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2020年3月11日水曜日

ワン・モア・ヌーク:藤井太洋(2)

3月14日のエピローグも含めて,3月10日で丁度ワン・モア・ヌークを読了した。たいへん知的でスリリングで映画にしたらおもしろいなあと思いながらスイスイと読み進むことができた。テーマとしては9年目を迎える東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故にピタリと照準をあわせてきた。原子爆弾に関するディテールとこれにイスラム国のテロがうまく調和した内容になっている。もちろん本当の専門家から見ればなんだこれはということになるのだろうけれど,我々素人からすれば十分にリアルに感じられる。

残念ながら著者の福島原発被害者の不安に寄り添おうとする視点には共感できなかった。これはほとんど例のアンチニセ科学グループの思想と同じだったから。具体的には65ページの「テレビ,新聞,雑誌やインターネットを通して死の恐怖を感じさせる言葉をひっきりなしに浴びせられた中で・・・」から67ページの「実はこの程度の被爆でがんの発症例が増えたという疫学的な証拠はない」あたりまで。著者の説明はほとんど間違ってはいないかもしれないが,同時に警鐘をならす人々をすべて飲み込んでしまう効果をもたらしている。そして今も処理水という名のトリチウム+未処理放射性物質の海洋投棄や小児甲状腺がんの診断をめぐってその闘いは続いている。キクマコよりおしどりマコが,早野龍五より牧野淳一郎が信頼できる。

ワン・モア・ヌークはおもしろかったのでこれは評価したい。ただ,こころに残るかというとどうだろうか。この程度の科学的な精度を持ちながらより深い思索をもたらすものを読んでみたい。安部公房は残念ながらもういない。

2019年8月18日日曜日

ひろしま

NHKが深夜に映画「ひろしま」を放送していた。日教組が関川秀雄の監督で製作し,1953年8月に完成しているので,誕生してからちょうど自分の年齢と同じだけの時を経ている。はっきりしたストーリーはなく,岡田英次と広島出身の月丘夢路が主人公かと思っていたら,そうでもなかった。様々なエピソードの積み重ねで原爆投下前後の悲惨な状況をリアルに描写しているが,現実の重みがそれらのエピソードを支えている。また,原爆投下後8年目に,地元広島市民の協力の下に製作されており,監督の視点ではなく市民や被爆者の呻きのような空気も感じられる。

広島大学の教育学者である長田新が原爆を体験した子どもたちの作文を編集した文集「原爆の子」がもととなっている。当初は,日教組が新藤兼人を監督として製作を進めるはずだったが,両者は意見があわなかった。新藤兼人は「ひろしま」とは別に「原爆の子」という映画を乙羽信子主演で製作し,1952年8月6日に公開した。こちらのほうは見たことがない

1953年9月には,国際物理学会が日本(東京・京都)で開催されている。海外からはノーベル賞学者17名を含む55名が参加しているが,そのうち8名がこの映画を見ているらしい。いつ誰が観たのかについての情報はみつからなかった。映画には仁科芳雄博士が原子爆弾であることを確認した話と,原爆であることを秘匿しようとする軍部とのやりとりが出てくる。

2019年8月6日火曜日

原爆のイメージ

小学校5年か6年のころに,教室にアサヒグラフ(だったのか?)の原爆写真がやってきたことがあった。先生が持ってきたのか,教室の誰かが持ってきたのかははっきり憶えていないが,一面に焼けただれた市街地の白黒のあらいホワイトノイズのようなイメージがぼんやりした恐怖とともに鮮明に印象づけられた。このとき被爆者の写真があったのかはよくわからない。

中学生になったころか,近所の会館で原爆資料映像の公開があって見に行った。たしか,社会党の市会議員か県会議員の方がお世話していたものだったと思う。その後,NHKでも同様の映像がはじめてテレビで放映されることになり,家族でみいった記憶がある。

広島平和記念資料館をはじめて訪れたのは,大学2年の夏休みのちょうど原爆記念日を前後するころだった。友達と巡った山陽・山陰・北陸の旅の途中に広島に立ち寄った。資料館の展示物の印象は強烈で声も出なかった。平和記念公園では中核派などのデモがあり,我々はそれを横目で見ながら,夕方の灯籠流しまで広島にとどまり,それから夜行で島根・鳥取に向った。

[1]原爆映像の経緯(日映映像)



2019年5月7日火曜日

宮崎・早野論文

3ヶ月ほど前に,東電原発事故の事実を伝えるサイト Level7 に掲載されたファクトチェック「今一度「宮崎・早野論文」の誤りを正す」(藍原寛子)。

黒川の論文内容についての指摘=質問(論文データの内部不整合性について)に対する,宮崎,早野からの回答はまだないようだ。

ファクトチェックにある昨年の記事「復興庁の「放射線のホント」を検証する①」(吉田千亜)の「加害−被害」の問題構造(福島大学 後藤忍)における焦点もわかりやすい。あ,福島大学の副読本のひとだった。

2019年4月30日火曜日

ARDとZDF

ドイツの全国的な公共放送として,ARD(ドイツ公共放送連盟=第1ドイツテレビ 1950.6-
ZDF(第2ドイツテレビ 1963.4-)がある。受信料制度で徴収されたもののうち前者に6割,後者に4割が配分されている。9つの地域放送局から成るARDは,23,000人の正社員を雇用し,9機関の総予算は年間約63億ユーロである。マインツを本拠地とするZDFは,3,600人の正社員を雇用し,売上高は年間約20億ユーロである。

ZDFが2012年に製作した,「フクシマのうそ(Die-Fukushima Lüge)」という30分弱の番組をYou Tubeで見ることができる(字幕版や日本語訳版もある)。2011年3月の東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所事故について,関係者のインタビューや調査によって構成したものである。当時の状況から,福島第1原発第4号機の燃料貯蔵プールに対する警告が番組では強調されていた。2013年11月から2014年12月にかけて燃料取出は完了し,なんとかこれについての危機的な状況は回避された。しかし決してアンダーコントロールではなく,東京オリンピック2020に国家のリソースを振り向けているような状況ではない。

そこで指摘されている本質的な問題は改善されているわけではなく,政府も経済界も以前の体質のままに原子力発電の推進を再開させようと虎視眈々と狙っている。

[注1]Atsu「文科省の放射線副読本をめぐって思ったこと」(note 2019.4.26)
https://note.mu/atsu_note/n/nca472bf9e907

[注2]福島大学放射線副読本研究会「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本」
https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/SRR/FukushimaUniv_RadiationText_2nd_version.pdf
これに対する田崎晴明の指摘(日々の雑感的なもの 2012.3.27)
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/d/1203.html#27

[注3]nagaya @nagaya2013 の記事(Twitter 2019.4.29)より
https://twitter.com/nagaya2013/status/1122995361511919616

[注4]牧田寛「4・8経団連会長会見に垣間見える経団連の「恫喝」」(ハーバー・ビジネス・オンライン 2019.4.30)
https://hbol.jp/191386

[注5]「テレビ各局の “平成事件振り返り” から「福島原発事故」が消えた! 広告漬けと政権忖度で原発事故をなかったことに」(リテラ編集部 2019.4.30)
https://lite-ra.com/i/2019/04/post-4690-entry.html