2019年2月5日火曜日

覚道先生(1)

先日,覚道雄次郎先生が昨年の12月に亡くなられたとの報せがあった。私より25歳ほど年上なので90歳くらいだったろうか。阪大理学部の内山研を出られて和歌山大学に数年勤められた後,1966年から大阪教育大学に移られた。覚道先生には本当にお世話になった。

私が大阪教育大学に就職できたのも覚道先生のおかげなのであった。D3の終わり頃に初めて話があったときに,阪大豊中キャンパスの教養部の山本邦夫先生(覚道先生の同級生)の部屋へ訪ねていってご挨拶をした。日頃着たことのないスーツにネクタイでこちらはかなり緊張していたのだが,優しい声をかけていただきちょっと安心した。ちょっとまだどうなるかわかりませんねぇ,というような雰囲気だったので,冬の中央環状線の横の歩道をとぼとぼと下って蛍池まで帰ったイメージが残っている。

その年は残念ながら就職できなかったのだが,次の年に再び大阪教育大学の物理教室の人事があり(阪田巻蔵先生の学長就任の前後だったような),このときはたいへん幸運なことに採用されることになった。当時の大阪教育大学の物理学教室は天王寺分校と池田分校を併せて15名の先生方がいらっしゃって,なかなかの大所帯であった(いまは3部局あわせてその半分以下だが,今後よりいっそうの削減が予想される)。

採用が決まる最初の面接の後か,あるいは着任前の別の機会だったか忘れたが,暖い春の日のお昼時。おいしい麺を食べに行きませんかと誘われ,天王寺の今はなきあべの銀座の近くの小さなラーメン屋でじゃじゃ麺をごちそうになった。これがうまいんですよとの講釈があったが,こちらは緊張しているのでなんだか味もよくわからなかったかもしれない。

覚道先生(2)に続く)

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