2025年5月6日火曜日

生成AIの行方


最初は,生成AIをめぐり最近気になることとして,生成AIのボットの排除,経験の時代への移行(これは別記事にしよう),大学教育どうするホントに,などをまとめた話を展開しようかと考えた。ちょっともの足りなくて,以下の下線部を各処に尋ねたところ,似たような話が出てきたので,整理してもらった結果が次のQAである。

トランプの破天荒(じゃなかった出鱈目)な関税政策を契機に,マイクロソフトもアマゾンもAIデータセンターへの大規模投資を取り下げにかかっている。NVIDIAを含めて,AI退潮ブームがくるのではという懸念がある。一方で,AI 2027(これは別記事にしよう)のように,AGIが目前に迫っているという議論もあって,先の不透明感が一層増している。

生成AIは何処に行こうとしているのだろうか。

Q(koshix):
最近の生成AIをめぐる様々な状況の中で,余り語られてこなかった最も気になる視点をいくつか教えてください。」できるだけとがって,深く洞察された意見がほしいと思うのです。

添付したファイル(注)にもいろいろと語られているのですが,これらを統合しながらも,それを越えるような,思いもしなかった発想で,我々の盲点を突くような議論をお願いします。箇条書きベースではなくて,論説ベースにしてほしいです。読者のレベルは,理系大学院修士課程修了レベルです。

一つ例をあげます。最近robots.txtで生成AIのクロールを排除するニュースメディアサイトが増えてきました。これによって,生成AIの知識から最新の出来事が排除される可能性が出てきました[1][2]。生成AIの信頼性にかかわる重要なポイントの一つです。

(注:「」内をChatGPT 4o,Gemini 2.5 Flash,Claude 3.7 Sonnet,DeepSeek V3,Qwen-2.5 Max に投げ掛けて得られた一次回答をまとめたテキストファイルを添付)


A(ChatGPT 4.5):
生成AIをめぐる議論は、急速な技術革新のスピードに押され、多くの場合、顕在化した課題や直近の経済的影響に集中しがちです。例えば、著作権問題や倫理的懸念、AIの誤情報問題などは頻繁に議論されますが、表面的に問題が認識されやすいがゆえに、逆に私たちの死角となる根本的かつ潜在的な影響についての深掘りが不十分になることがあります。以下に、あまり語られてこなかったが、極めて重要な視点を統合的に、かつ新たな視点を加えつつ提示します。

1.「認識的エコーチェンバー」の不可避的拡大 分断と中庸
生成AIの「無難な回答」「平均化された知識」による人々の思考の収束はすでに懸念されていますが、これがさらに進展すると、AI生成コンテンツが「望まれる情報」だけを選択的に提供する「認識的エコーチェンバー」の形成を加速させる可能性があります。たとえばユーザーが無意識に特定の思想や視点に偏ったAIのアウトプットを消費し続けることで、自らの認識範囲をさらに狭めてしまうリスクが高まります。つまりAIがフィルターバブルの能動的な形成者となり、知識の「閉じた空間」が制度化されてしまう危険があるのです。

これがなぜ重要かといえば、私たちの認識世界は既にSNSなどにより分断されつつありますが、生成AIがそれを加速する場合、民主主義的な意思決定や科学的進歩の基盤となる「客観的な情報空間」の崩壊を招く恐れがあるからです。現在、この視点は「情報汚染」や「フェイクニュース」の問題に矮小化されることが多いですが、真のリスクは「客観性や多様性を前提とした知識環境自体の不可逆的な喪失」にあるのです。

2.「感情的脆弱性」の増大と心理的依存の強化 (AIコンパニオン
AIとのインタラクションが日常的になる中であまり語られていないのは、「人間がAIに対して感情的に依存するリスク」です。AIは疲れず、常に礼儀正しく、否定的な反応を避けるよう設計される傾向があります。これが日常的になると、人々は次第にAIの「心地よい応答」に慣れ、人間同士の不完全でストレスフルなコミュニケーションから距離を取る傾向が強まるかもしれません。

この傾向は特に若い世代で顕著になる可能性があり、AIが「最も安全な心理的逃避場所」となることで、人間同士の関係構築能力が弱まる恐れがあります。この影響は「心理的健康」の面でも深刻であり、人間関係の摩擦や葛藤を避けるためにAIとのコミュニケーションを選択することが常態化すれば、「社会的な感受性」や「対人関係スキル」の退化を招くリスクがあります。

3.「集合記憶のAI依存」による歴史の改変と記憶喪失 関東大震災朝鮮人虐殺事件
現在の生成AIは、膨大な情報をもとに、もっともらしい記述を迅速に生成できます。しかし、微妙なニュアンスや真偽の判断は苦手です。そのため、長期的に社会が生成AIの記述に過度に依存すると、些細な誤りや意図的ではない歪曲が累積し、「社会的集合記憶」そのものが徐々に変質するリスクがあります。

例えば、AIが歴史的な出来事や人物について細かな誤解や偏見を伴った記述を繰り返すことで、やがてそれが社会全体で「新たな真実」として定着し、元の歴史的事実が事実上消去されてしまう可能性があります。これは単なる情報の真偽問題を超えて、「文化的アイデンティティや歴史意識自体の危機」を引き起こしかねません。特に教育やメディアがAI生成コンテンツに依存する場合、この危険性は深刻になります。

4.「人間の能力の下方修正」と能力の再定義 ヒトからAIへ
もう一つ盲点となっているのが、生成AIが日常業務を肩代わりすることによる「人間の能力の無意識の下方修正」です。人間の知的作業がAIで容易に置き換えられることで、人々は「基礎的な認知能力」(例えば、複雑な文章を読み解く力、論理的に深く思考する力)を積極的に使わなくなります。その結果として、人間自身が持っていた知的能力が、AIとの競争ではなく、無意識の依存によって徐々に弱体化していくのです。

これは「非技能化」の問題とも関連しますが、より深刻な点は、社会全体がこの能力低下を「問題と認識しなくなる」可能性があることです。つまり、「能力の低下」ではなく「能力の再定義」として受け入れてしまい、知的努力や精神的な研鑽を「あえてしなくてもよい能力」として認識し直してしまう可能性があります。


これらの視点は、「今ここ」で起きている短期的問題よりも、より広範かつ長期的に社会構造や人間そのもののあり方に深刻な影響を与える可能性があります。重要なのは、表面化した問題にとどまらず、生成AIが私たち自身の意識や社会制度をどのように静かに再定義してしまうか、その過程と影響に対する深い警戒心を持つことです。

「AIと人間との健全な距離感」をどのように設定するかという、より根本的な議論が、いま求められているのかもしれません。


図:生成AIの闇(ChatGPT 4oによる)



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