2019年2月28日木曜日

小山内宏

ハノイでの第二回米朝首脳会談であるが,ベトナム戦争で米国に勝利して,その後の経済発展が目覚ましいベトナム社会主義共和国朝鮮民主主義人民共和国のモデルとなるかどうか,ということで話題になっているのか,どうだろう。

1972年にジェーン・フォンダが北ベトナムのハノイを訪れて物議をかもしていたころ,大学に入学したばかりだったが,ベトナム反戦はキャンパスの学生運動における主要なテーマではなかったような気がする。それでも,外部から識者をよんでベトナム戦争の現状について学習するための講演会があった。ベトナム戦争が実質的に終結するのは,1975年4月のサイゴン陥落と南ベトナム政府崩壊の時点である。その2年ほど前だろうか,すでに戦況が北ベトナム有利となりつつあるころに,ベトナム戦争の状況を説明してくれた講師が,軍事評論家の小山内宏先生小山内薫の次男)だった。

阪大豊中キャンパスのロ号館の中教室に集まった学生はそれほど多くはなく,当時阪大キャンパスの学生運動の実権を握っていた民学同系の団体の主催だった。小山内さんは,黒板にチョークで絵を描きながら,ベトコンの移動・輸送路の網目が如何に北爆の影響を回避しながら活動しているかをわかりやすく説明してくれた。

写真:秋田書店「拳銃百科」奥付けより引用

P. S. ここには1924年生まれとあるが,経歴からして,Wikipediaの1916年が正しいのではないか。


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