2021年3月12日金曜日

TikZの円弧

 TikZの円弧の描画方法が微妙だったので,まとめておく。

昨日のレンズの作図で苦労したのであった。\draw circle で,中心と半径を指定した状態ではは開始角度と終了角度の指定ができない。\draw arcを使うことになるが,このときは,中心座標$(x_0,\ y_0)$ではなく,開始点座標 $(x_i,\ y_i)$をいれることになる。中心座標はこれから,次式で計算される位置になる。一般的な楕円に拡張して半径を$(a,\ b)$とすると,

\begin{equation} \begin{aligned} x_0 &= x_i - a \cos \theta_i \\ y_0 &= y_i - b \sin \theta_i \end{aligned}\end{equation}

これが簡単な場合もあるだろうが,始点や終点や中心を決めたい場合は面倒ではないのか。

\ begin{tikzpicture}
\tikzstyle{every node}=[font = \large];
\draw (0,0) node[below left]{O};
\draw[->] (-4,0) -- (4,0) node[right]{$x$};
\draw[->] (0,-4) -- (0,4) node[above]{$y$};
\draw[step=1.0, dotted] (-4,-4) grid (4,4);
\draw (0,1) circle(1);
\draw (1,2) circle(1 and 2);
\draw (2,3) ellipse(2 and 1);
\filldraw[orange!50!white,semitransparent] (-2,-1) arc (135:-30:2);
\filldraw[cyan!50!white,semitransparent] (-2,-1) arc (135:210:2);
\filldraw[gray] (-0.59,-2.41) circle(1pt);
\filldraw (-2,-1) circle(1pt);
\draw[red, thick] (-3,-2) arc (135:-30:2 and 1);
\draw[blue, thick] (-3,-2) arc (135:210:2 and 1);
\filldraw[gray] (-1.59,-2.71) circle(1pt);
\filldraw (-3,-2) circle(1pt);
\node at (-2.5,3.5) {$x_0 = x_i - a \cos \theta_i$};
\node at (-2.5,2.5) {$y_0 = y_i - b \sin \theta_i$};
\ end{tikzpicture}


図 TikZでの円弧の描画方法


2021年3月11日木曜日

被写界深度

 被写界深度(Depth of Field)について,良くわかっていなかったので調べてみた。単なる幾何光学の練習問題だったので,大学入試問題に使えるかもしれない。

カメラのレンズ系を焦点距離 $f$ の1枚の薄い凸レンズで近似する。レンズの中心を原点Oとする。レンズの回転対称軸を $x$ 軸にとってカメラの撮像素子方向を正にとる。原点から $x$ 軸上の撮影対象までの距離を $b$,撮影対象が結像する撮像素子面までの距離を $a$ とする。このとき,次の関係が成り立つ。

\begin{equation} \dfrac{1}{a}+\dfrac{1}{b} = \dfrac{1}{f} \end{equation}

ところで,撮影対象の前後から出た光は,撮像素子面では厳密には結像しないが,実際にはセンサーの画素サイズ分の誤差  $\varepsilon$ が許容される。撮像素子面上で,フルサイズセンサー(35mm)なら $\varepsilon = 1/30$ mm,APS-Cやマイクロフォーサーズなら $\varepsilon = 1/60$ mm の範囲は結像したものとみなすことができる。このとき $x$ 軸上では,焦点深度 $\delta = {\rm F} \varepsilon$ の許容幅があることになる。ただし絞り値(F値)は F= 焦点距離/有効口径である。

そこで,$a_{\pm}=a \pm \delta$ を結像位置とする,撮影対象の $x$ 軸上の点を $b_{\mp}$ と表すと,次式が成り立つ。

\begin{equation} \begin{aligned} \dfrac{1}{a_{-}} + \dfrac{1}{b_{+}} = \dfrac{1}{f} \\  \dfrac{1}{a_{+}} + \dfrac{1}{b_{-}} =  \dfrac{1}{f} \end{aligned} \end{equation}

(1)(2)式から $f$ を消去すると次式が得られる。

\begin{equation} \begin{aligned} \dfrac{1}{b_{+}} - \dfrac{1}{b} = \dfrac{1}{a} - \dfrac{1}{a_{-}} \\   \dfrac{1}{b_{-}} - \dfrac{1}{b} = - \dfrac{1}{a_{+}} + \dfrac{1}{a} \end{aligned} \end{equation}

ここで,$a \gg \delta$ と近似し,(1)式を用いて,$\dfrac{1}{a} = \dfrac{b-f}{bf}$ とすると,

\begin{equation} \dfrac{1}{b_{\pm}} = \dfrac{1}{b} \mp \dfrac{\delta}{a^2} = \dfrac{1}{b} \mp \delta \bigl( \dfrac{b-f}{bf} \bigr)^2 \end{equation}

これから,$b_{\pm}$ は次のように求まる。最後の近似は,$b \gg f$とした場合である。

\begin{equation} \dfrac{b_{\pm}}{b} = \dfrac{1}{1 \mp \dfrac{\delta}{b} \bigl( \dfrac{b-f}{f} \bigr)^2 } \sim  \dfrac{1}{1 \mp \delta b / f^2 }  = \dfrac{1}{1 \mp {\rm F} \varepsilon b / f^2 }  \end{equation}

これによって,対象物が撮像素子面で結像することのできる領域とF値の関係がわかる。なお,$f = 50$ mm ,$b = 10$ m, $\varepsilon = 1/60$ mm,F=4とすると,$ {\rm F} \varepsilon b / f^2 = 0.27$となることから,$b_{-}= 7.9$ m,$b_{+}= 13.7$mとなり,手前側には2.1 m 奥側には3.7 m の範囲で合焦する。

図 被写界深度の説明図


2021年3月10日水曜日

F値・シャッター速度・ISO感度

 カメラが趣味ではないので,その技術的な基礎知識もほとんどなかった。最近,YouTubeに浸かっているので,耳学問のやや怪しくて不正確な知識が蓄積してきた。

F値は,焦点距離を有効口径で割ったものであり,この値が小さい方が明るいということはわかっていたが,その基準は人間の眼らしい。F値はこの基準値から√2倍の系列で慣用的な値が定まっている。つまり,F=1.4, 2.0, 2.8, 4.0, 5.6, 8.0, 11, 16, 22 などである。F値が一段階大きくなると,有効口径が1/√2になるので,面積は半分になるため,受光部に到達する光量も半分になって暗くなる。なお,F値が大きいと被写界深度が狭くなり,ボケの範囲が大きくなる。

シャッター速度は,受光部を光に暴露する時間であり,1, 2, 4, 8, 15, 30, 60, 125, 250, 500, 1000 (/秒)などとなっている。本来はこれも2の倍数の系列であるため,1, 2, 4, 8, 16, 32, 64, 128, 256, 512, 1024 (/秒)となるはずだが,歴史的な経緯で,上記の値が用いられているようだ。シャッター速度が2倍になれば,受光部に到達する光量は半分になって暗くなる。なお,シャッター速度が60/秒以下のように遅くなれば,ブレが目立つことになる。

ISO感度は,もともとはフィルムの感度であり,普段遣いのカメラではISO100(ASA100とよんでいた記憶があるけれど)のフィルムを使っていた。いまでは,受光部のMOSセンサーの増幅感度を表すものであり,100, 200, 400, 800, 1600, 3200, 6400, 12800, 25600 などと,これも2の倍数の系列で感度を指定している。ISO感度が倍になれば,受光量が半分でも同じ明るさで記録される。ただし,ISO感度が高くなるということは,少ない光を電気的に増幅するわけだから,ノイズが増えることになる。

ISO感度を固定した場合,シャッター速度とF値の自乗の積が一定の組が同じ明るさを与えることになる。

この過程で,マイクロフォーサーズは4/3型センサー(フォーサーズ)のミラーレスの規格であって,レンズのマウント規格もフォーサーズの一眼レフとは異なっているということを学んだ。

2021年3月9日火曜日

月ヶ瀬梅林

 奈良に住んで30年になるが,月ヶ瀬梅林に行ったことがなかった。毎日のようにテレビで宣伝しているので,片道60分のドライブで月ヶ瀬梅林を訪れた。売店の手前の駐車場に停めて坂道を登ると,そのあたりに梅のスポットが広がっている。最初に気がついたのが金沢との関わりである。月ヶ瀬の尾山天神社と前田家の間の因縁についての立て札があったが,いまひとつ事情が飲み込めなかった。

1919年(大正8年)に史跡名勝天然記念物保護法が制定され,1922年(大正11年)の最初の名勝指定11件に選ばれたものに,兼六園(金沢),平等院庭園(京都),奈良公園(奈良)などと並んで月ヶ瀬梅林(奈良)が含まれていた。これだけでも因縁めいたものを感じるが,さらに名張ライオンズクラブの森島さんによれば,次のような伝承があるらしい。

 石川県の尾山神社と月ヶ瀬村との関係は、伊賀市古山の史跡研究家吉住勘之(よしずみさだゆき)さんが、歴史資料として残してありました。 本稿は前田利家伝承を介しての大和国添上郡月ヶ瀬村(現・奈良市月ヶ瀬村)と近世金沢(現・金沢市)の地名に関する伝承資料であります。 加賀前田百万石、利家候の祖父・前田蔵人利成(まえだくらんどとししげ)幼名長五郎は、大阪近くの戦いで敗戦し、月ヶ瀬村真福寺の北の大矢家に逃げてきた。その後、村の女松本みのと婚して三学院に住まれた。それから何年かが過ぎ、北陸の森常恒(もりじょうこう)に仕官して、加賀に移ることとなります。ここで、妻はなを迎えて前田利昌を生み、金沢地に築城して、父の出世の守り神月ヶ瀬にある尾山天神を分神し、尾山に天神さん(菅原道真)を祭り、城山を尾山と名づけました。 金沢の地名は、中世末賊民とされた「金屋」によって発見されたもので、地名の由緒は「金洗沢」「金堀沢」であったことは周知のとおりであります。 金屋は一向宗門徒であったことから、「金沢」は早くから石山本願寺など畿内に知られていました。「金沢御堂」「金沢御坊」「金沢寺内町」がこれであります。前田利家は、一向宗門徒により命名された金沢の地名を嫌い、尾山城・尾山町と改めました。前田利家の家紋梅鉢は、月ヶ瀬村尾山の松本家の家紋と同じでありまた、奈良市月ヶ瀬村尾山は、昔から梅林の地で有名であります。

類似した別の伝説もある。月ヶ瀬梅林公園の中には白加賀がたくさん咲いていた。


写真:月ヶ瀬梅林の梅と加賀前田家関係の説明(2021.3.9)

[1]大正末期から昭和初期における名勝保護と公園事業をめぐる議論(赤坂信)

[2]金沢尾山と月ヶ瀬村尾山の地名に関わる伝承資料の紹介(森島國久)

2021年3月8日月曜日

因果と相関(2)

因果と相関(1)からの続き

 2つの時間的な事象A(過去)と事象B(未来)があって,AがBの原因であるといえるのはどのような場合だろうか。また,AとBに相関があるというのはどうやって判定できるのか。

「事象」が正確に定義されたものとして,特殊相対性理論では4次元時空(ミンコフスキー空間)上の世界点のことであり,確率論では標本空間上の1つの要素のことである。

一般に「事象」とは,観察しうる形をとって現れる事柄,出来事のことである。事象が生起する時点とは,事象を担う系の状態が変化した時点とし,そこでのこの系の状態変化が事象に対応すると考える

事象Aと事象Bの連関(相関や因果があるとかないとか)についていう場合,(1) 2つの事象が同じ系で生起する,(2) 2つの事象はある系とその部分系で生起する,(3) 2つの事象が独立した系で生起する,の3つの場合に分類される。

事象についての物理的な制約の1つが特殊相対性理論の制約である。事象Aと事象Bが因果関係であるためには,2つの事象に対応する4次元時空の世界点を結ぶ4元ベクトルが時間的であることが必要だ。

この世界のすべての事象は一回性のものであると仮定する。その孤立した事象が他に類似な事象を持たない場合に,相関や因果を議論できるだろうか。

変化に着目している状態以外の情報を捨象した類似事象の集合を考える。この事象群について,事象群{A}と呼ばれる状態変化に対して常に事象群{B}とよばれる事象変化が対応するとき,これは相関関係とよべるか。


2021年3月7日日曜日

因果と相関(1)

日経朝刊の科学欄で,コロナ政策の意思決定に関わる記事で,次のような解説コラムがあった。

因果関係と相関関係  人の行動は読めず

 事象Aと事象Bの間に原因と結果のつながりがある関係を因果関係と呼ぶ。これに対し,相関関係は一方が変化すると,もう一方も変化する関係のことを指す。Aの値が大きくなるにつれBの値も大きくなる場合が「正の相関」,逆にBの値が小さくなる場合が「負の相関」とする。因果関係があれば相関関係もあるが,その反対は必ずしも成り立つわけではない。

 科学の世界では主に観察によって相関関係を導き出し,その後,仮説と実験による立証を繰り返して因果関係を突き止めていく。ただ,経済にしろ,コロナ対策にしろ,人の行動によっても結果が左右される事象について,因果関係を割り出すのは困難とされる。

因果関係は,昨日の決定論にも関わる重要キーワードだが,最近ずっと引っかかっている。 谷村さんは,相対論的な因果律を除いてあっさりと物理における因果関係を放棄した。因果関係というのは人間の作る物語に過ぎない。それはそれでほとんど同意できるのだが,まだ言語化はできていない何かが残っている。

物理学において因果関係を使う説明がどこまで許容されるのかという問題は,物理教育学会の変位電流をめぐる議論でも未解決のまま残っている。また,コロナ感染症の抑制や少人数学級制導入の効果に関する政策的選択肢の問題など,常に因果と相関の話がついてまわる。その道の人々は統計的因果推論で解決しているというのかもしれないが,まだ自分では理解できていない。

 

2021年3月6日土曜日

2つの決定論

シンギュラリティサロン@SpringXの,哲学の決定論 vs 物理学の決定論:機械は自由意志を持てるか?をYouTube Liveで視聴した。法政大学の木島泰三さんと名古屋大学の谷村省吾さんが,哲学と物理学の立場から決定論や自由意志の問題について,それぞれの考えを述べていた。ふたりとも非常にわかりやすいプレゼンテーションをしていて,ただ,木島さんの「自由意志の向こう側:決定論をめぐる哲学史」の紹介は,こちらの処理能力不足で完全にフォローはできなかったのが残念だった。

谷村さんの主張は明快で,物理学における因果という表現を非常に抑制的に使うべきだという主張であり,これはよくわかった。ただ,木島さんの哲学的な決定論や非決定論との関係については十分噛み合った議論はできなかったのかもしれない。

2021年3月5日金曜日

篠田桃紅

 3月1日に107歳で亡くなった篠田桃紅(1913-2021)が篠田正浩(1931-)の従姉だったとは知らなかった。そして,1969年に公開された篠田正浩の心中天網島には,篠田桃紅の書が使われていたとのこと。

映画「心中天網島」は米島君に勧められ,たぶん大学に入ってから大阪で見たのではないか。冒頭の文楽の黒子が走るシーンから非常に印象的で引き込まれた。その後,文楽鑑賞が趣味になって,文楽の舞台でも何度も見ることになるとは,当時は思いもよらなかった。

[1]映画「心中天網島」と文楽問題(尾形修一)

[2]映画「心中天網島」(Staff Blog)

[3]篠田正浩 河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶(松岡正剛)

2021年3月4日木曜日

要求要件

コンパクトデジカメの要求要件を考えてみた。たぶん,CANONの PowerShot G7X MarkIII が一番近いかもしれない。質量は電池込みで304gだ。

撮像素子のサイズは1型,画素数は2000万くらいである。レンズは,35mmフィルム換算の焦点距離が24mm-100mm(実際は8.8mm-36.8mm)で開放 F 値が1.8-2.8 である。ズーム倍率の4.2とは100/24のことだろうか。焦点距離の比率が,フルサイズと1型のセンサー対角長の比率43.2/15.9=2.72ということかな。などなど基本知識がないので,埋もれている知識を発見しつつ解読している。F値はレンズの焦点距離を有効口径で割ったものなので,24mmの広角端では,8.8/x=1.8より有効口径が4.89mm,100mmの望遠端では,36.8/x=2.8より有効口径が13.1mmということか?よくわからない。絞りはF11までとあるので,有効口径が0.80mm〜3.34mmまで絞れるということか。

ファインダーがなくて3.0型TFT液晶モニター・タッチパネルは上に180度下に45度傾く。これで十分。バリアングルというのはもっと自由度が高いものを指すのかもしれない。HDMI端子,外部マイク端子があって,外部電源からの給電はUSB電源アタプタを使えば可能である。HDMIではどの状態のときに何が出力されるかは押さえておく必要がある。ストロボは必要ないような気もするが,iPhoneでもついているくらいなのでいいのかも。NDフィルターもついている。これは有り難いのかもしれない。

データタイプがMP4のところがよいと思った。SONYやLUMIXでは,なんだか別の独自フォーマットなのである。しかし,iMovieをみるとたいていのデジタルカメラのフォーマットには対応しているので,これはこれで問題ないのかもしれない。WifiとBluetoohにも対応しているがどこまで意味があるのかはよくわからない。

YouTubeをみるとPS G7X M3のオートフォーカスの精度やスピードがSONYのRX100M7などに比べてかなり劣るとされていた。ただし,2019年の10月のファームウェアアップデートによってこれはほぼ解消されているようだ。SONYは他の機種も含めAFでは非常に定評がある。ただし,メニューなどのユーザーインターフェイスはぼろくそにいわれている。これは,LUMIXの方がましらしい。CANONがどうかはわからない。

ということで,もう少し望遠性能があってもよいけれど,とりあえずはこれで要求要件が概ね満たされているようにも思う。なお,対抗機種のRX100M7はPS G7XM3の1.5倍以上の価格である。

2021年3月3日水曜日

撮像素子

 YouTubeをみていると,Vlog 撮影のためのカメラの話題に事欠かない。そこでいつの間にか門前の小僧状態になりつつある。ただ,自分はカメラ沼にははまらないと思う。散財系の人々のようにお金が循環しないのでそもそも無理なのだ。

それでもVloggerになってみようかと思わないこともない。SONYのZV-1がVLOGCAMとして宣伝されているので,いろいろ調べてみると微妙に不満な点が目立つ。そのため,LUMIXはどうか,CANONではなどとなり,コンパクトなミラーレス1眼までいく。しかしそれでは携帯性に欠けるということになってぐるぐる回って切りがない。

とりあえず,撮像素子(CCDセンサーではなくMOSセンサー)について少し学んだのでまとめておく。以下のうち,フルサイズとAPS-Cと4/3(フォーサーズ)がミラーレス1眼レフカメラに対応する。なお,1型は対角1インチを表すわけではない。またAPS-CにはNIKON-SONYのものではなく,CANONの(22.3 × 14.9 26.8 )も存在しているらしい。

  名称   横mm縦mm 対角mm 横縦比

(1) フルサイズ 36.0 × 24.0 43.2  3:2

(2) APS-C   23.6 × 15.8 28.4  3:2

(3) 4/3型     17.3 × 13.0 21.6  4:3

(4) 1型     13.2 ×   8.8 15.9  3:2

(5) 1/1.7型      7.5 ×    5.6 9.36  4:3

(6) 1/2.3型   6.2 ×    4.6 7.72  4:3

(7) 1/3型      4.8 ×    3.6 6.00  4:3


2021年3月2日火曜日

石原裕次郎

 録画されていた「黒部の太陽 完全版(日活1968)」をみた。石原プロモーション三船プロダクション劇団民藝とのことで,往年の名優がたくさん顔をならべていた。まあ,結局,石原裕次郎と三船敏郎と樫山文枝と辰巳柳太郎と加藤武で話が進むわけだった。宇野重吉+寺尾聰がちょっと気になったけれど。そんなわけで(どんなわけだ),スタッフロールのキャスト一覧はフラットなあいうえお順になっていた。人間ドラマ的な掘り下げは今ひとつ微妙だったとしても,水が溢れるトンネル工事シーンはそれなりの迫力があった。

黒部の太陽の公開当時は中学三年であり,映画館で見ることはなかった。高校三年のときに同じ石原プロ制作,石原裕次郎主演で同様のフレーバーを持つ映画「甦る大地(松竹1971)」の方を見た記憶がある。こちらは鹿島コンビナート開発をめぐる物語だったが,茨城県の農工両全プロモーション的な色彩もあって盛り上がらず,かなり期待はずれで終わってしまった。

石原裕次郎が出てくる映画で観たことがあるものがもうひとつ。「素晴らしきヒコーキ野郎(1965)」だ。小学校六年なので,父親に連れて行ってもらったのだと思われる。映画自身はとても面白かったが,石原裕次郎は映画開始後,あっというまに事故で墜落して飛行機レースから脱落したのでほとんど出番がなかったのだった。

2021年3月1日月曜日

松山智一

 NHKの日曜美術館「クラスター2020 ~NY美術家 松山智一の戦い~」で,松山智一が取り上げられていた。同じNHKのザ・ヒューマン「届けなければアートはゴミだ NY美術家 松山智一」の映像を多少編集したものがベースになっていた。ニューヨークのブルックリンで10名のスタッフを抱え,月700万円のオフィスを借りてスタジオを運営している。

中国人財閥美術コレクターの劉益謙・王薇夫妻が運営する上海の龍美術館西岸館で昨年の11月から今年の1月にかけて個展が開かれた。引き続き,龍美術館重慶館でも開催されるようだ。また,明治神宮の創建100年を記念する神宮の森芸術祝祭の屋外彫刻展に作品を出展している。

松山が2018年に東京のルミネで開いた個展「Same Same, Different」のインタビューじゃなくて,プロデューサーの橘康仁との公開対話で,自分の制作手法を美術のマッシュアップであると語っていた。1976年に岐阜の高山に生まれ,8歳から12歳をアメリカの西海岸で過ごし,大学は東京の上智大学経済学部を終えて,同時多発テロの2ヶ月後の2002年に26歳でニューヨークに渡たり,そこから商業デザインを学び始めた。それらの経験をもとに,日本の伝統文化や現代のポップカルチャーなど様々な引き出しを備えてそれをカラフルで精緻な彼の作品にマッシュアップしているのである。

頭に浮かんだのが「21世紀の若冲」だった。残念ながらこの言葉は初出ではなく,辻惟雄と山下裕二が2009年のユリイカ11月号の若冲特集で,「21世紀の若冲--書き換えられる日本美術史」という論文を書いていた。しかし,彼が描いたニューヨーク,ソーホーのバワリー壁画伊藤若冲の樹花鳥獣図屏風を連想させた。また,コロナ禍の中で10名のスタッフと仕上げた33枚の抽象画パネルは,抽象化された動植綵絵だった。

[1]コロナでニューヨークの5名のスタッフが帰国したMATSUYAMA STUDIOはスタッフを募集していた

[2]松山は東京のギャラリー KOTARO NUKAGAの所属アーティストにもなっている。

2021年2月28日日曜日

因果の花

今日は,シンギュラリティサロンによるオンラインシンポジウム#46で,渡辺正峰(まさたか)さんの「意識を科学のまな板にのせる―20年後の意識のアップロードに向けて―」が13:30-17:00まであった。基調講演が長引いたので,パネルディスカッションは省略されたが,視聴者からのZoomによる質問などもあって,興味深く聞いた。

渡辺正峰さんの中公新書2460「脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦」は購入して読んでいたが,おおよそそれに沿った話をされた。従来読み込めていなかった部分が整理されてありがたかった。情報側からの客観的アプローチでなく,脳神経科学側からの主観的アプローチでループを切断して意識を科学として扱うという方法論は面白かった。

そこでも,因果というキーワードがでてきたのだが,因果と相関の関係については,決定論的世界観でも確率論的世界観でも十分に自分で納得する理解ができていない。しかし,因果は日常的にはなんの問題もなく理解されている。世阿弥のいう「花」は「情報」のことではないかと昨日思いついた。そうすると「因果の花」はいったい何を意味することになるだろう。

風姿花伝の第七別紙口伝の第七段から因果の花について引用する。

一 因果の花を知ること 極めなるべし 一切みな因果なり 初心よりの芸能の数々は因なり 能を究め名を得ることは果なり しかれば稽古するところの因おろそかなれば果をはたすことも難し これをよくよく知るべし

 また時分をもおそるべし 去年盛りあらば今年の花なかるべきことを知るべし 時の間にも男時・女時とてあるべし いかにするとも能によき時あればかならず悪きことまたあるべし これ力なき因果なり 

 これを心得てさのみ大事になからん時の申楽には立会勝負にそれほど我意執を起こさず骨をも折らず勝負に負くるとも心にかけず手をたばいてすくなすくなと能をすれば見物衆もこれはいか様なるぞと思ひさめたるところに大事の申楽の日てだてを変へて得手の能をして精励をいだせばこれまら見る人の思ひのほかなる心いでくれば肝要の立会大事の勝負にさだめて勝つことあり これめづらしき大用なり このほど悪かりつる因果にまた善きなり

2021年2月27日土曜日

秘すれば花

風姿花伝からの続き

「秘すれば花なり」は,風姿花伝の第七別紙口伝の六段目にある(全十段)。以下引用。

一 秘する花を知ること 秘すれば花なり 秘せずば花なるべからずとなり この分目を知ること肝要の花なり 抑一切の事諸道芸においてその家々に秘事と申すは秘するによりて大用あるが故なり 然れば秘事といふことをあらはせばさせることにてもなきものなり これを させる事にてもなし といふ人はいまだ秘事といふことの大用知らぬが故なり

 先づこの花の口伝におきてもただ めづらしき花ぞ と皆人知るならば さてはめづらしき事あるべし と思ひまうけたらん見物衆の前にてはたとひめづらしき事をするとも見手の心にめづらしき感はあるべからず 見る人の為花ぞとも知らでこそ仕手の花にはなるべけれ されば見る人はただ 思ひの外におもしろき上手 とばかり見て これは花ぞ とも知らぬが仕手の花なり さるほどに人の心に思ひもよらぬ感をもよほす手立これ花なり

 たとへば弓矢の道の手立にも名将の案謀にて思ひの外なる手立に強敵にも勝つことあり これ負くるかたの目にはめづらしき理にばかされて破らるるにてはあらずや これ一切の諸道芸において勝負に勝つ理なり かやうの手立もこと落居して かかる謀事よ と知りぬればその後はたやすけれどもいまだ知らざりつる故に敗くるなり さるほどに秘事とて一つをばわが家に残すなり ここをもて知るべし たとへあらはさずとも かかる秘事を知れる人よ とも人には知られまじきなり 人に心を知られぬれば敵人油断せずして用心をもてば却て敵に心をつくる相なり 敵方用心をせぬときはこなたの勝つことなほたやすかるべし 人に油断をさせて勝つことを得るはめづらしき理の大用なるにてはあらずや さるほどにわが家の秘事とて人に知らせぬをもて生涯の主になる花とす 秘すれば花 秘せねば花なるべからず

問題は,その「花」は何を意味するのかということなのだけれど,これについては,この別紙口伝の第一段にある。
一 この口伝に花を知ること まづ仮令花の咲くを見て万に花とたとへ始めしことわりをわきまふべし そもそも花といふに万木千草において四季をりふしに咲くものなればその時を得て珍しきゆゑにもてあそぶなり 申楽も人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心なり 花とおもしろきとめづらしきとこれ三つは同じ心なり いづれの花か散らで残るべき 散るゆゑによりて咲くころあればめづらしきなり 能も住するところなきをまづ花と知るべし 住せずして余の風体に移ればめづらしきなり
世阿弥は,四季に咲く花がどのように認識されているかを分析した結果,「その時を得て珍しきゆゑにもて遊ぶなり」という本質を掴みだしている。そして,申楽が人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心を誘起することから,花=おもしろき=めづらしきの三位一体説が導かれる。

(注)前回の参考資料の「日本古典文学摘集 風姿花伝」には欠落があった。肝腎の「花とおもしろきとめづらしきとこれ三つは同じ心なり」が抜けていた。国立国会図書館のデジタルデータベースの花伝書はどれもまだ非公開状態だし,この国にはまともな古典のデジタル・アーカイブがないのかしら。

2021年2月26日金曜日

六十六(2)

 令制国の六十六カ国に関連するものとして,六十六部(六部)がある。よりていねいにいえば,六十六部廻国聖。人々の喜捨を受けながら六十六令制国を廻り,各地の有力社寺(一之宮,国分寺,その他)に写経した法華経を奉納する民間宗教者だ。中世からはじまり,明治政府が1871年(明治4年)に平民が六十六部と称して米銭などの施しを乞う行為を一切禁止するまで続いた。現在の御朱印の起源とも考えられているのか。

娘夫婦が以前住んでいた千葉県流山市には六部廻国の記念石塔である六部尊があった。

[1]近世六十六部廻国聖日記 ―安房国長狭郡平塚村高梨吉左衛門の記録から ―

[2]六十六部廻国とその巡礼地(小嶋博巳)

[3]「六十六部」とは何か(徳島県立博物館)

[4]御朱印の起源 ―六十六部(古今御朱印研究室)

[5]日本廻国六十六部と四国遍路 ―浄慶の納経帳から ―(稲田道彦)

[6]近世末期、御室配下の六十六部集団について (小嶋博巳)

[7]明治初年の六十六部の本山問題(小嶋博巳)

2021年2月25日木曜日

六十六(1)

風姿花伝の序には,「聖徳太子秦河勝に仰せて且は天下安全の為且は諸人快楽の為六十六番の遊宴をなして 申楽 と号せしより」 と申楽の由来が書かれており,第四神祇の節にはより詳しく記されている。それで,面霊気という妖怪も登場するくらいだ。

その六十六番という数はどこからきたのか。祇園祭の起源における鉾の数と紐付いていた令制国の数なのかと考えたくなる。しかし,聖徳太子(厩戸王)の皇太子在位は593-622年であり,令制国の確定は,大化の改新(乙巳の変)645年から大宝律令701年の間らしいので関係はないように思える。

令制国一覧によれば,壱岐と対馬を嶋として除くと以下のように六十六カ国になる。(大国; 上国; 中国; 小国の順),(畿内近国中国遠国の色分け)

畿内(5):大和・河内; 山城・摂津; *; 和泉。

東海道(15):伊勢武蔵・上総・下総・常陸; 尾張・三河遠江・駿河・甲斐相模; 安房; 志摩・伊賀伊豆

東山道(8):近江上野・陸奥; 美濃信濃下野・出羽; *; 飛騨

北陸道(7):越前; 加賀・越中越後; 若狭能登佐渡; *。

山陰道(8):*; 丹波・但馬・因幡伯耆・出雲; 丹後石見; 隠岐

山陽道(8):播磨; 美作・備前; 備中・備後安芸・周防長門; *。

南海道(6):*; 紀伊阿波・讃岐伊予; 土佐; 淡路

西海道(11): 肥後; 筑前・筑後・豊前・豊後・肥前; 日向・大隅・薩摩; (壱岐・対馬)

2021年2月24日水曜日

風姿花伝

近鉄橿原線結崎駅まで数駅の地から

 風姿花伝 世阿弥

 夫れ申楽延年の事態その源を尋ぬるに或は仏在所よりおこり或は神代より伝はるといへども時移り代へだたりぬればその風を学ぶ力及びがたし 近頃万人のもてあそぶところは推古天皇の御宇に聖徳太子秦河勝に仰せて且は天下安全の為且は諸人快楽の為六十六番の遊宴をなして 申楽 と号せしより以来代々の人風月の景を仮りてこのあそびの中だちとせり その後かの河勝の遠孫この芸を相続ぎて春日日吉の神職たり 仍て和州江州の輩両社の神事に従うこと今に盛なり

 されば古きを学び新を賞する中にも全く風流をよこしまにすることなかれ ただ言葉賤しからずして姿幽玄ならんを 承けたる達人 とは申すべきか 先づこの道にいたらんと思はん者は非道を行ずべからず 但し歌道は風月延年のかざりなれば尤もこれを用ふべし 凡そ若年より以来見聞き及ぶところの稽古の条々大概注し置くところなり

 一 好色 博奕 大酒 三の重戎これ古人の掟なり。

 一 稽古は強かれ 靜識はなかれ

 となり

[1]日本古典文学摘集 風姿花伝

[2]文系の雑学・豆知識 風姿花伝

2021年2月23日火曜日

流体抵抗力(3)

 流体抵抗力(2)からの続き

次に,速度の1次と2次に比例する流体抵抗力が働く時の球体(半径 $a$,質量 $m$)の鉛直方向の運動を解析的に解いてみる。運動方程式は次の形を仮定する。

\begin{equation*} m \dfrac{ d^2 x }{ d t^2} = - m g - m \gamma \dfrac{ d x }{ d t } \mp m \beta \, ( \dfrac{ d x }{ d t } )^2 \end{equation*}

鉛直上方を正とした$x$軸をとると,速度の2次の項の複号は負が上昇に,正が下降に対応する。両辺を$m$でわって,$ v = \dfrac{ d x }{ d t }$ とおくと次式を得る。

\begin{equation*} \dfrac{ d v }{ d t} = - g - \gamma v  \mp  \beta \, v^2 \end{equation*}

以下では自由落下の場合を考える。このときの終端速度は,$v_T =  ( \gamma - \sqrt{\gamma^2 + 4 \beta g} ) / 2 \beta  $ となり,$v_T \lt v \le 0$ が満たされる。ここで,$ u = v - \gamma / 2 \beta $ とおいて,微分方程式を変形すると,

\begin{equation*} \dfrac{ d u }{ d t} = \beta u ^2 - \dfrac{\gamma^2 + 4 \beta g}{4 \beta} = \beta (u - \alpha )^2  \end{equation*}

ただし,$ \alpha = \dfrac{\sqrt{\gamma^2 + 4 \beta g} }{2 \beta} $ としており,自由落下時には,$ - \alpha \lt u \le -\gamma / 2\beta $ が満たされる。したがって,両辺を時間で積分すると,

\begin{equation*} \int \dfrac{ d u }{ (\alpha - u) (u + \alpha)} = - \int \beta dt  \end{equation*}

\begin{equation*} \log \dfrac{  u + \alpha }{ \alpha - u } = - \beta t + C  \end{equation*}

\begin{equation*}  \dfrac{  u + \alpha }{ \alpha - u } = A e^{- \beta t} \end{equation*}

\begin{equation*} u = \alpha \dfrac{A e^{- \beta t} - 1 }{A e^{- \beta t} + 1} \end{equation*}

\begin{equation*} v = \dfrac{\gamma}{2\beta} + \alpha \dfrac{A e^{- \beta t} - 1 }{A e^{- \beta t} + 1} \end{equation*}

初期条件として,$ t=0 $ で $ v=0 $とすれば,$A=\dfrac{2 \alpha \beta - \gamma}{2 \alpha \beta + \gamma}$ である。

なお,空気中のピンポン玉では,$\gamma = 6 \pi \eta a / m = 2.51 \times 10^{-3} \, /{\rm s} $,$\beta = \frac{1}{2}  C_{\rm D} \rho \,\pi a^2 / m = 1.23 \times 10^{-1} / {\rm m}$,$\alpha = \dfrac{\sqrt{\gamma^2+4 \beta g }}{2 \beta} = 8.93 \, {\rm m / s}$,$\dfrac{\gamma}{2 \beta} = 1.02 \times 10^{-2} \, {\rm m / s}$ などとなる。


図 鉛直投げ上げの頂点付近での加速度変化(横軸は球体の速度)



2021年2月22日月曜日

流体抵抗力(2)

 流体抵抗力(1)からの続き

藤原邦男先生の「物理学序論としての力学」の§3.4 流体中を落下する球状物体では,空気中で1cmの球体が受ける流体抵抗力は慣性力が主役を演じるとある。また,その慣性力として, $ f_{\rm I}   = \dfrac{1}{4} \rho \, \pi a^2 \, v^2 $ の形が与えられている。一方,Whiteの$C_{\rm D}$ を用いれば,流体抵抗力は $ F(v) = \dfrac{1}{2} \Bigl( \dfrac{24}{Re} + \dfrac{6}{1 + \sqrt{Re}} + 0.4 \Bigr) \rho \, \pi a^2 \,v^2 $ となる。そこで,この両者を球体の速度の関数として比較してみた。以下の図で青が$f_{\rm I}$,オレンジが $F(v)$である。



図1 $C_{\rm D}$の速度依存性(2 < $ v $ < 10)


図2 $C_{\rm D}$の速度依存性(0.1 < $ v $ < 2)


図3 $C_{\rm D}$の速度依存性(0 < $ v $ < 0.1)

このグラフを描くにあたって採用した値は次のとおりである。空気の密度 $\rho = 1.2\, {\rm kg / m}^3$,空気の粘性係数 $\eta = 1.8 \times 10^{-5}\, {\rm kg / m \cdot s } $,球の半径 $ a = 2 \times 10^{-2}\, {\rm m}$,級の断面積は $ \pi a^2 = 1.26 \, \times 10^{-3} {\rm m}^2 $,球の質量は使わないが,$m = 2.7 \times 10^{-3} {\rm kg} $,したがって,レイノルズ数は $ Re = \dfrac{\rho 2a v}{\eta} = 2.67 \times 10^3 v $。


2021年2月21日日曜日

流体抵抗力(1)

 空気中を運動する球状の物体に働く抵抗力を考える。球体の速度 $v$ における流体抵抗力を $ F(v) = \dfrac{1}{2} C_{\rm D} \, \rho A v^2 $ とする。ただし, 空気の密度を$\rho$,球の断面積を$A=\pi R^2$,抵抗係数を $C_{\rm D} $とおいた。

この抵抗係数 $C_{\rm D} $は レイノルズ数 $Re$の関数としていくつかの式で表される。一つは,F. M. White の Viscous Fluid Flow の (3-225) 式で,球体の流体抵抗力がレイノルズ数の関数として次式で与えられている。

\begin{equation*} C_{\rm D}  \approx \dfrac{24}{Re} +  \dfrac{6}{1+\sqrt{Re}} + 0.4 \quad \quad 0 \le Re \le 2 \times 10^5 \end{equation*}

もう一つは,エアロゾルペディアの流体抵抗力のページにあるものだ。

\begin{equation*} C_{\rm D}  = \dfrac{24}{Re} \hspace{6cm} 0 \le Re \lt 0.1 \end{equation*} \begin{equation*} C_{\rm D}  = \dfrac{24}{Re} \Big( 1 + \dfrac{3}{16}Re + \dfrac{9}{160} Re^2 \log(2 Re) \Big) \quad \quad 0.1 \lt Re \lt 2 \end{equation*} \begin{equation*} C_{\rm D}  = \dfrac{24}{Re} \Big( 1 + 0.15 Re^{0.687} \Big) \hspace{3cm} 2 \lt Re \lt 500 \end{equation*} \begin{equation*} C_{\rm D}  = 0.44 \hspace{5cm} 500 \lt Re \lt 2\times 10^5 \end{equation*}

なお,レイノルズ数は,慣性力と粘性力の比を表す無次元量であり,流体中を運動する球体の半径を$a$とすると,$Re=\dfrac{\rho 2a v}{\eta}$ ただし,$\eta$は粘性係数である。