2020年11月9日月曜日

プガジャ


写真:大阪青春街図の表紙(六月社書房)恵文社ウェブサイトから引用

 今はなき曽根崎書店を検索してもほとんど情報がみつからないので,その場所がどこだったのかが思い出せない。プレイガイドジャーナル編大阪青春街図'76の断片にかろうじて阪急東通商店街2(リンク切れ)としてその場所が示されていた。

曽根崎書店といえば,前進や解放などが販売されており,新左翼系の雑誌や書籍とともに季刊NW-SFも棚に並んでいた。日本におけるニューウェーブを主導した山野浩一と,サンリオSF文庫(1978-1987)で重要な役割を果たした山田和子が季刊NW-SF編集に関わっていたと思う。1970年から1982年にかけて不定期に発刊されていたので,探すのがけっこう大変だった記憶がある。1972年に大学に入ってからはSFマガジンの購読もやめてしまったので,その代替として季刊NW-SFに期待していた。しかし,バラードやディックやディッシュなどの一部を除いて今ひとつはまらなかったかもしれない。

そのB6サイズ(後にB5)の「プレイガイドジャーナル(1971-1987)」である。1971年に発刊されていたが,定期的に購読するほどではなかった。1973年2月の「大阪青春街図」は発売後すぐに購入して長く手元にあったが,大阪市内を歩くための目安としてたいへん重宝した。米島くんから東京には「ぴあ(1972-2011)」というのがあるときいたが,そちらは純粋な映画・音楽情報誌で,プガジャの持っていたちょっと怪しいところが蒸留されたものだった。



追伸:ぴあの業績が過去最高だというテレビをみて(2026-08-23),いろいろ調べたが,ChatGPTの調査力が一番だった。

1966年10月17日発行の『民主主義の旗』第37号の紙面そのものを画像で確認すると、広告には明瞭に、「社会科学良書の店 曽根崎書店」「大阪市北区 高垣町 85」「電話(三六一)六七二一」とあります。したがって、当時の住所は 大阪市北区高垣町85番地 です。

さらに面白いことが分かりました。株式会社商店建築社の公式沿革には、1958年に大阪支社を「大阪市北区高垣町85番地 北野ビル」に開設した、と明記されています。つまり、高垣町85番地には当時「北野ビル」が存在していました。したがって、曽根崎書店=高垣町85番地高垣町85番地=北野ビル所在地までは、かなり強い資料でつながります。

では高垣町85は現在どこか。1978年の住居表示で旧高垣町は堂山町・角田町・小松原町などに分割されました。 そして、まさに「旧・大阪市北区高垣町85番地の現在地はどこか」という2011年の照会に対して、旧地図を参照した回答が「現在の大阪市北区堂山町18」と特定しています。回答では「国鉄環状線と都島通りの市電に挟まれた所」とされています。 この出典自体はYahoo!知恵袋なので一次資料ではありませんが、1960年代の地図でも高垣町が「太融寺町の北、堂山町の西」にあったことと整合します。


図:曽根崎書店の位置(ChatGPTによる調査結果)

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