フリッシュ=パイエルスの覚書の続き
1940年2月に書かれた,フリッシュ=パイエルスの覚書は,上司であるバーミンガム大学のマーク・オリファント(1901-2000)に渡された。フリッシュより4歳,パイエルスより7歳上だ。ことの重大さが理解され,3月には,イギリス防空科学調査委員会議長の化学者,ヘンリー・ティザード(1885-1959)宛てに送付された。
これにより,ディザードが4月に設置した委員会は,G. P. トムソンを議長として,ジョン・コッククロフト,ジェームズ・チャドウィック,フィリップ・ムーン,オリンファントが加わった。6月にはMAUD委員会と称されるようになる。ただし,ドイツからの亡命者であった,フリッシュとパイエルスは加えられていない。なお,MAUDの由来は次のようなものだ。
1940年4月9日,ドイツがデンマークに侵攻した日,ニールス・ボーアはフリッシュに電報を打っていた。その電報は「コッククロフトとモード・レイ・ケントに伝える」という奇妙な行で終わっていた。当初、これはラジウムまたは他の重要な原子兵器関連の情報をアナグラムで隠した暗号だと考えられていた。一つの提案は、「y」を「i」に置き換えて「radium taken」を生成することだった。1943年にボーアがイギリスに帰国した時。このメッセージがジョン・コッククロフトとボーアの家政婦でケント州出身のモード・レイに宛てたものであることが判明した。こうして、委員会は「MAUD委員会」と名付けられた。(Wikipedia MAUD Committeeより)。
MAUD委員会は7月には報告書をまとめている。その第一部を訳出してみた。
MAUD委員会報告書「ウランの爆弾への利用について」現在の知見の概要
1.一般的な記述
ウランの原子エネルギーを軍事目的で利用する可能性を調査する作業は1939年以来行われており,現在では進捗状況を報告することが望ましいと思われる段階に達している。
この報告書の冒頭で強調したいのは,私たちがこのプロジェクトに参加したのは,調査しなければならない問題であると感じながらも,信じるよりは懐疑的であったということである。プロジェクトを進めるにつれ,大規模な原子エネルギーの放出は可能であり,それを非常に強力な戦争兵器にする条件を設定することができると,ますます確信するようになった。
我々は,有効なウラニウム爆弾を作ることが可能であるという結論に達した。この爆弾は,約10kgのウランを含み,1800トンのT.N.T.爆弾に匹敵する破壊力を持ち,さらに大量の放射性物質を放出する。このため,爆弾が爆発した場所の近くでは長期間にわたって人命が危険にさらされる。
爆弾は,通常のウランに140分の1程度含まれる活性成分(以下,「235U」と略記する)作られる。235Uと他のウランとの特性(爆発性以外)の差が非常に小さいため,その抽出は非常に困難である。1日当たり1kg(または1ヵ月当たり3個の爆弾)の生産工場は,約500万ポンドかかると推定され,そのうちのかなりの割合はエンジニアリングに費やされ,タービン製造に必要なのと同じ高度な技術を要する労働力を必要とするだろう。
このような多額の支出にもかかわらず,物質的にも精神的にも破壊的効果が非常に大きいため,この種の爆弾の製造にはあらゆる努力が払われるべきであると我々は考えている。所要時間については,帝国化学工業がメトロポリタン・ビッカースのガイ博士と協議した結果,最初の爆弾の材料は1943年末までに準備できると推定している。これはもちろん,まったく予期しない性格の大きな困難が生じないことを前提としている。
ウリッジのファーガソン博士は,核物質の接合に必要な高速度を出す方法(第3項参照)を完成させるのに必要な時間は1〜2ヵ月と見積もっている。この点については,材料の生産と同時に行うことができるので,これ以上の遅れは予想されない。たとえ爆弾が完成する前に戦争が終結したとしても,その努力は無駄にはならない。ただし,完全な軍縮が行われる可能性は低く,これほど決定的な可能性を持つ兵器なしでいる危険を冒す国はないだろうから。
ドイツが重水と呼ばれる物質の確保に多大な苦労をしたことは知っている。初期の段階では,この物質が我々の仕事にとって非常に重要な意味を持つのではないかと考えていた。実際,これが原子エネルギーの放出に役立つのは,直ちに戦争に利用できそうにない過程に限られるようだが,ドイツ人はもうこのことに気づいているかもしれない。また,私たちが現在取り組んでいる研究は,有能な物理学者なら誰でも思いつきそうなものであることを述べておく。
これまでのウランの最大の供給地はカナダとベルギー領コンゴで,それに付随するラジウムのために活発に探されてきたので,未踏の地域以外にかなりの量のウランが存在するということはないと思われる。
2.原理
この種の爆弾は,原子に内在する膨大なエネルギー貯蔵量と,活性成分であるウランの特殊な性質によって可能である。この爆発は,通常の化学爆発とはメカニズムが大きく異なり,235Uの量がある臨界量より多い場合にのみ発生する。臨界量以下の場合には非常に安定している。したがって,このような場合は完全に安全であり,我々はこの点を特に強調したい。
一方,臨界量を超えると不安定になり,非常に速い速度で反応が進行し,増殖し,未曾有の大爆発を起こす。従って,爆弾を爆発させるのに必要なのは,臨界値より小さいが,接触すると臨界値を超える質量を持つ活性物質(235Uの塊)を2個集めることである。
3.接合の方法
この種の爆発で最大の効率を得るためには,2つの半球を高速で結合させる必要があり,二重銃の形で通常の爆薬を同時に発射することによってこれを行うことが提案されている。
この銃の重量は,もちろん爆弾自体の重量を大幅に上回るが,1トン以上にはならないはずであり,現代の爆撃機の搭載能力の範囲内であることは間違いない。銃を含めた爆弾はパラシュートで投下し,これが地面に設置したときに雷管によって銃が発射されると考えられる。投下時間は,飛行機が危険地帯から脱出するのに十分な長さにすることができ,これはとても大きいので,非常に正確な狙いは必要ない。
4.予想される効果
1,800トンのT.N.T.爆弾が爆発するとどのような被害が出るかについては,1917年に米国ハリファックスで起きた大爆発が最もよく知られている。次の記述は「火薬の歴史」からのものである。「この船には200トンの雷管,55トンの軍用綿,2,100トンのピクリン酸が含まれており,合計2,355トンであった。爆発範囲は四方に及び,この範囲ではほぼ完全に破壊されていた。構造物の被害は大きく半径1.8kmから2.0kmに及び,ある方向では発生源から2.8kmまで及んだ。爆破片は5〜6km飛び,16kmさきの窓ガラスが割れ,一例では98kmまで破損した」。
この記述を検討する際には,爆発物の一部は水面下,一部は水面上に位置していたことを忘れてはならない。
5.資材の準備と費用
我々は,通常のウランから235Uを抽出する方法について詳細に検討し,多くの実験を行った。我々が推奨する方式は,この報告書の第Ⅱ部に記載されており,より詳細には付録Ⅳに記載されている。この方法は基本的に,非常に細かいメッシュのガーゼを通してウランの化合物を気体拡散させるものである。
この報告書に添付した規模とコストの見積もりでは,現在存在するガーゼの種類だけを想定している。比較的小さな開発で,より小さなメッシュのガーゼを作ることができ,同じ生産高であれば,より小型で安価な分離プラントを建設できる可能性がある。
この爆薬の1kg当たりのコストは非常に大きいが,放出されるエネルギーと与えられるダメージの点から考えると,普通の爆薬といい勝負になる。実際には,かなり安いのだが,我々が圧倒的に重要だと考える点は,この物質がもたらす集中的な破壊,大きな道徳的効果,そしてこの物質の使用によって,通常の爆薬による爆撃と比較して,航空労力の節約になることである。
6.議論
この方式の際立った難点の一つは,主要な原理を小規模で試すことができないことである。最小臨界サイズの爆弾を作るだけでも,多大な時間と経費がかかる。しかし,我々はこの原理が正しいことを確信しており,臨界サイズについてはまだ不明な点があるが,我々ができる最善の推定が一般的な結論を無効にするほど間違っている可能性はほとんどない。我々は,現在の証拠が,この計画を強く推し進めるのに十分であると感じている。
235Uの製造に関しては,実験室規模でほぼ可能な限り行ってきた。この方法の原理は確かなものであり,その応用は化学工学の一分野としてそれほど難しいとは思われない。しかし,より大規模な研究が必要であることは明らかであり,必要な科学者を見つけることが難しくなりつつある。
さらに,この兵器が今から2年後に利用可能になるとすれば,工場の建設計画を開始する必要があるが,20段のモデルがテストされるまでは,本当に大きな支出は必要ないだろう。また,最終的には製造の監督者となる人材の育成に着手することも重要である。235Uの濃度を測定する装置など,開発すべき補助的な装置も数多くある。さらに,私たちが使おうとしているガス状の化合物である六フッ化ウランを大量に製造するための化学的側面を,かなり大規模に開発する必要がある。
以上のことから,この戦争で有効な兵器として期待するのであれば,この作業をさらに大規模に継続するかどうか,決断することが重要な段階に来ていることがわかるだろう。今,大幅に遅れるようなことがあれば,この兵器が実用化される時期が相当程度遅れることになる。
7.米国での活動
アメリカはウラン問題に取り組んでいるが,その努力の大部分は,爆弾の製造よりも,動力源としてのウランに関する我々の報告書で述べたようなエネルギーの生産に向けられていると,我々は聞いている。実際,私たちは米国と情報交換をする程度の協力はしており,米国は私たちのために1つか2つの実験的作業を引き受けた。私たちは,235Uを分離する工場をどこに設置するかが最終的に決定されるにせよ,大西洋の両側で開発作業を進めることが重要であり,望ましいと考えている。この目的のために,委員会の一部のメンバーが米国を訪問することが望ましいと思われる。そのような訪問は,この問題を扱っている米国の委員会のメンバーから歓迎されると聞いている。
8. 結論と勧告
(i) 委員会は,ウラン爆弾の計画は実行可能であり,戦争において決定的な結果をもたらす可能性があると考える。
(ii) 委員会は,この作業を最優先し,可能な限り最短時間で兵器を得るために必要な規模を拡大して継続することを勧告する。
(iii) アメリカとの現在の協力関係を継続し,特に実験的研究の分野でそれを拡大すべきである。
[1]
The MAUD Report 1941[2] 放射能・放射線の発見から原爆開発の始まりまで(今中哲二)