7日間合計新規陽性者数[うち後半3日間](黃:120人以上かつ後半3日間で半数以上),(4) 直近1週間の人口10万人あたり新規陽性者数(緑:0.5人未満解除),(5) 患者受入重症病床使用率[重症患者数÷確保病床数](赤:70%以上 ただし「警戒(黄色)」信号が点灯した日から起算して25日以内/緑:60%未満で解除)

現時点では警戒基準(黄信号)の条件も満足していないが,解除基準も満足されていないことから,点灯した黄信号が長期に渡って継続している。このため25日以内条件は永遠にみたされず,赤信号が点灯することはない。どうして,こんなに合理性に欠ける基準を作って誰も恥じることがないのだろうか。東京都は基準とアラートが直結せず,あらかじめ恣意的な判断がはいるようになっているので,より巧妙だといえるかもしれない。


2020年11月9日月曜日

プガジャ

 今はなき曽根崎書店を検索してもほとんど情報がみつからないので,その場所がどこだったのかが思い出せない。プレイガイドジャーナル編大阪青春街図'76の断片にかろうじて阪急東通商店街2としてその場所が示されていた。

曽根崎書店といえば,前進や解放などが販売されており,新左翼系の雑誌や書籍とともに季刊NW-SFも棚に並んでいた。日本におけるニューウェーブを主導した山野浩一と,サンリオSF文庫(1978-1987)で重要な役割を果たした山田和子が季刊NW-SF編集に関わっていたと思う。1970年から1982年にかけて不定期に発刊されていたので,探すのがけっこう大変だった記憶がある。1972年に大学に入ってからはSFマガジンの購読もやめてしまったので,その代替として季刊NW-SFに期待していた。しかし,バラードやディックやディッシュなどの一部を除いて今ひとつはまらなかったかもしれない。

そのB6サイズ(後にB5)の「プレイガイドジャーナル(1971-1987)」である。1971年に発刊されていたが,定期的に購読するほどではなかった。1973年2月の「大阪青春街図」は発売後すぐに購入して長く手元にあったが,大阪市内を歩くための目安としてたいへん重宝した。米島くんから東京には「ぴあ(1972-2011)」というのがあるときいたが,そちらは純粋な映画・音楽情報誌で,プガジャの持っていたちょっと怪しいところが蒸留されたものだった。



写真:大阪青春街図の表紙(六月社書房)恵文社ウェブサイトから引用


2020年11月2日月曜日

セーフ

 NHKの開票速報をみていたところ,最初のうちこそ賛成と反対が同数の状況が続いていたが,やがて,賛成が5000票リードということになったので,あ,こりゃあかんわと早々にあきらめていた。ところが,突然,維新が負けたみたいよという声がして,あわててNHKの画面をみれば,数字は賛成有利のまま,説明とテロップは反対多数に決定という・・・,ええーっである。政令指定都市の大阪市が無事に生き延びるのことができて安堵の胸をなでおろす。

2015年5月17日「大阪市における特別区の設置についての投票

2020年11月1日「大阪市を廃止し特別区を設置することについての投票

区名有権者数(人)区割り案賛成-反対2020-2015有権者比
淀川区147,927淀川区8,727-936-0.6%
北区108,914北区8,518-2,500-2.3%
西区82,132中央区3,798-3,136-3.8%
福島区63,570北区3,010-1,309-2.1%
都島区86,332北区2,953-511-0.6%
鶴見区90,002北区1,2871,1801.3%
中央区81,945中央区952-2,727-3.3%
浪速区53,605中央区859-515-1.0%
城東区139,191北区855-89-0.1%
東淀川区142,532淀川区487-1,561-1.1%
東成区65,728北区-331-353-0.5%
西成区85,367中央区-6492,8663.4%
住之江区100,154中央区-1,6882,0082.0%
天王寺区60,918天王寺区-1,8116771.1%
生野区85,380天王寺区-1,9431,8512.2%
此花区54,302淀川区-2,125-850-1.6%
大正区54,058中央区-2,3672,1984.1%
西淀川区78,626淀川区-2,5402,1272.7%
旭区75,537北区-2,7712,1322.8%
東住吉区109,054天王寺区-3,694-451-0.4%
港区66,677淀川区-6,036-4,095-6.1%
阿倍野区89,539天王寺区-6,236-4,224-4.7%
住吉区126,173中央区-8,045-718-0.6%
平野区158,067天王寺区-8,3772,5101.6%
大阪市合計2,205,730-17,167-6,426-0.3%

前回は1万人の僅差であったが,今回も1.7万人の僅差で大阪市廃止が阻止された。西成区や大正区では賛成-反対が増え,西区,中央区,港区,阿倍野区では賛成-反対が減った。

[1]11月1日「都構想」否決。私たちの未来は?(大石あきこ)

2020年10月29日木曜日

大阪市廃止まであと3日

かつて大阪市に本部のあった大学で学び,大阪市にある大学に勤務していたものとして,大変残念な事態に至っている。

2008年にあの橋下徹を大阪府知事に担ぎ上げたがために,2010年には大阪維新の会が結成されてしまった。その後,公明党の寝返りによって大阪市廃止・特別区設置住民投票が実施されたが,2015年5月17日の住民投票によってこれは否決された。

否決を受けて「もう二度とやらない」といった橋下の舌の根もに乾かないうちに,2015年11月の大阪府知事・大阪市長ダブル選挙で松井・吉村が当選してしまう。そして,2019年4月の統一地方選挙に立場を入れ替えた吉村・松井が再び当選したことによって公明党が完全に賛成側に回わり,ついに2020年11月1日の2回目の住民投票を迎えることになる。

「大阪都構想」賛否真っ二つ…“市消滅”なら大阪はもうダメかもしれない(大前治,弁護士,2020.10.23)

記者座談会 大阪市廃止仕掛ける黒幕は誰か 外資や財界の代理人・維新(長周新聞,2020.10.24)*

「大阪都構想」で大阪市民は大損する…これは時代遅れの構想だ(左藤章,自由民主党衆議院議員,2020.10.26)

大阪市4分割ならコスト218億円増 都構想実現で特別区の収支悪化も 市試算(毎日新聞,2020.10.26)

いわゆる「大阪都構想」についての大阪市民の理解度に関する調査結果 〜都構想の制度内容等を、賛成派ほど誤って認識している〜(京都大学レジリエンス実践ユニット,2020.10.27)*

「大阪都構想」は世紀の愚策…いよいよ大阪が「終わる」かもしれない(畑中章宏,作家,2020.10.28)

大阪都構想「1.1兆円の財政効率化」に実現可能性なし(幸田泉,作家,2020.10.29)

大阪都構想で“敵認定”された「大阪の公務員」、彼らが語った「やりきれぬ思い」(松本創,ノンフィクション・ライター,2020.10.29)



*追伸 2020.11.1

2020年10月23日金曜日

大阪市立精華小学校

 名古屋大学名誉教授の福井崇時(ふくいしゅうじ)先生(1923-2018)は,阪大物理出身で福井宮本の放電箱で有名だ。福井先生は大阪市生まれで,1930年に大阪市立精華小学校に入学している。その一節を引用するとつぎのようになる。

校舎は地下1階、地上4階の鉄筋構造。・・・地階と 便所を除き、全室の床、廊下、階段の床も板張り、壁も高さ1メートル程は化粧板の板張り(年2回油 引きがされた)。階段の手摺も丁度良い高さに木材の覆い、格好の滑り台となった。廊下も含めて全室に ラジエーターがあるスチーム暖房。地階から4階までのエレヴェーターが2個所(生徒は単独では乗れ ない)。理科、音楽、図画、工作の特別教室と畳敷きの作法教室があった。グランドピアノが4階の講堂、 1階の雨天体操場、音楽教室、幼稚園と計4台。・・・机は特製。・・・この特製机の一番の特徴は、生徒の座高と脚の長さに合わせて、それぞれの高さが調節できる構造になっていることである。学年の初めと夏休み開けに校務員さんが予め 身体検査で測定されている各自の座高と膝下の長さとに合わせて調節してあるが、微調整のため教室へ 来て下さる。1年後に進級すると教室も代わる。新学期には既に高さが調整された机に生徒個々の名前 が書かれた紙を貼り並べられていた。

 大阪市立精華小学校,現在は統合移転されて大阪市立南小学校になってしまい,その跡地は売却されて見る影もない。一方,京都の番組小学校では,明倫小学校や龍池小学校のようにその跡地が保存・再利用されている例もある。かつての日本は初等教育にここまで力を注いでいたということだ。大阪では維新を始めとする「新自由主義」の信者達によって公共財の売却の餌食となってしまった。そしてその大阪市も日本に先駆けてまもなく終焉を迎えようとしている。

[1]精華小学校の写真(Twitter ブンチョウママさんより)
[2]私の精華小学校写真展(Facebookより)

2020年10月13日火曜日

人間ドック(1)

 昨日は晴れ。大手前病院の人間ドックの受診日だった。今年度になって大阪市に出るのもこれが2回目か。そういえば,政令指定都市の大阪市の存続も風前の灯となっている。菅首相のもとで勢いづいている大阪維新に対し,なかなか有効な反撃の手だてが見つかっていない。

新型コロナ感染症対策が厳重になされている中での人間ドックだったが,受診者は例年より多かったかもしれない。なんだか混んでいた。なじみの職員が入れ替わっていたり,あいかわらず胃X線が荒っぽかったり,このごろ眼底検査の要領が悪かったり(こちらの目が濁ってきているのかな),聴力検査の説明がやけに丁寧だったり,心電図のペーストがべとつかなくなったり,なんとなく例年とは違う空気を感じる。ここでの診断も,共済組合の任意継続が終了するので今年限りかもしれない。

大阪城が見える見晴らしのよい12階のレストラン(職員食堂)の人間ドックサービスメニューが変更されていた。昨年までのうどん+おにぎりが,和定食,洋定食,やわらか食の三択になっており,洋定食を注文したところ,ななかなクオリティが高かった。

血液検査の速報値も出るようになった。あいかわらず悪玉コレステロールの値が高すぎる。


写真:12F職員食堂にて洋定食(2020.10.12 撮影)

2020年2月12日水曜日

木谷千種

日本経済新聞の朝刊文化面に,なにわの街角十選の七回目として,木谷千種(1895-1947)の浄瑠璃舟が載っていた。この絵は大阪中之島美術館蔵となっているが,どこかの美術展でみてすごいなあと会話していた気がする。この絵を拡大して読み解くと,浄瑠璃の演目は梅川,忠兵衛,孫右衛門の登場する傾城恋飛脚の新ノ口村の段であり,横にある床本は伽羅先代萩なのだそうだ。西瓜,まくわ瓜をつんだ物売り舟,浄瑠璃を聴く大店のいとさんなど,大阪の夏の雰囲気で満ちている。

木谷千種の略歴によれば,12歳で渡米しシアトルで2年洋画を学んでいるとのこと。帰国後には,大阪府立清水谷高等女学校に進んでいる。清水谷高校といえば,入口豊先生とか姪御さんの谷口真由美さんだが,そういえば,大教大の経営協議会委員や監事を務められた,元和歌山大学学長の小田章先生もいらっしゃった。そうそう,浄瑠璃繋がりでは,豊竹咲寿太夫も忘れてはいけない。

2020年1月11日土曜日

関空第2ターミナル

家族が長い正月休みを終えてピーチ・アヴィエーションで帰るというので関西国際空港まで送ってきた。ピーチの飛行機は第2ターミナルから出発するので,第1ターミナルからの連絡バスで,初めて第2ターミナルに足を踏み入れた。連絡バスの中から,ターミナルビルを探していたが見当たらない。どこにあるのと思っているとやがて1階建てのプレハブのような第2ターミナルに到着した。国内線側はがらんとしていた。国際線側も同じ造りだったが,乗降客はやや多くてにぎわっていた。店もほとんどない。

それにしてもみすぼらしい建物だという印象。家族はみな,こんなもんでしょう,配管もオープンなのが最近のデザインだし,メンテナンスも楽でよい。機能的には問題ないという肯定的な意見。でも,自分が外国から訪れた観光客だったら,発展途上国の空港についたという印象を持ちそうで・・・つらい。仁川国際空港北京大興国際空港もこんなことはないのではと思うがどうなんだろう。

日本が本当に貧しくなったという印象を持ってしまった令和2年の正月。これで,東京オリンピック2020と大阪万博2025に莫大な税金を投入というのか・・・orz。日本は政治的にも経済的にも発展途上国への道を確実に進んでいる。



写真:関西国際空港第2ターミナルの国際線(撮影 2020.1.10)

2019年10月24日木曜日

まちライブラリー

先日訪れた東大阪市文化創造館に,「まちライブラリー」という民営のライブラリーが入館していた。まちライブラリーをはじめた,礒田純充(いそだよしみつ)さんの略歴などがここにある。だれでもがどこにでもライブラリーをつくって集うというものらしい。

第1号は礒田さんが天満ではじめたISまちライブラリー(ここはメンバーシップ制だ)。まちライブラリー@東大阪は, No.715 だった。全く好きではないTSUTAYA風にデザインされた本棚に,テーマ別に選書された本が並んでいた。本には寄贈した人のメッセージカードがあって,借りた人がそれを繋ぐことができるようになっていた。

2019年10月23日水曜日

豆玩舎ZUNZO

奈良から近鉄奈良線の八戸ノ里へ行くには,生駒から先は準急で進み,東花園で普通電車に乗り換える必要がある。諸般の事情でこれに失敗すると河内小阪で降りて歩いて戻る羽目に陥る。なお,近畿大学本部の最寄り駅は,近鉄大阪線の弥刀であることに注意する。

東大阪市は,人口50万人の中核市だ。花園ラグビー場と技術を持った中小企業が集積する町として知られているはずだ。なんと,江崎玲於奈と山中伸弥も輩出しているようだ。

司馬遼太郎や田辺聖子の記念館・文学館や,大阪商業大学アミューズメント産業研究所という,囲碁・将棋・麻雀などのゲームや娯楽についての研究や常設展示をしている施設もあり,見どころは多いと宣伝されていた。

荒本にある東大阪市の教育委員会を訪ねたことがあるが,そこは高層ビルで堺市役所の次に立派な市庁舎の中にあった。東大阪市は儲かっているのだろうか。最近,東大阪市文化創造館という複合施設も完成し,非常に立派なホールができていた。

さて,八戸ノ里駅前には,グリコのおまけを開発で知られている宮本順三が設立した宮本順三記念館(別名豆玩舎ZUNZO)が小さなビルの4Fにあった。宮本順三は,1935年に江崎グリコに入社しており,グリコのおまけのアイディアを求めて世界を回って収集したおもちゃがたくさんあった。

自分がグリコのおもちゃで遊んだ時代は,プラスチック製のものが主流となる少し前だったように思う。木でできた電化製品や乗り物や道具などがあったはずなのだか,展示されているグリコのおまけの中であまり記憶にぴったりはまるものはなかった。江崎記念館に行く必要があるのかな。



写真:豆玩舎ZUNZO(2019.10.22撮影)

2019年8月28日水曜日

ニューヨーク公共図書館

平日に妻と行く映画シリーズその2。制限時間30分で,梅田スカイビルから中津まで走り,阪急宝塚線一駅のって十三の第七芸術劇場に向う。開演5分前に到着し,整理番号は56と57。平日このテーマにもかかわらず,結構お客さんが入っている。12:00から15:35の長丁場なので途中に休憩が入る。

さて,タイトルは「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(Ex Libris: The NewYork Public Library)」で,フレデリック・ワイズマン監督の2017年米国ドキュメンタリー映画(205分)である。3時間を越えるドキュメンタリーってどんなものかと思ったが,妻の予想だったシックでクラシックな建物を中心とした紹介などではまったくなかった。

ニューヨーク公共図書館(NYPL NewYork Public Library 1895-)は,国,州,市などの行政が設置した図書館ではなく,カーネギーの寄付などをもとにした私立(だがパブリック)の図書館であり,ニューヨーク市からの公的資金と民間からの寄付によって運営される。マンハッタン,ブロンクス,スタテンアイランドに92の分館を設置し,5300万冊の図書・資料を所蔵し,年間350万人が利用している。クイーンズとブルックリンには運営が別組織である公共図書館がそれぞれにある。

映画は,レファレンスサービスでの電話のやりとりから始まったが,1つのエピソードが長い。しかもほとんどが言葉や対話の積み重ねだ。図書館のプログラムで社会的な問題についての話をする講師や,芸術的な対話の数々。黒人文化に関するショーンバーグ研究図書館も大きなテーマとして,黒人差別の問題と関って取り上げられていた。また,NYPLの運営にかかわる委員会での議論がたびたび登場する。全編の3割以上を占めていたのではないか。予算獲得の問題。インターネットアクセスの問題。図書館の教育機能にかかわる問題。ホームレスへの対応の問題。などなど,多様な問題についての議論の様子が克明に記録されている。日本のオリンピック委員会も見習ってほしい。

予想とは異なっていたが,とても楽しく3時間半を過ごすことができた。さまざまな病巣をかかえる国であるにしろ,民主主義の基本となる言葉がしっかりと生きている場所がある安心感。翻って,日本の政治家やマスコミやTV知識人の細切れで歴史を無視した表層的な議論の数々を対比させたとき,なんともいえない虚脱感に襲われる。

あるいは,大阪では,児童図書館や公共的な文化施設が破壊されただけでなく,公共交通,病院,公園,大学が次々とターゲットとなり,公共から営利への流れができている。そして,それを推進する政治勢力がマスコミによって擁護され,さらに多くの市民・住民の支持を得ていくという,公共性の喪失の危機が進行している。

この映画は,民主主義の本質を支える言葉(Speech)の映画だった。

2019年1月30日水曜日

天牛書店

ニュースによると,天牛堺書店が経営破綻したとのこと。しばらく前に大阪市営地下鉄なんば駅の改札を出てすぐの ekimo なんば店が閉店していて残念だったのだが(と,調べてみると2016年9月・・・もう2年半も過ぎてしまったのか),このたび破産手続を開始したようだ。

所用で和泉中央駅に降りたときにも見かけたような気がする。あれはいったい何の用事だったのだろう。凄い勢いで記憶が失われている・・・orz(P. S. …桃山学院大学でした…)。というわけで,自分の活動範囲とはあまり重なっていない天牛堺書店を利用したことは少なかった。

天牛という名前がついているので,てっきり道頓堀にあった天牛書店の親戚か何かだと思っていた。天牛堺書店は,1963年に第1号店がオープンし,1968年にこの商号になった別会社で天牛書店とはまったく関係がないらしい。

天牛書店には,1972年に阪大に入学し大阪に住むようになってからたいへんお世話になった。当時は2〜3ヶ月に1度くらいは,梅田や桜橋を経由しながら,道頓堀から日本橋にかけての古本屋をハシゴするのが習慣になっていた。角座前店の方だろうか,奥に眼鏡をかけたおじいさんが鎮座していたが,あれが天牛新一郎さんだったのかもしれない。そのころの道頓堀は今に比べるとずっと落ち着いた(半分寂れかけたというのはいいすぎだろうが)繁華街であった。最近よくお世話になっている松竹座の他に,まだ,中座も角座も文楽の朝日座もあった時代だが,そちらの方にはあまり縁がなかった。朝日座に文楽ではなく映画を見に入ったように思う。

1970年代の後半に,出張で大阪に出てきた父に連れられて漫才を観たことがある。あれは梅田コマ劇場だったろうか,夢路いとし・喜美こいしの「もしもし鈴木さん(これでいろは四十七文字を大学生になってから覚えた)」とか「売り声(さおだけー)」がおもしろかった。梅田コマ劇場では,田村正和の眠狂四郎の円月殺法も。まあ,子どもの人生教育の一貫だったのかもしれない。

天牛書店は,その後,アメリカ村から緑地公園に移ってしまう。それぞれ1,2回は訪れたが,ちょっと遠いのだ。梅田の古本屋はカッパ横丁から紀伊國屋書店東横のうめ茶小路に移転し,理工古書の太田書店も入ったのは有り難いことだ。阪大豊中キャンパス下交差点近くの太田書店には石橋に住んでいる頃はたいへんお世話になった(学生時代は蛍池に住んでいたのでちょっと行きにくかったのだけれど)。


2018年12月11日火曜日

リップ・ヴァン・ウィンクル

 1970年の大阪万博で,中央環状線南東のエキスポランドにあった5並列ジェットコースターの名前がダイダラザウルスである。生まれて始めてのジェットコースター体験が,万博終了後何年かのちに縮小再開されたそれだった。最高点から走り出してまもなく,止めて頂戴ね,と思ったがもう遅かった。

 ダイダラザウルスは,日本民話のダイダラボッチに由来するらしいが,子どものときにこの話を見聞きしたことはない。かわりに親しんでいたのはアメリカ民話のポール・バニヤンという大男の豪快な物語であり,これは子ども雑誌で読んだ記憶がある(少年ブックの連載時から親しんでいた,手塚治虫のビッグXとイメージが重なるということはなかったですね)。

 ポール・バニヤンの隣に記憶されているのが,リップ・ヴァン・ウィンクルで,NHKテレビの子ども番組で見たことがある。日本の浦島太郎のような話で,山奥の不思議なところでボウリングと酒盛りにしばらく興じていると,地上では何年も経っていたという話。リップ・ヴァン・ウィンクルは,「時代遅れの人」,「眠ってばかりいる人」の代名詞になっているようだが,まさに,今の自分であることを痛感する。

 いつの間にか,High Sierra on MacBook Pro で特定のフォーマットの CD-ROMが読めなくなってしまい,Firewireもなくなって,Thunderbolt2とThunderbolt3=USB-Cのコネクタの変換が,オスメスとコネクタ端子サイズ条件を含めて無理筋なことに気付くのであった。

 今日の結論,時の経つのが早すぎるので,止めて頂戴ね。