草枕は普通の小説ではないようで,物語が進まない気がして,三四郎・それから・門・彼岸過迄・行人・こころ・明暗などの延長線上のテンションでは,読む気力が出なかったのだと思う。この度,youtubeで草枕の朗読をざっくりと聞いてみた。前編と後編をあわせて5時間半ほどある。山路 を登りながら、こう考えた。
智 に働けば角 が立つ。情 に棹 させば流される。意地を通 せば窮屈 だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高 じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟 った時、詩が生れて、画 が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣 にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容 て、束 の間 の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降 る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑 にし、人の心を豊かにするが故 に尊 い。
蘆雪や若冲の話が出てきたので,ああ,そんな話だったのかと思ってなんだか親しみが湧いてきた。その若冲の部分を青空文庫から引用すると次のようになっている。
横を向く。ところで,松岡正剛の千夜千冊の583夜が「草枕」である。そこには,「そんなことを思いながら横に目を凝らすと若冲の鶏がいる。複製の商品だ。」とある。若冲といえば鶏というのは普通はそうだが,ここは精緻な彩色の鶏ではなくて,一筆書きの卵形の鶴でなければならないのである。複製の商品というのはどこからでてきたのだ。まあ,そんな瑣末なことはどうでもよいが,千夜千冊の記事の中で松岡正剛は漱石を巡る重要な指摘をしているように思った。床 にかかっている若冲 の鶴の図が目につく。これは商売柄 だけに、部屋に這入 った時、すでに逸品 と認めた。若冲の図は大抵精緻 な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼 なしの一筆がき で、一本足ですらりと立った上に、卵形 の胴がふわっと乗 かっている様子は、はなはだ吾意 を得て、飄逸 の趣 は、長い嘴 のさきまで籠 っている。
P. S. 草枕の那美のモデルが,前田卓(つな)なのだそうで,ここからも歴史がつながる。
「春立つや子規より手紙漱石へ」 (榎本好宏 1937-)
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