2024年11月30日土曜日

古典籍OCR-Lite

NDLデジタルコレクションからの続き

NHK大河ドラマの「光る君へ」では毎回,出演者の努力の結晶である美しい筆運びが披露されている。古典籍のくずし字を読めたらいいなと思うことはしばしばで,教科書を買って積ん読状態にして挫折したことも何度もある。最近は,OCR技術が進んだのでその恩恵を被ることができるようになった。

NDL古典籍OCR-Liteは,GPUを持たないノートパソコンの環境で,江戸期以前の和古書,清代以前の漢籍といった古典籍資料のデジタル化画像からテキストデータが作成できる軽量なOCRだ。先日,NDLラボ公式GitHub公開されたところだ

Mac版のアプリケーションも公開されているので,怪しくないよとmacOSに宣言してあげれば使うことができる。早速試してみた。「古」を象ったアイコンのアプリケーションだ。

国立国会図書館デジタルコレクション枕草紙の最初の1ページを試しに与えてみたところ,
結果は次のようなテキストファイルで出力された。
枕草紙「阿波国81 
春はあけほのそらはいたくかろみにたるにやう〳〵
しろくなりゆく山きはのすこしつゝあかみて
むらさきたちたる雲のほそくたな引たる
なといとおかし
夏はよる月のころはさらなりやみもなをほたる
おほ〳〵とひちかひた又たゝ一二なとほのかに
うちひかりてゆくもいとおかし
雨のとやかにふりたるさへこそおかしけれ
秋は夕暮夕日のきはやかにさして山の葉ちかみ
あれ?普通の枕草子とは違うのかな?


写真:枕草紙のイメージ(NDLデジタルライブラリから引用)


2024年11月29日金曜日

人生会議

天理市の看護職連携会議が主催する人生会議アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の市民向け講演会に出席してきた。看護職連携会議(いちごの会)は,天理市の医療・介護関係の看護職で構成され2015年に発足している。

人生会議=アドバンス・ケア・プランニングとは,認知症や急な病気や事故で本人の意思が伝えられなくなる前に,将来の医療及びケアについて, 本人や家族や医療・ ケアチームが繰り返し話し合いを行い,本人の意思決定を支援する取り組みである。

最初に天理市の福祉政策課の人の話が10分(天理市の人口は2060年には半減する),昨日風邪で診てもらったばかりの宮城医院の宮城先生の講演が45分,ここまでが第一部だ。第二部は看護職連携会議の専門職の方から,アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の実際や,天理市で作成したACPのツールとしてのこれからノートの説明などがあった。最後の,宮城先生のまとめを含めて全体で2時間のプログラムだった。

講演会の出席者は,60名ほどであり,そのうち男性は6名だけ。しかし,質問というか発言したのは3名すべて男性(民生委員など)だった。うーむ,どういうことだろうか。

宮城先生の最後のまとめで,人生会議=アドバンス・ライフ・プランニング(ALP)という見方を加えて,高校生や大学生の教育の過程で取り入れてはどうかという提案がよかった。
  第一段階:健康状態 = ALP
  第二段階:フレイル状態 = ALP + ACP
  第三段階:要支援・要介護状態 = ACP + EOLD(End of Life Discussion)
第一段階+第二段階が健康寿命の範囲となる。


図:これからノート(天理市ホームページから引用)

[1]人生会議してみませんか(厚生労働省)

2024年11月28日木曜日

ロバート・オッペンハイマー:藤永茂


1984年に朝日選書から出版されたもの(1996)があったはずだと書棚を探したが見つからなかった。オッペンハイマーの映画をきっかけに,ちくま学芸文庫版(2024)を買い直したものを半年がかりでようやく読了した。

量子化学の藤永茂(1926-)さんは,岩波現代選書のおいぼれ犬と新しい芸(1984)というエッセイがかなり本音を書いていておもしろかった。九州大学からカナダのアルバータ大学に移り,ロスアラモス研究所の研究集会への参加をきっかけに,オッペンハイマーへの関心を深めた。

藤永さんは,量子力学や物理にも造詣が深く,オッペンハイマーの書簡集や多くの原文にあたって,この本を書いている。オッペンハイマーに添った観点から,悪魔に魂を売った科学者という単純な見方を退けている。彼はあくまでもひとりの愚者にしかすぎなかった。そして,それを戦争のために生産して配備したのは政治家や資本家 ≒ 愚者としての我々だった。

それにしても,ルイス・ストロース(1896-1974),レオ・シラード(1898-1964)やエドワード・テラー(1908-2003)は邪悪なのだった。


写真:ロバート・オッペンハイマーの書影(ちくま学芸文庫から引用)

[1]ベートーベン弦楽四重奏曲嬰ハ短調作品131(Jasper String Quartet,2013.11.24)

2024年11月27日水曜日

パルサー

聴力チェックからの続き

夕方,家人が「天理教のおつとめの拍子木の音が外から聞こえてこないか」という。私は高音はよく聞こえません。宙わたる教室第8回をみて,さあいつものように布団に入って寝ましょうというところで,再びご下問があった。確かにこの部屋からは隣の家の音がよく聞こえるかもしれない。うん,聞こえます。

天理教のおつとめは,朝夕の日の出日の入りの時間に行われる。朝の散歩で,6時ごろに教会の近くを通ると,拍子木や鉦や太鼓にあわせてみかぐら歌が聞こえてくることがある。しかし,夜の11時ということはない。

しばらく布団の中で耳をすますと,微かなピーンという短音がときどき響いてくる。ちょっとパルサーみたいなので,時間を測ってみてよとお願いした。しばらく観測してもらった結果,約50秒の周期で規則的に鳴っていることがわかった。何かおかしいぞ。さっそくインターネットで調べてもらったところ原因がわかった。火災報知器の電池切れだ。電池がなくなると,50秒おきのビープ音で知らせてくれるらしい。ちょうど同じ話をマンションの人が話題にしていたのこと。

さっそく,別の部屋にある住宅用防災警報器が犯人だと判明した。隣の家ではなくて自分の家に原因があった。蓋をあけると,CR-2/3AZというやや特殊なリチウム電池が入っていた。ホーチキの頁を検索するとその取り換え方などが動画で解説されている。この火災報知器の電池は10年くらいで取り換える必要があるらしい。早速アマゾンで注文した。


写真:電池切れのALSOK防災警報器(2024.11.26撮影)

2024年11月26日火曜日

ネガティブ・ケイパビリティ

フェイクの時代からの続き

ネガティブ・ケイパビリティという言葉を拾ったのは,社会学者の佐藤卓己(1960-)の書き物からだった。いや,その前にどこぞのブログで見かけたものを検索したら佐藤卓己にたどり着いたのかもしれない。岩波新書の「あいまいさに耐える ネガティブリテラシーのすすめ」をTo Read リストに加えておく。

ネガティブ・ケイパビリティとは,不確実なもの,未解決なもの,答えのでない状況を受け入れる能力だ。最近つくられた社会学・心理学的な用語ではない。19世紀初頭に英国の詩人のジョン・キーツ(1895-1821)がはじめて使った言葉であり,第二次世界大戦後に精神分析医のウィルフレッド・ビオン(1897-1979)が精神分析の文脈で使うようになった。そのため,精神科医で作家の帚木蓬生(1947-)が「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力(朝日選書)」を書いている。これもTo Read リスト入り。


そもそも,この言葉が気にとまった背景は兵庫県知事選挙にある。チーム斎藤説(NHK)か,SNS原因説(田中辰雄)か,関西TVメディア説(菅野完)か,これに折田楓問題がからまってもうグダグダなのである。立花孝志の斎藤支援デマ攻撃の問題性もどこかに霞んでしまうくらいだ。このデマ攻撃を無効化する古田大輔の議論にはほとんど賛成できない。


Q(koshix):
ネガティブ・ケイパビリティと最近のフェイクの時代の関係について考察したいので,対話的な問答につきあっていただけますか?なるべく簡潔に,しかし場合によっては深く答えてください。
A(ChatGPT-4o):
(回答略)

Q(koshix):
ネガティブ・ケイパビリティという概念は有用だと思いますけれども,議論の公平性や客観性というタームが判断保留を沢山生み出してしまって,結局議論を封殺してしまう場合のように,「ネガティブ・ケイパビリティ」を持ち出すこと自身が,フェイクへの対抗的な議論を抑圧することにつながらないでしょうか。(ネガティブ・ケイパビリティ的意見がまずい典型的な例:水野義之さん:兵庫県の県知事選の解釈について11/27...orz)
A(ChatGPT-4o):
(回答略)

Q(koshix):
では,どうすればよいのでしょうか。目的はフェイク議論を多くの人が信じてしまうことをどう防ぐかです。具体例としては,「兵庫県知事選挙における,斎藤元彦は既得権益者達の罠によってはめられた悲劇のヒーローであり,本当はまじめな良い改革者なのだ」というものです。これが,N国党の立花孝志や,斎藤の選挙参謀の明石倫理法人会の朝比奈の作戦によって広く拡散され,関西のテレビマスコミでその下地をつくられていた有権者に軽々と浸透していき,斎藤の当選につながりました。
A(ChatGPT-4o):
(回答略)

Q(koshix):
その回答において,ネガティブ・ケイパビリティはどのような役割を果たし得るのですか? 
A(ChatGPT-4o):
1.ネガティブ・ケイパビリティの役割
(1) 情報の検証と解釈のプロセスでの活用
ネガティブ・ケイパビリティは、曖昧で不確実な状況に耐える能力です。これにより、次のような貢献が期待されます:
感情的反応の抑制:感情的なフェイク議論に触れたとき、即座に信じたり否定したりせず、一歩引いて状況を冷静に見つめることができる。
急ぎすぎない判断:複雑な背景や利害関係が絡む議論(例えば、斎藤元彦氏が本当に「改革者」かどうか)について、急いで結論を出さないことで、誤情報に基づく行動を防ぐ。
(2) 対話の促進
曖昧な部分を受け入れることで、敵対的な議論を回避し、建設的な対話の余地を残します。
・例えば、「斎藤氏の改革性」について賛否が分かれる場合、対立する意見を即座に否定せず、「その意見の根拠は何か?」と問いかける態度を持つことができます。
(3) 長期的な視点の保持
短期的な結果や感情的な満足に流されることなく、長期的な視点で議論を考える余裕を生みます。
・例: 「既得権益者の罠」という説が感情的に訴えるものであっても、その根拠や実際の影響を冷静に検討し続ける。

2.限界とリスク
ネガティブ・ケイパビリティの欠点や限界にも注意する必要があります。
(1) 行動の遅延
判断を保留しすぎると、フェイク議論の拡散を許してしまう可能性があります。
・対策:判断保留のタイミングを「完全な確信」ではなく、「合理的に行動可能な段階」と設定する。
(2) フェイク拡散者の戦略に利用される
フェイクを広める側が「真実はまだ不明だ」といった曖昧な姿勢を利用して、議論を引き延ばし、混乱を助長することがあります。
・対策:不確実性を受け入れると同時に、明確なエビデンスに基づく部分を迅速に共有する。

3.実際の応用例
(1) 有権者への啓発
・ネガティブ・ケイパビリティを促す教育:フェイクニュースを見た際に「これは本当なのか?」と即座に疑問を持つ習慣を育てる。
・判断を急がない文化の普及:SNSやメディアでの情報に対して、「結論を急がないことは強みである」という価値観を広める。
(2) 対話の場での利用
・斎藤氏を支持する人々との対話において、「完全な否定」ではなく、「あなたの主張の根拠を一緒に検討しよう」という姿勢で接する。
(3) 情報発信の戦略
・例えば、ファクトチェックにおいても、「すべてが分かったわけではないが、これまでに明らかになっている事実はこうだ」と曖昧な部分を認めつつ、具体的な事実を提示する。

4.結論
ネガティブ・ケイパビリティは、感情的反応や過度な確信を避けることで、フェイク議論の影響を軽減する助けになります。ただし、それが議論や行動を不当に遅らせたり、フェイク拡散者に利用されたりしないよう、以下のような「バランス的な運用」が求められます:
(1) 不確実性を受け入れる一方で、行動可能な事実に基づいて動く。
(2) 相手を否定するのではなく、対話を通じて曖昧さを解消する努力をする。
(3) 判断保留を過度に引き延ばさない。
フェイクニュース時代の課題において、ネガティブ・ケイパビリティは他のスキルや手段と補完的に活用されるべきです。



図:DALL-E3によればこれがネガティブ・ケイパビリティのイメージらしい
[4]SNSと選挙鳥海不二夫・中村佳美,MBS)

2024年11月25日月曜日

袖振り合うも他生の縁

Facebookで辰巳さんが,「袖振り合うも他生の縁」といってたので,『はて』となった。「袖擦りあうも多少の縁」じゃなかったっけ?

調べてみると,袖振り合うが正しいけれど,袖擦り合うでも間違いではない。他生の縁は,多生の縁でも構わないが,多少の縁は誤りということになった。この調子で間違ったまま定着している自分の知識が沢山埋もれている。

どの解説もいきなり,袖振り合う=袖が触れ合う,であるという前提で話を進めているので今一つ納得できなかった。昼寝から醒めると,すれ違う人の互いの袖同士が接触することで,袖が振れる=振動するという状況を表しているわけだと気がついて腑に落ちた。

相互作用によって,並進運動エネルギーの一部が振動エネルギーに転換したということか。その相互作用は,広い宇宙の中の自分と他者の関係にとってはレアイベントなのである。でエンタングルメントが発生するということ「袖振り合うも多少のエンタングルメント」。

(1)「袖振り合うも他生の縁」という言葉のイメージをください。
江戸時代の昼間,町中に通行人が少しだけいて,偶然に互いの着物の袖と袖をわずかに触れるような場面です。→左上
(2)これだと二人は意図的に手をつないで同じ方向をあるいていることになります。まったくランダムな方向をあるいている複数の通行人がいて,そのうちの全く関係ない他人である二人が違う方向を歩いているにもかかわらず,その着物の袖だけが偶然にちょっとだけかすってしまった場面に修正してください。→右上 
(3)いやいや,やはりこれは手をつないで同じ方向に歩いていますよね。そうではないのです。少なくとも二人の進行方向は別になるようにしてください。→左下 
(4)手をつなぐような表現はやめてください。歩いていて,手はつながずに,袖だけが振れてしまう状況なのです。→右下


図:いくらがんばってもうまくイメージが生成されないDALL-E3

[1]四分岐ポリマーからなる Tetra-PEGゲルの網目構造解析(酒井崇匡・松永拓部,2010)
   (多少のエンタングルメントの用例)

2024年11月24日日曜日

朝永振一郎

科学者の墓からの続き

朝永振一郎の墓の話から繋がって,昔の週刊朝日がやってきた。1965年の10月21日に朝永振一郎(1906-1979)が「繰り込み理論の発明による量子電磁力学の発展への寄与」でノーベル物理学賞を取ったという連絡があった。「中間子理論の提唱」による湯川秀樹のノーベル物理学賞に次いで日本人で二番目である。

当時,小学校6年生だった自分は,朝日新聞と北國新聞の大きな見出しを見て,「量子電磁力学なにそれ,そんなもんきいたこともないわ」と思った。科学の児童書を沢山読んでいて何でも知っていると勘違いした小学生は,自分が何も知らないことが〈山〉のように控えていることに気づかなかったのである。まあ,60年後の今でもほとんどそのままなんだけどね。

週刊朝日では,「『ノーベル賞』の素顔」というタイトルの6pの記事が,6pのグラビア写真と共に掲載されている。門下生の伊藤大介の戦後すぐの話に「まるで人間の生活できるところじゃなかったが,研究ができる喜びは大きかった。私はこんな研究室に,馬場一雄さん(現奈良女子大教授)と一緒に寝泊まりしていたが,朝永先生も一緒に泊まり配給の酒を三人でチビチビ飲んだこともあった」とある。

森田研の先輩の久米健次さんが奈良女子大学の馬場一雄先生の研究室に助手として就職したのは,1976年ごろだったろうか。研究室にくるたびに馬場先生の話題が出ていたような。



写真:1965年11月5日号の週刊朝日の表紙を引用

2024年11月23日土曜日

いろは札


仮名手本忠臣蔵の仮名手本というのは,いろは四十七文字と赤穂四十七士をかけたものだ。それだけかと思っていたら,どうやら各義士は討ち入りの際に番号認識票のような,いろは札というのを身に付けていたらしい。ということは,四十七士といろは四十七文字の対応が問題になるのだが,い=大星由良助,ろ=大星力弥,は=原郷右衛門,後は適当に,ということらしい。

そもそも,六段目早野勘平腹切りの段で,「ホホ,徒党の人数は四十五人。何時が心底見届けたれば,その方を差し加え一味の義士四十六人,これを冥土の土産にせよ。」とあって,早野勘平は四十六番目。七段目祇園一力茶屋の段の展開から,たぶん,寺坂平右衛門が四十七番目になるわけだ。

史実では,早野勘平に対応する萱野三平(箕面市萱野のあたりは昔よく通ったところ)は討ち入り前に事情で自刃しており四十七士に含まれない。足軽の寺坂平右衛門に対応する寺坂吉右衛門は四十七士に含まれていて,ひとりだけ生き延びたことになっている。

さらに,いろは歌と忠臣蔵の関係として,いろは歌を七文字ずつ並べた末尾が「とがなくてしす」とあって,大石内蔵助が自分たちの未来を暗示するものとして受取ったという話があった。
いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたらそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ゑひもせ
これにくわえて,六段目の床本の中には,「金」の文字が四十七個含まれているということだった。さっそく先日買ったパンフレットの別冊の床本で数えてみた。身売りの段に20個,早野勘平切腹の段に27個,確かに47個ある。



写真:歌舞伎のいろは札(市川猿三郎オフィシャルブログから引用)

[2]NHK大河ドラマに見る忠臣蔵

2024年11月22日金曜日

置換可能素数

レピュニットからの続き

プログラミングの例題として次のようなことを考えた。「ある素数があって,その各桁を入れ換えてできる全ての数が素数になるものを考える。その最大の素数はどんなものだろうか。」

で,実際に自分でプログラムを書くかというと,それは面倒なので,いつものようにAIに頼ることにする。軟弱だ。脳細胞のフレイルだ。OpenAI o1とかPerlexity Proに頼ってみたが,正しい答えがでない。PythonをJuliaに書き換えても,さらにドツボにはまるだけ。

一度リセットしてから,再度挑戦した。

Q(koshix):
n桁の素数が与えられたとき,その各桁の数字を入れ替えてできるすべての数が再び素数になるようなもので,できるだけ大きな数を探したい。桁数nを与えたときに,この条件を満たす最大の数を求めるプログラムを作成してください。

A(Perplexity Pro):
この問題を解決するために、以下のようなプログラムを作成しました。このプログラムは、与えられた桁数nに対して、条件を満たす最大の素数を見つけます。

import itertools
from sympy import isprime

def find_large_permutational_prime(n):
    lower_bound = 10**(n-1)
    upper_bound = 10**n
    primes = [p for p in range(lower_bound, upper_bound) if isprime(p)]
    largest_permutational_prime = -1
    for prime in primes:
        permutations = set(int(''.join(p)) for p in itertools.permutations(str(prime)))
        if all(isprime(p) for p in permutations):
            largest_permutational_prime = max(largest_permutational_prime, prime)
    return largest_permutational_prime

そして,ChatGPT-4oでJuliaに変換したものが次の通りである。
using Primes
using Combinatorics

function find_large_permutational_prime(n)
    lower_bound = 10^(n - 1)
    upper_bound = 10^n - 1
    largest_permutational_prime = -1
    
    for prime in primes(lower_bound, upper_bound)
        perms = Set(parse(Int, join(p)) for p in Combinatorics.permutations(string(prime)))
        if all(isprime(p) for p in perms)
            largest_permutational_prime = max(largest_permutational_prime, prime)
        end
    end
    
    return largest_permutational_prime
end
これを実行すると,n=3で991が得られる。n=4,5,6では結果なしということになった。これから,nが4以上では条件を満たす素数が存在しないと証明できないかと考えたけれど,そんな簡単な話ではなかった。もちろん,現在の生成AIでは証明できない。

調べてみるとこのような素数は,置換可能素数として既によく知られているものだった。911の上にある素数はレピュニット素数だった。これは無限個あると推定されているがまだよくわかっていないのだ。もちろん,3,7,9 の1種類だけが並んだ数は素数にはならない。

2024年11月21日木曜日

138億光年の孤独

谷川俊太郎からの続き

昔から,20億光年というのは詩の都合で適当に 設定されたそれらしい大きな数字だと思っていたが,そうではなかった。「20億光年の孤独」が出版された1952年当時の最新の科学知識に基づいている。まだビッグバン理論が誕生して間もない頃だ。

「20億光年の孤独」に採録されている「運命について」にも,プラットフォームに並んでいる天使たちが〈たった五十年と五億平方粁さ〉というところがある。たしかに地球の表面積は,4×3.14×(6556 km )^2  = 5.075億 km² である。


Q(koshix):
谷川俊太郎の「20億光年の孤独」は,この詩集が書かれた1952年当時,観測された最も遠方の星雲が20億光年のかなたにあったことから,宇宙の大きさを象徴する単位としてタイトルに使われました。このことや,現在の宇宙の年齢が138億年であることを踏まえて,膨張宇宙の大きさがこれに対応するX億光年になったとして,それを象徴するタイトルでかつ,この事実を説明しながら,谷川俊太郎の表現を尊重した内容の詩を書いてください。
Q(koshix):
谷川俊太郎の「20億光年の孤独」はより簡潔で諧謔的で象徴的でエレガントでした。そんなふうに改善できますか?


A(ChatGPT-4o):

宇宙がふくらむたび、
孤独は遠ざかる。

星々は語らず、
闇だけが歌う。

138億光年の向こうに、
誰かが笑っている気がした。

それも、ただの錯覚。

光も、言葉も、
追いつけない速さで
世界は拡がっていく。

それでも、ここにいる私を、
私だけが知っている。



図:「20億光年の孤独」だけで得られたイメージ(DALL-E3より)


P. S.  NASAのサイト[3]によれば,1955年で宇宙の年齢は60億年,サイズは40億光年とされていたらしい。まあまあそんなものか。


[2]観測可能な宇宙(CMBR球体の最大直径=780億光年が答えらしい,Wikipedia)

2024年11月20日水曜日

谷川俊太郎


11月13日,谷川俊太郎(1931-2024)が92歳で亡くなった。

最初に谷川俊太郎を意識したのは,世界SF全集の第35巻「日本のSF現代編」が配本された1969年4月なので高校1年になったばかりだった。と思う。この巻に採録されているのは「21世紀の教養」というものだ。内容はまったく覚えていない。そのとき,彼の最初の詩集のタイトルが「20億光年の孤独」であることを知ったのだろう。いつか読んでみたいと思っていた。

手元には,角川文庫の谷川俊太郎詩集(大岡信解説,1972年4月30日初版第七刷)と谷川俊太郎詩集Ⅱ(北川透解説,1985年10月30日再版)がある。前者は大学に入学してまもなく手に入れたもの。後者は古本の値段があるので,子どもが二人産まれた後に買ったのかもしれない。谷川の処女詩集,「20億光年の孤独」は20編の詩集として文庫の谷川俊太郎詩集のほうに採録されている。タイトルにもなっている本編自身はちょっと拍子抜けするような軽いものなのだ。

阪大のマンドリンクラブに入部して間もない合宿で,緑地公園かどこかのユースホステルに泊まったとき,二段ベッド寝そべって谷川俊太郎詩集を読んでいた。セロの先輩の近藤さんが顔をのぞかせ「何読んでるの」といって手に取りパラパラと頁をめくって「ソネットか,14行詩だね」と。ソネットが14行の定型詩だということもわからずにありがたがって谷川俊太郎を読んでいた一回生なのだった。

谷川俊太郎は「にほんご」で子育て時代に大変お世話になった。いまや孫のすーちゃんが,きっときってかってきて,きっときってかってはってきて,を小学校1年の国語の教科書で勉強する時代になった。


写真:本棚にあった谷川俊太郎詩集とそのⅡの書影を引用

P. S. 
2013年に,岩波書店から自選 谷川俊太郎詩集がでていた。全2千数百編から173編を厳選したというものだ。その目次には採録した詩集のリストがある。これを年代順に並べ替えて,手持ちの角川文庫に収録されている詩集を◎でチェックしたリストはつぎのとおり。

◎『二十億光年の孤独』 (創元社 1952)
◎『六十二のソネット』 (創元社 1953)
◎『愛について』 (東京創元社 1955)
◎『絵本』 (的場書房 1956)
◎『あなたに』 (東京創元社 1960)
◎『21』 (思潮社 1962)
◎『落首九十九』 (朝日新聞社 1964)
 『谷川俊太郎詩集』 (思潮社 1965)
 『谷川俊太郎詩集』 (河出書房 1968)
◎『旅』 (求龍堂 1968)
◎『谷川俊太郎詩集』 (角川文庫 1968)
 『谷川俊太郎詩集』 (現代詩文庫 1969)
◎『うつむく青年』 (山梨シルクセンター出版部 1971)
 『谷川俊太郎詩集』 (角川書店 1972)
 『ことばあそびうた』 (福音館書店 1973)
◎『空に小鳥がいなくなった日』 (サンリオ出版 1974)
◎『定義』 (思潮社 1975)
◎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』 (青土社 1975)
 『タラマイカ偽書残闕』 (書肆山田 1978)
 『谷川俊太郎詩集 続』 (思潮社 1979)
◎『そのほかに』 (集英社 1979)
◎『コカコーラ・レッスン』 (思潮社 1980)
◎『ことばあそびうた また』 (福音館書店 1981)
◎『わらべうた』 (集英社 1981)
◎『わらべうた 続』 (集英社 1982)
◎『みみをすます』 (福音館書店 1982)
◎『日々の地図』 (集英社 1982)
◎『どきん』 (理論社 1983)
◎『対詩 1981.12.24~1983.3.7』 (書肆山田 1983)
 『手紙』 (集英社 1984)
 『日本語のカタログ』 (思潮社 1984)
 『詩めくり』 (マドラ出版 1984)
 『よしなしうた』 (青土社 1985)
 『いちねんせい』 (小学館 1988)
 『はだか』 (筑摩書房 1988)
 『メランコリーの川下り』 (思潮社 1988)
 『魂のいちばんおいしいところ』 (サンリオ 1990)
 『女に』 (マガジンハウス 1991)
 『詩を贈ろうとすることは』 (集英社 1991)
 『十八歳』 (東京書籍 1993)
 『子どもの肖像』 (紀伊國屋書店 1993)
 『世間知ラズ』 (思潮社 1993)
 『ふじさんとおひさま』 (童話屋 1994)
 『モーツァルトを聴く人』 (小学館 1995)
 『真っ白でいるよりも』 (集英社 1995)
 『クレーの絵本』 (講談社 1995)
 『谷川俊太郎詩集』 (ハルキ文庫 1998)
 『みんなやわらかい』 (大日本図書 1999)
 『クレーの天使』 (講談社 2000)
 『minimal』 (思潮社 2002)
 『夜のミッキーマウス』 (新潮社 2003)
 『シャガールと木の葉』 (集英社 2005)
 『すき』 (理論社 2006)
 『私』 (思潮社 2007)
 『62のソネット+36』 (集英社文庫 2009)
 『子どもたちの遺言』 (佼成出版社 2009)
 『トロムソコラージュ』 (新潮社 2009)
 『詩の本』 (集英社 2009)

2024年11月19日火曜日

仮名手本忠臣蔵(第二部)

仮名手本忠臣蔵(第一部)からの続き

国立文楽劇場の11月文楽公演で仮名手本忠臣蔵の大序から七段目まで上演しているのは,前回紹介した通りだ。第一部の大序から四段目まで見た日,いつもの幕見席以外に当日指定席というのを半額程度で設定しているのに気づいた。よほど客の入りが悪いのかもしれないという説が出たので,第二部も行こうとなった。ちょうど,先月の文楽の集いで織太夫から七段目の演出についての紹介があったところだ。正月には続きの八段目九段目もあり,全段コンプリートできる。それはそれでよし。

四時から始まった第二部の最初は靭猿だ。これは昼寝の時間に当てることにして,本編に集中する。山崎街道出会いの段は若手の竹本碩太夫(千歳太夫の弟子)と鶴澤寛太郎(寛治の孫)コンビでなかなか良かったのではないか。次の二つ玉の段は,御簾内から聞こえる胡弓とその後の三味線が哀愁をさそう。よく知らない鶴澤清方の担当だ。三味線の物悲しい音がほとんど動いていない団七の手元から響くのかとびっくりしたけどそうではなかった。勘市の与市兵衛と玉勢の斧定九郎もいい感じ。この二人は昔近鉄の仕立てた文楽電車で奈良の文楽名所巡りをしたときにいっしょに参加していたので親近感がある。

早野勘平腹切りの段は,錣太夫と宗助。あいかわらず宗助の三味線はうまい。予習であらすじを理解していたけれど,与市兵衛の死骸を誰が持ってくるのかとか,斧定九郎との関係をどうやって説明するのかとか,疑問点はスイスイと解決して結論に導かれていった。

いよいよ七段目の祇園一力茶屋の段。最初に昼寝したおかげで,今夜は全編ついていくことができた。寺坂平右衛門の竹本織太夫が,舞台下手で見台も床本もなしで語る理由を説明している。顔世御前から大星由良之助にあてた手紙を手鏡で見てしまったおかるだが,昭和30年の古いNHK録画DVDでは,梯子を降りる前後で吉田文五郎から桐竹亀松に交替していた。今回は吉田一輔が一人でがんばっている。おかるが兄の寺坂平右衛門に気づく前にしたためていた手紙の説明がないので,ChatGPTに聞いてみたところ,どうやら家族宛の文らしい。ほんとかな。
Q(koshix):
文楽の仮名手本忠臣蔵の七段目祇園一力茶屋の段で質問があります。
おかるが由良之助から身請け話を出された後で,由良之助が引っ込んだ後,なにやら書状に書き物をしています。そこに兄の寺坂平右衛門がくるのですが,おかるは誰宛に何を書いていたのですか。

A(CHatGPT-4o):
文楽『仮名手本忠臣蔵』七段目「祇園一力茶屋の段」において、おかるが由良之助から身請けの話をされた後のシーンについてお答えします。

おかるが書状を書いている場面は、彼女の心情や立場を表現する重要な場面です。この書状の内容と宛先は作品の解釈による部分もありますが、以下のように考えられています:

宛先:おかるが書いていた書状の宛先は、一般的な解釈では彼女の母親または家族であるとされています。これは、身請け話を受けて、家族に自分の気持ちや状況を伝えようとする意図があるからです。
内容:書状の内容については具体的な台詞で明かされるわけではありませんが、由良之助の身請けの提案についての自身の心情や、今後の自分の運命についての思いが書かれていると考えられます。また、家族への感謝や別れの言葉が含まれている可能性もあります。
この後、兄の寺坂平右衛門が登場することで、おかるが置かれた状況がさらに劇的になります。寺坂の登場により、忠臣蔵全体の筋書きにおける陰謀や義士の計画が絡み合い、この場面が一層緊張感を増す構造になっています。

作品の詳細な解釈については、上演時の演出や注釈書による違いがあるかもしれませんが、家族に宛てた書状という解釈が一般的です。
あと,今回気になった点三つ。

おかると由良之助のからみのところで,斧九太夫の主遣いの桐竹勘壽がこそこそと帰っていった。あれ,九太夫はまだ縁の下に潜んでいるはずなのにどうするのと思っていたら,最後に由良之助に刺されたあとは九太夫は二人遣いのままで,平右衛門に担がれて終幕となった。なかなか珍しいパターンだ。

もう一つは,おかるが斧九太夫を討取るのかと見ていたら,由良之助が自身で畳の下の九太夫を刀で刺していた。おかるはその横にいたのだろうか。由良之助が自分で刺したらまずくないか?となってしまった(昭和30年のビデオではおかるの刀を由良之助が添えるのがはっきりとわかる)。単に自分が見逃しているだけかもしれない。

最後に,兄の平右衛門がおかるに勘平の切腹を告げた後,動転して気を失うおかるにひしゃくで水を飲ませるのだけれど,平右衛門が一口目を自分で呑んでしまうというチャリ場的な演出が入っていて,それはそれでおもしろいのだけれど,ええっ!となってしまった。さすがに,昭和30年の吉田玉男はそうではなかった。



写真:国立文楽劇場のチラシから引用


2024年11月18日月曜日

ピタゴラスの定理(2)

ピタゴラスの定理(1)からの続き

新しいピタゴラスの定理を発見した女子高校生チームが,新論文を出していた。さらに5つの新しい証明方法を見つけたというものだ。さっそく確認してみる。


図:ピタゴラスの定理の証明


図の3つの三角形に正弦定理(この名前がすでに思い出せない)を当てはめると次の六つの関係式が得られる。
$\triangle {\rm ABC : \quad}  \dfrac{a}{\sin \alpha} = \dfrac{b}{\sin \beta} = \dfrac{c}{\sin \pi/2}$
$\triangle {\rm ADC : \quad}  \dfrac{a+d}{\sin 2 \alpha} = \dfrac{b}{\sin (\beta-\alpha)} = \dfrac{x}{\sin \pi/2}$
$\triangle {\rm ADB : \quad}  \dfrac{d}{\sin \alpha} = \dfrac{c}{\sin (\beta-\alpha)} = \dfrac{x}{\sin \beta}$
$x$の項は不要だとすれば四式が残る。これから,$\alpha,\ \beta,\ d\ $を消去すると $\ a,\ b,\ c\ $の関係式が得られる。すなわち,$(a+d)\sin (\beta-\alpha)  = b \sin 2 \alpha, \quad d \sin (\beta-\alpha)  = c \sin \alpha $ から$\ d\ $を消去して,$\sin \alpha = \dfrac{a}{c}, \ \sin \beta = \dfrac{b}{c},\ \cos \alpha = \dfrac{b}{c}, \ \cos \beta = \dfrac{a}{c} \ $を代入する。
$a \dfrac{b^2-a^2}{c^2} + c \dfrac{a}{c} = b \dfrac{2 a b}{c^2} $ となり,$a^2+b^2=c^2$ が導かれる。

2024年11月17日日曜日

4時10分前

家人から,最近の人は「四時十分前」というと,4:09 ごろと理解するらしいと聞いてたまげた。「四時十分前」ならば,3:50前後だろう。調べてみるとどうもそうらしい。仕方がないので,AI諸君に聞いてみて多数決をとることにした。

Q(koshix):
友達との待ち合わせの集合時間を「駅前に四時十分前頃に」と打ち合わせしました。 4時10分前とはだいたいどの範囲の時間を表しますか。


A(ChatGPT-4o):
「4時10分前」という表現は、日本語では「4時の10分前」、つまり3時50分頃を指します。友達との集合時間が「4時10分前頃に」と打ち合わせた場合、範囲としては少し幅をもたせて3時45分から3時55分くらいまでの時間帯を指すのが一般的です。
この表現が曖昧な場合、具体的に「3時50分頃」や「4時ちょうど前」など、もう少しはっきりと伝えておくと、誤解が避けられるでしょう。

A(Gemini):
「駅前に四時十分前頃に」という待ち合わせの集合時間ですね。この場合、4時10分前の範囲は人によって解釈が少し異なる可能性があります。
一般的な解釈
3時50分~4時9分頃 多くの場合、この範囲で解釈されることが多いでしょう。「4時10分」という明確な時間から少し前、というニュアンスで捉えられます。
3時55分~4時9分頃 もう少し厳密に時間を守りたい人や、時間に余裕を持って待ち合わせたい人は、この範囲で考えるかもしれません。
状況による解釈
待ち合わせの場所:人が多い場所や、電車の発着時刻が近い場所など、時間の正確さが求められる場所では、3時55分以降に来る人が多いかもしれません。
関係性:親しい友人同士であれば、少し遅れても問題ないという場合もあります。一方、初めて会う人や、仕事関係の待ち合わせであれば、時間に厳守したいと思う人もいるでしょう。
当日の状況:天候が悪かったり、交通機関が遅延したりする場合は、少し遅れても仕方ないという状況も考えられます。
より確実な確認
再度確認する:待ち合わせの直前に、「4時10分前頃って、だいたい何時くらいをイメージしてる?」と相手に確認するのが一番確実です。
余裕を持って行く:少し早めに行って、安心して待ち合わせ場所にいられるようにしましょう。
まとめ
「4時10分前頃」という表現は、あくまで目安です。状況に合わせて、柔軟に解釈することが大切です。相手に失礼のないように、そして、待ち合わせをスムーズに進めるために、事前に確認したり、余裕を持って行動したりすることがおすすめです。
その他
「頃」の意味: 「頃」という言葉は、ある時間の前後を漠然と表す言葉です。
「~くらい」との違い: 「~くらい」は、「頃」よりも範囲が少し広がる場合があります。
もし、他にも何か知りたいことがあれば、お気軽にご質問ください。


A(Claude 3.5 Sonnet)
この表現について考えてみましょう。
「四時十分前頃」は少しあいまいな表現で、日本語特有の曖昧さを含んでいます。
一般的な解釈としては:
「四時十分前」は3時50分を指します
「頃」が付くことで、その前後約5分程度の幅を持たせる意味になります
つまり、だいたい3時45分から3時55分くらいの範囲を示すと考えられます
ただし、これは待ち合わせの文脈なので、少し早めに着くことが望ましいとされる日本の文化も考慮に入れると、3時45分から3時50分くらいの間に到着することが望ましいでしょう。
より明確なコミュニケーションのためには、「3時50分」のように具体的な時刻を指定する方が誤解を避けられます。


A(Perplexity Pro):
「四時十分前頃」という表現は、正確な時間を指定するものではなく、ある程度の幅を持った時間帯を示しています。この場合、おおよそ次のような時間帯を指すと考えられます:
時間の範囲
「四時十分前頃」は、3時50分前後の時間帯を指すと解釈できます。具体的には:
中心時刻: 3時50分
前後の幅: 約5分程度
つまり、おおよそ3時45分から3時55分の間を指していると考えられます。
解釈の理由
「四時十分前」は文字通り解釈すると3時50分を指します。
「頃」という言葉が付いていることで、厳密な3時50分ではなく、その前後の時間帯を含むことを示しています。
一般的に、待ち合わせなどで「〜頃」と言う場合、5分程度の余裕を見ることが多いです。
注意点
この時間帯は厳密なものではなく、状況や個人の解釈によって多少前後する可能性があります。重要な約束の場合は、相手に確認を取るか、より具体的な時間を指定することをお勧めします。文化や個人の習慣によって、「〜頃」の解釈が異なる場合もあるので、相手との共通理解を持つことが大切です。

結論として、「四時十分前頃」は3時45分から3時55分の間を指す表現だと理解できますが、正確を期すためには、待ち合わせ相手と具体的な時間を確認することが望ましいでしょう。


A(PlaMo):
「四時十分前頃に」というのは、四時ジャストから数えて多少の時間が経過している状態を指すと思われ、具体的には「4時5分〜15分くらいの間」と考えるのが妥当ではないでしょうか。前後の時間も含めれば「4時前〜4時10分の間」と想定することもできますが、状況によって判断は変わる可能性があります。友人との待ち合わせの際は、相手の連絡先があるのであれば、今一度確認することをおすすめします。
3対2で,我々老人世代側の解釈が勝利した。ChatGPT-4oやClaude 3.5 Sonnetが簡潔な答えを返した。Perplexity Proは詳しすぎるけどまあいいか。Geminiはバカ丁寧に若者だったし,PlaMoはバカの若者だった。この多数決の結果も数年後には変わってしまうのだろうか。それまで生き延びていたら再検証してみたい。



図1:ChatGPT-4oに4時10分前を指示して描かせた結果・・・時計は苦手だ。


図2:OpenAI o1に4時10分前を指示してpythonプログラムにより描かせた結果

import matplotlib.pyplot as plt
import numpy as np

def draw_clock(hour, minute):
    fig, ax = plt.subplots(figsize=(6,6))
    # 時計の外枠を描画
    clock_face = plt.Circle((0,0), 1, fill=False, linewidth=2)
    ax.add_patch(clock_face)
    # 目盛りを描画
    for i in range(60):
        angle = np.deg2rad(90 - i * 6)
        x_start = np.cos(angle)
        y_start = np.sin(angle)
        if i % 5 == 0:
            # 5分ごとの長めの目盛り
            x_end = 0.85 * np.cos(angle)
            y_end = 0.85 * np.sin(angle)
            linewidth = 2
        else:
            # 1分ごとの短めの目盛り
            x_end = 0.9 * np.cos(angle)
            y_end = 0.9 * np.sin(angle)
            linewidth = 1
        ax.plot([x_start, x_end], [y_start, y_end], color='black', linewidth=linewidth)
    # 時間目盛りと数字を描画
    for i in range(1, 13):
        angle = np.deg2rad(90 - i * 30)
        x_text = 0.75 * np.cos(angle)
        y_text = 0.75 * np.sin(angle)
        ax.text(x_text, y_text, str(i), horizontalalignment='center', verticalalignment='center', fontsize=24)  # フォントサイズを大きく
    # 時針を描画(矢印)
    hour_angle = np.deg2rad(90 - (hour % 12 + minute / 60) * 30)
    hour_x = 0.5 * np.cos(hour_angle)
    hour_y = 0.5 * np.sin(hour_angle)
    ax.arrow(0, 0, hour_x, hour_y, width=0.025, head_width=0.07, head_length=0.14, fc='black', ec='black', length_includes_head=True)
    # 分針を描画(矢印)
    minute_angle = np.deg2rad(90 - minute * 6)
    minute_x = 0.8 * np.cos(minute_angle)
    minute_y = 0.8 * np.sin(minute_angle)
    ax.arrow(0, 0, minute_x, minute_y, width=0.015, head_width=0.06, head_length=0.12, fc='black', ec='black', length_includes_head=True)
    # プロットの設定
    ax.set_xlim(-1.1, 1.1)
    ax.set_ylim(-1.1, 1.1)
    ax.set_aspect('equal')
    ax.axis('off')
    plt.show()

draw_clock(3, 50)
自然言語で5回ほど修正指示を繰り返してたどり着いた結果のコード。これでも子ども全員向けのプログラミング教育は必要なのですか?むしろ,4時10分前の言語文化的な継続性を維持できるような日本語教育の方が重要だと思うのだけれど・・・。


[2]"9時10分前"は,何時何分?(NHK放送文化研究所,2020)

2024年11月16日土曜日

フェイクの時代

カモになるな維新的なものの勝利からの続き

兵庫県知事選挙の投票日を前にした11月14日,兵庫県市長会の有志(代表 蓬萊務 小野市長)からの記者会見案内が発出された。タイトルは「稲村和美さんを支持する表明について」であり,つぎのような内容だ。
兵庫県内の市長会有志21名は(後に22名)、県政の安定と発展を願い、稲村和美氏への支持を表明しました。稲村氏は尼崎市長時代に財政健全化を果たし、幅広い支持を得ています。特定の政党に依存せず、県民に寄り添った政策を掲げる姿勢が評価され、県政の混迷を収束させるリーダーとしての資質が期待されています。この動きは、自民党県議団の一部からの支持も含め、兵庫県の新たな出発に向けた重要な一歩です。
なぜ,このような異例の声明が出されたかというと,「兵庫県政は混乱、混迷し、現在行われている兵庫県知事選挙においても誹謗中傷が行われるなど、大変愛うべき状況です。」 だからである。

兵庫県の西播磨県民局長の内部告発文書を発端として,斎藤元彦兵庫県知事とその取り巻きによる追求や,維新の会議員による圧力によって,県民局長が亡くなられてしまった。その結果,兵庫県議会に百条委員会が設置されて,公益通報者保護に関する問題が焦点化,兵庫県議会で全員一致の知事不信任案が叩きつけられた。

普通は,兵庫県知事が責任を取って辞職することで話は終るのだが,今回はそうならずに,失職した斎藤元彦がしゃあしゃあと新たな知事選挙に出馬してきたわけだ。そこに,NHKから国民を守る党の立花孝志が参戦し,斎藤の応援に回ったことから風向きが変わった。

当初は,元尼崎市長の稲村和美が有利だと考えられていたはずが,立花とその取り巻きに,右翼イデオローグや,維新の会や,旧統一協会らしき有象無象が雪だるまのように加わって,広範なネット宣伝と,立ち会い演説聴衆動員(暴力付き)を図ってきたため,選挙情勢は微妙なところに来てしまった。彼らの言い分は,斎藤ははめられたのであり,マスコミと既得権者によって迫害されているというアンチフェイクデマの拡散と浸透である。

まあ,いつも判断を間違ってしまうというかあえて逆張りをするのが得意な自称リベラルの東浩紀が,(ぼくは兵庫県知事選については情報が錯綜していて判断できないという立場です)といいながら市長会有志のメッセージをディスるくらいである。最低ですね。

兵庫10区の自由民主党の衆議院議員,渡海紀三朗が,この状況を静観しておられず,「知事の資質」として斎藤の再選への危機感を率直に語る事態にまで至っているわけだ。兵庫県民どうするのよ。


問題は何かというと,斎藤支持グループが明らかなデマをSNS経由で広範に発信し,それがいとも簡単に浸透し,十分に否定できない状況が続いていることだ。それまでのテレビや新聞の報道をきいて冷静に判断すれば,デマの悪質性はわかりそうなものなのだが,マスコミ不信と既得権益批判と斎藤の巧妙な作戦にいとも簡単に騙されて,トランプが米国で勝利したように,フェイクが正義として受け入れられていくのだった。


AIによるフェイクが云々以前の問題なのである。いまこそ,水越先生のように,教科情報における学習のキモはプログラミングではなくてメディアリテラシーであると主張しなければならない時代がきたのかもしれない。

兵庫県市長会のうち有志22市長○のリスト(22/29)

_神戸市長 久元喜造
○姫路市長 清元秀泰
○尼崎市長 松本眞
_明石市長 丸谷聡子(泉・西村)
○西宮市長 石井登志郎
○洲本市長 上崎勝規
_芦屋市長 髙島崚輔(維新)
○伊丹市長 藤原保幸
○相生市長 谷口芳紀
_豊岡市長 関貫久仁郎
○加古川市長 岡田康裕
○赤穂市長 牟礼正稔
_西脇市長 片山象三
○宝塚市長 山﨑晴恵
○三木市長 仲田一彦
○高砂市長 都倉達殊
○川西市長 越田謙治郎
○小野市長 蓬萊務
_三田市長 田村克也(泉)
○加西市長 高橋晴彦
○丹波篠山市長 酒井隆明
_養父市長 大林賢一
○丹波市長 林時彦
○南あわじ市長 守本憲弘
○朝来市長 藤岡勇
○淡路市長 門康彦
○宍粟市長 福元晶三
○加東市長 岩根正
○たつの市長 山本実

P. S. どうやら,ことの本質西村康稔による旧来型の選挙手法によって動員された倫理法人会に統一協会や維新の会などが,立花孝志やネトウヨSNSの曇の中で活動しているものらしい。これによって,リアルとネットの両面からの攻撃が成功しているというパターンだ。石丸現象と同じ構造なのかもしれない。

[1]斎藤元彦さんは既得権益のオモチャでしかない(菅野完)

2024年11月15日金曜日

聴力チェック

AirPods Pro2にヒアリングチェックとヒアリング補助機能が追加されたというので試してみた。iOS17.7のままではだめだったので,夜中のうちにiOS18.1にアップグレードした。朝起きてiPhone SE2を立ち上げると無事に新機能が使えるようになっていた。

ヒアリングチェックしますかというので,OKして進んでいくと,まず音漏れチェックや周囲の騒音チェックがある。これをパスすると,左耳と右耳それぞれ5分づつのチェックが始まる。音の高さや大きさを変化させながら,ピー・ピー・ピーという三連音が発せられて,きこえると画面をタップする。いつもの人間ドックのアバウトな検査とはえらい違いだ。

最終結果は図のようになって,難聴ではなかった。ただし,4000Hzをこえると急に聞こえにくくってしまい,8000Hzはもうほとんどわからない。これは既に別の簡易テストでもわかっていたことだ。まあいいか。

ヒアリングチェックの結果,軽度から中程度の難聴が認められるとパーソナライズされた聴力プロファイルによるヒアリング補助機能が利用できる。もう高価な補聴器は不要の時代がやってきたのかもしれない。



写真:iPhoneのAirPods Pro設定画面から(2024.11.15早朝)


2024年11月14日木曜日

人工超知性

人工超知能(2)からの続き

10月4日のSoftBank World 2024における孫正義の特別講演が公開された。タイトルは「超知性は10年以内に実現する」。その内容をがんばって人力でまとめると次のようになる。

彼の定義によれば,AGI(Artificial General Intelligence)は人間と同等の知能をもつAIであり,2-3年後に実現する。ASI(Artificial Super Intelligence)は人間の1万倍の知能を持つAIであり,10年以内に実現する。そのASI(人工超知能)は,人工超知性へと進化するというのがそのビジョンである。下図の1-5はAGIの進化レベルを表しており,6-8はASIの進化レベルに対応している。

人間の脳にある神経細胞ニューロンは1000億個あり,それらが接続するシナプスは100兆個ある。しかしこれは20万年前から変化しておらず,また今後も増えることはない。一方,これに対応する大規模言語モデルのパラメタは数兆個のオーダに達しており,さらに増える可能性がある。

こうした前提のもとに,情報を検索する(Google)→知識として理解する(GPT)→知能により推論する(o1)→知性で調和させる(ASI+)という一連のAIの進化の流れを想定している。

まず,最近のo1が,複数の分野の博士レベルの能力を持つに至ったことを紹介し,AIが速さから深さ(Chain of Though)の段階に移行しているとする。その例として,o1-preveiwに「一千万円を一億円にするための戦略とメカニズムは?」と聞いて回答に75秒かかって感動したということを披露していた(自分でも同様に試してみたが,あっという間に答えが出てしまった。どうやら知識不足で設問の表現が単純すぎたようだ)。

次に,(広義の)強化学習が,並列に動作する数千エージェントの数十億回の試行によるQ関数(行動価値関数)の進化を促すことを示し,自分でモデルを考えることができるAIへの進化が鍵となることを説明した。

さらに,個人によりそったAI=パーソナルエージェント(PA)の時代が来ることを予測し,人や物に対応した人工知能エージェント同士がやりとりするA to Aの時代が来るとした。ソフトバンクがほぼ所有しているARMのチップは年間320億個出荷されていて,世界人口1人当たりにすれ4個になる。このようにすべての人や物(AoT = Agent of Things)にAIが行き渡る。

パーソナルエージェントとは,個人のライフログを分析するようになるが,そのためには,感情,重要度,時間帯等から評価される感情インデックスにあわせた情報の記憶が重要になってくる。高いスコアのものは動画や音声で,中程度は静止画で,低スコアならばテキストで保存されるというわけだ。大切な想い出や日常の記憶が長期に保存される。

こうして,人工知能は人間の感情を理解して長期記憶を持ち,最終的には,PAはパーソナルメンターに進んでいく。そして,人工知能は自らの意思を持つ人工知性の段階に到達する。その際のQ関数の最大の報酬は,自分の喜びファーストではなく,あなたの喜び,あなたの幸せ,家族の幸せ,社会の人々の幸せとなって,調和のとれた超知性が実現する。それをソフトバンクは目標にするというものだった。なかなかここまで大風呂敷を展開できる日本人の現実の経営者はいない。

小規模LLMや省電力LLMをディスりすぎているきらいはあり,ソフトバンク自身のLLMが3000億パラメタ程度しか実現できていないので,どうよとは思うけれど,各地にデータセンターを構築しながら,ロボティックスや自動運転も視野に入れながら着実に前進しているので目が離せない。



図:孫正義によるAIの進化のイメージ(SowfBank World 2024 から引用)


2024年11月13日水曜日

月面上の重力

月面上の重力加速度$\ g_{\rm m}\ $は,地表面上の重力加速度$\ g \ $の六分の一である。ロケットや人工衛星が開発される前の観測事実からこれを導けるかという話をみかけた。

次のような前提で考えてみよう。
ケプラーの第三法則とニュートンの万有引力の法則運動の法則は既知である。
・地球と月の距離 $\ D \ $ は三角測量によってわかっている。
・地球の半径$\ R \ $と月の半径$\ r \ $は緯度観測と三角測量からわかっている。
(直接不要だが,地球質量$\ M \ $,月質量$\ m \ $,万有引力定数を ${\  G \ }$とする。)

まず,$\displaystyle g = \dfrac{GM}{R^2}, \quad g_m = \dfrac{Gm }{r^3},  \quad \dfrac{g_m}{g} = \dfrac{m}{M} \Bigl( \dfrac{R}{r} \Bigr)^2 \ $が成り立つ。

また,地球−月系における万有引力の法則とケプラーの法則からは次式が得られる。
$\displaystyle \mu D \bigl( \dfrac{2\pi}{T} \bigr)^2 = \dfrac{G m M}{D^2}$
ただし,$\mu \ = \dfrac{m}{1+m/M} \ $は月の換算質量,$\ T\ $は月の公転周期である。
したがって,$\displaystyle \bigl( \dfrac{2\pi}{T} \bigr)^2 = \dfrac{GM (1+ m/M) }{D^3}  = \dfrac{g R^2 (1+ m/M) }{D^3}$

この式に,$T=27.32 {\ \rm d},\quad g=9.81 {\ \rm m/s^2}, \quad R = 6.37*10^6 {\ \rm m}, \quad D = 3.844 * 10^8 {\ \rm m}$を代入すると,$m/M = 0.0111$を得る(ちょっと足りないか,現在わかっている質量を入れると,$m/M = 7.35*10^22 {\ \rm kg} / 5.97*10^24 {\ \rm kg} = 0.0123 \ $である)。

この質量比の値と,地球と月の半径の比の値がわかれば,重力加速度の比が求まる。地球から月までの距離 $\ D \ $ を三角測量で求めたり,月の直径 $\ 2r \ $を逆三角測量で与えるためには,月の直径$\ 2r = 3470 {\ \rm km}$と,地球から月の距離 $D = 384400 {\ \rm km}$の比率の逆正接の値が必要となるが,その角度は 約 0.5度である。



図:月までの距離の三角測量(参考文献 [2]からの引用)




2024年11月12日火曜日

八犬伝


12月まで有効の映画券をもらったのだけれど,なかなか面白そうな映画がみあたらない。消去法で残ったのが,八犬伝だ。テレビでも宣伝していたのでちょっと観たいと思った。原作は山田風太郎の「八犬傳」であり,なんのことはない自宅の本棚に収まっていた。

原作の八犬傳は,南総里見八犬伝の著者の曲亭馬琴葛飾北斎の対話が中心となる実の世界と,八犬伝の物語のダイジェストに相当する虚の世界が14章にわたって交互に描かれている。実の世界は,物語の中心部分をなす鶴屋南北との問答を含めてほぼ映画で再現されている。一方,虚の世界はそもそももとの八犬伝が長編なので,映画の時間では全く収まらず,ごく少数のエピソードとSFXだけで最後まで突っ走っていった。

江戸時代に二日がかりで,歌舞伎の東海道四谷怪談が上演されていたという場面があり,これは,仮名手本忠臣蔵の中に,東海道四谷怪談が埋め込まれるという構成になっていた。四谷怪談が忠臣蔵の外伝だということは知っていたけれど,上演方法がこんなことになっているとはビックリだ。

高校時代の教科書に載っていた,芥川龍之介戯作三昧はまさにこの滝沢馬琴だった。最後に八犬伝の口述筆記を行った滝沢家の嫁の土岐村路のくだりも,馬琴の誇張だったという説があったけれど,どうなのだろうか。路女日記を読んだらわかるのかもしれない。



写真:映画「八犬伝」のポスターを引用


2024年11月11日月曜日

仮名手本忠臣蔵(第一部)


11月7日(木)吉田簑助が91歳で亡くなった日。そうとは知らないまま開場40周年記念11月文楽公演に行く。立冬の前日,急に寒くなったのだけれど晴れていれば大丈夫。国立文楽劇場の西側の入口で高校生の団体に遭遇する。聞いてみれば天王寺高校の2年生全員(360名)で,第1部(4時間!)を観るとのこと。文楽劇場の後半分と前半分のうち左1/3が高校生だった。皆さんおとなしく最後まで観劇していた。

今回2024年11月公演では忠臣蔵の大序から七段目までが2部にわけて上演される。来年2025年の1月公演で,8段目と9段目がかかり,ほぼ通し狂言となる。国立文楽劇場の前回の仮名手本忠臣蔵の通しは,2019年の春,夏,秋の3回に分割されたバージョンであり,2012年には1日通しの公演が行われた。いずれもすべてクリアしている。今回は,体力の関係で,第1部の大序から四段目までということで勘弁してもらう。

2012年/2019年/2024年の仮名手本忠臣蔵の通し狂言

大序
○○○鶴が岡兜改めの段(25分/24分/23分)
○○○恋歌の段(12分/13分/11分)

二段目
×○○桃井館力弥使者の段(_/23分/22分)
○○○本蔵松切の段(18分/18分/17分)

三段目
○○○下馬先進物の段(20分/20分/19分)
○○○腰元おかる文使いの段(14分/14分/14分)
○○○殿中刃傷の段(28分/28分/30分)
○○○裏門の段(16分/15分/14分)

四段目
○○○花籠の段(17分/17分/16分)
○○○塩谷判官切腹の段(53分/49分/46分)
○○○城明渡しの段(8分/7分/8分)

五段目
○○○山崎街道出合の段(15分/16分/15分)
○○○二つ玉の段(20分/17分/18分)

六段目
○○○身売りの段(27分/25分/26分)
○○○早野勘平腹切の段(47分/45分/41分)

七段目
○○○祇園一力茶屋の段(85分/93分/87分)

八段目
○○○道行旅路の嫁入(33分/34分/**分)

九段目
○○○雪転しの段(15分/14分/**分)
○○○山科閑居の段(96分/97分/**分)

十段目
×○×天河屋の段(_/68分/_)

十一段目・大詰
○××花水橋引揚の段(11分/_/_)
×○×花水橋引揚より光明寺焼香の段(_/23分/_)


写真:塩谷判官(国立文楽劇場第176回パンフレットから引用)

塩谷判官切腹の段(通さん場)は,前回2019年に観たときすごい緊張感があって良かったのだが,今回はそこまでではなかった。上演時間がこれまで3回の通しで,毎回減少している(53分→49分→46分)のがちょっと気になる。「遅(おそかり)し由良助」というセリフが出てくるのかと期待していたら,これは歌舞伎バージョンの浄瑠璃台本だけのようだ。

由良之助が到着した後「由良助。この九寸五分は汝へ形見。わが鬱憤を晴らさせよ。」として息絶えたところで,「御台を始め,並みゐる家中,目を閉ぢ息をつめ,歯を喰ひ縛り控ゆれば」とあるのだけれど,肝腎の顔世御前の人形は別室に隠れている。歌舞伎だと衣裳交換の時間稼ぎだとの説があるけれど,人形浄瑠璃ではどうなのよという疑問は残ったまま。

下馬先進物の段の豊竹亘太夫(大序鶴ケ岡兜改めの段も)と腰元お軽文使いの段の豊竹睦太夫(恋歌の段も)が今回の良かったでしょう。塩谷判官切腹の段の豊竹若太夫はちょっと声がでていなかったかなあ。

元禄十四年(1701年)の赤穂事件が,元禄十五年(1703)の吉良邸討ち入りに至る。この事件の47年後の寛延元年(1748年)に,二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳による人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」として上演され,それ以来「忠臣蔵」がこの事件の代名詞となった。

2024年11月10日日曜日

太陽光発電所

近所にある水上太陽光発電所の資本関係が変更されるということで,近隣住民向けの説明会の案内が届いた。暇なので,ちょっとどんなものか偵察に出かけてみた。

開始5分前に近所の住民会館に到着すると受付は一番乗り。20席ほどの一番前に座るように促された。説明側のテーブルには4名ほどならんでいる。開始時間になって参加者が5名ようやく集まったが,どうやら体裁を整えるために出席するよう市から依頼された近隣自治会役員といった風情である。

印刷されたPowerPoint資料(27p)に基づいて説明が始まった。マイクもプロジェクターもなし。事業計画概要,発電所概要,事業の影響と予防措置,変更事項(株主変更)がさらさらと読み上げられて15分で片づいてしまう。予定では1時間の説明会となっていたけど。最前列は自分だけだったので,穏やかな笑顔の座長からそっと質問を促された。「本題とは関係ないのですが,この規模の発電設備でどのくらい収入がありますか」と尋ねた。どうやら企業秘密だとのことでしばらくモゴモゴしていたけれど,結局3000万程度だという返事をいただいた。

さて,問題の水上太陽光発電所は,出力973kW,賃貸契約土地面積2万9千㎡,パネル3700枚,フロート10600式,産業廃棄物総計150t程度の規模である。そう言えば,現地の宣伝パネルに250世帯の1年分の電力をまかなえるとあったので,一世帯の年間電気代を12万円とすれば3000万円という推定ができる。まあそんなものだろう。株主総会ではないので財務諸表は出てこない。採算が取れているのものなのかどうかはよくわからない。

水上太陽光発電.comのため池でどれぐらい発電できるの?というページ等によれば,次のようなことがわかった。
・日本にあるため池の数は20万ヶ所,4481㎢である(1ヶ所平均2.2万㎡)。
・水上太陽光発電に使えるのは上記の10%,448㎢
・パネル出力は1㎡あたり0.08kWなので,1ヶ所1760kW,全国で38GW(計算では36GW?)。
・実際の太陽光発電所の出力合計は,70GW(Perplexity調べ)。ほんとかな。
・稼働可能な原子力発電所の出力合計は,全国33ヶ所33-36GW(ChatGPT調べ)。ほんとかな。

片道30分の散歩コース圏内には,ため池が20ほどあって,このうち太陽光発電所があるのが2ヶ所だ。この他に田んぼや空き地などに小規模な太陽光発電所が10ヶ所ほどあり,2つの水上太陽光発電所と同じくらいのパネル数になりそうである。したがって太陽光発電所の出力合計70GWの半分の36GWが水上太陽光発電所だというのは,妥当な推計のようにと思われる。



写真:ため池太陽光発電所の例(大和郡山市625kW,ため池ソーラ社から引用)


2024年11月9日土曜日

シンバル

NHKの探検ファクトリーはとても興味深い番組だ。バラエティー生活小百科の後番組で,定時の土曜日お昼時だけでなく再放送でもよくみかける。今日は大阪市平野区のシンバル工場だった。

小出製作所は,金属のヘラ絞り加工を専業とする10人ほどの小企業だが,従業員からの提案で,20年ほど前からシンバルの製造を行っている(シンバル部門は社長を含めて4名だけ)。日本でただ一つのシンバル製造メーカーで,小出シンバルのブランドで有名なのだった。

番組では,製造工程をていねいに紹介していた。気になったのは,同じ直径のシンバルでは,重いほうが音が高いというところだ。弦の固有振動の場合は,振動数は張力を線密度で割ったものの平方根に比例する。つまり重い弦の方が振動数は低くなるわけだ。円盤の振動では,そうなっていない。これは重いシンバルのほうが,その曲げ剛性が大きくなるからのようだ。たぶん。



写真:小出のクラシックシンバル(Amazonストアから引用,10万5千円)

2024年11月8日金曜日

火星19

弾道ミサイルの軌道(5)からの続き

ロイターが伝えた朝鮮中央通信のニュースによれば,10月31日に発射したのは大陸間弾道ミサイル「火星19」だとのこと。ICBMの最終完結形態で世界最強のミサイルをうたっている。知らんけど。飛行距離は1001.2km,飛行時間は5156秒,最高高度は7687.5km だ。

無意味なアラートを出すよりも,こういった基本的な情報がほしいところだ。しかし,防衛省が韓国軍や米軍からこれらの情報を入手してもことさらにマスコミに流す必要はないと考えているのだろう。日本政府にしてみれば,アラートを出すだけで危機意識の醸成という目的は達成される。

2年前の「火星17」については,同じロフテッド軌道で,飛行距離 999.2 km ,飛行時間 4135 秒,最高高度 6040.9 km だった。これに比べると,今回は飛行時間が1000秒伸びて,最高高度も1600kmほど高くなっている。

そこで,忘れかけていたMathematicaのコードを引っ張り出して再計算してみた。目の子でパラメータサーチをした。単純なモデルなので,そんなにピッタリ再現できるわけではないが,ほぼほぼ雰囲気は得られる。飛行時間を5156秒=86分あたりに固定すると,最高高度は170kmほど高くなって7850km(+2.1%)になってしまう。最高高度を7600km台にするためには,飛行時間を2分ほど減らして84分にする(-2.3%)必要がある。燃焼時加速度a,燃焼時間τ,燃料重量比pなどを変えても,飛行時間で制約がかかる範囲では,飛行高度を再現するには至らなかった。

これらのパラメタのままで,投射角度だけを45度にすれば(飛行時間Tは,地表に到達する点で調整する),大円到達距離は16500kmを越えてくる。

g = 0.0098; R = 6350; τ = 90.8; p = 0.75; a = 0.045; s = 86.7 Degree; T = 5160;
g = 0.0098; R = 6350; τ = 90.8; p = 0.75; a = 0.045; s = 45 Degree; T = 7050; 
(* g=0.0098; R=6350; τ=90.4; p=0.75; a=0.045;s=86.7Degree;T=5160-120; *)
(* g=0.0098; R=6350; τ=90.4; p=0.75; a=0.045;s=45 Degree;T=6850; *)

fr[t_, τ_] := a*Sin[s]*HeavisideTheta[τ - t]
ft[t_, τ_] := a*Cos[s]*r[t]*HeavisideTheta[τ - t]
fm[t_, τ_] := -p/(τ - p*t)*HeavisideTheta[τ - t]
sol = NDSolve[{r''[t] == -fm[t, τ]*r'[t] + h[t]^2/r[t]^3 - g R^2/r[t]^2 + fr[t, τ], 
r[0] == R, r'[0] == 0,  h'[t] == -fm[t, τ]*h[t] + ft[t, τ], h[0] == 0}, {r,  h}, {t, 0, T}]
f[t_] := r[t] /. sol[[1, 1]]
d[t_] := h[t] /. sol[[1, 2]]
Plot[{6350, f[t]}, {t, 0, T}]
Plot[{f[t + 1] - f[t], d[t]*R/f[t]^2, d[t]/f[t]}, {t, 0, T}, 
 PlotRange -> {-8, 8}]

{f[T/2] - 6350, tyx[T], v[T]/0.340}
→ {7851.42, {5160, -46.3658, 1007.58}, 24.5585}
g0 = ParametricPlot[{NIntegrate[R d[t]/f[t]^2 , {t, 0, tt}], f[tt] - R}, {tt, 0, T}]
→ {8231.43, {7050, 121.626, 16657.9}, 25.6423}
g9 = ParametricPlot[{NIntegrate[R d[t]/f[t]^2 , {t, 0, tt}], f[tt] - R}, {tt, 0, T}]



図:北朝鮮のミサイルの軌道(ロイター記事から引用)

2024年11月7日木曜日

世代効果

日経クロストレンドの「30年のデータで解析!生活者の変化潮流 第52回ポパイ・JJ世代が時代の節目?日本人の価値観変化をデータで検証」という記事が目に入った。自分にはあまり関係ない話かとチラチラみていると,どうやらポパイ・JJ世代のというのは私達の世代のことだった。

日経新聞の支払いを日経ID決済にしているので,1ヶ月のみの日経クロストレンド無料購読が可能になる。そこで全文を読んでみた。もっとも 3/4 くらいは無料部分で読めるのだが。

簡単に言うと,生活に関する長期時系列データに対して,ある集団に着目するコーホート分析をした結果,年齢効果,時代効果,世代効果を取り出すことができる。これから1952-1956年生まれの世代が価値観の境界にあるということがわかった,というものだ。

もう少し詳しく説明するために,ChatGPT-4oに全文ファイルを読み込ませて内容を要約させよう。
Q(koshix):
(第52回及び関連する第50回の2ファイルをアップロードした上で)
これらの内容をまとめて教えてください。

A(ChatGPT-4o):
以下に2つのレポート内容をまとめます。

1.「ポパイ・JJ世代が時代の節目? 日本人の価値観変化をデータで検証」
概要:このレポートは、日本人の価値観がどのように変遷してきたかを「生活定点」データを基にしたコウホート分析によって考察しています。博報堂生活総合研究所が1992年から定点観測を行ってきた長期時系列データを活用し、「年齢効果」「時代効果」「世代効果」の3つの要因を分離して、特定の世代が持つ特徴や時代の影響を解析しています。
主な発見
1952年から56年生まれの世代に、価値観の変わり目が見られるとされており、日本社会において「世代的な節目」を形成していると考えられます。
コウホート分析の結果により、消費や価値観の変化が進み、特に「消齢化」(年齢によるライフスタイルの固定化の希薄化)が進行していると指摘されています​(第52回)。

2.「人前でのキスに抵抗はない」は6% 調査で見えた若者の実像
概要:若者の価値観や行動が実際にどれほど変わったのか、30年間の「生活定点」データに基づき、コウホート分析を通じて若者の特徴が世代固有か、時代的な影響かを検証しています。
主な発見
若者に見られる行動や価値観のうち、約4割が「年齢効果」(年齢に基づく変化)で、世代固有のものは3割程度であると示唆されています。
特に「音楽や美容に対する関心」などは若者特有の特徴である一方、「人前でのキスに対する抵抗感」など、恋愛観に関しては世代を超えて一貫している要素もあるとされています​(第50回)。

これらのレポートから、長期間にわたるデータを基に日本人の価値観の変遷が年齢や時代、世代ごとにどのように影響されるかが詳細に分析されており、特定の世代における消費傾向や価値観の変化が明らかにされています。


Q(koshix):
1952年から56年生まれの世代に、価値観の変わり目=日本社会における「世代的な節目」だということですが,その前後でどんな価値観が変化しているのか複数の例をあげて説明してください。

A(ChatGPT-4o):
1952年から56年生まれの世代が日本社会における「価値観の節目」を形成している理由について、いくつかの具体例を挙げて説明します。この世代は「ポパイ・JJ世代」とも呼ばれ、従来の価値観から新たな価値観へとシフトする過程で、以下のような変化が見られました。

個人主義の台頭
戦前や戦中生まれの世代が保守的・伝統的な価値観を持っていたのに対し、1952年から56年生まれの世代では「個人の自由」が重要視されるようになりました。この世代は、家庭や組織への従属よりも、個人の自己実現を追求する傾向が強まり、特に家庭や職場での上下関係の在り方に対する意識が変わり始めました​。

食生活の変化
伝統的な魚料理が好まれていた世代から、次第に肉料理が一般化され、特に1970年代以降は肉が日常的な食材となっていきました。この変化は、価値観が個人の嗜好に寄り添う傾向へと移行したことを示しており、戦後の欧米文化の影響も加わった結果と考えられます​。

仕事と生活のバランス
1952年から56年生まれの世代以降、仕事中心の生き方から、家庭やプライベートを重視する価値観へのシフトが見られるようになりました。具体的には「予定があれば残業しない」「仕事よりも家庭が大事」といった意識が若い世代ほど顕著になり、組織よりも個人生活を重視する傾向が進んでいます​。

社会貢献意識の揺れ
「社会のために役立つことをしたい」という意識は、この世代で一旦上昇した後、後続世代では減少しつつも再び波打つような傾向を示しています。これは、個人の幸福追求と社会への貢献の間で揺れ動く日本人の価値観の変化を表しています​。

このように、1952年から56年生まれの世代は、個人の自由と多様な価値観が受け入れられる社会への移行期として重要な役割を果たし、従来の伝統的な価値観を一部保ちながらも、大きく社会が変容していく時代の礎となりました


図:各世代での世代効果の標準偏差(博報堂生活総研・日経XTRENDから引用)
(世代効果の谷間の部分(1952-1956年生まれ)が価値観の境界をなしている)

P. S. 言い換えるとはっきりした世代特徴を持っていない(持てなかった)世代なのか。

2024年11月6日水曜日

鍵屋資料館

11/2,3,4の三連休,NHKにブラタモリが帰ってきた。東海道五十七次の旅というタイトルで,京都から大阪までの旧街道筋をたどるものだ。東海道五十三次は江戸の日本橋から京都の三条大橋までの53宿であり,53番目が大津宿。大津から京都へ向かう山科追分(髭茶屋追分)で,大津街道が分岐して五十七次の54番の伏見宿に至る。大坂−伏見間は京街道であり,55番の淀宿,56番の枚方宿,57番の守口宿と淀川の南東岸の文禄堤を大坂の高麗橋へと街道が続いた。これが,今回の番組の舞台だった。

11月4日の放映前に,予習のため枚方宿に向かった。枚方市駅あたりから,南西の枚方公園駅まで,旧東海道をたらたらと歩く。途中で昼食のため万年寺山をまわったが,残念ながら目的の渋いお店は小学生未満お断りで,他のしゃれたお店も皆お休み。結局,ひらかたパーク最寄り駅前にある昔ながらの一力食堂で一息ついた。

その後再び旧東海道に戻って,市立枚方宿鍵屋資料館を訪ねる。下足箱に靴がびっしりとつまっていたが,人の気配はない。受付にいくと,今日は2階で琵琶の会が催されているので上がれないとのこと。1階の資料館の部分だけを見る。淀川下りの三十石船にごんぼ汁を売りに来るくわらんか舟のやりとりの3Dディスプレイや実物大モデルがおもしろい。

中山道(六十九次)は,草津追分で東海道(五十三次)に合流するが,69番大津宿,68番草津宿の1つ手前が67番守山宿になる。うちの子供たちはこれまで旧街道沿いの,守山宿,伏見宿,枚方宿,守口宿あたりに住んだり,関係したりするのだった。なお,我々は東海道や中山道より1000年ほど昔からある大和の古道(下ツ道・中ツ道)の間に住んでいる。



写真:東海道五十七次枚方宿(撮影:2024.11.4)


2024年11月5日火曜日

リュカ数列

フィボナッチ数列と1/89からの続き

ときどきネット上のフリーの教科書で掘り出し物があって楽しい。昨日散歩していた犬棒は,Sheldon Axler の Linear Algebra Done Right という線形代数のpdf教科書に当たった。Springerからも紙版が出版されている。その pdf ファイルの,クリエイティブコモンズ  表示-非営利 4.0 国際ライセンスのトップページには,次の式がでかでかと護符のように貼り付けられていた。
$\displaystyle F_n = \dfrac{1}{\sqrt{5}} \Bigl\{ \Bigl( \dfrac{1+\sqrt{5}}{2} \Bigr)^n - \Bigl( \dfrac{1-\sqrt{5}}{2} \Bigr)^n \Bigr\}$

この式がフィボナッチ数列を表しているというのを知ったのは,ずいぶん遅くて大学4年生のころだ。自宅で塾を開いて,中学生や高校生に数学を教えていたきのこと。大学進学のためのマイナーで難しそうな問題集を解かせていた北野高校の生徒が,フィボナッチ数列の問題を上記の式を使って一発で解いてきた。田舎の高校生時代に,近所に住んでいた数学乙の西野先生にしこまれた数列の漸化式の標準解法しか知らなかった物理学科の学生は見たこともない式にどぎまぎしてしまったのだった。確かに答えはあっていた。

その思い出の式を眺めていたら,$\sqrt{5}$の中を変えたらどうなるのかが初めて気になってきた。早速試してみよう。ということで,Mathematicaで答えを当たってみると,ルートの中身が4の倍数+1の場合に整数の数列が得られることがわかった。

そこで,軟弱なGさんは,久々にOpenAI o1-previewを取り出してその理由を聞いてみた。
Q(koshix):
数列 a_n = f[n_, m_] :=  1/Sqrt[m] (((1 + Sqrt[m])/2)^n - ((1 - Sqrt[m])/2)^n) // Expand がすべて整数の項からなる数列になるのは,n がどのような値をとる場合かを説明してください。

A(o1-preview):
(日本語による不十分で誤った説明→略)
Answer: Because all terms a_n  are integers if and only if n is the square of an odd integer—that is, when m =k^2 with odd k.

Q(koshix):
あなたのおっしゃる条件からはずれる場合,例えばn=5を確かめてみてください。この場合も全て整数の項からなる数列になりますよね。

A(o1-preview):
(日本語によるやや不十分でも正しい結果→略)
Answer: Because all terms a_n are integers if and only if n leaves a remainder of 1 when divided by 4 —that is, when m≡1 mod 4.

すっきりしないので,しぶしぶ人間の脳で考えることにしてみた。
$\alpha_m = \dfrac{1+\sqrt{m}}{2}, \ \beta_m = \dfrac{1-\sqrt{m}}{2}$と置いて,$\displaystyle F(m)_{n}=\dfrac{1}{\sqrt{m}}\Bigl( {\alpha_m}^n - {\beta_m}^n \Bigr)$である。
そこで,$F(m)_{0} = 0, \quad F(m)_{1} = \dfrac{1}{\sqrt{m}}\Bigl( {\alpha_m} - {\beta_m} \Bigr) = 1$
さて,${\alpha_m}^n - {\beta_m}^n = (\alpha_m + \beta_m) \Bigl( {\alpha_m}^{n-1} - {\beta_m}^{n-1} \Bigr)  - \alpha_m \cdot \beta_m \Bigl({\alpha_m}^{n-2} - {\beta_m}^{n-2} \Bigr)$ 
いいかえれば,$F(m)_n = F(m)_{n-1} - \dfrac{1-m}{4} F(m)_{n-2} $
したがって,$m=4k+1$であれば,$F(m)_n = F(m)_{n-1} + k F(m)_{n-2} $が成り立つので,初期値からすべての$F(m)_n$は整数となる。

これはどうやら,リュカ数列という,整係数の2次方程式の2つの解から定義される漸化式による二階線形回帰数列の一種だということだ。フィボナッチ数リュカ数ペル数フェルマー数メルセンヌ数など数論に現れる重要な数列がこれに属するとWikipediaには書いてあった。

2024年11月4日月曜日

再現性

清水亮(1976-)による「人格のコンピュータ再構成」というnoteの記事がおもしろかった。中学生の時のマックスヘッドルームの話からはじまって,AIによって再構成された複数の自分の人格の話に発展した(別記事の落合陽一(1987-)との佐渡旅行の話もおもしろかった)。

そういえば,高校の数学で大数の法則中心極限定理を学んだ後に,米島君と話題になったのは次のようなことだ。「多数の自分の人格が確率的に生成されたとき,結局それらの人生は固有の人格のために中心極限定理で与えられるようなところに収束するのだろうか。」それは単なる思考実験だったけれど,いまや,それが実現するところにまで来ているのかもしれない。

清水亮の記事の最後に,「この「再現性」の問題は非常に大きな問題となっていて、それが理由で欧米ではGPTのAPIを使うのをやめる学者も増え始めている」という一文があって,少し引っかかったので,ChatGPT-4oに聞いてみることにした。その結果を以下に報告する。対話相手として申し分ないのかもしれない。

Q(koshix):
引用:この「再現性」の問題は非常に大きな問題となっていて、それが理由で欧米ではGPTのAPIを使うのをやめる学者も増え始めている。
という文章がありますが,この意味を教えてください。

A(ChatGPT):
この文章にある「再現性の問題」は、特に研究や学術的な活動において非常に重要な概念です。再現性とは、同じ条件下で実験や研究を繰り返すと、同じ結果が得られることを指します。再現性が担保されていない場合、研究結果の信頼性や正当性が疑わしくなります。

GPTのAPIを使う学者が減り始めているという文脈では、次のような背景が考えられます。

1.出力の一貫性が低い
GPTのような大規模な生成AIモデルは、入力が同じでも必ずしも同じ出力を生成するとは限りません。特に、生成されたテキストは確率的に決定されるため、同じプロンプトに対して異なる結果が得られることがあります。この特性は、再現性が求められる研究の場では問題となり、学者が同じ実験を再現できないことに繋がる可能性があります。
2.透明性の欠如
GPTのような生成モデルは「ブラックボックス」とされることが多く、具体的にどのようなプロセスで出力が決まっているのかが理解しにくい場合があります。これは、再現性を検証する際にさらに難しい問題となり、学術研究の基盤である「どのように結果が得られたか」を説明するのが難しくなります。
3.モデルの進化と変更
APIで提供されるモデルが定期的に更新される場合、過去のバージョンと同じ挙動を保証できなくなります。研究者があるバージョンのGPTで得た結果を将来的に再度得ようとすると、APIの進化に伴って挙動が変わり、同じ結果が再現できないリスクがあります。

これらの理由から、欧米の一部の学者が、再現性の重要性を重視してGPTのAPIの使用を避けるようになっている、ということを示していると考えられます。特に科学的な研究や論文で使用する場合、再現性が確保されていないと、その研究結果に信頼性を持たせるのが難しくなるためです。


Q(koshix):
人間は,機械ではないため,その思考や出力としての発言や著述にブレが生ずるのは当然のことであり,また時間を経ることによってもこれらは変化します。なぜ,人間のアウトプットにおける再現性の重要性にそこまでこだわるのかが,少し理解できません。

A(ChatGPT):
人間のアウトプットは確かに変動しやすく、時間や状況によって異なるのは自然なことです。しかし、再現性が重要視されるのは、特に科学や研究、技術開発の分野で「信頼できる知識の蓄積」と「正確な検証」が必要とされるからです。この観点から、なぜ再現性にこだわるのか、以下のような理由が挙げられます。

1.信頼性の確保
科学や学術研究では、ある実験や分析結果が「再現」できることが、その結果が正しいと信じられるための基本的な条件です。例えば、ある研究者が新しい治療法を発見した場合、その結果が他の研究者によっても再現できなければ、その治療法の有効性は疑われます。再現性があることで、研究が単なる偶然や一時的な誤差ではなく、一般的に通用する真実に基づいていると確認できます。

人間のアウトプットが時間や状況で変わることが許容される領域、例えば芸術や文学では、その「変化」こそが価値や深みを生みます。しかし、科学や技術では、何が原因で変わるのかをはっきりさせ、同じ条件下で同じ結果が出せることが極めて重要です。機械やプログラムは、まさにこのような「ブレ」をなくすために開発されています。

2.誤差やバイアスの排除
人間の思考には、しばしば無意識の偏見や感情的な要因が入り込むことがあります。このため、同じ状況においても異なる結論や発言が生まれます。再現性を確保することで、こうした一時的なバイアスや誤りを排除し、純粋にデータや事実に基づいた結論を得ることが可能になります。

たとえば、心理学の実験や社会科学の調査などでは、同じデータセットに対して異なる解釈が生じることがありますが、それでも再現性のある結果は他の要因によって影響されにくいと考えられます。これにより、学問的な議論や検証が可能になり、結論に対する信頼性が高まります。

3.新しい発見の検証と信頼性
再現性が確保されていないと、新しい発見や理論が検証されないまま広まる危険性があります。もし結果が再現できないのであれば、それは偶然や誤った方法論に基づく可能性があり、信頼できるものではありません。再現性を重視することで、確かな基礎の上に新たな理論や発見を積み重ねることができるのです。

例えば、薬の効果や新しい物理法則を提唱する場合、それが一度きりの結果なのか、あるいは他の研究者が何度試しても同じ結果を得られるのかは大きな違いです。再現性があることで、その発見が科学的に有効であることが裏付けられ、実用化に進む道が開けます。

4.技術やシステムの安定性
生成AIなどのシステムにおける再現性の重要性は、技術の安定性や信頼性を高めるためです。たとえば、自動運転車のシステムや医療用AIが、同じ状況で異なる判断をしてしまうと大きな問題につながります。このため、システムの動作が一貫して再現性を持つことが求められます。人間とは異なり、こうした技術においては、予測可能で一貫した結果が必須となります。

最後に
確かに、日常生活や芸術、創造的な活動においては人間のアウトプットの変動や変化は自然であり、しばしば価値があるものです。しかし、科学的検証や技術開発の場では、再現性がないと、偶然や誤りに基づいた結論を広めてしまうリスクがあります。これが、人間の思考と機械のアウトプットにおける再現性の違いに対するこだわりの理由だと考えられます。


Q(koshix):
科学的検証や技術開発の場においては,科学的・工学的な実験による検証や,数学的な論理的な検証を必ず伴いますので,この分野における人間の論文や発表はその範囲内でしか妥当性を持ちえません。したがって,揺らぎや変化はこの範囲を逸脱することはできません。それは当然のことです。したがって,生成AIを利用したとしても,このような現実のデータや現象や論理や数学による制約の範囲に留まるはずです。それにもかかわらず,危機感を抱く根拠がいまひとつわからないのです。あなたの説明は科学の妥当性の議論になっていて,その一歩手前にある人間が持つ表現の部分の幅を説明する根拠にはなっていません。

A(ChatGPT):
あなたの指摘は非常に鋭いと思います。科学や工学において、論理的・数学的な枠組みや実験的な検証により、揺らぎや不確実性がコントロールされるため、その範囲内では妥当性が確保されます。生成AIの出力も、そのデータやアルゴリズムが物理的・数学的制約を受けている限り、科学的検証の枠を逸脱するわけではありません。そのため、生成AIを使用した場合でも、同じ制約の中で妥当性が保たれるべきだという考えはもっともです。

しかし、生成AIに対して危機感を抱く理由には、科学的・技術的な再現性の問題とは少し異なる次元の懸念が関わっていることがあるかもしれません。それをいくつかの観点から整理してみましょう。

1.確率的生成による予測不可能性
生成AI、特にGPTのようなモデルは、基本的に確率的な手法でテキストを生成します。これは、同じ入力に対しても、異なる結果が生じうるという特性を持っているため、再現性が完全には保証されないことがあります。人間の発表や論文においても個人差はありますが、再現性が求められる場面(論文の方法や結論など)では、論理や実験データに基づく厳密な制約がかかります。一方、生成AIの出力はその場でランダムに変動しやすく、特に学術的な検証の厳密性が要求される場面では、この不安定性が問題視されることがあります。

2.ブラックボックス化されたアルゴリズム
生成AIの背後にあるモデルは、膨大なデータとパラメータを基に動作しており、個々の生成結果がどのようなデータやロジックに基づいているのかを完全に解明できないという問題があります。人間の論文や発表は、背後に論理的・実験的なプロセスが明示され、その検証方法もクリアに説明されます。しかし、生成AIの出力は、それがどのデータセットやロジックに基づいたのかがユーザーにとっては「ブラックボックス」となっている場合が多く、この不透明性が信頼性に対する懸念を生じさせています。

3.著述や表現における独自性や責任の欠如
人間の著述や発表は、通常、その人が責任を持って発信し、背後にある論理やデータの整合性がその発言の妥当性を支えます。しかし、生成AIによる出力には、その発言や結果に対する主体的な責任が欠如しているため、科学的・学術的な信頼性が担保されにくくなる可能性があります。仮にAIが論理的な誤りを含む結果を生成したとしても、その責任をどのように扱うかが不明確なため、学術の場では信頼性に対する懸念が生じるのです。

4.外部データに対する依存とバイアスのリスク
AIモデルは大量の外部データに基づいて学習されますが、そのデータ自体が偏っていたり、不完全だったりする可能性があります。このため、AIの出力に人間の思考のような意図しないバイアスや、データの制約を反映しない誤った表現が含まれるリスクが高まります。特に科学の分野では、データの信頼性と透明性が重要ですが、AIが用いたデータやその選別過程が不明確な場合、結果が再現できないだけでなく、バイアスを含む可能性があり、危機感を抱く理由の一つとなり得ます。

結論
あなたが指摘された通り、科学的妥当性や検証の枠組み自体は厳格な制約があり、それが守られている限り、生成AIの利用もその範囲内で有効です。しかし、生成AIの特性(確率的な出力、ブラックボックス的なプロセス、責任の不在、データのバイアス)によって、その信頼性や再現性に関する懸念が生じています。このため、特に再現性が求められる分野では、AIの出力に依存しすぎることに対して懸念があるのです。

この懸念は、学術的な信頼性や透明性を損なう可能性に対する防衛的な姿勢ともいえるでしょう。


図:「再現性」というタイトルの絵(Imagen3による)